心に残る言葉たち その2 富野由悠季 夢と現実
太平記と源氏物語にも書いてある通り、人類は2千年くらい前から同じで、色事ともめ事しかやっていないわけだ。(中略)
人類は、夢を想定しておかないと、窒息してしまうから宇宙開発論というものがあり得た。1960年代ぐらいまでは、そういう夢を描けた時代だった。今は夢を語るではなく、もうリアリズムを考えなければならない時代になっている。それは地球が有限だからで、今のままでは人類の増殖によって地球が食いつぶされると分かる時代になった。宇宙開発よりも、地球を存続させるためにやらなければいけないことの方が急務になっている。
「朝日新聞」、2024年1月23日、「テクノロジーの未来を語る 富野由悠季の視点 1 宇宙開発:ガンダムの世界 来ないだろう」
<コメント>
富野由悠季が「機動戦士ガンダム」の生みの親だということはこの記事を読んで初めて知った。だからこの記事を読んだのはタイトルに惹かれたからで、富野由悠季に対する関心からではない。子供の頃は「キングコング対ゴジラ」をはじめ、ガメラ、モスラ、ラドン、キングギドラなど怪獣映画をよく観に行った。「大魔神」も好きだった。テレビで「ウルトラQ」が始まったときは、怪獣映画を自宅で観られると大喜びしたものだ。しかし中学生になるとこういう子供向け映画や番組は卒業した。おそらくまともに観たのは「ウルトラマン」の最初のシリーズが最後だろう。だから、「仮面ライダー」も「ガッチャマン」も「ガンダム」もほとんどまともに観たことはない。「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などの映画も恐らく観ていない。富野由悠季という名前に全く聞き覚えがなかったのはそういうわけだ。
まあそれはともかく、ここに引用した彼の考え方には大いに共感した。今大事なのは夢より現実である。地球温暖化という世界的問題、異常気象や地震などの天災が頻発して災害列島と化した日本の現状、政治・経済・社会問題・悪化する一方の国民生活などの深刻な問題に全く対応できていない腐りきった政府。こういった現状を考えれば、富野由悠季の指摘は至極もっともである。
そう思う一方で、確かに空を眺めて夢ばかり追っている場合ではない、今は足元をしっかりと見直すべきだというのは分かるが、夢がなくても良いのだろうかとも思う。夢があるから人は先に進めるのだし、現実が厳しいからこそ夢や希望が必要なのだ。富野由悠季は厳しい現状に対してもっと危機感を持てと警告しているのだろうが、夢は全く必要ないと言っているわけではないだろう。繰り返すが、目指すべき夢がなければ現状を乗り越えられないからだ。
夢は前向きな面もあるが、その反面現実逃避の裏返しという側面もある。上ばかり見上げて歩いていて、すぐその先にある断崖に気づかなかったり、いつの間にかズブズブと泥沼に足を踏み入れていたりしては困る。かといって、いつも下ばかり向いて歩いていて、穴を埋めたり割れ目をふさいだりしてばかりでは息が詰まる。夢と現実をうまく組み合わせるためには、ありふれた言い方だが、結局足元をしっかりと踏み固めながら、前を向いて進む以外にないのではないか。時には足を止め、かがんで犬や猫の視点、あるいは小さな虫の視点で現実を見てみる。そしてまた前を向いて歩みだす。その時遠くばかりを見ていてはいけない。足元やすぐその先をよく見つめなくてはいけない。そして歩き疲れたら、足を止めて空を仰いで深呼吸する。その時広大な空と宇宙が目に入る。そして息が整ったら、また足元とその先を見つめて歩き出す。道なき荒野に道を開きながら。
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