悠遊雨滴 その5:音楽との長い付き合い
1999年の夏、お盆で実家に帰ったときなつかしいものを見つけた。母屋の隣に昔祖父と祖母が住んでいた隠居所があるのだが、たまたま普段閉めてある雨戸が開いていたので中に入ってみたのである。廊下の突き当たりにある納戸の中にそのなつかしいものはあった。昔買ったレコードだ。保存状態が悪かったのでジャケットがすっかり黄ばんでしまっていた。いずれもなつかしいレコードだ。年に二回、盆と正月しか実家に帰らないのでそれまではどこにしまってあるのか分からなかったのである。あるいはもう捨ててしまったのかとも思っていた。
初めてレコードを買ったのは恐らく中三くらいの時だ。父親が商店会の付き合いで歌を覚えるためと称して、ステレオを買ったのがきっかけだった。ナショナルのテクニクスという家具調のどでかいステレオだった。高さが70~80センチもあったろうか。幅も本体と両脇のスピーカーを合わせて1メートル数十センチほどあっただろう。今のミニコンポと比べるとまことにバカでかい。とにかくスピーカーが大きくて、音を鳴らすとガラス窓(今のようなサッシではない)がカタカタ振動したのを覚えている。実家のある日立市は電気の日立の発祥地で、いわゆる企業城下町である。しかしなぜか父は日立の製品が嫌いで、家の電気製品は全部ナショナルの製品だった。テクニクスは当時の最新機で、テレビでも宣伝をしていた。今でも「テクニークスー」というメロディを覚えている。
父は何枚かレコードを買ってきてしばらく聞いていたが、すぐに飽きて使わなくなってしまった。もっぱらステレオを使っていたのは僕だった。最初に買ったレコードは二枚のシングル盤、藤圭子(宇多田ヒカルの母親)の「圭子の夢は夜開く」と森山香代子の「白い蝶のサンバ」だった。何を買ったらいいのか分からなかったので、当時たまたま流行っていた曲を買ったのである。GS全盛のころだと思うが、流行っているものなら何でもよかったのだろう。それから少ない小遣いをはたいてシングル盤を少しずつ買い込んでいった。アルバムは高くてとても初めのうちは手が出なかった。値段はシングル盤が500~600円、LP盤が2000円、EP盤(45回転だがシングル盤のサイズで4~6曲くらい入っていた)が700円だった。その当時買ったレコードは今では貴重なものもあるが、今思うと顔が赤らむようなものも多かった。森山香代子と布施明が大好きで、シングル盤をそれぞれ5~6枚もっていたと思う。他に、ゼーガーとエバンスの「西暦2525年」、カフ・リンクスの「恋の炎」、クリスティーの「イエロー・リバー」、CCRの「プラウド・メアリー」、ドーンの「ノックは三回」、ルー・クリスティーの「魔法」、フィフス・ディメンションの「輝く星座」など。最初に買ったアルバムはどれだったか覚えてないが、当時もっていたのはアンディ・ウイリアムズ、グレン・ミラー、映画音楽集、PPM(ピータ、ポール&マリー)のライブ盤、シャルル・アズナブール、シャンソン名曲集、カンツォーネ名曲集、それとビートルズの「ヘイ・ジュード」(アメリカ編集版)などだった。他にEP盤で「サウンド・オブ・ミュージック」のサントラ盤、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」、ブラザーズ・フォーなどがあった。何で高校生がこんなのを聞いていたのかと自分でも驚くようなものも入っているが、それはおそらく映画の影響だろう。
高校に入学して入ったクラブは音楽部だった。これは合唱部なのだが、「涙を越えて」のような合唱向きの歌のほかに、「輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン」、「ノックは三回」、「悲惨な戦争」、「サウンド・オブ・サイレンス」、「レット・イット・ビー」などの洋楽もよく歌った。まだフォーク・ブームが続いていたころで、当時はPPMやブラザーズ・フォーが大好きだった(今でも好きだが)。
