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2009年5月

2009年5月22日 (金)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(09年6月)

【新作映画】
5月16日公開
 「夏時間の庭」(オリヴィエ・アサイヤス監督、フランス)
5月22日公開
 「消されたヘッドライン」(ケビン・マクドナルド監督、英・米・仏)
5月23日公開
 「重力ピエロ」(森淳一監督、日本)
5月29日公開
 「スター・トレック」(J.J.エイブラムス監督、米・独)
5月30日公開
 「路上のソリスト」(ジョー・ライト監督、英・米・仏)
6月6日公開
 「ザ・スピリット」(フランク・ミラー監督、米)
 「サガン 悲しみよこんにちは」(ディアーヌ・キュリス監督、仏)
 「ジャイブ 海風に吹かれて」(サトウトシキ監督、日本)
 「ハゲタカ」( 大友啓史監督、日本)
6月13日公開
 「マン・オン・ワイヤー」(ジェイムズ・マーシュ監督、英・米)
 「嗚呼満蒙開拓団」(羽田澄子監督、日本)
 「レスラー」(ダーレン・アロノフスキー監督、アメリカ)
 「ゆずり葉」(早瀬憲太郎監督、日本)
6月19日公開
 「愛を読むひと」(スティーブン・ダルドリー監督、米・独)
6月20日公開
 「人生に乾杯!」(ガーボル・ロホニ監督、ハンガリー)
 「スティル・アライヴ」(マリア・ズマシュー=コチャノヴィチ監督、ポーランド)
 「いけちゃんとぼく」(大岡俊彦監督、日本)
 「剱岳 点の記」(木村大作監督、日本)

【新作DVD】
5月22日
 「ヘル・ボーイ ゴールデン・アーミー」(ギレルモ・デル・トロ監督、米・独)
 「その男、ヴァン・ダム」(マブルク・エル・メクリ監督、ベルギー・仏・他)
 「秋深き」(池田敏春監督、日本)
 「反恋愛主義」(クリスティナ・ゴダ監督、ハンガリー)
5月29日
 「シャッフル」(メナン・ヤボ監督、米)
5月30日
 「コロッサル・ユース」(ペドロ・コスタ監督、仏・ポルトガル・スイス)
6月3日
 「女工哀歌」(ミカ・X・ペレド監督、米)
 「画家と庭師とカンパーニュ」(ジャン・ベッケル監督、フランス)
 「きつねと私の12か月」(リュック・ジャケ監督、フランス)
6月5日
 「レボリューショナリー・ロード」(サム・メンデス監督、米・英)
 「フェイク・シティ ある男のルール」(デビッド・エアー監督、米)
 「ザ・ムーン」(デビッド・シントン監督、英・米)
 「その日のまえに」(大林宣彦監督、日本)
 「明るい瞳」(ジェローム・ボネル監督、仏)
6月12日
 「チェ 39歳 別れの手紙」(スティーブン・ソダーバーグ監督、スペイン・仏・米)
6月19日
 「007 慰めの報酬」(マーク・フォースター監督、英・米)
6月24日
 「ユッスー・ンドゥール 魂の帰郷」(ピエール・イブ・ボルジョー監督、スイス・他)
 「マンマ・ミーア」(フィリダ・ロイド監督、英・米・独)
6月26日
 「アラトリステ」((アグスティン・ディアス・ヤネス監督、スペイン)
 「戦場のレクイエム」(フォン・シャオガン監督、中国)
7月3日
 「未来を写した子どもたち」(ロス・カウフマン監督、米)
 「その土曜日、7時58分」(シドニー・ルメット監督、英・米)
7月10日
 「ホルテンさんのはじめての冒険」(ベント・ハーメル監督、ノルウェー・独・仏)
7月15日
 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(デビッド・フィンチャー監督、米)
7月17日
 「チェンジリング」(クリント・イーストウッド監督、米)
7月24日
 「ワルキューレ」(ブライアン・シンガー監督、米・独)
8月12日
 「オーストラリア」(バズ・ラーマン監督、米)

