エディット・ピアフ 愛の讃歌
2007年 フランス・チェコ・イギリス 2007年9月公開
評価:★★★★☆
監督:オリヴィエ・ダアン
制作:アラン・ゴールドマン
脚本:オリヴィエ・アダン、イザベル・ソベルマン
撮影:永田鉄男
衣装デザイン:マリット・アレン
編集:リシャール・マリジ
音楽:クリストファー・ガニング
出演:マリオン・コティヤール、ジェラール・ドパルデュー、シルヴィー・テステュー
パスカル・グレゴリー、エマニュエル・セニエ、クロチルド・クロー
ジャン=ピエール・マルタンス、マルク・バルベ、カトリーヌ・アレグレ
ジャン=ポール・ルーヴ、マノン・シュヴァリエ、カロリーヌ・シロル
僕は映画を観ている間は内容の理解に関心を向けているので、劇中で使われている音楽に注意を向けることは滅多にない。5、6千枚のCDを持っているのにサントラ盤が1桁程度しかないのは恐らくそのためだ。持っているサントラ盤で今ぱっと思いつくのは「嫌われ松子の一生」、「僕のスウィング」、「ドリームガールズ」、そしてコンピレーション盤が1枚くらい。曲単位で鮮烈に印象に残っているのは(最近のものにしぼって言えば)「ロード・オブ・ウォー」で使われたジェフ・バックリィの「ハレルヤ」、「やさしくキスをして」で使われたビリー・ホリデイの「奇妙な果実」、そして「靴に恋して」と「モディリアーニ 真実の愛」で使われた「バラ色の人生」である。
エディット・ピアフ(1915-1963)。彼女のことを知らなくても「愛の讃歌」と「バラ色の人生」を知らない人はいないだろう。2曲とも発表後半世紀以上たった今聴いても全く色あせない名曲である。「愛の讃歌」が日本では一番有名だが、僕が一番すきなのは「バラ色の人生」だ。何度聞いても感動してしまう。シャルル・トレネの「ラ・メール」、イヴ・モンタンの「枯葉」、シャルル・アズナブールの「ラ・ボエーム」、「想い出の瞳」、「帰り来ぬ青春」、「遠い想い出」、コラ・ヴォケールの「さくらんぼの実る頃」、ジルベール・ベコーの「そして今は」、エンリコ・マシアスの「恋心」などと並んで、ピアフの「愛の讃歌」と「バラ色の人生」はシャンソンの名曲として僕の心の中に刻みつけられている。
歌手にはいろいろなタイプがあり、声が一番の魅力である歌手もいるが、およそ美声からは程遠い人もいる。ロック界でいえば、例えば、ニール・ヤング。およそまともな歌手になれそうもない特異な声だが、60年代半ばの「バッファロー・スプリングフィールド」から「CSN&Y」を経て、いまだに第1線で活躍しているのは驚異的だ。衰えを知らず、90年代以降のアルバムはほとんどすべてが傑作と言っていい。あるいはルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」はどうだ。数え切れないほどの美声歌手や歌のうまい歌手がカバーしたが、あの独特のだみ声で歌ったルイ・アームストロングの歌を超えるものが一つでもあっただろうか?だみ声といえばトム・ウェイツの歌も味わい深い。もっとも彼の場合は歌手としてよりも作曲家としての才能の方が上だと思うが。
ピアフも決して美声ではない。小さな体から声を搾り出すようにして歌う。彼女の代表曲はピアフのことを何も知らずに聴いても素晴らしいが、彼女の凄絶な人生と重ね合わせて聞いた時その感動はさらに深まる。「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で歌われるピアフの曲がどれも輝いているのは、それらの曲がどれも彼女の人生のドラマと重ね合わされているからだ。ラストのオランピア劇場で歌われる「水に流して(私は後悔しない)」の感動は、単にCDで聞いただけでは決して得られないほど深い。これほど歌に人生がにじみ出ている歌手は他にそうはいない。
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「エディット・ピアフ 愛の讃歌」は晩年のピアフが公演中に倒れるシーンから始まる。そのすぐ後に時代は一気に1918年に飛ぶ。しばらくピアフの少女時代を映したかと思うと、またすぐ1959年のニューヨークに飛ぶ。口紅を塗っている大人のピアフ。背後の壁にはビリー・ホリデイのポスターが貼ってある(この二人の大歌手は奇しくも同年生まれである)。このように時代がせわしないほど交錯する。そのために映画が分かりにくくなっているという指摘は少なくない。もっとじっくりと彼女の人生を映し出して欲しかった。そう感じた人も多いだろう。僕自身もカットバックを多用しすぎだと感じている。しかし、そう感じる人たちも含めて、この映画は観る価値のある映画だと認めている。逆から考えてみるといい。頭の中が混乱するほど彼女の人生をバラバラに組み替えても、波乱に富んだピアフの人生が、歌うことの喜びと苦渋に満ちた悲しみが、なおかつ強烈に観客に伝わってくるのだと。それほど彼女の人生は壮絶だったのだ。時間の切り方がどうの、演出の仕方がどうの、マリオン・コティヤールのなりきりぶりがどうのと言う前に、この映画の根源的魅力・説得力はピアフが歩んだ人生そのものの壮絶さにあることをまず確認しておく必用がある。彼女の人生のすさまじさが観客を圧倒するのだ。
そこに描かれたのは大文字の「人生」ではない。すなわち、「あなたにとって人生とは?」と聞かれたときの抽象的な「人生」ではなく、パリの裏路地の壁の汚れやしみ、街の雑踏や街に立ち込める臭い、その中でうらぶれた歌を歌う母親(クロチルド・クロー)の姿であり、それを気にも留めずに行過ぎる人々の姿であり、母の近くでうずくまるように座っていたときの寂しさと空腹感である。あるいは、娼婦たちが笑いさざめき泣き叫ぶ娼館での生活であり、彼女たちの肌のぬくもりであり、実母以上に愛情を込めてピアフを見守っていたティティーヌ(エマニュエル・セニエ)との身を引き裂かれるような悲しい別れであり、その記憶が伴う痛みである。あるいは、初めて舞台に立つピアフ(マリオン・コティヤール)を押しつぶしそうになった不安と重圧であり、その舞台で味わった歓喜と解放感、肌で感じた聴衆の熱い反応であり、マルセル(ジャン=ピエール・マルタンス)と共に過ごした幸せな時間とその突然の終結がもたらした胸がつぶれるような悲しみと絶望感であり、生涯の友となったマレーネ・ディートリッヒ(カロリーヌ・シロヌ)にかけられた温かい言葉に小娘のように感動したことである。抽象的な人生ではなく、紛れもなくピアフが体験した一つひとつの出来事が具体的に再現されているからこそ感動的なのだ。
ドイツ占領時代の活躍やイヴ・モンタンらとの多彩な恋愛が描かれていないことに不満を感じるよりも、むしろ140分かけてもなお描き尽せなかったピアフの人生の豊かさにこそ思いを馳せるべきだ。頂点もどん底も味わった。いつまでも癒えぬ心の傷とそれを紛らすために過剰に摂取したモルヒネや麻薬やアルコールで身も心もボロボロになった晩年の姿。最後まで何かを求め続けてのた打ち回るようにして生きてきた人生。彼女の人生は大事なものを次々に失う人生だった。どんなに名声を得ても、その心の空隙を埋められなかった。それでも歌うことをやめず、最後の最後に本当に求めていた歌と出会い、病み衰え老婆のように老け込んだ体を押して舞台に立った。
映画はその舞台に立つピアフを何度も映し出すが、舞台の上で実際に曲を歌うシーンはラストで「水に流して(私は後悔しない)」を歌うシーンだけである。ここにこの映画のはっきりとした演出意図が表れている。恋愛のエピソードをマルセル1人にしぼったように、歌も「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を軽く流し、あえてラストの「水に流して」をクライマックスにしたのである。この映画が焦点を当てているのはピアフの絶頂期ではなく、人生の最晩年である。ピアフ自身が「これこそ私が待ち望んでいた曲よ、私の曲よ。私の人生そのものだわ」と呼んだ「水に流して(私は後悔しない)」を引っさげてオランピア劇場に出演したピアフにスポットライトを当てたのだ。「もし人生をもう一度やり直すとしたら」とインタビューで聞かれたピアフは「同じ人生を歩む」と答えた。“いいえ、私は何も後悔していない。私は代償を払った。清算した。忘れた。過去なんてどうでもいい。私はまたゼロから出発する”と歌ったピアフ最後の大ヒット曲「水に流して(私は後悔しない)」こそ、彼女の人生を締めくくるにふさわしい歌だった。満足に立つことも出来ないほどボロボロになっても“私は何も後悔していない”と見事に歌い上げてショーを成功させたところにピアフの真髄がある。映画はそう描いている。
