ゴブリンのこれがおすすめ 58 イギリス映画(1)1990年代まで
アレクサンダー・コルダ、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー、デヴィッド・リーン、キャロル・リード、カレル・ライス、トニー・リチャードソン、リンゼイ・アンダーソン、ジョゼフ・ロージーなどの巨匠が活躍したイギリス映画の黄金時代は60年代でほぼ終わり、70年代は低迷期だった。80年代には「炎のランナー」、「未来世紀ブラジル」、「マイ・ビューティフル・ランドレット」、「ミッション」、「遠い夜明け」、「ワールド・アパート」などの作品が現れてやや持ち直した。
やっとイギリス映画にルネッサンスとも言うべき活況が戻って来たのは90年代になってからである。「秘密と嘘」(1996、マイク・リー監督)が1997年の『キネマ旬報』ベストテン1位に選出されたことは、90年代イギリス映画の好調さを象徴している。
1982年にイギリス映画界にとって画期的な出来事が二つ起きている。一つはイギリス映画「炎のランナー」がアカデミー作品賞を受賞したことである。もう一つはテレビ局のチャンネル4が出来たことである。この局は映画制作に力を入れることを念頭に置いて作られた局である。これ以降メジャーな配給会社による映画とチャンネル4によるインディペンデントな小品映画が並行して作られ、少しずつ成功作が生まれてくる。86年の「マイ・ビューティフル・ランドレッ ト」は中でも印象深い作品である。その他にもジェームズ・アイヴォリーの文芸映画、デレク・ジャーマン、ピーター・グリーナウェイのアート系映画などが次々に生まれた。「インドへの道」や「ミッション」などの大作も作られた。こうしてデビッド・リーンやキャロル・リードといった巨匠が活躍した時代から、怒れる若者たちの時代60年代を経てその後下降線をたどり、低迷の70年代を送ったイギリス映画界は、80年代の回復期を経て、90年代に入りついに復活し、イギリス映画は再び黄金時代を迎えたのである。1989年には30本しか製作されなかったのが、90年代前半には50本以上になり(92年は47本、93 年は69本、95年は78本)、96年128本、97年112本と、96年以降は年間100本以上のイギリス映画が製作されているのである。
このような好調の背景には、映画制作にかかわる事情の変化が関係している。前述したチャンネル4と公共放送のBBCが車の両輪となり、映画制作を支えている。他にもグラナダ・テレビとITCなどのテレビが劇映画を製作している。また、宝くじの売上金を映画制作に融資する制度も映画製作本数の増加に大きく貢献している。また、ブレア首相率いる労働党内閣も映画振興政策に力を入れている。ブレア首相は初めて映画担当大臣を置き、映画制作の資金調達と若手映画人育成に力を入れだした。制作費1500万ポンド以下の作品を非課税扱いとした。こういったことがすべてあいまって90年代以降のイギリス映画の好調を支えているのである。
なぜイギリス映画はこれほど急激に活況を呈するようになったのだろうか。90年代のイギリス映画には80年代のイギリス映画にあまりなかった明るさや前向きのエネルギーが感じられる。しかし「フル・モンティ」や「ブラス!」や「リトル・ダンサー」などの明るい前向きのイメージを持った映画にも、それらの映画の明るさの裏には失業、貧困、犯罪などの現実がある。そしてこの「失業、貧困、犯罪」こそが、90年代以降のイギリス映画を読み解く重要なキーワードなのである。
80年代はまるまるサッチャーの時代だった。サッチャー政権の新自由主義的政策によりイギリスは表面上確かに豊かになったが、その一方でアメリカ的な消費生活が急速に拡大し、金の有無だけがその人間関係を決定する社会に変貌していった。競争意識が高まることによって経済は好転したが、極端な上昇志向や拝金主義が蔓延し、弱者は切り捨てられることになった。サッチャー時代の自助努力による立身出世というイデオロギーは、上昇志向の個人がひじを張る社会を生み、そのあおりでかつてのコミュニティという人のつながりは解体されてゆく。這い上がる余地のない失業者や社会の最底辺にいる者たちは、出口のない閉塞した社会の中に捕らわれて抜け出せない。社会が人々を外から蝕(むしば)み、酒とドラッグが中から蝕んでいった。
90年代のイギリス映画は、大局的に見て、このサッチャリズムに対する反動だったと言えるだろう。80年代にサッチャー時代を経験したことが90年代のイギリス映画の成功を生んだのである。
「ヘンリー八世の私生活」(1933) アレクサンダー・コルダ監督
「アラン」(1934) ロバート・フラハティ監督
「幽霊西へ行く」(1935)ルネ・クレール監督
「レンブラント 描かれた人生」(1936) アレクサンダー・コルダ監督
「バルカン超特急」(1938、アルフレッド・ヒッチコック監督
