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2008年8月 2日 (土)

先月観た映画(08年7月)

  「スウィーニー・トッド」(ティム・バートン監督、米) ★★★★
*「河童のクゥと夏休み」(原恵一監督、日本) ★★★★
*「僕のピアノコンチェルト」(フレディ・M・ムーラー監督、スイス) ★★★★
  「題名のない子守唄」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、伊) ★★★★
*「有りがたうさん」(清水宏監督、日本) ★★★★
*「潜水服は蝶の夢を見る」(ジュリアン・シュナーベル、米・仏) ★★★★
   「サラエボの花」(ヤスミラ・ジュバニッチ監督、ボスニア) ★★★★
   「勇者たちの戦場」(アーウィン・ウィンクラー監督、米) ★★★★
   「テラビシアにかける橋」(ガボア・クスポ監督、米) ★★★★
   「プロヴァンスの贈りもの」(リドリー・スコット監督、米) ★★★☆
*「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督、日本) ★★★☆
*「ディスタービア」(D・J・カルーソ監督、米) ★★★
   「フランドル」(ブリュノ・デュモン監督、フランス) ★★★

 7月は結構映画を観たのですが、ついにレビューを書きたいという欲求が湧き起こってくる作品には出会えませんでした。ブログを始めて1年目くらいまでは、観た映画はほとんど全部レビューを書いていました。さすがに今はもうそんな勢いはありません。*印を付けたものは短評を書いてありますので、そちらを参照してください。

* * * * * * * * * *

「スウィーニー・トッド」
Hutky02_2  「スウィーニー・トッド」はなかなか面白かった。「コープス・ブライド」や「シザーハンズ」ほどの出来ではないが、ティム・バートン独特のホラー感覚は健在だ。思った以上に残酷描写はどぎつかったが、胸が悪くなるほどではない。この映画で一番興味深いのは、これだけ殺人を犯したスウィーニー・トッド(Toddの最後のdを取ってTodと綴れは、ドイツ語で「死」を意味する)に強い嫌悪を感じないことだ。それはなぜだろうか。恐らく彼の殺人行為は一種の復讐であって、その復讐の動機に同情を誘うものがあるからだ。スウィーニー・トッドはエドモン・ダンテスを思わせる人物として登場してくるのだ。スウィーニー・トッドとその妻が受けた理不尽な仕打ちは、19世紀のイギリスという階級社会において下層社会の人々の命と人権がいかに低く扱われていたかを表している。復讐鬼と化したスウィーニー・トッドは終始暗い憂い顔でニコリともしない。だが彼は単なる異常性格者でも殺人鬼でもない。楽しそうに親子連れで来た客は殺さずに見逃している。

 かといって彼の行為を肯定してもいない。彼の無慈悲な行為は結果として愛する妻を自ら殺すことにつながり、最後には自慢のナイフで首を切られて死ぬことになる。あれだけ大量の血と殺人を描きながら後味が必ずしも悪くないのは、復讐の無意味さも描いているからだ。トビーと若い二人は生き残る。『モンテ・クリスト伯』のような深みはないが、独特の様式美を備えた映像は相変わらず魅力的だ。

「題名のない子守唄」
  ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「題名のない子守唄」は意外にも本格的なサスペンス映画だった。しかしよく出来ている。ヒロインがある一家に近づいてゆく動機は途中で分かってしまうが(日本のテレビドラマでよく描かれるテーマ)、それ以外にも多くの謎が絡まりあっていて最後まで引っ張られる。何しろ「家政婦は見た」どころか、その家政婦が怪しい行動をとるのだから。かなり重厚な味わいで、3時間近くあったような感じがした。「スウィーニー・トッド」のような復讐劇になりうる主題をはらんでいるが、こちらは愛情が強調されている。

