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2022年9月

2022年9月29日 (木)

寄せ集め映画短評集 その19

 久々の「寄せ集め映画短評集」シリーズの復活です。いずれも本格的なレビューとして書かれたものではなく、映画鑑賞の際の案内文、あるいは紹介文として書かれたものです。したがって深い分析は行っていません。むしろ肝心なところは意図的に外してあるといってもいいでしょう。鑑賞者が自分なりに考える(解釈する)余地を残すためです。とはいえ、なにがしかの役には立つと思いますので掲載することにしました。
<追記>
 最後に「人生スイッチ」を追加しました。ファイルがどこかに紛れてしまい見つからなかったのですが、紙に印刷したものが見つかったのでワードで打ち直しました。その際若干文章を付け加えました。

 

「セントラル・ステーション」
1998年 ブラジル
監督:ヴァルテル・サレス
脚本:ホアオ・エマヌエル・カルネイロ、マルコス・ベルンステイン
撮影:ヴァルテル・カルヴァーリョ
出演:フェルナンダ・モンテネグロ、マリリア・ペーラ、ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ、ソイア・ライラ、オトン・バストス
  オタヴィオ・アウグスト

 

 「セントラル・ステーション」は20年前の映画でやや古いが、中南米映画を代表する名作である。タイトル通りリオ・デ・ジャネイロの中央駅から映画は始まるが、途中から首都ブラジリアがある内陸部高原地域にある小さな村へと向かうロード・ムービーに代わる。旅をするのはリオの中央駅で代書業を営む中年女性ドーラとその客だった女性の息子ジョズエの二人。ロード・ムービーの定石通り、はじめ反発しあっていた二人が旅を通じて心を通わせて行く展開となる。

 しかしこの二人が善人として描かれていないところが良い。ドーラはかつて教師をしていたが、今は引退して代書業を営んでいる。しかし送料も受け取っておきながら、ほとんどの手紙は郵送していない。ちゃっかり着服しているのだ。家で自分が書いた手紙を読み上げては、鼻で笑って破いてごみ箱に捨ててしまう。なんとも底意地の悪い中年女性として描かれている。

 一方のジョズエは、母親がドーラに代筆を頼んだ直後にバスに轢かれ死んでしまうという不幸に見舞われる。しかし保護者をなくした彼を引き取るものはなく、彼は駅の構内で浮浪児として生きてゆくしかない。とこのように不幸を背負った少年だが、純真でいたいけなか弱い少年として描かれてはいない。平然と「セックス」などという言葉を口にするませたガキなのである。この二人の組み合わせが良い。

 派手な展開などほとんどない映画だが、リオでのエピソ-ドや旅(母親を亡くしたジョズエを手紙の宛先に住む父親のもとにドーラは送ろうとする)を通じて、ブラジル社会が抱える問題が浮かび上がってくる。代書業という職業が成り立つことからわかるように、当時のブラジルは識字率が低かった。字が書けない人に代わって手紙を代筆するのが代書業である。次から次へと客が現れることから、読み書きができない人がかなりいることが分かる。そしてその手紙の内容からはブラジルの人々の、豊かさとは程遠い、荒んでいるとさえ思える現実が読み取れる。駅の売店から品物を盗んだ青年は、追いかけてきた男たちに銃で撃ち殺されてしまう。 

 早くジョズエを厄介払いしようとドーラは彼を養子縁組斡旋所に渡すが、そこはたぶん臓器売買組織だと友人に指摘されて、慌てて連れ帰る。そのあおりで逃げるようにリオから乗ったバスの旅はひたすら何もない荒野を走る(「裸足の1500マイル」を思い出させるような景色が続く)。荒涼とした土地と文字も書けないままで生活している人々の姿(代書業をしているドーラの客はみな貧困層だ)。ごみごみとしたリオも雑然としているが、バスが通る乾いた高原地帯も寒々しいほど荒涼としている。

 ドーラとジョズエの旅は全くの貧乏旅だが(途中でほとんど一文無しになってしまう)、旅先で出会う人々の人情にも触れる旅であった。親切なトラックの運転手などおおらかな人々との出会い。「サン・ジャックへの道」に描かれた巡礼の旅同様、この映画の旅にも浄化作用がある。ドーラとジョズエは一緒に旅をすることで互いに何かを得た。旅立つ前のドーラの心はバスの窓外の荒涼とした景色同様からからに乾いていた。しかし親切なトラック運転手と出会った彼女は、休憩所のトイレで口紅を塗る。彼女は自分の中で眠っていた女に目覚めたのだ。しかし彼女の変化に気づいたトラックの男は彼女たちを置いてトラックで立ち去ってしまう。手を差し伸べようとすると、すっと逃げてゆく幸せ。現実は簡単には変えられない。それでもからからに乾いた土地を旅する彼女たちの旅には何か潤いがあった。

 リオ・デ・ジャネイロの中央駅は旅の出発点に過ぎないが、「セントラル・ステーション」というタイトルには重要な意味が込められている。駅、そこは人々が行きかう場所であり、その様々な人生が交錯する場所である。そこでドーラは代書屋をしているが、この映画では手紙が何度も重要な役割を果たしている。ジョズエの母が語りドーラが筆記した手紙の内容は、この母子を取り巻く状況を端的に説明する役割も兼ねている。手紙の内容から垣間見える人々の人生。手紙は人々の心の内側をのぞける窓口なのだ。旅の終わりにドーラが書いた手紙は、他人の思いの代筆ではなく、彼女自身の思いを込めた自筆の手紙だった。リオに戻るバスの中で手紙をつづるドーラ。手紙で始まり手紙で終わる。忘れがたいラストシーンである。

 

「わたしは、ダニエル・ブレイク」
2016年、イギリス・フランス・ベルギー
監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァーティ
撮影:ロビー・ライアン
出演:デイヴ・ジョーンズ、ヘイリー・スクワイアーズ、ディラン・フィリップ・マキアナン、ブリアナ・シャン、ケイト・ラッター
  シャロン・パーシー、ケマ・シカズウェ

 

 かつて大英帝国として世界に君臨した英国も20世紀に入りかつての勢いを失う。揺らぎ始めた国家を下支えするために、イギリスは世界初の福祉国家の道を選択する。第2次世界大戦後のイギリスは「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに、医療費の無料化、雇用保険、救貧制度、公営住宅の建設などの体系的な社会保障制度を充実させた福祉国家を建設していった。これによってイギリス国民は最低生活が保障されていた。

 しかし1970年代のオイルショックを契機にして、低成長、経済停滞、インフレと高失業率というスタグフレーションに悩まされ、長期低落の傾向から抜け出せなくなる。いわゆる「英国病」だ。この傾いた英国を立て直すために1979年に登場したのがマーガレット・サッチャー率いる保守党政権である。福祉政策は国家に頼る体質を人々に植えつけ、労働意欲をそいでいるとサッチャーは批判し、自助、独立の精神、努力、倹約、勤勉こそが人間の美徳だと主張した。つまり国は援助を減らすので、国に頼らず自分で努力しろという方向に切り替えたのである。こうしてサッチャーは社会保障を次々に削り取り、市場原理を導入し民営化、規制緩和を行った。競争意識が高まることによって経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延し、弱者は切り捨てられることになった。富める者と貧しき者との格差はさらに拡大した。這い上がる余地のない失業者や社会の最底辺にいる者たちは、出口のない閉塞した社会の中に捕らわれて抜け出せない。社会が人々を外から蝕み、酒とドラッグが中から蝕(むしば)んでゆく。

 イギリスは表面上確かに豊かになったが、巷には失業者やホームレスがあふれ、麻薬、犯罪が蔓延していた。サッチャー政権(1979年~1990年)が終わった後の90年代にイギリス映画は息を吹き返したように活況を呈するが、「失業、貧困、犯罪」が90年代以降のイギリス映画を読み解く重要なキーワードとなった。