【旧作DVD】
5月21日
 「浪花の恋の物語」(内田吐夢監督、日本)
5月22日
 「100挺のライフル」(69、トム・グライス監督、米)
 「折れた槍」(54、エドワード・ドミトリク監督、米)
5月30日
 「雨の訪問者」(70、ルネ・クレマン監督、伊・仏)
 「幻影は電車に乗って旅をする」(54、ルイス・ブニュエル監督、メキシコ)
6月1日
 「五番町夕霧楼」(63、田坂具隆監督、日本)
6月10日
 「動物農場」(54、ジョン・ハラス、他監督、イギリス)
6月24日
 「ミュリエルの結婚」(94、P.J.ホーガン監督、豪・仏)

 劇場公開作ではまずハンガリー映画「人生に乾杯!」に注目。80年代に次々に傑作を放ったが、ここしばらく注目されていなかったハンガリー映画。久々の傑作登場か。岩波ホールで上映される「嗚呼満蒙開拓団」は羽田澄子監督のドキュメンタリー映画。これは必見である。新田次郎原作の「剱岳 点の記」も力作のようだ。

 一方新作DVDは注目作がずらり。「女工哀歌」、「画家と庭師とカンパーニュ」、「レボリューショナリー・ロード」、「チェ 39歳 別れの手紙」、「戦場のレクイエム」、「その土曜日、7時58分」、「ホルテンさんのはじめての冒険」、「チェンジリング」、「ワルキューレ」。ああ、どれも早く観たい。特に巨匠シドニー・ルメット監督久々の注目作「その土曜日、7時58分」とベント・ハーメル監督の(傑作「キッチン・ストーリー」の監督)「ホルテンさんのはじめての冒険」が楽しみだ。

 旧作DVDでは「浪花の恋の物語」、「五番町夕霧楼」、「雨の訪問者」、「ミュリエルの結婚」の発売がうれしい。もう1本。イギリス最初の長編アニメ「動物農場」が気になる。ジョージ・オーウェルの有名な原作をどう料理したのか。これも早く観たい。

2009年5月15日 (金)

先月観た映画(09年4月)

「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン監督、アメリカ)★★★★☆
「バンク・ジョブ」(ロジャー・ドナルドソン監督、イギリス)★★★★
「ただいま」(チャン・ユアン監督、中国、イタリア)★★★★
「リダクテッド」(ブライアン・デ・パルマ監督、米・加)★★★★
「旅するジーンズと19歳の旅立ち」(サナー・ハムリ監督、アメリカ)★★★★
「レッド・クリフPart I」(ジョン・ウー監督、中国・日本・台湾・他)★★★☆
「フィクサー」(トニー・ギルロイ監督、アメリカ)★★★☆

 4月はめちゃくちゃ忙しい月でした。観た映画の本数も7本に減ってしまった。それでも短評を書くのに苦労しました。やはり、映画を観た直後にある程度まとまった感想などをメモしておかないと短評すらうまく書けない。個々のシーンやせりふなどはほとんど忘れている。このところ忙しさにかまけて、ただ映画を消費していただけだったと反省。

* * * * * * * * * * *

「イントゥ・ザ・ワイルド」
090211  2時間半くらいある長尺映画だが、引き込まれて観た。4月に観た映画の中では一番いい出来だと思う。原作はジョン・クラカワーのノンフィクション『荒野へ』。英語版は96年に出版され、翻訳は97年4月に出ている。新聞に載った書評で興味をもち、読書ノートを調べると翻訳が出た直後の5月7日に買っている。しかしいまだに読んでいない(既に文庫本が出ているようだ)。どういうわけか、後から買った『空へ』(イギリス映画「運命を分けたザイル」の原作)を先に読んでいる。

 「イントゥ・ザ・ワイルド」は、青年クリストファー・マッカンドレス(エミール・ハーシュ)が生きる意味を見出すためにアラスカの荒野に入り、自分の犯したミスのために命を落とすまでのプロセスを冷静に追って行く。彼は大学を優秀な成績で卒業しながら、ほとんど崩壊している自分の家庭に嫌気がさし、ついには欺瞞に満ちた文明社会そのものに見切りをつけて荒野を目指したのである。

