ジェントルマンへの憧れと幻滅 チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』
チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens:1812―1870) 著作年表
Sketches by ‘Boz '(1836) 『ボズの素描集』(国書刊行会)
The Pickwick Papers (1837) 『ピクウィック・クラブ』(ちくま文庫)
Oliver Twist (1838) 『オリヴァー・ツイスト』(ちくま/新潮文庫)
Nicholas Nickleby 1839) 『ニコラス・ニクルビー』(こびあん書房)
The Old Curiosity Shop (1841) 『骨董屋』(ちくま文庫)
Barnaby Rudge (1841) 『バーナビー・ラッジ』(集英社)
A Christmas Carol (1843) 『クリスマス・キャロル』(中編)(新潮文庫)
Martin Chuzzlewit (1849) 『マーティン・チャズルウィット』(ちくま文庫)
Dombey and son (1848) 『ドンビー父子』(こびあん書房)
David Copperfield (1849-50) 『デヴィッド・カパフィールド』(新潮/岩波文庫)
Bleak House (1853) 『荒涼館』(ちくま文庫)
Hard Times (1854) 『ハード・タイムズ』(英宝社)
Little Dorrit (1857) 『リトル・ドリット』(ちくま文庫)
A Tale of Two Cities (1859) 『二都物語』(新潮/岩波文庫)
Great Expectations (1861) 『大いなる遺産』(新潮/角川文庫)
Our Mutual Friend (1864 - 65) 『我らが共通の友』
The Mystery of Edwin Drood (1870) 『エドウィン・ドルードの謎』(創元文庫)
『大いなる遺産』:鍛冶屋とジェントルマン 二つの価値の葛藤
<全体の構成:3部からなる、第1部1~19章、第2部20~39章、第3部40~59章>
[第1段階]
第1章~第3章にかけての冒頭場面:イギリス文学で最も優れた冒頭場面の一つ。クリスマス・イヴの前の日。教会の墓地や沼地は故郷のチャタムのイメージを書き込む。
・冒頭場面のイメージ
→墓地、水路標、絞首台、海賊、古い砲台、沼地、霧、監獄船、囚人、足かせ、恐怖
ピップは脱獄した囚人に脅され、食料と足かせを切るためのヤスリを家から盗んでもってくる。囚人は食料を犬のようにむさぼり食う。彼はピップに感謝し、後に捕まった時自分が食料とヤスリを盗んだと言ってピップをかばう。
ピップは姉のミセス・ジョーとその夫のジョーと暮らしている。ミセス・ジョーは猛烈に厳しい女性で、一方のジョーは鍛冶屋で気は優しいが力持ちタイプの男。
ピップは大きくなったらジョーの弟子になることになっていた。そんなある日、ピップはミス・ハヴィシャムという変わり者のお金持ちの婦人の話し相手として、彼女の屋敷(サティス荘)へ行くことになる。(7章まで)
・次の8章は第1部の中で最も重要な章。ピップはここで彼の運命を決定的に変えてしまうような経験をする。ミス・ハヴィシャムの家は陰気な家で、窓はすべて締め切ってあった。ここでエステラという、ピップくらいの年齢だが、女王様のように高慢で美しい女性と出会う。ミス・ハヴィシャムは、全身白ずくめの婚礼衣装を着ているが、その白さは既に黄ばんでおり、体も骨と皮ばかりの女性だった。破れたハートをもった貴婦人。ミス・ハヴィシャムはエステラにピップとトランプをするように言う。ピップはさんざん馬鹿にされ屈辱を味わい、泣き出してしまう。
この章が重要なのは、この苦い屈辱を受けた後、ピップの考えや価値観が根本的に変わってしまうから。彼はそれまでジョーと彼の職業(鍛冶屋)を誇りにし、いずれは自分もジョーのようになるんだと思っていたが、それが今ではすっかり下品で卑しいことのように思えてしまった。ここに『大いなる遺産』の主題である二つの価値をめぐる葛藤が、基本的に示されている。ジェイン・エアもエリザベス・ベネット(ジェーン・オースティン著『高慢と偏見』のヒロイン)もいろいろ迷った末ジェントルマンと結婚したが、ジェントルマンの価値そのものを根本から問うことはしなかった。