 サッチャー政権後には労働党が政権を取った時期もあったが、労働党もサッチャーが敷いた路線を基本的には変えられなかった。福祉国家からリトル・アメリカと化したイギリス。その弱者切り捨て路線はとうとうここまで来たかと世界を唖然・憤然とさせたのがケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」である。

 イギリスの社会保障システムは何と民間に委託され、効率優先の融通がきかない硬直した制度になり果てていた。役人以上にお役所的な紋切り型の対応。いくら努力してもどうにもいかなくなり、最後の手段として国を頼ってきた国民に次から次へと無理難題を突き付け、何が何でも手当など支給してやるもんかと言わんばかりに冷たく突き放す。

 しかしこの映画はやせ細り、無機質なオンライン化された制度と化した国の福祉制度の杜撰さを批判するだけの映画ではない。主人公のダニエルは同じように国に突き放され困っているシングルマザーに寄り添い、人間として支えあう。そこに描かれる人間的共感が素晴らしい。しかし弱者同士が支えあっても道は開けない。ダニエルは国に立ち向かう決意をする。

 「わたしは、ダニエル・ブレイク」というタイトルには「私は人間だ、犬ではない」という劇中の言葉が含意されている。冷たい行政が非情なのは単に手当を出し渋るということにだけあるのではない。人間としての誇りをずたずたになるまで痛めつけるからである。ダニエルはそれに歯向かったのである。

 監督のケン・ローチは90年代から2000年代にかけてのイギリス映画を代表する巨匠である。彼は一貫して、虐げられ下積みにされた人々に共感をこめて描いてきた。職もなく、金もなく、人間としての尊厳も奪われている人々。そういった人々の苦境を描きながら、その一方で彼らから金と権利を奪ってゆく連中の非情さもカメラに収める。悩み苦しみ時に暴走する人々を描くことにケン・ローチの関心があるが、それはしばしば政治性を帯びる。なぜなら人々に苦しみをもたらしているのが政治の歪みだからである。絶望的状況から這い上がろうとする人々の苦闘と悲哀を冷徹な視線で描き出し、かつその人々に熱い人間的共感を寄せる。彼の映画の魅力はそこにある。

<追記>
 今ブレイディみかこ著『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を読んでいるが、その中の1章「餓死する人が出た社会、英国編」にこの映画とほぼ同じイギリスの実態が報告されている。「わたしは、ダニエル・ブレイク」は現実を大げさに描いているのではなく、むしろリアルに描き出していることがこの文章をからも分かる。

 

「ドリーム」
2016年製作 アメリカ 2017年日本公開
監督:セオドア・メルフィ
出演:タラジ・P・ヘンソン、オクタヴィア・スペンサー、ジャネール・モネイ、ケヴィン・コスナー、キルステン・ダンスト
   ジム・パーソンズ

 

 アメリカの人種差別問題を扱った映画はこれまでたくさん作られてきた。1962年の「アラバマ物語」(ロバート・マリガン監督)は特に人種差別意識が根強い深南部、アラバマ州の田舎町を舞台にしている。時代は1960年代に盛り上がった公民権運動よりさらに30年前の1930年代である。黒人の男による白人女性暴行事件が起こり、進歩派の弁護士(グレゴリー・ペック)が弁護を引き受けることになる。裁判を通じて冤罪の可能性が高まるが、陪審員の判決は有罪だった。被害者は無実の罪をかぶせられた上に、逃げようとして撃たれて死ぬ。白人たちによる嫌がらせも描かれるが、それを毅然と跳ね除ける白人弁護士の態度が強調された描き方になっている。全体としていかにも進歩派の知識人が書いたストーリーだという感じが強い。人間の良心に信頼を寄せ、その可能性を前向きにとらえようとする作者の姿勢を甘いとする批判もあろうが、感動的な作品であることは確かだ。この映画を観て弁護士を志した人が多いことは最近の法廷ドラマで良く言及される(ただし、そういう理想肌の奴らはさっさと弁護士をやめてしまうと揶揄的に扱われることが多いが)。

 これが「夜の大捜査線」(1967年、ノーマン・ジュイソン監督)や「ミシシッピー・バーニング」(1988年、アラン・パーカー監督)になると、分厚い人種差別の壁に阻まれ容易に捜査は進まない。どちらもアメリカ南部が舞台で、その地域に染み付いている差別的で抑圧的雰囲気が息詰まるほどリアルに描かれている。

 一方、80年代にはアリス・ウォーカーやトニ・モリソンに代表される黒人女性作家が活躍し始める。アリス・ウォーカーの代表作の一つ『カラー・パープル』は1982年に出版され、1985年に映画化されている(監督はスティーヴン・スピルバーグ)。ここでは女性で黒人という二重のハンディキャップを背負ったヒロインが登場することになる。

 このようにアメリカの人種差別問題を扱った作品にも様々な系譜があることが分かる。NASAで初期の宇宙開発に関わった3人の黒人女性数学者を主人公にした映画「ドリーム」は、『カラー・パープル』の系譜に属する作品とみなせるだろう。身の危険を感じるほどのむき出しの差別はないが、とんでもなく離れたところにしか女性用トイレがないといった不便さに悩まされる。3人それぞれが持つ才能を認めさせることで理不尽な障害を一つずつ取り除き、夢を追い続ける彼女たちの姿には、重苦しさよりもむしろ「下町ロケット」に通じる明るいひたむきさを感じる。

 

「レバノン」
2009年 イスラエル・フランス・イギリス
監督:サミュエル・マオズ
脚本:サミュエル・マオズ
撮影監督:ジオラ・ビヤック
出演:ヨアヴ・ドナット、イタイ・ティラン、オシュリ・コーエン、ミハエル・モショノフ、ゾハール・シュトラウス

 

2000年台に次々に出現したイスラエル映画の傑作
 2000年までだったらイスラエル映画と言われても思いつくものは1本もなかっただろう。ところが2000年台に入ると非常に優れたイスラエル映画が次々に出現した。「迷子の警察音楽隊」(2007、エラン・コリリン監督)、アニメ「戦場でワルツを」(2008、アリ・フォルマン監督)、「シリアの花嫁」(2004、エラン・リクリス監督)、そして「レバノン」。数は多くはないが、いずれも傑作である。「迷子の警察音楽隊」は哀調を帯びたコメディだが、「戦場でワルツを」、「シリアの花嫁」、「レバノン」の3本はシリアスな人間ドラマである。それぞれタッチは異なるが、どの映画にもイスラエルとその周辺のアラブ諸国との緊張をはらんだ関係が根底にある。

 このほかにフランス映画だがイスラエルを主な舞台とした映画「約束の旅路」(2005、ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス)、イスラエル人夫婦とパレスチナ人夫婦の間で起こった子どもの取り違え事件を描いた「もうひとりの息子」(2012、ロレーヌ・レヴィ、フランス)がある。この2本もまたすぐれた作品である。「もうひとりの息子」は東京国際映画祭のグランプリ作品。「約束の旅路」は、キリスト教徒であることを隠してユダヤ人に成りすますことでスーダンの難民キャンプからイスラエルに逃れたエチオピアの少年を描いている。しかし印象的なのは、長い間差別を受けてきたユダヤ人が一方で黒人(黒いユダヤ人)を差別している実態が描き出されていることだ。

 

