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カテゴリー「文化・芸術」の記事

2006年8月24日 (木)

イギリス小説を読む⑨ 『土曜の夜と日曜の朝』

【アラン・シリトー作品年表(翻訳があるもののみ)】 _
Alan Sillitoe(1928-  )
1 Saturday Night and Sunday Morning(1958)
 『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)
2 Lonliness of the Long Distance Runner(1959)
 『長距離ランナーの孤独』(集英社文庫)
3 The General(1960)            
 『将軍』(早川書房)
4 Key to the Door(1961)         
 『ドアの鍵』(集英社文庫)
5 The Ragman's Daughter(1963)      
 『屑屋の娘』(集英社文庫)
6 The Death of William Posters(1965)  
 『ウィリアム・ポスターズの死』(集英社文庫)
7 A Tree on Fire(1967)         
 『燃える木』(集英社)
8 Guzman Go Home(1968)         
 『グスマン帰れ』(集英社文庫)
9 A Start in Life(1970)
 『華麗なる門出』(集英社)
10 Travels in Nihilon(1971)
 『ニヒロンへの旅』(講談社)
11 Raw Marerial(1972)
 『素材』(集英社)
12 Men Women and Children(1973)
 『ノッティンガム物語』(集英社文庫)
13 The Flame of Life(1974)
 『見えない炎』(集英社)
14 The Second Chance and Other Stories(1981)
 『悪魔の暦』(集英社)
15 Out of the Whirlpool(1987)
 『渦をのがれて』(角川書店)

【作者略歴】
 1928年、イングランド中部の工業都市ノッティンガムに、なめし革工場の労働者の息子として生まれた。この工業都市の貧民街に育ち、14歳で学校をやめ、自動車工場、ベニヤ板工場で働きはじめ、この時期の経験が、『土曜の夜と日曜の朝』など、一連の作品の重要な下地になった。19歳で英国空軍に入隊し、1947年から48年までマラヤに無電技手として派遣されていたが、肺結核にかかって本国に送還された。1年半の療養生活の間に大量の本を読み、詩や短編小説を試作した。病の癒えた後、スペイン領のマジョルカ島に行き、『土曜の夜と日曜の朝』と『長距離ランナーの孤独』を書き上げた。「ロレンスを生んだ地方から新しい作家が現れた」と評判になった。その後ほぼ年1冊のペースで詩集、長編小説、短編集、旅行記、児童小説、戯曲などを発表している。1984年にはペンクラブ代表として来日している。

【作品の概要と特徴】
 アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』は、労働者階級を労働者側から描いた最初の作品と言ってよい。それまでも下層出身の主人公はいなかったわけではない。ハーディの『日陰者ジュード』の主人公は職人だった。シリトーと同郷の先輩作家D.H.ロレンスの『息子と恋人』(1913年)は炭鉱夫を主人公にしていた。しかし工場労働者が工場労働者であることを謳いながら工場労働者を描いた小説はそれまでなかった。しかも、『息子と恋人』の主人公ポール・モレルは炭鉱夫でありながら、そういう境遇から抜け出ようと志向し努力するのだが、シリトーの作品の主人公たちは上の階級入りを目指そうとはしない。

 シリトーは旋盤工の息子。D.H.ロレンスも同じノッティンガムシャーの「自分の名前もろくに書けない」生粋の炭鉱夫の息子である(母親は中流出身)。シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』を初めとする多くの作品はノッティンガムを舞台にしており、ロレンスの『息子とCut_bmgear04 恋人』『虹』『チャタレー夫人の恋人』などもノッティンガムシャーを舞台にしている。ノッティンガムは、マンチェスターやバーミンガムとともに、イギリス中部の工業地帯を形づくる三角形の頂点の一つをなす都市であって、産業革命を契機に起こった労働者階級の暴動や運動には中心的な役割を果たしてきた土地である。1810年代に起こった機械の破壊を目的とするラッダイトの暴動はここを中心としていたし、1830年代末から起こったチャーティズムの運動にも関係していた。この土地から、ロレンスとシリトーという二人の下層階級出身の小説家が出たことは、単なる偶然ではあるまい。

 シリトーはロレンスよりもほぼ半世紀遅れて作家活動を始めた作家で、文学史的には〃怒れる若者たち〃と呼ばれる一派、すなわち『怒りをこめて振り返れ』(1956年)のジョン・オズボーン、『ラッキー・ジム』(1954年)のキングズレー・エイミス、『急いで駆け降りよ』(1953年)のジョン・ウェインなどとほぼ同時期に『土曜の夜と日曜の朝』(1958)が発表されたために、シリトーもその一派と見なされたりした。しかし〃怒れる若者たち〃がその後体制化し「怒り」を忘れてしまってからも、シリトーの主人公たちはなおも怒り続けた。

 『土曜の夜と日曜の朝』は「土曜の夜」と「日曜の朝」の2部構成になっている。小説の始まりから終わりまでにほぼ1年が経過している。主人公のアーサー・シートンは旋盤工だが、金髪の美男子だ。15の時から自転車工場で働いている。重労働だが高賃金である。アーサーの父が失業手当だけで、5人の子供をかかえ、無一文で、稼ぐ当てもないどん底生活を送っていた戦前に比べれば、今は家にテレビもあり、生活は格段に楽になっている。アーサー自身も数百ポンドの蓄えがある。しかし明日にでもまた戦争が起こりそうな時代だった。

 作品はアーサーが土曜日の夜酒場での乱痴気騒ぎの果てにある男とのみ比べをして、したたかに酔っ払って階段を転げ落ちるところから始まる。月曜から土曜の昼まで毎日旋盤とにらめっこして働きづめの生活。週末の夜には羽目を外したくなるのも無理はない。しかし、アーサーの場合いささか度が外れている。ジン7杯とビール11杯。階段から転げ落ちた後もさらに数杯大ジョッキを飲み干した。挙句の果てに、出口近くで知らない客にゲロをぶっかけて逃走する。その後職場の同僚のジャックの家に転がり込む。ジャックは留守だ。亭主が留守の間に、彼の妻のブレンダと一晩を過ごした。

 アーサーは決して不まじめな人間というわけではなく、仕事には手を抜かず旋盤工としての腕も立つ。しかし、平日散々働いた後は、週末に大酒を飲み、他人の妻とよろしくやっている。月曜から金曜までの労働と、土曜と日曜の姦通と喧嘩の暮らし。まじめに働きながらも、ちゃっかり「人生の甘いこころよい部分を積極的に」楽しんでいる。しかもブレンダだけではなく、彼女の妹のウィニー(彼女も人妻)とも付き合っている。さらには、若いドリーンという娘にも手を出している。「彼はブレンダ、ウィニー、ドリーンを操ることに熱中してまるで舞台芸人みたいに、自分自身も空中に飛び上がってはそのたびにうまくだれかの柔らかいベッドに舞い降りた。」とんだ綱渡りだが、ついにはウィニーの夫である軍人とその仲間に取り囲まれ散々ぶちのめされる。祭の時にブレンダとウィニーを連れているところを、うっかりドリーンに見つかるというへままでしでかす。しかし何とかごまかした。アーサーは嘘もうまいのだ。「頭がふらふらのときだって嘘や言い訳をでっちあげるくらいはわけないからな。」

 アーサーの狡さはある程度は環境が作ったものだろう。アーサー自身「おれは手におえん雄山羊だから遮二無二世界をねじ曲げようとするんだが、無理もないぜ、世界のほうもおれをねじ曲げる気なんだから」と言っている。世界にねじ曲げられないためには、こっちもこすっからくなるしかない。軍隊時代は自分に「ずるっこく立ち回ること」だと言い聞かせて、自由になるまで2年間がまんした。「おれに味わえる唯一の平和は軍隊からきれいさっぱりおさらばして、こりやなぎの並木の土手から釣り糸を垂れるときか、愛する女といっしょに寝ているときしかない。」彼がハリネズミのように自分の周りに刺を突き立てるのは、自分を守るため、自分を失わないためだ。自分の定義は自分でする。「おれはおれ以外の何者でもない。そして、他人がおれを何者と考えようと、それは決しておれではない。」この自意識があったからこそ、彼は環境に埋没せずに、自分を保てたのだ。

 アーサーは政治的な人間ではない。確かに彼は「工場の前で箱に乗っかってしゃべりまくっている」連中が好きだとは言う。しかしそれは彼らが「でっぷり太った保守党の議員ども」や「労働党の阿呆ども」と違うからだ。アーサーは、自分は共産主義者ではない、平等分配という考え方を信じないと言っている。もともとアーサーの住む界隈は「アナーキストがかった労働党一色」の地域であった。実際、彼の自暴自棄とも思える無軌道なふるまいにIsu4 はアナーキーなやけっぱちさがある。「おれはどんな障害とでも取っ組めるし、おれに襲いかかるどんな男でも、女でも叩きつぶしてやる。あんまり腹にすえかねたら全世界にでもぶつかって、粉々に吹き飛ばしてやるんだ」とか、「戦う相手はいくらもある、おふくろや女房、家主や職長、ポリ公、軍隊、政府」とか、勇ましい言葉を吐くが、結局ノッティンガムの狭い社会の中でとんがってずる賢く生きているだけだ。

  彼の反抗は反体制的な反抗というよりも、非体制的な反抗だと批評家たちからよく指摘される。だが、反抗といっても他人の女房を寝取るという不道徳行為に命を賭けるといった、ささやかなものに過ぎない。むしろ今から見れば、将来の希望の見えない労働者の、酒や暴力で憂さを晴らし、人妻との恋愛に一時的な快楽を求める、刹那的な生き方と言った方が当たっているだろう。「武器としてなんとか役立つ唯一の原則は狡くたちまわることだ。...つまり一日中工場で働いて週に14ポンドぽっきりの給料を、週末ごとにやけっぱちみたいに浪費しながら、自分の孤独とほとんど無意識の窮屈な生活に閉じ込められて脱出しようともがいている男の狡さなのだ。」窮屈な生活から何とか逃れようともがいている、やけっぱちの男、これこそ彼を一言で表した表現であろう。

 そうは言っても、彼の生き方に全く共感できないわけではない。アーサーという人物は、80年代以降のイギリス映画によく出てくる一連の「悪党」ども、「トレイン・スポッティング」等の、「失業・貧困・犯罪」を描いた映画の主人公たちに一脈通じる要素がある。アーサーは彼らの「はしり」だと言ってもよい。イギリスの犯罪映画に奇妙な魅力があるように、『土曜の夜と日曜の朝』に描かれた庶民たちの生活には、裏町の煤けた棟割り長屋に住む庶民の、したたかな生活力と、おおらかな笑いが感じられる。西アフリカから来た黒人のサムをアーサーの伯母であるエイダの一家が歓迎する場面はほほえましいものがある。中にはからかったりする者もいるが、すぐにエイダはたしなめるし、みんなそれなりにこの「客」に気を使っている。アーサーがいとこのバートと飲んだ帰りに酔っ払いの男が道端に倒れているのを見て、家まで連れて帰るエピソードなどもある。この時代の「悪党」はまだ常識的な行動ができていたのだ。もっともバートはちゃっかり男の財布をくすねていたが(ただし空っぽだった)。

 面白いのは、最後にアーサーがドリーンと結婚することが暗示されていることである。この間男労働者もいよいよ年貢の納め時を悟ったようだ。最後の場面はアーサーが釣りをしているところである。「年配の男たちが結婚と呼ぶあの地獄の、眼がくらみ身の毛がよだつ絶壁のふちに立たされる」のはごめんだとうそぶいていた男が、釣り糸を見ながら、「おれ自身はもうひっかかってしまったのだし、これから一生その釣り針と格闘をつづけるしかなさそうだ」などと、しおらしく考えている。さて、どのような結婚生活を送るものやら。

イギリス小説を読む⑧ イギリスとファンタジーの伝統

(1)イギリス児童文学におけるファンタジーの系譜
W.M.サッカレー William Makepeace Thackeray(1811-63)
  『バラと指輪』The Rose and the Ring(1855)
チャールズ・ディケンズ Charles Dickens(1812-70)
  『クリスマス・キャロル』A Christmas Carol (1843)
ジョン・ラスキン John Ruskin(1819-1900)
  『黄金の川の王様』The King of. the Golden River or the Black Brothers(1851)
チャ-ルズ・キングズリ Charles Kingsley(1819-75)
  『水の子たち』The Water-Babies(1863)
トマス・ヒューズ Thomas Hughes(1822-96)
  『トム・ブラウンの学校生活』(1857)
ジョージ・マクドナルド George MacDonald(1824-1905)
  『ファンタステス』Phantastes; A Faerie Romance for Men and  women(1858)
  『北風のうしろの国』At the Back of the North Wind (1871)
  『リリス』Lilith (1895)   
  『黄金の鍵』The Golden Key (1871)
  『ファンタステス』 Phantastes (1858)
ルイス・キャロル Lewis Carroll(1832-98)
  『不思議の国のアリス』Alice's Adventures in Wonderland (1865)   
  『鏡の国のアリス』Through the Looking-Glass (1871)
フランシス・E・H・バーネット  Frances Eliza Hodgson Burnett(1849-1924)
  『秘密の花園』The Secret Garden(1909)
ロバート・L・スティーヴンソン  Robert L. Stevenson(1850-94)    
  『宝島』Treasure Island(1883)
オスカー・ワイルド Oscar Wilde(1854-1900)
  『幸福な王子』Happy Prince and Other Stories(1888)
ケネス・グレーアム  Kenneth Grahame(1859-1932)
  『たのしい川べ』The Wind in the Willows(1908)Artosiro150bbb
ジェームズ・バリー  James M.Barrie(1860-1937)
  『ピーター・パン』 Peter Pan in Ksensington Gardens(1906)
ラドヤード・キップリング Rudyard Kipling(1865-1936)
  『ジャングル・ブック』The Jungle Book(1894)
ビアトリクス・ポター  Beatrix Potter(1866-1943)
  『ピーター・ラビットのおはなし』(1901)
エリナー・ファージョン Eleanor Farjeon(1881-1965)
  『銀のシギ』The silver curlew(1953)
  『本たちの小部屋』The Little Bookroom(1955)
  『リンゴ畑のマーティン・ピピン』 Martin Pippin in the apple orchard
  『ムギと王さま』
  『ガラスのくつ』
A・A・ミルン  A.A.Milne(1882-1924)
  『熊のプーさん』Winnie-the-Pooh(1926)
ヒュー・ロフティング(1886-1947)
  『ドリトル先生物語』シリーズ
J・R・R・トールキン  J. R. R. Tolkien(1892-1973)
  『ホビットの冒険』The Hobbit(1949)
  『指輪物語』
       『旅の仲間』The Fellowship of the Ring(1954)
       『二つの塔』The Two Towers(1855)
       『王の帰還』The Return of the King(1955)
ルーシー・ボストン Lucy Boston(1892-1990)
  『グリーン・ノウの子どもたち』The Children of Green Knowe
  『グリーン・ノウの川』The River at Green Knowe
  『グリーン・ノウのお客さま』A Stranger at Green Knowe
C・S・ルイス  C.S. Lewis(1898-1963)
  「ナルニア国ものがたり」シリーズ(7巻)
    『ライオンと魔女』The Lion, the Witch and the Wardrobe(1950)
   『カスピアン王子のつのぶえ』Prince Caspian(1951)
メアリー・ノートン  Mary Norton(1903-1992)
  『床下の小人たち』The borrowers(1952)
  『野に出た小人たち』The Borrowers Afield(1955)
パメラ・L・トラヴァース  Pamela L. Travers(1906-  )
  『風にのってきたメアリー・ポピンズ』Mary Poppins(1934)
ジョーン・G・ロビンソン Joan Gale Robinson(1910-88)
  『思い出のマーニー』 When Marnie Was There(1967)
キャサリン・ストー Catherine Storr(1913-  )
  『マリアンヌの夢』 Marianne Dreams(1958)
ロアルド・ダール  Roald Dahl(1916-90)
  『魔女がいっぱい』
  『チョコレート工場の秘密』(1964)
メアリー・スチュアート Mary Stewart(1916-2014)
  『小さな魔法のほうき』The Little Broomstick(1971)
フィリッパ・ピアス  A. Philippa Pearce(1920-  )
  『トムは真夜中の庭で』Tom's Midnight Garden(1958)
  『真夜中のパーティ』What the Neighbours Did and Other Stories(1959-72)
  『まぼろしの小さい犬』A Dog So Small(1962)
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ Diana Wynne Jones(1934-)
  『トニーノの歌う魔法』The Magicians of Caprona(1980)
  『9年目の魔法』Fire and Hemlock(1984)
  『魔法使いハウルと火の悪魔』Howl's Moving Castle(1986)
  『クリストファーの魔法の旅』The Lives of Christopher Chant(1988)
  『アブダラと空飛ぶ絨毯』Castle in the Air(1990)
アラン・ガーナー Alan Garner(1935-  )Mjyokabe3_1
  『ゴムラスの月』The Moon of Gomrath(1963)
アンジェラ・カーター Angela Carter(1940-92)
  『魔法の玩具店』The Magic Toyshop(1967)
  『ラヴ』Love(1971)
  『血染めの部屋』The Bloody Chamber(1979)
  『夜ごとのサーカス』Nights at the Circus(1984)
  『ワイズ・チルドレン』Wise Children(1991)
フィリップ・プルマン(1946-)
  『黄金の羅針盤』Noethern Lights/The Golden Compass(1965)
   『神秘の短剣』 The Subtle Knife(1997)    
  『琥珀の望遠鏡』The Amber Spyglass(2000)
J・K・ローリング  J.K.Rowling
  『ハリー・ポッターと賢者の石』Harry Potter and the Philosopher's Stone(1997)
  『ハリー・ポッターと秘密の部屋』Harry Potter and the Chamber of Secrets    
  『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』Harry Potter and the Prizoner of Azkaban    
  『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』Harry Potter and the Goblet of Fire(2000)
  『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』Harry Potter and the Order of the Phoenix
  『ハリー・ポッターと謎のプリンス』Harry Potter and the Half-Blood Prince(2005)
  『ハリー・ポッターと死の秘宝』Harry Potter and the Deathly Hallows (2007)
デボラ・インストール Deborah Install
  『ロボット・イン・ザ・ガーデン』A Robot in the Garden(2015)

