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2023年12月29日 (金)

悠遊雨滴 その2:受け身の効用

 小学生のころ一時期柔道教室に通っていた。どうして柔道を習おうと思ったのか覚えていないが、おそらく友達に誘われたのだろう。なぜ一時期しかやらなかったかと言えば、その理由は単純。ひたすら受け身の練習ばかりさせられて、ほとんど組ませてもらえないのでつまらなくなってやめてしまったのである。

 当時はまだ子供だったのでどうして受け身ばかりやらされるのか理解できなかった。しかし何事も基礎練習に無駄なことはない。後年あの時受け身をしっかり習っておいて良かったと思うことが度々あった。受け身を身に付けることの一番の効用は怪我を防げるということである。とっさに受け身が出るほど叩き込まれたことが後々非常に役に立った。例えば躓いて転んだ時に、どう対応するか頭で考えていたのでは間に合わない。危ないと思った瞬間とっさに受け身の体制に入れるくらい身についているから怪我を防げるのである。頭で考えるのではなく、体で覚えさせるためにあれほどしつこく練習させられたのだ。

 実際とっさに出た受け身が体を守ってくれた経験は何度もある。まだスキーをやり始めたころ。初心者向きの林間コースを滑っていた時、止まろうとしても止まらなくなってしまった。体が後傾姿勢になっているのでスキー板に力が伝わらない。だから止まろうと思っても止まれない。転べばいいのだろうが、次第に勢いがついてどんどんスピードが出てくるのでなおさら止まらない。コースの幅も狭いのでとにかくその時出来たのはできるだけ左右に曲がって直滑降にならないようにすることだけだった。

 ようやく広いゲレンデに出てほっとしたが、それもつかの間。はっきりとは見えにくいがその先が少しうねっていた。そのうねっている所の頂点で飛んだ!初心者がいきなりジャンプしたのだからたまらない。そのままつんのめるようにして大転倒。しばらく何が起こったのか理解できなかった。立ち上がって体を調べてみると、幸いまったく怪我はしていなかった。どこも捻ったり打ったりしていなかった。それで落ち着いて、やっと周りを見渡す余裕ができた。自分でも目を疑ったが、四方八方に身につけていたものが飛び散っている。正確には憶えていないので例えばの話だが、スキー板は左右別々の方に転がり、帽子は右後方、サングラスは左前方。スティックも左右泣き別れ。なんと片方の手袋まで取れている。一体何がどうなれば手袋まで取れるのか、その時不思議に思ったほどだ。それでいて体は全く怪我なし。どうやら着地した瞬間板が外れ、その後とっさに体を丸めて2、3回前転をするように転がったと思われる。

 転がることで衝撃を和らげる。これが受け身の効用である。何が起こったのか自分でもよく覚えていないくらいの瞬間的な出来事だった。体が勝手に反応して体を丸めたから怪我をしないで済んだわけだ。その後はずれたもの、脱げたものを全部拾い集めて、何事もなかったかのようにスキーを続けた。不思議に恐怖心も残らなかった。そこまでの大転倒は1度きりだが、その後も何回かスキー板が外れるほどの転倒をしたことがある。しかし一度もけがをしたことはない。毎回起き上がってすぐまた滑り出した。とっさに体を丸めるという無意識の反応が柔道をやめた後もずっと身についていたおかげだ。

 他にもこんな経験がある。東京にいた頃は調布市に住んでいたが、下宿のすぐ横を野川が流れていた。その川沿いの遊歩道を散歩していた時、錦鯉のようなものが川にいるのを発見。緑色の鉄柵を乗り越えて川まで下りて眺めた。間違いなく錦鯉だった。普通川に錦鯉がいるはずはない。誰かが放ったか、大雨の時にでも流れ込んだのだろう。ひとしきり眺めた後、土手を上ってまた柵を乗り越えようとした。片足を柵にのせ、もう一方の足を引き上げようとしたその時、土手の草が濡れていたのか靴底が濡れて滑りやすくなっていて足を滑らした。地面と体が平行な状態でまっすぐ下に落下。遊歩道側に落ちたが、そこは舗装されている。しかし手のひらを軽く擦りむいたりはしたかもしれないが、まったく怪我はしなかった。腰などを打ったりもしていない。これもとっさの出来事だったので何がどうなったのか覚えていないが、たぶん左側が下になる状態で落下したので、地面に落ちる直前に左手と左足を地面に軽くついて、それを支点にコロッと横に回転したのだと思う。落下の衝撃を回転力に変える。まさに受け身の原理そのもの。

 そんな経験を何度もして、柔道教室に通っていた時あれほどしつこく受け身の練習をさせられた意味がそこにあったのだとようやく気が付いた。もう10年くらい前か、躓いて転んだ時とっさに手が前に出なくてそのままの姿勢で倒れるので、鼻を打つ人が少なくないということを新聞で読んだことがある。信じられなかった。せめて手を出すぐらいのことがどうしてできなかったのか。それも手を突っ張っていては手に衝撃が集中するから、ひじを少し曲げて衝撃を吸収できるようにする。できれば回転する。なぜそんな簡単なことができないのか不思議に思ったが、とっさに体が反応できなければきっとそうなるのだろう。このままでは危ないと頭では分かっていても、とっさに体が対応できないから怪我をする。そういうことなのだろう。

 

 

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