イスラエルのレバノン侵攻
 イスラエルとアラブ諸国との深刻な対立はいまだにその解決の道が見いだせない。中東戦争は1973年の第4次中東戦争を持って終結したが、パレスチナ問題が解決されたわけではない。イスラエルとアラブ諸国との対立はなおも続く。1982年に起こったイスラエルのレバノン侵攻は実質的には第五次中東戦争と呼べるものだった。アメリカの支援を受けているイスラエルは中東戦争の間常に軍事的な優位を保ってきたが、レバノン侵攻は自衛の戦いではなく侵略だったために国内の世論を得られず、親イスラエル政権の樹立にも失敗した。イスラエルは泥沼にはまり込み、撤退に追い込まれた。

 このレバノン侵攻を最初にまともに描いたのは上記の「戦場でワルツを」というアニメ映画である。これはかつて観たことのないアニメだった。その独特のタッチ、深い陰影、リアルな戦闘場面。パレスチナ人虐殺の真相が、失われた記憶を証人たちから聞くという形で次第に浮かび上がってくるサスペンスフルな展開。そして最後に止めを刺すように虐殺現場を撮った実写フィルムが映し出されるという構成。どの面をとっても1級品だった。ドキュメンタリー・アニメーションと呼ぶべき画期的作品である。

 

「レバノン」:戦車のスコープからのぞいた戦争の実態
 「レバノン」はレバノン戦争の初日を描いている。なんといっても独特なのはその描き方である。カメラは戦車の中から出ない。戦車の堅い装甲に守られてはいるが、小さなスコープ越しにしか外が見られない閉塞感と不安感。閉ざされた空間の中の極限状況を描く。戦車に乗っているのは4人だが、彼ら以外にも死体が運びこまれたり、捕虜が連れてこられたりする。もともと狭い空間なのだが、「乗員」が増えればさらに緊張感が増し、息詰まるような閉塞感に観客までもがさいなまれる。ぐるっと回転していたスコープにロケットランチャーをこちらに向けて構えている敵兵が映った瞬間の恐怖感。実にリアルだった。ほとんどパニック状態の戦車内部もすさまじいが、スコープ越しに見える戦場の実態もまた過酷だった。

 サミュエル・マオズ監督は1982年のレバノン侵攻にイスラエル軍の一人として参加したそうである。自らの体験を元に作られた映画なのである。第二次世界大戦末期のヨーロッパ戦線を舞台に、5台のシャーマン戦車の闘いを描いたアメリカ映画「フューリー」と比較してみるのも面白いだろう。

 

「みかんの丘」
2013年、ジョージア・エストニア
監督:ザザ・ウルシャゼ
脚本:ザザ・ウルシャゼ
撮影監督:ライン・コトフ
出演:レンビット・ウルフサク、エルモ・ヌガネン、ギオルギ・ナカシゼ、ミハイル・メスヒ、ライヴォ・トラス

 

 「あの高地を取れ」、「フルメタル・ジャケット」、「シルミド」、「ジャーヘッド」、TVドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」等、鬼軍曹が入隊したばかりの新兵をしごき倒す映画はたくさんある。なぜあれほど非情なまでにしごき上げるのか。そこまで鍛え上げないと戦場で生き残れないからだ(現実的にはそこまでしても戦場で生き残れるのはごく少数だが)。だが新兵に戦闘技術を叩き込むだけが目的ではない。新米兵士に対する過酷な訓練は彼らを殺人機械に変えるための洗礼である。逆に言うと、そこまで追い詰めなければ人間は簡単に人を殺せないのである。

 戦争映画や刑事ドラマではバタバタと敵兵や悪党たちを撃ち倒す場面が頻繁に出て来る。その時の敵兵や悪党たちはほとんど顔が見えない。しかし、一旦相手の顔を見て相手を人間として認識してしまったならば、そう簡単には人を撃てるものではない。兵士の顔、敵兵であってもそれは人格を表している。「バンド・オブ・ブラザーズ」のウィンタース中尉は戦闘中に1人のドイツ兵を撃ち殺した時、一瞬その青年の顔を見てしまった。その青年の顔は何度も彼の記憶の中に浮かび上がり、それ以後彼は銃を撃てなくなってしまった。

 戦争を批判する映画には敵同士が身近に接する、つまり互いに相手の顔が見えるシチュエーションを意図的に設定するいくつかの作品がある。なぜそのような設定が必要なのかは以上の説明で理解できるだろ。「ノー・マンズ・ランド」、「JSA」、「ククーシュカ ラップランドの妖精」、そして「トンマッコルへようこそ」などがその代表的な作品である。いずれも敵同士であったものがたまたま偶然によって同じ場所に閉じ込められてしまうのだ。

 「ノー・マンズ・ランド」の舞台はボスニア紛争真っ直中のボスニアとセルビアの中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の中である。その塹壕の中でセルビア兵とセルビア兵がにらみ合って動けないでいる。なぜなら間にもう一人のボスニア兵が横たわっており、その背中の下には地雷が仕掛けられているからである。この膠着状態から抜け出すため敵対する二人の兵士はやむを得ず協力し合うことに。やがて二人は心を通わせあうことになるが、もちろんハッピーな結末にはならない。「JSA」も事の発端は地雷だった。韓国と北朝鮮の境界にある板門店で韓国兵が誤って北朝鮮側に入ってしまい、地雷を踏んで動けなくなってしまう。それを北朝鮮側の兵士二人が地雷を解除して助ける。それがきっかけで3人は仲良くなり、時々一緒に酒を飲んだりする仲になる。しかしこの映画も結果は悲惨なものになる。「ククーシュカ ラップランドの妖精」では大地の母を思わせるククーシュカ(少数民族のサーミ人)を登場させる。彼女はたまたま一緒に暮らすようになった敵対する二人の兵士(フィンランド兵とソ連兵)を大地のように包み込み、それぞれの子供を産む。「トンマッコルへようこそ」が試みたのはトンマッコルという架空の理想郷を作り、北朝鮮と韓国の兵士たちをその中に投げ込んで敵対意識を消し去るというファンタジーないし寓話的方法である。しかしその平安を破る存在が現れる。朝鮮戦争に介入していたアメリカ軍である。
 
 ジョージア(旧称グルジア)映画「みかんの丘」もこの系譜に属する作品である。舞台はジョージアのアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。普段はのどかな地域だが、ジョージアとアブハジアの間で紛争が勃発してしまった。ほとんどのエストニア人がこの地を離れる中、イヴォとマルゴスはなおも残ってみかんの収穫をしていた。しかし次第に戦況が悪化し、イヴォは負傷した2人の兵士(アブハジアを支援するチェチェンのアフメドとジョージア兵のニコ)を自宅で看護することになった。一つ屋根の下、やがて2人は敵兵の存在を知り、互いに殺しあおうとする。イヴォが間に入って2人をなだめる。2人もこれに従い、徐々に相手に親近感を抱くようになる。この映画の結末は果たして上記の作品のように悲惨なものになるのだろうか。

 アブハジア紛争はアブハジアがジョージアからの独立を求めたことがきっかけで勃発した。1989年に東西の冷戦は終結したが、その後世界中で地域紛争が次々に起こった。多民族が入り混じっている地域は常に紛争の火種を抱えていると言って良いだろう。ウルシャゼ監督は「世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかった」と語っている。戦争の不条理さ、無慈悲さ、そして理不尽さ。その中で敵対する兵士を平等に助けるイヴォの存在。「殺す 殺すって そんな権利誰が与えた?」という彼の言葉をしっかりと受け止めたい。

 

「人生スイッチ」
2014年 アルゼンチン・スペイン 2015年公開
監督:ダミアン・ジフロン
脚本:ダミアン・ジフロン
出演:リカルド・ダリン、オスカル・マルティネス、エリカ・リバス、リタ・コルテセ
   ダリオ・グランディネッティ、フリエタ・ジルベルベルグ

 