(2)リアリズム系列の児童文学作家たち
イディス・ネズビット(1858-1924)
  『砂の妖精』Five Children and It(1902)
アーサー・ランサムArthur Ramssome(1884-1967)
  『ツバメ号とアマゾン号』Swallows and Amazons(1930)
  『ツバメの谷』
  『ヤマネコ号の冒険』
  『長い冬休み』Winter Holiday(1933)
ローズマリー・サトクリフ Rosemary Sutcliff(1920-92)
  『太陽の騎士』Worrior Scarlet(1958)
  『ともしびをかかげて』The Lantern Bearers(1959)
  『第9軍団の鷲』
  『銀の枝』The Silver Branch(1957)
  『王のしるし』The Mark of the Horse Lord(1965)
  『ケルトの白馬』
  『アーサー王と円卓の騎士』The Sword and the Circle(1981)
  『アーサー王と聖杯の物語』The Light Beyond the Forest(1979)
  『アーサー王最後の戦い』The Road to Camlann(1981)
ジョン・ロウ・タウンゼンド John Rowe Townsend(1922-  )
  『ぼくらのジャングル街』The Gumble's Yard(1961)
  『アーノルドのはげしい夏』The Intruder(1969)
ウィリアム・メイン William Mayne(1928-  )
  『砂』Sand(1964)
  『地に消える少年鼓手』Earthfasts(1966)
キャスリーン・ペイトン Kathleen M. Peyton(1929-  )
  『愛の旅だち』Flambards(1967)
  『雲のはて』The Edge of the Cloud(1969)
  『めぐりくる夏』Flambards in summer(1969)

 

(3)イギリスとファンタジー

【1 イギリス児童文学におけるファンタジーの系譜】
 →上記作品リスト参照

【2 なぜイギリスはファンタジー大国になったのか】
 「イギリスの『ナンセンス』は...「不思議の国のアリス」やリアの詩や多くのナーサリー・ライムを生んだもので、イギリスの子どもに贈られた宝物である。この宝物によって本を読むイギリスの子どもには、どこの国の子どもも知らないようなまったく独特の世界がひらかれている。いまではくまのプーさん、ピーターラビット、ピーター・パン、ドリトル先生、メアリー・ポピンズなど、多くの人物がこの領域に集まっている。そしてほかのいかなる国も、これに匹敵するものを持ちあわせていない。」
ベッティーナ・ヒューリマン『ヨーロッパの子どもの本』(ちくま学芸文庫、1993)より

1 イギリスの児童文学の源流(1) 伝説、ナーサリー・ライム
・イギリスの伝説:ロビン・フッド、アーサー王伝説
 →昔のイギリスの蒸気機関車にはアーサー王ゆかりの人物の名前がつけられていた。
  「サー・ランスロット号」「サー・パーシヴァル号」「サー・ケイ号」「アーサー王号」etc.
・ナーサリー・ライム(童謡):マザー・グース

2 イギリスの児童文学の源流(2) 昔話、フェアリー・テイル
・ファンタジーはフェアリー・テイルから生まれ、フェアリー・テイルは昔話から生まれた。
・昔話、口承物語、おとぎ話、言い伝え、伝承、伝説
  →本来は子供のためのものではないが、もっぱら子供が読むものになった。
  →教訓が含まれているから
・昔話の収集:グリム兄弟
 昔話の創作:アンデルセン

3 子供の本の創作
・最初の子供向け創作童話
 →ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719)とジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726) はイギリスで最初に書かれた小説だが、刊行後すぐに子供向けに書き直されたものが出回り、人気を博した。
・『ロビンソン・クルーソー』と『ガリヴァー旅行記』が子供の本になったとき、前者の宗教に関する部分、後者の風刺的な面が大幅に削られた。
 →島に漂流したロビンソンが難破船から引き揚げてきた物品の中で一番重要だったものは、聖書とそこに書かれていた聖句だった。「苦難の日に私に呼びかけなさい。そうすれば私はあなたを救い、あなたは私をたたえるだろう」。それくらい宗教的要素は重要であったが、児童向けの本に改作された際、『ロビンソン・クルーソー』から神の摂理に対するキリスト教的信仰などの表現や聖書からの引用が大部分削られてしまった。
 →『ガリヴァー旅行記』の狙いはイギリスとその時代のイギリスの政治を風刺することにあった。しかしそういう政治的部分はそぎ取られ、小人の国や巨人の国への冒険物語にされてしまった。なお、ガリバーは他にラピュタと、猿のように退化した人間ヤフーをフウイヌムという知的な馬が支配する国にもわたっている。ラピュタは極東にあり、近くの日本にも立ち寄っている。ガリバーは日本で「踏絵」を迫られるが断固拒否する。
・物語から教訓臭さを取り除く 創作童話の発展
 →大人向けの要素が削られ、単なる冒険物語になったとき子供の本になった。その時、リアリスティックな冒険と夢の物語、空想的な冒険物語が生まれた。
 →わくわくする面白い物語を読むという読書本来の楽しさ

4 子供の発見
・子供は17世紀に「発見」された。
・フィリッペ・アリエス「<子供>の誕生」(1960)
 →17世紀以降、人々の年齢意識や発達段階への関心が高まり、その結果、子供が大人とは違う存在であることに大人たちが気づくようになった。
 →「子供はその純真さ、優しさ、ひょうきんさのゆえに、大人にとって楽しさとくつろぎの源、いわば「愛らしさ」と呼び慣わされているようなものになっているのである。」
 →学校の発達、家庭の変化、子供の死亡率の低下
 
5 妖精
・妖精:別世界の超自然的な存在
 →トールキン:妖精物語=妖精についての物語ではなく、妖精の国についての物語
すぐ身近にある世界、恐れと驚きを覚えさせる国、驚異の異世界
・妖精は美しいどころかむしろ奇怪である。むしろ日本の妖怪、水木しげるの世界に近い。
 →『妖精 Who’s Who』や『妖精辞典』に載っている妖精のほとんどは妖怪のような姿
 →「ロード・オブ・ザ・リング」でエルフは人間よりも美しい存在として出てくるが、「ハリー・ポッター」シリーズに登場するハウスエルフのドビーは「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムに近い醜い姿をしている。
  「ハリー・ポッター」シリーズに出てくるトロルは怪物のような姿の巨人だが、ムーミンのように可愛らしいトロルもいる。
 →クリント・イーストウッド監督の映画に「チェンジリング」という作品がある。タイトルの“チェンジリング(取り替え子)”とはアイルランドの民話によく出てくる妖精の名前である。チェンジリングはさらわれた人間の赤ん坊の身代りに置いてゆかれる妖精であり、皺くちゃで不気味な姿であるとされている。

6 ファンタジーの出現
・『不思議の国のアリス』:純粋に楽しみを目的にした最初の物語
 →教訓の排除、想像力の解放、ナンセンスの発見
 →最初から子供の読者を想定した、いわゆる児童文学が成立したのは『不思議の国のアリス』の誕生以降である。多数の児童文学が書かれ始めるのは20世紀に入ってからである。
・G.K.チェスタートン
 →異端と思っていたものこそが正統である
 →おとぎ話は「完全に道理に敵っているもの」で、最も現実離れしていて、空想的なものがむしろ現実的なものだ。
 →正統の世界に立ち返るためには、不合理を捨て去り、人類の歴史の黎明期に存在し、子どものころには誰もが持っていた「驚嘆の感性」をよみがえらせる必要がある。(『正統とは何か』)
・トールキン
フェアリー・ストーリーは現実生活で起こってほしいことを扱う。そのほしいという望みを満たしたときフェアリー・ストーリーは成功したことになる。
 →an unsatisfied desireという表現は、C.S.ルイスも使っている。
  →人間は魚のように自由に深海を泳ぐことができない。鳥のようにかろやかに大空を飛行できない。人間以外の生き物と自由に話すことができない。限界があるからかえってそれを越えたいという願望をつのらせる。
・妖精の国のリアリティ、現在に出発点をもつ現代のファンタジー

7 なぜファンタジーはイギリスで圧倒的に多く産まれたのか
・妖精が身近な存在だった。ケルトの伝統が息づいている。
 →ファンタジーの源泉はケルト民族の豊かな想像力(幻想性が強い)
 →『指輪物語』:ドワーフ、エルフ、トロル、大男、ゴブリン、竜
創作はホビットとゴラムだけ  →ホビットは人間(ホモ)とウサギ(ラビット)の合成語
 →アイルランドのナショナル・シンボル4つのうち2つが妖精である。日本でいえば、河童と天狗が富士山や桜と並んでいるようなもの。
  ①植物のシャムロック、②楽器の竪琴、③バンシー、④レプラコーン
 →アイルランドには有名なファンタジー作家は少ないが、民話の宝庫である。
 →ウェールズには中世物語集『マビノギ』Mabinogiがある。 アーサー王に関しては5編を収録
 →ファンタジーの最大の源泉である伝承の昔話が聞かれるのはほとんどゲール語である。
    ダブリンのユニヴァーシティ・カレッジの民俗学研究所(伝承物語の記録採集)
    エジンバラ大学のスコットランド研究所(伝承物語の研究)
・スコットランドやアイルランドの風土や地理的特性 →薄明のケルトの妖域
どこから妖精が出てきてもおかしくない、さながらおとぎの国に踏み込んだような光景が多くある。また、高緯度で冬は夜が非常に長い。
→グリムには妖精は登場しない。アメリカの乾いた土地にも妖精は住めない。イギリス以外の児童文学やファンタジーで妖精が登場するものは少ない(魔女や魔法使いはよく出てくるが)。
  ローラ・インガルス・ワイルダー『大草原の小さな家』シリーズ(アメリカ)
  ライマン・フランク・ボーム『オズの魔法使い』(1900(アメリカ)
  アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』シリーズ(アメリカ)
  アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』(1943) (フランス)
  ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(1979)(ドイツ)
  トーベ・ヤンソン『ムーミン・シリーズ』(フィンランド) *ムーミンはトロルである
  アストリッド・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』(スウェーデン)

8 ケルト人とイギリス
・ケルト人とは中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語派の民族である。
・ブリテン島のスコットランド、ウェールズ、コーンウォールそしてアイルランド、フランスのブルターニュ地方などにその民族と言語が現存している。
・ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、通説では鉄製武器を持つケルト戦士集団によって征服されたとされるが、新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。
・西暦1世紀にイングランドとウェールズはローマの支配を受け、この地方のケルト人はローマ化する。5世紀にゲルマン人がガリアに侵入すると、ローマ帝国はブリタニアの支配を放棄し、ローマ軍団を大陸に引き上げた。この間隙を突いてアングロ・サクソン人が海を渡ってイングランドに侵入した。
・同じブリテン島でも西部のウェールズはアングロ・サクソンの征服が及ばず、ケルトの言語が残存した。スコットランドやアイルランドはもともとローマの支配すら受けなかった地域である。
・当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。
・後にギリシア語やラテン語を参照にして、ケルト人独自のオーガム文字が生まれた。しかし後世に、ケルト人がキリスト教化すると、これはラテン文字に取って代わられた。
・キリスト教化したあとも、ケルト人独特の文化はまったく消滅したわけではない。現代でもウェールズやスコットランドやアイルランドには、イングランドとは異なる独自の文化がいくらか残っている。

<参考文献>
W.B.イェイツ『ケルトの薄明』(ちくま文庫)
W.B.イェイツ編『ケルト妖精物語』(ちくま文庫)
キャサリン・ブリッグズ『妖精 Who’s Who』(ちくま文庫)
      〃    『妖精辞典』(冨山房)
井村君江『妖精学入門』(講談社現代新書)
  〃 『ケルトの神話』(ちくま文庫)
J・R・R・トールキン『妖精物語について』(評論社)

(4)おまけ:J.R.R. トールキンの『ホビット』
 『ホビット』の初版がイギリスで出版されたのは1937年のことである。若干の改定を加えた第2版がイギリスで出たのが1951年である。その続編という位置付けの『指輪物語』がイギリスで出たのが1954年から55にかけてである。『指輪物語』は日本でも大評判になったので知っている人も多いだろう。今年映画化作品も日本で公開されることになっている。『ホビット』の翻訳は岩波書店から出ていたが、1997年に原書房から「完全版」と銘打って新訳が出た。資料満載の豪華版である。特に各国の翻訳につけられた挿絵がふんだんに取り入れられているのがうれしい。

 物語は、ホビットのビルボ・バギンズが、ドワーフたちや魔法使いのガンダルフと繰り広げるさまざまな冒険を描いている。ホビットとは「背丈は低く人間の半分ぐらい、髭をはやした矮人(ドワーフ)よりも小柄です。髭はなく、とくにかわった魔法がつかえるというわけでもHalloween2 ありません。せいぜいが、すばやく目立たずに姿を消すことができるぐらいのものですが、こんなありふれた魔法でもけっこう役には立ちます。...ホビットの腹はだいたいつき出ています。はでな原色の洋服(たいてい緑か黄)を身にまとっていますが、靴をはくことはない。なぜなら生まれつき足の裏がなめし皮のように固くなっており、(巻き毛の)髪の毛とおなじような、こわくて暖かそうな栗色の毛が生えているからです」とあるように、トールキンが創造した空想上の存在である。その他、エルフ(妖精)、竜、トロル、ゴブリン、岩石巨人(「スター・ウォーズ」に出てきたような奴)、ゴクリ(ゴラム)、などの空想上の生き物が多数登場する。ただし人間や狼や鷲なども登場する。ホビットとドワーフと人間は共存しており、言葉が通じ合う。完全にトールキンが創造した架空の世界の中で物語が進行する。作者が作った地図も添えられていて、宮崎駿のマンガ版『風の谷のナウシカ』を連想させる。挿絵もトールキン本人が書いており、絵の才能をうかがわせる(新訳にはそのカラー写真が収録されている)。

<物語>
  ビルボの家にガンダルフと13人のドワーフたちが訪ねてきて、ビルボを冒険の旅に誘う。ドワーフの族長ソーリンの祖父の時代に、ドワーフたちは山で鉱山を掘り、黄金や宝石を見つけ富と名声を得た。しかし竜のスモーグが彼らを襲い、宝を独り占めにしてしまった。ソーリンはその先祖の財産を取り戻しに行くというのだ。初めは断ったビルボだが、彼の血にも伝説の英雄の血を引くトック家の血が流れていたため、ついに冒険の旅に出ることを承知する。

 彼らの旅は冒険の連続である。トロルに食われそうになったり、ゴブリンに追われたり、(そのゴブリンの穴で、ビルボは指にはめると姿が見えなくなる不思議な指輪を拾う)、ゴクリと謎なぞ合戦をしたり、狼に追われたり。闇の森に入ると、飢えに悩まされたあげくに巨大クモに襲われ、やっと逃げると今度はエルフに捕らえられる。

 エルフからも何とか脱出して森を突破し、ようやく竜のいる山に着く。火を吹く竜に手を焼くが竜は人間の町を襲ったときにバードという英雄に退治されてしまう。しかし街を竜に破壊された人間たちとエルフたちが共同で宝の分け前を手に入れるために山に向かうと、ドワーフの長ソーリンはそれを拒否する。危うく戦争になりかけたとき、ゴブリンと狼の大群が襲撃してくる。人間とエルフとドワーフたちは急遽手を組み、連合軍を組んでゴブリンに立ち向かう。激しい戦闘(後に「5軍の戦い」と呼ばれる)の末、ドワーフたちは何とか勝利をおさめる。ソーリンは戦闘で深手を負い、最後に改心して、宝をみんなに分けるよう言い残して死んだ。すべてかたがつき、ビルボはガンダルフと帰途に就く。

 

2006年4月 7日 (金)

オリバー・ツイスト

Sdlamp02 2005年 イギリス・チェコ・フランス・イタリア
監督:ロマン・ポランスキー
原作:チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト』
脚本:ロナルド・ハーウッド
撮影:パヴェル・エデルマン
音楽:レイチェル・ポートマン
出演:バーニー・クラーク 、ベン・キングズレー 、ハリー・イーデン
    ジェイミー・フォアマン 、エドワード・ハードウィック、リアン・ロウ
   マーク・ストロング、マイケル・ヒース

 ロマン・ポランスキーが描くディケンズの世界。楽しみにしていた映画だったので、前売り券を買って上田の映画館で観てきた。19世紀のロンドンを再現した話題のセットは確かにすごかった。まるで実際の19世紀のロンドンにいるような気分になるほどである。何枚も映されるギュスターヴ・ドレなどの版画も素晴らしい。まるで額縁のように映画の最初と最後に配置されており、白黒の細密画が映画の雰囲気をよく表している。ちなみに、小池滋編著『ドレ画ヴィクトリア朝時代のロンドン』(社会思想社)はたっぷりドレの世界を味わえる好著。ぜひ手に入れておくことをおすすめします。19世紀のロンドン、特にその下層社会は白黒が似合う。映画のできも傑作と呼べるほどではないが決して悪くはない。

  監督のロマン・ポランスキー。これまで30本近い映画を撮ってきた。半分くらい見たがマイ・ベストテンをあげれば以下の通り。4位以下は順不同。というか「オリヴァ・ツイスト」を除いてほとんど忘れているというのが正直なところ。

1 戦場のピアニスト(2002)
2 テス(1979)
3 マクベス(1971)
4 袋小路(1965)
5 水の中のナイフ(1962)
6 吸血鬼(1967)
7 チャイナタウン(1974)
8 反撥(1964)
9 ローズマリーの赤ちゃん(1968)
10 オリバー・ツイスト(2005)

