2002年 日本 2003年11月公開 120分
評価:★★★★★
監督:池谷薫
撮影:福居正治
音楽:三宝(サン・パオ)
編集:吉岡雅春
エグゼクティブプロデューサー:北川恵、中西利夫
プロデューサー:権洋子
出演:何海霞(フー・ハイシア)、王露成(ワン・ルーチョル)、黄玉嶺(ホアン・ユーリン)
趙国棟(チャオ・グオトン)、王偉(ワン・ウェイ)、王雄驥(ワン・ジョンジー)
池谷薫(いけや かおる)監督。NHKで多くのドキュメンタリー番組を作ってきた。「チャイナタウン」(1991)、「黄土の民はいま」(1994)、「広州青春グラフィティ」(1995)、「中国・12億人の改革開放」 (1995)、「中国・巨大市場へのうねり」(1999)など、中国を題材にした番組が多い。NHKスペシャルとして放映されたものがほとんどだが、まさに中国問題のスペシャリスト。89年の天安門事件以降、中国での取材活動を積極的に展開している。「延安の娘」も当初はNHKのハイビジョンチャンネルのために制作されたものだという。2年にわたり取材を続け、記録したハイビジョンテープは170時問に及んだという。
残念ながら彼のテレビ番組は一つも観ていない。しかし、初の長編ドキュメンタリー映画「延安の娘」は彼の力量を充分印象付ける傑作だった。優れたドキュメンタリーやルポルタージュはフィクションを越える。80年代以来僕が持ち続けている確信だ。想像力(創造力)を生の現実が軽々と超えてしまう。そういう優れたドキュメンタリーやルポルタージュといくつも出会ってきた。恐らく今の中国は優れたドキュメンタリーを生み出しうる最高の題材だろう。長い歴史と急激な近代化が混在する国。急激な変化は様々な矛盾と混乱を生む。その一つの象徴が三峡ダムの建設であり、「長江哀歌」はドキュメンタリー的手法で近代化が古い遺産を容赦なく押し流してゆく実態を抉り出していった。矛盾と混乱のあるところには必ず、その中で翻弄され、苦悩し、もがく人間のドラマがある。
ドキュメンタリーの持つ力はその具体性とリアリティである。これまでもいろんなレビューの中で書いたが、単にある戦争で何万人の犠牲者が出たと書かれてもその犠牲者たちや遺族の苦しみや苦悩はリアルに伝わってこない。実際に経験した人の体験談の方が遥に説得力があり、肌を通して伝わってくる。想像を超えた現実の重み、それが様々な技法を駆使した創造を超えてしまう。その最も分かりやすい例があの9.11テロの圧倒的な映像である。
いや、現実がシンボリックな効果を生み出すことすらある。朝日新聞の記者だった井川一久がポル・ポト政権による民衆虐殺を取材した『このインドシナ-虐殺・難民・戦争』(1980、連合出版)に次のような一節があった。井川は数々の虐殺現場を取材してきたが、ある虐殺現場の近くで彼はあるものを見た。そしてその場にへなへなとへたり込んでしまった。百戦錬磨の新聞記者から立ち上がれないほど力を奪ったのは血なまぐさいものでも、ぞっとするほど不気味なものでもなかった。それは普通なら平和とやすらぎを連想させるものだった。
そういう刑務所のまわりに直径3、4メートルの窪地が無数にある。1ヵ所に30体から100体の死体を入れて土をかぶせたのだけれども、死体が腐って内部に空隙ができたために、かぶせた土が陥没したんですね。その土は血で赤黒く染まっている。穴は犠牲者たちに自分で掘らせるわけです。それから彼らを後ろ手に縛りあげて穴の前にひざまずかせ、後頭部を鉄棒で一撃して殺して穴に蹴落とす。だから頭蓋骨をみると、たいてい後頭部が陥没している。穴の周辺には白骨や毛髪や衣類がおびただしく散らばっています。子どもの衣類も多い。縛られたままの白骨もある。犠牲者を拘束していた鉄の足枷や、殺害に使った鉄棒もころがっている。いちばん鬼気迫る感じがしたのは、ツオル・マリン村で小鳥の巣が人間の髪の毛でできているのを見たときです。このときは私も総身の力が抜けたような状態になって、その場に座り込んでしまいましたね。
井川一久編/本多勝一司会『このインドシナ』(1989、連合出版)p.23
彼が見つけたもの、それは小鳥の巣だった。すべて人間の髪の毛で作られていた真っ黒な鳥の巣。小さな鳥の巣の中に平和でほほえましいイメージと恐るべき虐殺のイメージが共存していた。生を育むイメージとむごたらしい死のイメージの一体化。散々吐き気を催す現場を見てきただけに、このコントラストは強烈だったのだろう。こんなところにまで虐殺の結果が及んでいたのか!
この鳥の巣が持っていた力はある種のシンボリズム的な力だと言っていいだろう。髪の毛が遺体を暗示するのは隠喩の一種である提喩(シネクドキ)の効果でもある。しかも、すべて人間の髪の毛で作られていたということは、遠くまで行かなくともすぐ手近に「材料」が豊富にあったことを意味している。一つの鳥の巣が持つめまいがするような意味の重なりと広がり。これらの強烈なコントラストと「効果」の重なりが一体となって、本来なら愛らしいはずの鳥の巣をすぐ近くにある人骨の山以上におぞましいものに変えてしまったのだ。
しかしこれを単純にシンボリズムだと言ってしまうわけにはいかない。シンボリズムはもっと曖昧で抽象的なものだ。この鳥の巣が強烈なインパクトを与えるのは、その前提に取材した人々が語った悲惨な事実、人骨の山などが積み重ねられているからである。事実の積み重ねにあるシンボリックな力が加えられた時、大きな飛躍が生まれる。そうとらえるべきだ。つまりこの効果はシンボリズムではなくリアリズムの延長としてとらえられるべきだと僕は思う。セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」で描かれた有名な場面、揺りかごがオデッサの階段を転がり落ちてゆくシーンを連想してもいいだろう。リアリズムを現実の平板な反映だと考えるのは間違いである。リアリズムは現実をより効果的に描き出す努力を営々と積み重ねてきている。そして上に示したように、何より現実自体が平板ではないのである。9.11の時のツイン・タワーもシンボリックな意味合いを帯びていたではないか。
リアリズムも決して一様ではない。もう20年くらい前になるだろうか。テレビでヨーロッパのどこかで起こった航空機どうしの空中衝突事故の現場が中継されていた。インタビューを受けた男性がこんなことを言っていた。煙をあげて航空機が墜落して行くのを見上げていたら目の前に手袋が落ちてきた。拾ってみたら中に手が入っていたと。これは、物語として考えれば、グロテスク・リアリズムである。あるいは中南米のマジック・リアリズムを想起してもいいだろう。19世紀の小説において一つの頂点に達したリアリズムは、20世紀以降もさまざまに形を変えて連綿と続いている。そしてその重要な形態の一つがドキュメンタリー映画なのである。
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文革時代。中国近代史でこれほど人間の暴虐と苦悩と悲哀が詰まった時期はないだろう。映画でも「芙蓉鎮」や「青い凧」、「さらば、わが愛 覇王別姫」、「活きる」などの傑作がこの時代を描いてきた。猛威を振るった紅衛兵たちはやがてそれ自体が脅威になり始め、やっかい払いするかのように彼らは下放させられた。その下放生活がいかに悲惨なものであったかを描いたのが「シュウシュウの季節」である。幹部たちの性の慰み者にされ、故郷に帰るという望みもかなえられずに死んでゆく一人の娘。文革は終わっていたのに、彼女の存在など忘れられ辺境の地に置き去りにされた。メロドラマ的な演出も目立ち傑作には至らなかったが、時代に翻弄された1人の女性の数奇で悲惨な運命が強烈なインパクトを与える作品だった。
「延安の娘」はメロドラマ的な要素は一切排している。1人の下放青年が下放時代に秘かに作った娘(他人に養子として育てられた)が北京の父親に会いに来るという話が中心にあるが、その父娘だけではなく、その父親と同世代の人たちの話を盛り込んでいるために映画に広がりと深みが加わった。同じく下放中に子供を作って逮捕された経験を持つホアン・ユーリン、下放してきた女性と結婚の約束をした(当時は男女が恋愛すること自体反社会的行為だった)ために下放破壊罪で15年の刑に服したワン・ウェイ(しかも冤罪の可能性がある)、四人組を批判する詩を持っていたために逮捕されたワン・ジョンジー(大変なインテリだがいまだ満足な職を得られない)。「延安の娘」は単なる娘と父の再会のドラマではない。忘れられた父の世代にいまだ生々しい下放時代を語らせ、心に深く負った傷が今なお癒えないどころか、教育を受ける機会を奪われたこの世代が時代の変化についてゆけず、今やリストラの対象となっていることまで描いている。それでいて彼らが社会問題として取り上げられることはない。「失われた世代」ならぬ「忘れられた世代」。彼らはあの時どんな思いで生き、今どのように暮らしているのか。そして過去とどう向き合い、乗り越えようとしているのか。映画の視野はそこまで及んでいる。
登場するのは北京の長辛店に生まれ、中学生の時に陝西省・延安に下放された人々である。「長辛店の中学生400名は陝西省・延安に下放させられた。」(字幕)延安は毛沢東率いる労農紅軍が軍事拠点を築いた場所で、「革命の聖地」と呼ばれるようになった。しかし革命運動の情熱に燃えた中学生たちがそこに見出したのは期待とおよそかけ離れた現実だった。二人の登場人物がこの期待から幻滅への変化を的確に表現していた。「延安は革命の聖地で『花香る』と歌にある。美しい土地と思ってた。ひらけた場所だと・・・ところが水も電気もない。」「虫がわいた水溜りの水を飲んだ。お腹もへって、みんな泣いた。泣けば帰りたくなるけど、帰してもらえるはずもない。」「結局、下放は青少年の思想の幼稚さを利用してたんだ。」
最後の言葉が強烈だ。毛沢東の権力闘争に利用され、邪魔になれば「下放」の名の下にやっかい払いされた。延安の荒れはてて不毛な風景が象徴的だ。黄土高原にある延安は何もない不毛の山岳地帯だった。見渡す限りの山また山。一面黄土色で緑がほとんどない。地面も壁も同じ黄土色。風が吹けばものすごい土煙が舞い上がる。何のことはない、ゴビ砂漠にある労働改造所に押し込められたようなものだ。
「延安の娘」フー・ハイシアの父ワン・ルーチョルなどは、延安で散々苦労した挙句、北京に戻っても給料の安い工場の仕事しか世話してもらえなかった。同じ延安に下放されていたハイシアの母親はもっと給料のいい仕事を得た。やがて彼女はうだつの上がらないワン・ルーチョルと別れる。既に結婚していた母親は最後まで娘のハイシアに会う決心が付かなかった。
ワン・ルーチョルはまさに忘れられた下放世代の代表だ。失業して昼間から上半身裸でゴロゴロ寝ている。見るからにやる気のない様子。住んでいる家も貧民街のようなボロ家だ。延安に残してきた娘がお前に会いたがっていると聞かされて、ただおろおろして泣くばかりの情けない父親。しかし彼のだらしなさばかりを責めるわけにはいかない。「ずっとおれを思ってたなんて、申し訳ない」と言って泣き出す彼の姿には、責任放棄というよりは貧しくて親としての責任を果たせない自分の情けなさが現れている。「見つけてくれなくてよかった。おれなんかいないのと同じだ。」と泣く彼の気持ちの背後には、娘が会いに来ても服を買ってやることもできない(自分の服も「貧困救済用」の服だ)という思いがある。
娘と会いたくないという彼の気持ちには、娘に居つかれては困るという危惧もあっただろう。しかしハイシアの気持ちはもっと純粋だった。「私はどうしても北京へ行きたい。行けばどうして自分が生まれたのか、真実は何なのかはっきりすると思います。」自分はなぜ生まれたのか、両親はなぜ自分を育てず養子に出したのか。とにかく父親と一目会ってそれを聞きたい。その一心だったろう。彼女の北京行きに養父母は強硬に反対していた。ハイシアはその反対を押し切っても北京に行きたかった。「実の父と会えるなら養父母と縁を切っても構いません。北京に行ったら必ず認めてもらいます。育ての親と縁を切る覚悟で行くのですから。気にかけてくれる人が欲しい。」
「気にかけてくれる人が欲しい。」この言葉の切実さに胸を突かれる。まだ20代なのに顔にはいくつもしわが刻まれている。彼女もまた苦労をしてきたのだ。養母は自分の子どもが出来るとハイシアの世話をしなくなった。小学校も3年までしか行かせてもらえなかった。しかし嫁いだ先の家族は親切な人たちに思えた。それでも彼女は寄る辺ない思いを抱いていたのだろうか。恐らく自分が養子だと知った時、彼女は自分が天涯孤独だと感じたのだろう。自分には本来の家族がいない。たとえ優しい人たちに囲まれていたとしても、この気持ちは抑えがたかったのかもしれない。だからこそ、養父母と縁を切ってでも北京の父に会いたかったのだ。
