以前「BFI選定イギリス映画ベスト100」を載せたが、その中には日本未公開のため未見の作品が少なからず含まれていた。その多くはイーリング・スタジオ制作の映画である。イーリング・スタジオといえばイーリング・コメディという言葉がすぐ思い浮かび、われわれの世代には古くから知られてはいたが、実際に観たのは有名な「マダムと泥棒」くらいのものだった。どうもイーリング・コメディというのは日本人には馴染みにくいものらしい。
したがって今後も観る機会はあまりなさそうだと思っていたが、いつの間にかイーリング・スタジオ制作の映画が何本も発売されていた!たまたまある音楽雑誌で(CDの新譜案内しか読まないが、一部新作映画DVDも取り上げていた)「白衣の男」と「夢の中の恐怖」が発売されていることを知ったのである。買ったまま読む時間がなく山積みになっていたものを一昨年あたりからトイレに1冊ずつ置いて読むようにしていた。今読んでいるのは2011年から2012年ころに発売されたものだが、その中の1冊に「白衣の男」と「夢の中の恐怖」の紹介が載っていたのである。
トイレで「白衣の男」と「夢の中の恐怖」の発売を知ってすぐアマゾンで注文した。10年くらいたっていてもこの種の映画はとんでもない高値になっていることが多く、中古で安く手に入ることは少ない。この2作も安くはなかったが、この機会に買っておかないとそのうちとんでもない高値が付くようになるので仕方なく買った。
それをきっかけに「BFI選定イギリス映画ベスト100」をじっくり見直し、他にも発売済みの作品がないか調べてみたらぞろぞろ出てきてびっくりした次第。これらも安くはなかったがぜんぶ注文して手に入れた。以下にこの間入手したDVD・BDの邦題と「BFI選定イギリス映画ベスト100」での順位を示しておく。
「カインド・ハート」(1949)6位
「ラベンダー・ヒル・モブ」(1951)17位
「長く熱い週末」(1980)21位
「老兵は死なず」(1943)45位
「白衣の男」(1951)58位
「怒りの海」(1953)75位
「軍旗の下に」(1942)92位
「夢の中の恐怖」(1945)選外
*ちなみに前から持っていた「マダムと泥棒」(1955)は13位である。
*「ピムリコへのパスポート」(1949)63位、"Whisky Galore!" (1949)24位、"Genevieve"(1953)86位もイーリング・コメディの代表作だが、なぜかこれらはまだ日本版DVDは出ていない。
*上記"Whisky Galore!"は当然未見だが、「ウイスキーと2人の花嫁」という邦題で2016年に再映画化された方は観た。第二次世界大戦中のこと。スコットランドのある小さな島では命の水とも言うべきウイスキーの配給が途絶えてしまう。島民は困り果てるが、まるで天からの恵みのように大量のウイスキーを積んだ貨物船が島の近くで座礁した。島民と船員たちはウイスキーを救出しようと涙ぐましい努力をする。そこへ関税消費税庁が島に乗り込んでくる、といういかにもイギリスらしいウィットに富み、人を喰ったコメディである。
最近入手した上記の8本のうち、イーリング・スタジオ制作の映画は「長く熱い週末」と「老兵は死なず」(DVDが普及し始めたころ大量に出回った廉価版の一つ)を除く6本である。6本のうちイーリング・コメディと呼べるのは「カインド・ハート」、「ラベンダー・ヒル・モブ」、「白衣の男」の3本。「夢の中の恐怖」はややホラーがかった心理サスペンス映画であり、「怒りの海」と「軍旗の下に」は戦争映画である。イギリスのハマー・フィルム・プロダクションといえばホラー映画を連想するように、イーリング・スタジオといえばイーリング・コメディが自動的に思い浮かぶくらいコメディの印象が強い。しかしそれ以外のジャンルの映画も当然作っているのである。このことは今回初めて知った。
イーリング・スタジオについてはウィキペディアなどで基本的なことは分かるが、ここであまり知られていない側面について触れておきたい。「レンブラント 描かれた人生」のレビューでも紹介した上野一郎監修『現代のイギリス映画』(河出新書、1955年)からの一説を引用文しておきたい。だいぶ古い文献だが、他にあまり言及されていないことに触れられているのであえて再度掲載しておきたい。