好みが一変したのは大学に入学してからだった。突然クラシック一辺倒になったのだ。きっかけや理由は覚えていない。とにかく『レコード芸術』を毎月買ってレコードをチェックしては、大学生協で買ってきた。大学1年の時中学生の家庭教師をしていたのだが、週2回教えて月1万円もらっていた。それを全部レコードにつぎ込んだのである。生協で買えばレコードは2割引。当時LPレコードは2500円だったので、生協で買えば2000円。1万円で5枚買える。
ところで、レコードは買ったものの、ひとつ困った問題があった。ステレオを持っていなかったのである。大学の3年までは千葉県流山市の伯母の家に寄留していた。伯母の家にプレーヤーがあったので、それを借りて聞いてはいた。しかしスピーカーとつながっていないプレーヤーでは聞いた気がしない。そこでどうしたかというと、帰省する時にたまりたまったレコードを両手に下げて実家に持って帰り、そこで聞いたのである。全部で150枚くらい持ち帰ったろうか。今考えるとよくやったと思う。後で東京のアパートに引っ越して自分でミニコンポを買ってから、今度は逆に田舎から東京までまた運んだりした。結局全部は持ち帰れず、まだ何十枚かは田舎においてあった。実家で久々に見つけたのはその運び残ったレコードだったというわけだ。
クラシック熱は大学院に入るころまで続いた。80年代の初め頃、念願のラジカセを買った(まだステレオのミニコンポは高くて、やっと手に入れたのは80年代半ば頃か)。それから80年代の半ば頃まではよくFM放送を聞いた。僕がラジオを一番聞いたのはこの時期だ。高校生のころ時々夜中に「ユア・ヒット・パレード」を聞いたりしたことはあったが、それほどしょっちゅうというわけではなかった。FM雑誌を買い出したのも80年代に入ってからである。その頃から『FMfan』を愛読していて、長いこと買い続けていた。その後FM雑誌は相次いでなくなり、CD雑誌が主流になった。CD雑誌もどんどん消えてゆき、そのたびに買う雑誌を替えていった。一番長く愛読していたのは『CDジャーナル』だが、これも季刊になり今は買わなくなった。ネットが普及し雑誌そのものが売れなくなってきたからだ。
当初はFM番組のチェックが主たる目的だったが、ラジオを聞かなくなるとCDの新譜案内のチェックが主たる目的となった。もっぱら新譜の情報はこれに頼っていた。それ以外のアーティスト関係記事はほとんど読まない。当時定期購読している雑誌はこの『FMfan』と『レコード・コレクターズ』のみ。『レコ芸』はクラシックを聴かなくなった時から買わなくなり、それに取って代わった『スイング・ジャーナル』もいつの頃からか1月号しか買わなくなった。1月号には年間のレコード評がまとめてある別冊が付くので、これ一冊あれば用が足りるからだ。
ラジカセを買ったころから音楽の好みが大きく変わった。面白いもので、好きなジャンルは少しずつ変わるのである。クラシック一辺倒だった時でも、最初は交響曲が好きで、次にバイオリン曲、それからピアノ曲、室内楽と好みが移り、最後はバロックに行き着いた。今でもバロックとモーツァルトが好きだ。歌ものや管弦楽曲はなぜかあまり好きになれなかった。
ラジカセを買ったころからしだいにクラシック以外のジャンルにも関心が広がっていった。FMを通じてロックや日本のニュー・ミュージックにも耳を傾けるようになったのだ。当時はFM雑誌で1~2週間先の番組をチェックして、ラジカセで片っ端からテープに録音していた。一体何本くらい録音したのか自分でも分からない。ラジオを聞かなくなってからは、もっぱらCDからカセットテープにダビングしていた。車の中で聞くためだ。CDを温度差や振動など条件の悪い車の中に置くのには抵抗があるので、わざわざテープにダビングしているのである。テープが廃れるとMDにダビングして聞くようになった。しかしMDもなくなり、今はただ車の中ではFM放送を聞くだけになっている。