 アルゼンチンはブラジルやメキシコと並んで中南米映画を代表する国である。中でもアルゼンチン映画のレベルの高さは頭抜けている。「人生スイッチ」はアルゼンチンで歴代1位の興行成績を上げたヒット作で、アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされた。

 「おかえし」、「おもてなし」、「パンク」、「ヒーローになるために」、「愚息」、「HAPPY WEDDING」の6つのエピソードからなるオムニバス・コメディ。いや、オムニバスというと何人かの異なった監督が1編ずつ担当しているというイメージがあるが、この映画はひとりの監督が手がけているのでアンソロジーと呼ぶ方がふさわしいかもしれない(小説でいえば短編集のようなもの)。これまで観たことのないほどブラックな味わい。一旦ボタンを掛け違えると、そこまでやるかとあきれるほど登場人物たちは暴走してゆく。不条理な領域にまで突入してゆく人間の愚かさ。止まらない怒りは傍から見るととんでもなく滑稽に映る。どこまでも落下してゆく、ねじれた不条理の世界。過激ではあるが、痛快でもある。ブラックな笑いに満ちているが、社会の矛盾や閉塞感に対する風刺もピリッと効いている。押してはいけないスイッチを押してしまった人々。「人生スイッチ」という邦題はこの映画の特質をうまく引き出している(英訳のタイトルは Wild Tales)。

 この映画について監督のダミアン・ジフロンは次のように語っている。「人生において、逮捕されたり死にたくなければ自分自身を抑制しなくてはならない時がある。だから、喧嘩したくても出来ないときもあるんだ。でも、抑制していることの代償も大きい。生きていた方が良いけど、あれを言えば良かった、こうすれば良かった、と過去を思い悩むことになる。芸術や脚本の中では抑制する必要なんてない。最後の最後まで突き進んで、その経験を変換して観客に見せればいいんだ。血や苦悩が見えても、観客は大いに笑ってくれると思うよ。抑制するのではなく、反抗することの楽しさや欲求を理解できるだろうから。」

 最後の「反抗することの楽しさ」という表現が暗示的だ。この映画は人間の愚かさを高みから見下ろして笑っているのではなく、政治的、社会的混乱が招いた不条理なまでの格差や矛盾、不寛容を当事者たちの目線でえぐりだした風刺劇なのである。日本ではなかなかこんな作品は作れない。日本のテレビ・ドラマなどでよく批判の標的にされるのは組織の中間職の上司。部下にはどなりちらし、上司にはこびへつらい、何か緊急事態が起こるとただおろおろするばかりの男たち。部下たちが真相を暴こうとすると必ず上からストップがかかる。それに対抗するのが勝手に行動する一匹オオカミのような存在というお決まりのパターン。ほぼ図式化されている。せいぜいそんなところだ。社会批判それ自体が事実上ご法度で、制作側が勝手に忖度し、いらぬ自主規制をしてしまう。だから「人生スイッチ」のような反体制的な作品が登場しにくい。「人生スイッチ」で監督のダミアン・ジフロンは怒りを解き放つ。もっと怒りをぶつけろとばかりに。すべてのエピソードが政治的なわけではないが、どのエピソードでも怒りが噴出している。怒りこそが鬱積した不満、社会への鬱憤を晴らす。ブラックな笑いはそんな下地から湧き上がってくるのだろう。

 

2022年9月27日 (火)

これから観たい&おすすめ映画・BD(22年10月)

【新作映画】公開日
9月23日
 「ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド」(2020)ポール・サルツマン監督、カナダ
 「秘密の森の、その向こう」(2021)セリーヌ・シアマ監督、フランス
 「スーパー30 アーナンド先生の教室」(2019)ヴィカース・バハル監督、インド
 「LAMB / ラム」(2021)ヴァルディミール・ヨハンソン監督、アイスランド・スウェーデン・他
 「あの娘は知らない」(2022)井樫彩監督、日本
 「渇きと偽り」(2020)ロバート・コノリー監督、オーストラリア
9月24日
 「バビ・ヤール」(2021)セルゲイ・ロズニツァ監督、オランダ・ウクライナ
 「暴力をめぐる対話」(2020)ダヴィッド・デュフレーヌ監督、フランス
9月30日
 「マイ・ブロークン・マリコ」(2022)タナダユキ監督、日本
 「ドライビング・バニー」(2021)ゲイソン・サヴァット監督、ニュージーランド
 「アイ・アム まきもと」(2022)水田伸生監督、日本
 「紅い服の少女 第一章 神隠し」(2015)チェン・ウェイハオ監督、台湾
 「ダウントン・アビー 新たなる時代へ」(2022)サイモン・カーティス監督、英・米
10月1日
 「響け!情熱のムリダンガム」(2018)ラージーヴ・メーナン監督、インド
10月7日
 「声/姿なき犯罪者」(2021)キム・ソン、キム・ゴク監督、韓国
 「七人樂隊」(2021)サモ・ハン、アン・ホイ、ジョニー・トー、他、監督、香港
 「愛する人に伝える言葉」(2021)エマニュエル・ベルコ監督、フランス
 「ソングバード」(2020)アダム・メイソン監督、アメリカ
 「ザ・コントラクター」(2022)タリク・サレー監督、アメリカ
 「バッドガイズ」(2022)ピエール・ペリフェル監督、アメリカ
 「千夜、一夜」(2022)久保田直監督、日本
10月8日
 「アメリカから来た少女」(2021)ロアン・フォンイー監督、台湾
10月14日
 「スペンサー ダイアナの決意」(2021)パブロ・ラライン監督、イギリス・ドイツ
 「耳をすませば」(2022)平川雄一朗監督、日本
 「向田理髪店」(2022)森岡利行監督、日本
 「キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱」(2019)マルジャン・サトラピ監督、イギリス
10月22日
 「こころの通訳者たち What a Wonderful World」(2021)山田礼於監督、日本

 

【新作DVD・BD】レンタル開始日
10月5日
 「アンラッキー・セックス またはイカれたポルノ」(2021)ラドュ・ジューデ監督、ルーマニア、他
 「チェルノブイリ1986」(2020)ダニーラ・コズロフスキー監督、ロシア
 「TITANE/チタン」ジュリア・デュクルノー監督、フランス
 「林檎とポラロイド」(2020)クリストス・ニク監督、ギリシャ・ポーランド・スロベニア
 「大河への道」(2022)中西健二監督、日本
 「ホリック xxxHOLiC」(2022)蜷川実花監督、日本
 「やがて海へと届く」(2022)中川龍太郎監督、日本
 「バッド・トレジャー」(2021)デヴィッド・ハックル監督、アメリカ
 「スウィート・シング」(2020)アレクサンダー・ロックウェル監督、アメリカ
 「ベスト・セラーズ」(2021)リナ・ロースラー監督、カナダ・イギリス
 「アトランティス」(2019)ヴァレンチン・ヴァシャノヴィッチ監督、ウクライナ
 「エルヴィス」(2022)バズ・ラーマン監督、アメリカ
10月12日
 「ハッチング ―孵化―」(2022)ハンナ・ベルイホルム監督、フィンランド
 「太陽とボレロ」(2022)水谷豊監督、日本
10月19日
 「峠 最後のサムライ」(2022)小泉堯史監督、日本
10月21日
 「ザ・ロストシティ」(2022)アダム&アーロン・ニー監督、アメリカ
11月2日
 「選ばなかったみち」(2020)サリー・ポッター監督、イギリス・アメリカ
 「カモン カモン」(2021)マイク・ミルズ監督、アメリカ
 「クラウディ・マウンテン」(2021)リー・ジュン監督、中国
 「三姉妹」(2020)イ・スンウォン監督、韓国
 「トップガン マーヴェリック」(2022)ジョセフ・コシンスキー監督、アメリカ
 「パリ13区」(2021)ジャック・オーディアール監督、フランス
 「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」(2018)ドン・ミラー監督、カナダ
 「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」(2020)フィリップ・ファラルドー監督、アイルランド・加
 「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」(2020)チャン・イーモウ監督、中国
 「恋は光」(2021)小林啓一監督、日本
 「20歳のソウル」(2022)秋山純監督、日本
 「流浪の月」(2022)李相日監督、日本
 「リング・ワンダリング」(2020)金子雅和監督、日本

