ロシア侵攻前のキーウの様子を映し出した貴重な映像 「世界ふれあい街歩き ウクライナ キエフ」再放送
「世界ふれあい街歩き ウクライナ キエフ」が再放送されたのは6月14日(火)午前0:25分。録画しておいたが、観たのは7月1日だった。今観るとつらいことはわかっていたので、なかなか観る勇気が出なかったのだ。
「世界ふれあい街歩き ウクライナ キエフ」が撮影されたのは2019年。今から3年前、ロシアによる本格的侵攻が始まる前だった。「世界ふれあい街歩き」シリーズは前から好きな番組で、毎回楽しく観ていた。しかし今回の再放送は涙なしには観られなかった(ただし19年に放送されたときは観ていなかった)。同じ映像作品が、観るときの状況次第でこれほど劇的に印象が変わるものか、そういう思いが深く深く心に刻み込まれた。あの人たちは今どこでどうしているのだろうか、あの建物はあの形のままで残っているのだろうか、そう思いをめぐらさずにこの映像を観ることはできない。
何より戦争が起こった後から作られたものではないということが重要だ。当然編集はされているだろうが、この番組の素晴らしさは通る道筋だけ基本的に決めておいてあとはその場で出会った店や人々に気軽に声をかけるというあくまで自然体の街歩き記録だということだ。だからこそ作り物ではない、ありのままの街の姿が映し出されているのである。そしてだからこそ、その美しい街並みや街を楽しそうに歩く人々の姿や笑顔が今は失われてしまったという冷徹な事実が観る者に鋭い痛みと共に伝わってくるのだ。
道沿いの露店の賑わい、チェルノブイリ原発事故博物館、キエフ最古の聖ソフィア大聖堂(建てられた当時はキエフ公国という国だった)、それとなく映されるひまわり畑(イタリア映画の名作「ひまわり」のひまわり畑はウクライナで撮影されたことが分かり、ロシア侵攻後全国各地で「ひまわり」のリバイバル上映が行われた)、独立記念塔と独立広場(2004年のオレンジ革命の舞台となった)、追放されたロシア系大統領の別荘を見学する汚職博物館ツアー(相当私腹を肥やしていたようだ)、自転車でパトロールする警察官(取材班が自転車ツアーのメンバーかと勘違いして話しかけたのも無理はないと思わせる素敵なユニフォーム姿が印象的)、ウクライナの伝統的な楽器バンドゥーラ(なんと22弦もある)を演奏する男性、ボルシチなどのウクライナ料理ベスト3の紹介、水色の壁と黄金色の屋根が美しい聖ミハイル黄金ドーム修道院、キエフ郊外のコパウチ村にある中世のテーマパーク(9世紀から13世紀にあったキエフ公国の首都キエフを再現している、当時の衣装を着て歩き回ることができる)、復員兵が子どもたちにピザの作り方を教える教室(子供たちはピザ作りを楽しみ、帰還兵は心の傷を癒す)等々。どの場面を取っても魅力的だ。ため息が出るほど美しい街。
しかし、この平和な日常の中にも戦争の影が至る所に顔を見せていた。ロシアとヨーロッパのはざまで揺れ続けてきたウクライナの歴史。この2019年の時点でもロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナ東部で起きた紛争はまだ解決されていなかった。それを象徴するのはロシアとの戦闘で戦死した兵士たちの写真が一面に飾ってある長い壁だ。その写真の説明をしていた男性は戦友二人の顔写真を指さす。どこか不機嫌なような、暗い表情だったが、一緒に連れていた子供の話になると途端ににこやかな表情に変わった。そこに救いを感じほっとした。
2019年の時点ではまだ戦争の影程度だったが、ロシアによるウクライナ侵攻下という状況で観ると、撮影時には思いもよらなかった意味が二重三重に付け加えられる。とりわけ印象深いシーンが3つある。一つは新しくできた橋の横に建っている巨大なアーチ。ロシアとウクライナの友愛を象徴しているアーチだという。しかしその頂点近くに黒い線がちょうどひびが入ったようにギザギザに塗られている。子どもが説明していた。あれはロシアとの関係に入った亀裂を表しているのだと。その後のロシア侵攻を考えると何とも皮肉な映像だ。あのアーチはロシア侵攻後に壊されてしまったかもしれない。
二つ目は聖ミハイル黄金ドーム修道院の前で修道士に聞いた話。ここには独立広場で市民と治安部隊が衝突したときに多くの負傷者が運び込まれた。独立広場で亡くなった人たちが運び込まれてきたときのこと。1台の携帯が鳴りだした。電話に出てその携帯の持ち主が死んだことを伝える勇気を持つ者は一人もいなかった。呼び出し音はいつまでも鳴り響いていたという。その夜修道院はすべての鐘を鳴らした。鳴り響く鐘の音に独立広場での治安部隊の動きが止まり、独立広場は静かになった。それはまさに平和の鐘だったと修道士は語る。放送当時に観ても心に残る言葉だったに違いないが、今観るとその言葉がなおさら深く観る者の胸に突き刺さってくる。
そして3つ目は当時のナレーションを担当したイッセー尾形が最後に引用した言葉だ(再放送時、元の映像の前後に新たに付け加えられた彼の解説が付いている)。それは前述の聖ミハイル黄金ドーム修道院内部で、ロシア北西部から姉のいるキエフに来た女性がろうそくの炎の前で言ったセリフだ。「世界中の人が仲よくなれるように、みな健やかで幸せでありますように」と彼女は祈っていたという。ロシア人女性が言った言葉だということも含めて皮肉な響きが混じってしまうのは避けられないが、それでも彼女の言葉はそれを超えてストレートに我々の胸に響いた。だからこそイッセー尾形も最後に引用したのだろう。映像作品は生きている。誰がいつどこでどのような状況で観るのかによって映像から思わぬ意味合いが引き出されてくる。私たちは今を生きている。しかしその「今」は常に変化している。すぐれた番組・作品はその変化に耐えられる。常に新しい意味をまといながら輝き続けるのである。
<追記>
この記事を読み返したとき黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」(1988年)という映画をふと連想した。原爆をテーマにした映画はその悲惨さを描くことが多いが、「TOMORROW 明日」は直接彼らの死を描かない。この映画は原爆投下の前日から原爆投下の瞬間までを描いているのである。映画に登場する人たちは明日命を奪われることを知らずに日常を生きていた。そして最後にそれらが一瞬の光とともに奪われてしまう。死んだことではなく、生きてきたことに焦点を当てる。人々は「明日仕事が引けた後、待ち合わせて一緒に寺町を歩いてみよう」とか「明日でも明後日でもまだ時間はいっぱいあるとでしょう」と何気なく話している。「じゃあ、また明日ね」といって人々は別れてゆく。しかし彼らにその明日は来なかった。この映画を観て感じる胸の痛みは、ロシア侵攻後に「世界ふれあい街歩き ウクライナ キエフ」を観た時の心の痛みと同質のものだ。
« 先月観た映画 採点表(2022年6月) | トップページ | 私家版 Who’s Who その1 江口のりこ »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント