クルド人と映画
最近クルド人に対するいわれのない中傷や嫌がらせが日本国内で広まっているという記事が2回ほど朝日新聞に載った。ネット社会で誹謗中傷が跋扈していることには今さら驚かない。そういった中傷や嫌がらせは誤解や偏見に基づいている。非難している当の人々をよく知らないがゆえに簡単に偏見や嫌悪感が醸成されてしまう。そういう状況をただ憂いていても何も変わらない。自分にやれることをやるしかない。ということで、クルド人を描いた映画、クルド人監督が作った映画を紹介したい。
日本人にとって身近でかつ動画配信などで比較的観やすいものとして「マイスモールランド」(2022、川和田恵真監督)という日本映画をまず挙げたい。主人公のサーリャは日本に住むクルド人難民の娘。すでに何年も日本に住んでいるが、ある日難民申請が不認定となり、サーリャの父親の抗議にもかかわらず在留カードは無効だと冷たくあしらわれる。今後は仮放免扱いになり、働くことも、(許可なしには)住んでいる都道府県から出ることもできない。
舞台が日本なので理解しやすいが、しかし主人公がクルド人でなければならない必然性はない。別の国からの移民を主人公にしても大きな違いはないだろう。むしろ「マイスモールランド」は、収監されたまま亡くなったウィシュマさんの問題などをきっかけに見直しを迫られている日本の入管問題や在留外国人に対する非人道的扱いという重要なテーマを扱った作品群、「やさしい猫」(2023、TVドラマ)や「海辺の彼女たち」(2020、日本・ベトナム)などの作品系列に属していると考えるべきだろう。
クルド人についてより深く理解するためには、トルコやイランなどで実際に暮らしているクルド人たちの生活や差別などをリアルに描いた作品を観る必要がある。クルド人はトルコ、イラン、イラク、シリアなどにまたがって暮らしている「国を持たない最大の民族」である。しかもクルド人が住んでいるのはどこの国であれ山奥や荒れ果てた不毛の地で、住んでいる国からは迫害を受けている。しかし日本ではその存在はほとんど知られていない。参考文献として山口昭彦著『クルド人を知るための55章』(2019年、明石書店)を挙げておきたい。ただし買っただけでまだ読んでいないので、ここでは書名を挙げるだけにとどめたい。
僕がクルド人の存在を知ったのは1985年にユルマズ・ギュネイ監督の「路(みち)」(1982、トルコ・スイス)を観た時である。1982年のカンヌ映画祭でアメリカの「ミッシング」とグランプリを分け合ったトルコ映画の名作である。「路」は拘置所から仮出所を許された囚人たちの、拘置所以上に過酷で悲惨な運命を描く。暗然とするほど因習的で過酷なクルド人の生活がリアルに映し出されてゆく。重苦しく、悲痛な作品だが、観る者の胸を揺さぶらずにはおかない。この映画を観た時、中国映画「芙蓉鎮」(1987)を観た時と同じくらい強烈な衝撃を受けた。
ユルマズ・ギュネイはトルコに住むクルド人だが、100本以上の映画に出演した国民的スターであり、監督でもある。彼は政治犯として何度も投獄された。代表作とされる「路」や岩波ホールで上映された「敵」(1979)と「群れ」(1978)は彼が獄中にいた間に、獄中から指揮して代理監督に撮らせたものである。仮出獄したときにロケハンし、獄中を訪れる代理監督や俳優たちと細部の打ち合わせをしたという。この辺の事情は西独製の記録映画「獄中のギュネイ」(1979)で詳しく描かれている。
「路」のヒットを受けて、渋谷のユーロスペース(まだ円山町に移転する前で、北口の高速下にあった)で「エレジー」(1971)、「希望」(1970)、「獄中のギュネイ」が公開された。いずれも優れた作品だった。ユーロスペースでは日本で最初に公開されたトルコ映画「ハッカリの季節」(1983 、エルデン・キラル監督)も観た。高度3000メートルにある小さなクルド人の村と小学校が舞台。雪に覆われた何もない世界と独特の生活風習には心底驚いたものだ(フェリット・エドギュの原作本は晶文社から『最後の授業』というタイトルで翻訳が出ている)。他にハンダン・イペクチ監督の「少女ヘジャル」(2001、トルコ・ギリシャ・ハンガリー)もすぐれた作品なので名前を挙げておきたい。
イランにもクルド人を描いた作品がある。有名なのはバフマン・ゴバディ監督の作品。彼自身ユルマズ・ギュネイと同じクルド人監督で俳優も兼ねる。「酔っぱった馬の時間」(2000)、「わが故郷の歌」(2002)、「亀も空を飛ぶ」(2004、イラン・イラク)はいずれも傑作だ。俳優として出演しているアッバス・キアロスタミ監督の「風が吹くまま」(1999)は、TVディレクターとそのクルーたちがクルド人の山村で行われる珍しい葬儀を取材にゆくという内容である。したがって、これもクルド人映画に含めていいだろう。
イランに比べるとイラクのクルド人映画は少ない。中東の映画大国イランに比べたらもともとイラクの映画製作数はずっと少ないと思われるので別に意外なことではない。それでもモハメド・アルダラジー監督の「バビロンの陽光」(2010、イラク・イギリス・フランス・他)は見逃せない傑作である。クルド人の年老いた女性が12歳の孫を連れて行方不明となった彼女の息子を探す過酷な旅を描いたロード・ムービー。今まで観た中で一番悲惨なロード・ムービーだが、観終わった後には深い感銘が残る。イランのバフマン・ゴバディ監督が亡命中にトルコで撮った「サイの季節」(2012、イラク・トルコ)も名前を挙げておこう。幻想的な映像を多用したイメージ重視のアート系映画である。
これだけ優れた映画が日本で上映されていても、クルド人の存在はほとんど知られていない。よく耳にするようになったのは湾岸戦争やシリアの内戦でISの蛮行が有名になった頃だろう。ISに拉致された後脱走し、女性戦士としてISと戦う女性たちを描いたのが「バハールの涙」(2018、エヴァ・ユッソン監督、フランス・ベルギー・他)である。
「マイスモールランド」が個人的に感慨深いのは、ついに日本にもクルド人を真摯に描く映画が現れたかという思いがあるからだ(その1年前に日向史有監督の「東京クルド」という作品も作られているが、こちらは未見)。自分たちの国を持たないクルド人には、追われるように国を出ても安住の場所はない。どれほど苦しい道のりを歩めば彼らの国クルディスタン(クルド人居住地域を指す言葉として使われているが、本来はクルド人の国という意味である)にたどり着けるのか。その文脈の中で考えると、1999年制作、イエスィム・ウスタオウル監督のトルコ映画「遥かなるクルディスタン」というタイトルは実に意味深長だ。
<付記>
ユルマズ・ギュネイ監督とその作品については「トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ①」と「トルコ映画の巨匠ユルマズ・ギュネイ②」を参照してください。なお、今のところ彼の作品はDVDもBDも日本では発売されていません。
なお、文中で色がついている作品は本ブログでレビューを書いているものです。リンクを張っていますので、クリックすればレビューを読めます。興味があればそちらにも目を通してみてください。
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