話はジャンルに戻るが、ジャズに出会ったのも80年代初めだった。ジャズとの出会いが僕の音楽の嗜好を根本的に変えてしまったと言ってもよい。決してジャズ一辺倒にはならなかったが、この時からずっと一番好きなジャンルはジャズなのである。クラシックばかり聞いていた頃からジャズには関心があったのだが、周りにジャズが好きな友達がいなかったために、ずっと未知のジャンルだったのである。FM放送が僕をぐっとジャズに近づけたのだ。最初はヴォーカルをもっぱら聞いた。なんとなくその方が取っ付きやすかったのである。知識もなかったので、何から聞いたらよいのか分からなかったということもある。ところが、ある時たまたま古本屋でジャズの名盤を特集した雑誌を買った。「スイング・ジャーナル」誌の別冊である。むさぼるようにその雑誌から知識を吸収し、忘れないように手帳を作ってメモした。ジャケット写真も切り抜いて手帳に張り付けたりもした。その手帳を持ってレコード店へ行ったのである。初めて買ったジャズのレコードは、忘れもしないコルトレーンの「至上の愛」と「バラード」だった。銀座の輸入レコード店で見つけた。棚から取り出した時手がふるえたのを覚えている。「至上の愛」はよく理解できなかったが(そもそも初心者向きではなかった)、「バラード」は気に入った。この時から本格的にジャズにのめり込んで行ったのである。
その後ジャズを始めソウルやブルース、そしてロックのレコードを次々に買いまくった。とにかく一気にジャズやその他のジャンルの知識を詰め込んだので、買いたいレコードが山ほどあったわけだ。買うのは専ら中古レコードだった。いつ頃から中古レコード店に出入りするようになったのかは定かではないが、恐らく80年代の前半あたりだろう。渋谷の「レコファン」、「セコハン」、「ハンター」、「ディスク・ユニオン」、新宿の「えとせとら」、「ディスク・ユニオン」、「八月社」、「レコファン」、下北沢の「セコハン」、その他お茶の水、高田馬場、池袋、吉祥寺等々、都内をくまなく捜し回った。今では名前を思い出せない店も何軒かある。渋谷の宮益坂沿いのビルの2階にあった店、高田馬場の神田川沿いにあったジャズ専門店とブルース専門店、新宿の「えとせとら」と同じ一角にあったラーメン屋の2階の店。これらの中古店のうちどれくらいが今でも残っているのだろうか。
80年代の後半頃の中古レコードはだいたい千円くらいで買えた。定価より高いものは買うつもりはなかったので、だいたい1600円あたりが買うレコードの上限だった。もっぱら中古品を買っていたのは値段が安いからで、貴重盤を買い集める趣味は全くない。これは古本も同じで、こちらも初版本を高い金を出して買う趣味はない。そういう意味では、僕はコレクターであってマニアではない。あくまで好きなものだけを選んで買うことにしている。決してマニアックな集めかたはしない。一万枚を超えるレコードとCDを持っていれば立派なマニアだと他人は言うだろうが、本人はただ枚数が多いだけだと思っている。
どうして中古を買うかというと、その理由の一つは自分の性格である。新しいものにあまり興味を示さない。長いこと携帯を持たず(今はスマホを持っているが、これは車で事故ったとき困ったことがあるからで、基本非常連絡用である)、ワープロ専用機からパソコンに乗り換えたのもやっと2002年の夏からである。レコードがCDに駆逐されていっても、しばらくはレコードを買い続けていた。もっとも、CDプレーヤーもないのにパチンコの景品で何枚かCDを取ってはいたが。CDプレーヤーが出始めの頃は高くて手が出なかったのである。最初に買ったCDプレーヤーはウォークマンだった。安くてサイズも小さくて場所を取らなかったからだ。ビデオも東京から映画館が数館しかない上田に来て仕方なく借り始めた。
もう一つの理由は、上でも書いたように、当然値段が安いからだ。中古で安いのが買えるのに、定価で買うのはばかばかしい。中古に出るまで2年でも3年でも辛抱強く待つ。たとえ中古屋でほしいものを見かけても、値段がCDならば1500円以上、DVDならば2500円以上なら、もっと安いのを見つけるまで待つ。映画はロードショーよりも300円の名画座によく通っていた。上田に来てレンタル店でビデオやDVDを借りるようになってからも、新作はめったに借りず、1週間レンタルになってから借りる。これが僕のやり方である。初版本に何万円も出したり、ジャズのオリジナル版に数千円を投げ出すなどという趣味は全く無い。ただただ安いから中古を利用するのである。出久根達郎のエッセイは好きでよく読むが、彼の本に出てくる貴重本を血眼になって捜し回る人種とは僕は本質的に異人種である。実際、学生、大学院生時代には、年間数十本から百本以上の映画を見、数百冊の本を買い、数百枚のレコードを買うにはそうする以外になかったのだ。働くようになってからもその習慣は変わらなかった。そういえば、車も中古車以外買ったことがない。