 

【旧作DVD・BD】発売日
9月21日
 「テオレマ」(1968)ピエル・パオロ・パゾリーニ監督、イタリア
9月30日
 「エリック・ロメール Blu-ray BOX Ⅵ」(1986,92,94)エリック・ロメール監督
  収録作品:「レネットとミラベル 四つの冒険」「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」
10月5日
 「ヴァレンチン・ヴァシャノヴィッチ監督BOX ウクライナの過去と未来」(2019, 21)
  収録作品:「アトランティス」「リフレクション」
10月7日
 「グレン・ミラー物語」(1954)アンソニー・マン監督、アメリカ
 「黄昏」(1981)マーク・ライデル監督、アメリカ
 「遠い夜明け」(1987)リチャード・アッテンボロー監督、イギリス
 「モ’・ベター・ブルース」(1990)スパイク・リー監督、アメリカ
10月19日
 「秋立ちぬ」(1960)成瀬巳喜男監督、日本
11月4日
 「ノッキング・オン・ヘブンズ・ドア」(1997)トーマス・ヤーン監督、ドイツ

 

*色がついているのは特に注目している作品です。

 

2022年9月16日 (金)

私家版 Who’s Who その4 エイミー・グラント

【エイミー・グラント】Amy Grant、1960年、アメリカジョージア州生まれ

 

 先日「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐうた」という映画を観た。ジャンルとしては音楽映画に属する映画で、映画のタイトルにもなっている「アイ・キャン・オンリー・イマジン」は史上最も売れたクリチャン・ソングである。マーシーミーというグループの代表作だが、映画はマーシーミーのリーダー的存在であるバート・ミラードの半生を描いたもの。したがって伝記映画のジャンルにも入る作品だ。映画の中ではほかにジェフ・バックリィの「ハレルヤ」(教会の聖歌隊が歌っている)や有名な「アメイジング・グレイス」などが流れる。しかし今回取り上げるのはその映画の中で重要な役割を果たしている実在の歌手エイミー・グラントである。


 そもそもバートがクリチャン・ソングに関心を持ったきっかけは、恋人のシャノンがこれを聞いてほしいと渡したエイミー・グラントのカセットテープである。以来エイミー・グラントはバートのあこがれの存在となる。バンド活動を続けるうちにバートはエイミー・グラントと直接会う機会を得て感動する。彼女も彼の才能を認め、直接彼女から電話がかかってきたりする。ついには映画のタイトルにもなった「アイ・キャン・オンリー・イマジン」という曲をエイミー・グラントに歌ってもらうことになる。しかし、歌う直前エイミー・グラントが思い直して、この曲を作曲したバートをステージに上げ、彼に歌わせることになる。


 映画の出来も悪くないが、僕が一番感動したのは、エイミー・グラントが重要な存在として描かれていることである。エイミー・グラントは僕の大好きなミュージシャンの一人で、「ゴブリンのこれがおすすめ 47 シンガー・ソングライター(外国編)」でも名前を挙げている。映画には本人が出演しているのかと思ったが、実際に演じていたのはニコール・デュポートという女優さんだった。エイミー・グラントはCDのジャケットなど写真でしか観たことはないが、なんとなく似ているので本人かと期待していたのだが、違うと分かってちょっとがっかり。

 日本ではあまり知られていないが、アメリカにはクリスチャン・ミュージックというジャンルがある。確かクリスチャン・ミュージック独自のチャートもあったはず。そのジャンルの代表的歌手の一人がエイミー・グラントである。おそらく僕が最初に買った彼女のアルバムは「ビハインド・ザ・アイズ」で、これが名曲ぞろいの傑作だった。特に気に入ったのが「ライク・アイ・ラヴ・ユー」で、これは何度も聞いた。名曲だと思う。「ターン・ディス・ワールド」も良い。それ以後次々に買い集めて今や彼女のCDは10枚を超えてしまった。


 クリスチャン・ミュージック、あるいはコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックというジャンルは定義としてはキリスト教の布教を目的とした音楽ということになるが、エイミー・グラントの場合どうしてこれがクリスチャン・ミュージックなのかと首をひねったくらい宗教臭さがない。実際、自分の感覚としてはシンガー・ソングライターとして聞いている。おそらくほとんど国内版が出ていない初期の数枚のアルバムがこのジャンルに当てはまるので、クリスチャン・ミュージックの枠内で扱われているのではないか。しかし80年代の半ばごろから彼女はかなりポップな曲を歌うようになった。ただ、日本編集のベスト盤「ザ・コレクション」は1986年発売なので初期のアルバムから集められているが、ポップな曲が結構ある。80年代前半を代表する名盤「Age to Age」にも同じことが言える。つまり彼女の曲はデビューしたての頃からすでにポップな要素を持っていたのだ。クリスチャン・ミュージックと言っても、何かゴスペルのようなイメージを持っていたならそれは捨ててもらった方が良い。マーシーミーのベスト盤も買ったが、これを聴くとこちらはジャンルとしてはむしろロックと呼ぶ方がぴったりだと感じる。


 エイミー・グラントは残念ながら日本ではほとんど知られていないが、グラミー賞を10回以上受賞した大歌手である。生まれはジョージア州だが、後にテネシー州のナッシュビルに移住している。しばしばカントリーのチャートにも登場するのはやはりナッシュビルという土地柄の影響もあるだろう。素晴らしい歌手なので、ぜひ一度は聞いてみてほしい。

 

【エイミー・グラント おすすめのアルバム、ベスト6】
「Age to Age」 (1982年)
「自由の歌」Lead Me On (1988年)
「ハート・イン・モーション」Heart in Motion (1991年)
「ビハインド・ザ・アイズ」Behind the Eyes (1997年)
「ロック・オブ・エイジズ ヒムズ&フェイス」Rock of Ages... Hymns and Faith (2005年)
「ビー・スティル・アンド・ノウ」Be Still and Know (2015年)

 

【こちらも要チェック】
「初めての誘惑」 Unguarded (1985年)
「ザ・コレクション」日本編集のベスト版 (1986年)
「ハウス・オブ・ラヴ」 House of Love (1994年)
「レガシー」 Legacy... Hymns and Faith (2002年)
「ハウ・マーシー・ルックス・フロム・ヒア」How Mercy Looks from Here (2013年)

 

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2022年9月15日 (木)

イレーネ・パパス追悼

 イレーネ・パパス(1928年、ギリシャのコリント生まれ)が9月14日に93歳で亡くなったとの報道があった。イレーネ・パパスと言えば「日曜はダメよ」のメリナ・メルクーリと並ぶギリシャを代表する大女優である。この二人の女優は僕らの世代の映画ファンならだれでも知っている有名女優だった。

 

 イレーネ・パパスはコスタ・ガヴラスやマイケル・カコヤニスといったギリシャ(出身)の巨匠の映画ばかりではなく、イタリア社会派の巨匠フランチェスコ・ロージ監督作品やアメリカ映画などに出演し幅広く活躍した。一般には「その男ゾルバ」でアンソニー・クインと共演した女優として知られているが、「トロイアの女」と「イフゲニア」のようなギリシャの古典劇やギリシャ神話を映画化した作品、政治映画の傑作「Z」、フランチェスコ・ロージ監督の傑作「エボリ」と「予告された殺人の記録」への出演も忘れてはならない。僕がこれまでに見た彼女の出演作は下記の9本だが、作品的に平凡だと思ったのは「砂漠のライオン」くらいだ。