  ディケンズの『オリバー・ツイスト』はこれまで何度も映画化されているが、やはり一番出来がいいのはデヴィッド・リーン監督の「オリヴァ・ツイスト」(1948)だろう。それに次ぐのがこのポランスキー版、その次がキャロル・リード監督のミュージカル版「オリバー!」(1968)というところか。ディケンズは15の長編小説を残したが、そのほとんどは1910年代から30年代に映画化されている。ほとんどがサイレントだろう、もちろん一本も観たことはない。観たのは40年代以降のものばかりである。その中で最も出来がいいのはデヴィッド・リーンの「大いなる遺産」である。それに続くのは上に挙げた『オリバー・ツイスト』原作の3本。優れているといえるのはこの4本くらいではないか。まだディケンズの世界を満足が行くほど完璧に映像化した作品には出会っていない。大長編小説ばかりなのでそもそも2時間程度に収めるのには無理がある。特に傑作が集中する後期の作品群はプロットもより複雑化してくるので、「完全映画化」というのはあるいは永遠の夢かもしれない。また、高度にデフォルメされた彼の小説の登場人物を生身の俳優が演じるのはこれまた無理がある。やはり活字で読んで頭の中で想像した方がいい。視覚化されたとたんに、これはイメージが違うとどうしても思ってしまう。ユーライア・ヒープなどはどんなに名優が扮装を凝らしても小説のイメージ通りにはならないだろう。これはどんな原作にもありうることだが、特にディケンズの場合避けがたいことだ。

  それでもイギリスを代表する小説家だから連綿と映画化され続けている。また当然BBCなどのテレビでもドラマ化されている。こちらは収録時間が長いのでかなり原作に近く描けるが、テレビドラマだとどうしても映画より安っぽく見えてしまうのが残念。数年前に大量にBBC版が日本でも発売された。とんでもない値段なのでディケンズの研究家でもなければ手は出ないだろうが、何とかほぼ買い揃えた。残念ながらまだほとんど観ていない。

  さて、原作の『オリバー・ツイスト』。おそらく日本ではチャールズ・ディケンズ(1812~1870)と言われてまず思いつくのは「クリスマス・キャロル」(中篇)、『二都物語』、『デヴィッド・コパフィールド』あたりだろう。『二都物語』はフランス革命期を背景にした人情物みたいな話なので昔は人気があったが、今これを読む人はほとんどいないだろう。しかしなぜかいまだにいろんな所でディケンズの代表作としてこれが必ず挙げられている。この3作に続いて思い浮かぶのは今でも新潮文庫に入っている『オリバー・ツイスト』と『大いなる遺産』あたりか。

  それ以外の作品、たとえば90年代初頭にちくま文庫から出た『ピクウィック・クラブ』、『骨董屋』、『マーティン・チャズルウィット』、『荒涼館』、『リトル・ドリット』、『我らが共通の友』あたり(一部は以前三笠書房から出ていた)を読んでいる人は、よほどのディケンズ好きか英文科を出た人だろう。ミステリーが好きな人ならディケンズの未完となった最後の長編『エドウィン・ドルードの謎』(創元推理文庫)を読んでいるかもしれない。一般の人には敷居が高い岩波文庫所収の『ボズのスケッチ』、文庫版がない『ニコラス・ニクルビー』、『バーナビー・ラッジ』、『ドンビー父子』、『ハード・タイムズ』を持っていたら間違いなく研究者かディケンズ・マニアである。

  幸いなことにいずれも今では翻訳が手に入る。僕が英文科の学生だった頃はこのうちの半分くらいは翻訳がなかった。それはともかく、人気があるものと小説として優れたものとは必ずしも一致していない。僕の評価では『デヴィッド・コパフィールド』、『大いなる遺産』、『荒涼館』、『我らが共通の友』がディケンズを代表する傑作だと思う。『オリバー・ツイスト』はごく初期の作品で、とても傑作とはいえない。それでも人気があるのはおそらくストーリーが分かりやすく、波乱万丈で起伏に富んでいるからである。

  小説として傑作とはいえないが、『オリバー・ツイスト』にはディケンズの特徴がよく表れている。一つは救貧院でオリバーが言った有名なせりふ「お願いです。ぼく、もっと欲しいんです」というせりふに表れている、社会悪に対する厳しい批判的姿勢。これはディケンズのほぼ全作品に共通する姿勢である。「救貧院」といえば聞こえはいいが、英語のworkhouseそのものの「貧民苦役所」とでも訳した方が実態に近い。原作には「すべての貧乏人どもは救貧院に入ることによって、徐々に餓死させられるか、救貧院に入らないですぐに餓死させられるか、どちらかを自由に選択すべきである」という文が出てくる。『我らが共通の友』では登場人物のベティ・ヒグデンに「救貧院に入るくらいなら死んだほうがましだ」とまで言わせている。映画でもわずかなおかゆしか与えられない子どもたちと救貧院を運営している委員会のメンバーが贅沢な食事をしている場面が対比的に描かれていた。

  この対比は『オリバー・ツイスト』の作品全体でも繰り返される。フェイギン一味が登場するロンドンのアンダーワールドとブラウンロー氏に代表される上流の世界の対比。これもディケンズの全編に共通する主題である。ディケンズは階級社会イギリスを徹底して分析した作家である。『オリバー・ツイスト』ではまだ単純な比較・対比で終わっているが、後期の作品ではこれがより複雑なプロットの中でより深い分析や考察を伴って展開される。ディケンズの共感は常に社会の下積みの層に向けられていた。ポランスキーの映画が映し出した19世紀のイギリスの街並みは、馬車や紳士淑女が行きかう表通りの喧騒ばかりではなく、ネズミが這い回りあちこちで人々がけんかしている薄汚れた裏通りも当時はかくやと思わせるほどリアルに再現していた。

  この二つの世界はしばしば「二つの国民」(ディズレイリの小説『シビル、または二つの国民』から取られた言葉)と呼ばれるほど隔絶した世界である。『大いなる遺産』ではこの対比は主人公ピップが育った鍛冶屋の価値観と莫大な遺産を相続することになったピップが足を踏み入れたジェントルマン世界の価値観との対比・葛藤という形で表れている。彼がLe_pa 描く社会や人間関係の根底には常に階級意識と金がある。そのテーマをとことん追求したのが彼の完成した最期の小説『我らが共通の友』である。ディケンズは常に下層の人々に共感を持っていたが、彼らがいかに非人間的な環境におかれているかも深く認識していた。『大いなる遺産』の第1章を支配しているイメージ、墓地、水路標、絞首台、海賊、古い砲台、沼地、霧、監獄船、囚人、足かせ、恐怖、あるいはピップがロンドン(ピップはこの「醜く、奇形で、薄汚い都会」がすぐいやになる)に行って目の前で見ることになるニューゲート監獄などは、決してジェイン・オースティンの小説世界には入りこむことのない要素である。

  もう一つ、ディケンズの特徴は善人よりも悪人の方がよく描けていることである。彼の描く善人は善人過ぎて面白みにかける。一方、彼の小説の登場人物の中で一番生き生きしているのは悪党どもである。非人間的な下層社会の中でしぶとく生き延びてきた悪党どもにはあふれんばかりの活力がある。彼らの醜さ、卑劣さ、残酷さ、下劣さ、計算高さは貧困や差別の結果であるが、同時に生き抜くための手段でもある。彼らが生きてゆくためには、他人の弱点を徹底的に突けるしたたかさ、抜け目なさや狡猾さ、残酷さや冷酷さを身につけることが不可欠だったのである。だからこそ彼らには異様な活力があるのだ。キャラクターとして善人たちよりはるかに生きており、説得力があるのだ。それは『オリバー・ツイスト』を見れば明らかだろう。ただ周りに振り回されるだけのオリバーよりも、フェイギンやアートフル・ドジャーの方がはるかに生き生きとしたキャラクターになっている。原作がそもそもそうなのである。ちなみに、アートフル・ドジャーのドジャーはドッジボールのドッジに「人」を表す(e)rをつけたものである。つまり「ひらりと身をかわすのが巧妙な奴」、「なかなか捕まらない奴」という意味である。見事なネーミングではないか。

  『オリバー・ツイスト』あるいはその映画版の一番の欠点は主人公オリバーのキャラクターとしての弱さである。実はポランスキー版の映画では描かれていないが、原作の最後ではオリバーの出生の秘密が明かされる。彼は元々いい家柄の生まれだったのである。だからフェイギンたちと交わっても決して赤く染まらなかったのであり、簡単に上流の生活になじめるという設定になっているのである。だが、この認識にそもそも問題があるのだ。高貴な生まれのものは高貴な心を持つ、卑しい生まれのものは卑しい心しかもてない。そんなことはありえない。オリバーは生まれてすぐ捨てられ、孤児院で育ったのだからフェイギンの手下の子どもたちと同じようになっていても不思議はない。いや、むしろその方が自然である。ここにディケンズ自身の人間認識の浅さがはっきり表れている。魅力に欠ける善人が肯定的価値を与えられ主要登場人物として登場するところに彼の小説の大きな欠点のひとつがある。彼の小説がしばしば大衆小説と言われるのもこのことと無関係ではない。あるいはストーリー構成がゆるく、エピソードを積み重ねたような行き当たりばったりの展開もよく批判される。これらの欠点は後に修正されてゆくが、完全には払拭されなかった。この点は指摘しておかなければならない。

  ポランスキー版「オリバー・ツイスト」もキャラクターとしての魅力があるのはオリバーではなく、フェイギンやアートフル・ドジャーたちである。フェイギンはディケンズの数多い名物キャラクターの中でも特に有名である(昔乗っていた黒いサイクリング車に僕は「ブラック・フェイギン号」という名前をつけていた)。ロンドンのアンダーワールドの片隅で子どものすりを使ってぼろもうけしている悪党。どう見ても悪党なのだがビル・サイクスのような残虐さはない。奇妙な魅力を持った人物である。名優ベン・キングズレーが力演している。しかしそれでもフェイギンの魅力を十分には伝え切れていない。個人的には陰影の濃い白黒画面でなければ原作の持つイメージは描き出せないと思う。アートフル・ドジャー(ハリー・イーデン)も同じである。もっとすれた感じでなければドジャーらしくない。子どものくせに酸いも甘いもかみ分けた食えない奴なのである。こういう人物こそポランスキーらしい毒気をたっぷり盛り込んで欲しかった。

  主人公が無垢で善良な少年では生き馬の目を抜く下層社会をリアルに描けば描くほどキャラクターとしての魅力に欠けることになる。しかも上流社会と下層社会の対比というテーマはあっても、ストーリーの展開はエピソードの積み重ねという構成なので、物語の魅力はむしろ脇役の魅力と下層社会のリアルな描写、社会の矛盾に対する作者の風刺にあるということになる。脇役というとディケンズはよく女性を描けないと言われる。女性を描くと皆当時の理想とされる淑女のようなキャラクターになってしまうと。確かにその通り。しかし下層社会の女性には淑女の枠をはみ出たキャラクターが何人か登場する。このカテゴリーでも有名なギャンプ夫人のような悪女が圧倒的な存在感を持っているが、「オリバー・ツイスト」のナンシーも数少ない魅力的な女性キャラクターのひとりである。フェイギン一味の一人だから当然はすっ葉な女として登場するが、オリバーに同情するやさしい面も持っている。彼女を掃き溜めの鶴のような無垢でやさしい人物として描かなかったことが彼女の人物像に奥行きを与えている。ありえないほど純粋無垢な存在でないからこそ現実味があるのだ。彼女の殺害場面は原作でも映画でもクライマックスの一つだ。

  ポランスキー監督は「戦場のピアニスト」の次回作にディケンズ作品を選んだ理由を聞かれて次のように答えている。「何を撮るか決めるのは簡単ではなかったよ。自分の子どもたちのために一本撮らなくては、と思っていてね。というのも、子どもたちはいつも僕の仕事にすごく興味を持ってくれていたんだが、映画のテーマはあまり面白がってくれなかったんだ。それで子ども向けの物語を撮り始めたんだが、最終的にはディケンズにたどり着いた。そうなってみると、『オリバー・ツイスト』以外には考えられなかったね。」

  彼自身「子どもの頃はディケンズに夢中だった」そうだ。子供向けの作品としてディケンズの作品群から「オリバー・ツイスト」が選ばれるのは自然なことである。子どもを意識しているから最後の獄中のフェイギンの描き方などは泣かせる演出になっている。原作では後日談としてさらりと描かれているだけである。ナンシーの殺害場面やビル・サイクスが自分で首を絞める場面などは子ども向きとはいえないが、犯罪と死が日常的なディケンズの世界を描く上でははずせないシーンである。特にビル・サイクスが誤って自分の首を絞めてしまうのは、明らかに絞首刑の比喩である。おかゆをもっとくださいと要求したオリバーは、そんなことではいずれ絞首刑になるぞとバンブルに脅された。しかし絞首刑に値するのはむしろビル・サイクスのような悪党だという皮肉が込められている。いかにもディケンズらしい勧善懲悪的結末だ。確かに「オリバー・ツイスト」の段階では大衆作家のレベルだったと言える。

  しかし最後にもう一度強調しておくが、「オリバー・ツイスト」の中でも随所に発揮されていた風刺精神が後の大作家を生み出している。ディケンズを読む楽しさの一つはそこにある。人間がおかれた劣悪な条件を描くとき彼の風刺はひときわ切れ味が増す。上のおかゆ関連でいえば、葬儀屋の小僧ノア・クレイポールに「暴力を振るった」オリバーについてバンブルがサワベリー婦人に忠告した言葉は最後に引用するに足る。「奥さんはあの子に食物をやりすぎたんじゃ。・・・奥さん、あの子におかゆだけを食べさせておいたら、こんなことにはならなかったでしょうにねえ。」肉なんか食わせるから(犬も食わなかった肉である!)反抗するのだと言っているのである。オリバーがもっとおかゆをくださいと言ったとき、バンブルはかわいそうだと思うどころかもっとおかゆを減らすべきだと思ったに違いない。オリバーの訴えを聞いてバンブルたちが一瞬凍りついたのは、それが当時の価値観と秩序に対する大胆な反抗だったからである。残念ながらオリバーにはその「反抗」を最後まで貫き通す素質も意思もなかった。だが彼の始めた「戦い」は後の登場人物たちに、そして何よりディケンズ自身によって引き継がれてゆくのである。

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2006年1月30日 (月)

イギリス小説を読む⑧ 『夏の鳥かご』

<今回のテーマ>人形の家を出た女たち

(1)20世紀イギリスを代表する女性作家
Virginia Woolf(1882-1941)        『灯台へ』(新潮文庫)、『ダロウェイ夫人』(新潮文庫)
Katherine Mansfield(1888-1923) 『マンスフィールド短編集』(新潮社)
Jean Rhys(1890-1979)            『サルガッソーの広い海』(みすず書房)
Elizabeth Bowen(1899-1973)      『パリの家』(集英社文庫)
Daphne du Maurier(1907-  )      『レベッカ』(新潮社文庫)
Muriel Sarah Spark(1918-  )     『死を忘れるな』(白水社)
Doris Lessing(1919-  )            『一人の男と二人の女』(福武文庫)
Iris Murdoch(1919-  )            『鐘』(集英社文庫)
Anita Brookner(1928-  )           『秋のホテル』、『異国の秋』(晶文社)
Edna O'Brien(1932-  )             『カントリー・ガール』(集英社文庫)
Fay Weldon(1933-  )              『ジョアンナ・メイのクローンたち』(集英社)
Emma Tennant(1939-  )           『ペンバリー館』(筑摩書房)
Margaret Drabble(1939-  )       『碾臼』(河出文庫)、『夏の鳥かご』(新潮社)
Margaret Atwood(1939-  )        『浮かびあがる』(新水社)、『サバイバル』(御茶の水書房)
Susan Hill(1942-  )                 『その年の春に』(創流社)
Angela Carter(1940-92)            『血染めの部屋』(筑摩文庫)、『ワイズ・チルドレン』(早川文庫)

(2)マーガレット・ドラブル著作年表、および略歴
1963  A Summer Bird-Cage   『夏の鳥かご』(新潮社)
1964  The Garrick Year           『季節のない愛--ギャリックの年』(サンリオ)
1965  The Millstone        『碾臼』(河出文庫)
1967  Jerusalem the Golden   『黄金のイェルサレム』(河出書房新社)
1969  The Waterfall               『滝』(晶文社)
1972  The Needle's Eye           『針の眼』(新潮社)
1975  The Realms of Gold         『黄金の王国』(サンリオ)
1977  The Ice Age                 『氷河期』(早川書房)
1980  The Middle Ground
1987  The Radiant Waysedang3
1989  A Natural Curiosity
1991  The Gates of Ivory
1996  The Witch of Exmoor

(略歴)
  シェフィールド生まれ。ケンブリッジ大学のニューナム・コレッジで英文学を専攻し、最優秀で卒業した。ロイヤル・シェークスピア劇団の俳優であるクライブ・スイフトと結婚。『夏の鳥かご』で作家としてデビューした。自分とほぼ同年代の若い女性をヒロインにし、女性の自立、不倫、未婚の母などのテーマを描くのが得意。妹のアントニア・バイアットも作家で、現代のブロンテ姉妹と言われている。

(3)『夏の鳥かご』と現代的ヒロイン
  ヒロインのセアラ・ベネットはオックスフォードを優秀な成績で卒業した若い知的な女性である。物語はセアラが姉ルイーズの結婚式に出席するために、パリからイギリスに戻ってくるところから始まる。姉のルイーズは「くらくらするような美人」で、男にもてはやされているため、セアラはいつも引け目を感じている。姉の方もセアラのことなど眼中になく、二人の仲はよそよそしい関係である。

  特に物語の進行に筋らしい筋はない。物語は、姉の結婚式、披露宴、セアラのロンドンへの引っ越し、ジャーナリストと俳優の友人たちが開いたパーティ、姉の新居でのパーティ、姉とその愛人である俳優との逢い引きへの同伴、姉の結婚の破綻と告白、とエピソードの積み重ねだけで進行している。全体として会話が中心の展開となっている。セアラは観察や考察もするが、それも自分自身やごく身の回りのことに関心を向けることが多い。

