寄せ集め映画短評集 その19
久々の「寄せ集め映画短評集」シリーズの復活です。いずれも本格的なレビューとして書かれたものではなく、映画鑑賞の際の案内文、あるいは紹介文として書かれたものです。したがって深い分析は行っていません。むしろ肝心なところは意図的に外してあるといってもいいでしょう。鑑賞者が自分なりに考える(解釈する)余地を残すためです。とはいえ、なにがしかの役には立つと思いますので掲載することにしました。
<追記>
最後に「人生スイッチ」を追加しました。ファイルがどこかに紛れてしまい見つからなかったのですが、紙に印刷したものが見つかったのでワードで打ち直しました。その際若干文章を付け加えました。
「セントラル・ステーション」
1998年 ブラジル
監督:ヴァルテル・サレス
脚本:ホアオ・エマヌエル・カルネイロ、マルコス・ベルンステイン
撮影:ヴァルテル・カルヴァーリョ
出演:フェルナンダ・モンテネグロ、マリリア・ペーラ、ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ、ソイア・ライラ、オトン・バストス
オタヴィオ・アウグスト
「セントラル・ステーション」は20年前の映画でやや古いが、中南米映画を代表する名作である。タイトル通りリオ・デ・ジャネイロの中央駅から映画は始まるが、途中から首都ブラジリアがある内陸部高原地域にある小さな村へと向かうロード・ムービーに代わる。旅をするのはリオの中央駅で代書業を営む中年女性ドーラとその客だった女性の息子ジョズエの二人。ロード・ムービーの定石通り、はじめ反発しあっていた二人が旅を通じて心を通わせて行く展開となる。
しかしこの二人が善人として描かれていないところが良い。ドーラはかつて教師をしていたが、今は引退して代書業を営んでいる。しかし送料も受け取っておきながら、ほとんどの手紙は郵送していない。ちゃっかり着服しているのだ。家で自分が書いた手紙を読み上げては、鼻で笑って破いてごみ箱に捨ててしまう。なんとも底意地の悪い中年女性として描かれている。
一方のジョズエは、母親がドーラに代筆を頼んだ直後にバスに轢かれ死んでしまうという不幸に見舞われる。しかし保護者をなくした彼を引き取るものはなく、彼は駅の構内で浮浪児として生きてゆくしかない。とこのように不幸を背負った少年だが、純真でいたいけなか弱い少年として描かれてはいない。平然と「セックス」などという言葉を口にするませたガキなのである。この二人の組み合わせが良い。
派手な展開などほとんどない映画だが、リオでのエピソ-ドや旅(母親を亡くしたジョズエを手紙の宛先に住む父親のもとにドーラは送ろうとする)を通じて、ブラジル社会が抱える問題が浮かび上がってくる。代書業という職業が成り立つことからわかるように、当時のブラジルは識字率が低かった。字が書けない人に代わって手紙を代筆するのが代書業である。次から次へと客が現れることから、読み書きができない人がかなりいることが分かる。そしてその手紙の内容からはブラジルの人々の、豊かさとは程遠い、荒んでいるとさえ思える現実が読み取れる。駅の売店から品物を盗んだ青年は、追いかけてきた男たちに銃で撃ち殺されてしまう。
早くジョズエを厄介払いしようとドーラは彼を養子縁組斡旋所に渡すが、そこはたぶん臓器売買組織だと友人に指摘されて、慌てて連れ帰る。そのあおりで逃げるようにリオから乗ったバスの旅はひたすら何もない荒野を走る(「裸足の1500マイル」を思い出させるような景色が続く)。荒涼とした土地と文字も書けないままで生活している人々の姿(代書業をしているドーラの客はみな貧困層だ)。ごみごみとしたリオも雑然としているが、バスが通る乾いた高原地帯も寒々しいほど荒涼としている。
ドーラとジョズエの旅は全くの貧乏旅だが(途中でほとんど一文無しになってしまう)、旅先で出会う人々の人情にも触れる旅であった。親切なトラックの運転手などおおらかな人々との出会い。「サン・ジャックへの道」に描かれた巡礼の旅同様、この映画の旅にも浄化作用がある。ドーラとジョズエは一緒に旅をすることで互いに何かを得た。旅立つ前のドーラの心はバスの窓外の荒涼とした景色同様からからに乾いていた。しかし親切なトラック運転手と出会った彼女は、休憩所のトイレで口紅を塗る。彼女は自分の中で眠っていた女に目覚めたのだ。しかし彼女の変化に気づいたトラックの男は彼女たちを置いてトラックで立ち去ってしまう。手を差し伸べようとすると、すっと逃げてゆく幸せ。現実は簡単には変えられない。それでもからからに乾いた土地を旅する彼女たちの旅には何か潤いがあった。