 

 マイケル・カコヤニス監督作品の中でDVDが手に入るのは「その男ゾルバ」だけというのも残念だが、何と言っても「Z」と「エボリ」という名作が出ていないことには怒りすら覚える(「Z」はあることはあるが、廃盤になっているのでとんでもない値が付いている)。どうでもいい売れ筋作品ばかり何度も再発しているくせに、こういう名画を発売しないという姿勢は何とかならないものか。

 

 眉が太く濃い顔立ちということもあって、古典劇や重厚なドラマがよく似合う。ジャン・コクトーがまるでギリシャ彫刻から抜け出てきたようだというような意味のことを言ってジャン・マレーを好んで起用したが、同じことを女優で当てはめればやはりイレーネ・パパスということになろうか。それでいてギリシャやギリシャ以外を舞台にした現代劇でも活躍できるのだから、正真正銘の国際的大女優である。

 

<これまでに観賞したイレーネ・パパス出演作>
「ナバロンの要塞」(1961)J・リー・トンプソン監督、アメリカ
「その男ゾルバ」(1964)マイケル・カコヤニス監督、ギリシャ・米・英
「1000日のアン」(1969)チャールズ・ジャロット監督、アメリカ
「Z」(1969)コスタ・ガヴラス監督、フランス・アルジェリア
「トロイアの女」(1971)マイケル・カコヤニス監督、ギリシャ・イギリス
「イフゲニア」(1978)マイケル・カコヤニス監督、ギリシャ
「エボリ」(1979)フランチェスコ・ロージ監督、フランス・イタリア
「砂漠のライオン」(1981)ムスタファ・アッカード監督、アメリカ
「予告された殺人の記録」(1987)フランチェスコ・ロージ監督、イタリア・フランス

 

【おすすめのギリシャ映画】
「日曜はダメよ」(1960) ジュールス・ダッシン監督
「その男ゾルバ」(1964) マイケル・カコヤニス監督
「トロイアの女」(1971) マイケル・カコヤニス監督
「旅芸人の記録」(1975) テオ・アンゲロプロス監督
「イフゲニア」(1978) マイケル・カコヤニス監督
「女の叫び」(1978) ジュールス・ダッシン監督
「アレクサンダー大王」(1980) テオ・アンゲロプロス監督
「シテール島への船出」(1984) テオ・アンゲロプロス監督
「霧の中の風景」(1988) テオ・アンゲロプロス監督
「ユリシーズの瞳」(1995) テオ・アンゲロプロス監督、伊・仏・ギリシャ
「永遠と一日」(1998) テオ・アンゲロプロス監督
「タッチ・オブ・スパイス」(2003)タソス・ブルメティス監督、ギリシャ・トルコ

 

 

アラン・タネール追悼+スイス映画紹介

 スイスを代表する映画監督アラン・タネール(1929年、スイス、ジュネーヴ生まれ)が9月11日に亡くなったと報道された。長編第1作「どうなってもシャルル」(1969年)がロカルノ映画祭最高賞、「光年の彼方」(1981年)がカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しているが、日本ではあまり知られていなかったと言って良いだろう。

 

 アラン・タネール作品が日本でよく上映されていたのは1980年代で、したがって僕がアラン・タネール作品を観たのも80年代である。「光年の彼方」は1986年1月23日にキネカ大森で、劇場公開されていない「サラマンドル」(1970年)は1985年3月5日にアテネ・フランセで観ている。有名な「ジョナスは2000年に25歳になる」(1976年)もずっと観たいと思っているが、いまだに観る機会を得ていない。1980年代当時スイス映画と言えばアラン・タネールとダニエル・シュミットが知られていた程度。ダニエル・シュミットは「カンヌ映画通り」(1981年)しか観ていないが、これを観たのも88年12月3日なのでやはり80年代だ。その年に東京を離れて上田に来ていたので、映画館ではなくレンタル・ビデオで観た。

 

 結局アラン・タネール作品は2本しか観ていないわけだが、そもそも彼は寡作な人で7本くらいしか作っていない。アマゾンで調べてもDVDは1本も出ていないようだ(ビデオは何本か出ていたと思うが)。そんな状況だから観ている2本もおぼろげにしか覚えていない。当面見直す機会もなさそうだ。「光年の彼方」はシュールな作品で、どこか宗教的な要素もあり、そのせいか暗示的で不思議なエピソードが重ねられている。タイトルの「光年の彼方」は、主人公である青年ジョナスの師であるヨシュカの言葉から取られている。ヨシュカは瞑想によって肉体から魂を離脱させる方法を体得し、そうすることで光年のかなたまで飛んでゆくという願望を実現させたいと思っている。ラストで巨大な羽を付けて空を飛んでゆくシーンが非常に印象的である。後年、飯嶋和一の名著『始祖鳥記』(小学館文庫)を読んだが、この小説にも空を飛びたいという情熱があふれており、何か共通するものを感じたものだ。

 

 もう1本の「サラマンドル」はアテネ・フランセで観たが、会場からするとおそらく字幕は英語だったと思われる。同じアテネ・フランセで有名なフランス映画「肉体の冠」を観たこともあるが、これも英語字幕で観終わった後どっと疲れを感じた覚えがある。ほとんど観る機会のない映画なので、観たことがある人はほんの一握りなのではないか。僕自身もほとんど内容は忘れており、ハード・ロックをガンガンかけて女の子が体を揺らしている最初のシーンだけ鮮明に覚えている。良い映画で観て良かったと思いながら会場を後にした記憶はあるが、肝心な内容を覚えていない。

 

 それでも紹介する価値のある作品だと思うので、英語のサイトを参考にしてどんな話か簡単に求めておきたい。話は入り組んでいる。主要な登場人物は3人。ジャーナリストのピエール、その友人で住宅塗装業者のポール。そしてロザモンドという若い女性。これが冒頭でハード・ロックをガンガン聴いていた女の子だろう。ピエールはポールを巻き込んであるテレビ番組のスクリプトを描こうとしている。取材対象はあるライフルによる負傷事件である。負傷した本人は素行の悪い姪(これがロザモンドだ)に撃たれたと証言しているが、ロザモンドは叔父がライフルの手入れをしていて誤って自分を撃ったと主張する。真相は分からず、ロザモンドは起訴されていない。ピエールとポールは協力し合いながらそれぞれのやり方で調査を進める。その過程で二人ともロザモンド本人に会う。ポールはロザモンドの魅力のとりこになり、記事が書けなくなる。結局真相は分からないまま、取材記事は期限に間に合わず、取材費も使い果たして自然消滅。ロザモンドは嫌な上司のいる気に染まない仕事を辞めて微笑みながらクリスマスの夜に消えてゆく。少なくともしばらく彼女は自由だ。

 

 ざっとこんな感じだ。う~ん、悲しいことにこれを読んでも全く何も思い出せない。しかしロザモンドが非常に魅力的だったのは覚えている。良い映画だったという印象にはラストの描き方が影響しているかもしれない。ヒロインが微笑みながら去ってゆくこのラストはフェリーニの名作「カビリアの夜」を思わせるからだ。

 

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 * * * * * * * * *

 2本しか観ていないのでは記事として十分ではないので、後半はお勧めのスイス映画を紹介しておこう。日本は映画も本も音楽も輸入大国で、世界中から映画や小説や音楽が入ってきている。これだけ外国文化を取り入れている国は世界でも珍しいと思われる。しかしさすがにスイス映画の公開数は少ない。それでも数こそ少ないが紹介に値する作品はいくつかある。

 

