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2009年4月 3日 (金)

先月観た映画(09年3月)

「12人の怒れる男」(07、ニキータ・ミハルコフ監督、ロシア)★★★★☆
「アフタースクール」(08、内田けんじ監督、日本)★★★★☆
「歩いても 歩いても」(07、是枝裕和監督、日本)★★★★☆
「幻影師アイゼンハイム」(06、ニール・バーガー監督、米)★★★★
「かあちゃん」(01、市川崑監督、日本)★★★★
「つみきのいえ」(08、加藤久仁生監督、日本)★★★★
「百万円と苦虫女」(08、タナダユキ監督、日本)★★★★
「佐賀のがばいばあちゃん」(06、倉内均監督、日本)★★★★
「夜の訪問者」(70、テレンス・ヤング監督、仏)★★★★
「チーム・バチスタの栄光」(08、中村義洋監督、日本)★★★☆
「雲南の花嫁」(05、チアン・チアルイ監督、中国)★★★☆

「12人の怒れる男」

 いわゆる法廷劇は息詰まる論戦、予想外の展開と意外な真相など、劇的な展開が作れるので古来名作が多いジャンルである。スタンリー・クレイマー監督の「風の遺産」と「ニュールンベルグ裁判」、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」、シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」、エドワード・ドミトリク監督の「ケイン号の叛乱」、オットー・プレミンジャー監督の「軍法会議」と「或る殺人」、ゴットフリード・ラインハルト監督の「非情の町」、ロバート・マリガン監督の「アラバマ物語」、ノーマン・ジュイソン監督の「ジャスティス」(79年、アル・パチーノ主演)、等々。ややタイプは違うがカール・ドライエル監督の「裁かるゝジャンヌ」やマイケル・ラドフォード監督の「ヴェニスの商人」もある。

090301_7   中でも「12人の怒れる男」は法廷劇の代名詞のような名作である。シドニー・ルメットの第一回監督作品。彼は映画監督になる前はTVディレクターだったが(CBS出身の大監督にはもう一人ジョン・フランケンハイマーがおり、「グッドナイト&グッドラック」で描かれた報道番組「シー・イット・ナウ」もCBSの番組である)、「12人の怒れる男」はテレビ時代に演出した作品を映画化したものである。1991年に三谷幸喜、東京サンシャインボーイズ脚本、中原俊監督で「12人の優しい日本人」というパロディ版が作られたことを覚えている人も多いだろう。今度は何とロシアのニキータ・ミハルコフ監督がパロディではなく堂々とシドニー・ルメット版をロシアに置き換えて本格的法廷ドラマを作った。

  ルメット版とミハルコフ版は大まかな展開においては似ている。どちらも被告はマイノリティである。ルメット版の被告は黒人少年であり、ミハルコフ版ではチェチェン人の少年である。ルメット版では人種差別が、ミハルコフ版ではロシアの大国主義意識があぶりだされる。しかし映画の基本的性格は大いに異なる。ルメット版は理性的に「合理的な疑い」を追及し、被告を有罪とみなす考えの背後にある差別と偏見を抉ってゆく。だがミハルコフ版ではむしろ12人の陪審員たち自身に焦点を当てている。議論の中で彼らは次々と自分を語り始める。それぞれの陪審員たちが自分の傷をさらけ出す展開になる。少年の傷と自分の傷が響きあった時、陪審員たちは有罪から無罪に意見を変える。ルメット版は民主主義が今よりずっと強く、広く信じられていた時代の産物である。ミハルコフ版は多様な価値観がぶつかり合いながら並存し、誰もが差別しつつ差別されている閉塞社会の中で心に深く傷を持っている時代の産物なのである。

