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2009年9月17日 (木)

先月観た映画(09年8月)

「その土曜日、7時58分」(07、シドニー・ルメット監督、米・英)★★★★☆
「レボリューショナリー・ロード」(08、サム・メンデス監督、英米)★★★★
「悪魔の発明」(57、カレル・ゼマン監督、チェコスロヴァキア)★★★★
「老人と海」(99、アレクサンドル・ペトロフ監督、ロシア・他)★★★★
「ザ・クリーナー 消された殺人」(07、レニー・ハーリン監督、米)★★★☆
「アパルーサの決闘」(08、エド・ハリス監督、米)★★★☆
「イワンと仔馬」(47、A・スネシュコ・ブロツカヤ、他監督、ソ連)★★★☆

「その土曜日、7時58分」
  時間を前後させることで、次第に全容が明らかになってくる「運命じゃない人」タイプの作品。意外な事実が次々に浮かび上がり、「そういうことだったか」と思わせて、また次にそれをひっくり返す。

 実に見事な展開。しかし喜劇的な展開ではなく、重苦しい方向にどんどん落ち込んでゆく。「アモーレス・ペロス」や「21グラム」のようなタイプの映画だ。

 追い詰められた兄弟が親の経営する宝石店を襲う計画を立てる。しかし事態は予想もしない方向へ転がっていった。もがけばもがくほどドツボにはまる。ギリギリと締め付けられるような展開。「考えられる最悪のケースだ。」(アンディが弟ハンクに言ったせりふ)観ているこっちまで息苦しくなってくる。結末に向かってゆくにつれてすべてが崩壊してゆく。

 シドニー・ルメット監督は1924年生まれだから、この作品を監督した時は83歳。最晩年にこれだけの傑作を生み出すとはどういうことか。90年代以降は大した作品を作っていなかった。よほど脚本が優れていたということだろう。しかしケリー・マスターソンという脚本家は初耳である。今後注目する必要があるだろう。 参考までにシドニー・ルメット監督のマイ・ベスト10を挙げておこう。

【シドニー・ルメット監督作品 マイ・ベスト10】
「その土曜日、7時58分」 (2007)
「モーニングアフター」 (1986) 「評決」 (1982)
「ネットワーク」 (1976)
「狼たちの午後」 (1975)
「セルピコ」 (1973)
「グループ」 (1966)
「質屋」 (1964)
「蛇皮の服を着た男」 (1960)
「十二人の怒れる男」 (1957)

【気になる未見作品】
「橋からの眺め」 (1961)
「女優志願」 (1958)

「レボリューショナリー・ロード」
  さすがサム・メンデス監督。単なるラブロマンスにはしなかった。しかしケイト・ウィンスレットの描き方に疑問を感じた。彼女の不満と希望が今ひとつよく理解できなかった。彼女の夢がどこか抽象的だからだろう。基本的にレオナルド・ディカプリオの視点から描かれていたこともそのことと関係しているかもしれない。

 「アメリカン・ビューティ」ほどではないが、この映画でも人間関係のねじれが濃密に描かれている。ケイト・ウィンスレットとレオナルド・ディカプリオの熱演によって息苦しいほどの展開になってゆく。そしてラストのデッド・エンド。彼らの家がリボリューショナリー・ロードのどん詰まりにあったように、映画のラストも「ジャーヘッド」のような行き詰まり感が漂う。

 どうやらこの映画が描きたかったのはこの閉塞感らしい。時代設定は50年代。第二次世界大戦で直接の戦場にならなかったアメリカが、疲弊していたヨーロッパ各国を尻目に空前の物質的繁栄を享受していた時代。主人公の二人はその時代の典型的な夫婦で、サバービアに住み安定した生活を送っている。しかしその二人の関係は内部から崩壊していった。

 その直接の原因はケイト・ウィンスレットの抱く漠然とした不満とそこから脱出したいという希望だった。職場で毎日変わり映えのしない仕事をしているレオナルド・ディカプリオも、自分の人生には漠然とした不満を抱えていた。そこでパリに行って心機一転生活をやりなおそうというケイト・ウィンスレットの提案に乗ってしまう。

 問題はやはり、パリに行けば淀んで潤いのない生活をやりなおせるというケイト・ウィンスレットの提案の安易さ、根拠の薄弱さである。何らかの変化が必要だというのは理解できるが、それがどうしてパリ行きになるのか。パリに行って本当にやっていけるのかと誰もが疑問を感じる。この時点ですでにこの映画に共感できなくなっている人は多いだろう。ケイト・ウィンスレットの言動に終始疑問を感じていたのは僕も同じだ。

  しかし、彼女の人生をやり直したいという願望が漠然としたものになるのは理解できないわけではない。第二次世界大戦中は戦争に取られた男手の不足を補うために、女性が少なからぬ職場に進出した。しかしそうではあってもまだまだ女性が社会で活躍できる場所は今と比べると少なかった。彼女は元女優だったが、女優として大成するだけの才能はなかったのだろう。パリでの働き口としても秘書の仕事を挙げているだけである。およそ突飛にしか聞こえない彼女の夢語りは、煎じつめればとにかく社会で働きたいという漠然としてはいるがやむにやまれぬ思いの発露であり、またその彼女の居場所を提供できる機会はアメリカにはないというメッセージの発信だったのである。