 まず1991年度のアカデミー外国語映画賞に輝いた「ジャーニー・オブ・ホープ」。トルコに住むある貧しい一家がスイスへ密入国しようとする。その過酷な旅をリアルに描くずっしりと重たい作品。全体に地味な作品だが、旅の途中で様々な困難に出会う展開は波乱万丈である。特にアルプス越えのシーンが凄まじい。ほとんど知られていないが、見ごたえがある作品である。

 

 「マルタのやさしい刺繍」(2006)はフランス映画「クレールの刺繍」(2004年)とよく似たタイトルだが、静謐で洗練された「クレールの刺繍」に対して、「マルタのやさしい刺繍」は小さな田舎の村での下世話な生活がリアルに描かれている。ランジェリー・ショップを夢見るマルタは保守的な村人たちに下着を売る店など破廉恥だと笑いものにされている。しかし夢をあきらめないマルタたちはインターネットでランジェリを売るという手を思いつき人気を得る。タイトルに「刺繍」が入った二つの映画、味わいは異なるがどちらもすぐれた女性映画である。

 

 「僕のピアノコンチェルト」(2007):高すぎるIQ のために親に過大な期待をかけられて悩む天才少年ヴィトスの苦悩の物語。悩める少年を支えたのは祖父(ブルーノ・ガンツが名演)だった。抜きんでて優れた作品というほどではないが、愛すべきヒューマン・ドラマ。

 

 アニメ・ファンによく知られているのが「ぼくの名前はズッキーニ」。ユニークな味わいのアニメだ。スイスのアニメの水準は分からないが、フランスとの共同制作なので、それが功を奏したと思われる。人形を使ったストップモーション・アニメ独特の、手作り感ある温かみのあるアニメである。高い技術的水準に、独特の味わいが加わった傑作(ニック・パークやチェコのアニメともまた違った味わいである)。

 

 

【おすすめのスイス映画】
「サラマンドル」(1970) アラン・タネール監督
「光年のかなた」(1980) アラン・タネール監督
「ジャーニー・オブ・ホープ」(1990) クサヴァー・コラー監督
「マルタのやさしい刺繍」(2006)  ベティナ・オベルリ監督
「僕のピアノコンチェルト」(2007) フレディ・M・ムーラー監督
「ぼくの名前はズッキーニ」(2016)クロード・バラス監督、スイス・フランス

 

 

2022年9月 8日 (木)

おおたか静流さん追悼+テレビのCMソング

 9月5日にミュージシャンのおおたか静流さんががんで死去したとの短い記事が載っていた。1953年生まれだから、僕より1歳年上だ。彼女のアルバムは4枚持っている。加藤みちあきと組んだdidoフューチャリングおおたか静流の「パナージ」と「クシャナ」。前者は名盤と言っていいだろう。個人的にはソロなってからよりも、この時代の方が良いと思う。ソロ名義では「リピート・パフォーマンス」と「リターン」の2枚を持っている。ソロなってからではやはりこの2枚が一番良い出来なのでは。前者には彼女の代表作「花〜すべての人の心に花を〜」が収められている。

 

 おおたか静流と言えば、何といってもこの「花〜すべての人の心に花を〜」の思い出を語らないわけにはいかない。1990年にある衝撃的なCMがテレビ画面に流れた。映像はただ女の子が壁にもたれて笑っているだけのものだ。衝撃的だったのはそれにかぶさるように流れていた美しい曲。その陶酔するほどの美しさは圧倒的だった。これは何という曲だろうか。誰が歌っているのだろうか。ずっと疑問に思っていたが(何せまだインターネットが普及する前だったから調べようがなかった)、やがて「花〜すべての人の心に花を〜」というタイトルで、歌っているのはおおたか静流という人だと分かった。作曲したのが喜納昌吉だと知ったのはさらにそのずっと後だった。喜納昌吉本人の歌うバージョンも持っているが(菅平の奥にある峰の原高原で喜納昌吉&チャンプルーズのライヴ・コンサートがあった時にも聴きに行った)、僕はやはりおおたか静流の歌ったカバー・バージョンが好きだ。あのかわいい女の子が笑っている画面とそこに流れる「花〜すべての人の心に花を〜」のメロディ、何千、何万というCMを観てきた中でも群を抜く傑作である(ただし何のCMだったのかは全く覚えていない)。

 

 ただ残念なことに、「花〜すべての人の心に花を〜」の印象があまりに強すぎるので、彼女の他の曲に今一つ満足できないように思う。実際、他にタイトルとメロディを覚えている曲は一つもない。アルバムとして聞くとさすがに優れているとは思うが、優れた歌い手だっただけにもう1、2曲口ずさめる歌が欲しかったと思う。もう何曲かヒット曲があれば、白鳥英美子と並ぶ大歌手にもなれたのではないか。
 とはいえ、おおたか静流は名曲「花〜すべての人の心に花を〜」を歌った人としてだけ記憶すべき人ではない。ベスト盤でもいいので、ぜひ彼女の他の曲も聞いてほしい。

 

 

 * * * * * * * * *

 

 

 後半は思いつくままに記憶に残るCMソングを並べてみたい。パッとすぐ思い浮かんだのはチャールズ・ブロンソンが登場した「マンダム」のCM。「う~ん、マンダム」というセリフも流行ったが、何と言ってもジェリー・ウォーレスの歌が日本で大ヒットした。アメリカでは全然話題にもならなかったそうだが、僕らの世代にとってはブロンソンと言えば「マンダム」のイメージが今でも抜けないのではないか。ついでに言えば、特に歌は関係ないが、日本のCMにアラン・ドロンが出てきたのにはびっくりした。ダーバンのCMで、フランス語でせりふを言う。下手な日本語を無理に言わせるよりずっと効果的だと思った(たぶん、ダーバンはエレガントでモダンだというようなことを言っていたのだと思う)。

 

 CMは製品のコマーシャルだから、つくる側が意識するしないにかかわらず時代を反映してしまう。高度成長期が終わった1971年にはマイク真木の「気楽に行こうよ 俺たちは 仕事もなければ 金もない」という脱力ソングが大流行した。「気楽に行こう 気楽に行こう」「のんびり行こう のんびり行こう」というリフレイン部分に、当時の時代の空気(重厚長大な高度成長期の生活ではなく、もっと力を抜いてゆこうよ)がよく表れている。

 

 しかしバブル時代が到来するとあの有名なリゲインのCMソング「勇気のしるし」(1989年)が登場する。臆面もなく「24時間戦えますか ・・・ ビジネスマーン ビジネスマーン ジャパニーズ ビジネスマン」と歌い上げるのだから、これほど時代を反映したCMソングは後にも先にもないだろう。

 

 CMソングと言えば小林亜星にも触れないわけにはいかない。彼は有名な俳優だが、作曲家としても非凡な才能を持っていた。例えば「レナウン レナウン レナウン レナウン娘が おしゃれでシックなレナウン娘が わさかわんさ わさかわんさ イェーイ イェーイ イェーイェー」なんかは今でも耳について離れない。そして彼の最高傑作はサントリーオールドのCMソング「人間みな兄弟」(1968年)だろう。何かドイツ語で歌っているのかとも思ったが、特に意味のないスキャトだったらしい。因みに、スキャットという言葉は由紀さおりの「夜明けのスキャット」で初めて知った。そうそう、ウイスキーのCMソングと言えば、サミー・デイヴィスJrがスキャットで「チチカカ チチカッカ」と歌うのもあったなあ。

 

