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2008年10月

2008年10月31日 (金)

「ミリキタニの猫」を観ました

 ご無沙汰しておりました。ボストンから帰って以後、しばらくボストンの旅行記以外何も書けない状態が続いていました。ようやく20日ごろから地域SNSに写真日記を毎日のように書き始めました。しかし映画に関しては「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズしか書けませんでした。

 もっとも映画はこの間何本か観ています。中でも「ミリキタニの猫」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」、「ノー・カントリー」は力作でした。日本映画「長い長い殺人」も悪くない(似たような構成の「バンテージ・ポイント」より出来はいい)。詳しくは「先月観た映画(08年10月)」でいずれ書きます。

 できれば上記の力作3本すべてについて本格レビューを書きたいのですが、今の状態ではそれも難しそうです。しかし3本全部は無理でも、「ミリキタニの猫」だけは何とか本格レビューを書きたいと思っています。ドキュメンタリー映画は今でも取り上げる人が少ないので、どうしても書いておきたいという気持ちが強いのです。

* * * * * * * * * * *

アメリカの歴史教科書は第二次大戦中の日系人強制収用をどう記述しているか
Tktkhzm001  「ミリキタニの猫」は期待通りの傑作だった。何といってもミリキタニの絵が素晴らしい。それ以上に印象的だったのは、戦争中ツール・レーク収容所で過ごした屈辱の日々、すべてを奪ったアメリカへのうらみの強烈さである。また、ミリキタニは広島出身なので原爆への思いも強烈だ。それらの思いが強烈なだけに、後半で60年ぶりにツール・レーク収容所跡を訪れ、憎しみが融けてゆくシーンが実に感動的だった。「もう怒りはない。ただ通り過ぎて行くだけだ。」一人の人間の芸術的才能とその全面的開花を阻んだ戦争。この二つが分かちがたく結びついている。個人の人間描写が歴史につながってゆく。その展開、編集のうまさに感心した。

 第二次大戦中のアメリカで日系人が強制収用されていた事実は日本では恐らくそれほど知られてはいない。関連の書籍は何点かあるし、新聞やテレビ番組で時たま取り上げられてはいるが、一般に知られているとはいえない。僕自身がそれを知ったのはもうだいぶ前だと思うが、いつ何で知ったのかはっきりした記憶はない。

 ではアメリカではどうか。それに関しては手元に興味深い本がある。『世界の教科書にみる日本 アメリカ編』(国際教育情報センター編、丸善、平成7年)。この本はアメリカの高校生向け歴史教科書のうち代表的3冊から日本に関する記述だけを抜き出した対訳本である。その3冊のうち2冊が日系人の強制収用についての記述を載せている。入手してぱらぱらとページをめくっていた時、こういう歴史上の汚点をきちんと教科書に記述していることに感心したものだ。「ミリキタニの猫」鑑賞の予備知識としてその記述内容についてこれから紹介しようと思うが、その前にまずこの点を強調しておきたい。

 ただし教科書に取り上げられているからといって、それが直ちにアメリカでは日系人強制収用についてよく知られているということにはならない。アメリカの教育は各州政府の責任の下に実施されている。各州の教育長および学校区が教育制度の実施に責任を負っている。選ばれた市民からなる教育委員会が教育全般を運営しており、教育委員会の推薦に基づき教科書は認定される。したがってすべての学校区で上記3つの教科書が選定されているとは限らないし、仮に選定されていても担当教員がきちんと授業で取り上げているかどうかは保証の限りではないからだ(リンダ・ハッテンドーフ監督自身この事実を知らなかったと述べている)。まあ、それはそうとしても、教科書にこのような記述があること自体日本から見れば立派だと言っていいだろう。

Uchu_tobira1   さて、本題の記述内容に移ろう。『合衆国の歴史(第二巻) 南北戦争から現在まで』という教科書では「戦争と銃後」という項目で「日系アメリカ人の収容」について触れている。冒頭辺りで「ジャップ問題のうまい解決策は、彼らを日本へ送り返し、あの島を沈めることだ」というアイダホ知事の発言を引用している。その後に「そのような考えを裏付ける証拠はほとんど何もなかったが、日系アメリカ人はスパイか妨害者として行動する、と多くの人々が信じていた。真珠湾(攻撃)の時に合衆国に暮らしていた日系人のほとんどは、生まれながらのアメリカ国民だった」と続けている。