 アラスカに至るまでの部分は、アメリカをヒッチハイクしながら様々な人々と出会う過程が描かれており、一種のロード・ムービー的色彩を帯びている。アラスカに徒歩で入って孤独の生活を送るあたりは「究極の自由」を求める精神の旅の趣を呈する。全体を通じて、何故彼はあのような行動をするのかという疑問が絶えず観る者の心に浮かび続ける。これが観客を引き付けるドライブの一つとなっている。

 しかし映画は決して抽象的な精神世界にのめりこむことはない。冷静に主人公の行動や言動を追ってゆく。耐え難い現実に絶望し、真実を求めて迷うことなく突き進む彼の姿勢に共感を示しつつも、それが人々との絆を断ち切って行く方向に進んでいったがゆえに悲惨で孤独な死を迎える過程を冷静に描いてゆく。この描き方が成功している。恐らくほとんどの観客が彼の一途に真実と自由を求める姿勢に引き付けられると同時に、そのかたくななまでの考え方に疑問も感じているはずだ。原作には賛否両論の感想が寄せられたという。彼の強い精神性に引かれるか、その無謀さを批判するか。人によって考えが分かれるところだ。

 僕自身終始彼の「真実」や「自由」というものに対する観念的な捕らえ方に疑問を感じていた。しかしたとえそうであっても、2時間半の間最後まで観るものを引き付けるだけの力がこの映画には確かにある。まずその点を評価したい。

 彼は心ならずも通い続けた大学を卒業すると同時に、それまでの生活を総て投げ捨てることから新しい生き方に踏み出した。家族を捨て、金を捨てる。自分の名前さえ捨ててしまう。彼はアレクサンダー・スーパートランプと名乗る。Alexander Supertrampの”tramp”とは「放浪者」という意味である。それまでの自分すら捨てて新たな人生を探す放浪の旅に出る。

090426  かつてフォーク・クルセダーズが「青年は荒野をめざす」と歌ったが、そこには似た感情があったと思われる。現状否定から模索へ。僕が終始感じていた疑問や違和感は彼の否定と模索の仕方である。一言で言えば、彼はたらいのお湯と一緒に赤子も流してしまった。欺瞞に満ちた人間関係や金銭づくの社会を否定するあまり、人間とその社会から自らを断ち切ってしまった。しかし人間は一人では生きられない。少なくとも経験不足の若者一人では。荒野で一人生きるには多くの経験とそこから得た知識が必要だ。しかし彼はそれらを充分学ぶ前に人間との関係を断ち切ってしまった。

 もちろん彼はただ逃避していたわけではない。彼自身はむしろ真実や真の自由を探求していると思っていたに違いない。しかし彼の追い求めていた真実や自由とは極めて観念的なものだったと思う。だから探求しているつもりで結局は逃避していたのである。自由は一切の拘束のない空想的な理想郷へ逃げ込むことによってではなく、自由を制限しているものを取り除くことによってこそ得られる。真実を見抜く力とは社会の根源的矛盾がどこから来るのかを見抜く力である。社会に背を向けることによっては得られない。

 人生の旅の最後に、一人中毒に苦しみもがく中で、彼は一人であることがいかに無力であるかを悟る。「人は一人では生きていけない、人生の喜びは誰かと分かち合うことではじめて得られる。」死ぬ直前に彼はやっとその認識に到達した。

 カナダのユーコン準州を舞台にしたセミ・ドキュメンタリー「狩人と犬、最後の旅」(04年、ニコラス・ヴァニエ監督)という映画がある。信じられないほど美しい自然の中で生きる猟師夫婦の生活を描いている。「人間は自然の征服者としては描かれていない。人間も自然の中で生かされている一つの動物としてとらえ、動物、植物、自然が複雑に絡み合う関係性の中で描いている。人間と犬と野生の生き物と自然のドラマなのである。」(本ブログの短評より)この映画の一番の魅力は自然の美しさである。舞台となったのはカナダのユーコン準州。厳しい自然との戦いが描かれるが、同時に人間による自然破壊と自然の消失というテーマも描きこまれている。こんな奥地にまで開発の手は伸びてくる。しかし、人間を醜いだけの存在として描いているわけではない。主人公は動物の毛皮を売って現金収入を得ている。町に行けば仲間と酒を交わす。何キロ離れていても仲間を助けに行き、また仲間が助けに来てくれる。そういう関係を維持している。

