「せかいのおきく」(2023)阪本順治監督、日本
「遺灰は語る」(2022)パオロ・タヴィアーニ監督、イタリア
「小説家の映画」(2022)ホン・サンス監督、韓国
「エル プラネタ」(2021)アマリア・ウルマン監督、アメリカ・スペイン
「カモン カモン」(2021)マイク・ミルズ監督、アメリカ
「茲山魚譜 チャサンオボ」(2021)イ・ジュニク監督、韓国
「パリ13区」(2021)ジャック・オーディアール監督、フランス
「ベルファスト」(2021)ケネス・ブラナー監督、イギリス
「スウィート・シング」(2020)アレクサンダー・ロックウェル監督、アメリカ
「異端の鳥」(2019)ヴァーツラフ・マルホウル監督、チェコ・ウクライナ・スロヴァキア
「パラサイト 半地下の家族 モノクロ版」(2019)ポン・ジュノ監督、韓国
「ライトハウス」(2019)ロバート・エガース監督、アメリカ
「ROMA/ローマ」(2018)アルフォンソ・キュアロン監督、メキシコ
「藍色少年少女」(2016)倉田健次監督、日本
「彷徨える河」(2015)シーロ・ゲーラ監督、コロンビア・ベネズエラ・アルゼンチン
「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(2013)アレクサンダー・ペイン監督、アメリカ
「パプーシャの黒い瞳」(2013)ヨアンナ&クシシュトフ・コス=クラウゼ監督、ポーランド
「コーヒーをめぐる冒険」(2012)ヤン・オーレ・ゲルスター監督、ドイツ
「ブランカニエベス」(2012)パブロ・ベルヘル監督、スペイン・フランス
「フランケンウィニー」(2012)ティム・バートン監督、アメリカ
「フランシス・ハ」(2012)ノア・バームバック監督、アメリカ
「アーティスト」(2011)ミシェル・アザナヴィシウス、フランス
「木洩れ日の家で」(2007)ドロタ・ケンジェジャフスカ監督、ポーランド
「さらば、ベルリン」(2006)スティーヴン・ソダーバーグ監督、アメリカ
「グッドナイト&グッドラック」(2005)ジョージ・クルーニー監督、アメリカ
「シン・シティ」(2005)ロバート・ロドリゲス、クエンティン・タランティーノ、他、監督、米
「コーヒー&シガレッツ」(2003)ジム・ジャームッシュ監督、アメリカ
「13デイズ」(2000)ロジャー・ドナルドソン監督、アメリカ
「あの娘と自転車に乗って」(1998)アクタン・アリム・クバト監督、キルギス・フランス
「カラー・オブ・ハート」(1998)ゲイリー・ロス監督、アメリカ
「スモーク」(1995)ウェイン・ワン監督、アメリカ
「デッドマン」(1995)ジム・ジャームッシュ監督、アメリカ
「シンドラーのリスト」(1993)スティーヴン・スピルバーグ監督、アメリカ
「コルチャック先生」(1991)アンジェイ・ワイダ監督、ポーランド
「少年、機関車に乗る」(1991)バフティヤル・フドイナザーロフ監督、タジキスタン・ ロシア
「黒い雨」(1989)今村昌平監督、日本
「ベルリン・天使の詩」(1987)ヴィム・ヴェンダース監督、西ドイツ・フランス
「海と毒薬」(1986)熊井啓監督、日本
「ダウン・バイ・ロー」(1986)ジム・ジャームッシュ監督、アメリカ・西ドイツ
「夢みるように眠りたい」(1986)林海象監督、日本
「最後の戦い」(1983)リュック・ベッソン監督、フランス
「ボーイ・ミーツ・ガール」(1983)レオス・カラックス監督、フランス
「ベロニカ・フォスのあこがれ」(1982)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督、ドイツ
「泥の河」(1981)小栗康平監督、日本
「エレファント・マン」(1980)デヴィッド・リンチ監督、英・米
「レイジング・ブル」(1980)マーティン・スコセッシ監督、アメリカ
「マンハッタン」(1979)ウディ・アレン監督、アメリカ
「イレイザーヘッド」(1976)デヴィッド・リンチ監督、アメリカ
「さすらい」(1976)ヴィム・ヴェンダース監督、西ドイツ
「ヤング・フランケンシュタイン」(1974)メル・ブルックス監督、アメリカ
「レニー・ブルース」(1974)ボブ・フォッシー監督、アメリカ
「都会のアリス」(1973)ヴィム・ヴェンダース監督、西ドイツ
「ペーパー・ムーン」(1973)ピーター・ボグダノヴィッチ監督、アメリカ
「株式会社/ザ・カンパニー」(1972)サタジット・レイ監督、インド
「ラスト・ショー」(1972)ピーター・ボグダノヴィッチ監督、アメリカ
最初に「カラー時代」とはいつからなのかをはっきりさせておきたい。ここでは便宜上1970年以降とした。カラーフィルム自体はサイレント映画時代にすでに発明されていたようだが、長編カラー映画が作られ始めたのは1930年代からと言っていいだろう。「オズの魔法使」(1939)や「風と共に去りぬ」(1939)がその代表作だ。しかしその後もかなり長い間白黒映画の時代が続く。おそらくカラー映画は制作費が高くついたからだと思われる。