「巌窟の野獣」(1939) アルフレッド・ヒッチコック監督
「ガス燈」(1940)ソロルド・ディキンソン監督
「軍旗の下に」(1942)ノエル・カワード、デヴィッド・リーン監督
「老兵は死なず」(1943)マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「逢びき」(1945) デヴィッド・リーン監督
「黒水仙」(1946) マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「夢の中の恐怖」(1945)ベイジル・ディアデン、チャールズ・クライトン、他、監督
「天国への階段」(1946)マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「大いなる遺産」(1947) デヴィッド・リーン監督
「邪魔者は殺せ」(1947) キャロル・リード監督
「おちた偶像」(1948) キャロル・リード監督
「オリヴァ・ツイスト」(1948) デヴィッド・リーン監督
「ハムレット」(1948) ローレンス・オリヴィエ監督
「カインド・ハート」(1949)ロバート・ハーメル監督
「第三の男」(1949) キャロル・リード監督
「赤い靴」(1950)マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「白衣の男」(1951)アレクサンダー・マッケンドリック監督
「ホフマン物語」(1951)マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「ラベンダー・ヒル・モブ」(1951)チャールズ・クライトン監督
「怒りの海」(1953)チャールズ・フレンド監督
「二つの世界の男」(1953)キャロル・リード監督
「暁の出撃」(1954) マイケル・アンダーソン監督
「ホブスンの婿選び」(1954) デヴィッド・リーン監督
「デッド・ロック」(1954) アーサー・ルービン監督
「マダムと泥棒」(1955) アレクサンダー・マッケンドリック監督
「狩人の夜」(1955) チャールズ・ロートン監督
「リチャード三世」」(1955) ローレンス・オリヴィエ監督
「将軍月光に消ゆ」(1957) マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー監督
「戦場にかける橋」(1957) デヴィッド・リーン監督
「SOSタイタニック」(1958)ロイ・ウォード・ベイカー監督
「戦塵未だ消えず」(1960) ラルフ・トーマス監督
「土曜の夜と日曜の朝」(1960) カレル・ライス監督
「謎の要人悠々逃亡!」(1960)ケン・アナキン監督
「可愛い妖精」(1961)ピーター・グレンヴィル監督
「黒い狼」(1961)ロイ・ウォード・ベイカー監督
「アラビアのロレンス」(1962) デヴィッド・リーン監督
「ズール戦争」(1963) サイ・エンドフィールド監督、英・米
「博士の異常な愛情」(1963) スタンリー・キューブリック監督
「召使」(1963) ジョゼフ・ロージー監督
「国際諜報局」(1964)シドニー・J・フューリー監督
「黄色いロールス・ロイス」(1964)アンソニー・アスキス監督、イギリス・アメリカ
「反撥」(1964) ロマン・ポランスキー監督
「ベケット」(1964) ピーター・グレンヴィル監督
「オセロ」(1965) スチュアート・バージ監督
「キプロス脱出作戦」(1965) ラルフ・トーマス監督
「ドクトル・ジバゴ」(1965) デヴィッド・リーン監督
「袋小路」(1965) ロマン・ポランスキー監督
「わが命つきるとも」(1966) フレッド・ジンネマン監督
「吸血鬼」(1967) ロマン・ポランスキー監督
「できごと」(1967) ジョゼフ・ロージー監督
「遥か群集を離れて」(1967) ジョン・シュレシンジャー監督
「冬のライオン」(1968) アンソニー・ハーヴィー監督
「ミス・ブロディの青春」(1968)ロナルド・ニーム監督
「ミニミニ大作戦」(1968)ピーター・コリンソン監督
「if・・・もしも」(1969) リンゼイ・アンダーソン監督
「ケス」(1969) ケン・ローチ監督
「恋する女たち」(1969) ケン・ラッセル監督
「素晴らしき戦争」(1969)リチャード・アッテンボロー監督
「裸足のイサドラ」(1969) カレル・ライス監督
「ライアンの娘」(1970) デヴィッド・リーン監督
「時計じかけのオレンジ」(1971) スタンリー・キューブリック監督
「日曜日は別れの時」(1971) ジョン・シュレシンジャー監督
「マーフィの戦い」(1971) ピーター・イェーツ監督
「若草の祈り」(1971) ライオネル・ジェフリーズ監督
「ウィッカーマン」(1973)ロビン・ハーディ監督