イギリス映画の全盛をもたらしたもう一つの有力な原因は、その製作機構である。イギリスの制作システムは、アメリカとフランスの中間に位置している。アメリカの大会社システムは強大な資本力によってデラックス級の豪華作品の製作を可能にするが、一方芸術家の自由を制限する。フランスの独立プロ・システムは芸術家の自由を許すが、資本力の不足がしばしば各企画を不発に終わらせる。それに対してイギリスは映画会社の組織のなかに製作プロを包含して、資本力でバックアップしながら製作に関してはプロの自由を最大限に認めるという方法をとった。そのシステムの活用によって芸術家は思いのままに創作活動に専念することができた。戦後のイギリス映画の大半はJ.アーサー・ランクのランク・オーガニゼーションとアレキサンダー・コルダのロンドン・フィルムズの二系統に入るが、優秀な制作者・監督はおおむねその傘下に属している。イギリス映画はその意味で制作者・監督の個性と作風によってさらに特色づけられると言ってよい。
アレクサンダー・コルダ(現在はこの表記の方が一般的)が設立したロンドン・フィルムは「レンブラント 描かれた人生」(1936)、「ヘンリー八世の私生活」(1933)、「美女ありき」(1940)[いずれも監督はアレクサンダー・コルダ]、フランスの大監督を招いて作ったルネ・クレール監督の「幽霊西へ行く」(1935)とジャック・フェデー監督の「鎧なき騎士」(1937)、キャロル・リード監督の「落ちた偶像」(1948)や「第三の男」(1949)、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督の「ホフマン物語」(1951)、デヴィッド・リーン監督の「超音ジェット機」(1952)、「ホブスンの婿選び」(1954)、ローレンス・オリヴィエ監督の「リチャード三世」(1955)など、イギリス映画の歴史を飾る傑作を次々に制作した。
一方、アーサー・ランクが創設したランク・オーガニゼーションはマイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督の「赤い靴」(1950)、「黒水仙」(1946)、デヴィッド・リーン監督の「逢びき」(1945)、「大いなる遺産」(1947)などを生み出した。そして最盛期のランク・オーガニゼーションはイーリング・スタジオやパインウッド・フィルム・スタジオ、イズリントン・スタジオなど5つのスタジオを1940年代後期頃までに傘下に収めていった。ここでランク・オーガニゼーションとイーリング・スタジオがつながるのである。まあこのように見てくると、イーリング・スタジオやイーリング・コメディの歴史的背景が少し立体的に見えてくるだろう。イーリング・コメディは、イギリス映画の巨匠たちが次々と傑作を放っていたまさにその黄金時代(1940年代から50年代)にイギリス独特のコメディを量産していたのである(イーリング・スタジオは1955年から95年まではBBC傘下にあった)。
イーリング・コメディの日本への紹介はまだまだ始まったばかりで、代表作とされるものでまだ手に入らないものは多い。ここで少しいろんな国のコメディを見渡してみよう。フランス映画ではルイ・ド・フュネス、ブールヴィル、フェルナンデル、ジャック・タチなどがコメディアンとして知られているが、ジャック・タチの諸作品以外は大して面白くないというのが正直なところだ。イタリアでは何といってもトトの存在が大きい。彼はイタリアを代表するコメディアンで、一連の作品も質が高い。彼に比べるとロベルト・ベニーニなどへっぽこ役者にしか見えない。
これらの国に比べると、日本、韓国、中国のコメディの方が質は高いといえる。韓国のコメディは枚挙にいとまがない。中国のコメディはおそらく相当数作られているはずだが、日本で紹介されているものは少ない。チャン・イーモウ監督「キープ・クール」(1997)、フォン・シャオガン監督の「ハッピー・フューネラル」(2001)、チャン・ヤン監督の「グォさんの仮装大賞」(2012)などを観ると、そこまでやるかとあきれるほどとことん笑いを突き詰めるシチュエーション・コメディである。もちろんそういうタイプばかりではなく、中国で高速バスに乗った時観た内の1本は韓国映画の様なラブ・コメディだった(当然日本語字幕などついていないが、大体内容がわかってしまうのだから面白い)。
日本を取り上げれば、渥美清、森繁久彌、フランキー堺などは天才的役者だと思うし、何よりも小津安二郎、木下恵介、渋谷実、豊田史郎、川島雄三、山田洋次、周防正行などの大監督がそれぞれの持ち味を生かしたコメディを作っているところに、日本映画の懐の深さを感じさせる。