リオ・デ・ジャネイロの中央駅は旅の出発点に過ぎないが、「セントラル・ステーション」というタイトルには重要な意味が込められている。駅、そこは人々が行きかう場所であり、その様々な人生が交錯する場所である。そこでドーラは代書屋をしているが、この映画では手紙が何度も重要な役割を果たしている。ジョズエの母が語りドーラが筆記した手紙の内容は、この母子を取り巻く状況を端的に説明する役割も兼ねている。手紙の内容から垣間見える人々の人生。手紙は人々の心の内側をのぞける窓口なのだ。旅の終わりにドーラが書いた手紙は、他人の思いの代筆ではなく、彼女自身の思いを込めた自筆の手紙だった。リオに戻るバスの中で手紙をつづるドーラ。手紙で始まり手紙で終わる。忘れがたいラストシーンである。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2016年、イギリス・フランス・ベルギー
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
撮影:ロビー・ライアン
出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・フィリップ・マキアナン、ブリアナ・シャン、ケイト・ラッター
シャロン・パーシー、ケマ・シカズウェ
かつて大英帝国として世界に君臨した英国も20世紀に入りかつての勢いを失う。揺らぎ始めた国家を下支えするために、イギリスは世界初の福祉国家の道を選択する。第2次世界大戦後のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに、医療費の無料化、雇用保険、救貧制度、公営住宅の建設などの体系的な社会保障制度を充実させた福祉国家を建設していった。これによってイギリス国民は最低生活が保障されていた。
しかし1970年代のオイルショックを契機にして、低成長、経済停滞、インフレと高失業率というスタグフレーションに悩まされ、長期低落の傾向から抜け出せなくなる。いわゆる「英国病」だ。この傾いた英国を立て直すために1979年に登場したのがマーガレット・サッチャー率いる保守党政権である。福祉政策は国家に頼る体質を人々に植えつけ、労働意欲をそいでいるとサッチャーは批判し、自助、独立の精神、努力、倹約、勤勉こそが人間の美徳だと主張した。つまり国は援助を減らすので、国に頼らず自分で努力しろという方向に切り替えたのである。こうしてサッチャーは社会保障を次々に削り取り、市場原理を導入し民営化、規制緩和を行った。競争意識が高まることによって経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延し、弱者は切り捨てられることになった。富める者と貧しき者との格差はさらに拡大した。這い上がる余地のない失業者や社会の最底辺にいる者たちは、出口のない閉塞した社会の中に捕らわれて抜け出せない。社会が人々を外から蝕み、酒とドラッグが中から蝕(むしば)んでゆく。
イギリスは表面上確かに豊かになったが、巷には失業者やホームレスがあふれ、麻薬、犯罪が蔓延していた。サッチャー政権(1979年~1990年)が終わった後の90年代にイギリス映画は息を吹き返したように活況を呈するが、「失業、貧困、犯罪」が90年代以降のイギリス映画を読み解く重要なキーワードとなった。
サッチャー政権後には労働党が政権を取った時期もあったが、労働党もサッチャーが敷いた路線を基本的には変えられなかった。福祉国家からリトル・アメリカと化したイギリス。その弱者切り捨て路線はとうとうここまで来たかと世界を唖然・憤然とさせたのがケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」である。
イギリスの社会保障システムは何と民間に委託され、効率優先の融通がきかない硬直した制度になり果てていた。役人以上にお役所的な紋切り型の対応。いくら努力してもどうにもいかなくなり、最後の手段として国を頼ってきた国民に次から次へと無理難題を突き付け、何が何でも手当など支給してやるもんかと言わんばかりに冷たく突き放す。
