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2026年4月23日 (木)

ケン・ローチ監督作品の理解のために

<はじめに>
 4月24日にケン・ローチ監督の最新作「オールド・オーク」が公開される。ちょうどいい機会なのでケン・ローチ監督についての短い紹介文を載せます。この文章は昨年の「うえだ城下町映画祭」で『リフ・ラフ』を上映した際に、「リフ・ラフの理解のために」というタイトルで書いたチラシが元になっています。手違いで段落の頭が1文字下がっていなかったり、ある作品の監督名が間違っていたりしていたので、いつか機会があれば改訂版を発表したいと思っていた次第。
 この改訂版はタイトルを替え、細かい記述をいくつか付け加えています。さらに先日発見した、1984年の炭鉱ストを描いた「刑事シンクレア シャーウッドの事件」(2022)というイギリスBBC制作のドラマについての短い紹介文を最後に付け加えてあります。

 

ケン・ローチ監督
 BBCで優れたドキュメンタリーを制作していたケン・ローチ監督の映画第1作である『夜空に星のあるように』(1968)は1968年に日本公開された。1993年公開の『リフ・ラフ』(1991)は日本での劇場公開2作目となる。25年も間が空いてしまったが、その間に『ケス』(1969年、96年公開)や『石炭の値打ち』(1977)、『ファーザーランド』(1986)などが制作されている。それまでは知る人ぞ知る存在だったわけだが、『リフ・ラフ』の公開が閉じられていた門をこじ開けたようだ。90年代には次々にケン・ローチ監督作品が公開されていった。『ケス』、『レイニング・ストーンズ』(1993)、『レディバード・レディバード』(1994)、『カルラの歌』(1996年)、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』(1999)。こうしてケン・ローチ監督は90年代イギリスを代表する監督の一人となった。

 ケン・ローチ監督の『レイニング・ストーンズ』に印象的な場面がある。ドラッグのことでもめている若者たちの姿を少し離れた所から眺めながら、主人公のボブが義理の父ジミーに訊く。彼らはこの先どうなるのかと。その問いに対してジミーはこう答えた。「数人は更生するさ。だが残りの大多数の運命は悲惨だよ。仕事もない、希望もない。あるのは犯罪、酒、薬(ドラッグ)だけ。家族もない。住んでる所も最低だ。貧乏人同士足を引っ張り合う。」

 ケン・ローチ監督は一貫して、虐げられ下積みにされた人々に共感をこめて描いてきた。職もなく、金もなく、人間としての尊厳も奪われている人々。そういった人々の苦境を描きながら、その一方で彼らから金と権利を奪ってゆく連中の非情さもカメラに収める。悩み苦しみ時に暴走する人々を描くことにケン・ローチの関心があるが、それはしばしば政治性を帯びる。なぜなら人々に苦しみをもたらしているのが政治の歪みだからである。絶望的状況から這い上がろうとする人々の苦闘と悲哀を冷徹な視線で描き出し、かつその人々に熱い人間的共感を寄せる。今年の映画祭で上映される『リフ・ラフ』はまさにケン・ローチ監督の特徴がよく表れている作品である。

 90年代に活躍したのはケン・ローチ監督ばかりではない。70年代にどん底に落ちたイギリス映画は、80年代に『炎のランナー』(1981/ヒュー・ハドソン )や『マイ・ビューティフル・ランドレット』(1985/スティーヴン・フリアーズ ) の成功でやや持ち直した。完全復活したのは1990年にサッチャー政権が退陣してからである。90年代(特に90年代後半)にイギリス映画が息を吹き返したのはある意味でサッチャー政権のおかげであり、80年代の経験を客観的にとらえ直し、作品として結実させるのに4、5年かかったということである。では、80年代のサッチャー政権時代とはどのような時代だったのだろうか。

 