  しかし何らかのテーマがないというわけではない。若い女性のヒロインと周りの人々との会話を通して、ヒロインの価値観と他の人々の価値観のぶつかりあいが浮かび上がってくるのである。そのヒロインを取り巻く人々の中でとりわけ重要なのは姉のルイーズである。ルイーズと彼女の世界を理解しようとすることが中心的テーマになっている。それはまたセアラ自身とその世界を理解することでもある。

  この小説の一つの特徴は女性特有の視点や会話が満ちあふれていることである。19世紀にも多くの女性作家が活躍していたが、その文体は基本的には男の文体で、考え方や行動も当時の社会的規範からそれほど大きくはみ出してはいなかった。一方、『夏の鳥かご』はさすがに20世紀の小説ということもあって、ヒロインの考え方や行動や話し方は現実の若い女性のそれに非常に近い。衣服や靴などに目が行く、相手や自分が口にしたことをいちいちあれこれと気にする、矛盾したり、本音とは裏腹のことを言ったりする。作者のドラブル自身この点を明確に表明している。  「ケンブリッジを卒業したとき、小説という形態は未来ではなく過去に属するものだと考えておりました。...ところが...ソール・ベローの『雨の王ヘンダーソン』...J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』...を読んでみたら、突然小説は20世紀に属するものなのだ、自分自身の声で語り、自分自身の声で書くことが可能なのだ、と思われました。」『女性小説の伝統』(1982)

  しかし、20世紀に入って女性の生き方はどれだけましになったのだろうか。『人形の家』のノラが家を出た後にたどる運命は、魯迅が予言したとおりこの20世紀のヒロインに当てはまるのか。この点についても検討していきたい。

<ヒロイン・セアラの性格分析>
  登場したときからセアラは人生の目標を見いだせないでいる。オックスフォード卒業後すぐにパリに行ったが、ただ暇つぶしに出掛けただけで、特に何をしたわけでもない。パリからイギリスに戻る汽車の中で、セアラは「仕事とか、真剣さとか、教育を受け過ぎて使命感を失った若い女性は自分をどう扱うべきかといった問題を」ずっと考え続けていた。せっかく優秀な成績で大学を出ても、彼女には人生の目的が見いだせていなかった。そこには人生のさまざまなやっかいな問題から遠ざかっていたいというヒロインの意識が現れていると言える。彼女は「わたしって、適応しないものが好きなのよ。...社会的な関わりのない人が好きなんだわ」とはっきり言う。彼女は親友のシモーヌが好きなのだが、それは彼女のような「無責任になりたい」からである。ここで言う「無責任」とはいろんな束縛から自由でいられるという意味だと思われる。セアラは自由にあこがれているのだ。しかし、彼女は決していいかげんな女性ではない。むしろ自分を「退屈な勉強家」だと卑下しているくらいである。にもかかわらず、セアラは「卒業後何をやるか考えていない」「自分が何をしたいのかわからない」と言うのである。彼女は大学卒業後結局BBCに勤めるが、そこでの様子は一切描かれない。仕事をする彼女の姿が全く描かれていないのである。まるで生活のためにとりあえずやっているだけの仕事であるかのように。そして、実際そうなのだ。「お勤めなんてひまつぶしのひとつだわ」と彼女は公言してはばからない。恐らく彼女のこの不安定な状態は、「人形の家」から飛び出したものの、まだ十分女性の社会的地位が固まっていないため、自分の生きがいを見いだすに至っていなかった当時の女性の現状の反映と言えるかもしれない。何をやりたいかは分からないが、古い価値観という束縛には縛られるのはいやだ。とにかく自由でいたい。この心理は今の女性でもある程度は共感できるのではないか。逆に言えば、今日でも1963年当時とさほど大きな違いはないということになる。

  一方姉のルイーズは「とびきりの美人」で「彼女が街を歩くと、みんなが振り替える」ほどである。しかし三つ年下の妹のことは全く相手にもしていない。8歳から13歳まではセアラは「ルイーズを追い回し、まめまめしく仕え、ほんの親しみのひとかけらでも恵んでもらおうと努めた時代もあった。」ルイーズが全寮制の学校に入った頃は、彼女が休暇で帰ってくる前から「毎日カレンダーの日付を斜線で消し」今か今かと待ち望んでいたのだが、いざ汽車が着いてみるとルイーズはセアラの存在を無視して両親にキスをしたのだった。13歳をすぎたころに、セアラは「自分の威厳を取り戻し、ついにはルイーズに背を向けてしまった」のである。今では互いに冷淡になっており、ほとんど会うこともない。だが、ルイーズの結婚後何度か彼女と会ったり、知り合いたちと話したりするうちに、実は自分はルイーズと似ているのだとセアラは気づかされたり、自分で気づいたりすることになる。ジョンには「きみは彼女に似ているね」「二人とも釘のように頑丈だ」と言われ、自分でもあるとき「二人とも真面目な人間なのだ」と気づく。姉自身からも「わたしたち肉食性だと思わない?わたしたち食べられるより食べる方がいい。」「わたしたちは同類なのよ、あなたもわたしも」とはっきり言われる。

art-pure2003b   似ているがゆえに互いに反発しあうということはよくあることだ。ましてや、ともに「肉食性」であればなおさら歩み寄れない。ルイーズに対するセアラの反発の根底には、姉の方が美人で、いつも自分の方が負ける、自分は「才知はあるが、美貌ではない」というコンプレックスがある。しかし、あるときダフニーというメガネをかけた醜いいとこのことを姉と二人で散々こき下ろした後で、セアラは[自分がかくも恵まれた身であることの栄光と後ろめたさを絶えず感じている」ことを意識する。肉体は天からの賜物である。「美しい肉体をもつ者は、この世を大いに利用するがいい」と考えるに至るのだ。このセアラの考えはほとんどルイーズのそれに近い。彼女はどうやらルイーズの後を追っているようだ。

  ではルイーズはどうなったのか。作品の一番最後のあたりで、ルイーズがドッレシングガウン一枚しか身につけていない格好でセアラのアパートに駆け込んでくる場面がある。実は金持ちで作家のスティーヴンと結婚したルイーズは、結婚後も公然と愛人のジョンと浮気を続けていたのだが、あるとき二人でシャワーを浴びているところに思いもかけず夫が帰って来たのである。セアラははじめて姉と腹を割って話をする。なぜジョンと結婚したのかとセアラが聞くと、ルイーズは「お金のためよ」と平然と答える。貧乏だけはしたくなかった、金持ちと結婚すれば貧乏することはないと考えたというのだ。かつて美人だったステラという友達の惨めな結婚生活を見て、自分はあんなふうにはなりたくないと思ったとも言う。そして泣き始める。初めて心の奥底を打ち明け会った二人はその後仲良くなり、互いに良い関係を保っている。後に、結婚したのは妹に追い越されまいとしたからだとルイーズは打ち明けている。その後ルイーズは夫とは別居し、愛人のジョンと同棲していることを読者に伝えて、小説は終わっている。

<セアラとルイーズ>
  セアラとルイーズは19世紀の小説にはまず登場し得ないキャラクターである。間違いなく20世紀のヒロインだ。1960年代に登場したセアラは古い価値観に反発する。「わたし自身は、食事を作ってもらったり床をのべてもらったりするような契約的な慰めに負ける自分をときどき軽蔑するのだけれど、ママはそういうことが悪いとは少しも思わない。ママは面倒を看てもらうのが好きなのは弱さの証拠だとは思わないし、それが当然だと思っている。」結婚式の当日にルイーズが「ヴァージンのまま結婚するのって、どんな気持ちだと思う?」とセアラに聞くと、セアラは「不潔な純白さっていうとこかしら」、「きっと屠殺場に曳かれて行く子羊みたいな感じかしら」と答える。これは19世紀の作家には絶対書けないせりふである。セアラの友達のギルも、夫にヤカンを火にかけろと言われて断ったのが離婚のきっかけだった。これも19世紀までなら考えられないことである。

  しかし、一方でセアラは古い価値観ももっている。結婚なんかいやだと言いながらも、結婚にはあこがれている。セアラにはオックスフォードで知り合ったフランシスという婚約者がいて、今はアメリカのハーバード大学にいるのだが、彼には忠誠を誓い浮気はしない、彼が帰って来たら結婚すると考えている。結婚式の時にルイーズが「大きな純白の百合」の花束をもっているのを見て、セアラはルイーズがひどくもろく見えると思った。「男は万事問題ない。彼らは明確に定義され、囲まれている。しかし、わたしたち女は、生きるために、来る者すべてにオープンで、生で接しなくてはならない。...すべての女が、敗北を運命づけられているのを感じた。」これは一瞬の感傷だったのかも知れないが、あのごうまんなルイーズにも弱さを感じたことは気の迷いだけとは言い切れないだろう。

  セアラは気持ちだけは強気である。彼女は、ギルは自分と比べると「もっと寛大で、率直で、自意識過剰でなくて、癖がない」と言っているが、とすれば、セアラはその逆だということになる。自意識過剰で、癖のあるセアラは斜に構えて世間を見ている。これは世間に対する攻撃姿勢であると同時に、世間から自由でいたいという防御の姿勢でもあろう。何と言っても自分の目標を見いだせないセアラは、大地に根を張っていない宙ぶらりんな存在なのである。ルイーズはそんな妹を「一番特権的で肉食的な人のひとりよ」と表現している。「特権的」という言葉は的を射ている。何と言っても、一流の大学を出られて、適当にBBCで働いていてもやって行ける身分なのだ。その気楽さが彼女の一見浮ついたように見える態度の根底にある。セアラはいとこのダフニーを口を極めてこき下ろすが(「あのひとを見てると、動物園の飼い馴らされたうすぎたない動物を思い出す」)、その一方で彼女は脅威になりそうだと感じてもいる。たとえ醜い女でも、真面目に努力しているダフニーはやはり彼女よりもはるかに堅実に生きているのである。その弱みがダフニーを脅威と感じさせるのである。そういう社会に根付いていない自分の存在を自覚しているからこそ、自由でいられるパリやイタリアへの憧れをつのらせるのである。

 『夏の鳥かご』で描かれている世界は、イギリスの中流階級の、饒舌だが、目的も価値観も見いだせないでいる世界なのである。主人公の二人の姉妹のみならず、他のカップルも離婚したり、浮気したり、貧困にあえいでいたりで、うまく行っている夫婦や恋人たちはほんのわずかしか登場しない。タイトルの「鳥かご」はジョン・ウェブスターの「それは夏の鳥かごのようなものだ。外の鳥は中に入ることをあきらめ、中の鳥は絶望して二度と外に出られないかと不安のあまり衰え果てるのだ」から取っている。「鳥かご」はドラブルの作品の場合、結婚あるいは女性の境遇を指していると思われる。「人形の家」を出ても、女たちはまだ鳥かごの中に入ったままなのである。

  自分はルイーズに似ているとセアラは自分でも気づくが、そのルイーズの結婚は失敗に終わった。これはセアラにとって不吉な予兆とも言える。セアラがその後どうなったかは描かれていない。フランシスと無事結婚できたのか、読者の想像にまかされている。しかしその読者にはもう一つ不吉な言葉が与えられている。シェイクスピアのソネットが作中引用されているが、その引用の最後は「腐った百合の花は、雑草よりはるかにいやな匂いがする」である。ルイーズが結婚式のときに持っていた花束は「大きな純白の百合」の花束だった。はたしてセアラは腐らない「純白の百合」の生き方を目指すのか、それともたくましい「雑草」の生き方目指すのか。「純白の百合」であれ「雑草」であれ、腐らずに生き続けるためには、何らかの生きる目標を見いだすことが必要だろう。満足な目標を見いだすためには、まず彼女の前に努力してつかみ取るに値する、女性にとって価値のある目標が存在しなければならない。それを生み出すのは時代である。セアラの模索は続くだろう。そして、その後も何千人何万人のセアラたちの迷いと模索は続いているのである。

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2006年1月29日 (日)

イギリス小説を読む⑦ 『土曜の夜と日曜の朝』

  このところ忙しくてなかなか映画を観られません。もうしばらくイギリス小説にお付き合いください。

今回のテーマ:工場労働者出身のヒーロー night2

【アラン・シリトー作品年表(翻訳があるもののみ)】
 Alan Sillitoe(1928-  )  
Saturday Night and Sunday Morning(1958) 
   『土曜の夜と日曜の朝』(新潮文庫)
Lonliness of the Long Distance Runner(1959)
  『長距離ランナーの孤独』(集英社文庫)  
The General(1960)               『将軍』(早川書房)
Key to the Door(1961)              『ドアの鍵』(集英社文庫)  
The Ragman's Daughter(1963)        『屑屋の娘』(集英社文庫)
The Death of William Posters(1965)    『ウィリアム・ポスターズの死』(集英社文庫)
A Tree on Fire(1967)             『燃える木』(集英社)  
Guzman Go Home(1968)           『グスマン帰れ』(集英社文庫)  
A Start in Life(1970)              『華麗なる門出』(集英社)  
Travels in Nihilon(1971)            『ニヒロンへの旅』(講談社)  
Raw Marerial(1972)               『素材』(集英社)  
Men Women and Children(1973)       『ノッティンガム物語』(集英社文庫)  
The Flame of Life(1974)            『見えない炎』(集英社)  
The Second Chance and Other Stories(1981)  『悪魔の暦』(集英社)  
Out of the Whirlpool(1987)          『渦をのがれて』(角川書店)

【作者略歴】
 1928年、イングランド中部の工業都市ノッティンガムに、なめし革工場の労働者の息子として生まれた。この工業都市の貧民街に育ち、14歳で学校をやめ、自動車工場、ベニヤ板工場で働きはじめ、この時期の経験が、『土曜の夜と日曜の朝』など、一連の作品の重要な下地になった。19歳で英国空軍に入隊し、1947年から48年までマラヤに無電技手として派遣されていたが、肺結核にかかって本国に送還された。1年半の療養生活の間に大量の本を読み、詩や短編小説を試作した。病の癒えた後、スペイン領のマジョルカ島に行き、『土曜の夜と日曜の朝』と『長距離ランナーの孤独』を書き上げた。ロレンスを生んだ地方から新しい作家が現れた」と評判になった。その後ほぼ年1冊のペースで詩集、長編小説、短編集、旅行記、児童小説、戯曲などを発表している。1984年にはペンクラブ代表として来日している。

【作品の概要と特徴】
  アラン・シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』は、労働者階級を労働者側から描いた最初の作品と言ってよい。それまでも下層出身の主人公はいなかったわけではない。ハーディの『日陰者ジュード』の主人公は職人だった。シリトーと同郷の先輩作家D.H.ロレンスの『息子と恋人』(1913年)は炭鉱夫を主人公にしていた。しかし工場労働者が工場労働者であることを謳いながら工場労働者を描いた小説はそれまでなかった。しかも、『息子と恋人』の主人公ポール・モレルは炭鉱夫でありながら、そういう境遇から抜け出ようと志向し努力するのだが、シリトーの作品の主人公たちは上の階級入りを目指そうとはしない。

  シリトーはノッティンガムシャーの州都ノッティンガム出身。旋盤工の息子だが、D.H.ロレンスもノッティンガムシャーの「自分の名前もろくに書けない」生粋の炭鉱夫の息子である(母親は中流出身)。シリトーの『土曜の夜と日曜の朝』を初めとする多くの作品はノッティンガムを舞台にしており、ロレンスの『息子と恋人』『虹』『チャタレー夫人の恋人』などもノッティンガムシャーを舞台にしている。ノッティンガムは、マンチェスターやバーミンガムとともに、イギリス中部の工業地帯を形づくる三角形の頂点の一つをなす都市であって、産業革命を契機に起こった労働者階級の暴動や運動には、中心的な役割を果たしてきた土地である。1810年代に起こった機械の破壊を目的とするラッダイトの暴動はここを中心としていたし、1830年代末から起こったチャーティズムの運動にも関係していた。この土地から、ロレンスとシリトーという二人の下層階級出身の小説家が出たことは、単なる偶然ではあるまい。

 シリトーはロレンスよりもほぼ半世紀遅れて作家活動を始めた作家で、文学史的には〃怒れる若者たち〃と呼ばれる一派、すなわち『怒りをこめて振り返れ』(1956年)のジョン・オズボーン、『ラッキー・ジム』(1954年)のキングズレー・エイミス、『急いで駆け降りよ』(1953年)のジョン・ウェインなどとほぼ同時期に『土曜の夜と日曜の朝』(1958)が発表されたために、シリトーもその一派と見なされたりした。しかし〃怒れる若者たち〃がその後体制化し「怒り」を忘れてしまってからも、シリトーの主人公たちはなおも怒り続けた。

  なお、『土曜の夜と日曜の朝』は1960年にカレル・ライス監督により映画化され、こちらもイギリス映画の名作として知られる。もう1つの代表作『長距離ランナーの孤独』も1962年にトニー・リチャードソン監督により映画化されている。

<ストーリー>
  『土曜の夜と日曜の朝』は「土曜の夜」と「日曜の朝」の2部構成になっている。小説の始まりから終わりまでにほぼ1年が経過している。主人公のアーサー・シートンは旋盤工だが、金髪の美男子だ。15の時から自転車工場で働いている。重労働だが高賃金である。アーサーの父が失業手当だけで、5人の子供をかかえ、無一文で、稼ぐ当てもないどん底生活を送っていた戦前に比べれば、今は家にテレビもあり、生活は格段に楽になっている。アーサー自身も数百ポンドの蓄えがある。しかし明日にでもまた戦争が起こりそうな時代だった。

ukflag2_hh_w   作品はアーサーが土曜日の夜酒場での乱痴気騒ぎの果てにある男とのみ比べをして、したたかに酔っ払って階段を転げ落ちるところから始まる。月曜から土曜の昼まで毎日旋盤とにらめっこして働きづめの生活。週末の夜には羽目を外したくなるのも無理はない。しかし、アーサーの場合いささか度が外れている。ジン7杯とビール11杯。階段から転げ落ちた後もさらに数杯大ジョッキを飲み干した。挙句の果てに、出口近くで知らない客にゲロをぶっかけて逃走する。その後職場の同僚のジャックの家に転がり込む。ジャックは留守だ。亭主が留守の間に、彼の妻のブレンダと一晩を過ごした。

