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2020年12月

2020年12月28日 (月)

超豪華廉価版BOXシリーズ 買わなきゃ損

 コスミック出版から出ている廉価版DVD BOXシリーズが凄い。何といってもまず安い。10枚組で1900円前後。アマゾンで中古があれば1000円を切ることも珍しくはない。1枚当たり数十円から高くても200円を切るのだから破格の安さだ。かつてDVDの出初めに廉価版も大量に出回ったが、それでも500円はしたと思う。

 

 そして何より驚くのはその画質の良さだ。1930年代から60年代頃の作品が多いが、デジタル修復がしっかりなされていて傷一つない。これには感心した。かつての廉価版とは雲泥の差だ。ひところデジタル・リマスターという言葉が良く使われたが、今はめったに聞かなくなった。それだけ当たり前になってきたと言うことだろう。しかしこれは大変な作業だ。映画を単なる使い捨ての商品とみなしていたならば、特に古い作品の場合、これほど手間をかけてデジタル化はしないだろう。日本映画のデジタル化があまり進まないことを考えれば、この廉価版の画質の良さには感動すら覚える。映画を文化遺産と考えていなければできないことだからだ(アメリカの場合は基本的に商品扱いだろうが、その製品管理は日本など遠く及ばないくらい徹底している)。特に古典的作品はその制作国だけではなく、世界の文化遺産と言っても良い。古いフィルムは劣化が進んでおり、保存も難しいのでデジタル化が急務である。

 

 昔のセルロイド製のフィルムは可燃性で保存に大変気をつかわねばならない。オランダ視聴覚アーカイヴの可燃性フィルム保存庫は海辺の砂丘地帯の窪地にある。第二次大戦中にナチス・ドイツ軍のトーチカとして建設されたものをフィルム保存庫に改造したのである。保存庫は、職員が働いている隣室とは反対側の壁を比較的弱くしてあり、「最悪の事態」が生じた時にはそちらへ爆風が逃げてゆく構造になっている。トーチカを選んだのはそれが頑丈だからだが、周りに人家が少ないことも考慮に入れていたのだろう。これに比べたら日本の文化政策の貧困さは目を覆いたくなるほどだ。年配の方ならば1984年9月3日に起きた旧国立フィルムセンターの火災を記憶しているだろう。その日は9月にしては比較的涼しい日だったのだろう、フィルム保管庫のクーラーを止めていたところ可燃性フィルムが自然発火してしまった。予算をケチって、クーラーを止めたために多くの貴重なフィルムを消失してしまったのである。この火事はまさに日本における映画文化の貧困さを象徴していた。

 

 話が少しそれてしまったので、元に戻そう。この廉価版DVD BOXシリーズが推奨に値する3つ目の理由はそのラインナップの豪華さである。10枚組のDVD BOXシリーズが200セット以上ある。圧倒的にアメリカ映画が多いのだが、フランス映画とイタリア映画も充実している。今手元にあるのは「イタリア映画コレクション 越境者」、「イタリア映画コレクション ミラノの奇蹟」、「フランス映画パーフェクトコレクション フィルム・ノワール 暗黒街の男たち」、「サスペンス映画コレクション 名優が演じる裏切りの世界」、「サスペンス映画コレクション 名優が演じる犯罪の世界」の5セットだけだが、少なくともあと20セットは買いたい。じっくり調べればさらに買いたいセットが次々と出て来るだろう。アメリカ映画の場合はすでに持っているものとかなり重なるのが難点だが、このシリーズにしか入ってない作品も少なからずあると思う。たとえ重なってもこの値段と画質なら重なっても惜しくない。

 

 ただ残念なのはアメリカ映画、フランス映画、イタリア映画以外はほとんどないことである。日本映画も数セットしかないし、そのほとんどはすでに持っているものだ。日本映画の古典なら、小津や黒沢や溝口等の有名監督を除いても、まだ10セットくらいあっても良いくらいだ。イタリア映画もさらに3セットくらい欲しい。更に欲を言えば、ソ連映画、ドイツ映画、中国と韓国映画も欲しい。ソ連映画やドイツ映画の古典はそれなりにDVD化されているが、中国映画と韓国映画の古典はほぼないに等しい。60年代から80年代だけでも5、6セット欲しい。スペイン映画の古典もせめて2セットくらいは出してほしいものだ。スペイン映画人たちはファシストのフランコ独裁政権下の厳しい検閲の中でも少なからぬ傑作を作ってきたのだ。そのほとんどが日本では知られていない。

 

 最後はないものねだりになってしまったが、今あるものだけでも大変なお宝が満載である。まずは下記のサイトをご覧あれ。

 

コスミック出版・DVDコーナーのURL
https://www.cosmicpub.com/products/list.php?category_id=16&orderby=date

 

 

これから観たい&おすすめ映画・BD(21年1月)

【新作映画】公開日
12月18日
 「この世界に残されて」(バルナバーシュ・トート監督、ハンガリー)
12月25日
 「GOGO 94歳の小学生」(パスカル・プリッソン監督、フランス)
 「ジョゼと虎と魚たち」(タムラコータロー監督、日本)
 「ソング・トゥ・ソング」(テレンス・マリック監督、アメリカ)
 「AWAKE」(山田篤宏監督、日本)
 「えんとつ町のプペル」(廣田裕介監督、日本)℃
1月1日
 「Swallowスワロウ」(カーロ・ミラベル・デイヴィス監督・米・仏)
1月8日
 「大コメ騒動」(本木克英監督、日本)
 「ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画」(ジャガン・シャクティ監督、インド)
 「スタントウーマン ハリウッドの知られざるヒーローたち」(エイプリル・ライト監督、米)
 「チャンシルさんには福が多いね」(キム・チョヒ監督、韓国)
 「おとなの事情 スマホをのぞいたら」(光野道夫監督、日本)
 「ハッピー・バースデー 家族のいる時間」(セドリック・カーン監督、フランス)
1月15日
 「パリの調香師 しあわせの香を探して」(グレゴリー・マーニュ監督、フランス)
 「43年後のアイ・ラヴ・ユー」(マーティン・ロセテ監督、スペイン・米・仏)
 「アンチ・ライフ」(ジョン・スーツ監督、カナダ)
 「キング・オブ・シーヴズ」(ジェームズ・マーシュ監督、イギリス)
 「聖なる犯罪者」(ヤン・コマサ監督、ポーランド・フランス)

