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2010年8月24日 (火)

先月観た映画(10年5月)

  とうとう先先先月観た映画になってしまった。毎回嘆き節で始めるのは自分としてもやめたいが、ここまで遅れれば嘆くほかない。こんなことで「遅筆堂」井上ひさし先生と張り合っても仕方がないのに。
 この半年はかつて経験したことがないほど忙しかったが、ようやく多少まとまった時間が取れるようになりました。その間に遅れを一気に取り戻さねば。頑張って6月と7月分も書きます。いや、もう1週間もすれば8月分も書かなくてはならない。いやはや、ゲゲゲの水木しげる先生ではないが、仕事に追われる人生は苦しいし空しい。ブログが息抜きだったのに、そのブログがまた重荷になってしまった。
 とはいえ、ブログを書いているとやはり充実感があります。だから遅れてでも書きたい。長いことお待たせしましたが、また少しずつ書き始めます。 *

* * * * * * * * * * * *

「シリアの花嫁」(04、エラン・リクリス監督、イスラエル・仏・独)★★★★★
「母なる証明」(09、ポン・ジュノ監督、韓国)★★★★☆
「THIS IS ENGLAND」(06、シェーン・メドウス監督、イギリス)★★★★
「踊るニューヨーク」(40、ノーマン・タウログ監督、アメリカ)★★★★
「人生に乾杯!」(07、ガーボル・ロホニ監督、ハンガリー)★★★★
「大阪ハムレット」(08、光石冨士朗監督、日本)★★★★
「空気人形」(09、是枝裕和監督、日本)★★★★
「有頂天時代」(36、ジョージ・スティーヴンス監督、アメリカ)★★★★

「シリアの花嫁」
 イスラエルの映画はこれまで「迷子の警察音楽隊」、「約束の旅時」、アニメ「戦場でワルツを」、そして「シリアの花嫁」の4本しか観ていないが、いずれも傑作だった。「迷子の警察音楽隊」は哀調を帯びたコメディだが、「約束の旅時」、「戦場でワルツを」、「シリアの花嫁」の3本はシリアスな人間ドラマである。それぞれタッチは異なるが、どの映画にもイスラエルとその周辺のアラブ諸国との緊張をはらんだ関係が底辺にある。日本やアメリカの浮ついたお気軽映画には望むべくもない深く重い人間ドラマが展開されている。いずれも観終わった後に深い感動と重い手ごたえが残る映画である。
 「シリアの花嫁」は高い期待をさらに越える傑作だった。今のところ2009年公開映画マイベストテンの1位につけている。憂い顔の花嫁、この映画の特徴を一番よく示しているのは、楽しかるべき結婚式に終始憂い顔を通している花嫁の存在である。なぜ憂い顔なのか。花嫁の住む土地と花婿の住む土地は元々同じシリア領だったのだが、第三次中東戦争で花嫁の住む場所がイスラエルに占領されたために、花婿の土地と分断されてしまったからである。
  結婚式で身内が集まってくるが、家族もまたそれぞれに問題を抱えばらばらである。憂い顔の花嫁モナを囲むのは、政治犯の父、不幸な結婚をした姉のアマル、ロシア娘と結婚して勘当同然の弟、内通者と付き合う妹。
  それでも何とか国境まで行くが、思わぬトラブルが発生する。国境で出入国を管理する係官のまったくの形式主義に振り回されて、花婿の待つ国境の向こう側に渡れないのだ。自分で判断しない係官たちのおざなりな対応に観ているこちらまで腹が立ってくる。元々同じ国なのになぜこれほどの苦労をするのか。国境が人為的に引かれたものだという事実がいやというほど観る者に突きつけられる。人為的に引かれた国境線で展開される不条理な狂騒曲。
  しかしこの混乱にあっさり決着をつけたのは憂い顔の花嫁自身だった。あたふたする人々をしり目に、誰もいなくなった隙に彼女はすたすたと国境線を越えてゆく。その決然とした姿は実に感動的だった。花嫁は自分の判断で国境を越えた。手続きも法も関係ない。花嫁が花婿のいるところまで歩いて行った。ただそれだけのことだ。
  国境が越えがたいのはそこに断崖絶壁があるからではない。障害は天然のものではなく人為的なものにすぎない。しかし線も引かれていないその境界線に人々は翻弄されてきた。花嫁モナも一旦国境を越えれば戻ってくることはできない。国境だけではない。宗教、人種、政治、伝統や風習、身分、等々。人間社会には様々な目に見えない境界線が引かれている。さらには偏見や憎しみなどの対立をあおる感情がそれに絡んでくる。これらの線を越えるのは実際には容易なことではない。だからこそ快刀乱麻を断つごときモナの決然とした行動に深い感銘を覚えるのであり、同時にそうはいかない現実を見つめ直すことをもわれわれに迫るのである。