  アーサーは決して不まじめな人間というわけではなく、仕事には手を抜かず旋盤工としての腕も立つ。しかし、平日散々働いた後は、週末に大酒を飲み、他人の妻とよろしくやっている。月曜から金曜までの労働と、土曜と日曜の姦通と喧嘩の暮らし。まじめに働きながらも、ちゃっかり「人生の甘いこころよい部分を積極的に」楽しんでいる。しかもブレンダだけではなく、彼女の妹のウィニー(彼女も人妻)とも付き合っている。さらには、若いドリーンという娘にも手を出している。「彼はブレンダ、ウィニー、ドリーンを操ることに熱中してまるで舞台芸人みたいに、自分自身も空中に飛び上がってはそのたびにうまくだれかの柔らかいベッドに舞い降りた。」とんだ綱渡りだが、ついにはウィニーの夫である軍人とその仲間に取り囲まれ散々ぶちのめされる。祭の時にブレンダとウィニーを連れているところを、うっかりドリーンに見つかるというへままでしでかす。しかし何とかごまかした。アーサーは嘘もうまいのだ。「頭がふらふらのときだって嘘や言い訳をでっちあげるくらいはわけないからな。」

  アーサーの狡さはある程度は環境が作ったものだろう。アーサー自身「おれは手におえん雄山羊だから遮二無二世界をねじ曲げようとするんだが、無理もないぜ、世界のほうもおれをねじ曲げる気なんだから」と言っている。世界にねじ曲げられないためには、こっちもこすっからくなるしかない。軍隊時代は自分に「ずるっこく立ち回ること」だと言い聞かせて、自由になるまで2年間がまんした。「おれに味わえる唯一の平和は軍隊からきれいさっぱりおさらばして、こりやなぎの並木の土手から釣り糸を垂れるときか、愛する女といっしょに寝ているときしかない。」彼がハリネズミのように自分の周りに刺を突き立てるのは、自分を守るため、自分を失わないためだ。自分の定義は自分でする。「おれはおれ以外の何者でもない。そして、他人がおれを何者と考えようと、それは決しておれではない。」この自意識があったからこそ、彼は環境に埋没せずに、自分を保てたのだ。

  アーサーは政治的な人間ではない。確かに彼は「工場の前で箱に乗っかってしゃべりまくっている」連中が好きだとは言う。しかしそれは彼らが「でっぷり太った保守党の議員ども」や「労働党の阿呆ども」と違うからだ。アーサーは、自分は共産主義者ではない、平等分配という考え方を信じないと言っている。もともとアーサーの住む界隈は「アナーキストがかった労働党一色」の地域であった。実際、彼の自暴自棄とも思える無軌道なふるまいにはアナーキーなやけっぱちさがある。「おれはどんな障害とでも取っ組めるし、おれに襲いかかるどんな男でも、女でも叩きつぶしてやる。あんまり腹にすえかねたら全世界にでもぶつかって、粉々に吹き飛ばしてやるんだ」とか、「戦う相手はいくらもある、おふくろや女房、家主や職長、ポリ公、軍隊、政府」とか、勇ましい言葉を吐くが、結局ノッティンガムの狭い社会の中でとんがってずる賢く生きているだけだ。批評家たちからは、反体制的な反抗というよりも、非体制的な反抗だとよく指摘される。だが、反抗といっても他人の女房を寝取るという不道徳行為に命を賭けるといった、ささやかなものに過ぎない。むしろ今から見れば、将来の希望の見えない労働者の、酒や暴力で憂さを晴らし、人妻との恋愛に一時的な快楽を求める、刹那的な生き方と言った方が当たっているだろう。「武器としてなんとか役立つ唯一の原則は狡くたちまわることだ。...つまり一日中工場で働いて週に14ポンドぽっきりの給料を、週末ごとにやけっぱちみたいに浪費しながら、自分の孤独とほとんど無意識の窮屈な生活に閉じ込められて脱出しようともがいている男の狡さなのだ。」窮屈な生活から何とか逃れようともがいている、やけっぱちの男、これこそ彼を一言で表した表現であろう。

  そうは言っても、彼の生き方に全く共感できないわけではない。アーサーと言う人物は、80年代以降のイギリス映画によく出てくる一連の「悪党」ども、「トレイン・スポッティング」等の、「失業・貧困・犯罪」を描いた映画の主人公たちに一脈通じる要素がある。アーサーは彼らの「はしり」だと言ってもよい。イギリスの犯罪映画に奇妙な魅力があるように、『土曜の夜と日曜の朝』に描かれた庶民たちの生活には、裏町の煤けた棟割り長屋に住む庶民のしたたかな生活力と、おおらかな笑いが感じられる。西アフリカから来た黒人のサムをアーサーの伯母であるエイダの一家が歓迎する場面はほほえましいものがある。中にはからかったりする者もいるが、すぐにエイダはたしなめるし、みんなそれなりにこの「客」に気を使っている。アーサーがいとこのバートと飲んだ帰りに酔っ払いの男が道端に倒れているのを見て、家まで連れて帰るエピソードなどもある。この時代の「悪党」はまだ常識的な行動ができていたのだ。もっともバートはちゃっかり男の財布をくすねていたが(ただし空っぽだった)。

  面白いのは、最後にアーサーがドリーンと結婚することが暗示されていることである。この間男労働者もいよいよ年貢の納め時を悟ったようだ。最後の場面はアーサーが釣りをしているところである。「年配の男たちが結婚と呼ぶあの地獄の、眼がくらみ身の毛がよだつ絶壁のふちに立たされる」のはごめんだとうそぶいていた男が、釣り糸を見ながら、「おれ自身はもうひっかかってしまったのだし、これから一生その釣り針と格闘をつづけるしかなさそうだ」などと、しおらしく考えている。さて、どのような結婚生活を送るものやら。

2006年1月28日 (土)

イギリス小説を読む⑥ 『エスター・ウォーターズ』その2

win2 <作者ジョージ・ムアについて>
  ジョージ・ムアは『エスター・ウォーターズ』の作者として英文学を学ぶものの間では知られているが、一般にはほとんど知られていない作家である。日本の英文学界でもジョージ・ムアを専門に研究しているという学者はまずいないだろう。『エスター・ウォーターズ』の翻訳も1988年にようやく出たばかりである。

  ジョージ・ムアはアイルランドの旧家の大地主の家に生まれた。最初は画家になるつもりだったが、フランスで過ごすうちに作家になろうと決心した。特にフランスの自然主義作家エミール・ゾラの影響を受け、自然主義の色彩の濃い作品を書いた。『エスター・ウォーターズ』にもその特徴が見られ、エスターというヒロインを通して、人生のありのままの姿が描かれている。当時の常識を逸脱した下層の女性をヒロインにし、そのなりふりかまわず生き抜こうと苦闘した人生を歯に衣を着せずに描いたため、不道徳だとのそしりを受け貸本屋から一時締め出されていた。

<エスター・ウォーターズ:英文学史上初めて登場した最下層出身のヒロイン>
  ジェイン・オースティンの描いた世界と比べると、エスターの世界は実に不安定な世界である。いつ貧困のどん底に突き落とされるか分からない世界、絶えず救貧院の陰が付きまとい、飢えと死の不安が付きまとっている世界である。読者もエスターの運命に絶えず不安を感じながら読み進まずにはいられない。たとえ幸福な時期があっても、この幸福はいつまで続くのかと不安に思わずにはいられないのだ。エスターの女中仲間だったマーガレットがいみじくも言った通り、「世の中はシーソーみたいなもので上がったり下がったり」なのである。この言葉こそエスターの浮き沈みの激しい人生を端的に表現している。いや、上流の人たちもこの点では例外ではない。隆盛を誇ったバーフィールド家も競馬で破滅してほとんど財産を失ってしまうのだから。

  エスターの生活が不安定なのは単に彼女が社会の最下層の出身だからというだけではない。結婚せずに子供をもうけたことが彼女の運命をさらに苛酷なものにさせている。彼女がウィリアムをはねつけたのは、彼女の頑固さと無知にも原因があり、さらには宗教的な信念からくるかたくなさもその一因になっている。その意味では彼女の側に非があったとも言えるが、作者の意図はエスターの性格を非難することではなく、そういうかたくなな娘を作った社会を批判することにあると思われる。字も読めないほど無学で貧しい娘が判断を誤ったとしても、彼女ばかりを責められまい。

  むしろ作品は、子供を抱えて必死に生きようとするエスターを冷たくあしらう世間に、読者の目を向けさせている。私生児を生んだというだけでふしだらな女と見なされ、ほとんどの家から仕事を断られてしまう。彼女の希望は子供だけなのだが、使用人の務めを果たすためには他人に子供を預け、離れて暮らさなければならない。自分が食べて行くだけでなく、子供の養育費も捻出しなければならない。この最悪の逆境にあって彼女を支えていたのは、何としても子供を一人前に育てなくてはいけないという思いだった。どんなことをしてでも自分は生き抜き、自分の身を削ってでも子供を育てるのだ、それまでは絶対に死ねないという決意、この決意があってこそ1日17時間の労働といった奴隷並の苛酷な労働にエスターは耐えられたのである。このたくましさ、しぶとさは、それまでのヒロイン像とは大きく掛け離れている。この決してくじけないしぶとさが、エスターというヒロインの最大の魅力である。

  エスターは現実的な女だった。生きるためには信仰よりも生活を優先した。競馬と賭け事を罪深いことだと感じながらも、「夫に従うのは妻の務め」と信じるエスターはあえて夫の仕事に口を出さない。最後まで信仰を失いはしなかったが、生活に追われてしばしば信仰を忘れかけていることもあった。信念よりも生活を優先させるこの現実的な考え方、この考clip-cathedral1 え方が彼女の活力の源である。作者はエスターにふれて「だがこのプロテスタンティズムの信仰を凌いで人間性があり、20歳という彼女の年齢が彼女の内部で脈打っていた」と書いているが、これは『ジェイン・エア』のヒロインと彼女がローウッド校で出会った薄幸の少女ヘレンを思い出させる。信仰心の篤いヘレンは不当ないじめに対しても聖書的な諦めの境地でじっと耐えている。しかしジェインは神の世界ではなく現実に生きる女性であり、不当なことには歯向かって行く。エスターはヘレン的信念と忍耐力を持ったジェインである。信仰を最後まで失わず、厳しい試練に耐える忍耐力を持ち、かつ現実と前向きに戦う力をもったヒロインだ。「夫に従うのは妻の務め」と信じる古いタイプの女であるエスターは、『余計ものの女たち』のローダ・ナンたちからはあざ笑われるだろうが、彼女には戦闘的なフェミニストも舌を巻くほどの力強さがある。

  エスターの現実的な面は金銭面にも現れている。彼女が常に気にする金銭の額は、ジェイン・オースティンの世界に出てくる何千、何万ポンドという額ではない。主にシリング(1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンス)単位の額で、時にはほんの数ペンスしか手元に残っていなかったりする。『エスター・ウォーターズ』にはいやと言うほど金銭の額が出てくるが、それはもちろん彼女が金に卑しいからではない。賭け事を商売にしているウィリアムも絶えず金銭を気にしているが、彼のお金に対する意識とエスターの意識とは全く違う。ウィリアムが競馬に入れあげるのは別に生活が苦しいからではない。それに対してエスターにとっての金は、ギリギリ生活してゆくための、自分と息子を生きながらえさせるための生活資金だった。まさに生命線である。だからたとえ年14ポンドの仕事があっても、年16ポンド以上の仕事先が見つかるまで我慢するのだし、本当に困ったときには低賃金の仕事でもひきうけるのだ。

  ジョージ・ムアはどうしてこのようなヒロインを創造できたのだろうか。恐らく本文にあるように、「上流の人々が使用人たちを一段と劣った人間と考えていることを、エスターは知っていた。しかし人間は皆、同じ血と肉で作られているのだ」という考え方が作品の中で貫かれているからだろう。翻訳書の解説に、「彼女に破滅の道を辿らせなかったのは、作者がその戦いに高貴なものを見たからに他ならない」という指摘があるが、確かに作者がエスターというヒロインに魅力を感じていなければこの作品は成り立たなかっただろう。彼女のような身分の登場人物は、それまでなら夜の女に身を落とし、惨めに死んでゆくという運命を辿ることが多かった。エスターは勤勉と倹約の精神と堅実さ、そして夫と子供に尽くす女という、まさに「家庭の天使」そのものの価値観を持った伝統的タイプの女性だが、そこに作者が現実に立ち向かうしぶとい生活力をもった女を見いだしたとき、かつてないタイプの新しいヒロインを彼は作り出したのである。ただ、無教育で文盲であるはずのエスターがきちんとした標準語を話しているところに、時代の制約がまだ残ってはいるが。

  『日陰者ジュード』のヒロイン、天使のように自由なスー・ブライドヘッドは、結局社会の圧力に跳ね返され、敗北する。彼女の敗北は伝統的価値観がいかに強固で呵責ないものかを示している。エスターは敗北しなかった。踏まれても踏まれても庶民は雑草のようにまた起き上がってくるのだ。

2006年1月27日 (金)

イギリス小説を読む⑤ 『エスター・ウォーターズ』その1

aimiku-ajisai 今回のテーマ:最下層出身ヒロインの戦い

<ジョージ・ムア著作年表>
George Moore(1852-1933)  
 1885  A Mummer's Wife  
 1888  Confessions of a Young Man 『一青年の告白』(岩波文庫)
 1894  Esther Waters          『エスター・ウォーターズ』(国書刊行会)
 1898  Evelyn Innes

<ストーリー>
  物語はエスターが英国南東部のある駅のプラットフォームに立っているところから始まる。その時エスターは20歳。「がっしりした体格で短いたくましい腕をして」いる。エスターはバーフィールド家に住み込みで奉公するためにやってきたのである。人に仕えるのは初めてではないが、バーフィールド家ほどのお屋敷に勤めるのは初めてであり、不安げな様子である。屋敷の手前でウィリアムという若い男に道を尋ねた。たくましい体格の男で、彼はバーフィールド家の料理長であるラッチ夫人の息子だった。

  エスターはすぐに女中仲間のマーガレットと仲良くなり、バーフィールド家の人々も幸い良い人たちで、エスターは安定した生活を送る。バーフィールド夫人は農夫の娘で、領主に見初められて結婚した人だった。エスターと同じ宗教の信者だったこともあり、エスターには優しくして何かとかばってくれた。字を読めないエスターに字を教えてくれたりもした(結局ものにならなかったが)。バーフィールド氏と息子のアーサー、そして執事のジョン・ランダルやウィリアムたちは競馬に夢中だった。バーフィールド氏は自分の馬をレースに出しており、アーサーは騎手であった。しかしエスターは信仰心のあつい娘で、賭けは罪深いことだと考えていた。

  エスターの両親はプリマス同胞教会の熱心な信者であった。しかし父は早く亡くなり、母親は再婚をした。再婚後次々に子供が生まれ、母親は貧血状態になり健康が衰えていた。エスターは小さな乳母のように妹や弟の面倒を見、母親が心配のあまり学校にも通わなかった。だからエスターは読み書きができないのである。継父のソーンダーズは機関車にペンキを塗る職人で、酒が好きだった。大家族を養うためにエスターは17歳になると奉公に出された。わずかな給金で散々こき使われて来た。

  平穏な生活に少し退屈を感じ始めていたころ、ウィリアムがエスターに近づいて来た。ある日ウィリアムにお前は俺の女房だと言われ、その言葉に酔っているうちに肉体関係を結ばれてしまった。はっと気が付いて逃げ帰ったエスターは、その後ウィリアムを許せず、何度ウィリアムが話しかけて来ても相手にしなかった。ウィリアムは不誠実な男ではないが、エスターは持ち前の頑固でかたくなな性格のため、簡単にはウィリアムを許せなかった。一方ウィリアムは何日たっても態度が変わらないエスターの頑固さにうんざりして、勝手にしろという気持ちになっていた。彼はペギーという別の女性と付き合い始め、ついには二人で屋敷を出て行ってしまう。

  しばらくは周りから同情されていたが、そのうち妊娠していることにエスターは気づく。首になる不安に駆られながら、エスターは次の給金が出るまで腹が大きくなっていることを隠し通す決意をする。子供が七カ月ほどになった時、エスターはバーフィールド夫人に事実を打ち明ける。夫人も同情してくれたが、さすがにエスターを屋敷に置いておくことはできなかった。やめた後の苦労をおもんばかって特別に四ポンドを与え、再雇用に必要な人物証明書も書いてくれた。雨と風が吹き荒れる日、エスターはバーフィールド家の屋敷を去った。

  エclip-lo6スターはとりあえず行くところもないので、親の家に戻った。家では小さな妹たちが内職でおもちゃの犬を作っていた。子供が多すぎて、かつかつの生活なのである。父親は場所がないからと言ってエスターを家に置くことを認めなかった。しかし、エスターが部屋代として週に10シリング払うというと、コロッと態度が変わり、置いてもらえることになった。父親は部屋代のほかにエスターから酒代をしばしばせびった。当時病院に入院するには病院に寄付をしている人からの紹介状が必要だった。しかし、エスターが未婚の母だと知ると次々に断られ、散々歩き回ったあげくようやく紹介状を手に入れることができた。わずかな蓄えも尽きかけたころようやく子供が生まれた。