娘と会った時ワン・ルーチョルは娘に次のような言葉をかけた。「よく捜したな。やっと見つけたんだ。顔を見れば苦労がわかる。たいへんだったな。」苦労が顔にまで表れている。「おれの罪だ」と自分を責める父親としてはいたたまれない思いだっただろう。だがその言葉自体に彼の変化が表れている。あれほど会いたくないといっていたワン・ルーチョルだが、娘と会ってからの彼は立派だった。初対面の時に上半身裸で現れるところはいかにもだらしないと感じるが、(インタビューで監督が指摘したように)彼は飾らない普段の自分を娘に見せたかったのだろう。
彼の同級生たち(下放仲間)がハイシアの歓迎会を開いたとき、彼は突然立ち上がって発言する。「おれたちは国にすべてをささげた。青春を犠牲にしてな。ところが今忘れられている。だれもおれたちを気にしやしない。」この発言には幾分か言い訳も含まれているだろう。悪いのはおれ個人ではないと。しかし「このままでいいのか」という前向きの提起も含まれている。監督が言うように、彼は散々迷いはしたが、最終的には娘という「過去」から逃げなかった。娘と会い、自分をさらけ出し、そして娘を受け入れた。彼は彼なりに現実に立ち向かおうとしている。
ハイシアの出現が埋もれた「過去」を、昔の古傷をうずかせたのはワン・ルーチョルの同級生たちも同じだった。そして彼らもまたハイシアを受け入れた。ハイシアのためにカンパをつのった司会者の言葉がそれをよく表している。「農村で生まれたワン・ルーチョルの娘は下放青年みんなの娘だ。」その場に集まっていた同級生それぞれにいろんな思いがあっただろう。誰もが下放時代の語るべきエピソードがあるに違いない。苦しい時代を共有したからこそ、仲間の痛みや辛さが理解できる。自分たち自身が「過去」になってしまいたくはないという思い。ワン・ルーチョルの突然の演説に対する反応は様々だったが、この思いは共通していただろう。
こうして一組の父娘を中心にしながらも、「忘れられた世代」へと視点が広がってゆく。ホアン・ユーリン、ワン・ウェイ、ワン・ジョンジーのエピソードが父娘のエピソードを包み込むようにつづられてゆく。中でも特に重点が置かれ、また強烈な印象を残すのはホアン・ユーリンである。どっしりとした落ち着き、思慮深さ、包み込むような懐の深さ。食堂を営んでいる一介の市民に過ぎないのに、まるで名優のような圧倒的存在感。僕は「芙蓉鎮」でクー・イェンシャン(谷燕山)を演じたチョン・ツァイシーを連想した。
ホアン・ユーリンこそこのドキュメンタリーの結節点に位置する人物である。ハイシアの両親が彼女を捨てざるを得なかった事情を説明したのは彼だった。彼自身同じ状況に陥り下放破壊罪を宣告されて辛酸をなめてきたのだ。「あの時代下放青年が子供を産むことは許されなかった。お腹の子供は中絶させられた。・・・当時妊娠がばれたら大事件だった。なにせあの時代は男と女が恋愛すること自体反社会的行為だった。文革の間恋愛は封建主義や資本主義の悪しき産物として厳しく取り締まられた。下放破壊は反革命罪だった。」ハイシアの両親は反革命罪を逃れるためやむを得ず生まれた娘を他人に預けたのである。
同じように恋愛問題で下放破壊罪に問われ、15年の刑を言い渡されたワン・ウェイの無念を晴らそうと努力したのも彼だった。自分ははめられ、見せしめにされたのだという彼の言葉をどこまで信じたのかは分からないが、「いまさらどうこうという訳じゃないが、謝罪の言葉が欲しい」と言う彼の言葉を受けて行動した。
しかし彼の存在が印象的なのはその落ち着いた聡明さや行動力のためだけではない。底知れない彼の苦悩の深さ、突然嗚咽する彼の姿こそがわれわれの胸を打つのである。「お前は人間じゃない畜生だ」とダムの建設現場(ここで強制労働させられていた)で看守に言われ、彼はその言葉にずっと苦しめられてきたのだ。「芙蓉陳」の主人公たちを想起させる非人間的な扱いに長年もがき苦しんできたのだ。「おれは人間だ、畜生じゃない。」そう自分に言い聞かせることで痛みに耐えてきた。知的で常に冷静だった彼が「だれかホアン・ユーリンが歩んだ道を語ってくれ。