 ヨーロッパにおける人身売買という裏の事情が謎の核心部分にあるが、それ以上に謎の家政婦イレーナを演じたクセニア・ラパポルトの存在感にひきつけられる。

「サラエボの花」
  「サラエボの花」は「亀も空を飛ぶ」のアグリンの主題と同じ主題を扱いながら、悲劇に至るのではなくその苦悩を乗り越えてゆく映画である。ボスニア紛争の傷痕という点でいえば、「ビューティフル・ピープル」の5つのエピソードの一つと重なる。産婦人科医モルディの元に子供を堕ろして欲しいと必死に頼みこんで来るボスニア難民夫婦のエピソードだ。理由を聞いても夫婦は答えない。やがて「サラエボの花」のヒロインと同じ事情だということが分かる。悩んだ末夫婦は子供を産む決意をする。生まれた子供は「ケイオス(混沌)」と名づけられた。

 「ビューティフル・ピープル」の5つのエピソードに共通するキーワードは「ケイオス」と「ライフ」だった。それは「サラエボの花」にも共通する。観るものに「ライフ」という言葉の持つ様々な意味、「生命」とは、「人生」とは、「生活」とは何かを問いかけるという点でも共通している。そういう意味では決して新鮮なテーマではない。「亀も空を飛ぶ」や「ビューティフル・ピープル」に比べればインパクトは弱いと言わざるを得ない。

 真相を知った娘があっさり母親と仲直りしてしまうというラストも安易だと感じる。しかしあくまで真実を隠そうとする母親を何とかそれを聞き出そうとする娘が追い詰めて行く展開、触れたくない過去をぐりぐりとつつきまわされる母親の耐え難い苦痛と苦悩は観るものに十分伝わってくる。傑作とはいえないが、観ておくべき作品である。

「勇者たちの戦場」
 「勇者たちの戦場」はハル・アシュビー監督の「帰郷」(1978)やアン・ソンギ主演の韓国映画「ホワイト・バッジ」(第5回東京映画祭グランプリ作品)に通じる戦争後遺症を扱った作品。これら二つはベトナム戦争を扱った映画だが、「勇者たちの戦場」はイラク帰還兵を描いている。その意味でこの作品も新鮮味に欠けるが、ベトナム帰還兵ものと違うのは9・11後の一連の作品群と共通するテーマも含んでいることである。その意味で「ジャーヘッド」とつながる映画だ。

 生き残った兵士が戦場での体験によって苦しめられている様を丁寧に一人ひとり描き分けてゆく。負傷した兵士はいうまでもなく、負傷せずに帰還した軍医のウィル(サミュエル・L・ジャクソン)すらも生活に順応できなくなっていた。ラストでウィルがまた戦場に戻ってゆくところが彼の精神的傷の深さを示している。普通の生活に彼の居場所はなかったのである。

 ありきたりのタイトルなので「ア・フュー・グッドメン」や「戦火の勇気」程度の映画かと思っていたが、意外に手ごたえがあった。しかし「帰郷」や「ホワイト・バッジ」を越えてはいない。アーウィン・ウィンクラー監督自身の作品としても「真実の瞬間」や「五線譜のラブレター」よりは劣ると思った。

「テラビシアにかける橋」
 「テラビシアにかける橋」は子供だましの映画かと心配していたが、なかなか良く出来ていた。ヒロインのアナソフィア・ロブ(「チャーリーとチョコレート工場」に出ていた子らしい)と音楽の先生役ズーイー・デシャネルが魅力的だった。「河童のクゥと夏休み」もそうだったが、現代のファンタジーは学校でのいじめと裏腹というのが寂しい。

 川を渡るロープ、木の上の家、二人が「テラビシア」王国と名づけた森、ファンタジーらしい要素はそれくらいだ。ないものは想像力で補う。「ナルニア物語」のようないかにもファンタジーという世界ではない。それがかえって魅力的だった。主人公のジェス少年は家にも学校にも居場所がない。そんな彼が偶然隣に引っ越してきたレスリーという活発な女の子に引かれ、二人で森の奥に空想の世界を作る。想像力は創造力であることを教えてくれる作品だ。

 最初はいやな家庭や学校からの逃避的な行動だったが、やがてそれが自分で新しい世界を作る喜びに変わって行く。そしてジェスを襲う突然の試練。ジェスは自分を責める。やがて彼はその悲しみを乗り越え、テラビシアに新しい王女を迎える。

 残念なのはレスリーに起こった悲劇があまりに唐突なのでリアリティを感じないということだ。だからジェスがそれを乗り越えてゆく過程もどこか抽象的である。むしろ学校でのいじめの方がやけにリアルに感じる(トイレの使用料を強要する女番長が印象的)。まあ、あまりうるさいことを言わず楽しめばいい。