 「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公クリストファー・マッカンドレスも、生きながらえていたならばこのような生活に行き着いていたかもしれない。別の生き方を選んだかもしれないが、いずれにせよその前に命を絶たれてしまった。彼は自然の中に入り込みながら、なぜか打ち捨てられたバスの中で暮らしていた。バスは町と町だけではなく、人々の生活と生活をつなぐものだ。だがこのバスはどこにも向かわない。 旅の途中で出会う人々とのエピソードが印象的なのは、そこに人との触れ合いがあったからだ。彼は文明を拒否するあまり社会との絆も絶ってしまった。そこには太るのを拒否して拒食症になり餓死していった人と重なるものを感じる。

 だが、ここまで言った上で、なおかつこう付け加えたい。それでも青年は荒野を目指す。自分を拘束していたものを一切投げ捨てて、新しい生を求める。その思いの強烈さが映画の力であった。そのことを率直に認めたい。

「バンク・ジョブ」
 ダニー・ボイル監督の「トレインスポッティング」(96年)、ガイ・リッチー監督の「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(98年)と「スナッチ」(00年)、ドミニク・アンシアーノ&レイ・バーディス監督「ロンドン・ドッグズ」(99)、ジョン・クローリー監督の「ダブリン上等!」(03年)、マシュー・ヴォーン監督の「レイヤー・ケーキ」(04年)、等々。イギリスのクライム・ムービーはアメリカ映画とはまた違った魅力がある。正直言って、こちらの方が僕は好きだ。90年代後半から2000年代前半にかけて結構作られたが、しばらく途切れていた印象がある。久々に活きのいいクライム・ムービーと出会った。これは楽しめましたね。

081224_7  王室関係者や上流階級の大物の恥ずかしい姿を撮ったフィルム。そんなものが外部に漏れたら英国全土を揺るがす一大スキャンダルになる。それを防ぐために考え出された作戦は実に人を食ったものだった。素人強盗団をそそのかしてスキャンダルの「ネタ」が保管されていた銀行を襲わせる。強盗が成功した後こっそりその「ネタ」を横取りしてもみ消そうという遠大な計画。政府や警察が表立って動けないゆえの苦肉の策。この設定そのものがいかにもイギリスらしい皮肉とブラック・ユーモアにあふれているではないか。

 まあ、後は観て楽しんでもらえばいい。何てったって、監督は傑作「世界最速のインディアン」(05年)のロジャー・ドナルドソン。面白くないはずはない。主演のジェイソン・ステイサムもいい。

「ただいま」
 期待した以上にいい映画だった。ラストの展開は予想がついてしまうが、それでも家族全員の苦悩が十分伝わってきた。「緑茶」(02年)、「ウォ・アイ・ニー」(03年)のチャン・ユアン監督作品。これまで観た3本の中では一番出来がいい。

 出所してきた娘が家族の下に帰る。この設定は韓国映画「ファミリー」(04年、イ・ジョンチョル監督)とよく似ている(もっとも「ただいま」の場合は3日間だけの一時帰宅だが)。しかし「ファミリー」が結局韓国映画お得意のお涙頂戴に堕してしまったのに対し、「ただいま」は泣かせの演出を押さえしっとりと味わいのある作品に仕立てた。秀逸なのは娘タウ・ラン(リウ・リン)が家に帰ってからではなく、帰るまでを中心に描いたことだ。親との再会の場面は最後の最後までとって置く。代わりにたまたま同行することになった刑務所の女性教育主任シャオジェ(リー・ビンビン)との道行きを描く。

   どうせ帰っても親に受け入れられないのではないか、合わせる顔がないといった娘の不安な心理がクローズアップされる。あくまで彼女を励まそうとする女性看守がやや美化されすぎている感じはあるが、かたくなに心を閉ざそうとするタウ・ランを優しくまた厳しく励まし、積極的に行動する姿は実に魅力的だ。制服姿が凛々しいシャオジェ、演じるリー・ビンビンは細面の凛とした美女。実質的なヒロインは彼女の方である。一方のタウ・ランは終始遠慮がちで縮こまっている(しかも入所した時は16歳だったが、17年も刑務所で過ごしていたので既に33歳になっていた)。