【新作DVD・BD】レンタル開始日
12月23日
 「ジェクシー!スマホを変えただけなのに」(ジョン・ルーカス、他、監督、アメリカ)
1月6日
 「チア・アップ!」(ザラ・ヘイズ監督、アメリカ)
 「盗まれたカラヴァッジョ」(ロベルト・アンドー監督、フランス・イタリア)
 「リトル・ジョー」(ジェシカ・ハウスナー監督、オーストリア・英・独)
 「シチリアーノ 裏切りの美学」(マルコ・ベロッキオ監督、伊・仏・ブラジル・独)
 「白い暴動」(ルビカ・シャー監督、イギリス)
 「クライマーズ」(ダニエル・リー監督、中国)
1月8日
 「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(アグニェシュカ・ホランド監督、ポーランド・英・他)
 「ハニーボーイ」(アルマ・ハレル監督、アメリカ)
 「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(ハイロ・ブスタマンテ監督、グアテマラ)
 「TENET テネット」(クリストファー・ノーラン監督、アメリカ)
1月15日
 「ディヴァイン・フューリー/使者」(キム・ジュファン監督、韓国)
1月20日
 「カセットテープ・ダイアリーズ」(グリンダ・チャーダ監督、イギリス)
 「SKIN / スキン」(ガイ・ナティーヴ監督、アメリカ)
 「パブリック 図書館の奇跡」(エミリオ・エステヴェス監督、アメリカ)
1月22日
 「プリズン・エスケープ 脱出への10の鍵」(フランシス・アナン監督、英・オーストラリア)
1月27日
 「青くて痛くて脆い」(狩山俊輔監督、日本)
2月3日
 「グッド・ワイフ」(アレハンドラ・マルケス・アベヤ監督、メキシコ)
 「ヒットマン エージェント:ジュン」(チェ・ウォンソプ監督、韓国)
 「ポルトガル、夏の終わり」(アイラ・サックス監督、フランス・ポルトガル)
 「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」(マウロ・リマ監督、ブラジル)
 「宇宙でいちばんあかるい屋根」(藤井道人監督、日本)
 「ソワレ」(外山文治監督、日本)
2月5日
 「ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ」(ジョー・タルボット監督、米)
2月12日
 「スペシャルズ!~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」(エリック・トレダノ監督、フランス)
2月17日
 「ペイン・アンド・グローリー」(ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)

【旧作DVD・BD】発売日
12月23日
 「アイガー北壁」(2008)フィリップ・シュテルツェル監督、独・オーストリア・スイス
12月25日
 「金綺泳 (キム・ギヨン)傑作選 BOX」(60~90、キム・ギヨン監督、韓国)
  収録作品:「下女」「玄界灘は知っている」「高麗葬」「水女」「火女」
 「キング・ヴィダー」(31~52、キング・ヴィダー監督、アメリカ)
  収録作品:「街の風景」「シナラ」「南海の劫火」「東は東」「ルビイ」
1月8日
 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990、ケヴィン・コスナー監督、アメリカ)
1月20日
 「さびしんぼう」(1985、大林宜彦監督)
 「HOUSE ハウス」(1977、大林宜彦監督)
 「テス」(1979、ロマン・ポランスキー監督、英・仏)
1月27日
 「ディア・ドクター」(2009、西川美和監督)
2月17日
 「ペドロ・アルモドバル Blu-ray BOX」(87~99、ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)
  収録作品「神経衰弱ぎりぎりの女たち」「オール・アバウト・マイ・マザー」「アタメ」「キカ」

*色がついているのは特に注目している作品です。

 

 

 

2020年12月13日 (日)

ゴブリンのこれがおすすめ 55 ドイツ映画

「カリガリ博士」(1919) ロベルト・ヴィーネ監督
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1921)F.W.ムルナウ監督
「死滅の谷」(1921) フリッツ・ラング監督
「ドクトル・マブゼ」(1922) フリッツ・ラング監督
「最後の人」(1924) F.W.ムルナウ監督
「ニーベルンゲン/ジークフリート」(1924) フリッツ・ラング監督
「ヴァリエテ」(1925) E.A.デュポン監督
「アクメッド王子の冒険」(1926) ロッテ・ライニガー監督
「メトロポリス」(1926) フリッツ・ラング監督
「パンドラの箱」(1929)ゲオルグ・ヴィルヘルム・パプスト監督
「嘆きの天使」(1930) ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督
「M」(1931) フリッツ・ラング監督
「會議は踊る」(1931) エリック・シャレル監督
「制服の処女」(1931)  レオンティーネ・サガン監督、仏・独
「こわれ瓶」(1936) グスタフ・ウチツキ監督
「民族の祭典」(1938)  レニ・リーフェンシュタール監督
「罠 ブルーム事件」(1948) エーリッヒ・エンゲル監督(東独)
「菩提樹」(1956) ヴォルフガング・リーベンアイナー監督
「朝な夕なに」(1957) ヴォルフガング・リーベンアイナー監督
「野バラ」(1957) マックス・ノイフェルト監督
「橋」(1959) ベルンハルト・ヴィッキ監督
「忘れな草」(1959) アルツール・マリア・ラーベナルト監督
「アギーレ/神の怒り」(1972) ヴェルナー・ヘルツォーク監督
「カスパー・ハウザーの謎」(1975) ヴェルナー・ヘルツォーク監督
「歌う女歌わない女」(1977) アニエス・ヴァルダ監督
「秋のドイツ」(1978)  ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、アルフ・ブルステリン、他
「ノスフェラトゥ」(1978) ヴェルナー・ヘルツォーク監督
「獄中のギュネイ」(1979) H.シュテンペル、M.リプケンス監督
「ブリキの太鼓」(1979) フォルカー・シュレンドルフ監督
「マリア・ブラウンの結婚」(1979) ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督
「ドイツ・青ざめた母」(1980)ヘルマ・サンダース=ブラームス監督
「Uボート」(1981)ウォルフガング・ペーターセン監督
「ベロニカ・フォスの憧れ」(1982)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督
「フィツカラルド」(1982)ヴェルナー・ヘルツォーク監督、西ドイツ・ペルー
「パリ、テキサス」(1984) ヴィム・ヴェンダース監督
「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984) ジム・ジャームッシュ監督
「ダウン・バイ・ロー」(1986) ジム・ジャームッシュ監督、アメリカ・西ドイツ
「ビヨンド・サイレンス」(1996) カロリーヌ・リンク監督
「ベルリン・天使の詩」(1987) ヴィム・ヴェンダース監督
「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」(1997) トーマス・ヤーン監督
「ラン・ローラ・ラン」(1998) トム・ティクヴァ監督
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」(1999) ヴィム・ヴェンダース監督、独・米・仏・キューバ
「マーサの幸せレシピ」(2001) サンドラ・ネットルベック監督
「名もなきアフリカの地で」(2001) カロリーヌ・リンク監督
「グッバイ・レーニン!」(2003) ヴォルフガング・ベッカー監督
「らくだの涙」(2003)ビャンバスレン・ダヴァー、ルイジ・ファロルニ監督
「ヒトラー 最期の12日間」(2004) オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督
「天空の草原のナンサ」(2005) ビャンバスレン・ダヴァー監督
「善き人のためのソナタ」」(2006) フロリアン・ドナースマルク監督
「ヒトラーの贋札」(2007)ステファン・ルツォヴィツキー監督、ドイツ・オーストリア
「アイガー北壁」(2008)フィリップ・シュテルツェル監督、独・オーストリア・スイス
「アンノウン」(2011)ジャウマ・コレット=セラ監督、ドイツ・アメリカ
「さよなら、アドルフ」(2012)ケイト・ショートランド監督、オーストラリア・独・英
「ハンナ・アーレント」(2012)マルガレーテ・フォン・トロッタ監督、独・仏・他
「東ベルリンから来た女」(2012)クリスティアン・ペツォールト監督
「消えた声が、その名を呼ぶ」(2014)ファティ・アキン監督、独・仏・伊・トルコ、他
「帰ってきたヒトラー」(2015)ダーヴィト・ヴネント監督、ドイツ
「生きうつしのプリマ」(2016)マルガレーテ・フォン・トロッタ監督
「50年後のボクたちは」(2016)ファティ・アキン監督
「女は二度決断する」(2017)ファティ・アキン監督
「僕とカミンスキーの旅」(2015)ヴォルフガング・ベッカー監督、ドイツ・ベルギー
「バルーン 奇跡の脱出飛行」(2018)ミヒャエル・ブリー・ヘルビヒ監督