  しかし一人ひとりの傷に焦点を当てた分、ロシアとチェチェンの関係が充分追及されていないという不満が残る。あの日チェチェンで何があったのか。それに関しては最後まで暗示されるだけである。結局ミハルコフ版はロシア人の心の傷を描いたのであり、被告であるチェチェン人の少年の傷を描いたのではない。それはイメージ的映像を繰り返し映すことで暗示されるにとどまる。もちろん、最終的には無罪という結論に至る展開や、少年の傷と陪審員たちの傷が響き合うという点に偏見や大国主義意識を乗り越える可能性が示されていると解釈することは可能である。しかし映画を観終った後に残るのはもっと重苦しい雰囲気である。最初に無罪を主張した陪審員が部屋に戻ってきて窓を開ける印象的なラスト。重く淀んだ空気を入れ替えようとしたのか。窓を開けるという行為は解放を暗示している。しかし窓の外にあるのは冷たい雪が降る寒々とした世界だった。部屋に入り込んできたのは雪交じりの冷たい空気。被告の少年は監獄にいた方がより安全だという陪審員長の言葉をこれに重ねてもいいだろう。

 印象的に映されるロシア正教のイコンが表しているのは救いなのか悲しみなのか。いつくしみ包み込むのか、それとも包み込むという名目で押さえ込むのか。はなはだ曖昧なまま終わる。ひとつはっきりしているのは、陪審員たちが出て行った外の世界で待っているのは重い現実だということである。

 実に個性的な役者たちが登場する。しかし一番印象的なのは陪審員長を演じたニキータ・ミハルコフである。何と『20世紀少年』のオッチョそっくりなのだ。理性的で深みのある精悍な顔立ち。せりふは少ないが強烈な印象を残す。彼は元々俳優だった。30年以上も前に観た「貴族の巣」(監督は実の兄であるアンドレイ・ミハルコフ=コンチャロフスキー)ではどんな容姿だったかさすがに覚えていないが、エリダール・リャザーノフ監督作品「ふたりの駅」(1982)に出演した時にはかなりのマッチョだった。

「アフタースクール」
  これは滅法面白かった。奇抜なアイデアにすっかりうならされた「運命じゃない人」(「キサラギ」よりずっといい)の内田けんじ監督作品だけに、これまた脚本がよく練られている。ラスト直前まで一体何が起こっているのかさっぱりわからない。それが面白いし、新鮮だった。奇抜な映像トリックを考え出すこの人の才能はかなりのものだ。 まあ、頭でひねり出した作り物の映画であり、深みも何もないが、この手の映画は騙されることを楽しめばいい。主演の大泉洋と佐々木蔵之介がいい味を出している。

「歩いても 歩いても」
  日本の家族関係がなんともリアルすぎるくらいリアルに描かれている映画だった。ただ日常を描いているだけだとも言えるが、どこか小津映画を思わせる手触り。小津の世界よりずっと下世話で現代的だが、時代が違うのだから当然だ。思わず噴出したり、あまりのリアルさに冷や汗をかいたり、誰しも思い当たるところがある日本の家族の風景。ラストで阿部寛が娘に黄色い蝶々の話をする所に、対立したり反発しあいながらも、家族は何かを引き継いでゆくのだということが示されている。

 テレビドラマとよく似た作りながらも、テレビドラマとは全く違う映画を作った。「空中庭園」のようないかにも作った映画と比べるとこの映画の類希なるリアリティが際立つ。小津の世界を現代に引き継ぐ、その大きな可能性を感じさせてくれる映画だった。

「幻影師アイゼンハイム」
  19世紀末のウィーンの雰囲気がよく再現されている。プラハでロケしたようだ。その古都の雰囲気がどっしりとした味わいをもたらしている。貧しい少年と公爵令嬢という身分差のある恋が基本にあり、そこに皇太子の横槍が入るという展開。

 アイゼンハイムが演じるイリュージョンがなかなか魅せる。最後には大仕掛けのイリュージョンが用意されていてどんでん返しとなる。よく出来た映画だ。エドワード・ノートンが熱演。警部役のポール・ジアマッティがここでもいい味を出している。

「かあちゃん」
 懐かしい長屋人情喜劇。昔の日本映画にはよくあったが、いつの間にか絶えて久しかったジャンル。長屋も人情もほとんどなくなってしまったのだから仕方がない。市川崑はあまり好きな監督ではなく、これまで5~6本しか観ていない。比較的最近のものはほとんど観ていないので確かなことは言えないが、晩年の彼の作品では出色の出来ではないか。泥棒に入った若い男を引き止め、家族の一員のように扱って一緒に暮らしてしまう太っ腹のかあちゃん。何と言ってもかあちゃんを演じた岸恵子が良い。こういう役柄も出来るのかと感心した。あまりに善人過ぎるところがリアリティにかけるが、山本周五郎原作だけに心地よいひと時が過ごせる。