80年代はサッチャーの時代:福祉国家から新自由主義への転換
 かつて大英帝国として世界に君臨した英国も20世紀に入りかつての勢いを失う。二つの世界大戦で疲弊し、揺らぎ始めた国家を下支えするために、イギリスは世界初の福祉国家の道を選択する。第2次世界大戦後のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに、医療費の無料化、雇用保険、救貧制度、公営住宅の建設などの体系的な社会保障制度を充実させた福祉国家を建設していった。これによってイギリス国民は最低限の生活が保障されていた。

 しかし1970年代のオイルショックを契機にして、低成長、経済停滞、インフレと高失業率というスタグフレーションに悩まされ、長期低落の傾向から抜け出せなくなる。いわゆる「英国病」だ。この傾いた英国を立て直すために1979年に登場したのが「鉄の女」マーガレット・サッチャー率いる保守党政権である。サッチャー首相は79年から90年まで政権を維持した。つまり80年代のイギリスはまるまるサッチャーの時代なのである。サッチャー率いる保守党は、福祉国家の理想、大きな政府の可能性を放棄した。福祉政策は国家に頼る体質を人々に植えつけ、労働意欲をそいでいるとサッチャーは批判し、自助、独立の精神、努力、倹約、勤勉こそが人間の美徳だと主張した。つまり国は援助を減らすので、国に頼らず自分で努力しろという方向に切り替えたのである。

 こうしてサッチャーは社会保障を次々に削り取り、市場原理を導入し民営化、規制緩和を行った。競争意識が高まることによって経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延し、弱者は切り捨てられることになった。要するに、サッチャー首相は「英国病」で苦しむ英国を今でいう新自由主義路線に切り替えることで立て直そうとしたのである。その結果経済は上向きになったが、富める者と貧しき者との格差はさらに拡大した。
 
 競争意識が高まることによってイギリスは表面上確かに豊かになったが、その一方でアメリカ的な消費生活が急速に拡大し、金の有無だけがその人間関係を決定する社会に変貌していった。つまり新自由主義が生み出したのは弱肉強食の社会なのである。上昇志向の個人が他人を踏みにじって這いあがろうとする風潮を生み、そのあおりでかつてのコミュニティという人のつながりは解体されてゆく。這い上がる余地のない失業者や社会の最底辺にいる者たちは、出口のない閉塞した社会の中に捕らわれて抜け出せない。巷には失業者やホームレスがあふれ、麻薬、犯罪が蔓延していた。社会が人々を外から蝕(むしば)み、酒とドラッグが中から蝕んでゆく。

 

90年代以降のイギリス映画の流れ
 2015年に『パレードへようこそ』(2014/マシュー・ウォーチャス)といういかにもイギリスらしいブラックなひねりが効いた映画が公開された。スト中の炭鉱組合の事務所にある日ぜひ組合を応援したいのでカンパを持って訪ねたいとの電話が入る。何だかよく分からなかったが、ともかく応援してくれるというのだから歓迎することにした。スト仲間からどういう団体だと訊かれ、LGSMとかいう団体だが、たぶん最初のLはロンドンの頭文字だろう、ロンドンにある何かの団体だと思うといういい加減な返事。

 しかし当日事務所に現れたのは珍妙な格好の怪しげな団体だった。LGSMは「Lesbians and Gays Support the Miners(炭鉱労働者を支援するレズビアンとゲイ)」の略称だった。唖然とした組合員たちは応援を最初断るが、珍妙な団体は国から虐げられているのはお互い同じでしょうと言っていつまでも居座る。一見相いれない二つの団体はいつの間にか深い連帯で結ばれる。
 