 一種のロード・ムービーなので、二人のやり取りばかりではなく(夜の屋台で「水餃子」を二人で食べるシーンは特に素晴らしい)タウ・ランが見る北京の街の変貌も描かれる。何せ17年ぶり。まるで浦島太郎のような心境だったろう。やっとたどり着いた故郷のフートンは、再開発のため既に取り壊されていた。呆然とするタウ・ラン。

 それでもシャオジェはあきらめず、何とか移転先を聞き出す。そしてクライマックスの両親との再会シーン。何度ノックしてもなかなか両親は出てこない。やっと父親が出てくるが、母親は影しか映らない。その影はどうも母親とは別人のように見える。ひょっとして父親は母と別れ再婚したのか。この17年間、両親にとっても地獄だったに違いない。そんな不安が頭をよぎる。この演出が実にうまい。

 母親については伏せておこう。とにかく家の中に招き入れられた後もギクシャクとしてよそよそしい空気が4人を覆っている。観客の関心は主として父親の反応に向けられる。なぜなら、実はタウ・ランの両親はそれぞれ連れ子がいて結婚したのである。タウ・ランは母親の子で、父親の連れ子をある事情で殺してしまったのである。父親は自分を恨んでいるに違いない。心の重圧。この先は実際に映画を観てほしい(DVDが入手可能)。一言だけ付け加えるなら、この映画が最終的に描いたのは邦題の「ただいま」ではなく「お帰り」だったということだ。

「リダクテッド」
  期待したほどではなかったが、なかなかの力作である。「告発のとき」(07年、ポール・ハギス監督)と共通する主題を持った映画だ。

 タイトルの「リダクテッド」とは「編集済み」という意味。アメリカの大手メディアによるイラク戦争報道は当たり障りのない内容に「編集」されているという批判が込められている。代わって映画が映し出すのは兵士たちが戦場を直に撮影したプライベート・ビデオやアメリカ以外の国のニュース映像などである。

 単純といってもいいほど分かりやすい主題である。しかしそこに描き出されたイラク戦争の「実態」にいまひとつ迫力がない。こんなものではないはず。もっといろんなことを映し出して欲しかった。そういう不満が残ってしまう。切り込みようによっては「告発のとき」以上の傑作が作れた可能性があっただけに、その点が物足りなかった。

「旅するジーンズと19歳の旅立ち」
  前作「旅するジーンズと16歳の夏」(05年、ケン・クワピス監督)ははほとんど一般に知られなかったが、拾い物、いやそれ以上の秀作だった。その続編が出た。がっかりするかもしれないという不安もあったが、「ひょっとすると」という思いで借りてみた。

090509_41_2  あれから3年。最初はなんだか4人がバラバラで、フラッシュバックのように目まぐるしく4人のシーンが入れ替わるのであまり映画に入り込めなかった。しかし途中からどんどん引き込まれていった。最初の内は4人とも前作のような魅力がないと思っていたが、次第にその魅力を取り戻してくる。最後に魔法のジーンズはどこかに消えてしまう。しかしバラバラになりかけていた4人は友情を取り戻すことができた。「もう魔法のジーンズがなくても自分で問題を乗り越えてゆける、そこに彼女たちの本当の成長があった。」前作のレビューの最後にこう書いたが、続編も同じような展開になっている。その点が物足りないようでもあり、またほっとするところでもある。

 アンバー・タンブリン、アメリカ・フェレーラ、ブレイク・ライヴリー、アレクシス・ブレーデル。前作に引き続き出演したこの4人組がやはりいい。細かいストーリーは省略するが、今回一番良かったのはブリジットと祖母のエピソード。前回はただの可愛い子ちゃんという感じだったのが、いいストーリーと出会って輝いている。また今回は全員がリーナの応援にギリシャに駆けつけるところが見所。ギリシャの美しい風景が全体のストーリーの弱さを幾分補っている。まあ、サービスだと思って楽しめばいい。