  エスターは男の子を産んだ。出産後妹の一人が病院に来て、母親が死んだと伝えた。実は、母親も同じ時期に出産を控えていたが、子供たちのめんどうを見なければならなかったので、家で出産したのだった。しかし度重なる出産で体が弱っていた母親は、死産のうえ弱り切って死んでしまったのである。エスターは母親の葬式にも出られなかった。父親は子供たちを連れオーストラリアに行ってしまった。

  エスターはついに一人きりになってしまった。しかもベッドが足りないからと病院からも追い出される。それでもエスターは乳母の仕事を何とか見つけた。勤めの間スパイヤズ夫人に子供を預けていた。しかし赤ん坊のことが気になって仕方がない。だが女主人は週末にエスターが赤ん坊に会いに行くことを許さなかった。エスターは自分の前の二人の乳母が、二人とも預けていた赤ん坊を死なせたことが気になった。「この裕福な女の子共が生きるために、二人の貧しい女の子供たちが犠牲にされた」のだ。エスターには真実が見えて来た。

   あたしのような者の口から申すことではございませんが、そんなおっしゃり方をする
 奥様はよこしまな方です。たとえててなし子でもそれは子供が悪いんじゃございませ 
 んし、ててなし子だからといって見捨てられてよいものではありませんし、見捨てろと
 おっしゃる権利があなたさまにあるわけではございません。もしあなたさまが最初に 
 わがままをなさらず、ご自分の赤ちゃんにご自分でお乳をあげなすったならば、そん
 なことをお考えになりませんでしたでしょう。ところがあたしのような貧しい女を雇って、
 本来は別のこのものである乳を自分の子供にやらせるようになさると、もう見捨てら
 れたかわいそうな子供のことは何もお考えにならないのです。そんな子は私生児な
 んだから、死んで始末がついたほうがいい、とおっしゃるのです。...結局こういう
 ことなんです。あなたさまのような裕福な方々がお金を払って、スパイヤズさんのよ
 うな人たちがかわいそうな子供たちの始末をする。二、三回ミルクを替え、少しほっ
 たらかしにする、そうすれば貧しい奉公人の女は自分の赤ん坊を育てる面倒がなく
 なって、金持ちの女の飢えた赤ん坊を見事な子供に仕立て上げることができるんで
 す。

  エスターは首になった。一文なしで、奉公先も失ったエスターにはいよいよ救貧院しか行くところがなかった。何としても子供を救貧院に入れたくはなかったが、ほかに道のないエスターは仕方なく救貧院に入った。救貧院には年14ポンド以下の求人しかこないが、人づて にやっと年16ポンドという仕事が見つかった。一日17時間の苛酷な雑働きの仕事だった。気が狂うほど働いてエスターは結局その仕事を辞めた。次に見つけた奉公先は2年続いたが、子供がいることが分かり「だらしない女」は置いておけないと首になった。その後エスターはいろんな奉公先で歯を食いしばって耐えながら働いてきた。だが長く続かない。主人の息子に追いかけ回され解雇させられたこともあった。去って行くエスターに「器量のよい女中を置くことは危ない」という女主人の声が耳に入った。それでもエスターはくじけなかった。

  それはまことに壮烈な戦いだった。下層の者、私生児である者にむかって文明が結
 集させるすべての勢力を敵にまわして子供の命を守ろうとする母親の戦いだった。今
 日は働き口を得ていても、それが続く保証はない。自分の健康が頼みの綱で、それに
 もまして運と、雇い主の個人的な気まぐれにみじめにも左右された。街角で見捨てら
 れた母親がぼろのなかから茶色の手と腕をさしのべ、小さい子供たちのために物乞
 いをしている姿を見ると、彼女は自分の生活の危うさを思い知らされた。三か月職に
 あぶれてしまえば、自分もまた路上にさまよう身となるだろう。花売り、マッチ売り、そ
 れとも--

  「それとも--」の後には言うまでもなく「売春婦」という言葉が続くはずだ。確かに一歩間違えばエスターはそこまで転落しかねなかった。

   売春婦たちはいつもより早い時刻に郊外を後にし、白い服を腰のまわりになびか
 せ羽毛のボアを歩道から数インチのあたりまで垂らして、フラムからはるばるやって
 来ていた。だがこの優雅な装いの奥に、エスターは女中だった少女を認めることが
 できた。彼女たちの身の上は自分の身の上だった。どの娘も捨てられて、おそらくそ
 れぞれが子供を養っているのだった。だが彼女たちは働き口を見つけることにかけ
 てエスターほど幸運に恵まれなかった。違いはそれだけだった。

  当てもなくロンドンをさまよっているときに、エスターはバーフィールド家で一緒だったマーガレットに偶然出会う。マーガレットはバーフィールド家が競馬で破産したと教えた。

  エスターは次にミス・ライスという女性に雇われる。子供の養育費を考えるとどうしても年clip-window2 16ポンド以上はないとやっていけないと計算したエスターは、14ポンドと提案したミス・ライスに大胆にも16ポンドを要求した。以前救貧院にいたこと、未婚の母であることを正直に打ち明けたエスターを気に入り、ミス・ライスは彼女を雇った。しかも苦しい中で子供の養育費も込めて18ポンド出してくれたのである。ミス・ライスとはうまくやって行けた。そのうちエスターはフレッド・パーソンズという文房具を扱う男と知り合った。同じプリマス同胞教会の信者であるフレッドはエスターを好きになる。エスターは28歳になり、結婚するには潮時だった。週30シリング稼ぐフレッドは結婚相手として悪くなかった。敬虔な信者であるフレッドは、彼女の過去を知っても結婚の意志を変えなかった。

  ところが思いがけずエスターは彼女の子供の父親であるウィリアムとまた出会ってしまった。彼は今はペギーとも別居していて、エスターに結婚を迫ってきた。エスターは悩んだ。貧弱な体格で、堅実ではあるが宗教的信念により考えが狭いところがあるフレッドを選ぶか、昔の恨みはあるが、子供の父親であり、たくましく、競馬の賭け元をして3000ポンドの財産があるウィリアムを選ぶか。息子のジャックは死んだと教えられていた実の父が現れて最初は戸惑っていたが、しだいになついていった。ついに結婚したらエスターと息子のジャッキーに500ポンドやると言われて、エスターの決意が固まる。かくしてエスターはウィリアムの経営するパブの女主人になった。彼女がパブを切り盛りし、ウィリアムは競馬の賭け元の商売に精を出した。ジャッキーは親元を離れ学校に通っていた。ウィリアムは賭けごとをしているが、誠実でまじめな男だった。その後数年間エスターの幸福な時期が続いた。

  だが、その幸福も長くは続かなかった。ウィリアムは競馬場から競馬場へとまわり歩くうち、ある冬の寒い日に雨に濡れて風邪を引いてしまった。体をこわし外で商売ができなくなったウィリアムは、自分のパブで非合法に馬券を売り始める。そこへ、かつて結婚まで考えたフレッドがやってきて、このまま闇で馬券を売っていると危ないと警告した。彼はあくまでも誠実であり、エスターを救おうと思って忠告したのである。しかしエスターは、いまだに信仰心をなくしてはいなかったが、自分には「夫と子供があり、それを大事にするのがあたしの務めです」と答える。もちろんエスター自身は競馬や賭け事を罪深い事だと思っていたので、夫にフレッドが言ったことを伝え、自分からも闇の馬券を売るのを止めるよう説得した。しかしウィリアムは逆に怒り出し、やめようとはしなかった。ただし、営業停止はこわいので慎重に客を選ぶよう用心することにした。

  だが、ある時おとりの客に馬券を売ってしまい、警察に検挙されてしまう。営業停止になり、店を手放さざるを得なくなった。エスターは7年間必死で働いたのに、結局何も後に残らなかったと嘆く。ウィリアムの体調も日増しに悪化し、今ではやけくそぎみに自分で競馬に賭けているが、負けがこんでいる。医者に見せるとウィリアムは結核にかかっており、エジプトに行かなければ命はないと言われた。しかしエジプトに行く金が無いので、一か八か彼は最後の賭けを始めた。一時は大穴を当てたりしたが、最後の最後にすべてを失ってしまった。エスターは死ぬ前に息子に会いたいという夫のために、学校へジャッキーを迎えに行った。スクスクと育った息子を見て、彼女は「この子のために生きなければならない。たとえ自分自身は人生に未練がなくとも」という思いをかみしめる。ウィリアムはジャッキーにけっして競馬や賭けごとには手を出さないと約束させ、そして死んでいった。

  エスターは再び、最初と同じ駅のプラットフォームに立っていた。ほとんど財産を無くし、荒れ果てた屋敷に一人寂しく住んでいる、かつての女主人バーフィールド夫人の世話をするためにまたウッドヴューに戻ってきたのだ。ちょうど18年前の振出に戻っていた。ウィリアムが死んだ後エスターはまた無一文になり、生活のために低賃金で働いていた時、バーフィールド夫人のことを思い出したのだ。夫人は快くエスターを迎えてくれた。エスターはバーフィールド家を出た後に経験したことを夫人に語って聞かせた。「苦しい戦いでございましたし、まだ戦いは終わってはおりません。息子がきちんとした仕事につくまでは終わりません。息子が一人前になって落ち着くのを見るまでは生きていたいと思います。」

  何カ月かが過ぎ、二人は主人と女中というよりも、友達同士のようになって暮らしていた。もちろんエスターは「奥様]という敬称をやめなかったし、二人が同じテーブルで食事することもなかった。それでも二人の関係は親しいものになっていた。エスターは今が人生の一番幸せな時だと思った。ジャッキーは結局よい職には就けず、軍隊に入った。作品は軍服を着たりりしい青年が荒れたバーフィールドの屋敷にやってくるところで終わる。「彼女は自分が女の仕事をやりおおせたということだけを感じていた。彼女はジャックを一人前に育て上げたのであり、それが十分な報酬であった。」

2006年1月23日 (月)

イギリス小説を読む③ 『ジェイン・エア』

angel3テーマ:結婚と身分--成功をつかんだガヴァネス

1 ブロンテ姉妹作品目録
①Charlotte Brontë (1816-55)  
Jane Eyre(1847) 『ジェイン・エア』(岩波文庫)  
Shirley(1849)  『シャーリー』(みすず書房)   
Villette(1853) 『ヴィレット』(みすず書房)  
The Professor(1857) 『教授』(みすず書房)

②Emily Brontë (1818-48)  
Wuthering Heights(1847)  『嵐が丘』(新潮文庫、岩波文庫)

③Ann Brontë (1820-49)  
Agnes Grey(1847)  『アグネス・グレイ』(みすず書房)  
The Tenant of Wildfell Hall(1848) 『ワイルドフェル・ホールの住人』(みすず書房)

2 シャーロット・ブロンテ小伝
  シャーロット・ブロンテは1816年、ヨークシャーの牧師の家に生まれる。父はアイルランドの貧農の生まれ。娘たちの結婚も阻むような気難しい男で、苦労して聖職に就いた。5歳の時に母を失う。6人の子供はみな虚弱で、一番上の二人(マリアとエリザベス)は1825年に亡くなり、1848年から翌年にかけて弟のパトリック・ブランウェルが31歳、エミリーが30歳、アンが29歳で夭折している。姉妹の中で一番長生きしたシャーロットでさえも39歳で亡くなっている。皮肉にも、早死にの一家の中で最後まで生き残ったのは父だった。1847年シャーロット31歳の時に『ジェイン・エア』を発表し評判になる。エミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』も同年に出版された。3人の代表作が同時に発表されたこの年は英文学史上重要な年である。1854年に父の補佐役だったニコルズという牧師と結婚するが、9カ月後に死亡する。

3 『ジェイン・エア』:あるガヴァネスの精神の遍歴
(1)ストーリー
  ジェイン・エアは孤児である。美人ではない。ジェイン(正式にはジャネット)の父は貧しい牧師だった。母は金持ちのリード家の娘で、不釣り合いだという周りの反対を押し切って結婚した。母の祖母は怒って一文も財産を譲らなかった。結婚1年後に父はチフスにかかり、母も感染し、二人とも1カ月もたたないうちに相次いで亡くなった。ジェインは母方の伯父リード氏にひきとられた。伯父は彼女をかわいがってくれたが、伯父の死後、ジェインは居候同然のひどい扱いを受けていた。女中のベッシーだけが唯一の理解者だった。

  伯母は反抗的なジェインに手を焼き、厄介払いするためにジェインをブロックルハースト氏が経営するローウッド校に入れることにした。ブロックルハースト氏に言わせれば、堅実さがローウッド校のモットーである。簡単な食事、質素な服装、簡素な設備等々を方針としている。しかし、その実態は劣悪な校舎で、寒さをしのぐ服もなく、とても食べられないような食事を子供に与えているということであった。ジェインはそこでヘレン・バーンズと仲良くなる。ヘレンは非常に頭が良いのだが、だらし無いと言われていつも先生にしかられている。ジェインが反抗的なのに対して、ヘレンはじっと耐えてしまうタイプだ。しかしジェインはヘレンから多くのことを教えられた。また、教師の中にも一人だけテンプル先生という、優しい人柄でジェインたちをよく理解してくれる天使のような人がいた。劣悪な環境のせいでローウッド校で病気がはやり、学校は事実上病院に変わってしまった。ヘレンも感染して死んでしまう。学校のひどい経営が暴露され、その後改善された。ジェインは主席で卒業し、2年間そこで教師を務めた。新しい経験をしたいと思ったジェインは家庭教師(ガヴァネス)の口を探し、ロチェスター氏の家で雇われることになった。ジェインはまだ18歳だった。

  ジェインはアデルという女の子の家庭教師としてソーンフィールドにあるロチェスター氏の屋敷に住み込むことになった。(アデルは或るフランス人女性--ロチェスターのかつての愛人だったことが後で分かる--の娘でロチェスター氏と血のつながりはない。)ロチェスターは40歳前くらいの莫大な財産を持った男で、「きびしい目鼻だちと太い眉をした浅黒い顔」をしている。がっしりとした体格と強い意志を持っているが、彼もまた必ずしも美男子ではない。ロチェスター家で初めてジェインは人間としてまともな扱いを受けた。美人のイングラム嬢とロチェスターが結婚するといううわさがあったが、実はロチェスターはジェインに魅かれていた。家庭教師をまともな人間扱いしないイングラム嬢たちと対照的に、ロチェスターは身分の差など気にもかけない。ロチェスターはジェインに結婚を申し込み、ジェインもそれを受ける。しかし結婚式の当日、メースンという人物が現れ、ロチェスターには既に妻がいることを暴露する。ジェインは以前から3階の屋根裏部屋から恐ろしい叫び声がするのを聞いており、何か謎があると思ってはいた。実は、屋根裏部屋にはロチェスターの発狂した妻バーサが監禁されていたのである。結婚式は取りやめになった。ロチェスターとしてはバーサは妻の資格はないと思っているのだが、ジェインはロチェスターが自分を情婦にしようとしたのだと考え、翌日黙って屋敷を出て行く。

  一文なしで2、3日さまよい歩き、乞食のような扱いを受ける。やっと親切な二人の女性(ダイアナとメアリ姉妹)に救われる。この二人の兄であるセント・ジョンに頼まれて、ジェインは小学校の教師になる。熱病のような情熱を秘めたセント・ジョンは宣教師になろうと決心する。そのジョンがあるきっかけからジェインの正体を見抜き(ジェインは偽名を使っていた)、彼女の伯父が亡くなりジェインに2万ポンドの遺産が入ると伝えた。またジェインは彼らの従兄弟だということも分かる。ジェインは2万ポンドを従兄弟たちと4等分し、それぞれ5000ポンドずつ分けることにした。

  ジェインは家庭教師をしていたダイアナとメアリを勤め先から呼び戻し一緒に住む。セント・ジョンはいよいよインドへ宣教師として赴くことになり、ジェインに結婚して一緒にインドに行こうと迫る。しかし、敬虔で誠実なクリスチャンであると認めつつも、セント・ジョンのなかに非情で冷酷なところがあると感じていたジェインはその申し出を断る。そんな折り、ジェインはロチェスターが彼女を呼ぶ声を聞くという、超自然的な体験をする。矢も盾も止まらなくgirl1なったジェインはロチェスターの屋敷へ行く。しかし屋敷はバーサのせいで火事になり、完全に廃墟になっていた。バーサは屋根から飛び降り死んだという。ロチェスターは召使たちを救おうとして重傷を負い、両目を失明し片手を失っていた。ジェインはロチェスターがいるファーンディーンに向かい、変わり果てた彼と会う。聞くと、彼も同じ日の同じ時間にジェインの声が聞こえたと言う。二人は再び愛を確かめ合って、結婚する。それから10年立った時点が、ジェインが語っている現在時点である。後にロチェスターは片方の目が少し回復して、見えるようになった。セント・ジョンは今も宣教師として人類のために働いている。

(2)婿捜し物語りという枠組み
  一人の人間としての成長過程、特に精神的成長が小説のテーマとなり、構成要素となる背景には、産業革命によって急速に変わってゆくヨーロッパ社会の中で既成の価値体系が崩れてゆき、従来の生き方が若い世代の青年に人生の意味を提出するものでなくなってしまったという認識がある。それは言いかえれば、既成の人生航路では達成できない人間的成長が明確に意識され始めたことでもある。・・・
  女性作家が女性の成長を扱った小説のパターンの一つに、婿捜し物語がある。婿捜しは、ヒーローとヒロインからなる「ロマンス」を貫く重要なモチーフであり、近代小説においても、人妻の恋、心理的恋愛とともに、恋愛小説の根底を流れるパターンである。・・・  婿捜しというモチーフの中心には、結婚という社会制度、そしてその制度のもたらす個人的な幸福に対する信頼がある。結婚はしなくてはならないものという思想、あるいは信念がなくては、婿捜しの物語は成立しない。同時にまた、どんな結婚でもよいのではなく、最も望ましい結婚という理想的結婚の観念が、結婚する当人、すなわち個人の幸福と矛盾対立するところに、恋愛が婿捜しから独立して取り扱われるようになる根拠の一つがあったのであるが、近代において個の主張が重要になるにつれて、結婚と恋愛はおのおの独立したテーマとして文学上扱われるようになる。・・・
  水田宗子『ヒロインからヒーローへ--女性の自我と表現』(田畑書店、1992年)

