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2026年9月12日 (土)

酷暑日より熱かった夏

 2026年7月22日の市民劇場例会で「あの夏の絵」(青年劇場)を観劇した。これは素晴らしい傑作だった。原爆のことなど何の関心もなかった高校生たちが語り部たちの話を聞いてその絵を描く。そんなストーリーだというところまでは知っていた。しかしチラシのような砂浜と青い空、イーゼルに架けられた画板を描いた明るい絵がどう原爆とつながるのか、芝居を見るまでずっと疑問だった。原爆投下後の惨状とあの明るい絵がどうつながるのか?

 

 劇を見て納得。なるほど、湾を挟んだところから10キロほど先のキノコ雲を見たという証言に基づく絵だったのか。だからチラシのような明るい絵になるんだ。ただしチラシの絵には大きな入道雲は描かれているが、キノコ雲は描かれてない。チラシにきのこ雲を描かなかった理由はもう説明不要だろう。

 

 語り部たちの話を聞いて絵を描いた高校生は三人いる。では他の高校生二人は何を描いたのか。一人が描いたのは、ちらっと片目の視線があったように感じたが、近寄ると座り込んだまま死んでいた人の絵。残りの一人は、学校の教室に横たわった人々の中に父親を発見したときの絵。3人の高校生が描いたのは、語り部の話を聞いて一番印象に残った場面にテーマを絞り、出来る限り当時のままを再現しようと努力して描きあげた絵だった。周りに広がる地獄絵を描くのではなく、ある一点、ある一瞬を切り取った絵。そういう設定にしたことに感銘を受けた。

 

 <原爆を知らない世代ミーツ原爆の語り部>という状況設定。こうの史代原作の「夕凪の街 桜の国」に通じるテーマ。今の時代にはこういう話の方が入り込みやすいのかも。実際、新藤兼人監督の「原爆の子」(1952)や関川秀雄監督の「ひろしま」(1953)など、原爆投下直後を描いた映画は今一つ胸に響かなかった気がする。どうも原爆がもたらした地獄絵図にリアリティーをあまり感じないからだろう。CGでも使えばもっとリアルになるかもしれないが、そもそもあの惨状を完全に再現するのは不可能だろう。実際、原爆関係の作品で優れていると思うのは原爆の被害の悲惨さや壮絶さそのものではなく、自分だけが生き残った心の痛みや、原爆症で苦しんだり差別されたりする問題に焦点を当てる作品だ。例えば黒木和雄監督の「父と暮らせば」は前者、今村昌平監督の「黒い雨」(1989)は後者の代表例である。井上ひさし原作の「父と暮らせば」は芝居も見たが、映画版の方がはるかに優れていると思った。「黒い雨」は映画の出来としては今一つだと思ったが、後者のタイプの代表作であることは確かだ。
 
 こうの史代の漫画を映画化した2本の作品はどちらも傑作だった。一つは先に挙げた佐々部清監督「夕凪の街 桜の国」(2007)。「あの夏の絵」のように原爆を知らない世代の感覚を通して原爆を描いた。もう一つのアニメ映画、片渕須直監督の「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019)も傑作だった。これらの作品に共通しているのはどれも戦闘場面や原爆投下後の地獄絵図などを直接描いていないことだ。

 

 原爆投下後の地獄絵図を描かないという点で際立ってユニークなのは黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」(1988)である。この映画は原爆投下の前日から原爆が投下される瞬間までを描いた。つまり人々が死んでいったことではなくその直前まで生きて日常の生活を行っていたことを描いた。死の苦しみや悲しみを描くのではなく、死が奪うまでの生を描く。戦時下で物不足、食糧不足であっても人々は結婚式を挙げ、子供を産み、縫い物や炊事をしている。若者は恋をし、子供たちは木登りをしたり魚を取ったりして遊んでいる。観ているわれわれはそんな彼らに明日がないことを知っているだけに、「明日仕事が引けた後、待ち合わせて一緒に寺町を歩いてみよう」などという言葉に胸がちくちく痛む。「じゃあまた明日ね」といって人々は別れてゆく。だが彼らに明日は来なかった。

 

 別に丸木位里・丸木俊夫妻による有名な「原爆の図」などを否定するつもりはない。峠三吉の『原爆詩集』も重要な遺産である。あの時どんな惨状があったのかをリアルに残すことは、語り部の存在同様大事なことだ。学生時代に読んだ大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』(1965、岩波新書)も感動的だった。中沢啓治の『はだしのゲン』はそれが置いてある食堂に通い詰めて読み切った(食事に行ったのか『はだしのゲン』を読みに行ったのか分からないくらい夢中で読みふけった)。

 

 様々な切り口や語り口があって良い。ピカソの「ゲルニカ」は生々しさをむしろはぎとるように白黒で描き、怒りや悲しみを遮断したような抽象的な描き方をあえてした。それでいてとてつもない訴える力を持つ。しかしこれはピカソだからなしえたもので、むしろ例外と考えるべきか。ともかく、戦争や原爆の記憶が生々しく残っていた時代の作品に生々しい描き方のものが多く、戦争や原爆が遠い昔になった2000年代の作品に原爆を間接的に描くものが多いのはある意味で当然のことだ。カズオ・イシグロ原作の「遠い山なみの光」(2025年、石川慶監督)は長崎の原爆が重要なテーマになっている。ミステリー映画の作りだが、明らかになってゆくのは主人公の母が過去に体験した出来事だった。

 

 外国映画にも原爆を扱った優れた作品がある。スティーブン・オカザキ監督の「ヒロシマナガサキ」(2007、アメリカ)は監督自身が日本で14人の被爆者を含む500人以上の人に会い、取材を重ねた。「私たちはせっかく生き残っても、人間らしく死ぬことも人間らしく生きることも出来ませんでした。」下平作江氏の言葉は他にも引用したいものがたくさんある。貴重な記録映像や資料よりも、こういう生きた言葉が記憶に残る。

 

 ケヴィン・ラファティ&ジェーン・ローダー監督のドキュメンタリー映画「アトミック・カフェ」(1982、アメリカ)は、元々原爆がいかに安全であるか、害のないものであるかを説いたものだった。それを編集し直してアメリカの政府や軍部が国民にいかに嘘をつき騙して来たかを逆に実証するニシカルなパロディー映画に仕立て上げた。

 

 これらの映画に比べると、アカデミー賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」(2023)は作る側の視点があいまいで、オッペンハイマーの内的葛藤が今一つよく描かれていないと感じた。正直言ってこの映画を観るより、現在朝日新聞に「語るー人生の贈りものー」シリーズの一環として連載されている切明千枝子氏の被爆者体験証言の方がはるかに胸に迫ってくる。

 

 切明さんの妹は原爆が投下された当時広島の第二高等女学校の2年生だった。その日、2年生は東組と西組に分かれて作業をしていた。妹のいた東組は爆心地から2キロ離れたイモ畑で作業をしており、西組は爆心地から1キロ離れた市役所裏手にいた。西組はほぼ全滅。一人だけ助かったが、わずか37歳で癌でで亡くなった。西組と東組はじゃんけんをして作業場を選んだらしい。上級生である切明千枝子さんたちは誰がじゃんけんをしたのかとよく話題にした。切明千枝子さんが80歳を超えたころ、そのじゃんけんをしたのが自分の妹だと知った。同級生たちは知っていたのだが、知らないふりをしていたのである。びっくりして「あんんただったん?」と妹に聞いたら、妹はぽろぽろと涙を流して泣き出したという。生き残ったのが申し訳ないと。この連載を読みながら、僕たちもまた「あの夏の絵」の高校生と同じ体験をしているのである。

 

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