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2024年1月21日 (日)

悠遊雨滴 その4:雲を見る

 イギリスに向かう機上、窓の外は雲ばかりだった。じっと窓の外を見ている僕の横に座っていた同僚が身を乗り出して窓の外を覗いた。「なんだ、雲しか見えないじゃないか。」そう言って彼はがっかりしたように再び座席に沈み込んだ。確かにこれが一般的な反応だろう。人は空の上から地上の景観を見たいのである。空を飛びたい、空中から地上を眺めてみたいという願望を昔から人はもっている。僕も子供のころよく空をとぶ夢を見た。宮崎駿も空を飛ぶことにあこがれていたに違いない。「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「紅の豚」「魔女の宅急便」等々、彼のアニメには空を飛ぶシーンがふんだんに出てくる。「ラピュタ」の飛行シーンはいつ見てもわくわくするし、魔女のキキが空から見た街は実に魅力的だった。

 

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 人は高い丘に登ると、下界を見下ろし眺望を楽しむ。高い山に登ったときも同じだろう。東京タワーやスカイツリー、高層ビルの展望台に人気があるのも同じ理由だ。高々2メートルにも満たない人間の視野は以外に狭い。ちょうど何か棚の上にあるものを取ろうと踏み台に乗ってふと回りを見ると、部屋がいつもと違って見えることに気づくように、高いところから下を見るのが楽しいのはいつもと違った世界が見えるからなのだ。低い所にいては全体が見えない。あの塀の向こうはどうなっているのか、あの土手の向こうには何があるのか、この公園の全体構造はどうなっているのか、そんな時人は空の上から見下ろしてみたいと望む。高い所からの眺望が素晴らしいのは視界を遮るものがないからである。目の前に広がる広大な眺めには思わず見とれてしまう。見渡す限りびっしりと建物が立ち並ぶ光景(夜景はさらに魅力的になる)、高山から見渡す幾重にも重なる連なる山々や谷の眺望は圧巻だ。

 

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 高みから下界を眺めるのもすばらしいが、逆に地上から空を眺めるのも楽しい。高校生の時、授業をサボって近くの公園に行き、芝生の上に寝そべって雲を眺めていたことがある。これが実に楽しかった。不思議なことに、真っ青な空に白い雲が浮かんでいるのをずっと眺めていると、逆に空から海を見下ろしているような感覚になってくる。そのころはまだ飛行機に乗ったことはなかったが、まるで飛行機から眺めているような感覚だった。その時信じられない雲を見た。なんと日本列島そっくりな雲だった。不思議なくらい似ていた。空から地上を見下ろしている錯覚に陥ったのも無理はない。周りが青一色だからなおさら海に浮かぶ日本列島そのものだった。おそらく僕が雲を眺めるのが好きになったのはその頃からだろう。雲はその形を色んなものに見立てられるので楽しい。まるで雪をかぶったアルプスのように見える雲、さながら滝のように山の頂から流れ落ちる雲、奇妙な形の氷山のように見える雲、雲の裂け目から一筋の光が地上に差し込んでいる神秘的な光景。ひとつとして同じものはなく、また様々なものに見えるところがいい。だから、冒頭で飛行機から雲を眺めていたとき、僕はまったく退屈していなかった。いや、それどころか、いくら眺めても見飽きないくらい楽しんでいた。隣に座っていた同僚にはまったく理解できないだろうが。

 

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 とにかく、窓の外は見渡す限り雲しかなかった。飛行機がなかったころの人間には絶対に体験できなかった眺めだ。行けども行けども雲ばかりなのだが、まったく同じ眺めではなく、実に変化に富んでいる。南極の大雪原の上、あるいは氷山の上にでもいる感じだ。氷山はよくテレビでその映像を見ることがあるが、なんとも神秘的ですばらしい。巨大で、複雑で、人を寄せ付けない厳しさがいい。雲の魅力はそれに似ているが、一番の魅力はその変化の豊かさである。雲はどんな形にもなる。もろい石灰岩の地層にはよく浸食で作られた奇岩が立ち並んでいる風景が見られるが、そんな感じのものもある。洞窟のように見えたり、アーチ状になっているものもある。昼間と夜とでは光線の当たり具合が違うので、また違って見える。特に夜はより神秘的に見える。ときには飛行機を止めてずっと眺めていたいと思う不思議な形もある。いずれにしても延々何時間もこの摩訶不思議な異次元空間ショーは続くのである。雲好きにはたまらない時間だ。

 

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(雲とは無関係ですが、見立て関連で。これって地底人?)


 
 どうしてこんなに雲が好きなのか。思い当たることはある。僕は、よくNHKで放映しているBBC製作の番組のような、ドキュメンタリー番組が好きである。深海もの、動物もの、昆虫もの、地底もの、宇宙もの。ギアナ高地やオーストラリアの地底湖の映像、始めて中国の奥地にテレビカメラが入ったときの映像(本当にあの水墨画の山々がそのままの形で写っていた!あんな形の山が本当にあるのだ!)などには、息を呑んだ。とにかく、日常的でない世界に惹かれる。人々の生活が写っているのは好きではない。人里はなれた非日常的世界がいい。車ではいけない奥地、車を降りて何時間もかけなければ到達できない世界。あるいは極地のような容易に行けないところ。自分ではあまり旅行はしないが、常に日常から逃れたいという願望はある。それらの映像はこの願望を満たしてくれるから好きなのだろう(写真集が好きなのもきっと同じ理由だ)。自分では何の苦労もしなくても、茶の間で手軽に異次元空間に移動できる。現代文明はこんなことを可能にした。たぶん、雲を見るのも同じような自分だけの空想の体験ができるから好きなのだ。この世の果てのどこかにありそうな奇妙な形の雲、もし飛行機が空中に止まれるならば、そして雲の上を歩けるならば、『銀河鉄道の夜』のジョバンニのように雲の上の駅で降りて、雲の上を歩いて近くまで行ってみたい、時にはそんな気持ちになる。そう、夜真っ暗な雲の上を飛んでいる時、きっと自分は「銀河鉄道」に乗った気持ちになっていたのかも知れない。