(3)ヒロインとしてのジェイン
  ジェインは美人ではない。昔も今もヒロインは美人と決まっているのだが、あえて作者は伝統に逆らって普通の容貌の女性をヒロインにした。美貌を女性の価値と見る男の価値観を引っ繰り返したかったからだろう。

  川本静子氏は19世紀の「女性問題」は、中流階級の女性に関する限り、ひとえに困窮したレディの問題にほかならないが、それは事実上「ガヴァネス問題」という形であらわれると述べている。しかし、ジェインは決して「余った女」ではない。男が見つからなくて結婚できず、ついには社会の最底辺にまで堕ちて行くという運命をたどったわけではない。彼女はロチェスターという理想の男とめぐり会い幸福な結婚をするのである。しかし、単なる通俗小説的な成功物語というわけではない。彼女は当時の価値観に大胆に反抗し、財産や身分よりも人間的な関係を求めてロチェスターに行き着いたのである。

  『ジェイン・エア』は発表当時社会的議論を巻き起こしたが、それはこの作品には当時の価値観に従わない要素が満ちあふれているからである。レディ・イーストレイクはこの作品には「高慢な人権思想」がみられ、危険な書物だと言った。孤児という運命を謙虚に受け止めるのではなく、それに不満を言うなどもってのほかだというわけだ。確かに『ジェイン・エア』は、ヴィクトリア時代の保守的な文学伝統と社会常識を脅かす要素をもっていた。

・激しい感情をあらわにする
  →不当な扱いに対する反抗、自分を認められたいという思い、自由へのあこがれ、
   知識や未知の世界に対するあこがれ
・女から求愛する。
・身分の違いを越えて結婚を考える
 →結婚:自分を金銭的な投機の対象とは考えていない、情熱や感情の一致を重視する
・男女の平等意識 
・男や社会の考えをそのまま受け入れるのではなく、自分の価値観で判断する。
 →絶えず自己批評、自己分析を繰り返しながら成長してゆく。  
 →例:ジェインは小学校で教えることになって品位を落としたと感じる
  しかしこれはすぐに克服する。彼女の考え方というよりは、社会的価値観を受け身的
  に反映したもの。
・リード一家やイングラム嬢を初めとするロチェスターが付き合っている上流家庭の人物
 はみな美男美女だが、いずれも高慢で、傲慢で、意地の悪い俗物として描かれてい
 る。それに対して、ロチェスターを自分と同類の人間だと感じる。

  しかしその一方で伝統的な側面も合わせ持っている。
・財産や身分のもつ価値を完全には否定していない
 →結局は自分よりも身分が上のロチェスターと結婚し、都合よく遺産も相続する。せい
   ぜい遺産の分け前を従兄弟たちに与えるだけだ。
  遺産相続後の生活はメアリは絵を描き、ダイアナは百科事典の読破を続け、ジェイ
   ンはドイツ語を勉強しているという優雅な生活だ。
 →作品自体も、ロチェスターに妻がいることが分かり、彼の元を飛び出す当たりから話
   の展開が慌ただしくなる。遺産が入り、バーサが都合よく死んでくれるなど、話が
   意外な方向に目まぐるしく展開して行くメロドラマ的な展開になっている。なぜ自分
   はこんな目に遭うのか、「不合理だ、不公平だ」と激しく反抗していた前半の力強さ
   はなくなっている。  
 →現実と自己が溶け合わない疎外された段階、次に現実から圧迫され悩まされる段
   階を経て、自己が現実を認識して現実に溶け込む段階へと至る、コントの「3段階
   の法則」のパターンに当てはまるという指摘がある。結局現実を何ら変えることな
   く、うまく現実の中に収まってしまうという意味では当たっている。  
 →ヘレンの聖書的諦めの境地を結局ジェインは理解できなかった。ジェインは神の世
   界ではなく現実の世界に生きる女性なのである。この点がジェインの強み(不当な
   扱いを跳ね返して行く)であると同時に限界(現実の中に収まってしまう)でもある。
・遺産を相続するとさっさと教師を辞める。
 →男に養われるという「家庭の天使」に止まらずに、経済的自立を目指す発言もしてい
   るが、それも遺産を相続するまでのこと。貧しい子供たちを教育しながら、彼らにも
   個人差があると気づいてゆくが、これも遺産が入ると人に任せてしまう。
・セント・ジョンの宣教活動がもつ帝国主義的意味に気づかない

2006年1月22日 (日)

イギリス小説を読む② 『高慢と偏見』

テーマ:婿探し物語

【ジェイン・オースティン作品年表】
Jane Austen ジェイン・オースティン(1775-1817)  
 Sense and Sensibility(1811)          『いつか晴れた日に』(キネマ旬報社)  
 Pride and Prejudice(1813)        『高慢と偏見』(岩波文庫)
 Mansfield Park(1814)                  『マンスフィールド・パーク』(集英社)  
 Emma(1815)                          『エマ』(中公文庫)  
 Northanger Abbey(1818)            『ノーサンガー・アベイ』(キネマ旬報社)  
 Persuasion(1818)             『説きふせられて』(岩波文庫)

  オースティンに続くブロンテ姉妹、ジョージ・エリオットと、19世紀の女性の一流作家が皆牧師の娘であるのは偶然ではない。牧師は大学教育を終えた当時最高の知識階級であり、蔵書も豊富で、牧師館に出入りする大勢の人々が人間を観察する機会を与えた。
   青山吉信編『世界の女性史7 イギリスⅡ 英文学のヒロインたち』
   (評論社、1976年)

【主要登場人物】
■エリザベス・ベネットElegant6
  本作品のヒロイン。ベネット家の次女。両親のほかに、上に長女のジェイン、下に三女のメアリ、四女のキャサリン、末娘のリディアがいる。父親のミスター・ベネットはしっかりした人物ではあるが、家族の騒動をはたから見て面白がっている。ミセス・ベネットは娘たちを結婚させることしか頭にない、単純な人物。金持ちでいい男が現れるたびに大騒ぎする。

■ジェイン・ベネット
  エリザベスの姉。優しく人が良くて疑うことを知らない性格。いつも相手の立場に立ってものを考える。ビングリーと引かれ合うが、途中でダーシーに仲を引き裂かれる。ダーシーが誤解に気づき、再び交際を始め、めでたく結婚する。

■ミスタ・ダーシー
  本作品の主人公。登場人物の中で最も身分の高い人物だが、無口で高慢な男と思われエリザベスに毛嫌いされる。一度エリザベスに求婚するが、冷たく拒否される。しかし様々な誤解や偏見を乗り越え最後にはエリザベスと結婚する。年収約1万ポンドの大地主。

■チャールズ・ビングリー
  ベネット家の近所に引っ越して着た青年。ジェインと恋に落ちるが、ダーシーに仲を引き裂かれる。後にダーシーの誤解も解け、ジェインと結婚する。年収4~5千ポンド。

■ミスター・コリンズ
  エリザベスたちのいとこに当たる。ミセス・ベネットと並び、本作品中最も喜劇的な人物。大仰な言葉遣いでやたらと長々しい話をして周りの人を呆れさせる。

【作品とヒロインの特徴】
1 田舎の上層中流階級の社会を描いた小説

  『高慢と偏見』は地方のアパー・ミドル(上層中流)階級を中心に描いた写実的風俗小説である。そのまま第1級の社会史の資料として使えると言われるほどであり、当時の中上流の人々の暮らしがリアルに描かれている。例えば、上流階級の社交の様子が頻繁に出てくる。当時は上流の人たちが集まると、パーティーを開いておしゃべりに花を咲かせ、飲み食いしたあげくにトランプなどのゲームをするというのが普通だった。『高慢と偏見』の中にはまさにこのとおりの場面が何度も描かれる。話の内容もだれがだれと結婚するかといった他愛のないものである。会話に知的な要素が交じることは少ない。エリザベスはあまりに情けない会話の内容に呆れることがあるが、彼女自身もあまり本を読まない女性で、学問的な会話などしていない。

  登場人物の中心をなしているのは地方の上層中流階級から上流階級の人々である(ただし貴族は登場しない)。下層の人々(召し使い等を除いて)も登場しない。一部の登場人物を除いて、大部分は一体何をして暮らしているのかと思う人たちばかりである。労働の場面や職場に出掛ける場面は皆無に近い。何をして食べているのか分からない人物が出てきたら、その人はまず地主階級だと思ってよい。彼らは地代で暮らしている(数百から数千ヘクタールの土地を持ち、これを小作人や農業経営者に貸して年に数千ポンドもの地代を取る)ので働く必要がないわけである。したがって登場人物たちは狭い田舎の社会の中で遊び暮らしているだけである。何も仕事がない未婚の娘たちは隣人との付き合いに好きなように時間を使った。友達や親類同士で何週間も、時には1~2カ月以上も泊めたり泊まりに行ったりする。労働は描かれず性道徳の観念も一律に保守的である。このような世界をおもしろく描くことができたのは、オースティンの人間観察、人間鑑定の確かさと作品構成の緻密さ、そして女性にとっての本当の幸せとは何かを真剣に追求しようとする真剣な姿勢のお陰である。「愛のない結婚は決してすべきでない」と考えるオースティンは、ヒロインのエリザベスに相手が真に自分に値する男かどうかを真剣に吟味させてゆく。これを底で支えているのは、オースティンの実に正確な人物描写である。

2 主題は結婚
  オースティンの小説はいずれも恋愛と結婚を主題としている。その主題を通じて、人生における幸せとは何か、優れた人間性やマナーとは何かが追求され、また、当時に生きる人々の赤裸々な人間模様が描き出されている。タイトルの由来はエリザベスの偏見とダーシーの高慢さを指している。ともに様々な試練と経験をへて互いにその欠点に気づき、それを矯正してゆく。もちろんダーシーにも偏見はあり(特に身分の低い者に対する偏見)、エリザベスにも自分は他の人よりもよく物事が見えているという高慢な思い上がりがある。

engle1   登場人物の多くは当時の価値観を無意識のうちに受け身的に受け入れており、当然のように有利な結婚相手を捜すことに血道を上げる。したがってオースティンの小説には年収○○ポンドという表現がうんざりするほど頻出するのである。だがそのような恋愛騒動の背後には女性には自立(自活)の道がないという厳しい現実がある。遊び暮らす女性たちの背後には、オースティンがあえて描こうとしなかった下層の人々の悲惨な現実がある。このような現実とのかかわりを極力作品の外に追いやってしまったことはオースティンの作品に一定の限界を与えてはいるが、それはまた彼女の作品の魅力でもある。実際、この作品には深刻な場面はほとんど無く、むしろ基調になっているのは喜劇的色彩である。その喜劇的要素が読者をどんどん引き込んで行く原動力の一つになっている。その喜劇的側面の中心にいるのはミセス・ベネットやミスター・コリンズという単純で分かりやすい人物である。

  エリザベスは5人姉妹であり、姉妹それぞれを描き分けることによって当時の女性の様々な考え方を複線的に描くことができる。長女のジェインと次女のエリザベスは分別があるが、下の3人は未熟な女性(まだ子供だが)として描かれている。末娘のリディアにいたっては軍隊の将校にあこがれ、ついには美男だが浮気で金遣いの荒いこの将校と駆け落ちまでしてしまう。

  ただし、ベネット家の子供は娘ばかりだったので、限定相続によって財産は男系親族(作中では従兄弟のコリンズが相続者)に取られてしまうことになっている。もし娘が売れ残ったら、分けてもらった動産の利子や、身内の情けにすがって、周りから軽蔑されながら細々と食いつないでゆくしかない。いきおい女たちは豊かな生活と社会的尊敬を維持するために、結婚をするしかなかった。他に自活の方法はなかったのである。同じような状況はオースティンの『いつか晴れた日に』(原題は『分別と多感』)でも描かれている。ダッシュウッド夫人は子供がいずれも娘ばかりのため、亡くなった夫の財産はほとんどが先妻の息子と孫息子に行ってしまう。屋敷まで取られた形で、彼女と三人の娘ははるかに小さな別の家へ移り、生活費を切り詰めて暮らすことを余儀なくされるのである。

  ただ、当時のイギリスの結婚は恋愛結婚が原則だった。親が相手を選ぶドイツやフランスとは違って、ふつう娘には夫を選択する権利が認められていた。双方の財産が等しいのが適当な結婚の条件と考えられていたが、相手の家の資産の方が多ければ娘たちにとって幸いなのは言うまでもない。

3 エリザベスの性格と魅力
  エリザベスの性格を理解するには、次回取り上げるシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』の同名のヒロインと比較するとより浮き彫りになるだろう。自己分析と自己批評を繰り返したジェイン・エアに対し、エリザベスは専ら周りの人たちを観察することに専念する。また、ジェイン・エアは必ずしも結婚を念頭に置いて行動していないが、エリザベスは結婚のことしか頭にない母親や姉妹の影響を受けて、かなり結婚のことを意識している。これはジェイン・エアが孤児として育ち散々苦労を重ねてきたのに対し、エリザベスの方は当面の生活に苦労しない(将来に不安はあるが)上流の恵まれた家庭に育ったという出発点の違いによる影響が大きい。一方、様々な経験を通して人間や世の中を見る目を豊かにし、理想の結婚相手を見いだすという点では、ジェインもエリザベスも共通している。

  エリザベスの魅力は身分が上の人たちにも物おじせず、卑屈にもならずに対等に渡り合うそのはつらつとした精神と行動力にある。5人の姉妹の中では長女のジェインと次女のエリザベスだけが分別のある人物として作者から肯定的に描かれているが、ジェインの方はしとやかな女性という類型的な描かれ方をしており、その点が型破りなところがあるエリザベスと比べると印象が薄い理由である。また、エリザベスは自分では公平で正確な判断力があると思っているが、実はダーシーの誠実さに気づかず、逆に人当たりはいいが一皮むくと浪費家で浮気もののウィカムにコロリとだまされたりと、案外誤った判断をしているところがある。完璧ではなく欠点もあり、しかも誤りに気づいたときは潔くそれを認める誠実さを持った女性として描かれていることも、彼女の人物造形に深みを与えている。

  次回はシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を取り上げます。

2006年1月21日 (土)

イギリス小説を読む① キーワーズ

SD-cut-mo3-07  昔まだパソコンではなくワープロを使っていた頃(ほんの3、4年ほど前までワープロを使っていたのです)のフロッピーを整理していたら、懐かしい原稿が出てきました。ある事情があって書いていたものですが、捨てるのには惜しい。そこで映画を観なかった日の埋め草にすることを思いつき、パソコンに取り込みました。
 イギリス小説の単なる紹介記事で、大した内容ではありません。ただ最近でも「オリバー・ツイスト」や「プライドと偏見」などイギリス小説の映画化は連綿と続いていますので、何かの参考にはなるでしょう。毎週1作を取り上げていたので、当時は非常につらかった。単行本を1週間で1冊読み上げ(もちろん翻訳です)、おまけに紹介文まで書いていたのだから当然ですが。幅広い人に読んでいただけたら当時の苦労も報われます。

【ヴィクトリア時代】
・ヴィクトリア時代(1837-1901)
  ヴィクトリア女王はわずか18歳で即位。英国史上最も輝かしい栄光の時代。

ヴィクトリア時代とは、いうまでもなくヴィクトリア女王が在位した時代のことで、1837年から1901年までの65年間を指す。ヴィクトリア初期(1837-50)、ヴィクトリア中期(1850-70年代)、ヴィクトリア後期(1870年代ー1901)の三期に分けて考えるのが一般的である。
 19世紀のイギリス史は、1870年代を境に大きく二分して考えることができる。1870年代以前は、世界に先駆けて産業革命をなしとげた工業国イギリスが世界の霸者となる躍進期であり、1870年代以降は、いわゆる「帝国主義」の時代で、それ以前が躍進期であるのなら、この時期は、イギリスの今日にまでいたる後退期の始まりであった。
 従来の通説は、産業革命の進展とそれにもとづくブルジョワ階級の発展を歴史叙述の機軸としていたが、その場合ややもすれば、ブルジョワ階級の経済力の増大をそのままかれらの政治支配権の増大と同一視する傾向があった。しかしながら、このさい、われわれもまたはっきり留意しておかなければならないのは、第一次選挙法改正と穀物法撤廃という画期的事件のあとに到来した1850-70年代のヴィクトリア中期においてさえも、上下両院をはじめとする全イギリスの政治機構は、なお地主階級によってほぼ完全に掌握されていたという事実であって・・・政治的な支配体制という見地からすれば、1870年代までイギリスは地主階級による貴族政の国家だった・・・。

 1832年の選挙法改正と1846年の穀物法廃止の最たる史的意義が、それぞれブルジョア階級への参政権付与と自由貿易の実質的な確立にあることはすでに周知のところである。
 一方労働者階級の運動についてみれば、まず19世紀の前半はまさしくイギリス労働者階級の英雄時代であった。ラダイト運動、オーエン主義、労働組合主義、政治的チャーティズムと様々な運動が起こったが、伝統的な地主・貴族階級がブルジョワ階級と手を結んだとき、これと対抗するのには結局のところあまりにも非力であった。したがって、ピータールー事件に始まり、第一次選挙法改正の運動、全国労働組合大連合をへて新救貧法反対闘争からチャーティズムへといたる敗北の歴史は、労働運動の歴史は、これを遺憾なく物語っているといえる。
   参考文献:村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)