 その後さらにこう続いている。「1942年2月、ルーズヴェルト大統領は、軍隊に命じて、約12万人の日系市民や在留邦人〔注:日本人〕を逮捕した。これらの人々は、その大部分が西海岸に住んでいたが、『再配置センター』――実は強制収容所――に入れられた。移転される家族は、主だった所有物は一切所持することは許されなかった。多くの人々が、収容(抑留)時代に家や職を失った。プライバシーはほとんどなく、家族全員が一人部屋で生活させられた。」最後の記述はそれぞれ個室をあてがわれたという意味ではもちろんなく、一人用の部屋に家族全員が押し込められたという意味である。

 その後ピーター・オオタという人の個人的体験を挟んで、「1988年、議会は、戦時中の誤った処置を謝罪し、かつて収容され、現在生存している人々に対して、一人2万ドルの保証金を支払うことに票を投じた」と記述している。最後は憲法上の「一つの大きな汚点」が取り除かれたというスパーク・マツナガの言葉でこの項目を結んでいる。まあ、アメリカはきちんと始末をしたぞという書き方になってはいるが、歴史上の汚点を汚点としてきちんと記述していることは評価できる。

 もう1冊の『アメリカの声――合衆国の歴史』のタイトルはより直截的だ。「人種差別が日系アメリカ人に収容所入りを強要した」。”Racism”という言葉をはっきりと使っている。実際冒頭から日系人に対する人種差別を強調している。「日系アメリカ人に対する人種的偏見は、日本軍の真珠湾攻撃以前から長い間、深く、合衆国に根付いていた。」この後、野菜栽培出荷者組合員の差別的発言を引用している。そして日系人の破壊工作やスパイ行為に対する不安について触れたあと、「1942年2月、ローズヴェルト大統領は、偏執的な軍将校、利己的な農民、政治家の圧力に屈して、戦時再配置局の創設を命じた。この機関は、11万人以上の日系アメリカ人を西海岸から立ち退かせ、カリフォルニア、アリゾナ、ユタ、コロラド、ワイオミング、アーカンソー、アイダホの辺ぴな地域に設置された収容所へ、彼らを送り込む仕事をした。有刺鉄線で囲まれた収容所は牢獄のようだった。」

 その後スミオ・ニチという人物の証言を引用している。また日系人が合衆国への忠誠を示すために進んで兵役に志願したことに触れている(前の教科書もこの点に触れている)。最後に1988年に合衆国が正式に謝罪したことと2万ドルの保証金を支払ったことに触れている。面白いのは”Critical Thinking”として、「なぜ収容所は西海岸から遠い辺ぴな地域に置かれたか」と生徒に問いかけていることである。

 また参考になる資料として地図が付けられている。そこに収容所のあった場所が記載されている。ミリキタニが収容されていたツール・レイクの他に、マンザナー、ミニドカ、トパーズ、ボストン(アリゾナ州)、ギラリヴァー、ハートマウンテン、グラナダ、ローワー、ジェロームにも収容所があったことが分かる。

Plant07a  以上のような記述は日本の教科書にはまず書かれていないだろう。仮にあったとしても、これほど詳しく、かつ容赦のない率直な記述はまず期待できない。ミリキタニはアメリカの社会保障を受けることを頑なに拒んでいたが、それはアメリカ政府が大戦中の処置を誤りだと認めたことを知らなかったためだと映画の途中で分かる。彼が施設に入居することを受け入れるのはその後である。絵も注目を集めだし、身なりも赤いベレー帽を被って画家らしくなった。そして長い間の彼の恨みつらみが最終的に消えるのは再びツール・レーク収容所を訪れた時である。

 イラクやアフガニスタンの泥沼的現状や賭博的金融市場の崩壊などを見れば、アメリカが決して見上げた国でないことは誰にでも分かる。しかし一定の範囲では差別是正に努力していることも認めるべきだろう。ただしポリティカル・コレクトネスのような杓子定規で表面的な措置になりがちで、差別の根源から是正するものではないともいえる。「シッコ」で描かれたように、あるいはハリケーン・カトリーナの被害で明らかになったように、アメリカの社会保障は実に貧弱である。成功できないのは、あるいは貧しいのは努力しないからである、そんな怠け者たちのために税金を使うことはないという考え方が根強い。そうではあるが、アメリカ人が決して一様でないこともまた確かである。多様な考え方を認めるという点では日本よりはるかに自由がある。少なくとも、「なぜ収容所は西海岸から遠い辺ぴな地域に置かれたか」というような設問が日本の教科書に載ることは今のところ考えられない。”Critical Thinking”は形式的な議論になりがちだが、それでも覚えるだけではなく考えることを重視する教育姿勢は見習うべきだろう。