「プロヴァンスの贈りもの」
Hotarubukuro20082   一頃ピーター・メイルの作品をよく読んでいた。『南仏プロヴァンスの12か月』(河出書房新社)の翻訳が出たのが93年だから、90年代の初めから半ばごろだろう。翻訳が出るたびに買って読んでいた。イギリス人の目から見たフランスという視点が面白かったのと、プロヴァンス地方の魅力に惹かれていたのだろう。4冊目ぐらいから飽きてしまって、それ以後は読んでいない。プロヴァンス地方に関心を持ったのは恐らくマルセル・パニョルの回想録『少年時代の思い出』を映画化した「プロヴァンス物語 マルセルの夏」(90)、「プロヴァンス物語 マルセルのお城」(91)二部作の影響だろうと思われる。この2本は90年代前半のフランス映画を代表する優れた作品だった。

  「プロヴァンスの贈りもの」で久々にピーター・メイルの作品を味わった。恋愛映画だったのは意外だったが、予想以上にいい映画だと思った。恋愛映画といってもそれが必ずしも中心ではない。あるいはプロヴァンスにおけるロハスな生活と“豪腕トレーダー”として危ない橋を渡る生活の対比という枠組みだけで観る映画でもない。映画の中心にはワインがある。芳醇なワインの香りを楽しむように人生を楽しむことを描いた映画なのである。恋愛もシャトーでのゆったりとした生活もその一部に過ぎない。

 だからこの映画でいちばん魅力的なのはアルバート・フィニー演じるヘンリーおじさんなのである。「負けを認めるのが男だ。相手の勝利を祝う、広い心を持て。勝利から学ぶものは何もない。だが敗北は知恵を生み出す。もちろん勝つ方が楽しいに決まっているが、負けることだってある。大事なのは、負け続けないことだ。」マックスは不器用にその後を追いかけているだけである。映画の最後でやっと彼は出発点に立ったばかり。ファニーは簡単に手に入ったが、人生の熟成はこれからだ。主役は常にヘンリーおじさんだった。人生の苦さを知ってこそワインの芳醇さを味わえる。マックスが未熟な分映画も未熟だった(あまりに都合のいい展開)。しかし失敗してもそこから学べばいい。

 ついでながら、今やフランス大統領夫人となったカーラ・ブルーニの姉ヴァレリア・ブルーニ・テデスキも公証人役でちょいと顔を出している。

「フランドル」
 舞台はフランドル地方の小さな村。いつも地面はぬかるんでいて、人が歩くたびにびちゃびちゃと音を立てる。家は点々とあるだけで何とも寂れた感じのする田舎。登場するわずかな人々は皆無口で、どこか無気力さを漂わせている。何度か描かれるセックスも何とも潤いのない機械的行為だ。

 そんな活気のない村を出て男たちは戦場へと向かう。そこにあったのは砲弾と弾丸が降り注ぐ地獄だった。「フランドル」はこの二つを対比的に描いている。死んだように活気のない村と兵士たちが転げまわり叫びまわり死んでゆく戦場。村に残された少女バルブは精神に異常をきたす。

 たまたまレンタル店で見つけた作品。いかにもヨーロッパの批評家が喜びそうな映画だ。06年カンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞したというが全く評判を聞かなかった。ということはいわゆるアート系映画に違いない。一応観ておくことにしたが全く期待はしていなかった。予想通り退屈でつまらない映画だった。ヨーロッパの批評家たちはこの手の抽象度の高い作品を「芸術的」として誉めそやす傾向がある。僕はそういう価値観には常に疑問を感じてきた。彼らは極力説明的描写や物語性を排除し、イメージや情念を前面に押し出した作品を高く評価する。僕にいわせれば、そんなものは一部の「芸術オタク」御用達のオタク映画に過ぎない。

 同じブリュノ・デュモン監督の「ユマニテ」もカンヌで審査員グランプリを受賞したが、これも全く退屈でつまらない映画だった。ヨーロッパ映画は時々こういうだらだらした作品を作る。映画なのだからもっと面白く作って欲しい。

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