ピップは散々辱めを受けながらも、美しくかつ高慢なエステラにひかれる。彼女の魅力が単にその美しさだけにあったのでないことは、「いやしい労働者の子供」「ざらざらした手」「厚いどた靴」といった表現に端的に示されている。ピップがエステラにひかれたのは、彼女がレディだったからである。ピップは自分がいかに下等であるか思い知らされて、屋敷を去る。ピップの人生に大きな変化を引き起こしたこの日以来、かつて神聖だと思っていた家庭や、独立するための道だと信じていた鍛冶場などは、みな粗野で下等なものになった。
ピップは幼なじみのビディに、ジェントルマンになりたいと告白する。ビディは今のままの方が幸福だと思わないかと答える。ビディはジョーと並んで、『大いなる遺産』の肯定的価値を体現している人物である。「平凡な商売やかせぎの人物は、平凡な人間とまじわっていたほうが、えらいひとたちのところへ遊びに出かけるよりも、よくはないかな」(9章)というジョーの考え方は、ピップのジェントルマン志向の対局にある。要するに、自分の分を知り、分相応に堅実に生きる方がよいという考え方である。
ピップはジョーやビディの価値観とエステラの価値観の間で何度も揺れ動く。時にはジョーとの生活こそが自分に幸福を与えてくれると思い、やさしく聡明なビディにひかれることもあるが、手の届かぬエステラへの憧れを忘れることもできなかった。
ピップは契約を交わしジョーの年季奉公人(弟子)になるが、とてもジョーの職業を好きになれそうもないと思う。しかしピップはだんだん俗物になりながらも、絶えずその一方で、良心の痛みも感じている。もし小さかったころの半分でも鍛冶場が好きだったら、そのほうが自分のためにずっと良かっただろう、それならばビディと結婚したかも知れないと思ったりもする。
そんなピップに18章で思わぬ転機が訪れる。ジャガーズという弁護士から、ピップが莫大な遺産を相続する見込みがあり(原題の”Great Expectations” は「大いなる遺産相続の見込み」という意味である)、ピップがジェントルマンとして教育されることをその財産の所有者が望んでいると聞かされる。夢にまで見たジェントルマンになれるのである。その遺産の持ち主の名は明かされなかったが、ピップはミス・ハヴィシャムに違いないと思う。ピップがジェントルマンになると聞いて周りの人達の態度がガラリと変わるのがこっけい(ディケンズの作品は基本的にユーモラスでコミカルな文体で書かれている)。19章でピップは「偉大なるものの世界」ロンドンへ向かう。ここで第1段階は終わる。
→参考資料参照
・資料➀ 「ジェントルマン」の概念
・資料② 「家庭の天使」の概念
[第2段階]
20章で描かれるロンドンは醜く、奇形で、薄汚い都会である。ジャガーズの事務所の近くにはニューゲート監獄があった。ピップはすっかりロンドンがいやになる。ロンドンに来るなり過去の恐怖(囚人との出会い)がよみがえる。
弁護士ジャガーズとその書記であるウェミックという人物は、この汚れたロンドンという街に対して独特の対処法をもっている。この二人の人物造形は傑作。
ピップはマシュー・ポケット氏のもとでジェントルマンとしての教育を受け、その息子のハーバートという青年と一緒に暮らす。ピップはぜいたくを覚え、借金をたくさん作る。ピップのジェントルマン教育の内容はあまりよく描かれていない。ディケンズは上流の生活を良く知らないので、うまく描けなかったとよく言われる。しかしピップがスノッブ(俗物)になって行く過程はよく描けている。
ジョーがロンドンまで出て来ると手紙で知らされた時、ピップは金で何とかジョーと会うことを断れないかと考える。卑しい身分のジョーと会うのがいやだったのである。ジョーはピップを「サー」と呼び終始堅苦しかったが、ピップはそれが自分のせいだということが分からない。
ジョーの存在は、今では、ヤスリや監獄、絞首台、脱獄囚などと同じ過去の汚点、ピップの心の古傷であった。これらはしばしば思わぬ所に現れ、過去の汚点と恐怖におびえるピップの心理をうまく描き出している。