「母なる証明」
  純粋無垢な心を持った青年が女子高生殺人の容疑者とされる。息子の無実を信じる母が自ら真犯人を探し出そうと奮闘する。いかにも感動ものという設定だが、そう思って観ていると裏をかかれることになる。最後は意外な結末となるのだ。
  「ほえる犬は噛まない」、「殺人の追憶」、「グエムル 漢江の怪物」のポン・ジュノ監督だけあって、さすがに観客をぐいぐい引き付けるつぼを心得ている。確かにうまいのだが、どうも人為的に作ったサスペンスという印象が残ってしまうのが残念だ。知的障害を持った息子という設定でないと成り立たない話なのだ。むしろ映画の焦点は感動的な親子映画というパターンをひっくり返すことに向けられている。結末あたりの母親の行動は鬼気迫るものがある。その迫力は確かにすごいのだが、一方でこの辺りの展開と人間を見る視線にはキム・ギドクに近いものを感じる。その点に一抹の不安を感じてしまう。

「THIS IS ENGLAND」
  「鉄の女」マーガレット・サッチャーを首班とする保守党政権は79年から90年まで続いた。つまり、何度も指摘してきたことだが、イギリスの80年代はまるまるサッチャーの時代だったのである。「サッチャーの時代とイギリス映画①、②」という記事で書いたように、このサッチャーの時代にイギリスは大きく変わってしまった。端的にいえば、「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉国家から、国家による社会保障を削り国民を競争原理の中に放り出すリトル・アメリカに変わったのである。
  アレクサンダー・コルダ、マイケル・パウエル&エメリック・プレスバーガー、デヴィッド・リーン、キャロル・リード、カレル・ライス、トニー・リチャードソン、リンゼイ・アンダーソン、ジョゼフ・ロージーなどの巨匠が活躍したイギリス映画の黄金時代は60年代でほぼ終わり、70年代は低迷期だった。80年代には「炎のランナー」、「未来世紀ブラジル」、「マイ・ビューティフル・ランドレット」、「ミッション」、「遠い夜明け」などの作品が現れてやや持ち直し、90年代になってやっとイギリス映画ルネッサンスともいうべき活況が戻って来た。90年代イギリス映画の興隆とその後の好調を支えていたのは「リフ・ラフ」、「レディバード・レディバード」、「フェイス」、「ブラス!」、「フル・モンティ」、「マイ・スウィート・シェフィールド」、「シーズン・チケット」、「リトル・ダンサー」などの、サッチャー時代やその負の遺産を批判的に描いた作品群である。
  サッチャー政権時代の83年を舞台にした「THIS IS ENGLAND」もサッチャリズム批判映画の系譜に入る作品である。父親がフォークランドで戦死した少年ショーンが主人公。ショーンは町の不良グループに誘われ、どんどん深みに落ちてゆく。当時のパンクっぽいファッションと音楽があふれている。何もせずただばかふざけばかりしている若者たち。この辺りの雰囲気はまさにサッチャーの時代である。90年代以降、労働者や失業者、アル中やヤク中、犯罪者が登場する映画ががぜん増えた。イギリスはそういう社会になってしまったのである。
  不良グループのリーダーであるウディは多少まともなところがある。仲間のガジェット、ミルキー、ウディの彼女ロルとショーン少年の彼女になるスメルなど、人物造形はしっかりしている。このまま描いてゆけば「シーズン・チケット」のようなほほえましい映画になったかもしれない。しかし、そこに突然右翼民族主義者のコンボが表れて空気に不穏な気配が混じりだす。やはりコンボに引っかき回されて仲間が二つに割れてしまう。ショーンはコンボの仲間に入るが、やがてコンボがミルキーをニガーと呼んでたたきのめす事態となる。すっかり幻滅したショーンはイングランドのセント・ジョージ旗を海に捨てる。
  どうも右翼民族主義者のコンボが表れてからの展開が強引で、説得力に欠ける。社会の底辺にいる者には将来に希望が持てず、荒みきっている状況で、そこに右翼民族主義者が台頭してくることは理解できる。映画はもちろん右翼民族主義もイギリスを救う道ではないことを描いている。それはそれでいいのだが、コンボに引きまわされているうちに、ショーンやウディたちの影が薄くなってくる。どうやらその辺にこの映画の問題点があると思われる。その分物足りない映画になってしまったが、一連のサッチャリズム批判映画同様、イギリスの現状をよく描いている映画であることは確かである。