「レッド・クリフPart I」
  「ロード・オブ・ザ・リング」をお手本にしたような作り。大味だがそれなりに楽しめた。ドラマを弱めたのはミスキャストのせいもあるかもしれない。違和感があったのは諸葛孔明に扮した金城武。もっと老獪な感じでないと諸葛孔明らしくない。それ以上に物足りなかったのは劉備役のユウ・ヨン。泰然自若とした落ち着きや思慮深さが全くなく、ほとんどただのおっさん。どこにも英傑らしさが感じられない。逆に一番魅力的だったのは周瑜を演じたトニー・レオン。事実上彼が主役の位置にある。韓国の名優アン・ソンギそっくりな深みのある顔立ち。「ラスト、コーション」(07年、アン・リー監督)でも渋い味を出していた。実に素晴らしい俳優だと最近見直している。

 しかし集団の戦闘シーンはうまく撮るのは難しい。つくづくそう感じさせられる。第二次世界大戦後の近代戦ならば壮絶な戦闘シーンが作れるが、大砲も銃もない時代の戦闘シーンは兵と馬がやたらと多いだけでゴチャゴチャと入り乱れているだけ。どれを観ても大味だ。見せ場としていろいろな陣形を見せるが、亀甲の陣だったかはほとんど笑ってしまう。「ズール戦争」(63年、サイ・エンドフィールド監督)に比べるとはるかに劣る。

 中国人は英雄、豪傑を異常なほど愛好する。『水滸伝』や『三国志』はまさに英雄伝である。したがって集団戦闘の場面でもそれぞれの英雄の超人的強さをやたらと強調する。見ていて食傷してしまう。義侠心や智恵などは脇にやり、ただ豪傑ぶりだけを描いているからだ。数年前にビデオで全巻観たテレビドラマ・シリーズ『水滸伝』の方が英傑一人ひとりの個性が描き分けられているだけにずっと面白かった。「レッド・クリフPart I」で人物、戦闘の技量共にしっかり描かれていたのは周瑜のみ。ドラマが弱くなるわけだ。アランが歌った主題曲も評判ほどいい曲だとは思えなかった。

「フィクサー」
 どんなストーリーだったか思い出すのに時間がかかった。いやはや、もうすっかり記憶から抜け落ちている。わりと評判だったので観てみたのだが、特に印象に残るところもない映画だった。

 同じ「フィクサー」というタイトルなら、68年のアラン・ベイツ、ダーク・ボガード主演作品が断然おすすめ。バーナード・マラマッドの原作をジョン・フランケンハイマーが映画化した作品。原作はずいぶん昔『修理屋』というタイトルで早川書房から翻訳が出ていた(英文科の学生だった頃に入手)。ユダヤ人差別を描いた骨太の作品で、ジョン・フランケンハイマーの最高傑作だ。30年数年前にテレビで観たが、いまだにDVD化されていない。もはや幻の名作。どうでもいい映画を繰り返し出していないで、こういう名作を早くDVDにして欲しいものだ。

2009年5月 2日 (土)

変貌著しい世界の映画

080518_59  ケンブリッジ大学現代社会国際研究所編『ヴィジュアル・データ百科《現代の世界》』(原書房)に、2006年現在の世界の映画製作本数比較が載っている。そのリストの1位に挙げられている国の名前と製作本数を見たら、まず映画通を自認する人でもほとんどが仰天するだろう。ほんの数年前まではインドがダントツで1位だった。ところがそのインドを抜き、年間2000本も映画を製作している国が出現したのである。何と1位はナイジェリアである。映画製作国としてこれまでまったくと言ってよいほど無名だった国だ。しかも年間2000本という数はインドのほぼ2倍である。そう考えるといかに途方もない数か分かるだろう。ちなみに、映画製作本数ベストテンは次の通り。

ナイジェリア 2000本
インド     1041本
アメリカ    699本
日本      417本
中国      330本
フランス    203本
ドイツ      174本
スペイン    150本
イタリア    117本
韓国      108本

