お気に入りブログ

  • 真紅のthinkingdays
    広範な映画をご覧になっていて、レビューの内容も充実。たっぷり読み応えがあります。
  • 京の昼寝〜♪
    僕がレンタルで観る映画のほとんどを映画館で先回りしてご覧になっています。うらやましい。映画以外の記事も充実。
  • ★☆カゴメのシネマ洞☆★
    細かいところまで目が行き届いた、とても読み応えのあるブログです。勉強になります。
  • 裏の窓から眺めてみれば
    本人は単なる感想と謙遜していますが、長文の読み応えのあるブログです。
  • なんか飲みたい
    とてもいい映画を採り上げています。短い文章できっちりとしたレビュー。なかなかまねできません。
  • ぶらぶらある記
    写真がとても素敵です。

お気に入りホームページ

ゴブリンのHPと別館ブログ

無料ブログはココログ

« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »

2020年11月

2020年11月29日 (日)

矢口高雄追悼

 11月20日に漫画家の矢口高雄氏が亡くなった。大好きな漫画家の一人だったので残念でならない。冥福を祈ります。

 おそらく彼の作品に最初に振れたのは「釣りキチ三平」だろう。中学生の頃から読んでいたような気がしていたが、調べてみると驚いたことに『週刊少年マガジン』に連載されたのは1973年から1983年までの10年間だった。1973年は僕が大学に入学した年だ。そんな後だったか!いやはや記憶とはあいまいなものである。したがって「釣りキチ三平」をよく読んでいたのは大学生時代と言うことになるが、長い間それ以外の作品は読んだことがなかったと思う。

 「ゴブリンのこれがおすすめ 48 漫画」でも書いたが、彼を「再発見」したのは上田に来てからである。講談社文庫に入っている「蛍雪時代」を読んだことがきっかけだった。これは彼を代表する傑作のひとつで、夢中になって読んだものだ。後に文庫版では小さくて見ずらいのでハードカバーの大きい版(講談社コミックス)を買ったほどである。

 その後はコレクターの性で見つけ次第買いあさった。どの作品も水準が高く、今まで駄作だと思ったものは一つもない。それでも何とか無理をして代表作を10本(シリーズ)挙げるとすれば次のようになるだろうか。

「釣りキチ三平」&「平成版釣りキチ三平」
「蛍雪時代」
「ふるさと」
「マタギ」
「ボクの学校は山と川」
「又鬼の命」
「ニッポン博物誌」
「おらが村」
「幻の怪蛇バチヘビ」
「9で割れ!!」

 この中で2つだけ触れたい。矢口高雄氏は漫画家になる前は銀行員だった。その銀行員時代を描いたのが「9で割れ!!」(講談社漫画文庫)である。不思議なタイトルだが、これは毎日その日の取引結果を集計するわけだが、たまに収支が合わないことがあると飛び交う言葉だという。逆に一発で計算が合った時は「一算」というそうな。この場合は早く帰れるので、みんな喜んで一杯やって帰るという。ではなんで計算が合わないときに9で割ると良いのか。まだコンピューターが普及する前の時代、すべては手計算である。人のやる事だから当然間違いもある。例えば1万5千円の支払いを求めてきた客に間違って15万円支払ってしまった場合。差額の13万5千円を9で割ると1万5千円になる。これで桁を間違えていたこと、つまり10倍の額を支払っていたことがたちどころに判明するというわけだ。

 まあこんな単純なミスなら9で割らなくてもすぐに分かりそうなことだが、ある時299万9千700円の不足が出たという例が挙げられている。これを9で割ると333,300円になる。このように循環数が出た場合、その数だけ桁違いをしていることになるそうである。つまりこの場合300円と300万円の4桁の間違いをしていたと言うことになる。当時小切手の金額を書く欄は縦書きで、漢数字を使っていたので(金参百圓というように)、癖の強い字を書く人の場合相当読みにくかったらしい。それでこんな考えられないような間違いが起こることがあるらしい。それにしても額面300円の小切手を出して300万円を受け取り、素知らぬ顔をして出てゆくというのも相当面の皮が厚い。

 実は弟が元銀行員なのでこの「9で割る」というのを知っているかと聞いたら、聞いたことがないと言っていた(小椋佳なら知っているだろうか?)。さすがに今の時代はこんなことはしないらしい。矢口高雄が銀行に勤めていたのは50年代終わりから60年代にかけてだから、銀行の様子も半沢直樹の世界とはだいぶ違ってのんびりしたものだ。もちろん暇さえあれば釣りに行っている場面もたくさん描かれている。地方都市ののどかな生活と風情も良く描かれていて、あまり知られてはいないが見かけたらぜひ読んでみてほしい。

 もう一つ取り上げたいのは「平成版釣りキチ三平」(KCデラックス)。おそらくこれが最後の作品集だと思う。単行本になって出版されるのが待ち遠しかった。この作品を取り上げたのは司馬遼太郎の『菜の花の沖』との関連が気になるからである。「平成版釣りキチ三平」の最後の辺りはこの『菜の花の沖』の翻案になっている。『菜の花の沖』は傑作で、高田屋嘉兵衛という江戸時代に実在したとんでもない偉人を主人公にした歴史小説である。とにかく並外れてスケールの大きい人物で、廻船商人として成功し、後にゴローニンに拿捕されてロシアに抑留される。しかしたちまちロシア語を覚え、ゴローニンと親しくなり、日露交渉の間に立ってゴローニン事件として有名になった事件を解決に導いたのである。

 『竜馬がゆく』に匹敵する面白さで、夢中になって読んだものだ。おそらく矢口高雄も同じようにこの小説(あるいは高田屋嘉兵衛という人物)に魅せられてしまったのだ。この小説を「釣りキチ三平」に取り込もうとしたのである。なんとあの谷地坊主が高田屋嘉兵衛の子孫という設定になっている。これにはびっくりした。もちろん原作があれだけ面白いのだから、漫画の方も面白くないはずがない。読んでいて矢口高雄のただならぬ入れ込みようが伝わってきた。取りつかれたように描き続けた。「平成版釣りキチ三平」のカムチャッカ編は第11巻で終わり、その後12巻まで出るが、それが最後となっている。

 「平成版釣りキチ三平」が気になるのは、この高田屋嘉兵衛に取りつかれて矢口高雄は燃え尽きてしまったのではないかと感じたからだ。「平成版釣りキチ三平」の新刊が出るのをずっと待ち望んでいたが、結局出ないまま亡くなってしまった。オリジナルのストーリーではなく、実在の人物、あるいはその人物を主人公にした小説を下敷きにしたため、彼の想像力がすり減ってしまったのではないか。そんな感じがして何となくすっきりしなかった。しかし今振り返って考えてみると、もう体力的に限界だったのかも知れないというように思えてきた。自分でもそれが分かっていて、だから最後の力を振り絞って高田屋嘉兵衛という類まれな人物を描く大作に最後に取り組んだのではないか。今はそんな気がしてならない。

合掌。


<追記>
 秋田魁新報社から矢口高雄編『マンガ万歳―画業50年への軌跡』(1300円)が出ました。聞き書きシリーズとして『秋田魁新報』に連載された記事を加筆・修正したもので、画業50周年の記念版として書籍化されました。漫画家として成功するまでを語っています。

 

 

2020年11月27日 (金)

これから観たい&おすすめ映画・BD(20年12月)

【新作映画】公開日
11月13日
 「プラスチックの海」(クレイグ・リーソン監督、イギリス・香港)
11月20日
 「ホモ・サピエンスの涙」(ロイ・アンダーソン監督、スウェーデン・独・ノルウェー)
 「エイブのキッチンストーリー」(フェルナンド・グロスタイン・アンドラーデ監督、米・ブラジル)
 「THE CROSSING~香港と大陸をまたぐ少女~」(バイ・シュエ監督、中国)
 「家なき子 希望の歌声」(アントワーヌ・ブロシエ監督、フランス)
11月27日
 「ヒトラーに盗られたうさぎ」(カロリーヌ・リンク監督、ドイツ)
 「君の誕生日」(イ・ジョンオン監督、韓国)
 「アーニャは、きっと来る」(ベン・クックソン監督、イギリス・ベルギー)
 「アンダードッグ 前編/後編」(武正晴監督、日本)
 「君は彼方」(瀬名快伸監督、日本)
11月28日
 「バクラウ 地図から消された村」(クレーベル・メンドンサ・フィーリョ、他、監督、ブラジル・仏)
12月4日
 「ミセス・ノイズィ」(天野千尋監督、日本)
 「魔女がいっぱい」(ロバート・ゼメキス監督、アメリカ)
 「ベター・ウォッチ・アウト クリスマスの侵略者」(クリス・ベコパー監督、米・豪)
 「燃ゆる女の肖像」(セリーヌ・シアマ監督、フランス)
 「100日間のシンプルライフ」(フロリアン・ダーヴィト・フィッツ監督、ドイツ)
12月10日
 「今際の国のアリス」(佐藤信介監督、日本)
12月11日
 「新解釈・三國志」(福田雄一監督、日本)
 「ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢」(ニーシャ・ガナトラ監督、アメリカ)
 「パリのどこかで、あなたと」(セドリック・クラピッシュ監督、フランス)
 「ハッピー・オールド・イヤー」(ナワポン・タムロンラタナリット監督、タイ)
 「天外者」(田中三敏監督、日本)
 「ニューヨーク 親切なロシア料理店」(ロネ・シェルフィグ監督、デンマーク・カナダ・他)
12月18日
 「声優夫婦の甘くない生活」(エフゲニー・ルーマン監督、イスラエル)
 「また、あなたとブッククラブで」(ビル・ホルダーマン監督、アメリカ)
 「クローゼット」(キム・グァンビン監督、韓国)
 「私をくいとめて」(大九明子監督、日本)
12月25日
 「FUNAN フナン」(ドゥニ・ドー監督、仏・ベルギー・カンボジア・ルクセンブルク)

【新作DVD・BD】レンタル開始日
11月27日
 「CURE」(黒沢清監督、日本)
12月2日
 「イップ・マン 完結」(ウィルソン・イップ監督、香港)
 「お名前はアドルフ?」(セーンケ・ヴォルトマン監督、ドイツ)
 「きっと・またあえる」(ニテーシュ・ティワーリー監督、インド)
 「権力に告ぐ」(チョン・ジヨン監督、韓国)
 「コリーニ事件」(マルコ・クロイツパイントナー監督、ドイツ)
 「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(テリー・ギリアム監督、英・仏・スペイン・ベルギー・他)
 「やっぱり契約破棄していいですか!?」(トム・エドモンズ監督、イギリス)
 「ルース・エドガー」(ジュリアス・オナー監督、アメリカ)
 「レイニデイ・イン・ニューヨーク」(ウディ・アレン監督、アメリカ)
 「水曜日が消えた」(吉野耕平監督、日本)
 「ステップ」(飯塚健監督、日本)
 「のぼる小寺さん」(古厨智之監督、日本)
 「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」(レミ・シャイエ監督、デンマーク)
 「パリの恋人たち」(ルイ・ガレル監督、フランス)
 「ライド・ライク・ア・ガール」(レイチェル・グリフィス監督、オーストラリア)
12月4日
 「ディック・ロングはなぜ死んだのか」(ダニエル・シャイナート監督、アメリカ)
 「レ・ミゼラブル」(ラジ・リ監督、フランス)
12月16日
 「音楽」(岩井澤健治監督、日本)
12月23日
 「クライマーズ」(ダニエル・リー監督、中国)
 「グランド・ジャーニー」(ニコラ・ヴァニエ監督、フランス・ノルウェー)
 「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」(アレクセイ・シドロフ監督、ロシア)
 「透明人間」(リー・ワネル監督、米・オーストラリア)
 「一度も撃ってません」(阪本順治監督、日本)
 「思い、思われ、ふり・ふられ」(三木孝浩監督、日本)
12月25日
 「その手に触れるまで」(ダルデンヌ兄弟監督、ベルギー・フランス)
1月6日
 「チア・アップ!」(ザラ・ヘイズ監督、アメリカ)
 「盗まれたカラヴァッジョ」(ロベルト・アンドー監督、フランス・イタリア)
 「リトル・ジョー」(ジェシカ・ハウスナー監督、オーストリア・英・独)
1月8日
 「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」(アグニェシュカ・ホランド監督、ポーランド・英・他)
 「ハニーボーイ」(アルマ・ハレル監督、アメリカ)
 「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(ハイロ・ブスタマンテ監督、グアテマラ)
1月15日
 「ディヴァイン・フューリー/使者」(キム・ジュファン監督、韓国)
1月20日
 「カセットテープ・ダイアリーズ」(グリンダ・チャーダ監督、イギリス)
 「SKIN / スキン」(ガイ・ナティーヴ監督、アメリカ)

【旧作DVD・BD】発売日
11月27日
 「ダグラス・サークBlu-ray BOX」(54, 56, 57、ダグラス・サーク監督、アメリカ)
  収録作品:「「心のともしび」「大空の凱歌」「翼に賭ける命」
 「落穂拾い」(2000,2002、アニエス・ヴァルダ監督、フランス)「落穂拾い・二年後」も収録
12月2日
 「フルメタル・ジャケット」(1987、スタンリー・キューブリック監督、アメリカ)
 「ローマの休日」(1953、ウィリアム・ワイラー監督、アメリカ)
 「Vフォー・ヴェンデッタ」(2006、ジェームズ・マクティーグ監督、アメリカ)
12月16日
 「秀子の車掌さん」(1941、成瀬巳喜男監督、日本)
12月18日
 「赤と黒」(1954、クロード・オータン・ララ監督、フランス)
 「穴」(1960、ジャック・ベッケル監督、フランス)
12月25日
 「金綺泳(キム・ギヨン)傑作選 BOX」(60~90、韓国)
  収録作品:「下女」「玄界灘は知っている」「高麗葬」「水女」「火女’82」「死んでもいい経験」
1月8日
 「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990、ケヴィン・コスナー監督、アメリカ)
1月20日
 「さびしんぼう」(1985、大林宜彦監督)

*色がついているのは特に注目している作品です。

 

 

2020年11月18日 (水)

ゴブリンのこれがおすすめ 54 ソ連・ロシア映画

ソ連・ロシア映画 オールタイム傑作選

 こちらも「ゴブリンのこれがおすすめ」シリーズの第2回で「ニキータ・ミハルコフ監督、70年代から90年代のソ連・ロシア映画」特集を組んでいますが、やはり長い歴史を持つソ連・ロシア映画だけにその全貌を紹介したいと思って、あえて重複を恐れずオールタイム傑作選を挙げてみました。


【長い前書き】
 ソ連映画との本格的な出会いは1973年に東京の大学に入学してからだ。入学してすぐ73年4月29日には銀座松坂屋でエイゼンシュタインの「戦艦ポチョムキン」、翌30日には「十月」を見ている。それまで自主上映で何度か上映されていただけで、幻の名作といわれて久しかった映画である。このあまりにも有名な作品がたまたまこの年一般の人の前でヴェールを脱いだのである。何という幸運。期待したほどではなかったが、幻の名作を観ることができただけでも田舎出の学生にとっては感涙ものだった。73年5月17日には新宿の紀伊国屋ホールで「イワン雷帝」の特別上映を観ている。これも幻だった映画である。赤を中心にしたカラーの鮮烈な画面が記憶に残っている。

 ソ連映画を大量に観たのは翌74年である。74年2月15日に後楽園シネマで「バイカルの夜明け」を観た。当時後楽園で大シベリア博覧会が開かれており、それにあわせて大シベリア博記念特別番組と銘打ち、「ソビエト名作映画月間」として23本のソ連映画が上映されたのである。その頃はソ連映画を観る機会は極めて少なく、これだけ大規模にソ連映画を上映するのはおそらく画期的なことだったと思われる。3日ごとにでプログラムが替わるのだが、春休みに入っていたので最初の3本(「シベリヤ物語」「おかあさん」「大尉の娘」)を除いて全部観た。文字通り平均3日おきに通ったのである。観た作品のタイトルを挙げると、「湖畔にて」、「戦争と平和」、「遠い日の白ロシア駅」、「戦争と貞操」、「大地」、「アジアの嵐」、「戦艦ポチョムキン」、「復活」、「外套」、「貴族の巣」、「人間の運命」、「リア王」、「ハムレット」、「ワーニャ伯父さん」、「罪と罰」、「小さな英雄の詩」、「子犬を連れた貴婦人」、「がんばれかめさん」、「ルカじいさんと苗木」。80年代に三百人劇場などで大規模なソ連映画祭が開催されるようになったが、そこでも取り上げられなかった作品が多く含まれており、DVD化も望めないので貴重な特集だった。今ではかすかに記憶の中に残っているだけだが、特に「湖畔にて」と「遠い日の白ロシア駅」の2本はどうしてももう一度観たいと思っている。

 一回に2~3本を上映するのだが、その合間に短編アニメを上映していた。当時のプログラムには載っていないので、作品名も本数も今では分からないのだが、そのレベルの高さに驚いたものである。今のアニメに比べると動きはぎこちないのだが、ウィットに富んだ、独特の世界を作っていた。不確かな記憶ながら、大人が見て楽しむ作品が多かったように思う。宮崎駿が現れるはるか前で、アニメといえばディズニーという時代だっただけに、大人のユーモアがたっぷり盛り込まれたアニメにすっかり感心したのだ。今でも当時のプログラムを観ると、休憩時間に流されていたメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲のメロディーが頭に浮かんでくる。

 80年に日経小ホールで「ジプシーは空に消える」と「ナーペト」を見ている。どちらもソ連映画だが、この頃街頭でおじさんに誘われて「ソビエト映画鑑賞会」なる会に入っていて、その例会で観たのである。大手町の日経新聞社のビルの中にある日経小ホールが会場だった。めったに行かない場所だし、普通の映画館ではないので何とも不思議な空間だと感じた。ソ連映画はめったに観る機会がないので貴重な経験だったが、長くは通わずにやめてしまった。

 81年の1月31日には千石の三百人劇場で「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」を観ている。三百人劇場初体験である。その後頻繁に通うことになる。特に何回か開催されたソビエト映画特集は実に貴重な特集だった。73年に後楽園シネマで開催された例の「ソビエト名作映画月間」の際に見逃した「シベリヤ物語」を81年の4月に見ている(同時上映はソ連初のカラー映画「石の花」だった)。

 84年4月14日、この日三百人劇場で忘れられない映画を観た。当時三百人劇場は4月から5月にかけて「ソビエト映画の全貌」という特集を組んでおり、その一環として上映されたカレン・シャフナザーロフ監督の「ジャズメン」を観たのである。1920年代のオデッサが舞台。主人公はジャズのピアノ弾きである。当時ソ連ではジャズはブルジョア文化の手先とされ、理解されていなかった。それでも主人公はジャズが好きでやめられず、たまたま監獄で知り合ったサキソフォン吹きの男を交えてバンドを結成するが、その男は軍楽隊出身でアドリブが全くできない(汗)。ジャズが好きで好きでしょうがない青年の情熱を描いたさわやかな映画で、特にピアノを弾いているときの彼の笑顔が素晴らしい。好きでたまらないことをやっているときの人間の顔はこれ程輝くものか。忘れられない映画の一つである。そのときの特集では他にアニメ「話の話」を観た。

 87年に三百人劇場で開催された「ソビエト映画の全貌'87」も素晴らしかった。三百人劇場は当時毎年のようにソ連映画の特集を組んでいたが、この特集は様々な意味で注目に値する。まず何といっても、これまでめったに見る機会のなかった作品が多数上映プログラムに含まれていた点を評価すべきだろう。ソ連初のSF映画「アエリータ」の様な貴重な作品の発掘は大いに意義のあることだ。しかし、最もうれしかったことは「女狙撃兵マリュートカ」、「鬼戦車T-34」、「処刑の丘」、「思いでの夏休み」等々、名作と言われながらも長らく見る機会を得られなかった作品に出会えたことである。

 2点目としては全6期に分けてソビエト映画の様々な側面を一応網羅できるように企画を組んだことが挙げられる。特にタルコフスキーの作品を6本加えたことは、前年の12月に彼が亡くなったこともあってタイムリーであった。それまで空席が目立った客席が、タルコフスキーの作品を上映する日になると、とたんに満員になったのだから、確かに関心は高かった。幾つもの雑誌でタルコフスキー特集が組まれていた最中だけに若いファンにとっては絶好の機会だったろう。彼の遺作となった「サクリファイス」も当時上映中で、しばらくタルコフスキー・ブームが続いていた。

 3点目として、作品完成後検閲に引っ掛かり15年もお蔵入りしていたアレクセイ・ゲルマン監督「道中の点検」がこのプログラムの第一弾として公開されたことである。この作品はどうしてこれまで上映禁止になっていたのかと思うほどすぐれた映画である。これだけの作品が15年間も公開されないでいたということは驚くべき事実だ。しかし当時のソ連の一連の動きは映画製作・上映の面にも一大改革をもたらしつつあるようだ。実際この作品がソ連内外で公開されたこと自体、ソ連におけるペレストロイカの影響が芸術の分野にも及んできていることの興味深い一例である。この「道中の点検」や、ウラジーミル・コリドフ監督の「コミッサール」、テンギズ・アブラゼ監督の「懴悔」などはソ連内外で反響を呼びおこした。ソ連にはまだまだ埋もれた名作がありそうだ。

 こうしてリストを作ってみると、2000年代が手薄なのがはっきり分かる。ニキータ・ミハルコフ監督以降大監督が出てこない。実際に停滞しているのか、それともすぐれた作品があるにもかかわらず十分なリサーチがされてない、あるいは売れないと踏んで公開やDVD/BDの発売を見合わせているのか、何とも判断が付かない。しかし国際映画祭でも最近ソ連映画の名前を聞かなくなったのは確かだ。それでもこれだけの傑作群を生み出してきた映画大国だ、完全に火が消えてしまったとは思えない。いつかこの休眠状態から目覚めてほしいものだ。

 

【おすすめソ連・ロシア映画】
「アエリータ」(1924) ヤーコフ・プロタザーノフ監督
「戦艦ポチョムキン」(1925) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「母」(1925) フセヴォロド・プドフキン監督
「アジアの嵐」(1928) フセヴォロド・プドフキン監督
「十月」(1928) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「全線」(1929) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「大地」(1930) アレクサンドル・ドブジェンコ監督
「人生案内」(1931) ニコライ・エック監督
「十月のレーニン」(1937) ミハイル・ロンム監督
「アレクサンドル・ネフスキー」(1938) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「石の花」(1946) アレクサンドル・プトゥシコ監督
「イワン雷帝」(1946) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「シベリヤ物語」(1947) イワン・プイリエフ監督
「女狙撃兵マリュートカ」(1956) グリゴーリ・チュフライ監督
「ドン・キホーテ」(1957) グリゴーリー・コージンツェフ監督
「鶴は翔んでゆく」(1957) ミハイル・カラトーゾフ監督 ※旧邦題「戦争と貞操」
「雪の女王」(1957) レフ・アタマーノフ監督
「静かなるドン」(1958) セルゲイ・ゲラーシモフ監督
「大尉の娘」(1959) ヴラディミール・カプルノフスキー監督
「人間の運命」(1959) セルゲイ・ボンダルチュク監督
「小犬をつれた貴婦人」(1959) イオシフ・ヘイフィッツ監督
「外套」(1959) アレクセイ・バターロフ監督
「誓いの休暇」(1960) グリゴーリ・チュフライ監督
「復活」(1961) ミハイル・シュヴァイツェル監督
「僕の村は戦場だった」(1963) アンドレイ・タルコフスキー監督
「ハムレット」(1964) グリゴーリー・コージンツェフ監督
「鬼戦車T-34」(1964) ニキータ・クリヒン、レオニード・メナケル監督
「落ち葉」(1966)  オタール・イオセリアーニ監督、ジョージア
「戦争と平和」(1965-67) セルゲイ・ボンダルチュク監督
「コミッサール」(1967)アレクサンドル・アスコリドフ監督
「妖婆・死棺の呪い」(1967) アレクサンドル・プトゥシコ監督
「アンドレイ・ルブリョフ」(1967) アンドレイ・タルコフスキー監督
「貴族の巣」(1969) アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督
「ざくろの色」(1969)セルゲイ・パラジャーノフ、他、監督
「放浪の画家ピロスマニ」(1969) ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督、ジョージア
「湖畔にて」(1970) セルゲイ・ゲラーシモフ監督
「罪と罰」(1970) レフ・クリジャーノフ監督
「チャイコフスキー」(1970) イーゴリ・タランキン監督
「リア王」(1970) グリゴーリー・コージンツェフ監督
「がんばれかめさん」(1971) ロラン・ブイコフ監督
「帰郷」(1971) ウラジミール・ナウモフ、アレクサンドル・アロフ監督
「小さな英雄の詩」(1971) レフ・ゴルーブ監督
「道中の点検」(1971) アレクセイ・ゲルマン監督
「遠い日の白ロシア駅」(1971) アンドレイ・スミルノフ監督
「ワーニャ伯父さん」(1971) アンドレイ・ミハルコフ・コンチャロフスキー監督
「バイカルの夜明け」(1972) ヴィクトール・トレクボヴィッチ監督
「惑星ソラリス」(1972) アンドレイ・タルコフスキー監督
「ルカじいさんと苗木」(1973) レゾ・チヘイーゼ監督
「鏡」(1974) アンドレイ・タルコフスキー監督
「霧の中のハリネズミ」(1975) ユーリ・ノルシュテイン監督
「想い出の夏休み」(1975) セルゲイ・ソロビヨフ監督
「デルス・ウザーラ」(1975) 黒澤明監督
「愛の奴隷」(1976) ニキータ・ミハルコフ監督
「ジプシーは空に消える」(1976) エミーリ・ロチャヌー監督
「処刑の丘」(1976) ラリーサ・シェピチコ監督
「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(1977) ニキータ・ミハルコフ監督
「孤独な声」(1978) アレクサンドル・ソクーロフ監督
「メキシコ万歳」(1979) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督
「オブローモフの生涯より」」(1979) ニキータ・ミハルコフ監督
「話の話」(1979) ユーリ・ノルシュテイン監督
「モスクワは涙を信じない」(1980) ウラジーミル・メニショフ監督
「スタフ王の野蛮な狩り」(1980) ワレーリー・ルビンチワ監督
「ふたりの駅」(1982) エリダル・リャザーノフ監督
「解任」(1982) ユーリー・ライズマン監督
「ワッサ」(1982) グレープ・パンフィーロフ監督
「ジャズメン」(1983) カレン・シャフナザーロフ監督
「ノスタルジア」(1983) アンドレイ・タルコフスキー監督
「懺悔」(1984) テンギズ・アブラゼ監督、ジョージア・ソ連
「炎628」(1985) エレム・グリモフ監督
「死者からの手紙」(1986) コンスタンチン・ロプシャンスキー監督
「サクリファイス」(1986) アンドレイ・タルコフスキー監督
「翌日戦争が始まった」(1987) ユーリー・カラ監督
「黒い瞳」(1987)  ニキータ・ミハルコフ監督、イタリア
「アシク・ケリブ」(1988)  セルゲイ・パラジャーノフ、ダヴィッド・アバシッゼ監督
「タクシー・ブルース」(1990) パーベル・ルンギン監督、ソ連・フランス
「ウルガ」(1991)  ニキータ・ミハルコフ監督
「太陽に灼かれて」(1994)  ニキータ・ミハルコフ監督
「コーカサスの虜」(1996) セルゲイ・ボドロフ監督、カザフスタン・ロシア
「あの娘と自転車に乗って」(1998)  アクタン・アリム・クバト監督、キルギス・仏
「シベリアの理髪師」(1999) ニキータ・ミハルコフ監督
「老人と海」(1999)  アレクサンドル・ペトロフ監督、ロシア・カナダ・日本
「ククーシュカ ラップランドの妖精」(2002)  アレクサンドル・ロゴシュキン監督
「父、帰る」(2003)アンドレイ・ズビャギンツェフ監督
「ここに幸あり」(2006)  オタール・イオセリアーニ監督、仏・伊・ロシア
「12人の怒れる男」(2007) ニキータ・ミハルコフ監督
「明りを灯す人」(2010)  アクタン・アリム・クバト監督、キルギス・仏・独・他
「花咲くころ」(2013)ナナ・エクフティミシュヴィリ、ジモン・グロス監督、ジョージア・独・仏
「みかんの丘」(2013)ザザ・ウルシャゼ監督、エストニア・ジョージア
「とうもろこしの島」(2014)ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督、ジョージア・独・仏・他
「独裁者と小さな孫」(2014)  モフセン・マフマルバフ監督、ジョージア・仏・英・独
「草原の実験」(2014)  アレクサンドル・コット監督
「裁かれるは善人のみ」(2014)  アンドレイ・ズビャギンツェフ監督
「サリュート7」(2016)  クリム・シペンコ監督
「馬を放つ」(2017) アクタン・アリム・クバト監督、キルギス・仏・独・オランダ・日本
「スペースウォーカー」(2017)  ドミトリー・キセレフ監督
「聖なる泉の少女」(2017)ザザ・ハルヴァシ監督、ジョージア・リトアニア
「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」(2018)アレクセイ・シドロフ監督
「魔界探偵ゴーゴリIII 蘇りし者たちと最後の戦い」(2018)イゴール・バラノフ監督
「ナチス・バスターズ」(2020)アンドレイ・ボガティリョフ監督

【その他DVDアニメ短編集】
「ユーリ・ノルシュテイン作品集」
「ロシア・アニメーション傑作選集vlo.1」
「ロシア・アニメーション傑作選集vlo.2」
「ロシア・アニメーション傑作選集vlo.3」

 

ゴブリンのこれがおすすめ 53 フランス映画

フランス映画 オールタイム傑作選

 「ゴブリンのこれがおすすめ」シリーズの第1回で「ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1930年代フランス映画」を取り上げましたが、今回はこれまで観たフランス映画から好きな作品を全部取り上げました。いつものようにただ長いリストが並ぶだけですが、チェックリストとしてでも何でも好きなように利用していただければ作った甲斐があるというものです。個人的には30年代から50年代のヌーヴェルヴァーグ以前の作品に特に愛着があります。しかしこうしてずらっと並べてみると各時代に優れた作品があり、ヨーロッパ随一の映画大国と言って差し支えないでしょう。

「裁かるるジャンヌ」(1928) カール・ドライエル監督
「巴里の屋根の下」(1930) ルネ・クレール監督
「自由を我等に」(1931) ルネ・クレール監督
「春の驟雨」(1931) パウル・フェヨシュ監督
「外人部隊」(1933) ジャック・フェデー監督
「巴里祭」(1933) ルネ・クレール監督
「モンパルナスの夜」(1933) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「商船テナシチー」(1934) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「にんじん」(1934) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「ミモザ館」(1934) ジャック・フェデー監督
「女だけの都」(1935) ジャック・フェデー監督
「地の果てを行く」(1935) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「どん底」(1936) ジャン・ルノワール監督
「望郷」(1936) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「ランジュ氏の犯罪」(1936)ジャン・ルノワール監督
「我等の仲間」(1936) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「大いなる幻影」(1937) ジャン・ルノワール監督
「舞踏会の手帳」(1937) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「北ホテル」(1938) マルセル・カルネ監督
「霧の波止場」(1938) マルセル・カルネ監督
「格子なき牢獄」(1938) レオニード・モギー監督
「獣人」(1938) ジャン・ルノワール監督
「ゲームの規則」(1939) ジャン・ルノワール監督
「旅路の果て」(1939) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「悪魔が夜来る」(1942) マルセル・カルネ監督
「天井桟敷の人々」(1944) マルセル・カルネ監督
「鉄路の闘い」(1945) ルネ・クレマン監督
「美女と野獣」(1946) ジャン・コクトー監督
「偽りの果て」(1947)アンリ・ドコアン監督
「海の牙」(1947) ルネ・クレマン監督
「肉体の悪魔」(1947) クロード・オータン=ララ監督
「美しき小さな浜辺」(1948)イヴ・アレグレ監督
「オルフェ」(1949) ジャン・コクトー監督
「港のマリー」(1949) マルセル・カルネ監督
「裁きは終りぬ」(1950)アンドレ・カイヤット監督
「河」(1951) ジャン・ルノワール監督
「肉体の冠」(1951) ジャック・ベッケル監督
「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「恐怖の報酬()1952) アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督
「禁じられた遊び」(1952) ルネ・クレマン監督
「嘆きのテレーズ」(1952)  マルセル・カルネ監督
「ぼくの伯父さんの休暇」(1952) ジャック・タチ監督
「白い馬」(1953) アルベール・ラモリス監督
「悪魔のような女」(1955) アンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督
「男の争い」(1955) ジュールス・ダッシン監督
「ヘッドライト」(1955) アンリ・ヴェルヌイユ監督
「夜と霧」(1955) アラン・レネ監督
「夜の騎士道」(1955) ルネ・クレール監督
「わが青春のマリアンヌ」(1955) ジュリアン・デュヴィヴィエ監督
「赤い風船」(1956) アルベール・ラモリス監督
「幸福への招待」(1956) アンリ・ヴェルヌイユ監督
「抵抗」(1956) ロベール・ブレッソン監督
「死刑台のエレベーター」(1957) ルイ・マル監督
「宿命」(1957) ジュールス・ダッシン監督
「眼には眼を」(1957) アンドレ・カイヤット監督、フランス・イタリア
「リラの門」(1957) ルネ・クレール監督
「恋人たち」(1958) ルイ・マル監督
「ぼくの伯父さん」(1958) ジャック・タチ監督
「モンパルナスの灯」(1958) ジャック・ベッケル監督
「大人は判ってくれない」(1959) フランソワ・トリュフォー監督
「黒いオルフェ」(1959) マルセル・カミュ監督
「二十四時間の情事」(1959) アレン・レネ監督
「穴」(1960) ジャック・ベッケル監督
「かくも長き不在」」(1960) アンリ・コルピ監督
「太陽がいっぱい」(1960) ルネ・クレマン監督
「地下鉄のザジ」(1960)  ルイ・マル監督
「5時から7時までのクレオ」(1961)アニエス・ヴァルダ監督
「血とバラ」(1961)ロジェ・ヴァディム監督
「突然炎のごとく」(1961)フランソワ・トリュフォー監督
「わんぱく戦争」(1961) イブ・ロベール監督
「エヴァの匂い」(1962)  ジョセフ・ロージー監督
「シベールの日曜日」(1962) セルジュ・ブールギニオン監督
「地下室のメロディー」(1962) アンリ・ヴェルヌイユ監督
「捕らえられた伍長」(1962) ジャン・ルノワール監督
「ふくろうの河」(1962) ロベール・アンリコ監督
「冬の猿」(1962)  アンリ・ヴェルヌイユ監督
「いぬ」(1963) ジャン・ピエール・メルヴィル監督
「誘拐」(1963) アンドレ・カイアット監督
「小間使いの日記」(1964) ルイス・ブニュエル監督、フランス、イタリア
「幸福」(1965) アニエス・ヴァルダ監督
「男と女」(1966) クロード・ルルーシュ監督
「華氏451」(1966) フランソワ・トリュフォー監督
「戦争は終わった」(1966) アラン・レネ監督
「巴里は燃えているか」(1966) ルネ・クレマン監督
「奇襲戦隊」(1967)コスタ=ガブラス監督
「サムライ」(1967)ジャン=ピエール・メルヴィル監督
「パリのめぐり逢い」(1967)クロード・ルルーシュ監督
「冒険者たち」(1967)  ロベール・アンリコ監督
「まぼろしの市街戦」(1967) フィリップ・ド・ブロカ監督
「銀河」(1968) ルイス・ブニュエル監督
「黒衣の花嫁」(1968) フランソワ・トリュフォー監督
「さらば友よ」(1968) ジャン・エルマン監督
「影の軍隊」(1969)  ジャン・ピエール・メルヴィル監督
「ジェフ」(1969) ジャン・エルマン監督
「Z」(1969) コスタ・ガブラス監督、仏・アルジェリア
「大頭脳」(1969)ジェラール・ウーリー監督、イタリア・フランス
「愛のために死す」(1970) アンドレ・カイヤット監督
「クレールの膝」(1970) エリック・ロメール監督
「仁義」(1970) ジャン・ピエール・メルヴィル監督
「ブルジョワジーの密かな愉しみ」(1972)  ルイス・ブニュエル監督
「リスボン特急」(1972)ジャン=ピエール・メルヴィル監督
「戒厳令」(1973)コスタ=ガブラス監督、フランス・イタリア
「パピヨン」(1973)フランクリン・J・シャフナー監督
「自由の幻想」(1974) ルイス・ブニュエル監督
「追想」(1975) ロベール・アンリコ監督
「欲望のあいまいな対象」(1977)  ルイス・ブニュエル監督、フランス・スペイン
「チェイサー」(1978)ジョルジュ・ロートネル監督
「料理は冷たくして」(1979)ベルトラン・ブリエ監督
「王と鳥」(1980) ポール・グリモー監督
「ディーバ」(1981) ジャン・ジャック・ベネックス監督
「最後の戦い」(1981) リュック・ベッソン監督
「ダントン」(1982) アンジェイ・ワイダ監督
「ボーイ・ミーツ・ガール」(1983) レオス・カラックス監督
「マルチニックの少年」(1983) ユーザン・パルシー監督
「田舎の日曜日」(1984) ベルトラン・タヴェルニエ監督
「スペシャリスト」(1984) パトリス・ルコント監督
「C階段」(1984) ジャン・シャルル・タケラ監督
「遠い日の家族」(1985)クロード・ルルーシュ監督
「愛と宿命の泉」(1986) クロード・ベリ監督
「薔薇の名前」(1986) ジャン・ジャック・アノー監督
「緑の光線」(1986) エリック・ロメール監督
「汚れた血」(1986) レオス・カラックス監督
「ラウンド・ミッドナイト」(1986)  ベルトラン・タヴェルニエ監督
「悪霊」(1987) アンジェイ・ワイダ監督
「さよなら子供たち」(1987) ルイ・マル監督
「友だちの恋人」(1987) エリック・ロメール監督
「フランスの思い出」(1987) ジャン・ルー・ユベール監督
「グラン・ブルー」(1988) リュック・ベッソン監督
「サンドイッチの年」(1988) ピエール・ブートロン監督
「読書する女」(1988) ミシェル・ドビル監督
「五月のミル」(1989) ルイ・マル監督
「仕立て屋の恋」(1989) パトリス・ルコント監督
「ロシュアルドとジュリエット」(1989) コリーヌ・セロー監督
「髪結いの亭主」(1990) パトリス・ルコント監督
「キリクと魔女」(1990)ミッシェル・オスロ監督
「ニキータ」(1990)リュック・ベッソン監督
「マルセルの夏」(1990) イブ・ロベール監督
「アトランティス」(1991) リュック・ベッソン監督
「ウルガ」(1991) ニキータ・ミハルコフ監督
「デリカテッセン」(1991) ジャン・ピエール・ジュネ監督
「ポンヌフの恋人」(1991)  レオス・カラックス監督
「マルセルのお城」(1991)  イブ・ロベール監督
「愛人/ラマン」(1993)  ジャン・ジャック・アノー監督
「ジェルミナル」(1993)  クロード・ベリ監督
「トリコロール青の愛」(1993)  クシシュトフ・キェシロフスキ監督
「パリ空港の人々」(1993) フィリップ・リオレ監督
「イヴォンヌの香り」(1994) パトリス・ルコント監督
「記憶の扉」(1994) ジュゼッペ・トルナトーレ監督
「レオン」(1994) リュック・ベッソン監督
「レ・ミゼラブル」(1995) クロード・ルルーシュ監督
「ロスト・チルドレン」(1995) ジャン・ピエール・ジュネ監督
「パトリス・ルコントの大喝采」(1995)  パトリス・ルコント監督
「リディキュール」(1995) パトリス・ルコント監督
「アパートメント」(1995) ジル・ミモーニ監督
「猫が行方不明」(1996) セドリック・クラピッシュ
「パリのレストラン」(1996) ローラン・ベネギ監督
「ガッジョ・ディーロ」(1997) トニー・ガトリフ監督、フランス、ルーマニア
「ニノの空」(1997) マニュエル・ポワソエ監督
「キリクと魔女」(1998) ミッシェル・オスロ監督
「ハーフ・ア・チャンス」(1998)パトリス・ルコント監督
「ショコラ」(2000)  ラッセ・ハレストレム監督
「アメリ」(2001) ジャン・ピエール・ジュネ監督
「女はみんな生きている」(2001) コリーヌ・セロー監督
「まぼろし」(2001) フランソワ・オゾン監督
「夕映えの道」(2001)  レネ・フェレ監督
「WATARIDORI」」(2001)  ジャック・クルーゾ&ミシェル・デバ
「月曜日に乾杯!」(2002) オタール・イオセリアーニ監督、フランス・イタリア
「小さな中国のお針子」(2002)  ダイ・シージエ監督
「トランスポーター」(2002)ルイ・レテリエ&コリー・ユン監督、仏・米
「ベルヴィル・ランデブー」(2002) シルヴァン・ショメ監督、仏・カナダ、ベルギー
「僕のスウィング」(2002) トニー・ガトリフ監督、日・仏
「ピエロの赤い鼻」(2003) ジャン・ベッケル監督
「ぼくセザール10歳半1m39cm」(2003) リシャール・ベリ監督
「あるいは裏切りという名の犬」(2004) オリヴィエ・マルシャル監督
「クレールの刺繍」(2004) エレオノール・フォーシェ監督
「コーラス」(2004) クリストフ・バラティエ監督、フランス・スイス・ドイツ
「スイミング・プール」(2004) フランソワ・オゾン監督
「みんな誰かの愛しい人」(2004) アニエス・ジャウィ監督
「ロング・エンゲージメント」(2004) ジャン・ピエール・ジュネ監督
「隠された記憶」(2005) ミヒャエル・ハネケ監督、フランス・オーストリア・ドイツ・イタリア
「皇帝ペンギン」(2005)  リュック・ジャケ監督
「サン・ジャックへの道」(2005)コリーヌ・セロー監督
「約束の旅路」(2005)ラデュ・ミヘイレアニュ監督
「アズールとアスマール」(2006)ミッシェル・オスロ監督
「トランシルヴァニア」(2006)トニー・ガトリフ監督
「モンテーニュ通りのカフェ」(2006)ダニエル・トンプソン監督
「エディット・ピアフ 愛の讃歌」(2007)オリヴィエ・ダアン監督、フランス・他
「画家と庭師とカンパーニュ」(2007)ジャン・ベッケル監督
「潜水服は蝶の夢を見る」(2007)ジュリアン・シュナーベル監督、米・仏
「クリスマス・ストーリー」(2008)アルノー・デプレシャン監督
「幸せはシャンソニア劇場から」(2008)クリストフ・バラティエ監督、仏・独・チェコ
「セラフィーヌの庭」(2008)マルタン・プロヴォスト監督、仏・ベルギー・独
「夏時間の庭」(2008)オリヴィエ・アサイヤス監督
「パリ20区、僕たちのクラス」(2008)ローラン・カンテ監督
「愛について、ある土曜日の面会室」(2009)レア・フェネール監督
「オーケストラ!」(2009)ラデュ・ミヘイレアニュ監督
「イリュージョニスト」(2010)シルヴァン・ショメ監督、英・仏
「黄色い星の子供たち」(2010)ローズ・ボッシュ監督、フランス・ドイツ・ハンガリー
「さすらいの女神たち」(2010)マチュー・アマルリック監督
「サラの鍵」(2010)ジル・パケ=ブランネール監督
「屋根裏部屋のマリアたち」(2010)フィリップ・ル・ゲイ監督
「夜のとばりの物語」(2010)ミッシェル・オスロ監督
「アーティスト」(2011)ミシェル・アザナヴィシウス監督
「おとなのけんか」(2011)ロマン・ポランスキー監督、仏・独・ポーランド
「キリマンジャロの雪」(2011)ロベール・ゲディギャン監督
「最強のふたり」(2011)エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ監督
「みんなで一緒に暮らしたら」(2011)ステファン・ロブラン監督、仏・独
「夜のとばりの物語 ―醒めない夢―」(2011)ミッシェル・オスロ監督
「スーサイド・ショップ」(2012)パトリス・ルコント監督、仏・ベルギー・カナダ
「世界の果ての通学路」(2012)パスカル・プリッソン監督
「母の身終い」(2012)ステファヌ・ブリゼ監督
「もうひとりの息子」(2012)ロレーヌ・レヴィ監督
「ある過去の行方」(2013)アスガー・ファルハディ監督、仏・伊
「ぼくを探しに」(2013)シルヴァン・ショメ監督
「友よ、さらばと言おう」(2014)フレッド・カヴァイエ監督
「アヴリルと奇妙な世界」(2015)クリスティアン・デマール、他監督、仏・ベルギー・加
「アスファルト」(2015)サミュエル・ベンシェトリ監督
「戦場のブラックボード」(2015)クリスチャン・カリオン監督、フランス・ベルギー
「ティエリー・トグルドーの憂鬱」(2015)ステファヌ・ブリゼ監督
「ディーパンの闘い」(2015)ジャック・オディアール監督
「ブルゴーニュで会いましょう」(2015)ジェローム・ル・メール監督、フランス
「ミモザの島に消えた母」(2015)フランソワ・ファヴラ監督
「ロング・ウェイ・ノース地球のてっぺん」(2015)レミ・シャイエ監督、仏・デンマーク
「海辺の家族たち」(2016)ロベール・ゲディギャン監督
「リュミエール!」(2016)ティエリー・フレモー監督
「顔たち、ところどころ」(2017)アニエス・ヴァルダ、JR監督
「北の果ての小さな村で」(2017)サミュエル・コラルデ監督
「ゴールデン・リバー」(2018)ジャック・オーディアール監督、仏・スペイン・他
「シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢」(2018)ニルス・タヴェルニエ監督
「ディリリとパリの時間旅行」(2018)ミッシェル・オスロ監督、仏・独・ベルギー
「FUNAN フナン」(2018)ドゥニ・ドー監督、仏・ベルギー・ルクセンブルク・カンボジア
「ローラとふたりの兄」(2018)ジャン=ポール・ルーヴ監督
「私は確信する」(2018)アントワーヌ・ランボー監督、フランス・ベルギー
「パピチャ 未来へのランウェイ」(2019)ムニア・メドゥール監督、仏・アルジェリア・他
「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」(2019)フィリッポ・メネゲッティ監督、仏・ルクセンブルク・ベルギー
「ジュゼップ」(2020)オーレル監督
「ブラックボックス:音声分析捜査」(2021)ヤン・ゴズラン監督
「パリタクシー」(2022)クリスチャン・カリオン監督

 

2020年11月15日 (日)

「ブレッドウィナー」をより深く理解するために

「ブレッドウィナー」(2017) アイルランド・カナダ・ルクセンブルク ★★★★☆
監督:ノラ・トゥーミー
原作:デボラ・エリス
脚本:アニータ・ドロン
声優:サーラ・チャウドリー、ソーマ・バティア、ラーラ・サディク、シャイスタ・ラティーフ、カワ・アダ
   アリ・バドシャー、ヌーリン・グラムガウス

 イスラエルのユニークなアニメ「戦場でワルツを」(2008、アリ・フォルマン監督)を観た時、ついにアニメ界にも社会派アニメ、あるいはリアリズム・アニメと呼べる作品が出現したと驚いたものだ。レバノン戦争をイスラエル側から描いたという点では実写版の「レバノン」(2009)と並ぶ傑作だ(こちらはキャメラが一貫して戦車の中から出ないという、これまたユニークな設定の映画で、まれにみる迫真力で迫ってくる)。「戦場でワルツを」はまさに画期的なアニメだったが、他に社会問題と真摯に向き合ったアニメがなかったわけではない。老夫婦を通じて核戦争による放射能汚染の恐怖を描いたイギリスの傑作「風が吹くとき」(1986、ジミー・T・ムラカミ監督)、人種問題を描いた「アズールとアスマール」(2006、ミッシェル・オスロ監督)、そして父を探して旅に出た少年が見たディストピアを描いたブラジル製アニメ「父を探して」(2013、アレ・アブレウ監督)など。認知症で養護老人施設に入れられた老人を描いたスペインの「しわ」(2011、イグナシオ・フェレーラス監督)のような作品もあった。これにタリバン支配下のアフガニスタンを描いた「ブレッドウィナー」(2017)が加わった。まだまだ数は少ないが、この流れは今後着実に広まってゆくだろう。

 アフガニスタン戦争とタリバンの暴虐。これも先日取り上げたイギリス映画「オフィシャル・シークレット」(2018、ギャヴィン・フッド監督)と同じ9.11後の混乱、テロリズムへの反撃を旗印に掲げたアメリカ主導の強引な侵略戦争がもたらした泥沼状態を描いたものである。タリバンの厳格な原理主義が国民生活を圧迫し、男手がいないため少女が男の子に扮して家族の生活を支えるというのは「アフガン零年」(2003、セディク・バルマク監督)と全く同じ設定だ。これは衝撃的な作品だった。タリバンの無法ぶりに体中から怒りが噴出す思いで観た。神の名を語りながら、人道にもとる非情な振る舞いを平気で行う。アメリカの侵略も非道だが、タリバンも許せない。女の子であることが発覚したマリナは宗教裁判にかけられ、無理やりある老人の嫁にされてしまう。マリナを演じた少女は親を亡くし物乞いをしていたという。人類に進歩はないのか。怒りと虚無感に襲われたものだ。

 しかしこの映画を観て、タリバンの暴虐ぶりをイスラム教そのものと結びつけるのは早計である。たとえばイランはかつてミニスカートの女性がいたほど開放的な国だった。それがホメイニ革命で一変したのである。イスラム原理主義がはびこり実に窮屈な国になってしまった。その変化の前と後を描いたのがイランのマルジャン・サトラビが描いた自伝的漫画「ペルセポリス」である(アニメ化されたがそちらは観ていないので、原作の漫画を取り上げた)。窮屈な現体制に反発して大学生のヒロインはバクーニンの無政府主義に共感するというのだから、どれほど硬直した考え方がまかり通っていたか分かろうというもの。

 イラン関連でさらに2本の映画を取り上げたい。一つは「ブレッドウィナー」と同じく女性が男装する「オフサイド・ガールズ」。男装すると言っても「ブレッドウィナー」とはだいぶ事情は違う。イランでは女性はサッカー場に入れない。しかし女性でも熱心なサッカーファンはいるわけで、あと1勝すればワールドカップ出場が決まるという大事な試合をどうしても会場で観たい女性たちは男に変装して会場にもぐりこもうとする。しかし入口で女性とバレてしまい、拘束されて会場横に臨時に作られた柵の中に押し込められる。柵と言っても簡単に乗り越えられるものなので、数人の兵士が見張りに付いている。女性たちはどうして女はサッカー場に入れないのかと兵士たちに食って掛かる。兵士たちはそういう風に定められているからだとか、汚い言葉が飛び交うので女性はいかない方が良いとしか答えられない。もともと合理的な理由などないのだ。納得しない女性たちに詰め寄られてたじたじとなる兵士たち。サッカー場から女性を締め出すというのは理不尽ではあるが、タリバンのような残虐さはない。

 ここで強調しておくが、原理主義者の硬直した頑迷さという点ではキリスト教も同じなのだ。アメリカ映画に「風の遺産」(1960、スタンリー・クレイマー監督)という知られざる名作がある。これはある教員が高校で進化論を教えたために逮捕され裁判沙汰になったという、アメリカの歴史上有名なスコープス裁判(俗に猿裁判と呼ばれる)を真正面から描いた映画だ。キリスト教原理主義者は聖書の真実――天地創造、処女降臨、復活――を本質的真実だと考える。したがって人間は猿から進化したとする進化論の考え方は神への冒涜だと主張して譲らない。実に骨太な法廷劇で、弁護士にスペンサー・トレイシー、検事にフレデリック・マーチという共にオスカーを2度ずつ受賞した名優を配し、さらに弁護側支持の新聞記者にジーン・ケリーを起用している。

 もう1本紹介したいイラン映画は「サイクリスト」、「パンと植木鉢」などで知られるモフセン・マフマルバフ監督がアフガン難民の問題に鋭く迫った「カンダハール」(2001)である。米国の同時多発テロ発生直前に撮られた作品だ。内戦を逃れてカナダへ移住したアフガニスタン人女性ジャーナリストのもとにタリバン政権の拠点であるカンダハールに残してきた妹から悲痛な現状を嘆き自殺をほのめかす手紙が届く。姉はなんとしてでも妹を助け出そうと決死の覚悟でアフガニスタンに潜入する。「ブレッドウィナー」同様、アフガニスタン以外の国が作ったアフガニスタンの現状を描く映画だ。当事者でない国で映画が製作されることに疑問を感じる向きもあるだろう。おそらくこの問題は森と木の例えと似ている。当事者には木は見えるが、生きるのに精いっぱいで森全体を見る余裕はない。一方岡目八目という言葉があるように、他国の人びとには外側から見ているので森全体は比較的とらえやすい。だが、その一方で一本、一本の木はなかなか見えにくい。だから、それぞれの作品があっていいのだ。むしろ様々な視点から描かれる作品があってしかるべきである。一つの観点だけで一国の状況がすべてが描けるはずはない。一面的で偏った視点からしか物事を見ないからヘイトスピーチが起こるのだ。

 「カンダハール」はアフガニスタンの現状をイラン人の観点から描いたという点で注目に値する。欧米諸国では、物質文化が爛熟し、個人的な欲求の追求に視点が向きがちで、自分を越えた大きな社会的政治的問題の所在に気づきにくくなっている。一方、新進諸国では、文化や人々の意識は別の成熟の仕方をたどった。人々は自分を取り巻く大きな社会的矛盾の中で自分の問題をとらえざるを得ない。テーマや状況の深刻さ、葛藤の質と重みが違ってくる。うめき声や叫びに満ちているが、その中から自分や社会のありようを見つめ直そうとする真摯な姿勢や問いかけが現れてくる。悲劇的な結末を迎える作品もあるが、多くは決して悲観的ではなく、人間がこんなことであっていいのかという根源的な問いかけがなされている。社会の重圧感を描くと同時に、それらを跳ね返そうとする意志、苦しくても明るさをなくさず生き続けようとする姿勢、現実を押し返そうとする躍動感なども描き出されている。これらの国々の映画にわれわれが共感するのはそのためだ。

 アメリカ映画のようなCGを駆使した映画も見せ場満載のジェットコースター・ムービーはない。むしろゆったりとしたテンポで淡々と綴られる「観覧車ムービー」が多い。しかしアメリカ映画にはない独特の味わいと深刻な問題意識がある。2000年代に入り、「アマンドラ!希望の歌」(2002)、「ホテル・ルワンダ」(2004)、「母たちの村」(2004)、「約束の旅路」(2005)、「ナイロビの蜂」(2005)、「ロード・オブ・ウォー」(2005)、「ブラッド・ダイヤモンド」(2006)、「輝く夜明けに向かって」(2006)、「ラスト・キング・オブ・スコットランド」(2006)などアフリカ映画やアフリカを舞台にした映画が続々と作られてきたのは、以上のことと無関係ではないだろう。

 2005年ごろからドキュメンタリー映画が目立って増えてきており、しかも劇映画をしのぐ力作が少なくないこともこのことと無関係ではないだろう。いずれも現実の矛盾の裂け目からにじみ出てきたような作品群である。劇映画が触れようとしない現実に光を当て、劇映画以上に深く切り込んでゆくドキュメンタリー映画が着実に地位を確保しつつある。