 

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 ここまでは2002年8月30日に書いた古い原稿を基に一部手を入れたものです。当ブログを作る前にホームページを作っていて、そこに載せていたエッセイ文です。今はそのホームページが閉鎖されてしまったので、この機会に再録しておきたかった次第です。ただ雲となると書きたいことは他にもたくさんあります。実は当ブログの他に「ゴブリンのつれづれ写真日記」という別館ブログがあります。現在開店休業状態ですが、何としても新しい記事を載せて更新することが今年の目標の一つです。その別館写真日記ブログに「雲 天空のキャンバスに描かれた絵」、「おうまがとき」、「クレプスキュールの光芒」などのシリーズがあります。いずれも古い記事ですが、雲と深い関連があるので、関連の文章に手を加えてここにつけ足しておこうと思います。

 

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 三谷幸喜が監督した「ザ・マジックアワー」という映画があります。「マジックアワー」という用語はもともと撮影の専門用語で、日出の直前と日没の直後、光源としての太陽が存在しない約数十分の状態のことをいうそうです。光源となる太陽が姿を消しているため自然環境としては限りなく影の無い状態が作り出されるわけです。

 

 まあ、撮影の用語なので夕方の場合日没後だけを指すようですが、世界が最も美しく見える時間帯という意味では日没前後の時間帯こそ「マジックアワー」と呼ぶべきだと個人的には思います。その時間帯こそ僕が「雲 天空のキャンバスに描かれた絵」シリーズで撮った夕焼け空が観られる時間帯と「蒼い時」とか「おうまがとき」と呼んできた時間帯です。

 

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 雲は毎日見ることができますが、一つとして同じ形のものはありません。実に様々な形に姿を変えます。同じ雲さえも刻々と姿を変えます。それが実に想像力を刺激するのです。ましてや白い雲が様々な色に変化する夕暮れ時は「マジックアワー」と呼ぶにふさわしい天体ショーの時間帯です。この時間帯は短時間に目まぐるしく色合いが変わってゆきます。夕陽がだいぶ傾いて山の端(信州は山国なので、夕日が水平線や平らな地平線に沈むことはありません)に近づいてくると光が黄色みを帯びて来ます。さらに日が沈んでくるとそれが橙色になり茜色に変わってゆきます。それがピンク色に薄らぎ、紫色が混じってくると蒼い時が始まります。蒼い時というのは僕が作った言いかたですが、言い換えれば「おうまがとき」です。「おうまがとき」とは逢魔時。つまり黄昏時、誰そ彼時です。

 

 昼間と夜の境目にある「マジックアワー」は黄色、橙色、茜色、ピンク色、そして紫色へと空の色が刻々と変化する一日で最も壮大な天空ショーが観られる時間帯です。空全体が巨大なスクリーンとなって映し出す光のショーは全国どこからでも観られます。しかもこの巨大な「映画館」は入場無料。そのうえ上映演目は日々異なり、同じショーは二度と見ることはできません。どうです、見逃す手はないでしょう。

 

 色合いだけではありません。雲は毎日見ることができますが、一つとして同じ形のものはありません。実に様々な形に姿を変えます。同じ雲さえも刻々と姿を変えます。それが実に想像力を刺激するのです。いろんな形に見えるので様々なものになぞらえたりすることができます。モンゴルを舞台にした「天空の草原のナンサ」という映画に素晴らしい場面があります。子供たちが雲を眺めてその形からいろいろなものを連想する場面です。ゾウ、キリン、ラクダに乗った子供、馬。どこまでも想像が広がる。モンゴルの大草原では自然が教室なのです。一見何もない草原の暮らしには都会にはない豊かさがあるのです。ゲームばかりやっている子供たちにはない豊かさだとあの映画を観てつくづく思いました。

 

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 最後に音楽との関連にも触れておきます。「新星堂」に「オーマガトキ」と「クレプスキュール」というレーベルがあります。あまり見かけることはありませんが、素晴らしい作品がたくさんここから出ています。90年代から2000年代初めにかけて買いあさった時期がありました。まあ音楽のことはこのくらいにして、雲との関連に話を戻すと、「オーマガトキ」は言うまでもなく「逢魔時」 から来ていますし、「クレプスキュール」はフランス語で「黄昏」とか「薄暮」という意味です。

 

 紅く染まった夕焼け空も見事ですが、光が雲の切れ間から放射状に放たれる光芒も荘厳なものがあります。太陽がまだ山の端の上にある時には、雲の切れ目から下向きに光芒が放たれます。まるで神話の世界に出てくるような神秘的瞬間。まさにクレプスキュールの光芒です。太陽が山の影に沈むと光芒は下から上に放射されます。光芒が上から下に射している場合は宗教的な荘厳さを感じますが、光が上を向いているとまた違った感覚を覚えます。サーチライトを連想するのか、何かを指し示しているようにも感じますし、暗闇を突破したブレイクスルーの感覚もあります。上向きと下向きで感じ方が違うというのは面白いですね。

 

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