先月観た映画(10年4月)
「チェイサー」(08、ナ・ホンジン監督、韓国)★★★★☆
「フロスト×ニクソン」(08、ロン・ハワード監督、米)★★★★☆
「マイ・ライフ、マイ・ファミリー」(07、タマラ・ジェンキンス監督、米)★★★★☆
「2012」(09、ローランド・エメリッヒ監督、米)★★★★
「旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ」★★★☆
「チェイサー」
すさまじい迫力の映画で、出色の傑作だった。犯人が早々に分かっているだけに、主人公ジュンホも警察も全く見当違いの方向に進んでゆくのが歯がゆくてならない。これほど徹底したじらし作戦には出合ったことがない。犯人は最初からわかっており、早い段階で拘束され女たちを殺したことを認めるが、本人の供述以外には証拠が見つからない。従って映画の焦点は犯人探しではなく、犯行現場(かつ被害者)探しに絞られてゆく。しかし容易にその場所が特定されない。
ここでうまいのは自動車の使い方。犯人は車を運転していて、彼を追っているジュンホの車とたまたま衝突事故を起こしてしまう。それがきっかけで彼は捕まるわけだが、その車は彼の車ではなかった。その車は犯人がいつも犯行に使っている空き家をたまたま訪ねてきた老夫婦の物だった。老夫婦に顔を見られた犯人は二人を殺害し、その車を処分しに行こうとしているときに事故を起こしてしまったのである。犯人、彼がいつも使用している犯行現場の空き家、老夫婦、この3点の間をつないでいるのはごく細い線にすぎない。しかも、その細い線の結びつきには偶然が介在している。その上に、警察もジュンホも見当違いの線を追っているので、なおさら犯人に行き着くその細い線に気付かない。このもどかしさ。事情を知っているだけに(最後に誘拐された風俗嬢ミジンが生きていることも観客は知っている)、観客は必死で走りまわる主人公以上にもどかしさといら立ちにさいなまれる。じりじりしながら息をのんで先の展開を追う。隔靴掻痒の責め苦。このもどかしさが話の先の展開を早く見たいという観客の心を引っ張るドライブとなっている。この展開の仕方がなんとも秀逸だ。
しかし何度も徒労を繰り返しながらも、主人公は最後まであきらめない。ついに彼は犯行現場を見つけけるが、その時犯人は放免されて犯行現場に戻ってこようとしていた・・・。最後まで息も継がせぬ展開。韓国映画特有の粘っこさが類まれな成功につながった代表的な作品だ。
誘拐された風俗嬢ミジンの苦しい生活事情を描いていることも、彼女を救おうとするジュンホの奮闘を観客が後押しする心理を生み出す。そして犯人の犯行動機が最後まで分からない不気味さ。暗示はされるが、最後まで謎だ。「動機」などというものではすでになく、もっと本源的な何かが彼を突き動かしていたのではないか。人間性の底知れぬ深淵を覗き込むかのような恐怖。
主人公ジュンホを演じたキム・ユンソクの存在感がすごい。どこかソン・ガンホを思わせる容貌と体形。演技力と存在感もソン・ガンホと比べて見劣りしない。こんなすごい俳優がいたのかと正直驚いた。監督のナ・ホンジンは1974年生まれだからまだ36歳。しかもこれが監督第1作である。同じことを何度も言ってきたが、有能かつ有望な新人監督が次々に現れるところに韓国映画の人材育成が順調に進んでいることが表れている。
どうやら韓国映画の勢いはまだまだ衰えていないようだ。90年代末から2000年代初めあたりまではアメリカ映画を模倣した映画が多かった。結構アメリカ映画と肩を並べるようになってきたと思っていたら、今や本家を超える作品がいくつか生まれつつある。しかし「チェイサー」と「母なる証明」を並べてみると、その映画的表現力の巧みさと力強さに感心する一方で、その人間性のとらえ方には一抹の不安も覚える。映画の力と人間性の奥底から噴き出すダークな情念の塊のようなものとは実は一体なのだ。そこから尋常ならざる緊迫感と燃え上がるような情念が生まれるのだが、そのどす黒い人間性の描き方にはキム・ギドクの世界との共通性も感じる。人間性を深くえぐるとは、すなわち人間性の奥底にあるドロドロした黒い塊をえぐりだすことだという共通したとらえ方がそこにある。先鋭的な韓国映画は今後そういう方向に進んでゆくのだろうか。一抹の不安を感じながら見守るしかない。
「フロスト×ニクソン」
