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2022年7月17日 (日)

「白い道」、東京の下町訛り

 まだ東京に住んでいた頃だから1980年代の初め頃だろうか。どこか東京の下町あたりで浅草へ行く道を聞いたことがある。誰か明らかに地元の人と思われそうな人がいないかと探していると、前からまるで沢村貞子のような感じの女性が歩いてきた。顔が似ているというのではない。その佇まいや服装からまるで沢村貞子がスクリーンから抜け出てきたような感じがしたのである。この人なら間違いなく地元の人だと確信して、道案内を乞うた。

 

 その人が言うには、そこの路地に入ってまっすぐ進むと白い道に出るので、そこを右だったか左だったかに行けばよいとのことだった。「白い道」というのがどういう道なのかよく理解できなかったが、とにかく言われた通りに歩いて行けばわかるだろうと考え、特に質問もせずお礼を言って別れた。

 

 路地に入り、道々「白い道」のことを考えていた。どうして道が白いのか。白い横断歩道がやたらとある道なのか、それとも何らかの理由で道を白く塗ってあるのだろうか。それにしても何で道を白く塗る必要がある?そんなことをあれこれ考えながら歩いているうちに、ふとある考えが浮かび、謎が解けた。

 

 実はすぐその半年くらい前だったか、朝日新聞の「天声人語」に東京の下町訛りのことが書いてあったのを思い出したのだ。東京にも訛りがあるのかと驚いたが、下町あたりでは「ひ」と「し」が逆になるというのだ。潮干狩りが「ヒオシガリ」に、彼岸と此岸が逆になる。ということは、あのおばさんは「広い道」と言っていたのだ。つまり細い路地を抜けると大通りに出ると説明していたのだとやっと理解できた。実際やがて大通りに出た。

 

 下町訛りがあることは知識として知ってはいたが、実際に聞いたのはこの時が最初で最後だった。あの時あのおばさんに道を聞いてよかった。あの時のおばさん、ありがとう。おかげで得難い経験ができました。ところで、都会の訛りと言えばロンドンの労働者の言葉コックニーも有名だ。この訛りの典型は「エイ」が「アイ」になること。テイプ(日本語表記ではテープ)がタイプに、「デイ」が「ダイ」になってしまう。(注)

 

 有名なエピソードは「マイ・フェア・レディ」に出てくるレックス・ハリソンがオードリー・ヘプバーンの訛りを矯正するシーン。彼はヘプバーンにThe rain in Spain stays mainly in the plain.という文を何度も発音させるが、何度試しても彼女は「ザ・ライン・イン・スパイン・スタイズ・マインリー・イン・ザ・プライン」と発音してしまうのが可笑しい。オーストラリアにも同じ訛りがある。この訛りを実際に経験したことがある。90年代にイギリス南部のブライトンにある語学学校で2週間ほど語学研修を受けたことがある。その時の先生の一人がこの訛りを話していた。最初のうちは慣れないので頭の中で「アイ」を「エイ」にいちいち変換していたが、帰るころには意識しなくても自然に入ってくるようになっていた。

 

 そういえば、小学生のころ、東北訛りの先生がいて「い」と「え」が逆になっていた。いや、「い」と「え」がほとんど同じになって区別がつきにくかったということだったかもしれない。いずれにせよ、生徒もそれが分かっているのでやはり頭の中で変換しながら聞いていたと思うが、ある時訛った結果全然別の単語になってしまい(上の「白い道」のような感じだ)、生徒全員がぽかんとしていたことがあった。先生もそれに気が付いていろいろ言いなおしてくれたのでやっと理解できた次第。それが何という言葉だったかは覚えていないが、これも懐かしい思い出だ。

 

 もちろん僕も茨城県出身なので当然茨城弁を話していた。イントネーションは直せるので、これには苦労した覚えはないが、アクセントだけはどうにもならない。何せ同音異義語をアクセントで区別するという習慣自体が存在しないのだ。川にかかる橋も、ご飯を食べるときの箸も、すみっこという意味の端もすべて同じアクセントになる。アクセントを意識するという習慣そのものが存在しないので、アクセントが合っているのかも違っているのかも分からない。聞き分けられないから発音もできない。ある時「古事記」と言ったつもりが、お前の発音では物乞いする「乞食」になると言われびっくりしたことがある。そもそもアクセントと僕が言うと、「悪戦苦闘」と聞こえるとまで言われた。直しようがないので、東京に来た最初のころから気にしないことにした。茨城県人は文脈で判断するので、お前らもそうしろというわけだ。おかげで、言葉で悩んだことはない。アクセントの間違いを指摘されたら、その時覚えればいい(指摘されないと分からない)。

 

 そういえば、方言を標準語だと思い込んでいる場合もある。もうだいぶ前だが、NHKの教育テレビ(今のEテレ)で方言の話をしていた。その中で茨城弁を取り上げていくつか例を挙げていた。それを観て初めて「青なじみ」が方言だとわかった。これはショックだった。標準語だと思っていたからだ。千葉県の船橋市出身の同僚に聞いたら、彼を同じように驚いていた。船橋でも「青なじみ」という言葉を使っていて、標準語だと思っていたのである。標準語の「青あざ」に当たる表現だが、今じゃ実家あたりでも使う人は少ないかもしれない。

 

 先にあげた「マイ・フェア・レディ」の例がそうだが、発音というのはなかなか治らないようだ。タイトルは忘れたがあるアルゼンチン映画でこんな場面があった。アメリカ人が自分の名前をソーントンだと紹介するのだが、相手のアルゼンチン人はトルトンとしか発音できない。何度直してもトルトンのまま。この場面が妙に可笑しかった。

 

 もちろん地域独特の発音や語彙があってしかるべきだ。どんどん方言がなくなってきている今ではむしろ方言を残す努力をしなければいけない状況になっている。方言や訛りは絶滅危惧種だ。東京の下町訛りは今でも残っているのだろうか。いや、言葉ばかりではない。全国どこに行っても同じような家が建ち、同じチェーン店があるというのも味気ない。


(注)
 イギリスのテレビ・ドラマの傑作「ニュー・トリックス~退職デカの事件簿」シリーズで、デニス・ウォーターマン演じるジェリー・スタンディングが話しているのはまさにこのむき出しのコクニーである。

 

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