「ミリキタニの猫」を観ました
ご無沙汰しておりました。ボストンから帰って以後、しばらくボストンの旅行記以外何も書けない状態が続いていました。ようやく20日ごろから地域SNSに写真日記を毎日のように書き始めました。しかし映画に関しては「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズしか書けませんでした。
もっとも映画はこの間何本か観ています。中でも「ミリキタニの猫」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、「ノー・カントリー」は力作でした。日本映画「長い長い殺人」も悪くない(似たような構成の「バンテージ・ポイント」より出来はいい)。詳しくは「先月観た映画(08年10月)」でいずれ書きます。
できれば上記の力作3本すべてについて本格レビューを書きたいのですが、今の状態ではそれも難しそうです。しかし3本全部は無理でも、「ミリキタニの猫」だけは何とか本格レビューを書きたいと思っています。ドキュメンタリー映画は今でも取り上げる人が少ないので、どうしても書いておきたいという気持ちが強いのです。
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アメリカの歴史教科書は第二次大戦中の日系人強制収用をどう記述しているか
「ミリキタニの猫」は期待通りの傑作だった。何といってもミリキタニの絵が素晴らしい。それ以上に印象的だったのは、戦争中ツール・レーク収容所で過ごした屈辱の日々、すべてを奪ったアメリカへのうらみの強烈さである。また、ミリキタニは広島出身なので原爆への思いも強烈だ。それらの思いが強烈なだけに、後半で60年ぶりにツール・レーク収容所跡を訪れ、憎しみが融けてゆくシーンが実に感動的だった。「もう怒りはない。ただ通り過ぎて行くだけだ。」一人の人間の芸術的才能とその全面的開花を阻んだ戦争。この二つが分かちがたく結びついている。個人の人間描写が歴史につながってゆく。その展開、編集のうまさに感心した。
第二次大戦中のアメリカで日系人が強制収用されていた事実は日本では恐らくそれほど知られてはいない。関連の書籍は何点かあるし、新聞やテレビ番組で時たま取り上げられてはいるが、一般に知られているとはいえない。僕自身がそれを知ったのはもうだいぶ前だと思うが、いつ何で知ったのかはっきりした記憶はない。
ではアメリカではどうか。それに関しては手元に興味深い本がある。『世界の教科書にみる日本 アメリカ編』(国際教育情報センター編、丸善、平成7年)。この本はアメリカの高校生向け歴史教科書のうち代表的3冊から日本に関する記述だけを抜き出した対訳本である。その3冊のうち2冊が日系人の強制収用についての記述を載せている。入手してぱらぱらとページをめくっていた時、こういう歴史上の汚点をきちんと教科書に記述していることに感心したものだ。「ミリキタニの猫」鑑賞の予備知識としてその記述内容についてこれから紹介しようと思うが、その前にまずこの点を強調しておきたい。
ただし教科書に取り上げられているからといって、それが直ちにアメリカでは日系人強制収用についてよく知られているということにはならない。アメリカの教育は各州政府の責任の下に実施されている。各州の教育長および学校区が教育制度の実施に責任を負っている。選ばれた市民からなる教育委員会が教育全般を運営しており、教育委員会の推薦に基づき教科書は認定される。したがってすべての学校区で上記3つの教科書が選定されているとは限らないし、仮に選定されていても担当教員がきちんと授業で取り上げているかどうかは保証の限りではないからだ(リンダ・ハッテンドーフ監督自身この事実を知らなかったと述べている)。まあ、それはそうとしても、教科書にこのような記述があること自体日本から見れば立派だと言っていいだろう。
さて、本題の記述内容に移ろう。『合衆国の歴史(第二巻) 南北戦争から現在まで』という教科書では「戦争と銃後」という項目で「日系アメリカ人の収容」について触れている。冒頭辺りで「ジャップ問題のうまい解決策は、彼らを日本へ送り返し、あの島を沈めることだ」というアイダホ知事の発言を引用している。その後に「そのような考えを裏付ける証拠はほとんど何もなかったが、日系アメリカ人はスパイか妨害者として行動する、と多くの人々が信じていた。真珠湾(攻撃)の時に合衆国に暮らしていた日系人のほとんどは、生まれながらのアメリカ国民だった」と続けている。