 僕が集中的に映画を観始めたのは70年代初めだが、そのころドイツ映画を観ることはめったになかった。当時はほとんどテレビで映画を観ていたが、テレビで放映されるのは圧倒的にアメリカ映画が多く、他にフランス映画やイタリア映画が混じる程度だった。日本映画ですら時代劇を除けば滅多に放送されなかった。70年代初めに僕がテレビで観たドイツ映画といえば「朝な夕なに」、「野バラ」、「忘れな草」のようなおとなしい、ややかしこまった映画がほとんどだった。

 ドイツ映画は「黄金の20年代」と呼ばれる1920年代に一連の名作群を生み出し、アメリカと並ぶ当時の最高水準にあったと言って良いだろう。「黄金の20年代」というのはドイツ史で言えばワイマール共和国時代(1919-1933)に相当する。第1次世界大戦と第2次世界大戦間の時代で、ナチスの台頭により終焉を迎えた。ワイマール憲法は当時としては極めて民主的な内容を持ち、自由主義的、民主主義的共和国の建設を目指していた。しかし二つの世界大戦に挟まれたこの時代はインフレと貧困に悩まされる不安の時代でもあり、退廃的なムードが巷に沈殿していた。その時代に美術界に生まれたのが表現主義であり、映画界にもドイツ表現主義映画と一般に呼ばれる映画が出現し、盛んに映画が製作されドイツは映画大国となった。

 しかしこの時代のドイツ映画を表現主義映画一色とみなしてはいけない。この時代のドイツ映画をドイツ文化センターがまとめた冊子「ドイツの映画史 社会批判リアリズム映画 サイレント映画からトーキーへ」という資料を基に概観しておこう。表現主義映画は1925年ごろを境に退潮してゆき、代わってリアリズム的な映画が台頭した。新即物主義と呼ばれる作品群やソ連のアヴァンギャルド映画に触発されたプロレタリア・リアリズム映画である。新即物主義映画の代表はヴィルフリート・パッセ監督の「ベルリンの市場」(1929)。プロレタリア・リアリズム映画を代表するのはスラタン・ドゥートフ監督の「クーレ・ワンペ」(1932)。脚本担当者の一人はベルトルト・ブレヒトである。30年代初めのワイマールの混乱した状況をとらえた貴重なドキュメントである。もちろんリアリズム的映画にも様々な作風があり、これらの映画の一部はベルリンの貧民街を独特の哀愁をこめて描いたベルリンの郷土画家、ハインリヒ・ツィレの名前を取って「ツィレ映画」と呼ばれた。ゲールハルト・ランブレヒトの「第五階級」(1925)がその代表作である。あるいはブルーノ・ラーン監督の「街の悲劇」(1927)のような「街路映画」も1930年ごろまで多く作られた。中産階級の人々が単調な日常生活を抜け出し、大衆が群がる都会の街路の喧騒に引かれてゆくというタイプの映画だ。

 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督が1980年に「ベルリン・アレクサンダー広場」というテレビ用シリーズ映画を製作した。同じアルフレート・デーブリーンの原作を映画化した映画が1931年にも作られている。ピール・ユッツィ監督の「ベルリン・アレクサンダー広場」である。ピール・ユッツィ監督はプロレタリア映画作家で、この映画はシネマ・ヴェリテ的趣があった。あるいはドイツ時代のロバート・シオドマクが監督しビリー・ワイルダーが脚本を書いた(共にこの映画で映画人としてデビューした)「日曜日の人々」もこの時代を代表する作品として記憶に値する。北ドイツ放送「NDR」が発表した「ドイツ映画ベスト100」で99位にランクインされた作品である。都会のサラリーマン生活の哀歓を描きながらも、小市民的メロドラマには堕していない作品だという。「ドイツの映画史 社会批判リアリズム映画 サイレント映画からトーキーへ」からの紹介はこの辺にしておくが、これらの作品が今日DVDやBDで入手困難というのは残念なことである。いつかワイマール時代のドイツ映画BOXセットが発売されることを切に願う。

 ワイマール共和国時代はしかしナチスの台頭によって終焉を迎えるが、同時にドイツ映画の黄金時代も終わりを告げる。才能あるユダヤ人や反ナチスの映画人が外国に(特にアメリカ)亡命したために、30年代後半から60年代にかけてのドイツ映画は見る影もなく衰退してしまったのである。テレビでドイツ映画が滅多に放送されなかったのはそういう事情だった。

 僕が名作と呼べるドイツ映画に接したのは73年に東京の大学に入ってからである。京橋の国立フィルムセンター(現在の国立映画アーカイブ)で73年10月から12月にかけて「1930年代ヨーロッパ映画特集」という特集が組まれ、全部で17本観たがその中の3本が「會議は踊る」、「制服の処女」、「こわれ瓶」などのドイツ映画だったのである。高校生の時に映画史を読みふけり名前だけ知っていた作品が何本も観られたのだから、夢中で通ったものだ。この時初めてドイツ映画の水準の高さを実感したのである。

 その後だいぶ時間が空いて、次にまとめてドイツ映画を観たのは84年である。高田馬場にあったACTでドイツ表現主義のサイレント映画「カリガリ博士」、「ジーグフリート」、「ヴァリエテ」を観た。偶然かもしれないがほぼ時を同じくして赤坂の東ドイツ文化センターで「スクリーン上のデーモン――表現主義の影」という特集が組まれていて、そこで「巨人ゴーレム」と「ドクトル・マブゼ」を観ている。ここへは後に『ドイツ映画の黎明――「三文映画」と「作家映画」』という特集が組まれたときも観に行っている。これもめったに観られない貴重な企画だった。