カラー化が一気に進んだのは1960年代だろう。テレビの普及で映画の人気が落ち込んでいた頃で、その起死回生の手段がカラー化だったと思われる。しかしまだ白黒作品も少なからず上映されていた。1970年代はさすがにほとんどがカラー映画になっていた。そこで切りの良いところで1970年以降をここでは「カラー時代」と呼ぶことにする。
さて、モノクロ映像(画像)の特徴は何だろうか。「思い出はモノクローム 色を付けてくれ~」(大滝詠一、「君は天然色」)と歌われているように、思い出がモノクロないしセピア色なのは、色あせた昔の白黒写真を連想させるからだ。もちろん昔だって色はあふれていたはずだが。記憶は時間がたつと薄れてゆく。しかし写真は残る。だから消えはしないが、現像された写真は経年劣化で鮮明な白黒から色あせたセピア色に変わってゆく。つまり、モノクロという色調はイメージとして過去ないし過去の思い出と重なっているのである。過去と現在を対比的に描く映画などで過去の部分がモノクロないしセピア色で撮られていることがしばしばあるのはこのためである。
過去の歴史的出来事や自身の幼少期を投影して描いた自伝的ドラマなどを描く映画の場合、全編モノクロで描かれることがあるのも基本的には同じ理由からであろう。過去とは色のない、灰色でくすんだ世界というイメージと結びつきやすく、そこからさらに寒々とした世界、荒涼とした世界、闇の多い不気味さ、不安感などにつながってゆく。後半の諸要素(寒々とした世界、荒涼とした世界、闇の多い不気味さ、不安感)を強調しているのはハード・ボイルドやフィルム・ノワールである。ノワール→黒→闇→犯罪・陰謀という連想。実際ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」(2019)のモノクロ版を観た時、カラー版よりぐっとノワール的要素が押し出されていると感じた。結末があんな感じだったかと驚いた。ラストの惨劇は赤い鮮血が強調されるより、どす黒い怒りと悪意の塊が噴き出す感じがモノクロで強調されている。大雨で半地下がある家の一帯が水に浸かっているシーンは古いニュース映像を観ている感じがする。カラー版よりもモノクロ版の方が先に完成していたというのも何となくわかる気がした。その手法をやや違った形で活用したのがドイツ表現主義やその手法を取り入れた映画だ。こちらは光と影の対比、特に闇や影の不気味さが強調されている。さらには、カラーとモノクロの対比は生者の世界と死者の世界の対比にも使われる。人が希望を失った時、世界は色を失う。
カラーとモノクロの対比を意図的に強調したのがパート・カラーである。現実の世界と幻想の中で見る天国をカラーとモノクロで描き分けた「天国への階段」(1946)がその典型だが、「ベルリン・天使の詩」(1987)、「カラー・オブ・ハート」(1998)、「ラン・ローラ・ラン」(1998)、「シン・シティ」など他にも結構ある。「天国と地獄」(1963)や「シンドラーのリスト」(1993)、「あの娘と自転車に乗って」(1998)のようにワンポイントでカラー画面を用いるのも効果的である。
このように白黒映画と言っても、白よりも黒あるいは灰色のイメージが強いのは否めない。つまりそこは鮮やかな色彩がない世界なのである。だから犯罪と暴力、闇の中でうごめくハード・ボイルドな男の美学、ダークで渋い大人の世界、怪奇性、そこから生まれる不安や焦燥、閉塞感、不条理感を描くのにモノクロの映像は効果的なのである。そう考えると、「ディメンシャ13」、「エレファント・マン」、「ライトハウス」などがモノクロで撮られたのも納得がゆく。
モノクロ画面の効果や効能は上で述べた以外にももちろんある。例えば「せかいのおきく」がモノクロで撮られたのは過去の時代を描いているからということもあるだろうが、もう一つ生々しさを抑えるという狙いもあるだろう。これは必ずしもマイナス思考ではない。一気に話は映画から絵画に飛ぶが、ピカソの「ゲルニカ」も白黒で描かれている。その分生々しさは抑えられており、原爆画のような血なまぐささはないし、パッと見たところ悲惨さやむごさをさほど感じない。ピカソはむしろ白黒にすることによって、真っ赤な血の色を強調するのではなく、表面的な悲惨さではなく魂の声、声なき叫びを描いたと言えよう(鬼気迫る原爆画の価値が低いと言いたいのではなく、ピカソは全く別のアプローチを試みて成功していると言いたいだけだ)。悲惨さを生理的に伝えるのではなく、頭だけで理解するのでもなく、もっと象徴的に、感覚にしみこませる試みだと理解すべきだ。
