悠遊雨滴 その6:ソーイング・ビー ここまで公平な番組は日本ではまだ作れない
現在NHKのEテレで「ソーイング・ビー6」が放送されている。「ブリティッシュ・ベイクオフ」シリーズ(パンやケーキなどを作るコンテスト)のスピンオフ番組で、その名の通り裁縫のコンテストである。つづり字のコンテストを英語で「スペリング・ビー」というが、「ビー」は蜂のこと。働きバチのイメージだろう。「ソーイング・ビー」はそれをもじったタイトルである。
正確に布を断ち縫う能力、型紙に基づいて正確に縫い上げる力、さらにはデザイン力も求められる。まあ「スター誕生」の裁縫版が「ソーイング・ビー」で、お菓子作り版が「ブリティッシュ・ベイクオフ」だと思えばいい。日本にはない番組だが、ここで焦点を当てたいのは、番組の内容ではなくその姿勢である。「ソーイング・ビー」でも「ブリティッシュ・ベイクオフ」でも同じだが、その特徴が一番はっきり表れているのは今放送されている(現在ファイナルが行われている)「ソーイング・ビー6」だろう。
番組では様々な課題が課せられ、参加者は必死にその課題に取り組む。課題ごとに審査員が順位を決め、毎回一人ずつ脱落者が出る。それがこの番組の基本的流れだが、途中に各出場者のプライベートな生活が紹介される。興味深いのは、男性同士のパートナーや女性同士のパートナーが紹介されることが珍しくないということだ。しかしこの点について何ら特別な言及はない。ごく当たり前のこととして放送されており、出場者のパートナーも自然に顔を出している。
さらに「ソーイング・ビー6」では片腕の肘から先がない出場者もいた。彼女も何ら特別扱いされることはなく、彼女に変に気を使ったりすることもない。それだけではない。なんと司会者の女性が明らかに妊娠している。回を追うごとにお腹が大きくなっているのが分かる。そのことについても何ら説明はなく、特別に言及されることもなくごく当たり前のこととして映されている。日本だったら間違いなく途中で司会者が交代させられていただろう。
ここまで公平で差別のない番組は日本にはない。もちろんイギリスだって差別もあるし偏見もある。ドイツ軍の暗号機「エニグマ」を解読したアラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム」という有名な映画がある。この映画はチューリングが暗号解読のために生み出した計算機が今のコンピューターの原型となったことだけではなく、当時同性愛は犯罪でありチューリングは有罪判決を受けたことも描いている。
昔も今も偏見や差別はある。しかし両番組ともだれ一人特別扱いはせず、変に気を使ったりすることもなく番組を進めてゆく。その姿勢は本当に立派だと思う(まあ、美人のブローガンが他の出場者より多めに画面に映る傾向があったりはするが)。日本でもこのような番組が作られる日が来るのだろうか。彼我の差の大きさを想うと、今のところ見当もつかない。
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