ミス・ハヴィシャムは昔ある男にだまされ、結婚式の当日結婚を破棄するという手紙をもらったことがやがてわかる。それ以来彼女は今のようになってしまったのだ。エステラは男性に対するミス・ハヴィシャムの復讐の道具だった。
38章で、ミス・ハヴィシャムはエステラがあまりに冷酷なほど無関心なので非難すると、エステラは「このわたしは、あなたがお作りになったままの人間です」とやり返す。ミス・ハヴィシャムは愛情がほしいというが、エステラはあなたからもらっていない物を与えよと言われてもできないと冷たく答える。
・39章は第2部の終わりだが、この章は一つのカタストロフィ(崩壊)の始まりである。第2部で最も重要な章であり、作品全体の中でも極めて重要な章だ。ここでピップのジェントルマンになるという夢は崩壊する。
ピップが23歳になったある嵐の晩、一人の男がピップを訪ねて来る。しばらく言葉を交わすうちに、彼は自分が食料とヤスリをもって行った例の囚人だということに気づく。さらにもっと大きな衝撃が彼を待っていた。彼こそがあの遺産の贈与者だったのだ!自分をジェントルマンに育てたのは囚人の金だった!失望と屈辱がピップを押し流す。
囚人の男はオーストラリアに流され、そこで一生懸命働き、一財産作った。そしてこの男はイギリスに戻れば死刑だと知っていながら、昔ピップに受けた恩を返すために戻って来たのだ。しかしそれはピップにとって破滅を意味した。ここで第2段階は終わる。
[第3段階]
ピップはこんな男と一緒にいることに不安を感じた。その男の名前はマグウィッチという。野卑な動作で食べ物をがつがつ食べる姿は、飢えた年寄り犬そっくりだとピップは思う。ジェントルマン教育を受けていたピップを密かに悩ましていた忌まわしい過去の汚点。最も忌み嫌っていたものと自分のジェントルマンの地位が結び付いていたのだ!一体彼はどんなことをしてきたのだろうと怪しみ、ピップはついに彼から逃げ出したいという衝動を覚える。結局ピップは彼をこのままニューゲート監獄の近くに置いておくよりも、何とか外国へ連れ出す方が自分のためにもよいと判断する。そしてその口実を見つけるために、マグウィッチの過去を聞き出そうとする。
42章はマグウィッチの回想だが、ここは第3部で最も重要な章である。マグウィッチの一生は牢屋に入って牢屋を出、牢屋に入って牢屋を出というものだった。あるものは彼の頭を測ったという(当時悪人であるかないかは、頭の大きさで分かるという考えがあった)。「頭なんかよりわしの胃袋を測りゃよかったんだ。」あるとき彼はコンペイソンという男と知り合う。コンペイソンはパブリック・スクール出で、学問があった。悪知恵の働く男で、口もうまく、顔もこぎれいだった。二人が裁判にかけられた時、その判決は差別的なものだった。
このようなひどい扱いを受けていた男が、ピップによって初めて親切を受けたのである。このマグウィッチの回想は『大いなる遺産』の中でも極めて印象的かつ重要な部分である。虐げられたものの悲惨な運命が実にリアルに描かれている。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』にはこのような世界は全く枠の外に置かれていた。シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』では少女時代のジェインに対する不当ないじめがリアルに描かれているが、社会の最下層の人間が焦点を当てられることはなかった。ディケンズのほとんどすべての作品に、社会の最下層で生きる人物たちが登場する。最下層の人間の非人間的な実態に芸術的な表現を与えたこと、これこそディケンズが作家として成し遂げた偉大な功績の一つである。しかも、ディケンズはコンペイソンという人物を配することによって、ここでも階級の問題を取り入れている。また、後にミス・ハヴィシャムをだました男とは、このコンペイソンだということが明らかになる。
この告白の後マグウィッチに対するピップの意識は決定的に変わってしまう。今では心から彼のためを思って、彼を安全に海外へ逃がそうと考える。残念ながら、この後の部分はストーリーの展開(いかにマグウィッチを逃がすか)が中心になり、それまでの部分の力強さが必ずしも維持できていない。だが、ピップがマグウィッチに信頼を感じて行く過程は全体のテーマとも関連して重要である。