 それ以降はドイツ映画をよく見るようになった。70年代から才能ある新しい監督たちが活躍し始め、それらの傑作群が80年代中ごろから日本にどっと入ってきたのである。これらの新しいドイツ映画はニュー・ジャーマン・シネマと呼ばれるようになった。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(「マリア・ブラウンの結婚」、「ベロニカ・フォスの憧れ」)、ヴェルナー・ヘルツォーク(「フィツカラルド」、「アギーレ・神の怒り」)、ヴィム・ヴェンダース(「パリ・テキサス」)、フォルカー・シュレンドルフ(「ブリキの太鼓」)、ヘルマ・サンダース=ブラームス(「ドイツ 青ざめた母」、「エミリーの未来」)などがその代表的な監督たちである。これらの新しい映画とは別に古典も観る機会があった。85年の3月にユーロスペース(円山町に移転する前、まだ西口の高速下にあったころ)で「死滅の谷」、「ジークフリート」、「最後の人」などのサイレント時代の傑作を観ている。

 90年代はやや失速した感があったが、2000年代に入って少し盛り返してきた感じだ。しかしさすがに70年代医から80年代にかけての勢いはない。マルガレーテ・フォン・トロッタ監督やファティ・アキン監督以外は今一つパッとしない。新しい才能が出てきて何とかかつての勢いを取り戻してほしいものだ。

 最後に珍しいドイツのテレビ・ドラマを紹介しておきたい。「ジェネレーション・ウォー」(2013)という誤解を招くようなタイトルが付けられているが、第二次世界大戦をドイツ側から描いた傑作ドラマである。映画では「橋」や「Uボート」が有名だが、これらの名作に劣らない素晴らしい出来だ。迷わず満点の5点を献上した。機会があればぜひ観てほしい。

関連記事
「ドイツ映画ベスト100」

 

2020年12月 5日 (土)

イギリス小説を読む⑫ 『闇の奥』

ジョーゼフ・コンラッド『闇の奥』:帝国主義と文学

 19世紀末は「新しい女」が登場した時代であり、世紀末のアヴァンギャルド(前衛)芸術が生まれた時代であるとともに、帝国主義の時代でもあった。

【帝国の時代】
・E.J.ホブズボーム『帝国の時代 1875-1914』(みすず書房)より
 1875年から1914年にかけての時代は、新しい型の帝国主義を発展させたという理由からだけではなく、それよりずっと古めかしい理由から、帝国の時代と呼ぶことができよう。おそらくこの時代は、自らを公に「皇帝」と称したり、西欧の外交官が「皇帝」の称号にふさわしいと考えた国家元首の数が、近代世界史の中で一番多かった時代である。 われわれが論ずる時代は、かなり重要な意味で、明らかに新しい型の帝国の時代、植民地時代である。...1880年から1914年の間に...ヨーロッパとアメリカ大陸を除く世界の大半が、一握りの国々のうちのいずれかの公式の統治もしくは非公式な政治的支配の下に置かれる領土として、正式に分割された。一握りの国々とは主に、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、アメリカ合衆国、日本であった。

【帝国意識】
・北川勝彦、平田雅博編『帝国意識の解剖学』(1999年、世界思想社)より
<第1章 イギリス帝国主義と帝国意識(木畑洋一)>
 筆者が考える帝国意識とは、以下のようなものである。
 帝国意識とは、他民族に対する帝国主義支配を支え正当化する意識-心情であって、その中核をなしたのは、世界政治の中で力を有し地球上の他民族に対して強大な影響力を及ぼす帝国支配国に自分が属しているという意識であり、それは、自国に従属している民族への人種的差別感に基づく侮蔑感と自民族についての優越感とによって支えられていた。

1 帝国意識の構成要素
 帝国意識はさまざまな要素を含んでいたと考えられるが、その中心には民族的な差別意識が位置していた。民族的差別意識のそのまた核になるものが人種主義であった。
 異なる人種の間での優劣感覚を伴う差異意識の存在は、歴史上いたるところでみられたとしても、それが体系だった形をとったのはおおよそ18世紀の後半であったといってよい。イギリスにおける黒人差別の歴史について浩瀚な研究を著したフライアは、その頃までの人種偏見とそれ以降に展開を始めた人種主義の違いを、迷信とドグマの違いにたとえている。非合理的で漠然とした人種偏見にとって代わって(というよりも、そのような要素は依然として強く残るためそれに加えてと表現した方が適当だろう)、身体の各部の特徴など「科学的」に観察しうる差異を伴う人種の相違によって人間としての発展能力がはっきり違う「すぐれた」人種と「劣った」人種とが生み出されていると見る「科学的人種主義」が、この頃から唱えられはじめたのである。(27)
 人種主義に基づく、進歩-停滞、文明-野蛮、成熟-幼稚、成人-子どもといった対比が、帝国主義の言説のまさざまな局面で用いられたのである。(28)
 帝国主義の要素として次に指摘すべきは、大国主義的ナショナリズム、愛国主義である。大国国民としての愛国主義は、排他的・好戦的な愛国主義であるジンゴイズムに容易に転化し、戦争に際しては「国と国王のために」戦う姿勢を人々の間に広範に生み出していった。
 民族的優越感と大国主義的ナショナリズムが結び付いた所で、「帝国主義」は「文明化の使命」感を育んでいくことになる。優越した位置にある自分たちが、大国イギリスの庇護のもとにある植民地や勢力圏内の人々に、文明の恩恵を与えていき、彼らを文明の高みに、あるいはそれに近いところまで引き上げる営みを行っているのだ、という感覚である。「白人の責務」をうたった有名なキプリングの詩句であらわされるこの意識は、帝国支配の正当化の上で、 常に重要な役割を果たした。第一次世界大戦後、民族自決思想の登場に対抗する形で、植民地統治の理念として強調されるようになった「信託統治」の考え方(自立に必要な資質や条件が整っていない植民地住民について、自立しうる段階までの「進歩」を植民地統治によって保証していく責任が植民地統治国に課せられている、との考え方)も、この「文明化の使命」論の延長に他ならなかった。(30)
 
2 帝国意識を涵養した諸装置
 ジョージ・オーウェルが、「イギリス人は帝国について偽善的であるというが全くその通りである。労働者階級の場合、この偽善は帝国の存在を知らないという形をとる」と述べているのは、この点できわめて鋭い観察であったといえる。(31)
 キプリングの小説や詩、ヘンティの少年向け小説、大衆新聞『デイリー・メイル』の帝国報道などが、その代表である。文字印刷物の中でも、歴史や地理をはじめとする教科書は、学校教育の場で帝国意識を育む手段となった。このような教科書や、帝国賛美の訓辞などを媒介に、学校教育はその種々の局面で帝国意識浸透の場となっている。(32)
 