 自分の居場所はアメリカにはない。大いなる不満の塊と化した彼女の姿はアメリカに対して「NO!」を突きつけていた。しかし否定はしたが、どうそれを突き破るかという見通しは茫漠としたものしかない。だから彼女は思い切って「飛ぶ」しかなかったのだろう。

 もちろん彼女の希望はただの独りよがりだったと批判することは十分可能である。彼女は子供のことすらほとんど意識していない。彼女は結局袋小路(デッド・エンド)に突き当り、砕け散った。後には"変わり者の夫婦だった"という評判が残っただけだ。

 ゴールデン・エイジと言われたアメリカの50年代はまた冷戦が世界に広がっていった時代であり、赤狩りが荒れ狂った時代でもあった。なぜ今50年代を舞台にした作品を撮ったのか。恐らくサム・メンデス監督はアメリカが自信を喪失し、かつてない苦難の時期を迎えている現在と50年代との接点を意識しているだろう。そういう意味でこの作品は一連の「ポスト9.11映画」の系譜に入ると言っていいかもしれない。

「悪魔の発明」
  「先月観た映画(09年7月)」で紹介した「盗まれた飛行船」とほぼ同じような作風。同じように楽しめる。原作は「盗まれた飛行船」と同じジュール・ヴェルヌ。同名の小説が原作である。

 子供むけの作品とされているが、大人も十分楽しめる。僕は中学生の頃ジュール・ヴェルヌの小説をむさぼるように読みふけったが、原作を知らなくても楽しめる。

 ストーリーについては割愛して、カレル・ゼマン作品の魅力を少し書いてみたい。「盗まれた飛行船」も「悪魔の発明」もほぼ同じ作りだが、共通するのは登場人物や小道具は実写で、背景が銅版画風の精密画で描かれていることである。感心するのはその特撮が実に自然で、日本の怪獣映画やレイ・ハリーハウゼン作品のようなちゃちな印象がまったくないことである。それほど背景や小道具が見事に作りこまれているということだし、その造形がまた見事なのだ。下手に全部実写で撮るよりもカレル・ゼマン流に作りこんだほうがはるかにいい作品ができる。実写で撮ったヴェルヌ原作の「地底探検」(1959)や「海底2万マイル」(1954)、あるいはH.G.ウェルズ原作の「ドクター・モローの島」(1977)などの悲惨な出来を見るとそう感じないわけにはいかない。

 今ならCGでかなりのことが出来るが、そんな助けがなかった時代にこれだけのものを作ったことは驚嘆に値する。不自由だからこそ人はアイディアと想像(創造)力でそれを補おうとする。安易な技術よりアイディアがいかに大事かといういい例である。

「老人と海」
  珍しい油絵タッチのアニメ。何とガラスに直接指を使って描いている。何とも独特の柔らかいタッチだ。動きは滑らかさにはやや欠けるが、海の水や波の繊細な表現、巨大なカジキマグロの力強い映像、巨大魚と格闘する老人の体と表情の動きはなかなかのものだ。クライマックスのカジキマグロとの格闘、サメとの戦いはぐいぐい引き付けるものがある。

 とにかく旧ソ連・ロシアのアニメのユニークさ、奥の深さ、層の厚さには驚かされる。アレクサンドル・ペトロフ監督のDVDは他に「春のめざめ」と「アレクサンドル・ペトロフ作品集」が出ている。「春のめざめ」は既に入手済み。こちらも早く観てみたい。

「ザ・クリーナー 消された殺人」
  結構面白かった。犯罪現場の清掃をするクリーナーを主人公にするという発想が卓抜だ。殺人現場の清掃をして、翌日返し忘れた鍵を返しに行くと、その家の主婦はそんなことを頼んだ覚えはないという。主人公は誰かに利用され、殺人の跡を隠滅する仕事をさせられたことになる。

 その後の展開もサスペンスフルでぐいぐい引き付ける。ただ犯人が最初から怪しいと思っていた人物だったのにはがっかり。もっとひねってあれば秀作の部類に入ったかもしれない。

「アパルーサの決闘」
  久々に観る本格的な西部劇。正義の保安官と悪党の対立。犯人を追っての追跡劇。最後の決闘シーン。お約束の要素がすべて入っている。しかしまあ、エド・ハリスの顔は西部劇に似合うこと(その意味では相棒役のヴィゴ・モーテンセンは今一つだった)!ジャケット写真を見たとたん懐かしのリー・ヴァン・クリーフを連想してしまった。今ああいう渋い顔の凄味がある俳優は他にいないかもしれない。

  しかし残念ながら映画としての出来はもう一つだった。定番の範疇からほとんど出ていない。なんだか現代のアクション劇をそのまま西部劇に移し替えただけという感じなのだ。まあ、最初からさほど期待はしていなかったからがっかりはしなかったけれど。

「イワンと仔馬」
  ロシアらしい民族性がよく出ている。しかし童話の挿絵のような絵がどうしても物足りない。話も単純で、次から次へと災難がイワンを襲うがあっさり切りぬけてしまうあたりはドラマとしては弱いと言わざるを得ない。

 有名な光る馬のたてがみも今の高度なアニメの技術を知っている目には特別驚くほどではない。あまり過大評価すべきではないが、今では観る価値がないということでもない。子供向けのアニメとしては今でも十分通用するだろう。この映画に盛り込まれたロシア・アニメらしい息吹は消え去ってゆくには惜しい。

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