しかしこの映画はやせ細り、無機質なオンライン化された制度と化した国の福祉制度の杜撰さを批判するだけの映画ではない。主人公のダニエルは同じように国に突き放され困っているシングルマザーに寄り添い、人間として支えあう。そこに描かれる人間的共感が素晴らしい。しかし弱者同士が支えあっても道は開けない。ダニエルは国に立ち向かう決意をする。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」というタイトルには「私は人間だ、犬ではない」という劇中の言葉が含意されている。冷たい行政が非情なのは単に手当を出し渋るということにだけあるのではない。人間としての誇りをずたずたになるまで痛めつけるからである。ダニエルはそれに歯向かったのである。
監督のケン・ローチは90年代から2000年代にかけてのイギリス映画を代表する巨匠である。彼は一貫して、虐げられ下積みにされた人々に共感をこめて描いてきた。職もなく、金もなく、人間としての尊厳も奪われている人々。そういった人々の苦境を描きながら、その一方で彼らから金と権利を奪ってゆく連中の非情さもカメラに収める。悩み苦しみ時に暴走する人々を描くことにケン・ローチの関心があるが、それはしばしば政治性を帯びる。なぜなら人々に苦しみをもたらしているのが政治の歪みだからである。絶望的状況から這い上がろうとする人々の苦闘と悲哀を冷徹な視線で描き出し、かつその人々に熱い人間的共感を寄せる。彼の映画の魅力はそこにある。
<追記>
今ブレイディみかこ著『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を読んでいるが、その中の1章「餓死する人が出た社会、英国編」にこの映画とほぼ同じイギリスの実態が報告されている。「わたしは、ダニエル・ブレイク」は現実を大げさに描いているのではなく、むしろリアルに描き出していることがこの文章をからも分かる。
「ドリーム」
2016年製作 アメリカ 2017年日本公開
監督:セオドア・メルフィ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサー、ジャネール・モネイ、ケヴィン・コスナー、キルステン・ダンスト
ジム・パーソンズ
アメリカの人種差別問題を扱った映画はこれまでたくさん作られてきた。1962年の「アラバマ物語」(ロバート・マリガン監督)は特に人種差別意識が根強い深南部、アラバマ州の田舎町を舞台にしている。時代は1960年代に盛り上がった公民権運動よりさらに30年前の1930年代である。黒人の男による白人女性暴行事件が起こり、進歩派の弁護士(グレゴリー・ペック)が弁護を引き受けることになる。裁判を通じて冤罪の可能性が高まるが、陪審員の判決は有罪だった。被害者は無実の罪をかぶせられた上に、逃げようとして撃たれて死ぬ。白人たちによる嫌がらせも描かれるが、それを毅然と跳ね除ける白人弁護士の態度が強調された描き方になっている。全体としていかにも進歩派の知識人が書いたストーリーだという感じが強い。人間の良心に信頼を寄せ、その可能性を前向きにとらえようとする作者の姿勢を甘いとする批判もあろうが、感動的な作品であることは確かだ。この映画を観て弁護士を志した人が多いことは最近の法廷ドラマで良く言及される(ただし、そういう理想肌の奴らはさっさと弁護士をやめてしまうと揶揄的に扱われることが多いが)。
これが「夜の大捜査線」(1967年、ノーマン・ジュイソン監督)や「ミシシッピー・バーニング」(1988年、アラン・パーカー監督)になると、分厚い人種差別の壁に阻まれ容易に捜査は進まない。どちらもアメリカ南部が舞台で、その地域に染み付いている差別的で抑圧的雰囲気が息詰まるほどリアルに描かれている。
一方、80年代にはアリス・ウォーカーやトニ・モリソンに代表される黒人女性作家が活躍し始める。アリス・ウォーカーの代表作の一つ『カラー・パープル』は1982年に出版され、1985年に映画化されている(監督はスティーヴン・スピルバーグ)。ここでは女性で黒人という二重のハンディキャップを背負ったヒロインが登場することになる。