おれの歴史を語ってくれ」と泣き崩れる場面はこの作品の中でもっとも悲痛でかつ感動的な場面である。この言葉を引き出したところにこのドキュメンタリーの最大の価値がある。僕はそう言い切りたい。声なき叫びに声を与える。これこそドキュメンタリー映画の重要な役割の一つである。ホアン・ユーリンはこの映画の中で自分の「歴史」を詳しく語らなかったが、1人の女性に自分の歴史を3時間にわたってとうとうと語らせたのが、昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でロバート&フランシス・フラハティ賞を受賞した「鳳鳴(フォンミン)−中国の記憶」(「鉄西区」のワン・ビン監督)である。生の現実がフィクションを越えてしまう実例がここにもある。
最後にもう1人の主要登場人物であるワン・ジョンジーについても簡単に触れておきたい。下放して延安に住み着いているが、しょせんよそ者なので仕事が見つからない。テレビもない生活をしている。彼がこの映画の中で比較的大きく取り上げられているのは文革肯定派だからである。彼は、66年8月18日に毛主席が紅衛兵に接見した時の写真をいまだに大事そうに掲げ、「文革を生きた者はあの時の感動を簡単には捨てられない。こんな暮らしぶりだとなおさらだ」と語る。
北京から持ってきたという箱の中は理論書でいっぱいだ。ベートーヴェンを語る彼の言葉から彼が相当なインテリであることが分かる。二度投獄された経験を持つ彼がなぜいまだに毛沢東や文革を信奉しているのか。映画の中で語られた限りでは分からない。理論に傾倒するあまり現実が見えていないのだろうか。恐らく彼は革命の現実ではなく革命の理想を見ていたのだろう。その意味で訳も分からずひたすら旧体制破壊に狂奔していた他の紅衛兵たちと違っていた。彼の毛沢東像は「老紅軍」たちのそれとあるいは近いのかもしれない。
老紅軍とは1935年の長征で延安にたどり着き、毛沢東の下で抗日戦争、国共内戦を戦った老兵たちである。彼らも「毛沢東のことは死んでも忘れない。あんな偉大な人はいない」と語っていた。老紅軍とかつての紅衛兵・下放青年たちを同じだと思ってはいけない。戸外でマージャンに興じる老紅軍たちの昔話は単に昔を懐かしがっているだけではなく、誇りに満ちている。彼らは伝説の英雄世代なのである。侵略者日本軍と闘い、中華人民共和国を成立させた世代だ。自分たちが新しい中国を作った。そこには若々しい革命への情熱があっただろう。その戦いの先頭には常に毛沢東がいた。彼らの毛沢東に対する信頼はそこから来ている。いつしかそれは妄信となり、その後党内の権力闘争にのめりこんで行く彼の姿が見えていないのだ。彼らから見れば紅衛兵たちの運動は兄ちゃんや姉ちゃんたちが騒ぎまわっているという程度にしか見えなかっただろう。一方、当の紅衛兵・下放世代は過去を語る時に悔悟と苦悩がにじむ。そうでない者もいるが、大概はやっと傷口がふさがった古傷のように触れたがらない。彼ら自身が忘れられた世代なのだ。「テレビを見て社会の変化を学んでいる」と語るワン・ジョンジーの目に今の中国はどう見えているのだろうか(見かねた弟が送ってくれた金で彼はテレビを買った)。
一つの視角にまとめ上げるのではなく、多様な視点を取り入れたことがこの作品にふくらみを与えた。一組の親子ではなく一つの世代を描こうとした。そうすることで歴史の流れも取り込むことが出来た。しかもそうしながら個々の人物の心の叫びがきちんと伝わってくる。ラストは父に宛てたハイシアの手紙で終わる。声に出して娘の手紙を読むワン・ルーチョル。手紙の最後には「娘 海霞(ハイシア)」と署名されている。娘は延安に帰っていったが、親子の絆は結ばれた。顔にいくつものしわを刻みながら、はにかんだり笑ったりする時のハイシアは二十歳の小娘のように見える(ふとした表情がどこかアグネス・チャンを思わせる)。最後に延安の茶色の台地が映され、畑を耕すハイシアの姿が見える。手紙の中では作物がどれだけ取れたか報告されている。あの茶色の大地は決して不毛の地ではなかった。
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