 これに関してもう一つ指摘しておきたい。2003年に少数民族を描いた映画が3本公開された。1本はニュージーランドのマオリに伝わる伝説を主題にした映画「クジラの島の少女」(2003、ニキ・カーロ監督)だ。族長の娘に生まれ、また伝説の英雄パイケアの名を受け継ぎながら、女だというだけで伝統を受け継ぐことを拒否された少女が主人公である。女の子ゆえの差別にもめげずに因習に立ち向かってゆくパイケアの姿勢が共感を誘う。パイケアを演じたケイシャ・キャッスル=ヒューズの、じっと前を見つめる黒い瞳がなんとも魅力的だ。2本目はアボリジニの少女たちが隔離施設を抜け出し家族のもとに帰るまでを描いたオーストラリア映画「裸足の1500マイル」(2002、フィリップ・ノイス監督)である。ヒロインたちの逃走を支えていたのは民族が伝えてきた知恵であり、差別に屈しない民族の誇だった。白人たちの根深い人種差別意識も鋭く抉り出されている(有名な白豪主義はオーストラリア版アパルトヘイトと言って良い)。もう1本はイヌイット語でイヌイットを描いた最初の映画「氷海の伝説」(2001、ザカリアス・クヌク監督)である。上映時間が3時間近くに及ぶ氷上の人間ドラマ、一大叙事詩である。氷しかない世界だが、人間さえいればドラマは生まれるのだということを教えられる。このように少数民族を描いた優れた映画がそろって日本で公開された2003年という年は、記念すべき年といえるだろう。これまで世界映画市場に無縁だった国や地域や民族の人たちが、自分たちの言葉と様式で語り始めた。これらの声に真摯に耳を傾ければ、私たちの世界を見る視野もきっと広がるだろう。

 誤解を避けるために付け加えておくが、欧米先進諸国や日本の映画に優れたものがないと言いたいわけではない。例えば、女が男の格好をすると言うことを取り上げてみれば、古い映画では男装の麗人という形で描かれることがほとんどだった[例えば「モロッコ」(1930)のマレーネ・ディートリッヒ]。しかし近年はLGBTQ関連の映画が多く作られている(男が女装するケースが多いが)。例えば、「蜘蛛女のキス」(1985、ヘクトール・バベンコ監督)、ジュリアン・ジャロルド監督の「キンキー・ブーツ」(2005)、犬童一心監督の「メゾン・ド・ヒミコ」(2005)、「トランスアメリカ」(2005、ダンカン・タッカー監督)、あるいは先進国映画ではないがフィリピン映画「ダイ・ビューティフル」(2016、ジュン・ロブレス・ラナ監督)など。いずれもこの問題に真摯に向き合っている優れた映画である。「トランスアメリカ」は性転換手術を目前に控えた中年男性が、まだ若い頃付き合っていた女性との間に息子がいると知らされ、やむを得ない事情でその息子を引き取りにアメリカを横断する旅に出るという映画だ。その時父親はすでにブリーという女性名を名乗りおばさんの姿をしていた。ブリーは自分が父親であることを隠し、ただ青年を迎えに来た親切なおばさんと名乗った。彼(女)は息子との旅を通じて、自分が元は男であること、そして彼の父親であることという二つの秘密を息子と共有し、ともに乗り越えてゆくのである。「トランスアメリカ」というタイトルにはアメリカ横断という意味の他に「トランス・ジェンダー」という意味が込められている。さらに言えば、女性に性転換した中年男性を女優が演じているのである。二重のひねりが加えられている。

 系譜をたどるのはこの辺にして、作品の内容に少し触れておこう。「ブレッドウィナー」は映画館で観た。DVDで観た時のようにメモが取れないので、内容の細かいところはだいぶ忘れている(鑑賞日は10月27日)。そこで原作の翻訳を代わりに引用したりすることになるが、お許しいただきたい。映画の冒頭の辺り、街頭でパヴァーナとその父が座ってわずかばかりの物を売り、字の読めない人たちの代わりに手紙を代読(代筆もしているようだ)する商売をしている場面がある。ちなみに、代読屋といえば、中南米映画を代表する名作、ブラジル映画「セントラル・ステーション」(1998、ヴァルテル・サレス監督)が思い浮かぶ。こちらのヒロインは元教員で、字の書けない人の代わりに手紙を書く代筆屋である。このような職業が成り立つこと自体、どちらの国にも字の読み書きができない人が多数いることが暗示されている。

 また話が脱線してしまったので元に戻そう。座りながら二人はいろいろ話をしている。その中でアフガニスタンが長年外国の侵略にさらされてきたことが語られる。映画と同じではないだろうが、重要なことなので翻訳本から引用しておく。

 歴史、とくにアフガニスタンの歴史は、パヴァ―ナの大好きな科目だ。アフガニスタンには、古代からさまざまな民族がやって来た。四千年前にはペルシア人、その後アレキサンダー大王、ギリシャ人、アラブ人、トルコ人、イギリス人とつづき、最後にやってきたのがソ連だ。なかでも十四世紀、サマルカンドから攻めてきた征服者ティムールは、敵の頭を切り落とし、果物屋のメロンのように高く積み上げたという。これらの人びとはみな、パヴァーナの美しい国をうばおうとやってきた。そしてアフガン人は、それらを全部追い出したのだ!
 しかし今、この国はタリバン兵によって支配されている。かれらはアフガン人だが、生活についてとても厳しい規制を押し付けてくる。

 ここには決して外敵に屈しなかったアフガン人の民族的誇りが語られている。しかし皮肉なことに今国を支配しているのは内なる敵だった。ここにこの映画の重要な主題が描き出されている。自分たちの生活を脅かす者たちに決して屈しないというヒロインの誇りと、しかし抗いがたい暴虐で人々を押さえつけているタリバンの理不尽なまでの抑圧機構の恐怖である。パヴァーナの芯の強さはこの誇りを引き継いでいるが、もう一つ重要なのは両親の教養と物語る能力を受け継いでいることである。両親は英語を話し、父はイギリスの大学で勉強をした事もある。西洋の知識を持っていることがタリバンの押し付けてくる理不尽な抑圧に反発する原動力の一つになっている。もちろんイギリスは帝国主義者として乗り込んできたわけだが、イギリス人から学んだ知識がタリバンの論理に屈しない力を与えているとも考えられるのだ。

 また余談になるが、シャーロック・ホームズの盟友ワトソンは最初に登場した時アフガン帰りだと明記されている。彼はアフガンに軍医として従軍し、負傷してイギリスに送還されてきたのである。軍医であったとはいえ、彼も大英帝国による植民地政策の一翼を担っていたことは記憶しておくべきである。

 また「ブレッドウィナー」に戻ろう。アニメ版は最初の辺りは原作とほぼ重なっているが、4分の1も過ぎたあたりからだいぶ違ってくる。原作では墓場に爆弾が落ちて昔埋められた死者の骨が地面に突き出ているのをパヴァーナとショーツィアが掘り出す場面(それを仲買人に渡すと良い金になる)や、ぎっしりと人で埋まったサッカーの競技場で泥棒をした男たちの手をタリバン兵がこれ見よがしに切り落として見せる場面など、残虐な場面が描かれている。児童文学として書かれているせいか、「アフガン零年」を観た時ほどの衝撃や怒りを感じないが、アニメではカットされている。

 アニメでも描かれているが違う使いかたをされているのは手紙を読んでくれと頼んでくるタリバン兵 のエピソードだ(原作には「タリバン兵は、たいてい字が読めないんだから」という記述がある)。それは妻の叔母に当たる人が彼の妻あてに書いた古い手紙だった。手紙の内容を聞いた彼は涙をひとつぶ流す。彼の妻はすでに死んでいたのだ。涙を流したこのタリバン兵のことがしばらくパヴァーナの心に引っかかっている。タリバンにも自分たちと同じ感情があるのか。彼女が初めてそういう疑問を感じた場面である。原作では短いエピソードとして一度出て来るだけだが、このタリバン兵は映画では終盤近くでもう一度登場し、重要な役割を果たすことになる。

 アニメ版では原作のかなりの部分を割愛せざるを得なかったが、代わって取り入れたのは劇中劇のような形で描かれる物語である。パヴァーナが小さな弟に語って聞かせる物語だが、少年が象の怪物に奪われた種を取り戻そうとする冒険譚である。つまり、アニメはタリバン勢力による支配の恐怖を盛りだくさんに描くことではなく、物語の持つ力、言葉の力、自由に想像する力を描くことを選んだ。その物語の主人公は地雷を踏んで死んでしまった彼女の兄スレイマンである。この物語にはミッシェル・オスロ監督の「キリクと魔女」(1998)を思わせるプリミティヴな力がある。物語る能力はパヴァーナが父から受け継いだものである。それがまたパヴァーナを通じて弟に受け継がれてゆく。そしてこの物語が時につらい現実にめげそうになるパヴァーナに力を与えているのだ。

 突然だがここで2本の映画を紹介したい。「ココシリ」「エレジー」である。チベットカモシカの密猟を食い止めようと奮闘する山岳パトロール隊を描いた中国映画「ココシリ」(2004、ルー・チュ-アン監督)が山岳パトロール隊側から見た映画だとすれば、密輸グループの悲惨な末路を描いたトルコ映画「エレジー」(1971、ユルマズ・ギュネイ監督)は密輸団側から描いた映画だと言える。生きんがために密輸に手を染める「悪党」たち。しかしどこか憎めない。彼らとて生きていかなければならない。「人間性を失うギリギリのところまで追い詰められ」、生活のために一線を越えた男たち。そこにはイラン映画「酔っ払った馬の時間」(2000、バフマン・ゴバディ監督)に描かれた、イランとイラクの国境地帯で密輸をして生活を立てているクルド族の人々と重なるものがある。あるいは、アメリカ映画「ロード・オブ・ウォー」(2005、アンドリュー・ニコル監督)で不時着した飛行機があっという間に村人たちによって解体され、使えるものはすべて持ち去られるシーンを思い浮かべてもいい(「骨」だけになった飛行機の残骸は「ココシリ」に出てくる骨だけになったカモシカの死骸を連想させる)。ここではむしろ虐げられた貧しい人たちの「たくましい生活力」が肯定的に描かれている。

 この文脈でとらえ直せば、「ブレッドウィナー」は「人間性を失うギリギリのところまで追い詰められ」、生活のために一線を越えた女の子が男に成りすまして家族の生活を支える映画だと言い換えても良いだろう。この映画が観客に与えるインパクトは根本的にはこの極限状態とその中で生きるために大きな決意をした女の子のひたむきに生きようとする活力から来ていると言っていい。衝撃度は「アフガン零年」に劣るが、ファンタジー的要素を残しながらリアリズムを追求したアニメとして「ブレッドウィナー」は長く記憶するに値する作品だと思う。

 原作のデボラ・エリス著『生きのびるために』(さ・え・ら書房)については多くの人が紹介しているので省略する。ここでは「ブレッドウィナー」を制作したアイルランドのアニメスタジオ“カートゥーン・サルーン”について簡単に触れておきたい。「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014)を観たのは2017年だった。翌2018年には「ブレンダンとケルズの秘密」(2009)を観た。三部作の最終作「ウルフウォーカー」(2020)はつい先日、11月11日に観た。三部作の中では何といっても最初に観た「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」の印象が強い。初めて観るケルト系アニメ。アイルランドのケルト系音楽は大好きで数百枚持っているが(「ゴブリンのこれがおすすめ38」を参照)、アイルランドのアニメを観るのは初めてだった。その魅力は何といってもあの独特のケルト的意匠だ。「イギリス小説を読む⑧ イギリスとファンタジーの伝統」で書いたが、イギリスが世界一のファンタジー大国になったのはケルト文化の影響が大きいと思っている。アイルランド、スコットランド、ウェールズ、アーサー王伝説が色濃く残っているイングランドのコーンウォール地方(アーサー王はアングロ・サクソン系ではなくケルト人である)、フランスのブルターニュ地方などにケルト文化が残っている。アイリッシュ・トラッド/ケルト・ミュージックでいえばスペインやカナダの一部にも伝統が残っている。イギリスのファンタジーによく登場する妖精(日本の妖怪に近い)はケルト文化の深い影響を受けている。ケルトの深い森には妖精たちがいつひょいっと姿を現しても不思議でない雰囲気が漂っているのだ。

 もう一つ特筆すべきなのはあの独特のケルト文様である(ケルト十字架の形も独特だ)。あの幾何学的で複雑な文様。他のどこにもない全く独自の物で、いくら眺めても飽きない。このケルト独特の意匠と並ぶのは他にロシアの衣装(意匠)くらいしか思い浮かばない(『ビリービンとロシア絵本の黄金時代』、東京美術をぜひ参照してほしい)。ソ連の古典的アニメ「雪の女王」や「森は生きている」などにもその片鱗が表れている。“カートゥーン・サルーン”は今後どんな作品を生んでゆくのだろうか。19世紀の末にイェーツなどを中心にアイルランド文芸復興運動がおこるが、同時に民話や神話や伝説の掘り起こしと記録を進める運動も起こった。つまり素材は豊富にあるわけだ。これらの素材にどう新しい命を吹き込むのか、あるいは「ブレッドウィナー」のように新しい世界を開拓してゆくのか。これからが楽しみだ。

 最後にもう一度原作に戻ろう。原作のラストはパヴァーナとショーツィアとの別れの場面。2人は20年後の春分の日に再開することを誓い合う。パヴァーナが「どこで?」と聞くとショーツィアは「パリのエッフェル塔のてっぺんよ!」と答える。ショーツィアと別れた後、パヴァーナは一人思いにふける。「二十年。その二十年の間に、いったいなにが待ち受けているのだろう。自分は、まだアフガニスタンにいるだろうか?この国に平和がやってきて、自分は学校にかよい、仕事を持ち、結婚することができるだろうか?」原作が出版されたのは2000年だ。その時は予想もしていなかっただろうが、翌年の9月11日にアメリカであの同時多発テロが起きる。10月には対テロ戦争と称してアメリカなどによるアフガニスタンへの空爆が始まる。以後アフガン紛争はもつれにもつれて、いまだに終結を見ない。そのような状況のもと、2019年の12月に映画版「ブレッドウィナー」が日本で公開された。僕が見たのは2020年である。つまり今年がその20年後なのだ。この20年の間に、パヴァーナが願った事柄のうち一体どれだけが実現されたのだろうか。正直あの二人がパリのエッフェル塔のてっぺんで出会えるとは思えないのが悲しい。そう想いを馳せた時、この現実の重みがわれわれの肩にずっしりと食い込んでくる。