「つみきのいえ」
 わずか12分のアニメだが、いい出来だった。海に沈んだ町。細長く上へ上へと伸びた建物の天辺だけが海上に出ている。最上階まで水に浸かるとさらにその上にレンガを積み重ねて新しい部屋を継ぎ足す。ある時主人公の老人が部屋の真ん中にある落とし戸から海を見ているとき咥えていたパイプを落としてしまった。

 潜水服を着てパイプを取りに行った老人は、さらにその下の階へ降りてゆく。下に行くほど昔の思い出が残っている。下に降りるたびに昔に返ってゆく。最後は夫婦が最初に建てた小さな平屋の思い出にたどり着く。この構成が見事だ。

「百万円と苦虫女」

  「タカダワタル的」や「赤い文化住宅の初子」のタナダユキ監督作品。この2本は気になりつつもまだ観ていない。「百万円と苦虫女」は初めて観た彼女の作品。いかにもB級おちゃらけ映画のようなタイトルだが、意外に真面目な作品だ。ひょんな事情から前科物になったヒロイン(蒼井優)は居心地の悪い家族の元を離れ一人旅に出る。100万円を貯めるごとに引越しを繰り返す生活を始める。各地で様々な人と出会い、心の温かさに触れるが、100万円がたまるとまたそこを去ってゆく。

 要するにちょっと変わった設定のロード・ムービーなのである。最初の海の家のエピソードはいまひとつだが、最後の花屋でバイトするエピソードはなかなかいい。このラストのエピソードに至って恋愛映画の様相を帯びだす。

 最近の日本映画に共通する軽さをこの映画も持っているが、主人公が斜に構えたりひねくれたりしていないところが良い。友人にも家族にも裏切られながらも、一途に人間的つながりを求めるヒロインの旅。そんな描き方に好感を持った。

 主演の蒼井優は美人タイプではないが、「フラガール」でも「百万円と苦虫女」でもやはり魅力的だ。「フラガール」クラスの映画に出続ければ、日本を代表する女優になるだろう。

「佐賀のがばいばあちゃん」
  テレビで鑑賞。「佐賀のがばいばあちゃん」は50年代の日本映画の香りを漂わせた映画だ。前の月に観た「西の魔女が死んだ」同様、韓国映画の傑作「おばあちゃんの家」や中国映画の名作「心の香り」を思わせる映画である。母親から離され、祖父や祖母と暮らすことになった子供が次第に祖父や祖母と心を通わせあうことになり、またいろんな智恵を学んでゆく。その限りではみな似た設定ではあるが、「佐賀のがばいばあちゃん」の特徴は人情映画だということである。

090125_10  母親(工藤夕貴)の元を離れて心細い思いをしている明広に優しくしてくれるのはおばあちゃん(吉行和子)ばかりではない。運動会の時に、腹を壊したからといって梅干と紅生姜しか入っていない明広の弁当と替えてほしいと豪華な弁当を持ってきた先生たち、形の崩れた豆腐をいつも半額で分けてくれた豆腐屋(緒形拳)、中学卒業前のマラソン大会に母親が広島から見に来てくれたことを明広と同じくらい感激して泣きながら自転車をこいでいた先生、等々。周りの大人たちがみんな明広に親切にしてくれる。明広もまためがねが壊れて困っているばあちゃんのために、こっそりアルバイトをして新しいめがねを買ってやったりする。