<この後の部分の主な内容>
・ミス・ハヴィシャムはあやまって服に火がつき火傷をして、それが原因で死んでしまう。
・第3部のクライマックスは54章、ピップたちが川を下って船にマグウィッチを乗せて海外へ逃がそうとする場面。しかし寸前のところでコンペイソンと警察が現れ、ボートは汽船と衝突してしまう。マグウィッチは大ケガをし、逮捕される。脱出に失敗したマグウィッチのとなりに腰掛けたピップはそこに恐ろしい囚人とは全く別の人間を見いだす。
・マグウィッチは死刑の判決を受けるが、死刑になる前に死ぬ。死に際にピップは “Dear Magwitch”と呼びかけた。
・マグウィッチの財産は没収された。ピップは故郷に帰ってビディと結婚しようと思うが、帰ってみると何とその日はビディとジョーの結婚式の日だった(ジョーの前妻であるピップの姉はすでに亡くなっていた)。ピップは鍛冶場を去り、イギリスを去る。
・ハーバートの会社に勤め、何年か後に彼の共同経営者になった。11年ぶりにジョーの家に行くとピップそっくりの男の子がいた。ピップはまだ独身である。その夜ピップはサティス荘へ行って、偶然エステラと出会う。彼女は不幸な結婚をしたが、2年前に夫が死んでいた。二人はいつまでも友達でいることを約束して一緒に屋敷を出る。
資料➀ 階級社会/ジェントルマン/ジェントリー
村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)より
ジェントルマンとは、...第一義的に、イギリスに特有な有閑階級のことなのであって、19世紀の前半には、ジェントルマン、ノン・ジェントルマンの区別は、なおすぐれて支配、被支配の区別に対応するものであった。だが、ジェントルマンをジェントルマンたらしめるのは、支配という要素だけではない。おそらくより重要であったのはジェントルマンの教養で、この点でパブリック・スクールとオックスブリッジが大きな意味をもつ。(p.127)
ジェントルマンになるためには、...ジェントリ=地主になるか、ジェントルマン教育コースに学ぶか(そしてその後、たいていはジェントルマンのプロフェッションにつく)のいずれかしか道はなかったことになる。ところが幸い、16世紀以来のイギリス社会は「開かれた貴族制」で、ここから中流階級のジェントリ=地主ないしジェントルマンをめざす社会移動の問題が生まれた。そしてこの問題が、なかんずく大きな史的意義を持ったのは、19世紀、わけてもジェントルマン化意識が、いうなれば大量現象として、中流階級のエートス[時代風潮]と化した19世紀中葉においてであった。(p.131)
※ジェントルマンに含まれるのは、貴族、ジェントリは言うまでもなく、国教会聖職者、法廷弁護士、内科医、上級 官吏、陸海軍士官などのプロフェッションにつくものである。
資料② 家庭の天使
川本静子「清く正しく優しく--手引き書の中の<家庭の天使>像」
『英国文化の世紀3 女王陛下の時代』(研究社出版、1996年)所収
ヴィクトリア時代の理想の女性像。良妻賢母の理想像の背後には、言うまでもなく、男は公領域(=職場)、女は私領域(=家庭)という性別分業がある。工業化の進展が家庭と職場の完全な分離をもたらしたなかで、男には生活の糧を得るために家の外で経済活動に従事することが、女には良き妻、賢い母として家庭を安らぎの場とすることが、それぞれ期待されていたのだ。つまり、家庭は激烈な生存競争の場たる職場からの避難所、安らぎと憩いの聖域として位置づけられ、女はそこで生存競争の闘いに傷ついて戻る男を迎え、その傷を癒し、男の魂を清める天使の役割を割りふられていたのである。ということは、男性領域たる職場と女性領域たる家庭が相携えて産業資本に基づく社会の歯車を円滑に回転させていたということであろう。<家庭の天使>とは、端的に言って、イギリス産業資本がその支配権確立の一環として制度化した「理想の女性」にほかならないのである。
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「オリバー・ツイスト」(2005) ロマン・ポランスキー監督