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2024年2月 3日 (土)

心に残る言葉たち その1 吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』より

 これまで新聞や雑誌、本などから心に残った文章をワードに打ち込んで記録してきました。精力的に映画評を書いていた頃頻繁に引用文を差しはさんでいたのは、これがあったからこそできたわけです。しかし記憶力が衰えて、映画を観た翌日にはどんな映画だったかほとんど覚えていないようになると、もう映画評は書けません。そうなるとこれまで書き溜めてきた膨大な量の引用文集も宝の持ち腐れです。
 それだったら、朝日新聞の「折々の言葉」の様にいっそシリーズ化して他の人たちにも共有してもらった方が良い。そう考えて新たに「心に残る言葉たち」というシリーズを立ち上げました。不定期の掲載ですが、次はどんな言葉と出会えるかと楽しみにしていただければ本望です。
 まず1回目はほぼ半世紀前に書かれた吉田ルイ子さんの名著『ハーレムの熱い日々』からの引用です。

 

 「南部の黒人は白人のザンパンを食べさせられていたんです。これも白人の食べない内臓を黒人がうまく料理する方法を見つけたんです。黒人だけの食べ物ソールフード(soul food)っていうんです。」(32)

 「私の大好きな西瓜、これもケントのお母さんの話では”ニガーの食べ物”だ。」(32)

 「それにハーレム独特の食べ物で、ハーレムにしかないもの、それはかき氷だ。」(33)

 「ハドソン河からイーストリバーまで、団地のすぐ傍らを走っている街路は、百二十五丁目といってハーレムの目抜き通り。洋服屋、靴屋、帽子屋、質屋などがやたらと多い。」(40)

 一体、ハーレムが怖いなどと誰が決めたのだろう。・・・
 ハーレムでも老人の酔っ払いはたくさん寝ていた。しかし、死にそうになっている病人を見たら、ハーレムの人たちはすぐに集まってきて、日かげに病人を連れていって手当てをする。それなのに、白人街では、こともあろうに警官が病人を見殺しにしているのだ。・・・
彼女(ケントのお母さん)は私が病気で寝ていた時、あの大きなお尻をのそのそと動かしながら、洗濯から掃除、料理までこまごまとやってくれた。そして何か欲しいものはないかと言って、パイナップル、グレープフルーツ、ココアなど、なんでも持って来てくれた。しまいには”おむすび”まで作ってくれようとするのだった。夜になっても、1時間おきに様子を見に来てくれて午前二時ごろまで側についていてくれた。
私は白人の女性も大勢知っているが、”お母さん”と言って甘えられるような温かさを感じさせる人は1人もいなかった。でも、ケントのお母さんをはじめ、ハーレムでつき合った女の人たちには、我がままを言っても、「ああ、よしよし」と大きな力で包んでくれるような温かさと寛容さを感じるのだった。」(89-92)

 それに、いかにもハーレムの建物らしいのは、エレベーターの扉が開くたびにちがった音楽が聞こえてくることだ。三階ではゴスペル、五階ではブルース、十二階でジャズ、十六階でリズムアンドブルース、そして二十階ではキューバンリズムというように。(p.12)

 ハーレムには私の好きなモダンジャズのクラブはなかった。ジャズはあまりにもクールになりすぎて、黒人社会から離れてしまったらしい。
と言っても、ジャズマンはハーレムに住んでいる。例えば、ピアノのセロニアス・モンクは猫と一緒に、小汚い路地の奥にあるがたぴし地下室に住んでいた。・・・
少し名前が出てくるとハーレムから出て白人社会に住むジャズマンが多いが、ウェイン(ウェイン・ショーター)はハーレムの人たちのことを”マイ・タイプ・オブ・ピープル”といって、ハーレムを離れようとしなかった。」(49-50)
吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』(昭和47年、講談社)

 

<コメント>
 「ソウル・フード」という言葉を考えると、言葉とはつくづく時代とともに変化してゆくものだと感じます。現代用語辞典『知恵蔵』には、「もともとソウルフードとは米国南部の黒人の伝統的な料理のことだが、特に2000年以降の日本ではソウル(魂、精神)との意味から派生し、各地特有の郷土料理などを指すことがほとんどとなっている」とあります。いわゆる和製英語の一つと考えていいでしょう。本来の「ソウル」は「ソウル・ミュージック」から来ていたのです。白人の残飯や白人が食べない部位を黒人が食べていたので「ソウル・フード」と呼ばれていたと聞いたら、今の若い人たちばかりか中年層もむしろびっくりするでしょうね。

 ニューヨークの黒人街ハーレムもかつては黒人が多くて危険な場所というイメージが一般にありました。しかしこれは白人の偏ったイメージをそのまま無批判的に受け入れていたことから広まったものでしょう。実際その中に飛び込んでみると、むしろ東京でいえば下町のような人情あふれる街だというのです。今はハーレムもだいぶ様変わりしてしまったようですが、言葉だけではなく街も変わってゆくわけです。その変わりゆく街のある時代を写真とともに記録する。写真家でありジャーナリストでもあった吉田ルイ子の業績は今も色あせない。

 エレベーターのドアが開くたびに違う音楽が聞こえてくるというくだりは何度か引用したことがあります。この本を読んで一番印象的だったのはこの文章です。その後にジャズは高級な音楽になりむしろ白人に好まれる音楽になってしまったというような文章があります。では黒人は何を聞いていたか。彼らはむしろソウルやR&Bを聞いていた。体をくねらせて妖艶に歌い踊るティナ・ターナーなどが大人気だったと確か書いてあったと思います。


<付記>
 吉田ルイ子さんは2024年5月31日に亡くなりました。冥福をお祈りします。

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