しかし、何といっても最大のコメディ大国はアメリカだろう。スクリューボール・コメディやスラップスティック・コメディの他にも、恋愛コメディなど様々なジャンルがある。三大喜劇王と呼ばれるチャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドはもちろん、70年代にテレビで楽しんだボブ・ホープの「珍道中シリーズ」、ジェリー・ルイスの「底抜けシリーズ」、ジャック・レモンとウォルター・マッソーの一連の作品(それぞれの単独の作品も含めて)、80年代に映画館で観たマルクス兄妹の諸作品など、古いものを挙げただけでもとんでもない数になる。しかもそのレベルが非常に高い。僕のコメディの基準はこの時代のアメリカのコメディ映画で作られたといっても過言ではない。
アメリカのコメディに比べると、確かにイギリスのコメディは地味で暗い印象をぬぐえない。それに何といっても癖がありすぎる。正直僕はモンティ・パイソンのどこが面白いのかさっぱり分からない。ただただバカバカしいとしか思えない。たぶん相当風刺やひねりが効いていて、イギリス社会の実情をよく知らないと十分理解できないのだろう。それに比べるとローワン・アトキンソンの「Mr.ビーン」シリーズは素直に笑える(TV番組だが、彼がにこりともしないで渋い警視役を演じる「メグレ警視」シリーズも絶品)。笑いのツボが分かりやすいからだろう。彼の笑いはアメリカで言えばジェリー・ルイスに近いと感じる。
ローワン・アトキンソンほどはちゃめちゃではないが、90年代以降のイギリス・コメディはだいぶ明るく分かりやすいものが多い。例えば、アニメの「ウォレスとグルミット」シリーズ、「ウェイクアップ!ネッド」(1998)、「シャンプー台のむこうに」(2000)、「ケミカル51」」(2002)、「ミリオンズ」(2004)、「キンキー・ブーツ」(2005)、「パレードへようこそ」(2014)など(これに上述の「ウイスキーと2人の花嫁」を含めても良いだろう)。イギリスらしいブラックな笑いも含みつつも、素直に楽しめる。
しかしイーリング・コメディとなるとやはり日本人には馴染みにくいものがあるというのが正直なところだろう。それなりに面白いのだが、イギリス映画の歴代ベスト100に入るほどのものか?どうやらイギリス人と日本人では笑いの感覚が少し違うようだ。イーリング・コメディの多くが日本未公開だったのも故なしとしない。と思う一方で、その独特のコメディ・センスも全く分からないわけではない。
具体的に個別例を挙げてみよう。個人的に一番面白いと思ったのは「ラベンダー・ヒル・モブ」(この場合のモブは「群衆」という意味ではなく、「ギャング」つまり金塊強奪をたくらむ「ラベンダー・ヒル一味」という意味)。真面目な銀行員がひょんなことから金塊強盗を思い付くという設定が面白い。金塊を強奪しただけでは国内でさばけない。そこで、それを溶かして土産用のミニチュア・エッフェル塔に仕立ててフランスに持ち出すという卓抜な発想。土産物品は表面だけ金色に塗ってあるだけだが、こちらは全部本物の金でできている。見ただけでは区別がつかない。しかし次々と想定外の出来事が起こり、ドタバタ劇の展開になる。笑いのツボが分かりやすいので、これは確かに面白い。主演は名優アレック・ギネス。さすがにうまい。
アレック・ギネスは「カインド・ハート」にも出演している。彼が一人8役を演じているということで有名な作品だが、日本未公開のため長いこと幻の作品になっていたものだ。やっと見るとこができたが、アレック・ギネスの8面相よりも、むしろ主人公のルイ(デニス・プライス)の迫力の方が凄い。彼の母は伯爵家の血を引きながら、イタリア人のオペラ歌手と駆け落ちしたために勘当され、相続権を奪われていた。そのため不遇をかこっていたが、母の亡骸すら引き取ってくれない冷酷な伯爵家にルイは復讐することを決意する。そして伯爵家の相続権を持つ8人(この8人をアレック・ギネスが一人で演じている)を次々に殺していったのだ。念願かなって伯爵家を継いだルイだが、皮肉にも全く関係ない別の事件で訴えられ死刑判決を受けるという展開に。いかにもイーリングらしいサスペンス・コメディ。コメディといっても大笑いしながら観るタイプではない。むしろ人間の欲望に対する皮肉な視線を楽しむ映画だろう。
