アラン・タネール追悼+スイス映画紹介
スイスを代表する映画監督アラン・タネール(1929年、スイス、ジュネーヴ生まれ)が9月11日に亡くなったと報道された。長編第1作「どうなってもシャルル」(1969年)がロカルノ映画祭最高賞、「光年の彼方」(1981年)がカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しているが、日本ではあまり知られていなかったと言って良いだろう。
アラン・タネール作品が日本でよく上映されていたのは1980年代で、したがって僕がアラン・タネール作品を観たのも80年代である。「光年の彼方」は1986年1月23日にキネカ大森で、劇場公開されていない「サラマンドル」(1970年)は1985年3月5日にアテネ・フランセで観ている。有名な「ジョナスは2000年に25歳になる」(1976年)もずっと観たいと思っているが、いまだに観る機会を得ていない。1980年代当時スイス映画と言えばアラン・タネールとダニエル・シュミットが知られていた程度。ダニエル・シュミットは「カンヌ映画通り」(1981年)しか観ていないが、これを観たのも88年12月3日なのでやはり80年代だ。その年に東京を離れて上田に来ていたので、映画館ではなくレンタル・ビデオで観た。
結局アラン・タネール作品は2本しか観ていないわけだが、そもそも彼は寡作な人で7本くらいしか作っていない。アマゾンで調べてもDVDは1本も出ていないようだ(ビデオは何本か出ていたと思うが)。そんな状況だから観ている2本もおぼろげにしか覚えていない。当面見直す機会もなさそうだ。「光年の彼方」はシュールな作品で、どこか宗教的な要素もあり、そのせいか暗示的で不思議なエピソードが重ねられている。タイトルの「光年の彼方」は、主人公である青年ジョナスの師であるヨシュカの言葉から取られている。ヨシュカは瞑想によって肉体から魂を離脱させる方法を体得し、そうすることで光年のかなたまで飛んでゆくという願望を実現させたいと思っている。ラストで巨大な羽を付けて空を飛んでゆくシーンが非常に印象的である。後年、飯嶋和一の名著『始祖鳥記』(小学館文庫)を読んだが、この小説にも空を飛びたいという情熱があふれており、何か共通するものを感じたものだ。
もう1本の「サラマンドル」はアテネ・フランセで観たが、会場からするとおそらく字幕は英語だったと思われる。同じアテネ・フランセで有名なフランス映画「肉体の冠」を観たこともあるが、これも英語字幕で観終わった後どっと疲れを感じた覚えがある。ほとんど観る機会のない映画なので、観たことがある人はほんの一握りなのではないか。僕自身もほとんど内容は忘れており、ハード・ロックをガンガンかけて女の子が体を揺らしている最初のシーンだけ鮮明に覚えている。良い映画で観て良かったと思いながら会場を後にした記憶はあるが、肝心な内容を覚えていない。
それでも紹介する価値のある作品だと思うので、英語のサイトを参考にしてどんな話か簡単に求めておきたい。話は入り組んでいる。主要な登場人物は3人。ジャーナリストのピエール、その友人で住宅塗装業者のポール。そしてロザモンドという若い女性。これが冒頭でハード・ロックをガンガン聴いていた女の子だろう。ピエールはポールを巻き込んであるテレビ番組のスクリプトを描こうとしている。取材対象はあるライフルによる負傷事件である。負傷した本人は素行の悪い姪(これがロザモンドだ)に撃たれたと証言しているが、ロザモンドは叔父がライフルの手入れをしていて誤って自分を撃ったと主張する。真相は分からず、ロザモンドは起訴されていない。ピエールとポールは協力し合いながらそれぞれのやり方で調査を進める。その過程で二人ともロザモンド本人に会う。ポールはロザモンドの魅力のとりこになり、記事が書けなくなる。結局真相は分からないまま、取材記事は期限に間に合わず、取材費も使い果たして自然消滅。ロザモンドは嫌な上司のいる気に染まない仕事を辞めて微笑みながらクリスマスの夜に消えてゆく。少なくともしばらく彼女は自由だ。
ざっとこんな感じだ。う~ん、悲しいことにこれを読んでも全く何も思い出せない。しかしロザモンドが非常に魅力的だったのは覚えている。良い映画だったという印象にはラストの描き方が影響しているかもしれない。ヒロインが微笑みながら去ってゆくこのラストはフェリーニの名作「カビリアの夜」を思わせるからだ。
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2本しか観ていないのでは記事として十分ではないので、後半はお勧めのスイス映画を紹介しておこう。日本は映画も本も音楽も輸入大国で、世界中から映画や小説や音楽が入ってきている。これだけ外国文化を取り入れている国は世界でも珍しいと思われる。しかしさすがにスイス映画の公開数は少ない。それでも数こそ少ないが紹介に値する作品はいくつかある。
まず1991年度のアカデミー外国語映画賞に輝いた「ジャーニー・オブ・ホープ」。トルコに住むある貧しい一家がスイスへ密入国しようとする。その過酷な旅をリアルに描くずっしりと重たい作品。全体に地味な作品だが、旅の途中で様々な困難に出会う展開は波乱万丈である。特にアルプス越えのシーンが凄まじい。ほとんど知られていないが、見ごたえがある作品である。
「マルタのやさしい刺繍」(2006)はフランス映画「クレールの刺繍」(2004年)とよく似たタイトルだが、静謐で洗練された「クレールの刺繍」に対して、「マルタのやさしい刺繍」は小さな田舎の村での下世話な生活がリアルに描かれている。ランジェリー・ショップを夢見るマルタは保守的な村人たちに下着を売る店など破廉恥だと笑いものにされている。しかし夢をあきらめないマルタたちはインターネットでランジェリを売るという手を思いつき人気を得る。タイトルに「刺繍」が入った二つの映画、味わいは異なるがどちらもすぐれた女性映画である。
「僕のピアノコンチェルト」(2007):高すぎるIQ のために親に過大な期待をかけられて悩む天才少年ヴィトスの苦悩の物語。悩める少年を支えたのは祖父(ブルーノ・ガンツが名演)だった。抜きんでて優れた作品というほどではないが、愛すべきヒューマン・ドラマ。
アニメ・ファンによく知られているのが「ぼくの名前はズッキーニ」。ユニークな味わいのアニメだ。スイスのアニメの水準は分からないが、フランスとの共同制作なので、それが功を奏したと思われる。人形を使ったストップモーション・アニメ独特の、手作り感ある温かみのあるアニメである。高い技術的水準に、独特の味わいが加わった傑作(ニック・パークやチェコのアニメともまた違った味わいである)。
【おすすめのスイス映画】
「サラマンドル」(1970) アラン・タネール監督
「光年のかなた」(1980) アラン・タネール監督
「ジャーニー・オブ・ホープ」(1990) クサヴァー・コラー監督
「マルタのやさしい刺繍」(2006) ベティナ・オベルリ監督
「僕のピアノコンチェルト」(2007) フレディ・M・ムーラー監督
「ぼくの名前はズッキーニ」(2016)クロード・バラス監督、スイス・フランス
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