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2008年10月27日 (月)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(08年11月)

【新作映画】
10月25日公開
 「リダクテッド 真実の価値」(ブライアン・デ・パルマ監督、米・加)
 「ブーリン家の姉妹」(ジャスティン・チャドウィック監督、英・米)
 「ブロードウェイ♪ブロードウェイ」 (ジェイムズ・D・スターン、他監督、米)
 「ホームレス中学生」(古厩智之監督、日本)
11月1日公開
 「恋愛上手になるために」(ジェイク・パルトロウ監督、米・英・独)
 「ブタがいた教室」(前田哲監督、日本)
 「ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動」(ショーン・ファイン監督、米)
 「オリンダのリストランテ」(パウラ・エルナンデス監督、アルゼンチン)
 「タンゴ・イン・ブエノスアイレス 抱擁」(ダニエル・リヴァス監督、アルゼンチン)
 「さくらんぼ、母ときた道」(チャン・ジャーベイ監督、日本・中国)
 「レッドクリフ」(ジョン・ウー監督、米・中国・他)
 「まぼろしの邪馬台国」(堤幸彦監督、日本)
 「イエスタデイズ」(窪田崇監督、日本)
11月8日公開
 「かけひきは、恋のはじまり」(ジョージ・クルーニー、米・独)
 「ヤング@ハート」(スティーヴン・ウォーカー監督、英)
11月15日公開
 「ブロークン」(ショーン・エリス監督、仏・英)
 「ハッピー・フライト」(矢口史靖監督、日本)
 「ジョージアの日記」(グリンダ・チャーダ監督、米)
 「BOY A」(ジョン・クローリー監督、イギリス)
11月22日公開
 「バンク・ジョブ」(ロジャー・ドナルドソン監督、英)
 「未来を写した子どもたち」(ロス・カウフマン監督、米)

【新作DVD】
10月22日
 「ラスベガスをぶっつぶせ」(ロバート・ルケティック、米)
 「ペルセポリス」(マルジャン・サトラビ監督、仏・米)
10月24日
 「チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」(マイク・ニコルズ監督、米)
 「ハンティング・パーティ CIAの陰謀」(リチャード・シェパード監督、米・他)
 「譜めくりの女」(ドゥニ・デルクール監督、フランス)
 「美しすぎる母」(トム・ケイリン監督、スペイン・米・仏)
 「ス」(崔洋一監督、韓国)
11月5日
 「プライスレス 素敵な恋の見つけ方」(ピエール・サルバドーリ監督、仏)
 「ファクトリー・ガール」(ジョージ・ヒッケンルーバー監督、米)
11月7日
 「JUNO ジュノ」(ジェイソン・ライトマン監督、米・加)
 「幻影師アイゼンハイム」(ニール・バーガー監督、チェコ・米)
 「さよなら。いつかわかること」(ジェイムズ・C・ストラウス監督、米)
 「パパにさよならできるまで」(ペニー・パナヨトプル監督、ギリシャ・独)
 「愛おしき隣人」(ロイ・アンダーソン監督、スウェーデン・他)
11月12日
 「ソフィー・マルソーの過去から来た女」(ソフィー・マルソー監督、仏)
11月13日
 「ロビン・ウィリアムズのもしも私が大統領だったら・・・」(B.レビンソン監督)
11月14日
 「イースタン・プロミス」(デヴィッド・クローネンバーグ監督、英・加・米)
11月21日
 「ヴィットリオ広場のオーケストラ」(アゴスティーノ・フェレンテ監督、伊)
 「西の魔女が死んだ」(長崎俊一監督、日本)
11月28日
 「ぼくの大切なともだち」(パトリス・ルコント監督、フランス)
 「モンテーニュ通りのカフェ」(ダニエル・トンプソン監督、仏)
11月29日
 「いのちの食べかた」(ニコラウス・ゲイハルター監督、オーストリア)
12月3日
 「ザ・マジック・アワー」(三谷幸喜監督、日本)

【旧作DVD】
10月31日
 「私は貝になりたい」(1958、岡本愛彦監督、TVドラマ)
11月3日
 「NHK特集 手塚治虫・創作の秘密」(1986、TVドキュメンタリー)
11月13日
 「ハロルド・ロイド DVDコレクション」(9枚組、29作品収録)
11月29日
 「ビクトル・エリセ DVD-BOX」
 収録作品:「挑戦」、「ミツバチのささやき」、「エル・スール」
12月5日
 「関の弥太ッぺ」(1963、山下耕作監督、日本)
12月12日
 「赤い風船/白い馬」(56、53、アルベール・ラモリス監督、仏)