【おまけ 2010年以降のおすすめアニメ】
「ウルフウォーカー」(2020)トム・ムーア、ロス・スチュワート監督、アイルランド・他
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2019)片渕須直監督、日本
「ディリリとパリの時間旅行」(2018)ミッシェル・オスロ監督、仏・独・ベルギー
「ペンギン・ハイウェイ」(2018)石田祐康監督、日本
「ブレッドウィナー」(2017)ノラ・トゥーミー監督、アイルランド・カナダ・ルクセンブルク
「メアリと魔女の花」(2017)米林宏昌監督、日本
「夜明け告げるルーのうた」(2017)湯浅政明監督、日本
「リメンバー・ミー」(2017)リー・アンクリッチ監督、アメリカ
「エセルとアーネスト ふたりの物語」(2016)ロジャー・メインウッド監督、英・他
「この世界の片隅に」(2016)片渕須直監督、日本
「アヴリルと奇妙な世界」(2015)クリスティアン・デマール、他監督、仏・ベルギー・加
「ロング・ウェイ・ノース地球のてっぺん」(2015)レミ・シャイエ監督、仏・デンマーク
「思い出のマーニー」(2014)米林宏昌監督、日本
「ソング・オブ・ザ・シー 海のうた」(2014)トム・ムーア監督、アイルランド、他
「かぐや姫の物語」(2013)高畑勲監督、日本
「父を探して」(2013)アレ・アブレウ監督、ブラジル
「しわ」(2011)イグナシオ・フェレーラス監督、スペイン
「メリダとおそろしの森」(2012)マーク・アンドリュース、他監督、米
「おおかみこどもの雨と雪」(2012)細田守監督、日本
「夜のとばりの物語 ―醒めない夢―」(2011)ミッシェル・オスロ監督、フランス
「パリ猫ディノの夜」(2010)アラン・ガニョル、ジャン=ルー・フェリシオリ監督、フランス
「夜のとばりの物語」(2010)ミッシェル・オスロ監督、フランス

 

2020年11月 6日 (金)

イギリス小説を読む⑪ 『日陰者ジュード』

トマス・ハーディ『日陰者ジュード』:「新しい男と女」の悲劇

【1 トマス・ハーディ著作年表(主な作品のみ)】
1872 Under the Greenwood Tree 『緑樹の陰で』(千城)
1873 A Pair of Blue Eyes 『青い眼』(千城)
1874 Far From the Madding Crowd 『狂おしき群れをはなれて』(千城)
1878 The Return of the Native 『帰郷』(千城)
1886 The Mayor of Casterbridge  『キャスターブリッジの市長』(千城)
1887 The Woodlanders 『森に住む人たち』(千城)
1891 Tess of the D'Urbervilles 『ダーバビル家のテス』(新潮文庫、岩波文庫)
1895 Jude the Obscure 『日陰者ジュード』(岩波文庫、国書刊行会)

【2 『日陰者ジュード』:ストーリー】
<主人公ジュード・フォーレイ>
 ジュードは両親が亡くなったために、ドルシラ伯母の元で育てられている。彼は利発で、伯母が呆れるほどの本好きである。彼は優しい性格で、畑でカラスを追う仕事をしているうちに自分と同じ境遇のカラスに同情してしまい、追い払うのをやめて結局首になってしまう。また道を歩くときもミミズを踏まないように歩くジュードの描写がある。最も印象的なのは豚の解体をするシーンで、ジュードは豚がかわいそうになって一気に殺してしまう。そんな「やさしい心の愚か者」ジュードと「貧乏人だって生きなきゃなんないのよ」と怒る現実的な妻のアラベラが対比される。

・クライストミンスターへの憧れ
 フィロットソン先生がクライストミンスター(オックスフォードの作中名)へ行くのをジュードが見送るところから物語は始まる。フィロットソンには大学に入るという夢があった。ジュードもクライストミンスターへの憧れを募らせる。何度も遠くのクライストミンスターを眺めるシーンが出てくる。遠くから見るクライストミンスターの街はトパーズのように輝いていた。

・アラベラとの結婚
 ジュードが学問について夢想している最中に、アラベラに豚の肉片を投げ付けられる。それがきっかけでアラベラと付き合い出す。アラベラは肉感的な女性で、うぶなジュードを簡単にたぶらかしてしまう。ある時アラベラが妊娠したというので、ジュードは仕方なく彼女と結婚する。後に妊娠が間違いだと聞かされ腹を立てるが、まんまと引っ掛かった自分と世間の通念をいまいましく思うしかなかった。「一時の感情で、永遠の契約を裏づけたことに根本の間違いがあった。」結局夫婦仲は続かず、アラベラはオーストラリアに行ってしまう。残されたジュードはクライストミンスター行きを決心する。

・クライストミンスターへの幻滅
 クライストミンスターに着き、夜夢にまで見た憧れの街に出てみる。彼は古い建物の間を本で知った学識者たちの亡霊が飛び交っている様を空想しながら喜びに浸った。しかし、次の日見ると大学の様子は一変していた。夜見ると理想的だったものが、昼見ると長年の風雨で傷つき古びたものに見えた。そして、あこがれの地に実際にきてみて初めて、自分の前に大学の壁という厚いしきり壁が彼を遮り立ちはだかっていることに気づく。「たった一重の壁...しかし何という越えがたい壁だろうか!」結局ジュードのような貧しい人間の資力と天分では到底大学には入れないと思い知るのである。
 だが、一方で新しい認識に達する。場末の労働者がいなければ、高邁な思想家も生きては行けまい。ジュードは始めて庶民の現実に目を開く。彼らこそクライストミンスターの現実なのだ。ジュードは石工として身を立てることにし、仕事も見つかった。そして偶然いとこのスーを見かける。しかし自分のみすぼらしい格好に気後れして、声をかけられない。スーはとても上品で洗練されているように見えたからだ。

<ヒロインのスー・ブライドヘッド>
 スーも両親をなくし、クライストミンスターで意匠図案家の仕事をしていた。読書好きで、以前は教師をしていた。田舎の生まれだが、後にロンドンに移り、娘時代はクライストミンスターで過ごしたので、すっかり洗練されていた。
 ジュードは最初スーの写真を見て引かれ、実際に会ってからはしだいに彼女への関心が性的なものだと気づいてゆく。しかし彼は既婚者であり、いとこ同士で、しかも彼の血筋は結婚に向かないと伯母からいつも言われていたこともあって、自分の気持ちを抑えていた。しかしスーの方は男に対しては妙に距離を置く女性だった。スーは昔大学生と付き合っていた。大学生の方は彼女に愛人になって欲しかったのだが、彼女がそれにずっと抵抗していたので彼は心がずたずたになり死んでしまった。男に身をまかせないので、冷たい性格、性のない女だといわれるが、それは違うとスーはいう。操を心配することなく男性と付き合いたいのだと。
 しかし彼女の信念は必ずしも一貫したものではない。アラベラへの嫉妬心にかられて突飛な行動に出ることも多い。ある時ジュードはスーに自分は結婚していること、妻は生存していると打ち明けた。そのすぐ後スーはフィロットソンと結婚したのである。ジュードの教師だったフィロットソンは、結局大学へ入る夢を果たせず、今は小学校の校長をしていた。そのフィロットソンにジュードはスーを教師として推薦したのである。
 スーの一番の魅力は社会の因習に逆らい、自由に発言し行動できるところにある。ジュードは古いタイプの男だったが、彼はスーによって一つ一つ考えを改められて行ったのである。彼女はジュードがあこがれたクライストミンスターを痛烈に批判した。大学生よりもあそこの貧民たちの方こそありのままの人生を知っている。ジュードのような者こそが入れるためのクライストミンスターだったのだと。

・スーの結婚の破綻
 フィロットソンとの結婚は結局うまく行かなかった。スーは彼と暮らすことは拷問だと言う。セックスを求められるのが何よりもつらいと。自分が結婚したのは軽率だった。しかし他の人は服従しても、自分は跳ね返して行くのだと。
 スーはある時から押し入れで寝るようになる。スーは別居したいと持ち出す。既に好きでなくなっているのに、このように暮らすのは姦淫だ。結んだ契約は合法的には取り消せないが、道徳的にはできると。フィロットソンはついに別居に同意する。彼にはスーを理解できないが、意地の悪い人間ではない。彼はジュードに対するスーの愛情を理解していた。二人は瓜二つだ。そこには親和や共鳴といったものがあると。

・結婚を拒否するスー
 スーはジュードと出て行く。ジュードとスーの離婚訴訟もそれぞれ片付き、二人は晴れて自由の身になった。二人は同棲を始めたが、スーはジュードと一つの部屋に寝ることを拒否する。もう結婚してもいいだろうとジュードは誘うが、スーはイエスと言わない。そんなことをしたら却って愛が冷めるというのだ。そんなところへアラベラが訪ねてきて、話をしたいからぜひ来てほしいと言って去る。スーは絶対行くなと頼むが、ジュードは何週間も焦らされて来た君以上にアラベラの方が妻だとあてつける。そう言われてついにスーも折れる。二人は結婚することに決め、アラベラは放っておくことにする。二人は結婚の手続きをしに行くが、直前でスーの気が変わりまた引き返す。
 ある日アラベラから手紙が来て、実はジュードとの間に子供が一人いて、ジュードに引き取ってもらえないかと書いてきた。ジュードとスーは喜んで引き取ることにする。アラベラの子は子供の仮面を付けた老人だった。スーはその子にジュードの面影があるのを見てショックを受ける。
 子供がきたことによって二人は再び結婚の手続きをする決心をする。二人は役場まで行くがまたしても気がくじけてやめる。教会の前を通るとそこでも結婚式を上げているので覗いてみる。まるで取引の契約を取り交わすみたいだとスーは思う。

・二人を追い詰める世間の圧力、そして破局
 そのうち変な噂がたちだした。二人は「重苦しい圧迫的な一つの雰囲気」、「二人を押さえ付ける邪悪な影響力」を感じ始める。二人がやっと見つけた教会の銘文を修繕する仕事をしていると、それを見た女たちに当てつけがましく「本当の夫婦じゃないようよ」と当てこすりを言われた。結局ジュードはその仕事を断られ、さらに職人の協会の委員からも締め出され、いやでも町を出て行かざるを得なくなる。それから2~3年の間ジュードたちは各地を転々とした。その間に二人には二人の子供ができていた。
 ジュードとスーは最後にもう一度彼の「脇腹に刺さった刺のような街」クライストミンスターにやってくる。そこで宿を探しに行くが子連れであるため次々に断られ、ようやく一軒見つかった。翌朝スーが出掛けて戻ってくると、子供が多すぎることが苦労の原因だと思ったアラベラの子供がスーの子供二人を絞め殺し、自らも首を吊って死んでいた。スーは耐え難いほどのショックを受け、彼女の精神は崩壊してしまう。こうなったのは自分のせいだ、自然を有りのままに楽しもうとした報いとして、運命が自分達の背中を突き刺したのだと言い張る。「神」と戦っても無駄だと。ジュードは戦う相手は「人と無情な環境」だと説得するが、スーは自分にはもう戦う力が残ってないと答える。
 スーは自分はまだフィロットソンの妻だと思うと言い出す。ジュードの崇めていた因襲や形式的儀礼を批判していたスーはもういない。彼女は自分を軽率だったと反省し、自己否定こそもっと高尚な道だとまで言う。スーはジュードに再びフィロットソンと結婚すると告げる。

・スーとフィロットソンの再婚、ジュードとアラベラの再婚
 スーとフィロットソンは以前と同じように式を上げる。ジュードの伯母エドリン夫人は参列をあくまで拒んだ。エドリン夫人は「婚礼は取りも直さず葬式じゃ」と嘆く。スーは自分でもフィロットソンを愛していないことをジュードに認めていた。スーを迎えたフィロットソンがスーに口づけをしようとすると、スーの肌は引きつった。また客間の机の上にあった結婚許可証を一瞥したときにも、己の棺を見た死刑囚のような表情をして「あっ!」と叫んでしまう。
 スーが結婚した後、アラベラがまたジュードのもとに舞い戻ってくる。アラベラは、スーの結婚以来酒に溺れているジュードを酔わせ続けて、何日か後にジュードをうまくだますようにして結婚式を挙げてしまう。
 失意の中でジュードは二人の関係を振り返る。

 「僕たちはつらい不幸な事件に遭遇して、彼女の知性は崩壊し、彼女はぐるりと闇に向かってしまったんだ。...ずっと以前、僕たちが最善の状態にあったころ、二人の知性が明晰で、真理への愛が恐れを知らなかったころ、その頃のスーと僕にとって、時はまだ熟していなかったんだ。僕たちの考えは50年早すぎて、僕たちに役立つものになり得なかったんだ。だから僕たちの考えは反対にあって、それが彼女の中に反動を引き起こし、僕の身に無分別と破滅をもたらしたんだ。」

 クライストミンスターのお祝いの日。にぎやかな町中を歩いていたアラベラが家に戻るとジュードは誰にも看取られずに死んでいた。

【作品の読み方】
1 現代悲劇の視点から
 悲劇は、人間の到達したある特定の発展段階において、人間にとって解決不可能な状況が発生したときに起こる。18世紀と19世紀におけるそのような状況...とは、解放を求める女性たちの広がりつつある意識(それは国会議員の選挙などのような単なる形式的な解放のことではない)と、階級社会にとってはそのような自由を認めれば必ずその不可欠な部分を損なうことになるという状況であった。
 アーノルド・ケトル『イギリス小説序説』(研究社)

2 教養小説の視点から
 ひとりの人間の成長過程を描くという教養小説の基本的な形式は、言うまでもなく、個性的な人格として人間をとらえる視点なしには成立しえない。中世封建社会の終焉(あるいはその予感)と、近代的な個人的自我の自立が、不可欠の前提である。だが、自立した瞬間に、社会がひとつの外的世界と化し、その外的世界との軋轢をわが身に引きうけねばならなかったということこそは、近代的自我にとっての根本的な不幸だった。中世的共同体の桎梏から解き放たれたとき、<私>は、帰るべき<われわれ>の故郷と、調和的な生の基盤と舞台とを失ったのである。
 池田浩士『教養小説の崩壊』(現代書館)