 以下、カナダ80本、イギリス78本、アルゼンチン74本、ブラジル70本などと続く。ナイジェリアが急激に映画製作本数を伸ばしているのはオイル・マネーのおかげらしい。もちろん製作本数の多さは作品の質と比例しているとは限らない。それはともかく、一体どんな作品を作っているのか。それを知る手がかりとなる記事が昨年朝日新聞に載った(08年10月15日付「等身大『ノリウッド』映画」という記事)。インドのボリウッドは今や有名になったが、今度は「ノリウッド」(言うまでもなく、ハリウッドの頭文字HをナイジェリアのNに替えたわけだ)が伸してきたという記事だ。その記事によると、ノリウッド映画は「恋愛や家族愛、部族間の争い、立身出世物語、汚職など、ナイジェリアの日常が題材」だという。どうやら家庭用ビデオカメラを片手に、どこでも誰でも撮っているということのようだ。ナイジェリアでは60年代から映画が作られていたが、映画館でかかるのはほとんどが外国映画だった。しかし90年代に家庭用のビデオカメラなどが普及し始めると一気に広まったらしい。今では政府もノリウッドに雇用の創出や観光業の起爆剤として期待しており、だいぶてこ入れをしているらしい。技術者を養成する民間の専門学校も増えてきているという。

 2位から6位まではほぼ予想通り。意外だったのは韓国をドイツ、スペイン、イタリアが上回っていたこと。ドイツやスペイン映画は本数こそ少ないが優れた作品が日本に入ってきていた。しかしレンタル店の棚に作品が溢れている韓国映画よりも製作本数が多いとは正直驚いた。もっと意外だったのはイタリア。かつてアメリカ、ソ連、フランスなどと並んで世界の映画界に君臨していたイタリア映画も90年代以降はすっかり影が薄くなっていた。朝日新聞社などが主催するイタリア映画祭が2001年から開催されてはいるが、日本で劇場公開される作品は年間10本そこそこではなかろうか。これだけ本国で作られているならば、知られざる傑作がたくさん埋もれてはいやしないか。そんな期待を抱かせる本数である。

 製作本数に比して日本での公開本数が少なすぎると一番感じるのは中国映画だ。年間300本以上作られているのなら、少なくとも今の2、3倍の公開本数があってもいいはず。この間観た中国映画の質の高さをみれば、まだまだ埋もれた傑作があるに違いない。ちなみに、香港映画について触れておくと、「東洋のハリウッド」と呼ばれ70年代から90年代初めにかけて年間250本を製作していた香港映画は、現在50本程度に製作本数が落ち込んでいるようだ(08年11月18日付朝日新聞「歴史を歩く 東洋のハリウッド」)。97年に中国に返還されて以来香港映画の製作本数は減り続け、今や中華映画の重心は大陸に移っている。浙江省の横店村に中国最大の映画撮影基地が作られ、今ではそこが「中国のハリウッド」と呼ばれている。大陸の映画は大きく変貌をとげているようだ。もっと多くの中国映画を観たいという思いがますますつのる。しかし日本で公開される中国映画の数はさほど伸びているようには思えない。まだまだ日本で公開される映画はアメリカに偏っているのが現状だ。

 しかし、そのアメリカ映画も今は深刻な状況にある。世界的な金融危機のあおりで映画の製作資金ががた減りになっているのである。09年1月1日付の朝日新聞に載った「陰るハリウッド カネも客も集まらない」という記事が参考になる。資金難の一例として、フランスの投資銀行ソシエテジェネラルが昨年の10月末に映画への投資から手を引いたことを挙げている。他にも、ドリームワークスはインド金融の資金で映画を撮ることに決め、ワーナー・ブラザーズはアート系映画を作る子会社を相次いで閉鎖したという。

090307_20  アメリカ映画界の苦境はそれだけではない。アメコミの映画化や過去の名作のリメーク、ヒット作の続編などばかり作り続けてきた付けがここに来て回ってきたというのだ。有名スターを起用しCGなどを駆使した大作路線(記事では「打ち上げ花火」的と表現している)が観客に飽きられてきたのだ。そんな安易な大作を尻目にアカデミー賞を受賞したのはインドのスラム街を舞台にしたダニー・ボイル監督の「スラムドッグ・ミリオネア」だったと記事は冒頭に皮肉っぽく書いている。「次もインドで撮りたいね。米国は、熱気にあふれる映画を作るエネルギーを失ってしまったから」というダニー・ボイル監督の言葉を添えて。