 CMソングに合う声というのもあって、僕は個人的には大貫妙子の声が一番好きだ。とにかく一時はよく彼女の曲がテレビで流れていたものだ。懐かしい洋楽の名曲が使われていた時期もあった。スリー・ドッグ・ナイトなんかが流れてきてびっくりしたものだ。洋楽と言えば、個人的にはロッド・スチュワートの「ピープル・ゲット・レディ」が懐かしい。MTVアンプラグドのライヴ・ヴァージョンが使われている。元々はインプレッションズの曲で。作詞・作曲はカーティス・メイフィールドである。余談だが、「ピープル・ゲット・レディ」が収められているアルバム「アンプラグド」は個人的にロッドの最高傑作だと思っている。中でもトム・ウェイツ作曲の「トム・トラバーツ・ブルース」の渋さには陶然とする。これはぜひ一度聴いていただきたい。トム・ウェイツのうらぶれた歌詩もまた絶品である。

 

 渡辺真知子の「迷い道」は実にうまい使い方がされている。確か本人が歌っているシーンが最初に映され、「迷い道くねくね」という歌詞が流れた後で野茂英雄が「真知子さんナビ付けたら?」と言う落ちが笑えた。いうまでもなくナビのCMである。まだナビが珍しかったころだ。

 

 最後に、CMソングとは関係ないが、CMついでにもう二つ取り上げておきたい。一つは草刈正雄が出演したガムの宣伝。シナモン入りというのが売りだった。CMの最後に草刈正雄が「シナモンが違う、シナモンが」と言う落ちが付いている。もちろん「品物」の訛った「しなもん」と「シナモン」をかけたダジャレである。草刈正雄がダジャレを言うのかと当時驚いたものだ。何せ当時は美男子(この言い方も今や死語?今ならイケメンでないと通じないかも)の代名詞だったからね。

 

 もう一つは筑紫哲也がキャスターを務めていた頃の「ニュース23」に関する話。この番組では年末に年間傑作CM特集をやるのが恒例だった。日本だけではなく、外国のCMも取り上げているところが筑紫哲也らしい。確かフランスのCMだったと思うが、決闘シーンで始まる。銃を持った男二人が背中合わせに立っている。互いに反対方向へ10歩歩いて、10歩目で振り向いて撃ち合うという古くからの決闘のやり方に従って展開する。しかし互いに逆方向に歩いている間に二人とも画面の外に出てしまう。やがて発砲の音が聞こえ、どさっと人が倒れる音がする。しかし二人とも画面の外に出てしまっているので、どちらが勝ったのか分からないというのがミソ。すかさず「どっちが勝ったか知りたければ横長テレビを買おう」という声あるいは字幕がその後入る。これも横長テレビが出始めの頃のCM。着想が秀逸でまさしく傑作だと思った。


<追記>
 先日風呂に入っているときふと思い出したので、これまで一番情けないと思ったCMについても書いておきます。栃木県小山市にあった小山ゆうえんちのCMで、「おやま、あれま、小山ゆうえんち~」という歌が流れる。子どもながらにしょうもないコマーシャルだとあきれ果てていたものだ。あのCMを観て小山ゆうえんちへ行ってみたいと思う人がいるとはとても思えなかった。今でも何かの拍子にあの単純なメロディーが頭に浮かぶことがある。ん?ということは多少の効果はあったということか?

2022年9月 1日 (木)

先月観た映画 採点表(2022年8月)

「KCIA 南山の部長たち」(2020)ウ・ミンホ監督、韓国 ★★★★☆△
「ビューティフル・ピープル」(1999)ジャスミン・ディズダー監督、イギリス ★★★★☆
「雪に願うこと」(2005)根岸吉太郎監督、日本 ★★★★☆
「黄金」(1948)ジョン・ヒューストン監督、アメリカ ★★★★☆
「蜩ノ記」(2013)小泉堯史監督、日本 ★★★★☆▽
「パーフェクト ワールド」(1993)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★△
「ガントレット」(1977)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★△
「目撃」(1997)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★△
「クライ・マッチョ」(2021)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★△
「ブラックボックス:音声分析捜査」(2021)ヤン・ゴズラン監督、フランス ★★★★△
「アウトロー」(1976)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★△
「しあわせへのまわり道」(2014)イザベル・コイシェ監督、アメリカ ★★★★△
「まともじゃないのは君も一緒」(2020)前田弘二監督、日本 ★★★★△
「ゴヤの名画と優しい泥棒」(2020)ロジャー・ミッシェル監督、イギリス ★★★★
「いろとりどりの親子」(2017)レイチェル・ドレッツィン監督、アメリカ ★★★★
「冷静と情熱のあいだ」(2001)中江功監督、日本 ★★★★
「犯罪都市」(2017)カン・ユンソン監督、韓国 ★★★★
「散り椿」(2018)木村大作監督、日本 ★★★★
「荒鷲の要塞」(1968)ブライアン・G・ハットン監督、アメリカ。イギリス ★★★★
「ダーティハリー5」(1988)バディ・ヴァン・ホーン監督、アメリカ ★★★★
「女の秘めごと」(1969)ルチオ・フルチ監督、イタリア・フランス・スペイン ★★★★
「ダーティハリー2」(1973)テッド・ポスト監督、アメリカ ★★★★
「トゥルー・クライム」(1999)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★★▽
「約束の宇宙」(2019)アリス・ウィンクール監督、フランス・ドイツ ★★★★▽
「無双の鉄拳」(2018)キム・ミンホ監督、韓国 ★★★★▽
「J.エドガー」(2011)クリント・イーストウッド監督、アメリカ ★★★☆
「白い肌の異常な夜」(1971)ドン・シーゲル監督、アメリカ ★★★☆
「フリー・ガイ」(2020)ショーン・レヴィ監督、アメリカ ★★★☆

 

主演男優
 5 佐藤浩市「雪に願うこと」
   ウォルター・ヒューストン「黄金」
   ケヴィン・コスナー「パーフェクト ワールド」
   ジム・ブロードベント「ゴヤの名画と優しい泥棒」
   役所広司「蜩ノ記」
   ハンフリー・ボガート「黄金」
   イ・ビョンホン「KCIA 南山の部長たち」
   クリント・イーストウッド「アウトロー」
   ベン・キングズレー「しあわせへのまわり道」
   クリント・イーストウッド「ガントレット」
   クリント・イーストウッド「目撃」
   クリント・イーストウッド「クライ・マッチョ」
 4 クリント・イーストウッド「荒鷲の要塞」
   リチャード・バートン「荒鷲の要塞」
   ピエール・ニネ「ブラックボックス:音声分析捜査」
   クリント・イーストウッド「トゥルー・クライム」
   岡田准一「散り椿」
   クリント・イーストウッド「ダーティハリー5」
   竹野内豊「冷静と情熱のあいだ」
   マ・ドンソク「犯罪都市」
   成田凌「まともじゃないのは君も一緒」
   クリント・イーストウッド「ダーティハリー2」

 

主演女優
 5 パトリシア・クラークソン「しあわせへのまわり道」
 4 ソンドラ・ロック「ガントレット」
   清原果耶「まともじゃないのは君も一緒」
   ケリー・チャン「冷静と情熱のあいだ」
   エヴァ・グリーン「約束の宇宙」

 

助演男優
 5 小澤征悦「雪に願うこと」
   ユン・ゲサン「犯罪都市」
 4 チーフ・ダン・ジョージ「アウトロー」
   ジーン・ハックマン「目撃」
   西島秀俊「散り椿」
   岡田准一「蜩ノ記」
   イザイア・ワシントン「トゥルー・クライム」
   山崎努「雪に願うこと」

 

助演女優
 5 原田美枝子「蜩ノ記」
   吹石一恵「雪に願うこと」
   泉里香「まともじゃないのは君も一緒」
 4 ナタリア・トラヴェン「クライ・マッチョ」
   マリーザ・メル「女の秘めごと」
   黒木華「散り椿」
   小泉今日子「雪に願うこと」

 

 

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