 新作では「リダクテッド 真実の価値」と「ブーリン家の姉妹」が期待大。東京国際映画祭で観客賞を受賞した「ブタがいた教室」も面白そうだ。これは実話を基にしたドラマだが、ドキュメンタリーも「ウォー・ダンス 響け僕らの鼓動」、「タンゴ・イン・ブエノスアイレス 抱擁」、「未来を写した子どもたち」などが続々と登場。ラテン・アメリカ映画の旗手アルゼンチンからの2作も注目。

016  「ベッカムに恋して」のグリンダ・チャーダ監督の新作「ジョージアの日記」、「ダブリン上等!」のジョン・クローリー監督の「BOY A」、ジョージ・クルーニーの監督3作目「かけひきは、恋のはじまり」など結構面白そうな作品が並ぶ。「バンク・ジョブ」は「ザ・クリミナル」、「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」、「ロンドン・ドッグズ」、「レイヤー・ケーキ」などの系譜に入る作品のようだ。久々のイギリス版アクション快作になるか。

 「ブーリン家の姉妹」も面白そうだ。シェイクスピア史劇や「冬のライオン」、「わが命尽きるとも」のような本格的歴史劇は期待できないとしても、「恋におちたシェイクスピア」や「エリザベス」 のようなテイストは味わえるかも。

 DVD新作では「ペルセポリス」、「JUNO ジュノ」、「幻影師アイゼンハイム」、「パパにさよならできるまで」、ドキュメンタリーの「ヴィットリオ広場のオーケストラ」と「いのちの食べかた」あたりに興味を引かれる。フランスの諸作も期待できそうだ。

 DVD旧作ではなんといっても「ビクトル・エリセ DVD-BOX」がうれしい。アマゾンではとんでもない値が付いていたので、これでやっと買えると胸をなでおろした人は多いだろう。個人的には「ミツバチのささやき」をもっているが、どうしても「エル・スール」が欲しい。あの名作にもう一度会いたい。

 「赤い風船/白い馬」と「関の弥太ッぺ」、TVドラマだが名作として知られる「私は貝になりたい」の発売も快挙。年末も近づいてすごいのが出てきた。「赤い風船」をフィルム・センターで観たのは75年2月22日、「私は貝になりたい」をテレビで観た日は分からないがたぶん20年以上前だ。なつかしい。「関の弥太ッぺ」は今年上田で上映されたとき見逃している。これはぜひ観たい。

 先月亡くなったポール・ニューマンの作品を集めた「ポール・ニューマン ベスト・パフォーマンス・コレクション」はまったく「ベスト」の名に値せず、おすすめできない。そんなものを出すより初期の代表作(そして生涯の代表作でもある)「逆転」、「孤独な関係」、「長く熱い夜」、「傷だらけの栄光」を出してほしい。

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2008年10月12日 (日)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(08年10月)

【新作映画】
9月27日公開
 「トウキョウソナタ」(黒沢清監督、日本)
 「消えたフェルメールを探して」(レベッカ・ドレイファス監督、米)
 「女工哀歌」(ミカ・X・ペレド監督、米)
10月4日公開
 「宮廷画家ゴヤは見た」(ミロス・フォアマン監督、米・スペイン)
 「宿命」(キム・ヘゴン監督、韓国)
 「初恋の想い出」(フォ・ジェンチイ監督、中国)
 「三本木農業高校、馬術部」(佐々部清監督、日本)
10月11日公開
 「僕らのミライへ逆回転」(ミシェル・ゴンドリー監督、米)
 「私がクマにキレた理由」(ロバート・プルチーニ監督、米)
 「悪魔のリズム」(ビチェンテ・ペニャロッチャ監督、英・スペイン)
 「その土曜日、7時58分」(シドニー・ルメット監督、米・英)
 「アメリカン・ティーン」(ナネット・バースタイン監督、米)
 「しあわせのかおり」(三原光尋監督、日本)
10月18日公開
 「イーグル・アイ」(D.J.カルーソ監督、米)
 「P.S.アイラヴユー」(リチャード・ラグラベネーズ監督・米)
 「ボーダータウン 報道されない殺人者」(グレゴリー・ナバ監督、米)
 「人情噺文七元結」(山田洋次監督、日本)
 「マルタのやさしい刺繍」(ベティナ・オベルリ監督、スイス)
 「中国映画の全貌2008」(10月18日~12月19日、新宿K’s Cinemaにて開催)
 「第21回東京映画祭」(10月18日~26日、六本木ヒルズ・他にて)