3 帝国意識の機能
 帝国意識の機能として今一つ重視したいのは、それが帝国主義国――ここではイギリス――の人々のナショナル・アイデンティティを凝固させ強化する上で大きな役割を果たした点である。...イングランドとは異質なエスニックな条件(アングロ・サクソン系を主体とするイングランドに対し、スコットランドやウェールズではケルト系の人々が住民の軸となってきた)と、自立した地域としての歴史的前提(ウェールズのイングランドとの合同は16世紀に起こり、スコットランドの合同は18世紀始めに起こった)を有するこういった地域の人々が、それぞれスコットランド人やウェールズ人としてのアイデンティティとならんでイギリス人としてのアイデンティティをも備えたのは、大きな帝国をかかえる強国として発展をとげる国家に自分たちも属しているという感覚が育まれたゆえであった。イギリス人のナショナル・アイデンティティについてすこぶる魅力的な研究を行っているリンダ・コリーは、プロテスタンティズムと対仏戦争という要因とともに、帝国の存在が18世紀から19世紀初めにイギリス人というアイデンティティを生み出していったと論じている。(35-6)
 帝国意識は帝国主義国内のエスニックなあるいは地域的な多様性からくる差異感覚を覆い隠す機能を有したが、それと同時に階級に関わりなく帝国主義国の国民に幅広く共有されることによって、国内の階級間、階層間の対立意識の緩和を助け、国内統合を支える機能ももっていた。...この点ではとりわけ労働者階級の中にも帝国意識が広がっていたことに特に着目する必要があろう。(37)
 
4 帝国意識の通時的変化
 19世紀前半から半ばにかけては、いわゆる「自由貿易帝国主義」の時代であるが、この頃...人々の間に広がっていったのは帝国意識であった。...
 帝国意識を涵養するためのさまざまな道具立ても、この時代にはそろってくる。たとえば、初等教育体制の整備、マスメディアの発達(『デイリー・メイル』など労働者階級が手軽に購入しうる安価な新聞が登場し、帝国意識の鼓吹によって販売部数を伸ばした)、万国博覧会の開催、等々である。王政の機能も、帝国意識との関連で新たに重視されるようになった。...「文明化の使命」論という帝国統治の論理が明確に押し出されるようになるのである。(44-5)
 第一次世界大戦は、帝国主義の時代の到達点であったと同時に脱植民地化の出発点としての性格も持っていた。とりわけ、イギリス帝国の柱ともいえるインドでは、第一次世界大戦以降、民族独立をめざす運動の著しい伸長がみられた。(45)
 広大な帝国保有と結びつくようなナショナル・アイデンティティの方も、第一次世界大戦後から若干の揺るぎをみせはじめた。帝国意識は脱植民地化を経過してもまだ残存している。1982年のフォークランド戦争に際しては、帝国意識のあらわな形での活性化が見られた。また民族・人種差別意識は、旧イギリス帝国内諸地域からの移民が1950年代後半以降大量に流入してくることによって、イギリスの国内で機能するようになってきた。(46-7)
 
<第2章 英国文学にみる帝国意識の生成と崩壊(小泉允雄)>
 特に1980年代から、この系譜の文学[インド・東南アジアもの]がliterature of imperialism(帝国主義についての文学)として英国、米国で注目され、その研究がさかんになっている。その背景には、帝国主義がたんに政治・経済にかかわる事象であるにとどまらず、人間の文化や意識の問題であるという認識が高まったことがあるのだろう。
 この系譜の文学の流れは時代とともにこのイメージがどう変わったかを私たちに示すだろう。先に憧れや恐怖と書いたが、おおまかにいって当初英国人にとってのインド・東南アジアのイメージ――大きくいってヨーロッパが描いた非ヨーロッパ世界の像――は、神秘、不可思議、冒険、奇蹟などの憧れの情緒に彩られていた。その神秘イメージは今日の文学にも残るものの、19世紀末からの帝国主義時代には、遅れた南の世界の停滞や汚濁という恐怖のイメージがそこに加わり、むしろそれが主流となる。同じように登場するヨーロッパ人の姿も変わる。当初はロビンソン・クルーソーのような冒険者が中心であった世界が、帝国主義時代に入ると、「遅れたもの」を導き、統治するというやっかいな使命を帯びたものたちの世界となる。そしてそれも末期に近づくと、この系譜の作品の登場人物は、帝国主義への疑念や批判をかくさない。かつて当然のこととして書かれた白人の矜持や差別意識はきびしく批判されたり笑われたりして、それは戦後から今日までのこの系譜の作家たちにも引き継がれる。(55)
 第三に、このインド・東南アジアものの系譜が描きつづけたのは、植民者たちが南の国で作っていた白人社会の姿である。(55)

【帝国主義の文学】
・帝国主義文学の代表作リスト
1901 Kim (Rudyard Kipling)
1902 Heart of Darkness (Joseph Conrad) 『闇の奥』(岩波文庫)
1904 Nostromo (Joseph Conrad) 『ノストロモ』(筑摩書房)
1924 A Passage to India (E.M.Forster) 『インドへの道』(筑摩書房)
1926 Casuarina Trees (Somerset Maugham) 『カジュアリーナ・トリー』(ちくま文庫)
1934 Burmese Days (Goerge Orwell) 『ビルマの日々』
1936 Shooting an Elephant (Goerge Orwell) 『象を撃つ』(平凡社)

【ジョーゼフ・コンラッド『闇の奥』】
(1)ジョーゼフ・コンラッド(1857-1924)著作年表
1896 An Outcast of the Islands 『文化果つるところ』(角川文庫)
1897 The Niggar of the‘Narcissus' 『ナーシサス号の黒人』(筑摩書房)
1900 Lord Jim 『ロード・ジム』(筑摩書房)
1902 Youth 『青春』(新潮文庫)
1902 Heart of Darkness 『闇の奥』(岩波文庫)
1902 Typhoon 『台風』(新潮文庫)
1904 Nostromo 『ノストロモ』(筑摩書房)
1907 The Secret Agent 『密偵』(河出書房)
1911 Under Western Eyes 『西欧の眼の下に』(集英社)
1915 Victory 『勝利』(中央公論社)
1917 The Shadow-Line 『陰影線』(中央公論社)