中古品は安いのでどんどん買ってしまうが、コレクションの枚数が多くなるもう一つの理由は様々なジャンルを聞くからである。クラシック、ジャズ、フォーク、カントリー、ロック、R&B、ソウル、ブルース、レゲエ、ラテン、ワールド・ミュージック。日本の音楽も当然聴くし、アイルランドを中心としたケルト系ミュージック、イギリスのモダン・トラッド、スエーデンを中心とした北欧のポップス、中国のポップスに注目していた時期もあった。ヘビメタ系の騒々しいのや、どれを聞いても同じラップ系は好きではない(多少持ってはいるが)。アフリカのものも持ってはいるが、今一つなじめない。逆に欲しいのになかなか手に入らないのはアイリッシュ・ミュージックやフォルクローレである。新星堂のレーベル、オ-マガトキは実に良心的でここでしか手に入らない貴重なアーティストのものをたくさん出しているが、悲しいかな、なかなか中古店では見かけない。
40歳も過ぎて中年になってくると、また好みが変わってくる。ジャズも昔からサックスが好きだが、ピアノを中心にしたものにも強く惹かれるようになってきた。ヴォーカル系も女性ヴォーカルが中心で、ジャケットに美人が写っていると買いたくなってしまうのだから情けない。どんどん好みがやわになってきている。昔はジャズの真っ黒い感じのジャケットが好きだったのだが。とにかく最近聞いて良いと思うのは、ジャズではビル・エバンスやキース・ジャレットなどのピアニスト、アイルランド系、フォーク系、カントリー系、などの落ち着いた感じの音楽である。ジャズ、ソウル、ブルース、レゲエとブラック・ミュージックを中心に聞いてきた80年代とはだいぶ変わってしまっている。ここ10年ほどで一番よく聴くのはシンガー・ソングライターである。しかしこのところ昔買ったCDをどんどん聞き直しているが、ジャンルは何であれ良いものは今聞いても良い。改めて日々そう感じている。
好みが変わったのには東京から上田に移ってきたことも遠因になっていると思われる。東京と違って、長野にはあまり中古レコード店がない。上田の「ブック・オフ」、「メロディ・グリーン」、「サザン・スター」、「トム」、そして長野の「グッドタイムス」あたりがよく行く店だった。置いてあるものも貧弱で、日本のものが中心。ジャズに至ってはほとんど中古では手に入らない(「グッドタイムス」には数はあるが何せ値段が高い)。したがって欲しいものと買えるものとが一致しない。長年そんな状態が続くと好みまで変わってくるのだろう。「ラウンド」と称してそれら中古店を定期的に回っていたが、今は中古店も少なくなり、基本的にはアマゾンで注文するようになっている。送料を取られるのが癪に障るが、近くの中古店に置いてないものも簡単に見つかるのでずっと楽だ。
僕はレコードもCDも雑誌の新譜案内を見て買っている。ヒット・チャートには関心がないので、知っている曲が欲しくてCDを買うことはめったにない。ほとんど買ってきて初めて聴くものばかりである。しかしこれは本や映画も同じだ。本も映画も書評や映画評を読んだり聞いたりしてどれを買うか、観るか決めるという点では同じだから。音楽も同じことをしているにすぎない。
<付記>
この記事を最初に書いたのは2000年の1月ですが、その後何度か書き足して今はなきHP「緑の森のゴブリン」に掲載してありました。今回「悠遊雨滴」シリーズに再録するにあたってさらに加筆訂正しました。
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