観る前は何となく「グッドナイト&グッドラック」のような映画かと思っていたが、実際はだいぶ違った。「グッドナイト&グッドラック」のような緊迫感や緊張感はない。激しい論戦が展開されるわけではなく、フロストは連戦連敗。終始ニクソンに圧倒されっぱなしだ。にもかかわらず決して退屈しない。映画は論戦そのものよりもむしろ、英国のコメディアン上がりのテレビ司会者デビッド・フロストがリチャード・ニクソンとの単独インタビューにこぎつけ、放送局への売り込みに奔走する過程に多くの時間を割く。論戦は最後にとっておき、ニクソンにいいように扱われながら最後に大逆転が待っているという展開がいい。
ドラマチックに盛り上げるという展開ではないのにこれだけ観客をひきつけるのはなかなかの力量だ。論戦の前の交渉段階でそれぞれフロストとニクソンの人物像を描きだすという手法。これが最後の論戦部分で効いてくる。本来追いつめられてゆくはずのニクソンの方が余裕たっぷりで、交渉段階でニクソンの方が有利な条件を引き出す。本舞台に上がる前に既に戦いは始まっていたのである。フロストとニクソン、そしてそれぞれのブレーンを交えた舞台裏での熾烈な駆け引き。この裏での駆け引きこそまさに政治の世界。その世界では海千山千のニクソンの方がフロストなどよりはるかに上手である。一方、放送局との交渉もなかなかうまく進まず、番組の成立すら危ぶまれる。ニクソンよりもフロストの方が追いつめられている。
こういう展開が実にユニークで見事だ。原作であるピーター・モーガンの舞台劇が優れているのだろうが、ロン・ハワード監督の演出も見事だ。ロン・ハワード監督作品としては「コクーン」、「ザ・ペーパー」、「ビューティフル・ マインド」、「シンデレラマン」などと並ぶ代表作になるだろう。
■ロン・ハワード監督マイ採点表
「天使と悪魔」 (2009) ★★★★
「フロスト×ニクソン」 (2008) ★★★★☆
「ダ・ヴィンチ・ コード」 (2006) ★★★★
「シンデレラマン」 (2005) ★★★★☆
「ビューティフル・ マインド」 (2001) ★★★★
「身代金」 (1996) ★★★
「アポロ13」 (1995) ★★★★
「ザ・ペーパー」 (1994) ★★★★☆
「遥かなる大地へ 」(1992) ★★★
「バックドラフト」 (1991) ★★★☆
「バックマン家の人々」 (1989) ★★★☆
「ウィロー」 (1988) ★★★
「コクーン」 (1985) ★★★★
「アメリカン・グラフィティ」 (1973) ★★★★
「マイ・ライフ、マイ・ファミリー」
認知症になった親を子供たちが面倒を観ることになり、あれこれ葛藤するというありがちなテーマ。しかしこの映画が出色なのは重苦しいまでのリアルな描写だ。正直途中で息苦しくなってきた。それでも主演の二人(ローラ・リニーとフィリップ・シーモア・ホフマン)の好演とラストのかすかな希望に救われる。劇場未公開作品だが、良質の映画である。
監督のタマラ・ジェンキンスは2本のショート・フィルムを作った後、98年の長編第1作「Slums of Beverly Hills」(日本未公開)で一定の注目を得た。第2作の「マイ・ライフ、マイ・ファミリー」を作り上げるまで9年のブランクがあったが、この作品でアカデミー賞のオリジナル脚本賞にノミネートされた(ローラ・リニーも主演女優賞にノミネートされている)。なかなか才能のある人で、脚本も書き(2本の長編は彼女自身の脚本)、女優でもある。いずれ遠からず日本でも注目される作品を送り出してくることだろう。
「2012」
3時間近い長い映画だった。地球滅亡ものだが、宇宙から隕石が飛んできたり、宇宙人が襲ってくるという設定ではなく、地球が内部から崩壊するという設定になっているのが新鮮だった。都市が崩壊してゆく様を描いたCGはさすがに良くできている。まあ話の展開は全くのご都合主義で、典型的なハリウッド映画。観て楽しめばそれでいい。
「旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ」
好ましい映画だが、傑作には至らず。廃園になりそうな動物園を園長や飼育係たちが様々な知恵をこらして再建し、かつ日本一の人気動物園にしてゆく。そう聞いて予想する通りの展開。彼らの奮闘ぶりとアイディアには共感するが、映画としてはまあまあの出来。ただ、ところどころいい場面がある。チンパンジーのオスとメスが互いの檻を挟んで食べ物をやり取りするシーンは感動的だった。