以前から何か軽いエッセイをブログに書きたいと思っていた。朝日新聞の「三谷幸喜のありふれた生活」、伊藤理佐と益田ミリが交代で書いている同名のエッセイ「オトナになった女子たちへ」、「山田洋次 夢をつくる」などを愛読しているので、自分も何かそんな感じのエッセイを書きたいと思っていたのである。22年7月に「『白い道』、東京の下町訛り」という記事を書いたのもそういう思いからだが、その後がなかなか続かない。しかしもっと肩の力を抜いて、日々感じたことを気軽に書いてみるぐらいの気持ちでまずは書き始めてみることにした。いずれは毎週1回定期的に書けるようになりたいと思っているが、まずは思い立ったときにとにかく書いてみることから始めようと思う。
そのためには何かタイトルが必要なので、あれこれ思いつくまま候補を書き留めてみた。「独言独語」、「妄想妄語」、「夢想庵のひとりごと」などいろいろ考えたが、結局「悠遊雨滴」にした。仕事を退職し悠々自適の生活をしているので(年金だけしか収入がないので、つましい生活を余儀なくされてはいるが)、それをもじってみた。構えず悠々とし、遊び心を失わず、水滴が石を穿つように気長に続けてみようという意味を込めている。
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まず1回目は失敗談から。先日歯医者へ行った。当然歯医者の駐車場に車を停めるわけだが、途中うっかりして、いつもの習慣で手前の「イオン」の駐車場に入ってしまった。まあどうせ歯医者の後はここで買い物をするつもりだったので、いっそここに車を停めてしまえ。そう思ってそこに車を置いて、歯医者まで歩いて行った。ところが予約時間は3時だと思いこんでいたが実際は3時30分でまだ早いと窓口で言われる。待つ間本が読めるのでむしろ好都合、受付の人にはここで待ちますと伝えた。早速古賀太さんの『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』をバッグから取り出して読み始める。しかしどうもページが薄暗いし、ピントが合わなくて字が読みにくい。そこではっと気が付いた。サングラスをかけたままだった!その日は雲一つない上田晴れで、日差しが強いので車を運転するときにサングラスをかけていたことを忘れていた。しかし本来の眼鏡(これは遠近両用)は車の中。仕方がないのでまた歩いて「イオン」の駐車場へ戻る。また歩くのも面倒なので、今度はそのまま車で歯医者へ戻った。
その後はじっくり本を読んだ。『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』(集英社新書)はイタリア映画史をコンパクトにまとめた本で、新書版だから分かりやすい。実は、かつてフランスと並ぶヨーロッパの映画大国だったイタリアがどうしてこうも衰退してしまったのか、かねてから疑問だった。その理由が分かるかと思って買ったのだが、それ以外のところ、例えばほとんど一般には知られていないイタリア映画の黎明期の話から、ネオリアリズモ以前の話など、知らなかったことだらけで面白い。ネオリアリズモの前あたりから一気に慣れ親しんだ名前がどんどん出てくる。なじみの作品がたくさん出てくるが、これだけ整理されてまとめられると理解しやすい。今80年代ごろまで来たので、これからいよいよ不振期に入ってゆく。どう分析されているか、どこまで納得のゆく説明がされているか楽しみだ。ということで結果オーライだったが、それにしても3重の失敗に我ながらあきれる。まあもう年だからこんなことは珍しくはないが。むしろ、たっぷり本を読む時間ができた上に多少の運動にもなったので良かったと思う。
最後に余談だが、この本に名前が出てくる作品(特に名作、傑作と呼ばれる作品)はほとんど観ている。それでもネオリアリズモ以前の古いものはなかなか観る機会もなかったわけだが、今はかなり手に入りやすくなっている。コスミック出版から出ているCD10枚組で1800円というシリーズが容易に手に入るのだ。1枚180円!しかもリマスターされているので映像は鮮明だ。映像がきれいで、この安さで、しかも貴重な作品が盛りだくさん。買わない手はない。