 ケン・ローチ監督的テーマに『キンキー・ブーツ』(2005/ジュリアン・ジャロルド) のひねりを付け加えたような映画。驚くべきことに、この映画は実話に基づいている。この炭鉱ストは『リトル・ダンサー』(2000/スティーブン・ダルドリー ) や『ブラス!』(1996/マーク・ハーマン) にも描かれている。そしてこのストこそ、80年代のサッチャー政権時代を象徴する出来事だったのである。イギリス世論を二分したこのストライキは1984年4月から85年3月まで丸1年間続いた大闘争だった。福祉国家をアメリカの様な競争社会に作り変えたいサッチャー政権が乗り越えなければならなかった最大の障害、それが強大な労働組合だった。中でもアーサー・スカーギル率いるイギリスの炭坑労組は当時最強を誇った組合だった。サッチャーは最後には警察力まで動員し、炭鉱ストは結局組合側の敗北で終わる。このストこそイギリス社会の大きなターニング・ポイントになったのである。組合の敗北に勢いを得てサッチャー政権は労働争議への国家介入、警察の権限の強化、福祉・教育への公共支出の削減、国営産業の民営化、地方自治の弱体化等を次々と推し進めていった。

 90年代のイギリス映画の多くが試みたのはこのサッチャーの80年代が遺した負の遺産と真摯に向き合うことだった。90年代のイギリス映画には80年代のイギリス映画にあまりなかった明るさや前向きのエネルギーが感じられる。しかし『フル・モンティ』(1997/ピーター・カッタネオ) や『ブラス!』や『リトル・ダンサー』などの明るい前向きのイメージを持った映画でも、それらの映画の明るさの裏には失業、貧困、犯罪などの現実がある。

 90年代以降のイギリス映画は大きく4つの系統に分けられるだろう。一つは『ウェールズの山』(1996/クリストファー・マンガー )、『ブラス!』、『フル・モンティ』(1997/ピーター・カッタネオ)、『リトル・ダンサー』、『グリーン・フィンガーズ』(1996/ジョエル・ハーシュマン )、『ベッカムに恋して』(2002/グリンダ・チャーダ)、『キンキー・ブーツ』、『シャンプー台のむこうに』(2000/パディ・ブレスナック )、『カレンダー・ガールズ』(2003/ナイジェル・コール )などの系統。努力して困難を乗り越え成功を掴むという、明るい元気が出るタイプの映画だ。80年代のサッチャー時代を経て、景気こそ回復したが同時に貧富の差が拡大したイギリスの現状の反映である。映画人は成功をつかんだ人たちよりも、社会の底辺で苦しみのたうつ人々に関心を向ける。上に並べた作品は、絶望の裏返しであるほとんどやけっぱちの楽天主義と、奇想天外な発想で現状を突破しようという前向きの意欲が入り混じった状態から生まれてきた映画たちである。『ミリオンズ』(2004/ダニー・ボイル ) のように、文字通り空から大金が降ってくる映画もこの系統に入るだろう。

 二つ目は『リフ・ラフ』、『レディバード・レディバード』、『ボクと空と麦畑』(1999/リン・ラムジー)、『がんばれリアム』(2000/スティーヴン・フリアーズ )、『人生は、時々晴れ』(2002/マイク・リー)、『マイ・ネーム・イズ・ジョー』、『家族のかたち』(2002/シェーン・メドウス )、『SWEET SIXTEEN』(2002/ケン・ローチ)、『やさしくキスをして』(2004/ケン・ローチ)、『THIS IS ENGLAND』(2006/シェーン・メドウス )、『オレンジと太陽』(2010/ジム・ローチ )、『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016/ケン・ローチ)などの、イギリスの現状をリアルに反映した辛く、厳しく、暗い系統の作品群。

 三つ目の系統は『シャロウ・グレイブ』(1995/ダニー・ボイル)、『トレインスポッティング』(1996/ダニー・ボイル)、『ザ・クリミナル』(1998/ジュリアン・シンプソン )、『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』(1998/ガイ・リッチー)、『ロンドン・ドッグス』(1999/ドミニク・アンシアーノ、レイ・バーディス)、『レイヤー・ケーキ』(2004/マシュー・ヴォーン)、『バンク・ジョブ』(2008/ロジャー・ドナルドソン)、『キング・オブ・シーヴズ』(2018/ジェームズ・マーシュ)などの一連のイギリス版犯罪映画である。