 そんなアメリカ映画を相変わらず大量に公開している日本。当然アメリカ映画不審の影響は日本にも及んでいる。昨年の日本における映画興行収入その他をまとめると次のようになる。邦画の興行収入は前年比22.4%増で過去最高となった。一方、洋画の興行収入は前年比23.9%の大幅減だった。洋画と邦画の合計は前年比1.8%減。年間公開本数は洋画で前年より15本少ない388本、邦画は11本多い418本。映画館数は138スクリーン増えて3359スクリーン。しかし入場者数は延べ約1億6049万人で前年より1.7%減。

 洋画が落ち込んだのはアメリカ映画が不振だったからである(上記2つの原因の他に脚本家組合によるストの影響もあったと考えられる)。作品の質的な問題以外に、観客数が減っている背景には経済危機があると思われる。特にそれが目立って表れたのは若者の映画離れという現象である。雇用不安が蔓延し先行きに不安を抱える若者が増えていることを考えれば、映画館から若者の足が遠のいてゆくのはある意味で当然かもしれない。映画は映画館ではなくDVDで、あるいはインターネットで観るという傾向が強まっている。消費不況が映画興行にも大きな影響を与えているのである。

 もうひとつ深刻なのはアート系映画の不振である。朝日新聞08年12月20日付の「アート系映画、真冬の次には」という記事によると、いわゆるミニシアター系映画には02年以降目立った大ヒットが表れていないそうである。ミニシアターはここ数年どこも観客数が落ち込んでいるらしい。この傾向が続くようなら、アート系映画は短期間上映の映画祭等でしか観られない時代が遠からず来るかもしれない。そんな不安を感じさせる。ただし、大手配給会社がアート系映画の買い付けから撤退したため、結果的に買い付け価格がだいぶ安くなったようだ。そこに一縷の望みをたくせると最後を結んでいる。

 このように映画をめぐる昨今の状況は大きく変わってきている。日本映画も過去最高の興行収入だったと喜んでばかりはいられない。大ヒットした映画はほとんど例外なく大手企業の配給作品である。その一方で制作費を回収できていない作品が続出している。それに追い討ちをかけるように、国による09年度の映画製作への公的助成はさらに削られることになった。作品の質という観点から見ても、06年を頂点に07年以降は下降気味にあると感じる。

 アメリカ映画界も日本以上に先行き不透明である。アカデミー賞開催前に開かれていたパーティーの自粛、大手映画会社の人員削減など、様々な所に経済破綻の影響が現れてきている。アメリカ国内においても映画製作に対する基本的姿勢を変える必要があるし、日本においてもアメリカ一辺倒の映画輸入形態を変える必用がある。05年10月のユネスコ第33回総会で、「文化の多様性」条約(文化的表現の多様性の保護および促進に関する条約)が提案され、アメリカの激しい抵抗を押し切って、07年3月に正式に発効した。日本は世界中の様々な国の多様な文化を積極的に輸入するという点では世界で最も進んでいる国かもしれない。書物で言えば、日本の翻訳文化は世界に冠たるものだろう。実に様々な国の書物を翻訳で読めるのだ。映画に関しても、これほど様々な国の映画を自国語の字幕や吹き替えで観られるところは他にないかもしれない。このブログで取り上げてきた作品を見ればそれがよく分かるはずだ。それでもまだまだ偏りがある。さらにもっと多様な国の映画に門戸を開くべきだ。

 もちろん映画は文化であると同時に興行でもある。観客動員をあまり見込めない映画を上映することには当然ためらいがあるだろう。しかし興行的観点からばかり映画を見る姿勢はもうそろそろ改めるべきだと思う。儲けばかり追及するのではなく、映画の文化的側面をもっと重視すべきだ。派手なばかりで中身のない大作をテレビや雑誌でベタ褒めして観客動員をあおる姿勢はもう改めよう。よい映画はよい観客が作る。よい観客はよい映画が作る。もっとこういう姿勢にたって映画を作り、映画を宣伝し、上映すべきだ。最後にこのことを強調しておきたい。

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