【新作DVD】
9月26日
 「王妃の紋章」(チャン・イーモウ監督、中国)
 「スルース」(ケネス・ブラナー監督、米)
 「パラノイド・パーク」(ガス・バン・サント監督、仏・米)
 「地上5センチの恋心」(エリック・エマニュエル・シュミット監督、仏・ベルギー)
 「今、愛する人と暮らしていますか?」(チョン・ユンス監督、韓国)
 「フィクサー」(トニー・ギルロイ監督、米)
10月3日
 「ぜんぶ、フィデルのせい」(ジュリー・カプラス監督、伊・仏)
 「リボルバー」(ガイ・リッチー監督、英・仏)
 「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」(マリオ・カナーレ、他監督、イタリア)
 「アメリカを売った男」(ビリー・レイ監督、米)
 「ストップ・ロス 戦火の逃亡者」(キンバリー・ピアース監督、米)
10月8日
 「パリ、恋人たちの2日間」(ジュリー・デルピー監督、仏・独)
10月10日
 「モンゴル」(セルゲイ・ボドロフ監督、カザフスタン・ロシア・他)
 「あの空をおぼえている」(富樫森監督、日本)
 「丘を越えて」(高橋伴明監督、日本)
10月22日
 「奇跡のシンフォニー」(カーステン・シェリダン監督、米)
10月24日
 「アイム・ノット・ゼア」(トッド・ヘインズ監督、米・独)
10月25日
 「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督、日本)
10月31日
 「白い馬の季節」(ニンツァイ監督、中国)
 「雲南の少女ルオマの初恋」(チアン・チアルイ監督、中国)

【旧作DVD】
10月8日
 「ふたり」(73、ロバート・ワイズ監督、米)
10月9日
 「ディア・ハンター」(78、マイケル・チミノ監督、英・米)
11月13日
 「リスボン特急」(72、ジャン・ピエール・メルヴィル監督、仏・伊)

 今月の新作はなかなか充実している。中でもミロス・フォアマン監督の「宮廷画家ゴヤは見た」、フォ・ジェンチイ監督の「初恋の想い出」に注目。名作「エル・ノルテ 約束の地」のグレゴリー・ナバ監督が挑んだ社会派作品「ボーダータウン 報道されない殺人者」も大いに関心を引かれる。相変わらず続々と登場するドキュメンタリーの中では「消えたフェルメールを探して」と「アメリカン・ティーン」、そして「女工哀歌」が面白そうだ。日本映画も充実している。カンヌ映画祭「ある視点」部門で審査員賞を受賞した「トウキョウソナタ」、「三本木農業高校、馬術部」、「しあわせのかおり」、そして山田洋次監督のシネマ歌舞伎「人情噺文七元結」と力作がそろう。2ヶ月にわたって開催される「中国映画の全貌2008」も見逃せない。

Halloween_gb1  新作DVDでは中国映画「王妃の紋章」、「白い馬の季節」、「雲南の少女ルオマの初恋」に注目。自主上映会で観た「六ヶ所村ラプソディー」の発売もうれしい。個人的には今月一番の贈り物だ。「ビフォア・サンセット」の記憶も生々しいジュリー・デルピーが監督を務めた「パリ、恋人たちの2日間」も大いに興味をそそる。ケネス・ブラナー監督が再映画化した「スルース」も気になる。ローレンス・オリヴィエとマイケル・ケインが主演した「探偵 スルース」は評判ほどの作品だとは思わなかったが(オズワルド・モリスの濃厚な映像ばかりが記憶に残っている)、新作の出来はどうか。

 旧作DVDの方は寂しい限り。まだまだDVD化されていない傑作は山ほどあるというのに、既に出ている映画のリニューアル版にばかり力を入れている姿勢には疑問を感じる。とはいえ、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「リスボン特急」が出るのはうれしい。

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2008年10月11日 (土)

ボストン滞在記 最終回

 いよいよこの連載も最終回です。今回はこれまで収録できなかった写真を一気に公開したいと思います。とは言っても決して残り物ではありません。

クーリッジ・コーナー
 今回のボストン滞在でいちばん悔いが残るのは映画館で一度も映画を観られなかったこと。飛行機の中で観た「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」、テレビでたまたま観た「チャイナ・ムーン」と「アンブレイカブル」以外は何も観られなかった。ただし、一度貴重な経験をしている。ボストンの郊外にブルックラインという街がある。その中心街と見られるクーリッジ・コーナーという所にクーリッジ・コーナー・シアターという映画館がある。