その後さらにこう続いている。「1942年2月、ルーズヴェルト大統領は、軍隊に命じて、約12万人の日系市民や在留邦人〔注:日本人〕を逮捕した。これらの人々は、その大部分が西海岸に住んでいたが、『再配置センター』――実は強制収容所――に入れられた。移転される家族は、主だった所有物は一切所持することは許されなかった。多くの人々が、収容(抑留)時代に家や職を失った。プライバシーはほとんどなく、家族全員が一人部屋で生活させられた。」最後の記述はそれぞれ個室をあてがわれたという意味ではもちろんなく、一人用の部屋に家族全員が押し込められたという意味である。
その後ピーター・オオタという人の個人的体験を挟んで、「1988年、議会は、戦時中の誤った処置を謝罪し、かつて収容され、現在生存している人々に対して、一人2万ドルの保証金を支払うことに票を投じた」と記述している。最後は憲法上の「一つの大きな汚点」が取り除かれたというスパーク・マツナガの言葉でこの項目を結んでいる。まあ、アメリカはきちんと始末をしたぞという書き方になってはいるが、歴史上の汚点を汚点としてきちんと記述していることは評価できる。
もう1冊の『アメリカの声――合衆国の歴史』のタイトルはより直截的だ。「人種差別が日系アメリカ人に収容所入りを強要した」。”Racism”という言葉をはっきりと使っている。実際冒頭から日系人に対する人種差別を強調している。「日系アメリカ人に対する人種的偏見は、日本軍の真珠湾攻撃以前から長い間、深く、合衆国に根付いていた。」この後、野菜栽培出荷者組合員の差別的発言を引用している。そして日系人の破壊工作やスパイ行為に対する不安について触れたあと、「1942年2月、ローズヴェルト大統領は、偏執的な軍将校、利己的な農民、政治家の圧力に屈して、戦時再配置局の創設を命じた。この機関は、11万人以上の日系アメリカ人を西海岸から立ち退かせ、カリフォルニア、アリゾナ、ユタ、コロラド、ワイオミング、アーカンソー、アイダホの辺ぴな地域に設置された収容所へ、彼らを送り込む仕事をした。有刺鉄線で囲まれた収容所は牢獄のようだった。」
その後スミオ・ニチという人物の証言を引用している。また日系人が合衆国への忠誠を示すために進んで兵役に志願したことに触れている(前の教科書もこの点に触れている)。最後に1988年に合衆国が正式に謝罪したことと2万ドルの保証金を支払ったことに触れている。面白いのは”Critical Thinking”として、「なぜ収容所は西海岸から遠い辺ぴな地域に置かれたか」と生徒に問いかけていることである。
また参考になる資料として地図が付けられている。そこに収容所のあった場所が記載されている。ミリキタニが収容されていたツール・レイクの他に、マンザナー、ミニドカ、トパーズ、ボストン(アリゾナ州)、ギラリヴァー、ハートマウンテン、グラナダ、ローワー、ジェロームにも収容所があったことが分かる。
以上のような記述は日本の教科書にはまず書かれていないだろう。仮にあったとしても、これほど詳しく、かつ容赦のない率直な記述はまず期待できない。ミリキタニはアメリカの社会保障を受けることを頑なに拒んでいたが、それはアメリカ政府が大戦中の処置を誤りだと認めたことを知らなかったためだと映画の途中で分かる。彼が施設に入居することを受け入れるのはその後である。絵も注目を集めだし、身なりも赤いベレー帽を被って画家らしくなった。そして長い間の彼の恨みつらみが最終的に消えるのは再びツール・レーク収容所を訪れた時である。
イラクやアフガニスタンの泥沼的現状や賭博的金融市場の崩壊などを見れば、アメリカが決して見上げた国でないことは誰にでも分かる。しかし一定の範囲では差別是正に努力していることも認めるべきだろう。ただしポリティカル・コレクトネスのような杓子定規で表面的な措置になりがちで、差別の根源から是正するものではないともいえる。「シッコ」で描かれたように、あるいはハリケーン・カトリーナの被害で明らかになったように、アメリカの社会保障は実に貧弱である。成功できないのは、あるいは貧しいのは努力しないからである、そんな怠け者たちのために税金を使うことはないという考え方が根強い。そうではあるが、アメリカ人が決して一様でないこともまた確かである。多様な考え方を認めるという点では日本よりはるかに自由がある。少なくとも、「なぜ収容所は西海岸から遠い辺ぴな地域に置かれたか」というような設問が日本の教科書に載ることは今のところ考えられない。”Critical Thinking”は形式的な議論になりがちだが、それでも覚えるだけではなく考えることを重視する教育姿勢は見習うべきだろう。