3 「ニュー・ウーマン」小説の視点から
 新しい女性とは、それまで女性が基本的に目標としていたものを拒否する人々である。しかし必ずそのしっぺ返しがあり、彼女たちは皆考えを改めるか、死を迎える。
 スーを「フェミニスト運動の女」と呼ぶのは単純。彼女は何の圧力団体にも属さず、選挙権にも触れず、女性の全体状況については意識していない。この最後の点が彼女の限界の大きな原因。
(メリン・ウィリアムズ)

 『日陰者ジュード』は伝統的役割と人格からの解放を求めるヴィクトリア朝のヒロインの戦いのクライマックスをなす。新しい女の世代が求めてきた完全な自己認識と精神の自立の帰結なのだ。自由を求めるスーの熱烈な願望は性的自立という形で現れる。彼女はテスにはない知的な内面生活を持ったヒロイン。ハーディの唯一の知的ヒロインである。テスは認識のレベルではなく、感情のレベルで行動した。
 (ロイド・ファーナンド)

4 ヒロイン:スー・ブライドヘッド
 スーの魅力はまさに、彼女が何物にもとらわれずに行動するところにある。彼女の行動が一貫しないように見えるのは、それだけ因習的な縛りから自由であるからだ。むしろ、複雑で矛盾に満ちた彼女の性格は、型にはまった従来のヒロインたちよりもずっと現代的である。因習的なものを攻撃する彼女の矛先は、クライストミンスターのみならず、古い価値観にとらわれていたジュードにも向けられる。
 彼女の最も特異な点は結婚そのものに対する姿勢である。フィロットソンとはあっさり結婚するものの、ジュードとは二度も寸前まで行きながら結婚をためらう。この一貫しない態度が彼女の評価を分けている。スーを批判するものは彼女を「性をもたない女」「気まぐれな女」「最後にジュードを裏切った女」と呼ぶ。確かに、スーの限界が時として、ヴィクトリア朝時代の女性全般がもっていた限界というよりも、彼女自身の個人的性格からくる限界であるように見えるときがある。
 スーの弱さはしばしば感情的に行動してしまう所に見られるが、また彼女が理想主義者だったからでもある。理想主義者は不十分な現実を批判できるが、一方で現実の厳しい矛盾とぶつかったときには無力である。結婚や性関係を極度に恐れるのは彼女のもろさから来るものであるが、また女性を長い間苦しめてきた結婚制度という縛りから逃れたいという気持ちからもきている。どうしても結婚に踏み切れないスーの背後に女性たちがたどってきた苦い歴史をどれだけ読み込めるかが評価の分かれ目となる。
 スーが最後に180度考え方を変えてしまうのをどう考えるか。彼女を裏切り者と見なすのか。そう言い切るには彼女の最後の状態はむごすぎる。愛してもいない男のもとに帰り、顔を背けながら相手に抱かれているスーの姿はグロテスクなほどむごいものである。フィロットソンとの二度目の結婚の後、彼が死んだのではないかとスーが期待する場面がある。ここには夫が死ぬか自分が逃げ出すか、さもなければ夫を殺すかしなければ自分の苦しみから解放されない女性の縛り付けられた状態が表現されている。多くの扇情小説やニュー・ウーマン小説のヒロインたちも同じ願望をもったのだ。スーの最後のおぞましい姿はヴィクトリア時代の「家庭の天使」のぞっとするような裏面が描かれているのだ。ハーディが描きたかったのは女性が自由でない限り、男も決して自由ではないということではないだろうか。

5 現代悲劇としての『日陰者ジュード』
 ハーディの悲劇観は運命論に基づく観念的なものである。ジュードは50年後には自分たちのような存在や考え方が認められているだろうと言うが、ではその間の状況を変えてゆく要因は何か。ハーディは明確にはしていない。ジュードは民衆を発見するが、その民衆は未来を作る(変える)積極的な力をもつ存在として描かれてはいない。
 しかし、ジュードとスーの悲劇的状況はハーディ自身のペシミズムのみから生じたのではない、彼らが突き当たった矛盾が彼らの挫折を避けがたくするほど強力だったからでもある。彼らの突き当たった困難は彼ら個人の問題のレベルを超えていた。因習的な世界の中で自由であろうとすればするほど、彼らは自由を奪われていった。人間は時空を越えて生きることはできない。彼らはヴィクトリア時代の価値観からはみだしていたが、それでも彼らはまぎれもなくヴィクトリア時代に生き、悩み、苦しんでいる時代の子であった。『ジュード』をその多くの欠陥にもかかわらず、根底において支えていたもの、それはジュードとスーに対する作者の共感と彼らを悲劇に追いやった社会への批判的姿勢である。困難な状況に対する彼らの抵抗は敗北に終わったが、彼らが求めたものはまた多くの人々の潜在的願望であり、また彼らの抵抗の姿勢は未来につながっていた。現代の読者が彼らに共感を覚えるのはまさにその点である。
 『日陰者ジュード』の根底にある考え方は、「人間は自由なものとして生まれた、しかしいたるところで鎖につながれている」(『社会契約論』)というルソー的概念である。人間を縛る鎖は人間が作ったものだと、ルソーは断言した。彼らの足首につながれた鎖は同時代の多くの人びとの足首にもつながれていた。それはまた彼らの先人たちの足を固定していたのであり、現代に至っても完全にははずれていない。しかしジュードたちが気づくよりずっと早くから多くの人びとが自分の足首の鎖に気づき、断ち切ろうと努力し始めていた。今では既にボロボロになった鎖に付いている古い傷のいくつかはスーとジュードが付けたものなのだ。

 

<追記>
 「イギリス小説を読む」シリーズは20年前(まだブログを始める前)に入門者向けに書いた記事です。ブログには『土曜の夜と日曜の朝』まで9本載せていました。しかしフォルダーの奥深くまで分け入って昔書いた記事を探っていたら、『大いなる遺産』と『日陰者ジュード』という大物が2本残っていました。ずいぶん古い記事ですが、何かの役には立つかもしれないと思い掲載することにしました。

イギリス小説を読む⑩『大いなる遺産』

ジェントルマンへの憧れと幻滅 チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』

チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens:1812―1870) 著作年表
Sketches by ‘Boz '(1836) 『ボズの素描集』(国書刊行会)
The Pickwick Papers (1837) 『ピクウィック・クラブ』(ちくま文庫)
Oliver Twist (1838) 『オリヴァー・ツイスト』(ちくま/新潮文庫)
Nicholas Nickleby 1839) 『ニコラス・ニクルビー』(こびあん書房)
The Old Curiosity Shop (1841) 『骨董屋』(ちくま文庫)
Barnaby Rudge (1841) 『バーナビー・ラッジ』(集英社)
A Christmas Carol (1843) 『クリスマス・キャロル』(中編)(新潮文庫)
Martin Chuzzlewit (1849) 『マーティン・チャズルウィット』(ちくま文庫)
Dombey and son (1848) 『ドンビー父子』(こびあん書房)
David Copperfield (1849-50) 『デヴィッド・カパフィールド』(新潮/岩波文庫)
Bleak House (1853) 『荒涼館』(ちくま文庫)
Hard Times (1854) 『ハード・タイムズ』(英宝社)
Little Dorrit (1857) 『リトル・ドリット』(ちくま文庫)
A Tale of Two Cities (1859) 『二都物語』(新潮/岩波文庫)
Great Expectations (1861) 『大いなる遺産』(新潮/角川文庫)
Our Mutual Friend (1864 - 65) 『我らが共通の友』
The Mystery of Edwin Drood (1870)  『エドウィン・ドルードの謎』(創元文庫)

『大いなる遺産』:鍛冶屋とジェントルマン 二つの価値の葛藤
<全体の構成:3部からなる、第1部1~19章、第2部20~39章、第3部40~59章>

[第1段階]
 第1章~第3章にかけての冒頭場面:イギリス文学で最も優れた冒頭場面の一つ。クリスマス・イヴの前の日。教会の墓地や沼地は故郷のチャタムのイメージを書き込む。

・冒頭場面のイメージ
→墓地、水路標、絞首台、海賊、古い砲台、沼地、霧、監獄船、囚人、足かせ、恐怖

 ピップは脱獄した囚人に脅され、食料と足かせを切るためのヤスリを家から盗んでもってくる。囚人は食料を犬のようにむさぼり食う。彼はピップに感謝し、後に捕まった時自分が食料とヤスリを盗んだと言ってピップをかばう。

 ピップは姉のミセス・ジョーとその夫のジョーと暮らしている。ミセス・ジョーは猛烈に厳しい女性で、一方のジョーは鍛冶屋で気は優しいが力持ちタイプの男。

 ピップは大きくなったらジョーの弟子になることになっていた。そんなある日、ピップはミス・ハヴィシャムという変わり者のお金持ちの婦人の話し相手として、彼女の屋敷(サティス荘)へ行くことになる。(7章まで)

・次の8章は第1部の中で最も重要な章。ピップはここで彼の運命を決定的に変えてしまうような経験をする。ミス・ハヴィシャムの家は陰気な家で、窓はすべて締め切ってあった。ここでエステラという、ピップくらいの年齢だが、女王様のように高慢で美しい女性と出会う。ミス・ハヴィシャムは、全身白ずくめの婚礼衣装を着ているが、その白さは既に黄ばんでおり、体も骨と皮ばかりの女性だった。破れたハートをもった貴婦人。ミス・ハヴィシャムはエステラにピップとトランプをするように言う。ピップはさんざん馬鹿にされ屈辱を味わい、泣き出してしまう。

 この章が重要なのは、この苦い屈辱を受けた後、ピップの考えや価値観が根本的に変わってしまうから。彼はそれまでジョーと彼の職業(鍛冶屋)を誇りにし、いずれは自分もジョーのようになるんだと思っていたが、それが今ではすっかり下品で卑しいことのように思えてしまった。ここに『大いなる遺産』の主題である二つの価値をめぐる葛藤が、基本的に示されている。ジェイン・エアもエリザベス・ベネット(ジェーン・オースティン著『高慢と偏見』のヒロイン)もいろいろ迷った末ジェントルマンと結婚したが、ジェントルマンの価値そのものを根本から問うことはしなかった。

 ピップは散々辱めを受けながらも、美しくかつ高慢なエステラにひかれる。彼女の魅力が単にその美しさだけにあったのでないことは、「いやしい労働者の子供」「ざらざらした手」「厚いどた靴」といった表現に端的に示されている。ピップがエステラにひかれたのは、彼女がレディだったからである。ピップは自分がいかに下等であるか思い知らされて、屋敷を去る。ピップの人生に大きな変化を引き起こしたこの日以来、かつて神聖だと思っていた家庭や、独立するための道だと信じていた鍛冶場などは、みな粗野で下等なものになった。

 ピップは幼なじみのビディに、ジェントルマンになりたいと告白する。ビディは今のままの方が幸福だと思わないかと答える。ビディはジョーと並んで、『大いなる遺産』の肯定的価値を体現している人物である。「平凡な商売やかせぎの人物は、平凡な人間とまじわっていたほうが、えらいひとたちのところへ遊びに出かけるよりも、よくはないかな」(9章)というジョーの考え方は、ピップのジェントルマン志向の対局にある。要するに、自分の分を知り、分相応に堅実に生きる方がよいという考え方である。

 ピップはジョーやビディの価値観とエステラの価値観の間で何度も揺れ動く。時にはジョーとの生活こそが自分に幸福を与えてくれると思い、やさしく聡明なビディにひかれることもあるが、手の届かぬエステラへの憧れを忘れることもできなかった。

 ピップは契約を交わしジョーの年季奉公人(弟子)になるが、とてもジョーの職業を好きになれそうもないと思う。しかしピップはだんだん俗物になりながらも、絶えずその一方で、良心の痛みも感じている。もし小さかったころの半分でも鍛冶場が好きだったら、そのほうが自分のためにずっと良かっただろう、それならばビディと結婚したかも知れないと思ったりもする。

 そんなピップに18章で思わぬ転機が訪れる。ジャガーズという弁護士から、ピップが莫大な遺産を相続する見込みがあり(原題の”Great Expectations” は「大いなる遺産相続の見込み」という意味である)、ピップがジェントルマンとして教育されることをその財産の所有者が望んでいると聞かされる。夢にまで見たジェントルマンになれるのである。その遺産の持ち主の名は明かされなかったが、ピップはミス・ハヴィシャムに違いないと思う。ピップがジェントルマンになると聞いて周りの人達の態度がガラリと変わるのがこっけい(ディケンズの作品は基本的にユーモラスでコミカルな文体で書かれている)。19章でピップは「偉大なるものの世界」ロンドンへ向かう。ここで第1段階は終わる。

 →参考資料参照
  ・資料➀ 「ジェントルマン」の概念
  ・資料② 「家庭の天使」の概念

 

[第2段階]
 20章で描かれるロンドンは醜く、奇形で、薄汚い都会である。ジャガーズの事務所の近くにはニューゲート監獄があった。ピップはすっかりロンドンがいやになる。ロンドンに来るなり過去の恐怖(囚人との出会い)がよみがえる。

 弁護士ジャガーズとその書記であるウェミックという人物は、この汚れたロンドンという街に対して独特の対処法をもっている。この二人の人物造形は傑作。

 ピップはマシュー・ポケット氏のもとでジェントルマンとしての教育を受け、その息子のハーバートという青年と一緒に暮らす。ピップはぜいたくを覚え、借金をたくさん作る。ピップのジェントルマン教育の内容はあまりよく描かれていない。ディケンズは上流の生活を良く知らないので、うまく描けなかったとよく言われる。しかしピップがスノッブ(俗物)になって行く過程はよく描けている。

 ジョーがロンドンまで出て来ると手紙で知らされた時、ピップは金で何とかジョーと会うことを断れないかと考える。卑しい身分のジョーと会うのがいやだったのである。ジョーはピップを「サー」と呼び終始堅苦しかったが、ピップはそれが自分のせいだということが分からない。

 ジョーの存在は、今では、ヤスリや監獄、絞首台、脱獄囚などと同じ過去の汚点、ピップの心の古傷であった。これらはしばしば思わぬ所に現れ、過去の汚点と恐怖におびえるピップの心理をうまく描き出している。

 ミス・ハヴィシャムは昔ある男にだまされ、結婚式の当日結婚を破棄するという手紙をもらったことがやがてわかる。それ以来彼女は今のようになってしまったのだ。エステラは男性に対するミス・ハヴィシャムの復讐の道具だった。