 これらの3つのタイプの映画は、いずれもサッチャー時代に福祉国家から競争国家に路線転換し、アル中や薬中や犯罪がはびこるリトル・アメリカ化したイギリス社会の明と暗の反映である。もちろんこういった作品ばかりではなく、四つ目の系統として『いつか晴れた日に』(1995/アン・リー )、『日蔭のふたり』(1996/マイケル・ウィンターボトム )、『Queen Victoria 至上の恋』(1997/ジョン・マッデン)、『エリザベス』(1998/シェカール・カプール)、『アイリス』(2001/リチャード・エアー)、『プライドと偏見』(2005/ジョー・ライト)、『オリバー・ツイスト』(2005/ロマン・ポランスキー)、『クィーン』(2006/スティーヴン・フリアーズ)、『英国王のスピーチ』(2010/トム・フーパー)、『もうひとりのシェイクスピア』(2011/ローランド・エメリッヒ)、『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015/サイモン・カーティス)、『ダンケルク』(2017/クリストファー・ノーラン)、『ウィンストン・チャーチル』(2017/ジョー・ライト)、『ダウントン・アビー』 の劇場版2作(2019/マイケル・エングラー、2022/サイモン・カーティス )などの文芸映画や歴史劇なども作られている。

 

映画が描いたイギリスの現実:不況の中の人間像
 90年代以降のイギリス映画が描いたのはいわば不況の中の人間像、食い詰めた人々の悲喜劇である。90年代のイギリス映画に見られる明るさや前向きのエネルギーは、富める者と貧しき者との格差が広がったイギリス社会で冷や飯を食わされていた負け組の人々が、閉塞状況を前向きに打ち破ろうとして発散するエネルギーである。『レイニング・ストーンズ』に出てくるある神父は「高利貸しなんか、くたばっちまえ」と労働者の様な言葉で罵っているが、むしろそんな神父に人間味を感じてしまう。

 つまり一連の映画の主人公たちは失業したり、スト中であったり、低所得者だったりする場合が多く、その苦しい状況を打ち破るために前向きの意思とエネルギーが必要なのである。失業して食いつめた男たちが一念発起して一夜限りのストリップ興行をやろうとする『フル・モンティ』(「すっぽんぽん」という意味)は、まさにこの時代の典型的なイギリス映画だと言える。

 『マイ・スウィート・シェフィールド』(1998/サム・ミラー )では失業中の男たちが最後にたどり着いたのは鉄塔のペンキ塗りという、誰もやりたがらない危険で命がけの仕事だった。金がなくて思い切った行動に出るのは女も同じ。ヘレン・ミレン主演の『カレンダー・ガールズ』は、教会のベンチを新しくする費用を捻出するために、婦人会が毎年作っているカレンダーに自分たちのヌードを使おうと奮闘する話だ。皆中年以上の女性ばかり。ありえないような話だが、これも実話に基づいている。

 

「1945年の精神」とケン・ローチ作品のバックボーン
 一貫して社会の底辺でもがきながらもたくましく生きようとする人々を描いてきたケン・ローチ監督だが、その彼の一連の作品の底流に流れている精神は何だろうか。それを知る一つの手掛かりになるのがドキュメンタリー作品『1945年の精神』(2013/ケン・ローチ)である。『1945年の精神』とは1945年発足の労働党政権が掲げた「ゆりかごから墓場まで」の社会福祉国家建設を土台から支えた精神である。

 社会主義というと横並びというイメージを持っている人も多いだろうが、むしろ人間的に生きる最低限の保証をするということである。その下支えがあるからこそ、その先に自由がある。映画の冒頭あたり、福祉国家が建設されてゆく中、インタビューを受けた一人の市民が「これで自分たちのやりたいことを自由に選べる」と嬉しそうに語っていた。そう、自由がキー・ワードなのだ。