このようにアメリカの人種差別問題を扱った作品にも様々な系譜があることが分かる。NASAで初期の宇宙開発に関わった3人の黒人女性数学者を主人公にした映画「ドリーム」は、『カラー・パープル』の系譜に属する作品とみなせるだろう。身の危険を感じるほどのむき出しの差別はないが、とんでもなく離れたところにしか女性用トイレがないといった不便さに悩まされる。3人それぞれが持つ才能を認めさせることで理不尽な障害を一つずつ取り除き、夢を追い続ける彼女たちの姿には、重苦しさよりもむしろ「下町ロケット」に通じる明るいひたむきさを感じる。
「レバノン」
2009年 イスラエル・フランス・イギリス
監督:サミュエル・マオズ
脚本:サミュエル・マオズ
撮影監督:ジオラ・ビヤック
出演:ヨアヴ・ドナット、イタイ・ティラン、オシュリ・コーエン、ミハエル・モショノフ、ゾハール・シュトラウス
2000年台に次々に出現したイスラエル映画の傑作
2000年までだったらイスラエル映画と言われても思いつくものは1本もなかっただろう。ところが2000年台に入ると非常に優れたイスラエル映画が次々に出現した。「迷子の警察音楽隊」(2007、エラン・コリリン監督)、アニメ「戦場でワルツを」(2008、アリ・フォルマン監督)、「シリアの花嫁」(2004、エラン・リクリス監督)、そして「レバノン」。数は多くはないが、いずれも傑作である。「迷子の警察音楽隊」は哀調を帯びたコメディだが、「戦場でワルツを」、「シリアの花嫁」、「レバノン」の3本はシリアスな人間ドラマである。それぞれタッチは異なるが、どの映画にもイスラエルとその周辺のアラブ諸国との緊張をはらんだ関係が根底にある。
このほかにフランス映画だがイスラエルを主な舞台とした映画「約束の旅路」(2005、ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス)、イスラエル人夫婦とパレスチナ人夫婦の間で起こった子どもの取り違え事件を描いた「もうひとりの息子」(2012、ロレーヌ・レヴィ、フランス)がある。この2本もまたすぐれた作品である。「もうひとりの息子」は東京国際映画祭のグランプリ作品。「約束の旅路」は、キリスト教徒であることを隠してユダヤ人に成りすますことでスーダンの難民キャンプからイスラエルに逃れたエチオピアの少年を描いている。しかし印象的なのは、長い間差別を受けてきたユダヤ人が一方で黒人(黒いユダヤ人)を差別している実態が描き出されていることだ。
イスラエルのレバノン侵攻
イスラエルとアラブ諸国との深刻な対立はいまだにその解決の道が見いだせない。中東戦争は1973年の第4次中東戦争を持って終結したが、パレスチナ問題が解決されたわけではない。イスラエルとアラブ諸国との対立はなおも続く。1982年に起こったイスラエルのレバノン侵攻は実質的には第五次中東戦争と呼べるものだった。アメリカの支援を受けているイスラエルは中東戦争の間常に軍事的な優位を保ってきたが、レバノン侵攻は自衛の戦いではなく侵略だったために国内の世論を得られず、親イスラエル政権の樹立にも失敗した。イスラエルは泥沼にはまり込み、撤退に追い込まれた。
このレバノン侵攻を最初にまともに描いたのは上記の「戦場でワルツを」というアニメ映画である。これはかつて観たことのないアニメだった。その独特のタッチ、深い陰影、リアルな戦闘場面。パレスチナ人虐殺の真相が、失われた記憶を証人たちから聞くという形で次第に浮かび上がってくるサスペンスフルな展開。そして最後に止めを刺すように虐殺現場を撮った実写フィルムが映し出されるという構成。どの面をとっても1級品だった。ドキュメンタリー・アニメーションと呼ぶべき画期的作品である。
「レバノン」:戦車のスコープからのぞいた戦争の実態
「レバノン」はレバノン戦争の初日を描いている。なんといっても独特なのはその描き方である。カメラは戦車の中から出ない。戦車の堅い装甲に守られてはいるが、小さなスコープ越しにしか外が見られない閉塞感と不安感。閉ざされた空間の中の極限状況を描く。戦車に乗っているのは4人だが、彼ら以外にも死体が運びこまれたり、捕虜が連れてこられたりする。もともと狭い空間なのだが、「乗員」が増えればさらに緊張感が増し、息詰まるような閉塞感に観客までもがさいなまれる。ぐるっと回転していたスコープにロケットランチャーをこちらに向けて構えている敵兵が映った瞬間の恐怖感。実にリアルだった。ほとんどパニック状態の戦車内部もすさまじいが、スコープ越しに見える戦場の実態もまた過酷だった。
サミュエル・マオズ監督は1982年のレバノン侵攻にイスラエル軍の一人として参加したそうである。自らの体験を元に作られた映画なのである。第二次世界大戦末期のヨーロッパ戦線を舞台に、5台のシャーマン戦車の闘いを描いたアメリカ映画「フューリー」と比較してみるのも面白いだろう。