(2)ジョーゼフ・コンラッドの生涯
 コンラッドは1857年、当時ロシアの治政下にあったポーランドの由緒ある家柄に生まれた。彼の父は祖国独立の謀議に参加していたとの理由で北ロシアに流刑され、幼いコンラッドも父に同行したが、両親は次々に亡くなり、11歳で孤児になってしまった。17歳でマルセーユに出てフランス船に乗り組み、20歳あまりではじめて英国に行き、やがて英国船長の資格も取り、20代の終わりには英国に帰化した。彼の船員生活は35歳までの20年間続いたが、その間にアフリカ奥地のコンゴ河の上流まで行っている。コンラッドの作品の素材になったのはこの船乗り時代の経験である。その後健康を害したこともあり、作家に転じた。
 『ナーシサス号の黒人』、『青春』、『台風』などの作品で海洋小説作家という印象を持たれているが、『ノストロモ』、『密偵』、『西欧の眼の下で』のような政治小説が後に評価されるようになってきた。しかし、このところ「ポスト・コロニアリズム批評」などの影響もあり、彼の作品の帝国主義的側面に関心が向けられている。『闇の奥』はその焦点となる作品である。作品の大筋は実体験に基づいている。コンラッドは「コンゴ上流開拓会社」の汽船の船長になった。開発というと聞こえはいいが、実態は原住民から象牙を搾取している会社だったようだ。そこの奥地代理人のクラインというフランス人が重病になったので、コンラッドは遠征隊とともにコンゴ河をさかのぼってその男を引き取って来たのである。初めてアフリカの奥地を見たコンラッドは、孤独がもたらす人間性の荒廃と白人による搾取のすさまじさを見て人間性の深淵をのぞいた思いがする。

(3)『闇の奥』の世界
 フランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録』(1979年)の下敷きになった作品として知られる。もっとも、映画の方はベトナム戦争が舞台になっているが、小説の方はコンゴが舞台である。映画はカーツ大佐を探す旅だが、小説は貿易商人クルツを探す旅である(ただし、カーツもクルツも元のつづりは同じKurtz で、日本語表記が違っているだけである)。一方はアメリカ帝国主義の野蛮さと退廃を描くが、他方はアフリカ大陸と大英帝国の闇を探る。川を船でさかのぼって奥地の闇へと入り込んで行く展開、そしてどちらの主人公も最後に「恐怖」とつぶやくのは同じである。
 『闇の奥』はロンドンのテムズ川で始まる。物語全体の枠組みは、『青春』や『ロード・ジム』にも出てくるマーロウという語り手が、同じ船に乗り合わせた他の乗客に語って聞かせた話という設定になっている。話にこれと行った筋の構成はなく、単にマーロウがクルツという男を救出するまでに出会ったエピソードやマーロウの想念や考察が連なっているだけである。
マーロウは象牙を輸出する会社に雇われ、その一番奥地の出張所主任クルツという男を救出する任務を申し付けられる。彼はとにかく優れた能力をもった人物らしいが、病気らしい。クルツを探す旅で出会ったものは何とも重苦しく、危険で、強欲で、野蛮で、荒廃した世界だった。原始林、生い茂った草むら、ざわつく木の葉、欲望まる出しの白人たち、崩れかかった小屋、獣のほえ声、現地人(訳では土人)の不気味な姿と恐ろしい叫び声、転がっている死体、杭に刺さった首、悲鳴のような船の汽笛、そして暗闇。
 マーロウたちは沈没船を引き上げて修理し、のろのろと河をさかのぼって行く。途中でクルツの話を聞くうちに、マーロウはある道徳的信念を持ってやってきたというクルツにしだいに引かれて行く。クルツは象牙に引きつけられてしまったようだ。一旦象牙を運んで河を下り始めたのだが、途中でまた引き返すと言い出した。「突如として本部に背き、交代になることを拒み、そしておそらくは家郷の思い出にさえ背いて、あの荒野の奥地、荒涼たる無人の出張所に」戻ってしまったのだ。マーロウはクルツに会うが、すぐにクルツは死んでしまう。最後に残した言葉は「恐怖」(訳では「地獄」)である。やがてフランスに戻ったマーロウはクルツの婚約者と会い、彼の遺品を渡す。

(4)作品からの引用 (岩波文庫版より)
<帝国主義にかかわる部分>
 冒険家、移住者、王室の所有船、取引所商人の船、船長、提督、東洋貿易の「もぐり商人」、東インド商会艦隊の新「将軍」たち――彼らはすべて船出して行ったのだ。黄金を求め、名声に憧れて、あるものは剣を、あるものは松明を携えて、すべてこの流れ[注:テムズ川]を下って行ったのだ。奥地に対する力の使者、聖火を伝える光の使者。...人類の夢、英連邦の胚種、そして帝国の萌芽!(8)

 彼ら[征服者]の勝利は、ただ相手の弱さからくる偶然、それだけの話にすぎないのだ。ただ獲物のゆえに獲物を奪ったにすぎない。暴力による略奪であり、凶悪きわまる大規模な殺戮だ。そして奴らは、ただまっしぐらに、盲滅法それに飛び込んで行った――それでこそ暗黒と格闘するものにふさわしいのだ。この地上の征服とは何だ。たいていの場合、それは単に皮膚の色の異なった人間、僕らよりも多少低い鼻をしただけの人間から、むりに勝利を奪い取ることなんだ。よく見れば汚いことに決まっている。だが、それを償ってあまりあるものは、ただ観念だけだ。征服の背後にある一つの観念。...われわれがそれを仰ぎ、その前にひれ伏し、進んでいけにえを捧げる、そうしたある観念なんだ。(12)

 僕は子供の時分から、大変な地図気違いだった。その頃はまだこの地球上に、空白がいくらでもあった。...なるほど、その頃はもう空白ではなかった。僕の子供時分から見れば、すでに河や、湖や、さまざまな地名が書き込まれていた。もう楽しい神秘に充ちた空白ではなかった...すでに暗黒地帯になってしまっていたのだ。だが、その中に一つ、地図にも著しく、一段と目立つ大きな河があった。たとえていえば、とぐろを解いた大蛇にも似て、頭は深く海に入り、胴体は遠く広大な大陸に曲線を描いて横たわっている。そして尻尾は遥かに奥地の底に姿を消しているのだ。(14-5)

[マーロウの伯母に別れのあいさつをしにいった時]
 なにしろその頃は、そうしたばかばかしい話が、いくらでも印刷になり、口の端にも上っていたので、このお偉い伯母ごなども、すっかりそうしたたわごとの波にもまれて、足元をさらわれていた形だった。言い草がいいねえ、「無知蒙昧な土民大衆を、その恐るべき生活状態から救い出す」とおっしゃったからねえ。(23-4)
 
 奴[クルツ]に言わせるとですねえ、出張所というものは、すべて将来の発展のために、いわば街道の灯台のようなものにならなくちゃいけない。商売の中心というだけじゃなくね、進んで文明、進歩、教化の中心にならなくちゃいけない、とそう言うんですよ。(65)