 ケン・ローチ監督の『この自由な世界で』(2007)という作品がある。その中で彼は食うか食われるかの自由競争原理の下でもがき苦しむアンジーという女性を描いた。アンジーは見るからに悪党という人物ではなく、いくつもの矛盾を抱えた女性だ。葛藤しながらさまざまな段階で彼女は自分の自由意志で次のステップを選択した。彼女がその果てにつかんだ自由。端的に言えば、それは搾取する自由だった。いつの間にか彼女は踏みつけられる側から踏みつける側に回っていた。最後に映る彼女の鋭いハゲタカの様な目つきには哀れみのかけらもうかがえない。

 『この自由な世界で』は新自由主義が行き着く先を描いた映画だと言っていい。英語に次のようなことわざがある。”Devil take the hindmost.”(びりっかすは鬼に食われろ。)これこそまさに自由市場主義の冷徹な論理である。だからその世界はほとんど自由のない世界である。では人々が望む自由はどうすれば手に入るのか。ケン・ローチが生涯問い続け、追い続けてきたのはまさにこの問題である。

 『SWEET SIXTEEN』は、まともな感覚を持ちながらチンピラとしてしか生きられない若者たちと、彼らに這い上がる余地を与えない社会を描いた。『やさしくキスをして』はアイルランド人女性とパキスタン移民2世の男性の恋愛を描いている。女性は白人だが、植民地だったアイルランド出身で宗教もカソリックだ。つまり二人とも少数派である。誰一人悪人は登場しないが、この組み合わせではいたるところで壁に突き当たってしまう。

 『リフ・ラフ』で描かれているのも、やはり自由に手が届かない人々である。主人公スティーヴにはトランクスやソックスを売る仕事がしたいという夢があり、彼が付き合っているスーザンにも歌手で有名になるという夢がある。しかし、家もなくまともな仕事もない状態ではこんなささやかな夢さえ到底叶いそうにないと思えてしまう。二人はボロアパートを不法占拠して仮の住まいとするが、それはネズミと同居しているようなものだった。ネズミがわずかな食べ物を盗み食いするように、スティーヴは建築現場の工具を盗んで売っぱらう。生き抜くためなら何でもやる。この映画のラストにケン・ローチ監督のある作品名をもじってつけるなら、こうなるだろう。「俺はスティーヴ・ローガン 俺は人間だ、ネズミではない」。

 

<付記>
 1984年の炭鉱ストを描いたテレビ・ドラマを発見した。2026年3月にユーネクストで観た「刑事シンクレア シャーウッドの事件」(2022)というイギリスBBC制作のドラマ。舞台となった小さな村には二つの炭鉱組合があり、圧倒的に多かったのはストに参加しなかった方の組合員である。劇中でも語られるが、それは労働者たちを分断する支配層の常套手段である。ストをしなかった組合員はスト破りをしている(経営側が労働組合の切り崩しのために作ったいわゆる「第二組合」と思われる)。少数派だがストに身をささげていた炭鉱夫たちからは何十年たっても事あるごとに「スト破り(scab)」と罵られてきた。その村で起こったある殺人事件とその捜査が、ストそのものではなく、ストをした人たちとスト破りをした人たちの互いに折り合わない深い対立感情と心の傷をあぶりだすという描き方。ドラマは容赦なくかさぶた(スト破りを表すscabという単語の本来の意味は「かさぶた」である)を引きはがしてゆく。結局殺人事件そのものはかつての炭鉱ストと関係なかった。犯人探しというメイン・ストーリーが暴き出したのは、殺人事件の真犯人というよりも、むしろ炭鉱ストがもたらした今も続く村の分断という現実である。この設定が秀逸だ。それだけではない。捜査する二人の刑事もじつは1984年の炭鉱ストに関わっており、共に深い心の傷を負っていたのである。イギリスが生んだ社会派ドラマの傑作だと思う。

 

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