「踊るニューヨーク」、「有頂天時代」

  どちらもフレッド・アステアが主演。「踊るニューヨーク」の相手役はエリノア・パウエル、「有頂天時代」はジンジャー・ロジャース。この時代のミュージカル映画は久々に観たが、なかなか良かった。前者はタップダンスが中心、後者はドラマ主体だった。この時代の映画は本当によく作りこまれている。プロが作っているという感じがする。
 実はこの時代のミュージカル映画はそれほど好きではなかった。代表作といわれるものでも観ていないものは結構ある。MGM社製ミュージカル映画の総集編「ザッツ・エンターテインメント」も観ていない。観る気にもなれなかった。どうも学生の頃は、何の脈絡もなく歌い出すことに違和感があったのだ。特に深い内容があるわけではなく、ただ歌って踊っているだけの映画に魅力を感じなかった。ミュージカル映画をやや見直すようになったのは84年に「イースター・パレード」と「ショウ・ボート」を、85年に「錨を上げて」と「バンドワゴン」を観てからだと思う。個々の作品の記憶は全く残っていないが、ミュージカルも結構面白いと思ったのは覚えている。フレッド・アステアやジーン・ケリーの圧倒的な個人技には魅了されずにいられない。
 そういえば、ミュージカル映画が嫌いだった時でもダニー・ケイだけは好きだった。彼の身体能力も驚異的だった。もう長いこと観ていない。あまりレンタル店に置いていない気がするが、今度見つけたら観てみよう。

「人生に乾杯!」
  久々に観たハンガリー映画。かつて80年代に次々と傑作を生んだハンガリー映画だが、このところさっぱり観る機会がなかった。80年代の傑作群のような重い映画ではないが、十分楽しめる佳作だった。
 「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」の展開と「バニシング・ポイント」の結末を合わせた様な映画である。「ただ一つ心残りなのは海を見られなかったこと。」という妻の言葉は「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」や、同じハンガリーのいぶし銀の様な名作「ハンガリアン」を連想させる。老夫婦には大いに共感するが、疑問に思うところもある。それでも強盗を働きながら逃走する老夫婦に観客を共感させてしまう演出は見事だと言っていい。二人を追う男女の刑事役も印象的だ。