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  ボストンにあるシネコンとは違って、いわゆる日本で言うミニシアター系の映画館である。うっかりすると気付かずに見逃してしまいそうな角の小さな映画館だが、素晴らしい映画を上映している。9月20日の土曜日に行った時にはTowelhead、Vicky Cristina Barcelona、Man on Wire、Frozen Riverなどが上映されていた。いずれも評判の作品で観てみたいものばかり。さらにはManhattan Short Film Festivalという企画ものも並行して催されていた。

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  その劇場の写真を撮っていたら、よほどうれしかったのだろう、中からおばちゃんが出てきて中も撮っていいという。せっかくなので撮らせてもらうことにした。メインのスクリーンは意外に広かった。真っ暗なのでフラッシュをたいてもよく映らなかったのが残念。その後入り口ホールを撮って引き上げるつもりだったが、2階も撮って行けという。2階にも1階と同じ広さのスクリーンがあった。その隣に15人くらいが座れる小さなスクリーンがあり、さらに50人くらいは入れるスクリーンがあった。

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 日本人かと聞かれた。どうも日本人はすぐわかるようだ。おばちゃん自身はブラジル出身で、日本にも行ったことがあると言っていた。出口でパンフを何枚かもらってきた。日本と違って、サイズは小さく、紙質も固い。絵葉書のような感じだが、サイズはまちまちだ。午後1時にまた戻ってきてTowelheadを観るつもりだったが、うっかりベッドに横になったら寝入ってしまった。あの時寝なければ少なくとも1本は映画を観られたのに。今でも残念でならない。

ジャパニーズ・レストラン
 ボストンやその近郊ではよく日本食の店を見かけた。カラオケと寿司を組み合わせた店もあった。寿司を食いながらカラオケをやるという発想は日本にはないが、日本的なものを2つ組み合わせれば客も喜ぶと思ったのだろうか。写真を載せた3つの店(クーリッジ・コーナーにも「つなみ」という店があったし、寿司と書いてある店はたくさん見かけた)の中で実際に入ったのは「フィンズ」(地下鉄ケンモア駅の出口横)だけ。しかしここは研修先のすぐ隣のビルにあり、しかも味がこれまた日本で食べるのと変わらないくらいおいしいレストランだった。値段も7~8ドルとファストフードの店とさほど変わらないので、ここ1軒で充分だった。昼食はほとんどここで食べていた。

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バック・ベイ・フェンズ

 ここは1回目の記事で紹介したが、家の近くにありしかもボストン美術館やイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館へ行く通り道ということもあって滞在中何度も通った。細長く半円状に湾曲した公園だがかなり広い。仙台の万福寺から贈られた鐘、第2次大戦の戦死者の慰霊碑などは何度目かに歩いていて見つけた。

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 ここはなんといってもマッド・リヴァーと緑のマッチした風景がきれいだった。初秋に入り枯葉が道を覆うようになったがまだ紅葉は進んでいなかった。それでも緑の中に黄色や赤がワンポイントのように映える景色は本当に美しかった。

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  緑地帯のあるコモンウェルス・アヴェニューと並んでホット一息つける場所として滞在中何度も歩いたものだ。

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コモンウェルス・アヴェニュー

 この道はアパートがあるビーコン・ストリートと並行して走っている。実に特殊な通りだ。両車線の間に中央分離帯がある道は日本でも珍しくないが、その中央分離帯が両側を並木で挟まれた細長い緑地帯になっている。緑地帯の幅は両側の道路の幅より広い。なんとなく緑地帯の部分がコモンウェルス・アヴェニューなのだと思い込んでいて、両側の道(双方とも反対向きの一方通行)は別の道だと勘違いしていた。しかしどうやら両側の道を含めてコモンウェルス・アヴェニューになっているらしい。いわば中央分離帯が異常に肥大した道路だと思えばいい。

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  ともかく、ここは家から近いので何度も通った。緑地帯の所にいくつも銅像が立っている。アパートの近くにも何やら中世のころの人物らしき銅像(基部に説明が書かれているが、巨大な植物に覆われていて読めない)が立っている一角があって、その周りにベンチがいくつか置かれている。朝や夕方によくそこのベンチに座ってタバコを吸ったものだ。アパート入り口前の階段に座って吸うのはあまりに惨めったらしいからね。

<追加写真1>
左:地下鉄ケンモア駅近くの看板
中:ダウンタウンのオールド・シティ・ホール近くで見つけた看板
右:ハノーヴァー・ストリートで見つけた看板、このあたりはイタリアン・レストランが多い