「ジャッカルの日」(1973) フレッド・ジンネマン監督、イギリス・フランス
「ジャガーノート」(1974)リチャード・レスター監督
「戦争のはらわた」(1975)サム・ペキンパー監督、西独・英
「遠すぎた橋」(1977) リチャード・アッテンボロー監督、イギリス・フランス
「ブラジルから来た少年」(1978)フランクリン・J・シャフナー監督
「ワイルド・ギース」(1978)アンドリュー・V・マクラグレン監督
「シャイニング」(1980)スタンリー・キューブリック監督
「テス」(1980) ロマン・ポランスキー監督
「フランス軍中尉の女」(1981) カレル・ライス監督
「炎のランナー」(1981) ヒュー・ハドソン監督
「英国式殺人事件」(1982) ピーター・グリーナウェイ監督
「インドへの道」(1984) デヴィッド・リーン監督
「未来世紀ブラジル」(1985) テリー・ギリアム監督
「マイ・ビューティフル・ランドレット」(1985) スティーヴン・フリアーズ監督
「風が吹くとき」(1986)ジミー・T・ムラカミ監督
「カルラの歌」(1986)ケン・ローチ監督
「眺めのいい部屋」(1986) ジェームズ・アイヴォリー監督
「モナリザ」(1986) ニール・ジョーダン監督
「ミッション」(1986) ローランド・ジョフィ監督
「戦場の小さな天使たち」(1987) ジョン・ブーアマン監督
「遠い夜明け」(1987) リチャード・アッテンボロー監督
「ワールド・アパート」(1987) クリス・メンゲス監督
「戦場の小さな天使たち」(1987) ジョン・ブーアマン監督
「ウィズネイルと僕」(1988)ブルース・ロビンソン監督
「遠い声、静かな暮し」(1988)テレンス・デイヴィス監督
「ヘンリー五世」(1989) ケネス・ブラナー監督
「ウォレスとグルミット」(1989-93) ニック・パーク監督
「ザ・コミットメンツ」(1991) アラン・パーカー監督、イギリス・アイルランド
「リフ・ラフ」(1991) ケン・ローチ監督
「ヒア・マイ・ソング」(1991) ピーター・チェルソム監督
「クライング・ゲーム」(1992) ニール・ジョーダン監督
「ピーターズ・フレンズ」(1992) ケネス・ブラナー監督
「ウォレスとグルミット ペンギンに気をつけろ」(1993)ニック・パーク監督
「永遠の愛に生きて」(1993)リチャード・アッテンボロー監督、英・米
「父の祈りを」(1993)ジム・シェリダン監督、イギリス・アメリカ
「日の名残り」(1993)ジェームズ・アイヴォリー監督
「レイニング・ストーンズ」(1993)ケン・ローチ監督
「英国万歳!」(1994) ニコラス・ハイトナー監督
「レディバード・レディバード」(1994) ケン・ローチ監督
「いつか晴れた日に」(1995) アン・リー監督
「ウォレスとグルミット 危機一髪!」(1995) ニック・パーク監督
「シャロウ・グレイブ」(1995) ダニー・ボイル監督
「ある貴婦人の肖像」(1996) ジェーン・カンピオン監督
「ウェールズの山」」(1996) クリストファー・マンガー監督
「エマ」(1996) ダグラス・マクグラス監督
「日陰のふたり」(1996) マイケル・ウィンターボトム監督
「秘密と嘘」(1996) マイク・リー監督
「カルラの歌」(1996) ケン・ローチ監督
「トレインスポッティング」(1996) ダニー・ボイル監督
「ウェールズの山」(1996) クリストファー・マンガー監督
「ブラス!」(1996) マーク・ハーマン監督
「フル・モンティ」(1997) ピーター・カッタネオ監督
「Qeen Victoria 至上の愛」(1997) ジョン・マッデン監督
「ザ・クリミナル」(1998) ジュリアン・シンプソン監督
「マイ・スウィート・シェフィールド」(1998) サム・ミラー監督
「エリザベス」(1998) シェカール・カプール監督
「恋におちたシェイクスピア」(1998) ジョン・マッデン監督
「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」(1998) アナンド・タッカー監督
「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998) ガイ・リッチー監督
「ウェイクアップ!ネッド」(1998) カーク・ジョーンズ監督
「ヴァージン・フライト」(1998) ポール・グリーングラス監督
「ビューティフル・ピープル」(1999) ジャスミン・ディズダー監督
「ぼくの国、パパの国」(1999) ダミアン・オドネル監督
「ロンドン・ドッグス」(1999) ドミニク・アンシアーノ、レイ・バーディス監督
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