「白衣の男」もまたまたアレック・ギネス主演の映画。つまり彼はイーリング映画の看板役者なのである。若い人たちには「スター・ウォーズ」シリーズのオビ=ワン・ケノービを演じた人という印象が強いだろうが、僕には「大いなる遺産」(1947)や「オリヴァ・ツイスト」(1947)などのディケンズ作品、「マダムと泥棒」(1955)、「アラビアのロレンス」(1962)、「ドクトル・ジバゴ」(1965)などがむしろ思い浮かぶ。これに「マダムと泥棒」以外のイーリング・コメディが新たに加わったという感じだ。
「白衣の男」は期待したほどではなかったが、イギリスらしいひねりの効いた映画だ。アレック・ギネス演じる男が汚れない、切れない、擦り減らないという繊維を開発して売り込もうとするが、そんなものを作られたのでは売り上げが減って困る繊維業界が何とかしてそれを食い止めようとして起こる騒動をドタバタ調で描いている。とにかく試作品の白いスーツを着たアレック・ギネスが逃げ回る映画だ。その目まぐるしさはさながら「ミニミニ大作戦」(1968) のようだ。監督は「マダムと泥棒」のアレクサンダー・マッケンドリック。
世紀の発明を生み出した研究設備が情けないほど貧弱なのは笑って見逃すとしても、どことなく全体に絵空事のような雰囲気があってそれが気になる。繊維業界の大物たちだけではなく、繊維会社に勤める社員たちも自分たちの仕事が奪われると追跡に加わるあたりは何とも皮肉なほどリアルだが、それでもどこかリアリティが薄い。基本の発明が荒唐無稽だからか。とはいえ、飄々としたアレック・ギネスの存在感はさすがだ。結局彼が着ていた白いスーツは逃げ回っているうちに破れたりほつれたりしてしまう。発明は失敗だった。しかしそれにめげず、さらに研究を続けるラストの彼の姿に思わず頬が緩む。
「夢の中の恐怖」は一転してホラー・サスペンスである。まったく聞いたこともなかった作品だが、これがなかなかの傑作だった。4人の監督が演出した5話から成るオムニバス形式のホラー映画。古い屋敷に呼び出された人々が、それぞれに体験した怪奇な出来事を語り合うというよくある設定。それぞれの逸話が良く出来ていて、ロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニが共作した「世にも怪奇な物語」(1967) よりも出来が良いと思った。
続いてはイーリング・スタジオ制作の戦争映画2本を取り上げる。「軍旗の下に」は本格的な戦争映画だが、アメリカ映画のような激しい戦闘場面を売り物にするのではなく、人間ドラマを中心に描いている。その分地味だが、リアルな映画になっている。なにしろイギリス艦船がドイツ軍によって撃沈され、生き残った兵士たちが救命ボートにつかまって海の上をさまようというのだから、勇ましい映画になりようがない。ヒッチコック監督の「救命艇」のような状況になるわけだが、何とか助かろうと醜い争いを繰り広げるという展開ではなく、互いに励ましあいながら戦争前の日々をそれぞれに回想するという流れになる。監督を務めたノエル・カワードが主演も兼ねていて、他を圧する存在感を出している。
もう一つの「怒りの海」もアメリカ映画のような激しい戦闘場面が見せ場になっているわけではなく、むしろ戦争という非人間的状況における人間的苦悩に焦点を当てているところに共感する。一番印象的な場面は、敵のUボートをレーダーで発見するのだが、そのUボートのすぐ真上に船を沈められ水中に投げ出された味方の一群が浮いているという場面。Uボートに爆雷を投げ込めば、そのすぐ上にいる見方も犠牲になる。アレクセイ・ゲルマン監督の「道中の点検」(1971) に出て来る手に汗を握る場面とよく似た設定だ。艦長は迷うが、攻撃を命ずる。しかし結果としてどうやらUボートはいなかったか、逃げられたか、いずれにしても戦果は挙げられなかった。むなしく仲間を犠牲にしただけだ。乗組員から船長に「人殺し」という言葉が投げつけられる。艦長はその後長いこと自分の決定が正しかったのかと苦悩する。次々と敵をなぎ倒す勇ましい場面ではなく、このような人間描写がこの作品に価値を与えている。「老兵は死なず」(こちらはイーリング映画ではない)も含めた3本のイギリス戦争映画はこの点で共通している。