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<追加写真2>
左:コプリー・プレイスにあるトリニティ教会
中:イザベラ・ガードナー美術館近くの教会
右:教会に見えるが、確かケンブリッジの市庁舎だったと思う

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<追加写真3>
下の3枚:パブリック・ガーデン

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<追加写真4>
左:ビーコン・ヒルの路地
中:ビーコン・ヒルから見たマサチュセッツ州議事堂
右:ボストン・コモンにあるレリーフ

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<追加写真5>
左:バークリー音楽大学近くで見つけたハーフ・ティンバー風の建物
中:チャイナ・タウン
右:バック・ベイ・フェンズで見つけた子供の遊び場
  「お母さんの休息」と母親の視点で名づけられているのが印象的

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ボストン滞在記 その8 フリーダム・トレイルを行く

 ご無沙汰していました。研修も後半に入ると時間的余裕がほとんどなくなってしまいました(月曜から金曜にかけて、朝から夕方まで6時間びっしり研修が入っていたのです)。暗くなるのも早くなり、その上9月の後半から雨天や曇天の日々が続き、写真を撮れる機会が激減してしまいました。ほとんど外出もせず日々研鑽したおかげで何とか資格も取れ、今月の7日(火)に無事日本に戻ってきました。

 最後にとんでもないハプニングもありました。帰国の日に空港に着くのが遅れ、予定の飛行機に乗れなかったのです。何とか翌日の朝7時20分発のチケットが取れて足は確保できたのですが、その日1日をどこで過ごせばいいのか。重たいスーツケースを持ったまま途方にくれてしまいました。日曜日だったのでアパートの管理会社にも連絡が取れない。いきなり路上に放り出された格好です。

 しかし意外に落ち着いていて、すぐ解決策を思いつきました。一緒に研修を受けていた仲間に頼み込めばいい!同じ東洋人の方が頼みやすいと考えて台湾系アメリカ人に電話したところあっさりOKしてくれました。さっそく車で迎えに来てくれて、チャイナ・タウンで朝食。夕方には彼の住んでいるレキシントン(下の写真は「ミニットマン記念碑)やケンブリッジのハーヴァード大学あたりを案内してくれました。

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 翌朝は4時に起床。4時半(日本時間では6日の午後5時半)に出発。車で空港まで送ってもらいました。いやあ、旅先での親切は本当にありがたい。シカゴ経由で、自宅に着いたのは7日の夜8時過ぎでした。24時間以上の旅。もうくたくた。新幹線を乗り越して長野まで行ってしまったほどです。

 さて、久々のブログ。今回は帰国前の最後の土曜日に行ってきたボストンのダウンタウンめぐりを紹介します。いわゆる「フリーダム・トレイル」と呼ばれるボストンの代表的観光コースです。このコースはイギリスの植民地時代から独立戦争を経て建国の時代にいたる時代の史跡16ヶ所をたどるコースです。一日がけで歩くコースですのでその一部しか歩けませんでしたが、ボストンのダウンタウンからノースエンドを歩いたのは初めてでしたのでとても新鮮でした。

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 午前中は念願のイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に行き、その美しい中庭と素晴らしい建物、そして収蔵品を楽しんだ。一旦アパートに帰って軽く食事を取ってから1時過ぎにまた外出。今度はダウンタウンへ向かった。ボイルストン・ストリート沿いに歩いて行った。パブリック・ガーデンを通り抜けてビーコン・ヒルに入る。数枚写真を撮っただけでまたビーコン・ストリートに戻り、マサチューセッツ州議事堂の写真を撮る。金色の丸屋根がやけに目に付く。

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  ビーコン・ストリートを渡ればボストン・コモンだ。そこがフリーダム・トレイルの出発点。まず、公園のすぐ横にあるパーク・ストリート・チャーチからスタート。ここはウィリアム・ロイド・ギャリソンがアメリカで初めて奴隷制度反対演説をした場所として知られている。教会のすぐ隣にあるのがグラナリー墓地。アメリカ独立のために戦った人々が埋葬されている。平べったい石版のような墓標が無造作に並んでいる。ポール・リビアやサミュエル・アダムスの墓もここにある。