「みかんの丘」
2013年、ジョージア・エストニア
監督:ザザ・ウルシャゼ
脚本:ザザ・ウルシャゼ
撮影監督:ライン・コトフ
出演:レンビット・ウルフサク、エルモ・ヌガネン、ギオルギ・ナカシゼ、ミハイル・メスヒ、ライヴォ・トラス
「あの高地を取れ」、「フルメタル・ジャケット」、「シルミド」、「ジャーヘッド」、TVドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」等、鬼軍曹が入隊したばかりの新兵をしごき倒す映画はたくさんある。なぜあれほど非情なまでにしごき上げるのか。そこまで鍛え上げないと戦場で生き残れないからだ(現実的にはそこまでしても戦場で生き残れるのはごく少数だが)。だが新兵に戦闘技術を叩き込むだけが目的ではない。新米兵士に対する過酷な訓練は彼らを殺人機械に変えるための洗礼である。逆に言うと、そこまで追い詰めなければ人間は簡単に人を殺せないのである。
戦争映画や刑事ドラマではバタバタと敵兵や悪党たちを撃ち倒す場面が頻繁に出て来る。その時の敵兵や悪党たちはほとんど顔が見えない。しかし、一旦相手の顔を見て相手を人間として認識してしまったならば、そう簡単には人を撃てるものではない。兵士の顔、敵兵であってもそれは人格を表している。「バンド・オブ・ブラザーズ」のウィンタース中尉は戦闘中に1人のドイツ兵を撃ち殺した時、一瞬その青年の顔を見てしまった。その青年の顔は何度も彼の記憶の中に浮かび上がり、それ以後彼は銃を撃てなくなってしまった。
戦争を批判する映画には敵同士が身近に接する、つまり互いに相手の顔が見えるシチュエーションを意図的に設定するいくつかの作品がある。なぜそのような設定が必要なのかは以上の説明で理解できるだろ。「ノー・マンズ・ランド」、「JSA」、「ククーシュカ ラップランドの妖精」、そして「トンマッコルへようこそ」などがその代表的な作品である。いずれも敵同士であったものがたまたま偶然によって同じ場所に閉じ込められてしまうのだ。
「ノー・マンズ・ランド」の舞台はボスニア紛争真っ直中のボスニアとセルビアの中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の中である。その塹壕の中でセルビア兵とセルビア兵がにらみ合って動けないでいる。なぜなら間にもう一人のボスニア兵が横たわっており、その背中の下には地雷が仕掛けられているからである。この膠着状態から抜け出すため敵対する二人の兵士はやむを得ず協力し合うことに。やがて二人は心を通わせあうことになるが、もちろんハッピーな結末にはならない。「JSA」も事の発端は地雷だった。韓国と北朝鮮の境界にある板門店で韓国兵が誤って北朝鮮側に入ってしまい、地雷を踏んで動けなくなってしまう。それを北朝鮮側の兵士二人が地雷を解除して助ける。それがきっかけで3人は仲良くなり、時々一緒に酒を飲んだりする仲になる。しかしこの映画も結果は悲惨なものになる。「ククーシュカ ラップランドの妖精」では大地の母を思わせるククーシュカ(少数民族のサーミ人)を登場させる。彼女はたまたま一緒に暮らすようになった敵対する二人の兵士(フィンランド兵とソ連兵)を大地のように包み込み、それぞれの子供を産む。「トンマッコルへようこそ」が試みたのはトンマッコルという架空の理想郷を作り、北朝鮮と韓国の兵士たちをその中に投げ込んで敵対意識を消し去るというファンタジーないし寓話的方法である。しかしその平安を破る存在が現れる。朝鮮戦争に介入していたアメリカ軍である。
ジョージア(旧称グルジア)映画「みかんの丘」もこの系譜に属する作品である。舞台はジョージアのアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。普段はのどかな地域だが、ジョージアとアブハジアの間で紛争が勃発してしまった。ほとんどのエストニア人がこの地を離れる中、イヴォとマルゴスはなおも残ってみかんの収穫をしていた。しかし次第に戦況が悪化し、イヴォは負傷した2人の兵士(アブハジアを支援するチェチェンのアフメドとジョージア兵のニコ)を自宅で看護することになった。一つ屋根の下、やがて2人は敵兵の存在を知り、互いに殺しあおうとする。イヴォが間に入って2人をなだめる。2人もこれに従い、徐々に相手に親近感を抱くようになる。この映画の結末は果たして上記の作品のように悲惨なものになるのだろうか。