 捕らえられて繋がれた怪物を見ることには、僕らは慣れている。だが、ここでは解放された自由な怪物を見ることができるのだ。...彼らもまた人間だという――そのことこそが最悪の疑念だった。疑念はいつも徐々として頭を占める。彼らは唸り、飛び上がり、旋回し、そして凄まじい形相をする。――だが、僕らのもっとも愕然となるのは――僕らと同様――彼らもまた人間だということ、そして僕ら自身と、あの狂暴な叫びとの間には、遥かながらもはっきり血縁があるということを考えた時だった。(73)
 
[マーロウたちが乗っている船の船員である黒人の頭が岸にいる「土人」たちを見て]
 彼は「引っ捕らえろ、引っ捕らえろ。そいでおいらにくれよ、ね」と吐き出すように叫んだ。「君らに?いったいどうするというんだ、それを?」と、僕は聞き返した。「食べるだね」と、彼はズバリと答えた。(82-3)

[クルツが国際蛮習防止協会向けに書いた報告書]
 冒頭まず僕ら白人が、現在到達している文明の高さから考えて、「彼ら(蛮人)の眼に超自然的存在として映るのはやむをえない、――我々はあたかも神の如き力をもって彼らに接するのである」云々...(102-3)
 
果たして僕らが彼をたずねて行くために失ったあの生命に値したか、そこまで断言するつもりはない。むしろ僕は、死んだ舵手のことをどれだけ悲しんだかしれない...
 多分諸君は、わからないと言うだろう、サハラ砂漠の砂一粒ほどの値もない蛮人一人の生命だ、それをそんなに悲しむなどとはね。だが、いいかね、あれでもとにかくすることはしたんだ、ちゃんと舵は取ってくれたんだからねえ。(104)

<クルツに関する部分>
 問題は、彼が恵まれた天才で、しかもその才能中にも最も著しいもの、いいかえれば彼の本質とでもいった感を与えたものは、彼の話術の才、彼の言葉――人々を幻惑し、啓蒙し、時には最も高邁な才能でもあれば、時にはまた最も下劣な天分でもあるもの、いわば人跡を許さぬ暗黒の奥地から流れ出る光の鼓動か、でなければ欺瞞の流れともいうべき表現能力だった。(96-7)

生身のクルツは半分イギリスで教育を受けた、そして――彼自身そう言ってくれたが――もともとは憐れみ深い人間だったらしい。母親は混血のイギリス人であり、父親も同じく混血のフランス人だった。いわばヨーロッパ全体が集まって彼を作り上げていたといってよい。(102)

 「いったいなにをしてるんだね?探検かね?それとも...」「もちろんそうですとも」と彼[奥地に住むロシア人]は答えた。それによると、彼はおびただしい村落や、それに湖水まで一つ発見したということだ...だが、もちろんたいていは象牙集めのためだったことはいうまでもない。...「じゃ、露骨に言ってしまえば、略奪だね?」と僕は言った。彼はうなずいた。...「じゃ、その部落民もクルツの手下だったんだね?」...「だって土人たちは、あの人を神様のように思っていたんですからね」と答えた。(115ー6)

 実際その後支配人は、クルツのやり方がこの地域を荒廃させてしまったのだと言った。...言えることは、クルツという男が、いろいろ彼の欲望を充たす上において、自制心というものを欠いていたこと、つまり、彼の中にはなにか足りないものがあった...荒野はすでに早くからそれを見抜いていた、そして彼の馬鹿げた侵入に対して、恐ろしい復讐を下していたのだった。(120)

 あの荒野の呪縛を、僕は破ってしまいたかったのだ。思うに、ただこの呪縛のみが、彼を駆り立ててあの森の奥へ、ジャングルへ、そしてあの篝火の炎、太鼓の鼓動、妖気迫る呪文の唱和の方へと走らせるのにちかいない。この呪縛のみが、不逞な彼の魂を欺いて、人間に許された野心のらちを踏み越えさせるのに違いない。(137)

 ただ彼の魂は常軌を逸していた。たった一人荒野に住んで、ただ自己の魂ばかり見つめているうちに、ああ、ついに常軌を逸してしまったのだった。...彼もまた彼自身と闘っていたのだ。...その魂自身を相手に盲目的な格闘をつづけているという魂の不可思議きわまる秘密を目の当たりにした。(138-9)

 一口でいえば、きびしい完全な絶望の表情を見てとった。...彼は低い声で叫んだ――二度叫んだ。...「地獄だ(horror)!地獄だ!」(144)
 マーロウの話は終わった。...沖合の空は黒雲が層々と積み重なり、世界の最果てにまでつづく静かな河の流れが、一面の雲空の下を黒々と流れ--末は遠く巨大な奥までつづいているように思えた。(162)

(5)『闇の奥』と帝国主義
 有名なコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズにもインド、オーストラリア、アフリカ、中南米などが言及されるが、ドイルにとってそれらの地域は犯罪の供給源であり、猛毒や蛮人などのイメージと結び付いて語られるのである。例えば、「まだらの紐」の犯人はインド産の毒蛇を使って殺人を犯すのである。また、『ジェーン・エア』に登場するロチェスターの狂った妻バーサが西インド諸島のジャマイカ出身であることを思い出してもよい。
 『闇の奥』はコンラッドが実際に体験したアフリカを描いたものだとよく言われる。またベルギーのコンゴ支配に対する暴露と告発の書であるとよく指摘される。しかし、正木恒夫の『植民地幻想』(みすず書房、1995年)によれば、コンゴ河流域はみすぼらしい出張所だけが点々とあるのではなく、実際には軍隊の駐屯所や伝導所、病院、警察、監獄などもあったという。ではなぜコンラッドはあのような描き方をしたのか。正木恒夫はこう説明する。

 流域開発の過小評価は、裏返せば、「未開」の強調にほかならないということである。そしてこの未開への憧れと反発、魅力と恐怖という両義的な感情こそ、『闇の奥』を支配する情念なのであった。(209)
 マーロウ(コンラッド)は自ら描き出した「原始」の像を、半ば恐れ半ば賛美する。その限りにおいて、『闇の奥』は、ヨーロッパ精神史を貫流する例の「気高き野蛮人」ないし「原始礼讚(primitivisum)」の伝統の中に位置づけることのできる作品である。(212)
 スタンレーの「暗黒」大陸とコンラッドの「闇」の奥。二人にとってアフリカは、闇のとばりに閉ざされている必要があった。この闇の領域は、スタンレーにはヨーロッパ文明の「光」を呼び込む口実を、コンラッドにはヨーロッパ的自我内面の闇を投射すべき格好の場所を、それぞれ与えてくれる。地図に残された最後の空白地帯アフリカの、その空白がスタンレーの探検によって埋められたまさにその瞬間、そこが「暗黒大陸」と呼ばれはじめる奇妙さは、これら二人の人物が体現するヨーロッパの必要をぬきにしては説明のつかないものだ。ようやく見えはじめたアフリカを、ヨーロッパは闇の奥に沈めてしまったのである。(218)