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  次に写真を撮ったのはオールド・シティ・ホール前に立つベンジャミン・フランクリンの立像。ボストンで最古の銅製の立像だという。その前の路地が突き当たる角に旧オールド・コーナー書店があったのだが見逃してしまった。そこはエマーソン、ホーソン、ロングフェロー、ローウェル、オリバー・ウェンデル・ホームズなどの文人が集まって語らった場所として有名なところ。ボストンとケンブリッジが舞台で、ロングフェローやオリバー・ウェンデル・ホームズなどが主人公として活躍するマシュー・パール著『ダンテ・クラブ』(新潮文庫)というとてつもなく面白い本を読んでいたのでぜひ写真を撮りたかったのだが。角の小さな公園(一番最後の写真)でタバコを吸っている間に忘れてしまった、残念。その公園にアイルランド移民の記念碑などがあったためにそちらに気を取られてしまったのである(1845年から50年にかけての大飢饉で200万人ものアイルランド人たちがボストンやその他のアメリカの土地に渡ってきた)。

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  そこから少し歩いた所に旧州議事堂がある。現在の金ぴか丸屋根の州議事堂ができるまで州議事堂として使われていた。1713年に建てられたボストン最古の建物である。近代的な高層建築の間に身をすくめるようにして佇んでいる、こじんまりとした姿が印象的だった。そのすぐ目の前にはボストン虐殺地跡を示す円形の碑がある。交差点の安全地帯のような小さな一角に埋め込まれている。何の説明書もないので、何も知らなければ単なる道路のデザインにしか見えない。

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  中州のようなボストン虐殺地跡がある大きな通りはコングレス・ストリートと呼ばれているが、その通りを挟むようにしてファニュエル・ホールとクインシー・マーケットがある。ファニュエル・ホールは前を素通りして、向かい側のクインシー・マーケットに渡った。マーケット横の広場にかなりの人だかりがあったからだ。人垣の間から覗いてみると、10数人の若者たちがブレイク・ダンスを披露していた。原宿竹下通りのたけのこ族を思い出してしまった。

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  マーケット街から道を1本渡った所にテント張りの庶民的なマーケットがあった。こちらもまっすぐ歩けないくらいの人だかりだ。そこを抜けるとノース・エンド・パークがある。噴水と芝生広場があるだけだが、オアシスのような場所だった。歴史的な衣装をつけた楽隊が芝生で演奏をしていた。こういう行事にはほとんど出くわさなかったので写真を撮った。

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  そこから先はノース・エンドになる。フリーダム・トレイルを辿るにはハノーヴァー・ストリートに入らねばならなかったのだが、間違えてセイレム・ストリートに入り込んでしまった。フリーダム・トレイル沿いには道路に赤い線が引かれているのだが、線には全く気が付かなかった。見た記憶もない。看板や建物など終始上を見て歩いていたからだろう。案内書をもっと頻繁に見て確認しながら歩けばよかったと後で後悔する。

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  しかしセイレム・ストリートは庶民的で面白い路地だった。フリーダム・トレイルから外れているので観光客は滅多に通らないだろう。こんなとおりに迷い込んでみるのも路地裏好きの僕にとっては楽しい経験だった。ただ、元々道が狭い上に、道路の両側に車がびっしり駐車しているので、看板以外はあまり写真を撮らなかった。(ヨーロッパ同様、ボストンのような古い街は車社会出現前に建てられているので駐車場がない。したがってみんな路上駐車せざるを得ないのだ。)セイレム・ストリートがT字路に突き当たる少し手前にオールド・ノース教会があった。実はこの教会のところでフリーダム・トレイルに戻ったのだが、うかつにもそのことに気づかなかった。写真だけ撮ってT字路を左折した。小さな公園に出て、そこからチャールズ川の写真を撮った。軍艦らしき船が2隻停泊していた。

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  その公園で休憩した時に地図を確かめた。さっきの教会がオールド・ノース教会だったかもしれないとその時気づいたのだが、そこまで引き返さずにハノーヴァー・ストリートに出てしまった。トイレに行きたくなって、唯一トイレの場所が分かるボストン・コモンに引き返すことにしたからだ。うまくいけばポール・リビアの家を帰りがけに見つけられると踏んだのである。また別の教会があり、その前でバグパイプを演奏している人がいた。その写真を撮った。その時はその教会がセント・ステファン教会だと確認しなかった。そうしていたらその向かいがポール・リビア・モールだと気づいていたのに。そこにポール・リビアの立像があったのだ。惜しいことをした。

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 その後適当に歩いて都心の方に戻る。ポール・リビアの家は結局見つけられなかった。 またクインシー・マーケットに出る。かなりの人出だった。ブレイク・ダンスをやっていて人垣ができていた広場を通ってボストン・コモンに戻り、トイレに直行。その後はビーコン・ストリート沿いに歩いてアパートに戻る。アパートに戻るとぐったり疲れていた。戻ったのは5時過ぎだったろうか。軽く食事をした後ベッドで横になったらいつのまにか眠っていた。

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