アブハジア紛争はアブハジアがジョージアからの独立を求めたことがきっかけで勃発した。1989年に東西の冷戦は終結したが、その後世界中で地域紛争が次々に起こった。多民族が入り混じっている地域は常に紛争の火種を抱えていると言って良いだろう。ウルシャゼ監督は「世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかった」と語っている。戦争の不条理さ、無慈悲さ、そして理不尽さ。その中で敵対する兵士を平等に助けるイヴォの存在。「殺す 殺すって そんな権利誰が与えた?」という彼の言葉をしっかりと受け止めたい。
「人生スイッチ」
2014年 アルゼンチン・スペイン 2015年公開
監督:ダミアン・ジフロン
脚本:ダミアン・ジフロン
出演:リカルド・ダリン、オスカル・マルティネス、エリカ・リバス、リタ・コルテセ
ダリオ・グランディネッティ、フリエタ・ジルベルベルグ
アルゼンチンはブラジルやメキシコと並んで中南米映画を代表する国である。中でもアルゼンチン映画のレベルの高さは頭抜けている。「人生スイッチ」はアルゼンチンで歴代1位の興行成績を上げたヒット作で、アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされた。
「おかえし」、「おもてなし」、「パンク」、「ヒーローになるために」、「愚息」、「HAPPY WEDDING」の6つのエピソードからなるオムニバス・コメディ。いや、オムニバスというと何人かの異なった監督が1編ずつ担当しているというイメージがあるが、この映画はひとりの監督が手がけているのでアンソロジーと呼ぶ方がふさわしいかもしれない(小説でいえば短編集のようなもの)。これまで観たことのないほどブラックな味わい。一旦ボタンを掛け違えると、そこまでやるかとあきれるほど登場人物たちは暴走してゆく。不条理な領域にまで突入してゆく人間の愚かさ。止まらない怒りは傍から見るととんでもなく滑稽に映る。どこまでも落下してゆく、ねじれた不条理の世界。過激ではあるが、痛快でもある。ブラックな笑いに満ちているが、社会の矛盾や閉塞感に対する風刺もピリッと効いている。押してはいけないスイッチを押してしまった人々。「人生スイッチ」という邦題はこの映画の特質をうまく引き出している(英訳のタイトルは Wild Tales)。
この映画について監督のダミアン・ジフロンは次のように語っている。「人生において、逮捕されたり死にたくなければ自分自身を抑制しなくてはならない時がある。だから、喧嘩したくても出来ないときもあるんだ。でも、抑制していることの代償も大きい。生きていた方が良いけど、あれを言えば良かった、こうすれば良かった、と過去を思い悩むことになる。芸術や脚本の中では抑制する必要なんてない。最後の最後まで突き進んで、その経験を変換して観客に見せればいいんだ。血や苦悩が見えても、観客は大いに笑ってくれると思うよ。抑制するのではなく、反抗することの楽しさや欲求を理解できるだろうから。」
最後の「反抗することの楽しさ」という表現が暗示的だ。この映画は人間の愚かさを高みから見下ろして笑っているのではなく、政治的、社会的混乱が招いた不条理なまでの格差や矛盾、不寛容を当事者たちの目線でえぐりだした風刺劇なのである。日本ではなかなかこんな作品は作れない。日本のテレビ・ドラマなどでよく批判の標的にされるのは組織の中間職の上司。部下にはどなりちらし、上司にはこびへつらい、何か緊急事態が起こるとただおろおろするばかりの男たち。部下たちが真相を暴こうとすると必ず上からストップがかかる。それに対抗するのが勝手に行動する一匹オオカミのような存在というお決まりのパターン。ほぼ図式化されている。せいぜいそんなところだ。社会批判それ自体が事実上ご法度で、制作側が勝手に忖度し、いらぬ自主規制をしてしまう。だから「人生スイッチ」のような反体制的な作品が登場しにくい。「人生スイッチ」で監督のダミアン・ジフロンは怒りを解き放つ。もっと怒りをぶつけろとばかりに。すべてのエピソードが政治的なわけではないが、どのエピソードでも怒りが噴出している。怒りこそが鬱積した不満、社会への鬱憤を晴らす。ブラックな笑いはそんな下地から湧き上がってくるのだろう。