最後に取り上げる2本はイーリング映画ではない。まずは同じ戦争映画ということで「老兵は死なず」を取り上げる。この映画の最後の30分くらいがこの作品に価値をもたらしている。正直序盤から中盤までは退屈だった。しかし最後の30分は長い付け足しではなく、戦争というもの、あるいは第一次大戦と第二次大戦の違いをよく描いている。特にデボラ・カーの言うセリフ「本当に不思議な人たちだわ。奇妙ね。何年もの間美しい曲や詩を書いていた人たちが突然戦争を始める。無防備な船を沈め、人質を撃ち、ロンドンの町を破壊する。子供まで殺して血に汚れた軍服を着たままシューベルトを聞いている。どこか変だわ。そう思わない?」は強く印象に残る名セリフだと思う。
この映画が優れているのはイギリス人将校クライブとドイツ人将校テオの人間的交流を真摯に描いたことである。2人はある事情から決闘することになるが、相打ちとなって共に同じ病院で手当てを受けることになる。共に傷を癒すうちに2人は友情を結ぶことになる。この辺りの設定はジョージア映画の名作「みかんの丘」に通じるものがある。しかしその後第一次大戦が起こり2人は敵味方に分かれる。ドイツ軍将校テオは捕虜となっていた。終戦後テオはドイツに帰るが、ドイツではナチスが台頭しており、彼の息子はナチスに傾倒していった。ナチスに同調できないテオはイギリスに亡命し、クライブと同居することになる。
クライブとテオの描写にほぼ同等の時間を当てているところが成功している。そして二人をつなぐ役割を果たす女性3人をデボラ・カーが一人3役で演じているのも特筆に値する。この映画でのデボラ・カーは本当に素晴らしい。「黒水仙」、「サンダウナーズ」(1960)、「めぐり逢い」(1957)、「旅路」(1958) などと並ぶ彼女の代表作の一つと言って良いだろう。
「長く熱い週末」はイギリスでは珍しいギャング映画である。ボブ・ホスキンスとヘレン・ミレン主演で、前にもそんな組み合わせの映画があったとかすかな記憶があった。途中で映画日記を調べてみたら2018年にユーネクストで観ていた。覚えている場面は結構あったが、タイトルは完全に忘れていた。
作品について詳しくは述べないが、とにかくボブ・ホスキンスが素晴らしい。「モナリザ」(1986) や「ヘンダーソン夫人の贈り物」(2005) と並ぶ彼の代表作である。とにかく凄味が違う。それでいて予想外の事態に戸惑いを隠せないところもある。冷酷だが卑劣ではない。しかし知らず知らずのうちにドツボにはまり、予想外の事態に散々振り回された挙句に底なし沼に転落してゆく。
というのも戦った相手が悪かった。ボブ・ホスキンスのギャング組織は何者かにより次々と攻撃を受ける。最初はロンドンのギャングの裏切りを疑うがどうも違うらしい。次にアメリカのギャングを疑うが、どうやら彼らでもない。彼の経営するレストランが爆破されるという事件が早い段階で起こるが、実はこれがヒントだった。正体の分からない敵は何とIRAだった。
今ではテロ組織といえばイスラム過激派というイメージが定着しているが、この映画が製作された1980年ごろは、テロ組織といえば真っ先にIRA(アイルランド共和国軍)が思い浮かんだものだ。ケン・ローチ監督の名作「麦の穂をゆらす風」(2006) では、アイルランドを植民地にして暴虐の限りを尽くしていたイギリスに対するアイルランド人の独立戦争が描かれている。多大な犠牲を出してアイルランドは独立を勝ち取るが、イギリスの抵抗で北アイルランドがイギリス領にとどまるという不完全な独立になってしまった。その結果完全独立を求める派と不完全でも勝ち取った独立を守ろうとする派に分かれて内戦になってしまう。「麦の穂をゆらす風」の終盤は、共に独立戦争を戦ったアイルランド人同士が二つに分かれて殺しあう悲惨な状況を冷徹に描き出す。
「麦の穂を揺らす風」は内戦に突入する段階で終わるが、内戦は結局完全独立派が敗北する。IRAは過激化し爆弾テロでイギリスに抵抗を続ける。イギリス軍でも手を焼くIRAを敵に回してはいくらボブ・ホスキンスの大ギャング組織とはいえ勝ち目はない?さて、どうなるかは観てのお楽しみ。ボブ・ホスキンスの妻役がヘレン・ミレンである。まだ大女優の風格はなく、むしろ色気たっぷりの美人女優という感じだ。ヘレン・ミレンの映画は20本近く観ているが、この映画の彼女が一番若い。演技派の大女優という印象が強かっただけに、若い頃はこんなに美人だったのかと正直驚いた。しかし大熱演のボブ・ホスキンスに押されて影が薄い添え物に終わっているわけではない。そこはヘレン・ミレン、後の大女優の片鱗が垣間見えるところはさすがだ。