そのシリーズの中には「イタリア映画コレクション」と題する特集がいくつも含まれている。今のところ「2ペンスの希望 DVD10枚組」(以後「DVD10枚組」は略す)、「ミラノの奇跡」、「越境者」、さらには「3大巨匠名作集」(ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ)を持っている。よく調べてみると他にも「殿方は嘘吐き」、「人生は素晴らしい」、「十字架の男」、「栄光の日々」もあり、いずれ全部買いそろえる予定である。これを全部揃えれば、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』に出てきて名前だけ知っている古い作品もかなり埋まることだろう。今からワクワクしている。
<付記>
『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』を最後まで読んだ。残念ながら、なぜあれほど栄えたイタリア映画が見る影もなく衰退してしまったのかという疑問に対する納得のゆく説明は結局なかった。イタリア国内の観客数が減ったなどの現象は書かれていても、なぜそうなったのか、それに対してどのような手を打ったのかについての深い分析はない。どういう新しい監督が登場し、どういう作品を作ったかが並べられるばかりだ。
テレビの普及で映画の観客が減ったのは何もイタリアに限らない、当時はどこの国でも同じように苦戦していた。しかし様々な努力や工夫をして90年代以降、特に21世紀に入ってから盛り返している国は(日本も含めて)少なくない。アメリカもかつての勢いはないが、イタリア映画ほどの激しい落ち込み様ではなく、それなりに一定の水準を保ってはいる。1976年に文革が終わった中国は80年代に息を吹き返し、次々と傑作を放ち世界の最高水準に並ぶ映画大国になった。スペイン内戦でファシストが勝利して以来長い間スペイン映画の歴史は検閲との戦いだった。しかし1975年に独裁者フランコが死んだ後、80年代にスペイン映画はルネッサンス期を迎え世界中の映画祭で次々に賞を取るようになった。ナチス台頭期に才能のあるユダヤ人や反ナチの映画人が大量に外国にのがれ、1920年代に世界でトップクラスの地位にあったドイツ映画はその後見る影もなく衰退していった。それが70年代から80年代にかけて新たな才能が続々台頭してきて、ニュー・ジャーマン・シネマと言われて一気に世界の第一線級に躍り出た。
デヴィッド・リーンやキャロル・リード監督など多くの巨匠を産んだイギリス映画界も60年代から退潮傾向が目立ち、70年代から80年代はどん底だった。80年代に首相を務めたサッチャーは新自由主義経済を導入し、かつて「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉国家を弱肉強食の競争国家に変えてしまった。長期低落傾向にあった経済は国家補償を削り自己努力を奨励する競争社会(イギリスはまさにリトル・アメリカと化した)に改造することで上向きになったが、貧富の差は拡大した。90年にサッチャーが退いた後、イギリスの映画人たちはとんでもない格差社会になった現状を批判的に描き出し、かつての巨匠の時代に匹敵する活況を90年代に取り戻した。長い歴史を持つ韓国映画界も国家によるテコ入れで1990年代から傑作が現れ始めた。とりわけアメリカで映画を学んできた人たちが韓国で次々とすぐれた作品を作り始めた2000年以降に絶頂期を迎える。
1980年代から、それまで映画を作っていたとは思いもしなかった国々の映画がどっと日本で公開されるようになってきた。2000年代に入ってその傾向は加速している。今や世界の様々な国の映画が観られるようになっている(しかもその水準はかなり高い)。女性監督も世界中で進出しており、世界映画の水準を押し上げる原動力の一つとなっている。
イタリアもそれなりに作品は作っており、注目すべき作品もいくつか生まれてはいるが、60年代までの勢いや作品水準とは比べるべくもない(実際、『永遠の映画大国 イタリア名画120年史』の冒頭で、著者自身も「映画大国イタリア」という言い方に驚く読者も多いだろうと書いている)。一体イタリアの映画産業に何が起こっていたのか。減ってゆく観客を呼び戻すためにイタリアの映画産業はどのような努力や工夫をし、国の文化政策は映画産業に対してどのような支援・援助をしてきたのか。またそれがどうしてあまり実を結ばないのか。そういった一番知りたいことにはほとんど言及されていない。イタリア映画衰退の謎はいまだ解明されていない。