  「ALWAYS三丁目の夕日」より若干後の時代を扱っているが、その人情味溢れる雰囲気はよく似ている。もちろん、「ALWAYS三丁目の夕日」が都会を描いているのに対して、「佐賀のがばいばあちゃん」は田舎を描いているという違いはある。しかしそれはあまり重要な違いではない。都会でも田舎でも貧しい人が多かった。「佐賀のがばいばあちゃん」で強調されているのは、徹底して貧乏と前向きに付き合うばあちゃんの姿勢である。磁石を引きずって歩きくず鉄を拾い集めて金に替える(僕が子供の頃うちの近所にもくず鉄屋がいた)。川に棒を渡して上流から流れてくるものをひっかけ、ちゃっかり頂く。明広がスポーツをやりたいと言うと、道具などをそろえるのに金がかかるからやめろと答える。どうしてもやりたいなら走ったらいい、「走る地べたはタダ、道具もいらん」。しかも靴が減るから裸足で走れとまで言う徹底ぶり。

 ばあちゃんの倹約ぶりと周りの大人の親切さを前面に押し出した人情喜劇。結局それが売りだが、大人はみな親切で人情味あふれているという描き方はあまりに単純すぎて物足りない。同様に、ばあちゃんの「がばい」生き方もどこかきれいに描きすぎていてこれまた物足りない。島田洋七の原作は読んでいないが、原作ではもっと「がばい(すごい)」人だったに違いないと思ってしまう。ばあちゃん役の吉行和子も見かけが若すぎていまひとつイメージが合わない。とまあ、いろいろと物足りないところはあるが、十分楽しめる映画だ。僕くらいの世代には懐かしさもある。そうそう、明広が広島から乗せられた汽車の座席がなんとも懐かしかった。座席というよりベンチに近かったですよ、あれは。ご飯もあの頃はかまどで炊いていたなあ。食事は卓袱台で食べていた。「ALWAYS三丁目の夕日」の翌年に公開されたこの映画はやはり同じ路線に乗っている気がする。

「夜の訪問者」
  今観ても充分楽しめる。アクション映画としてはなかなかの出来だ。溌剌としたブロンソンが楽しめる。展開としてはマット・デイモン主演の「ボーン」シリーズに似ている。「ボーン」シリーズにはさすがにかなわないが、40年近く前にここまで造っていれば立派。「荒野の七人」、「大脱走」、「さらば友よ」、「雨の訪問者」などと並ぶ彼の代表作。

「チーム・バチスタの栄光」
 テレビ・ドラマの方は観ていないが、手術中に突然死をどうやって引き起こすのかという謎に惹かれて借りてみた。厚生労働省の白鳥(阿部寛)の登場のさせ方、そのありえないようなキャラクター、ご都合主義的な展開など、テレビ的なお手軽さが残っている。 竹内結子もさっぱり魅力がない(「サイドカーと犬」の方がずっと良い)。それでも結構楽しめた。

  医学ミステリーといえばマイケル・クライトンが思い浮かぶ(傑作TVシリーズ「ER」の原作者で、『緊急の場合は』という作品もある)。海堂尊の原作がマイケル・クライトンに匹敵するものかどうか読んでいないので分からないが、ミステリーの部分はそれなりに楽しめた。疲れて帰ってきたときにはこういう気軽に観られる作品の方がいい。

「雲南の花嫁」
  雲南省の少数民族であるイ族を主人公にし、鮮やかな民族衣装や伝統の龍舞という民族色豊かな要素を持ってはいるが、映画の作りとしてはちょっとしたラブ・コメディ映画だった。韓国映画に近いのりだ。主演のチャン・チンチューは「孔雀 我が家の風景」で主演した女優。相変わらずかわいいが、表情の作りがわざとらしい。伝統に逆らうはねっかえりぶりが魅力といえば魅力だが、意地の張り方が説得力に欠ける。元気な女の子に振り回されておたおたする男という図式はよくある展開。その枠を突き抜けるものがないので、ありきたりなラブ・コメディの域を出ていない。

 監督は「雲南の少女 ルオマの初恋」のチアン・チアルイ。「雲南の少女 ルオマの初恋」に続く監督第2作。「芳香之旅」(未公開)と併せて「雲南3部作」と呼ばれているらしい。作品の出来は「雲南の少女 ルオマの初恋」の方が上だが、どちらにしてもどうもこの監督はいまひとつドラマの厚みと深みに欠ける。

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