 つまり、『闇の奥』に描かれたアフリカは、ヨーロッパ人に都合がいいように改変されたアフリカだったと言うのだ。結局コンラッドの帝国主義/植民地主義批判は徹底したものとは呼べない。彼の意識の下に人種差別が潜んでいるからだ。彼の関心はむしろアフリカの原始社会の「闇の力の強さ」や「荒野の呪縛」といった不可解な力へと向けられている。これとクルツ自身の「象牙への欲望」が結び付いてクルツを破滅させたのである。クルツは「俺には大きな計画があったんだ」というが、結局それが何であったかは分からない。神秘的な「闇の力」が文明人とその欲望を飲み込んでいったわけだが、その「闇の力」とはマーロウやコンラッド自身あるいはヨーロッパ人の意識の中にある、「暗黒」や原始的野蛮さ、あるいはその裏返しの原始的生命力に対する恐怖と畏怖が象徴されたものかも知れない。アフリカの深い闇の中にコンラッド自身も半分飲み込まれていたのではないか。

【おまけ:ジョージ・オーウェル「象を撃つ」】
 ビルマ時代のオーウェルは普通の警察官であった。その経験を基に書かれた「象を撃つ」という短編の内容は単純である。
 ある日駐在所にいた主人公に一頭の家畜の象が暴れているとの知らせがあり、彼は駆けつけるが現場に来てみると、象はすでに発作が治まり、もう後は持ち主が戻るのを待っていればいい状態だった。しかしふと振り向くと、二千もの「黄色い顔の群れ」が、最新式のライフルを肩にした彼を遠巻きにして見守っていることに気がつく。彼らは主人公が象を撃つのを期待している。このまま引き上げれば彼は彼らに馬鹿にされる。しかし馬鹿にされることはできない。本人は象を撃ちたくはなかったのだが、群衆に押されるようにして、結局彼は象を撃つ。
 つまり「東洋にいるすべての白人の生活は、笑われまいとする苦闘の連続なので」あり、「白人たる者は『土民たち』の前ではおじけづいてはならない」、ゆえに彼は「馬鹿に見られたくないというだけの理由で」象を撃ったのである。この出来事を通じて彼は支配するものの「空しさ」と「虚ろさ」を発見する。「その出来事のおかげで私は、帝国主義の本性――専制政府を動かしている真の動機――を、これまで以上にはっきりと見定めることができた」のである。ではその「帝国主義の本性」とは何か。それは「白人が暴君と化すとき、彼は自らの自由を破壊するのだ」ということである。こうしてオーウェルは「象を撃つ」を通して「威張るものが腐る」という真理を発見したのである。オーウェルはいわば内部告発の力でもって、帝国意識を「威張るものが腐る」という視点から痛みを込めて書いたのである。 

 

<追記>
 「イギリス小説を読む」シリーズは20年前(まだブログを始める前)に入門者向けに書いた記事です。ブログには『土曜の夜と日曜の朝』まで9本載せていました。しかしフォルダーの奥深くまで分け入って昔書いた記事を探っていたら、まだブログに載せていない記事がいくつかありました。その中から『大いなる遺産』と『日陰者ジュード』という大物2本を掲載しましたが、もう1本『闇の奥』を載せることにしました。古い記事はこれで打ち止めです。

 

 

2020年12月 1日 (火)

先月観た映画 採点表(2020年11月)

「海の上のピアニスト」(1999)ジュゼッペ・トルナトーレ監督、イタリア・アメリカ ★★★★★
「タッチ・オブ・スパイス」(2003)タソス・ブルメティス監督、ギリシャ・トルコ ★★★★☆
「フィッシャーマンズ・ソング」(2019)クリス・フォギン監督、イギリス ★★★★△
「アンタッチャブル」(1987)ブライアン・デ・パルマ監督、アメリカ ★★★★△
「裸の町」(1948)ジュールス・ダッシン監督、アメリカ ★★★★△
「らせん階段」(1945)ロバート・シオドマク監督、アメリカ ★★★★△
「暗殺」(1964)篠田正浩監督、日本 ★★★★△
「箱根風雲録」(1952)山本薩夫監督、日本 ★★★★
「ションヤンの酒家」(2002)フォ・ジェンチイ監督、中国 ★★★★
「パブリック 図書館の奇跡」(2018)エミリオ・エステヴェス監督、アメリカ ★★★★
「鵞鳥湖の夜」(2019)ディアオ・イーナン監督、中国・フランス ★★★★
「ウルフウォーカー」(2020)トム・ムーア、ロス・スチュワート監督、アイルランド・他 ★★★★
「マーティン・エデン」(2019)ピエトロ・マルチェッロ監督、伊・仏・独 ★★★★
「僕は猟師になった」(2020)川原愛子監督、日本 ★★★☆
「祈りの幕が下りる時」(2017)福澤克雄監督、日本 ★★★
「ジェネラル・ルージュの凱旋」(2009)中村義洋監督、日本 ★★★
「マーニー」(1964)アルフレッド・ヒッチコック監督、アメリカ ★★★

 

主演男優
 5 ティム・ロス「海の上のピアニスト」
   エミリオ・エステヴェス「パブリック 図書館の奇跡」
   ダニエル・メイズ「フィッシャーマンズ・ソング」
   丹波哲郎「暗殺」
   河原崎長十郎「箱根風雲録」
 4 ケヴィン・コスナー「アンタッチャブル」
   ジョージ・コラフェイス「タッチ・オブ・スパイス」
   バリー・フィッツジェラルド「裸の町」

主演女優
 5 タオ・ホン「ションヤンの酒家」

助演男優
 5 ジェームズ・ピュアフォイ「フィッシャーマンズ・ソング」
   ショーン・コネリー「アンタッチャブル」
 4 ロバート・デ・ニーロ「アンタッチャブル」
   デヴィッド・ヘイマン「フィッシャーマンズ・ソング」
   ジェフリー・ライト「パブリック 図書館の奇跡」
   マイケル・K・ウィリアムズ「パブリック 図書館の奇跡」
   佐田啓二「暗殺」
   堺雅人「ジェネラル・ルージュの凱旋」

助演女優
 5 エセル・バリモア「らせん階段」
 4 山田五十鈴「箱根風雲録」
   タペンス・ミドルトン「フィッシャーマンズ・ソング」
   バサク・コクルカヤ「タッチ・オブ・スパイス」

 

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