先月観た映画(08年6月)
「ONCE ダブリンの街角で」(ジョン・カーニー監督、アイルランド)★★★★☆
「迷子の警察音楽隊」(エラン・コリリン監督、イスラエル・仏)★★★★☆
「探偵物語」(ウィリアム・ワイラー監督、米)★★★★
「シッコ」(マイケル・ムーア監督、アメリカ)★★★★
「その名にちなんで」(ミーラー・ナーイル監督、印・米)★★★☆
「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督、仏・カナダ)★★★☆
「ナショナル・トレジャー2」(ジョン・タートルトーブ監督、米)★★★☆
「グッド・シェパード」(ロバート・デ・ニーロ監督、米)★★★☆
先月は何かと忙しくて8本しか観られなかった。1ヶ月に映画を2桁観るのはこんなに大変なものか。それ以上に情けないのはこの中で本格レビューを書いたのは「迷子の警察音楽隊」だけだということ。「ONCE ダブリンの街角で」もレビューを書くつもりだが、こう忙しくなるととりあえず本数稼ぎで観る映画が増えて、最初からレビューを書くつもりで観る映画は限られてしまう。
まあ、ぼやきはこれくらいにして、「迷子の警察音楽隊」、「ONCE ダブリンの街角で」、「中国の植物学者の娘たち」については関連記事をお読みください。
「探偵物語」
35年ぶりに観直したウィリアム・ワイラー監督の「探偵物語」はさすがの出来。舞台はほとんど警察署内に限られ、重厚な人間ドラマが展開される。まるで舞台劇のようだ。と思ったら、やはりニューヨーク21分署の刑事たちの一日を描いたシドニー・キングスレーの舞台劇の映画化だった。
とにかく異色の刑事ものである。何しろ舞台劇が原作で舞台は警察署内に限られているのだから、犯人捜査や逮捕劇、犯人との駆け引き、派手な撃ち合いなどは一切出てこない。アクションやスリルで魅せるのではなく人間ドラマにした。映画は正義感が強く異常なほど悪人を憎む刑事ジム・マクラウド(カーク・ダグラス)に焦点を当て、犯罪あるいは犯罪者をどう捉えるのか、正義とは何かという問題を提起する。同僚の刑事も異常なほど犯罪者を憎む彼を見かねて「風が吹いたら曲がれ。そうしないと折れる。」と忠告するが、彼は自分の信念にかたくななまでに固執する。
ドラマが進むにつれて彼のかたくなな態度は父親に対する激しい憎しみからきていることが分かってくる。マクラウドのかたくなさははついに最愛の妻メアリー(エレノア・パーカー)との間にも亀裂を生み出してしまう。彼の元を去る妻が彼に投げかけた「あなたはお父さんと同じよ」という言葉が彼の胸に突き刺さる。
今観直してみるとマクラウドの性格描写に多少生硬さを感じる。しかしそれを補うものがある。警察署内の雰囲気が今の感覚で観ると奇妙に思えるほど自由なのだ。勾留された
容疑者たちが絶えず刑事たちの周りをうろうろしている。万引きで捕まった女(リー・グラント)は夜の簡易裁判を待つ間の退屈を紛らわすために何かと刑事たちや他の容疑者にちょっかいを出したりしている。手錠もされていないから自由に歩き回っている。他にも店の金をつかい込んだ青年アーサー(クレイグ・ヒル)と彼を心配して駆けつけてきたスーザン(キャシー・オドネル)、2人組宝石強盗チャーリー(ジョセフ・ワイズマン)とルイス(マイケル・ストロング)などを配して話にふくらみを持たせ、かつ様々な人間像を交錯させてマクラウドの視点を相対化している。さすがは巨匠ウィリアム・ワイラー、堂々たる演出である。ただし「探偵物語」というタイトルはいただけない。原題の“DETECTIVE STORY”をそのまま使うのなら「刑事物語」とすべきだった。
「孔雀夫人」、「黒蘭の女」、「嵐ヶ丘」、「我らの生涯の最良の年」、「ローマの休日」、「必死の逃亡者」、「友情ある説得」、「大いなる西部」、「ベン・ハー」、「噂の二人」、「コレクター」、等々。彼の代表作を並べてみると実に壮観だ。これだけ平均して優れた作品を生み出してきた監督も世界にそうはいないだろう。
「グッド・シェパード」と「ナショナル・トレジャー2」
「グッド・シェパード」は静かで暗い映画だ。想像していたのとは全く違うので戸惑った。悪くはないが、良いとも言い難い。観てからまだ10日ほどしかたっていないのに、正直ほとんど内容を思えていない。どうも焦点が定まっていない印象を受けた。内幕ものとしてもサスペンスものとしても中途半端だ。CIAに対するデ・ニーロの姿勢も曖昧な感じを受けた。たぶんその辺が物足りないのだろう。
「ナショナル・トレジャー2」は典型的なジェットコースター・ムービー。文句なしに楽しめる。謎があっさり解決してしまうのは物足りないが、そんなことを考える間もなく次々に新しい展開になる。しかし1作目に比べるとどうしても無理やり作ったという感が否めない。もちろん1作目だってそうなのだが、荒唐無稽さが意外な結びつきを生み、なるほどそう来たかとうならせるものがあった。「ダ・ヴィンチ・コード」に近い魅力があったと言えばいいか。ところが2作目の「リンカーン暗殺者の日記」は謎自体のスケールが小さく、言ってみれば楽屋落ち的なところがあったように思う。どうせやるならはったりは大きく、「ダ・ヴィンチ・コード」や東周斎雅楽原作、魚戸おさむ画『イリヤッド-入矢堂見聞録』や星野之宣の『ヤマタイカ』くらい稀有壮大にやって欲しい。
余談だが、ニコラス・ケイジの母親役にヘレン・ミレンが扮していた。しかしどういうわけか、エンディング・ロールを見るまでずっとメリル・ストリープだと思っていた(汗)。この二人似てたかな?
「その名にちなんで」
「その名にちなんで」は家族の絆を描いたなかなかいい映画だった。アメリカに住むインド人移民を描いた作品はまだまだ少ないので貴重な作品である。主人公はかなりアメリカ文化に馴染んでいるが、節目節目の儀式では伝統的な民族儀式が描かれており、その点には好感を覚えた。ただ、肝心なゴーゴリの名前のいわれにいまひとつ納得がいかなかったのが残念だ。ゴーゴリの「外套」を握りしめていたことが、列車事故で彼が助かったこととどう結びつくのかよく理解できなかった。
フリーソフト「映画日記」に「その名にちなんで」のデータを記入していてびっくりした。何とミーラー・ナーイル監督の作品を観るのは2本目だった。「サラーム・ボンベイ」も彼の監督作品だったことにその時初めて気づいた。まあ無理もない。「サラーム・ボンベイ」は観たこと自体すっかり忘れていたのだから。
「シッコ」
「シッコ」は期待以上に面白かった。アメリカの保険と医療の実態は本当にひどい。日本の政府が医療制度をアメリカ型に近づけようとしているのは明らかだから、これは決して他人事ではない。マイケル・ムーア監督の手法はいつも通りアメリカと他の国を比較することでアメリカの異常さを強調している。「ボウリング・フォー・コロンバイン」ではカナダとアメリカを比較して見せたが、「シッコ」ではイギリスやキューバなどと比較している。中でもグアンタナモに行った後キューバに立ち寄るシークエンスが面白い。アメリカより遥に充実した制度と設備にアメリカ人たちが感激して泣くシーンは圧巻だった。絵に描いたような対比のさせ方だが、確かにインパクトはある。
しかし、イギリスのNHSの病院へ行ってその充実振りにわざとらしく驚いて見せる演出はいやみだと思った。そんなことは先刻承知の上だったに違いないのだから。91年に「ロジャー&ミー」をビデオで観た時にはその斬新な映画つくりに感心したものだ。それっきり消えてしまったかと思っていたら「ボウリング・フォー・コロンバイン」で大ブレイク。しかし作品的にはこれが頂点だったと思う。「華氏911」と「シッコ」は衝撃度において「ボウリング・フォー・コロンバイン」にかなわない。そろそろ芸風を変える時じゃないかな、ムーア先生。
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