 世界に先がけて産業革命を経験したイギリスは、その後は他国の追随をゆるさない繁栄の時代を迎える。しかもその発展は、これを経済史的に見れば、直線的に行われたわけではけっしてなく、1825年の恐慌以後は、ほぼ10年の周期をもって規則正しくくりかえされた景気循環過程(好況→恐慌→不況)を通じて、中断をともないながら螺旋的に行われた。...ところが、70年代になると、「世界の工場」としてのイギリスの地位に、かげりが見えはじめる。遅れて世界市場に登場したドイツやアメリカの工業生産力が、非自由主義的なカルテルやトラストの組織を背景として飛躍的に発展し、イギリスは守勢に立たざるをえなくなったからである。資本主義の世界史的発展段階としては、1873年から20年以上にわたる「大不況」期を過渡期として、自由主義段階と帝国主義段階とに区分する理由がここにある。
 50年代は、ロンドン万国博覧会に象徴されるように繁栄の時代であるが、この時代の底辺の労働者の実態は、H.メイヒューの『ロンドンの労働とロンドンの貧困』と、その中に含まれている数多くのイラストによって、余すところなく描き尽くされている。
  イギリスが、チャーチズムの荒れ狂った「飢餓の40年代」を脱し、ヴィクトリア朝の繁栄とパックス・ブリタニカを本格的に謳歌するのは50年代に入ってからである。他国を農業国とする国際分業体制の下で、文字通り「世界の工場」として君臨してきたイギリスが、ユニオン・ジャックの国旗の威力を世界に誇示する晴れの舞台、それが1851年にハイド・パークで開催されたロンドン万国博覧会であった。そして、その会場でイギリスの威光を何よりも雄弁に物語っていたのが、当時の科学技術の粋を集めて建設された鉄枠総ガラス張りのクリスタル・パレス(水晶宮)であった。
 パビリオンとなった水晶宮は、全長560メートル、幅120メートル、高さ30メートル、建築面積7万平方メートルという巨大な建造物であった。  万博の入場料は、「二つの国民」の存在を数字の上で示した。定期券所有者と金曜日(2シリング半)土曜日(5シリング)の入場者延べ160万人は、上・中流階級の人々であったことはまちがいない。しかし、入場者の大半は、1シリング入場券の見学者で、しかもその中には、地方から往復割り引き切符を手に会場を訪れた団体客もかなり含まれていた。1830年に開業した鉄道も、その後の20年間で、イギリス全土を文字通り網の目のように覆っていた。これに目をつけた旅行業者T.クックや鉄道会社が、こぞって割安の観光切符を発売したり、団体旅行を請け負ったことが、すでに述べたように、「1シリング・デイ」の入場者数を膨らませたもう一つの理由であったわけだ。
 ロンドン万博を契機に大衆化したものは、観光旅行だけにとどまらなかった。...40年代初頭『パンチ』と『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』というヴィクトリア朝期を特徴づける大衆向け娯楽週刊誌が創刊されていたが、両誌を含めたマス・メディアは毎号、万博の話題を盛り込んで、万博熱を高めるのに寄与していた。
   長島伸一『世紀末までの大英帝国』(法政大学出版局)

【階級社会/ジェントルマン/ジェントリー】
  会田雄治の「アーロン収容所」に、174センチの彼より長身の英軍下士卒は少なく(そのうえ単純な計算が苦手で、満足に英語を綴れぬものもいた)、一方彼より背の低い将校はまれで、体格はみな立派だったという記述がある。イギリスがいかに画然とした階級社会であるかがよく分かる。階級はイギリスを読み解く上で欠かせないキーワードである。以下に関連の引用を示す。

  この史上最初の「消費革命」の一特徴は、中流階級に虚栄の生活態度を抜きがたく植えつけてしまったことで、かれらの社会は、まさにサッカレイのいう『虚栄の市』となった。かれらの生活目標は、一段階上のジェントルマンで、年々の消費の増大は、「ジェントルマンの体面を獲得するのに必要な道具立て」を、年収の増加に応じて順次購入していくという形で顕現した。19世紀を通じて増大しつづけた馬車と召使の数値は、その端的な現れであったし、また地位向上と体面維持のための経済膨張は、多面での節約を余儀なくさせ、かくして結婚の延期と家族計画が中流階級の習慣となって定着した。
  ジェントルマンとは、・・・ イギリスに特有な有閑階級のことなのであって、19世紀の前半には、ジェントルマン、ノン・ジェントルマンの区別は、なおすぐれて支配、被支配の区別に対応するものであった。だが、ジェントルマンをジェントルマンたらしめるのは、支配という要素だけではない。おそらくより重要であったのはジェントルマンの教養で、この点でパブリック・スクールとオックスブリッジが大きな意味をもつ。
  ジェントルマンになるためには、...ジェントリ=地主になるか、ジェントルマン教育コースに学ぶか(そしてその後、たいていはジェントルマンのプロフェッションにつく)のいずれかしか道はなかったことになる。ところが幸い、16世紀以来のイギリス社会は「開かれた貴族制」で、ここから中流階級のジェントリ=地主ないしジェントルマンをめざす社会移動の問題が生まれた。そしてこの問題が、なかんずく大きな史的意義を持ったのは、19世紀、わけてもジェントルマン化意識が、いうなれば大量現象として、中流階級のエートス[時代風潮]と化した19世紀中葉においてであった。
   村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)

 上流階級は、さらに貴族階級、ジェントリー、そして地主階級ないしは労働の必要のない自立紳士階級の3種に分けることができる。貴族階級とは、1万エーカー(約18平方マイル)をこえる私有地をもつ大地主から成っていて、彼らは大部分がいわゆる爵位貴族階級に属していた。年間1万ポンドを上まわる収入を産み出す資産をもち、絶大な権力を備えたこの一握りのグループの数は、3百世帯から4百世帯程度であった。彼らの下に、1千から1万エーカーまでの私有地をもつ、やや小規模の土地所有者から成るジェントリーがいた。このジェントリーの年収は1千ポンドから1万ポンド。そして彼らは約3千世帯を形成していた。    
  J.P.ブラウン『19世紀イギリスの小説と社会事情』(英宝社、昭和62年)

  「わたくしずっと以前から堅く信じておりますけれど、実際どんな職業でもそれぞれに無くてはならないもの、尊いものでございますけど、まあいつまでも達者でいられるというしあわせは、職業に就かないですむ方、時間も勝手に使え、自分の好きな事ができ、財産で食べていけ、お金を殖やそうと齷齪しないですむ方、まったくそういう方だけに恵まれた運でございますわ。そういう方以外には、どんな方面の人でも、そろそろ若さを失いかける時分には、どうしたって幾分器量が落ちてまいりますわ。」(ウォールター卿に対するクレイ夫人の言葉)
   ジェーン・オースティン『説き伏せられて』(岩波書店)p.33

SD-fai2-09【家庭の天使】
 かつて理想とされた良妻賢母型の理想的主婦像。以下の引用参照。

 良妻賢母の理想像の背後には、言うまでもなく、男は公領域(=職場)、女は私領域(=家庭)という性別分業がある。工業化の進展が家庭と職場の完全な分離をもたらしたなかで、男には生活の糧を得るために家の外で経済活動に従事することが、女には良き妻、賢い母として家庭を安らぎの場とすることが、それぞれ期待されていたのだ。つまり、家庭は激烈な生存競争の場たる職場からの避難所、安らぎと憩いの聖域として位置づけられ、女はそこで生存競争の闘いに傷ついて戻る男を迎え、その傷を癒し、男の魂を清める天使の役割を割りふられていたのである。ということは、男性領域たる職場と女性領域たる家庭が相携えて産業資本に基づく社会の歯車を円滑に回転させていたということであろう。<家庭の天使>とは、端的に言って、イギリス産業資本がその支配権確立の一環として制度化した「理想の女性」にほかならないのである。
 本書が対象とする家庭は、さまざまな例から見ておおよそ中産階級の中流以上と言ってよかろう。女主人は、料理や育児に直接手を下すことを期待されていない。代わりに、指示を与える職務上、家政のすべての面にわたる知識が要求されているのだ。
 まず指摘したいことは、女性の使命が娘・妻・母という三つの性役割においてとらえられていることだ。  次は、女性が男性に劣る存在としてはっきりと規定されていることだ。つまり、女性は、個人的才能はどうであれ、女性という性に属するだけで、問題なく男性に劣る存在なのである。エリス夫人は『イギリスの妻たち』において、「あなたのほうが夫に比してより才能があり、より学識があり、人びとからより高く評価されているかもしれません。ですが、そうしたことは女性としてのあなたの地位となんら関係がないのです。女性の地位は夫の男性としての地位に劣るものであり、かつ劣るものでなければならないのです」と説き、したがって「妻は、夫がどんな愚かなことをしようと、夫を尊敬しなければなりません。妻となったからには、その男より劣った立場になったのですから」と諭し、続く『イギリスの娘たち』においても「女にとってまず重要なことは、男に劣っていること--体力において劣っているのと同じ程度に知力においても劣っていること--を甘んじて受け入れることです」と男女の優劣関係をくり返し強調している。                
  川本静子「清く正しく優しく--手引き書の中の<家庭の天使>像」
   『英国文化の世紀3 女王陛下の時代』(研究社出版、1996年)所収

【性のダブル・スタンダード】
 女性に厳しく、男に甘い性の二重基準のこと。以下の引用参照。

 このことは、言い換えればダブル・スタンダードの程度がはなはだしい社会ほど、一方で強調される女性の貞淑さと男性への従属とのバランスをとるために、もう一方で売春行為とそれを行う女たちを必要とする社会だということになる。そしてヴィクトリア朝のイギリスは、まさしくそうした社会の一つであった。たとえばこの時代、夫婦のうち妻に一度でも不貞行為があった場合、夫はまちがいなく離婚が認められたが、夫が同じような行為をしたという理由で妻からの離婚請求が認められることは滅多になかった。妻は夫から不貞だけでなく、重婚や虐待、遺棄、近親姦、強姦、その他の「離婚理由として十分な」被害をこうむったことを立証しなければならなかったのである。こうした態度の背景には、妻は夫の所有物であるという観念とともに、男の性欲は強くて制御が難しいのに対し、女の場合には「まともな女性」であればそのような欲求は感じるはずはないという考え方が存在していた。
 当時のイギリスにはその一方で、男女ともに厳しい性的モラルを要求し、婚姻外でのすべての性関係をゆるすべからざることとみなす考え方も存在していた。これはピューリタンの伝統とともに、中流階級の勃興とも関係があった。新興ブルジョアジーは、富裕だが淫蕩な上流階級の生活とも、貧しい下層階級の性的無秩序(と彼らが考えたもの)とも異なる高い道徳性やリスペクタビリティを、自分たちの階級的アイデンティティのよりどころとしていたのである。もちろんこれにはつねに、悪名高いヴィクトリア朝風お上品ぶりや、表面だけをとり繕った欺瞞という側面が伴っていたのでもあるが。
   荻野美穂「「堕ちた女たち」--虚構と実像」 、  『英国文化の世紀4 民衆の文化
  誌』 (研究社出版、1996年)所収

【余った女】
 女あまりの時代に結婚できない女はこう呼ばれた。以下引用。

  中産階級女性の有閑生活は、父親から夫への扶養者交代の歯車が順調に回転してこそ可能であり、この歯車の回転がいったん滞れば、たちどころに崩れてしまうことは誰の目にも明らかだろう。事実、19世紀の40年代頃から、この歯車は男女の数のアンバランスによってスムーズに回転しなくなったのである。男女数の不均衡は、本文で触れるとおり、①男女の死亡率の相違、②海外移住に関する両性間の相違、③上流および中流階級男性の晩婚の傾向など、主として三つの原因に由来するが、とにかく、適齢期の女の数に見合うだけの適齢期の男の数が大幅に不足したのだ。その結果、夫を見つけられない女--俗にいう<余った女>--が世紀の半ば以降、大量に出現したのである。
 かつてないほど大量の未婚女性がガヴァネスの職を求めて殺到するとなれば、これまた需要と供給のアンバランスから、労働条件の悪化を招くことは当然の成り行きだろう。19世紀の「女性問題」は、中流階級の女性に関するかぎり、ひとえに困窮したレディの問題に他ならないが、それは事実上「ガヴァネス問題」という形であらわれたのだった。
   川本静子『ガヴァネス』(中公新書、1994年)

【ガヴァネス】
 上流家庭の子供を住み込みで教える女性家庭教師のこと。彼女自身出身は中流の上層か上流であるが、親が財産をなくしたり女性であるがゆえに財産を相続できなかった女性が収入を得る唯一の手段。

 18世紀には娘たちを寄宿学校に入れるのが広く流行したが、寄宿学校では健康についての配慮がほとんどなされず、結核にかかって死ぬ者が少なくなかったという。こうしたことから、裕福な親たちは娘たちを学校にやらず、ガヴァネスをおいて家で教育を受けさせようとした。この時代のガヴァネスは、ヴィクトリア時代とはちがって、敬意をもって扱われたらしい。ガヴァネスに無礼な態度をとることはマナーにかけると見なされていたし、女性作家マライア・エッジワース(1767-1849)も「私の育った頃にはガヴァネスは上級の雇い人としてではなく、レディとして扱われました」と言っている。
  上流階級の家でガヴァネスを雇うことが慣行となったのはチューダー王朝期以降だったが、摂政時代(1811-20)になると裕福な中産階級もガヴァネスを雇うようになった。この頃、女性作家ジェイン・オースティン(1775-1817)の作品『エマ』(1816)に登場するミス・テイラーのように、恵まれたガヴァネスがいたことも確かだが、一般にガヴァネスの扱いに変化がでてくるのはこのあたりかららしい。
 ヴィクトリア時代におけるガヴァネスの定義だが、これはレディ・イーストレイクが有名なエッセイ「『虚栄の市』、『ジェイン・エア』およびガヴァネス互恵協会」(『クォータリー・レヴュー』1848年12月)の中で次のように明確な定義を与えている。

  ガヴァネスの真の定義は、イギリスでは、生まれ、振る舞い、教育の点で私たちと対等であるものの、財産の点で私たちに劣る人のことである。生まれも育ちも、言葉のあらゆる意味において、レディである人を例にとろう。彼女の父親が失職したとしよう。すると、このご婦人は、私たちが子どもたちの教育者として考えている最高の理想像にぴったりというわけだ。ガヴァネスという収穫を刈り取るには、何人かの父親が軽はずみ、浪費、誤り、罪などを犯すことによって種をまいておいてくれる必要があるのだ。このように同胞の不幸によって供給される仕組みになっている雇用労働者は、他に類がない。

  つまり、ガヴァネスとは、一言で言えば、生計の資を得るために教師として働くレディというわけである。
 19世紀中葉以降ガヴァネスの数が増え続けた最大の原因は、女性の数の過剰である。ヴィクトリア時代の女性について少しでも学んだ者は、1851年のセンサスによって明らかになった事実、すなわち、女性の総数が男性のそれに約51万人以上上回ることを知っていよう。
 当時レディにとって恥ずかしくないと見なされた唯一の職業はガヴァネスだったので、自活の必要に迫られたレディたちがきまってガヴァネスの仕事を求めたのは、論理の当然の帰結だったのである。それに加えて、商人や農場経営者の娘たちが社会的上昇の手段としてガヴァネス職を選んだことも、ガヴァネス人口の供給源の一つとなっていた。
   川本静子『ガヴァネス』(中公新書、1994年)

【付録 イギリス歴史・社会・文化用語解説】

■チャーチスト運動(Chartism)
 1838年から58年にかけての労働者階級による議会改革運動。1838年ロンドン労働者協会は、男子普通選挙権、無記名秘密投票、議員への歳費支給、財産による議員資格制限の撤廃、選挙区の均等有権者数制、議会の毎年開会の6項目を掲げて議会改革を呼びかけた。まもなくこの6項目は人民憲章(People's Charter)として公表された。そのためこの運動はチャーチズム、運動参加者はチャーチストと呼ばれた。請願は再三拒否され、結局直接成果は挙げられなかった。この運動は1832年の第一次選挙法改正で参政権を与えられなかった労働者が参政権を求めたものであるが、中産層の支持を得られなかったために収束していった。

■ピータールー虐殺事件(Peterloo Masacre)
 1819年8月16日、マンチェスターのセント・ピーター広場で起こった、官憲による民衆運動弾圧事件。集まった5万人の群集を前に弁士が演説を始めたとき、軽騎兵が抜刀して群集に襲いかかった。11人が死亡、400人以上が重軽傷を負った。

■ラッダイト(Luddites)
 19世紀初め、機会破壊運動を起こした手工業者や労働者たち。彼らは、ナポレオン戦争による困窮の原因を産業革命によって機械が導入され、省力化が進められたことにあると信じ、集団で工場や製造所を襲撃し、機械を破壊した。運動は1811年から翌年にかけ、中部や北部の繊維工場地帯で起こり、広まった。政府は軍隊を投入して厳しく弾圧した。

■ロバート・オーエン(Robert Owen, 1771-1858)
 イギリスの社会主義者、社会改革家。1799年ニューラナークの紡績工場を買い取り、この工場で人道的な工場管理により効果を上げて、世間の注目を浴びた。1825年アメリカに渡り、ニューハーモニー共同社会を建設したが、失敗に終わった。33年には労働組合を結成して全国労働者組合大連合を成立させ、議長になった。しかし、1~2年で瓦解した。晩年は財産も使い果たし心霊主義者になった。

■改正救貧法(Poor Law Amendment Act)
 1834年に制定された救貧法。これにより、院外救済は廃止され、救済対象の貧民はすべて強制的に救貧院に収容して働かせることになった。怠け者への懲罰の意味を含めるため、救貧院の居住条件は最悪とされ、拘置所と大差ないものになった。

■選挙法改正(Reform Act)
◇「第1次選挙法改正」1832年。
 選挙区の合理化と選挙権の拡大が図られた。これまで議員選挙権をもたなかった新興都市に議席が与えられた。新たに富裕層、地方商人、新興工場主など、中産階級の上層、中層部にまで選挙権が拡大した。

◇「第2次選挙法改正」1867年
 この改正で都市の一般市民や工場労働者にまで選挙権が広まった。また第1次改正後も残っていた腐敗選挙区などの統廃合が行われた。

 次回は「プライドと偏見」の原作『高慢と偏見』を取り上げます。