 38章で、ミス・ハヴィシャムはエステラがあまりに冷酷なほど無関心なので非難すると、エステラは「このわたしは、あなたがお作りになったままの人間です」とやり返す。ミス・ハヴィシャムは愛情がほしいというが、エステラはあなたからもらっていない物を与えよと言われてもできないと冷たく答える。

・39章は第2部の終わりだが、この章は一つのカタストロフィ(崩壊)の始まりである。第2部で最も重要な章であり、作品全体の中でも極めて重要な章だ。ここでピップのジェントルマンになるという夢は崩壊する。

 ピップが23歳になったある嵐の晩、一人の男がピップを訪ねて来る。しばらく言葉を交わすうちに、彼は自分が食料とヤスリをもって行った例の囚人だということに気づく。さらにもっと大きな衝撃が彼を待っていた。彼こそがあの遺産の贈与者だったのだ!自分をジェントルマンに育てたのは囚人の金だった!失望と屈辱がピップを押し流す。

 囚人の男はオーストラリアに流され、そこで一生懸命働き、一財産作った。そしてこの男はイギリスに戻れば死刑だと知っていながら、昔ピップに受けた恩を返すために戻って来たのだ。しかしそれはピップにとって破滅を意味した。ここで第2段階は終わる。

 

[第3段階]
 ピップはこんな男と一緒にいることに不安を感じた。その男の名前はマグウィッチという。野卑な動作で食べ物をがつがつ食べる姿は、飢えた年寄り犬そっくりだとピップは思う。ジェントルマン教育を受けていたピップを密かに悩ましていた忌まわしい過去の汚点。最も忌み嫌っていたものと自分のジェントルマンの地位が結び付いていたのだ!一体彼はどんなことをしてきたのだろうと怪しみ、ピップはついに彼から逃げ出したいという衝動を覚える。結局ピップは彼をこのままニューゲート監獄の近くに置いておくよりも、何とか外国へ連れ出す方が自分のためにもよいと判断する。そしてその口実を見つけるために、マグウィッチの過去を聞き出そうとする。

 42章はマグウィッチの回想だが、ここは第3部で最も重要な章である。マグウィッチの一生は牢屋に入って牢屋を出、牢屋に入って牢屋を出というものだった。あるものは彼の頭を測ったという(当時悪人であるかないかは、頭の大きさで分かるという考えがあった)。「頭なんかよりわしの胃袋を測りゃよかったんだ。」あるとき彼はコンペイソンという男と知り合う。コンペイソンはパブリック・スクール出で、学問があった。悪知恵の働く男で、口もうまく、顔もこぎれいだった。二人が裁判にかけられた時、その判決は差別的なものだった。

 このようなひどい扱いを受けていた男が、ピップによって初めて親切を受けたのである。このマグウィッチの回想は『大いなる遺産』の中でも極めて印象的かつ重要な部分である。虐げられたものの悲惨な運命が実にリアルに描かれている。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』にはこのような世界は全く枠の外に置かれていた。シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』では少女時代のジェインに対する不当ないじめがリアルに描かれているが、社会の最下層の人間が焦点を当てられることはなかった。ディケンズのほとんどすべての作品に、社会の最下層で生きる人物たちが登場する。最下層の人間の非人間的な実態に芸術的な表現を与えたこと、これこそディケンズが作家として成し遂げた偉大な功績の一つである。しかも、ディケンズはコンペイソンという人物を配することによって、ここでも階級の問題を取り入れている。また、後にミス・ハヴィシャムをだました男とは、このコンペイソンだということが明らかになる。

 この告白の後マグウィッチに対するピップの意識は決定的に変わってしまう。今では心から彼のためを思って、彼を安全に海外へ逃がそうと考える。残念ながら、この後の部分はストーリーの展開(いかにマグウィッチを逃がすか)が中心になり、それまでの部分の力強さが必ずしも維持できていない。だが、ピップがマグウィッチに信頼を感じて行く過程は全体のテーマとも関連して重要である。

<この後の部分の主な内容>
・ミス・ハヴィシャムはあやまって服に火がつき火傷をして、それが原因で死んでしまう。
・第3部のクライマックスは54章、ピップたちが川を下って船にマグウィッチを乗せて海外へ逃がそうとする場面。しかし寸前のところでコンペイソンと警察が現れ、ボートは汽船と衝突してしまう。マグウィッチは大ケガをし、逮捕される。脱出に失敗したマグウィッチのとなりに腰掛けたピップはそこに恐ろしい囚人とは全く別の人間を見いだす。
・マグウィッチは死刑の判決を受けるが、死刑になる前に死ぬ。死に際にピップは “Dear Magwitch”と呼びかけた。
・マグウィッチの財産は没収された。ピップは故郷に帰ってビディと結婚しようと思うが、帰ってみると何とその日はビディとジョーの結婚式の日だった(ジョーの前妻であるピップの姉はすでに亡くなっていた)。ピップは鍛冶場を去り、イギリスを去る。
・ハーバートの会社に勤め、何年か後に彼の共同経営者になった。11年ぶりにジョーの家に行くとピップそっくりの男の子がいた。ピップはまだ独身である。その夜ピップはサティス荘へ行って、偶然エステラと出会う。彼女は不幸な結婚をしたが、2年前に夫が死んでいた。二人はいつまでも友達でいることを約束して一緒に屋敷を出る。

 

資料➀ 階級社会/ジェントルマン/ジェントリー
 村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)より

ジェントルマンとは、...第一義的に、イギリスに特有な有閑階級のことなのであって、19世紀の前半には、ジェントルマン、ノン・ジェントルマンの区別は、なおすぐれて支配、被支配の区別に対応するものであった。だが、ジェントルマンをジェントルマンたらしめるのは、支配という要素だけではない。おそらくより重要であったのはジェントルマンの教養で、この点でパブリック・スクールとオックスブリッジが大きな意味をもつ。(p.127)
 ジェントルマンになるためには、...ジェントリ=地主になるか、ジェントルマン教育コースに学ぶか(そしてその後、たいていはジェントルマンのプロフェッションにつく)のいずれかしか道はなかったことになる。ところが幸い、16世紀以来のイギリス社会は「開かれた貴族制」で、ここから中流階級のジェントリ=地主ないしジェントルマンをめざす社会移動の問題が生まれた。そしてこの問題が、なかんずく大きな史的意義を持ったのは、19世紀、わけてもジェントルマン化意識が、いうなれば大量現象として、中流階級のエートス[時代風潮]と化した19世紀中葉においてであった。(p.131)

※ジェントルマンに含まれるのは、貴族、ジェントリは言うまでもなく、国教会聖職者、法廷弁護士、内科医、上級 官吏、陸海軍士官などのプロフェッションにつくものである。

資料② 家庭の天使
 川本静子「清く正しく優しく--手引き書の中の<家庭の天使>像」
『英国文化の世紀3 女王陛下の時代』(研究社出版、1996年)所収

 ヴィクトリア時代の理想の女性像。良妻賢母の理想像の背後には、言うまでもなく、男は公領域(=職場)、女は私領域(=家庭)という性別分業がある。工業化の進展が家庭と職場の完全な分離をもたらしたなかで、男には生活の糧を得るために家の外で経済活動に従事することが、女には良き妻、賢い母として家庭を安らぎの場とすることが、それぞれ期待されていたのだ。つまり、家庭は激烈な生存競争の場たる職場からの避難所、安らぎと憩いの聖域として位置づけられ、女はそこで生存競争の闘いに傷ついて戻る男を迎え、その傷を癒し、男の魂を清める天使の役割を割りふられていたのである。ということは、男性領域たる職場と女性領域たる家庭が相携えて産業資本に基づく社会の歯車を円滑に回転させていたということであろう。<家庭の天使>とは、端的に言って、イギリス産業資本がその支配権確立の一環として制度化した「理想の女性」にほかならないのである。

 

<関連記事>
「オリバー・ツイスト」(2005) ロマン・ポランスキー監督

2020年11月 2日 (月)

ショーン・コネリー追悼

 つい2日前の10月31日にショーン・コネリーが亡くなった。好きな俳優だったのでここに謹んで哀悼の意を表し、彼についての思い出を語ろうと思う。僕らの世代ではショーン・コネリー(1930年~2020年)と聞いてまず思い浮かべるのは007シリーズだろう。イギリスを代表するシリーズもので、いまだにボンド役を替えて続いている。末尾のベスト・テンにも2本入れているが、正直このシリーズは大して好きではない。当時絶大な人気で、次のボンドガールは誰だそうだとよく話題になっていたが、僕自身は特に強く関心を持ったことはない。正直どれも同じ感じで、映画日記を観ないとどれを観てどれを観ていないかも判然としない。それに何といってもショーン・コネリーの、颯爽とはしているものの、脂ぎったどや顔はあまり好きになれなかった。そういえば数千枚あるDVDコレクションの中に007物は1枚もない(ショーン・コネリー版以外も含めて)。それでも歴代のボンド役で誰が一番かと問われれば、迷うことなくショーン・コネリーと答えるだろう。僕にとって、いや僕らの世代にとってと言わせてもらおう、ショーン・コネリー以外のジェームズ・ボンドはすべて彼の代役に過ぎない。それくらい圧倒的な存在感があったことは確かだ。

 007時代では「男の闘い」がダントツで優れている。名優リチャード・ハリスとの丁々発止のやり取りが見事で、初期の最高傑作だと思う。その後70年代から80年代半ばまで長い低迷期が続く。渋みが増し、味のある役者として第一線に復帰してきたと感じたのは1986年の「薔薇の名前」だ。堂々たる存在感で、名優の風格が漂っていた。役者として見た場合、これ以降の作品に代表作が集中している。もちろん重厚な役だけではなく飄々とした役もこなす。「薔薇の名前」以降では「アンタッチャブル」、「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」と「小説家を見つけたら」が特に良い。

 しかし作品年表を見てみると、90年代以降はそれ程突出して優れたものはあまりない。良い役者なのだが、どうも今一つ作品に恵まれていない気がする。こうやって振り返ってみると、80年代半ばから90年代半ばまでが役者として一番充実していた時期かもしれない。

 僕はあくまで作品中心に考えるので、監督にしろ俳優にしろ個人のパーソナルなことには一切関心がない。だから彼の死亡記事を見て、あれこれ調べて初めて彼がスコットランド出身だと言うことを知った。スコットランド人としてのプライドも高く、ジェームズ・ボンドもスコットランド出身にしてスコットランドのアクセント(訛り)を直さなかったという。う~ん、ボンドがスコットランド出身とは知らなかった。そういえばショーンはアイルランド系の名前だ(英語のジョンに当たる)。どうして気が付かなかったのか、われながら情ない。まあアクセントについては、当時のテレビでの映画放送はほとんど吹替だったから気づきようもなかったわけだが、たとえ字幕版だったとしても気づいたかどうか。

 それはともかく今晩はショーン・コネリーを偲んで「アンタッチャブル」でも観てみよう。

【ショーン・コネリー マイ・ベスト・テン】
「007/ロシアより愛をこめて」(1963) テレンス・ヤング監督、イギリス
「007/ゴールドフィンガー」(1964) ガイ・ハミルトン監督、イギリス
「男の闘い」(1969) マーティン・リット監督、アメリカ
「薔薇の名前」(1986) ジャン=ジャック・アノー監督、仏・西独・伊
「アンタッチャブル」(1987) ブライアン・デ・パルマ監督、アメリカ
「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」(1989) スティーヴン・スピルバーグ監督、アメリカ
「レッド・オクトーバーを追え」(1990) ジョン・マクティアナン監督、アメリカ
「理由」(1995) アーネ・グリムシャー監督、アメリカ
「ザ・ロック」(1996) マイケル・ベイ監督、アメリカ
「小説家を見つけたら」(2000) ガス・ヴァン・サント監督、アメリカ

 

 

2020年11月 1日 (日)

先月観た映画 採点表(2020年10月)

「街の灯」(1931)チャールズ・チャップリン監督、アメリカ ★★★★★
「オフィシャル・シークレット」(2018)ギャヴィン・フッド監督、イギリス ★★★★☆
「ブレッドウィナー」(2017)ノラ・トゥーミー監督、アイルランド・カナダ・ルクセンブルク ★★★★☆
「阿修羅のごとく」(2003)森田芳光監督、日本 ★★★★☆
「あなた、その川を渡らないで」(2014)チン・モヨン監督 韓国 ★★★★☆▽
「ウエスタン」(1968)セルジオ・レオーネ監督、イタリア・アメリカ ★★★★△
「お父さんと伊藤さん」(2016)タナダユキ監督、日本 ★★★★△
「わたしたち」(2015)ユン・ガウン監督、韓国 ★★★★
「脱出」(1944)ハワード・ホークス監督、アメリカ ★★★★
「舞台恐怖症」(1950)アルフレッド・ヒッチコック監督、イギリス ★★★☆
「いま、会いにゆきます」(2004)土井裕泰監督、日本 ★★★☆

 

主演男優
 5 チャールズ・チャップリン「街の灯」
    チャールズ・ブロンソン「ウエスタン」
   ヘンリー・フォンダ「ウエスタン」
   ハンフリー・ボガート「脱出」
   リリー・フランキー「お父さんと伊藤さん」

主演女優
 5 キーラ・ナイトレイ「オフィシャル・シークレット」
 4 上野樹里「お父さんと伊藤さん」
   深津絵里「阿修羅のごとく」
   黒木瞳「阿修羅のごとく」
   大竹しのぶ「阿修羅のごとく」
   竹内結子「いま、会いにゆきます」

助演男優
 5 藤竜也「お父さんと伊藤さん」
 4 レイフ・ファインズ「オフィシャル・シークレット」
   リス・エヴァンス「オフィシャル・シークレット」
   ジェイソン・ロバーズ「ウエスタン」
   アラステア・シム「舞台恐怖症」

助演女優
 5 木村佳乃「阿修羅のごとく」
 4 ローレン・バコール「脱出」
   八千草薫「阿修羅のごとく」
   クラウディア・カルディナーレ「ウエスタン」

 

« 2020年10月 | トップページ | 2020年12月 »