絵画にふれたついでに、ラファエル前派のオーブリー・ビアズリー(1872-98)の作品にも触れておこう。『サロメ』などに代表される彼独特の挿絵は、大胆な白と黒のコントラストによる奇抜な構成という魅力を持っている。彼の挿絵は、ほとんどが「ライン・ブロック」と呼ばれる印刷法によっている。この技法は、写真を使っているので正確に原画を再現することが出来るが、その代わり白と黒の対比だけで、微妙な中間色や濃淡を表すことは出来ない。ビアズリーはこの印刷法の特質を充分に心得ていて、思い切った白と黒のコントラストによる構成を実現して見せている。『サロメ』の挿絵や『イエロー・ブック』の作品になると、この白と黒の対比に加えて白地の部分を思い切って大きくして、流麗な描線の魅力を強調するという傾向が見られる。余計な部分をいっさい切り捨てて、ほんのわずかの的確な線だけを生かすというやり方を用いたのである。
話を絵から映画に戻そう。ビアズリーを取り上げたために白と黒の対比が強調されてしまったが(この効果は確かにあるわけで、例えばビートルズの「ウィズ・ザ・ビートルズ」のジャケット写真で使われたハーフ・シャドウの効果を思い浮かべればいい)、映画の場合画面の大部分を占めるのは真っ白や真っ黒な部分ではなく、その間にある灰色の様々なグラデーションである。モノクロ映画は世界を光と影に還元することだという指摘は、光と影(陰影)の持つ様々なイメージや比ゆ的意味合いを強調することになりその意味で有意義ではあるが、完全に白と黒だけに還元してしまうわけではない。むしろ世界から色彩を取り去るという表現の方がより正確だろう。色がなくなることで、色に頼っていた表現をコントラストだけで表現することになるわけなので、ここで先ほどピカソの「ゲルニカ」で示したような別な要素や工夫を盛り込むことが必要になってくる。つまり、世界から色を奪うことはそれ自体「異化」効果を持っており、色がない分それ以外の要素、人物造形(例えば、顔に斜めから光を当てれば影ができて表情に深みが増す)やサスペンスフルなストーリー展開、フィクション性の強調、コントラストを強めてシルエットを浮かび上がらせる効果、等々を意識させることにつながる。日没前後の美しい夕焼けが見られるマジック・アワーの後に続く蒼い時(逢魔が時)。明るい昼間とは全く違う色のないあの独特の時間帯が持つ不思議な魅力。モノクロ映画にはそれと同じような効果がありはしないだろうか。世界が色を失う時、われわれは新しい世界に足を踏み入れる。
グレーのグラデーションを活かした作品として韓国映画「茲山魚譜 チャサンオボ」(2021)を取り上げておきたい。全編モノクロームの韓国時代劇だが、ここでは水墨画のような効果が実に効果的だ。韓国には文字通り水墨画の世界を描いた「酔画仙」(2002)というカラー映画もある。墨といっても黒以外の色も用いるが、やはり黒墨を中心としてシンプルな線と構図と墨の濃淡で表現する画である。ただワンポイントで色を入れることもあるのでカラー映画にしたのだと思われるが、カラーの色調は寒々とした寒村や海岸の風景などあえて色彩を抑えたダークな色調にしている。同じ水墨画の世界でも「線は、僕を描く」(2022、日本)とは全体の色合いがだいぶ違う。
最後に、白黒が主流だったフィルム映画時代のモノクロ画面の美しさについて触れておきたい。「オズの魔法使」(1939)や「風と共に去りぬ」、もう少し時代は下がるがイギリスの「黒水仙」(1946)や「赤い靴」(1950)の鮮烈なカラー映像は非常に魅力的だった。しかし白黒画面に不満を感じていたわけではない。白黒画面の美しさに初めて感銘を受けたのは「シベールの日曜日」(1962)を観た時だった。アンリ・ドカエが映し出した白黒画面の冴え冴えとした美しさに背筋がゾクゾクしたものだ。寒々しさを内に含みながらも冴え冴えとした美しさ保つあの映像美は、おそらくカラーでは出せなかっただろう。フィルム時代の白黒映画の肌触りは、デジタル時代のモノクロ映画とはやはり違う。おそらく同じことは写真にも言えるだろう。ロバート・キャパの写真集『ロバート・キャパ スペイン内戦』(岩波書店、2000年)の鮮烈な画像はデジカメでは恐らく撮れないのではないか。際立つ歴史的リアリティ。モデルでもなく俳優でもない人たちの表情の美しさ。普通のスナップ写真とは全く違うただならぬ存在感を持って立ち現れる名もない人々。あの写真集をカラーで見たいとは思わない。同じことはフィルム時代の白黒映画にも感じる。この原稿を書くために49年ぶりにジャンヌ・ダルク裁判を描いたカール・テオドール・ドライエル監督の名作「裁かるゝジャンヌ」(1928)を観直した。全編これ人間の顔のオンパレードといった作品。それでいて最後まで圧倒的迫力で観る者に迫ってくる。物語の展開以上に人間の顔の個性的造形が雄弁に語りかけてくる(サイレント映画で字幕も多くはない)。審問官たちの特異な顔立ちや表情は陰影が際立つ白黒フィルムだからこそ引き出せたのだ。