「中国の植物学者の娘たち」を観ました
ダイ・シージエ監督の作品を観るのはこれが2本目。最初に観た「小さな中国のお針子」(02)には新鮮な感動を覚えた。文革時代を背景にした恋愛ロマンスだが、僕はヒロインが字を覚え、小説を読めるようになることが重要だと思った。隠れて字を教えるというテーマはNHKの名作ドラマ「大地の子」や「サン・ジャックへの道」でも描かれている。文字を学ぶことを通して物語を知ることは、自分が直接経験できる世界を超えた新しい世界、まだ見ぬ広い世界を知ることである。また、新しい自分の可能性を知ることでもある。だから「小さなお針子」は村を出て行ったのだ。恋愛のテーマよりもこのことこそ、作者が一番言いたかったことではないかと思った。このことはダイ・シージエ監督が海外に住み、海外資本で映画を作っていることと無関係ではないかもしれない。
「小さな中国のお針子」はフランス資本で作られた。「中国の植物学者の娘たち」はフランス・カナダ資本である。最近は製作に数カ国が名を連ねることが珍しくない。映画のスタッフの国籍と映画の舞台と製作資本がずれることもしばしばある。どの国の映画かを決めるのはスタッフではなくどこが資金を出したかによって決まる。だから中国人が監督していても「中国の植物学者の娘たち」はフランス・カナダ映画扱いになる。それはモンゴル出身のビャンバスレン・ダバー監督がメガホンを撮り、モンゴルで撮影した「天空の草原のナンサ」がドイツ映画扱いとなるのと同じである。なお、カナダが製作に名を連ねていることが多いが、カナダは人口が少ないために映画を製作しても制作費を回収することが困難なのである。そこで他の国の映画に資金を出して製作に加わることや、他の国と共同で製作することが多くなるのである。カナダ映画として作られたものには例えば「森の中の淑女たち」、「大いなる河の流れ」、「氷海の伝説」、「スウィート・ヒアアフター」、「キューブ」、「みなさん、さようなら。」、「大いなる休暇」などがあるが、あまり多いとは言えない。
「中国の植物学者の娘たち」は中国ではいまだにタブーである同性愛を描いた点で注目されている。「ブロークバック・マウンテン」を撮った台湾出身のアン・リー監督は、93年にやはり同性愛を扱った「ウェディング・バンケット」を作っている。「ウェディング・バンケット」の場合、同性愛のテーマは親子の関係という映画のより大きな主題の中に組み込まれており、全体としては親子の絆をめぐる人間ドラマになっていた。一方「中国の植物学者の娘たち」はむしろヒロイン二人(アンとミン)の関係を官能的に描くことに力をいれている。アンと父親の植物学者との関係も描かれてはいるが、その関係のあり方は「ウェディング・バンケット」よりはるかに単純で図式的ある。そしてヒロインたちと同じくらい大きな比重を占めているのは美しい自然環境である。舞台となった植物園、その植物園がある湖に浮かぶ小島、冒頭とラストでとりわけ印象的に映し出される幻想的な水辺。
何度か島の外の場面が差し挟まれるが、ほとんど植物園の中で物語は展開する。主な登場人物は4人だけ。主たる舞台が湖中の小島にある植物園という閉ざされた空間である点、この世のものとは思えないほど美しい環境に包まれているという点で、キム・ギドクの「春夏秋冬そして春」を連想させるものがある。ただ「中国の植物学者の娘たち」では情念よりも情感や官能性が強調されている。
道ならぬヒロイン2人の愛は悲劇的結末を迎えることになるが、社会派ドラマという作りではない。つまり、人工的に作り上げた桃源郷のような舞台で繰り広げられる官能的な恋愛ドラマ、一言でいえばそういう映画である。リアリティもドラマ性も「小さな中国のお針子」に比べればずっと希薄である。「小さな中国のお針子」はフランス製作ではあるが、実質的に中国映画と言えるほど時代と場所に密着してドラマが展開されていた。「中国の植物学者の娘たち」は、画面に映る風景はアジア的風景だが(撮影はベトナムで行われた)、そこで展開されるのはどこかヨーロッパ的な感覚を持ったドラマである。舞台になった小島がシャングリラと名づけられていたとしても特に違和感を覚えない。
こういう人工的な作りを物足りないと感じるか、官能的で陶酔的な画面に魅力を感じるかで評価は分かれるだろう。見終わったときはそれなりに満足感を覚えるが、後でいろいろ考えてみると欠点も目立つという映画である。ヒロインを演じる二人の女優(ミレーヌ・ジャンパノワ、リー・シャオラン)はともに魅力的である。まあ、あまりうるさいことを言わず、人工甘味料をたっぷりと振りかけた料理(隠し味で媚薬が少し混ぜてある)をおいしくいただけば良いということだろう。
「中国の植物学者の娘たち」(05年、カナダ、フランス)
監督:ダイ・シージエ
出演:ミレーヌ・ジャンパノワ、リー・シャオラン、リン・トンフー
評価:★★★☆
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コメント
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kimion20002000さん コメントありがとうございます。
観終わった時は4星でいいかと思っていたのですが、あれこれ考えているうちに3星半になってしまいました。最近このパターンが多くて。直後の感想から星半分引くというのが定着しつつある感じです。
確かに祖国を遠く離れた場合創造性において様々な限界や障壁が生じるのは無理からぬことですね。中国に残れば残ったでまた別の意味の障害はあるのですが、中国の映画人はその中で優れた作品を作り出し続けています。
俳句や短歌という形式がかっちりと決まった中でいかに自由な創作をするか、その格闘の中で優れた作品が生まれました。何かそういうことと関連がある気がします。
投稿: ゴブリン | 2008年6月 8日 (日) 11:50
こんにちは。
ダイ・シージエ監督は、フランスに渡って長いですからね、どこかで、中国への思いが、観念的にならざるを得ないんでしょうね。文化大革命→下放の経験者が、その後海外にかなり渡っていますが、そういうデラシネ性が感じられます。
たぶんこれからも、異国から中国に複雑な観念を抱く表現者たちの作品が増えてくるように思います。
投稿: kimion20002000 | 2008年6月 7日 (土) 22:13