「大阪ハムレット」
  案外拾いものかもという期待感と、がっかりするかもしれないという不安感が相半ばするまま借りてきた映画。結果は意外に良かった。思った以上にまともな映画だった。ほんわかした家族ムービーである。特に母親役の松坂慶子と叔父さん役の岸部一徳がいい。とにかく岸部一徳が出る映画にははずれが少ない。得難い俳優だ。
  それぞれに悩みを抱えた3人の息子と、細かいことにこだわらないおおらかな“おかん”。その間に入ってひょうひょうとした存在感で和ませる叔父さん。この個性的な家族と、その間に漂う深刻なようでどこか滑稽な空気がいい。
  ただちょっと疑問に思うのは二男の行雄(森田直幸)。どうして日本映画にはこの手の突っ張りが頻繁に出てくるのか。家族に一人ぐらいヤンキーがいないとリアルじゃないのか。「フライ、ダディ、フライ」、「パッチギ!」を挙げるまでもなく、とうてい観る気になれない突っ張り映画は世にあふれている。それでも「大阪ハムレット」の面白いところは、この二男が教師に言われて『ハムレット』を読み始めること。おかげで彼は自分の父親は誰かと悩み始める始末。この辺りは工夫が感じられるが、それにしても別に彼が突っ張りである必然性はない。突っ張りが『ハムレット』を読む意外性を狙っているわけだが、突っ張りが出てくるとどうしても性格も行動もステレオタイプ化されてしまう。そこに問題がある。もう少し何か工夫ができないものかねえ。

「空気人形」
  そうか、こういう映画だったのか。まったく予想とはかけ離れた映画だった。要するにペ・ドゥナのヌードをたっぷりお見せしましょうという映画だった。美しく悲しいファンタジーに仕立てようとしているが、かつてのロマンポルノのような淫靡な影が付きまとう映画である。人形が心を持ってしまうというテーマを描きたいのなら別に空気人形(要するにダッチワイフ)である必要はない。普通の人形でもマネキンでもいい。手塚治虫の『I.L』を思わせるところもあるが、I.Lはいろんなものに変身できるので(マネキンも含めて)、人間の欲望をもっと多面的に描けた。どうも基本のところで志の低い映画だと感じた。
  ただしペ・ドゥナはやはり魅力的だと思った。ほとんど彼女で持っている映画だ。「ほえる犬は噛まない」、「子猫をお願い」、「リンダ リンダ リンダ」あたりが代表作で、彼女の独特の個性が非常にうまく生かされている。「復讐者に憐れみを」や「グエムル 漢江の怪物」では今一つ彼女らしさが発揮されていなかった。この2本よりは「空気人形」の方がずっとペ・ドゥナ印だ。別に彼女でなければ務まらない役柄ではないが、彼女が演じたからこそ全篇に彼女ならではの不思議な雰囲気が漂っていた。
 人間の心を持った人形というテーマ自体は悪くない。しかも主演はペ・ドゥナという不思議な雰囲気を持った魅力的な女優である。にもかかわらず、期待したほどの結果をもたらすことができなかった。うまく作っていれば悲恋映画の秀作になった可能性もあるだけに、ペ・ドゥナのヌードを美しく撮ることに過度にこだわった演出が惜しまれる。

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コメント

kimion20002000さん コメントありがとうございます。

 「シリアの花嫁」は目下のところアニメ「戦場でワルツを」と並んで、昨年度ベストテンの1位です。イスラエル映画がベストテンの頂点に2本入っているなんてかつてないことです。共に強烈な映画でした。

 「母なる証明」は母親の妄執を描いています。子を思う母親の思いは美談ともなるし、まかり間違えば異常なほどの妄執ともなる。そんな怖い映画でした。

 「空気人形」はせっかくペ・ドゥナを起用したのに、もう一つ彼女の魅力を作品のドラマの中に絡ませて引き出すことができていないと感じました。その点が残念ですね。

こんにちは。


「シリアの花嫁」
レヴューしていませんが、不思議な魅力のある映画でした。
「国境線」のあちらとこちらの近くて遠い距離を、コメディタッチで描きながら、とてつもないシリアスな状況をとても的確に風刺していたと思います。

「母なる証明」

http://blog.goo.ne.jp/kimion20002000/e/ad882ad04479ae5d9fbb5ff2b055aa9b?vl_sesid=16503_226975

母という存在の盲目愛は、国境を越えているのかもしれませんが、この作品ではやはり「韓国」特有の濃厚な「母子関係」が極端化されて描かれていたと思います。

「空気人形」

http://blog.goo.ne.jp/kimion20002000/e/14212b980620ec42b8b4a581d1f558bf

なんといってもペ・ドゥナの魅力だと思います。
違う女優をいろいろ想像しましたけれど、やはりこの味は出せないなと思いました。


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