伝記映画であるにもかかわらず、時系列順にエピソードを並べなかったのは晩年のピアフの視点から過去を振り返っているからである。ラスト近くで死を迎えつつあるピアフの姿が映される。カットバックが多用されるのは死の床に横たわるピアフが過去を思い出すという設定になっているからだろう。しかしその過去は順風満帆からはおよそほど遠いものだった。舞台の大喝采は長く続かない。次々に不幸が彼女を襲う。40代にして老婆のようになり、髪はチリチリで前かがみでよたよた歩くピアフの姿が容赦なく映し出される。
「昔のことを思い出そうとしても思い出せないの。」最後にピアフの記憶に残った思い出は少女時代だった。パリの路地裏に立ち、売春宿で育った記憶。薄汚いパリの裏路地を這いずり回るようにして生きていた子供時代。最後に去来するのはその思い出だ。1918年当時のパリの路地裏を再現した美術は本当に見事だった。この点は強調しておくべきである。あの薄汚れた路地裏。しみだらけの壁。人々のみすぼらしい服装。ロマン・ポランスキーの「オリバー・ツイスト」で再現された19世紀のロンドンも見事だったが、あれでもまだきれい過ぎた。20世紀初頭の下層社会を視覚的にこれほどリアルに描いた例を他に知らない。
少女時代の不幸な生い立ちがピアフに一生付きまとった。満足に食事も取れなかっただろう。慢性的な栄養不足で虚弱体質に育ってしまった。身長142cmという、日本人から見ても小柄な体だったのは明らかに栄養不足のせいである。角膜炎を患い危うく失明しそうになったのも不十分な食事のせいだろう。幸い角膜炎は治ったが、ピアフは「聖テレーズ、目を見えるようにして下さい」と一生懸命に祈ったおかげだと信じる。それ以後、ピアフは聖テレーズの十字架を決して手放さなかった。舞台に立つ前には必ず十字を切ったという。
しかし少女時代は決して不幸のどん底ではなかった。母親のアネッタが娘を置いてどこかへ行ってしまったために、エディットは父ルイ(ジャン=ポール・ルーヴ)の実母の営む娼館へ預けられる。ここでの生活はエディットの人格形成に大きな影響を与えたに違いない。母を失ったエディットはここで実母以上に母親らしい娼婦たちと出会ったのである。様々な事情の果てに娼婦にまで身を落とした女たち。しかし彼女たちは決して自堕落でも無慈悲な女たちでもなかった。「銀馬将軍は来なかった」や「キムチを売る女」で描かれた娼婦たちが決して絵空事ではなかったことがこの娼館でのエピソードで分かる。幼いエディットは彼女たちに優しさと悲しさを、社会の残酷さを、そして何よりも社会の最底辺に突き落とされながら必死で生きようとするたくましさを見たのである。パリの路地裏での生活とノルマンディーの娼館での生活、これらの経験がどれほどピアフの人生と彼女の歌に大きな影響を与えたことか。これらの経験があったからこそピアフはピアフになったのである。最後の最後までピアフは「路地裏の歌手」という言葉が似合う歌手だった。
決して居心地がいいばかりではなかったはずの娼館から父親に連れ去られるシーンがなぜあれほど悲痛なのか。単に慣れ親しんだ人たちから引き離されるのが辛かったというだけでは充分な説明にならない。一番辛かったのはティティーヌとの別れだったに違いない。ティティーヌにしても実の娘を奪い取られる思いだったろう。ティティーヌとの別れが悲痛なのは唯一手元にあった愛情をもぎ取られてしまうからである。ピアフの歌のテーマはほとんど常に愛であった。愛こそ両親の愛を充分得られなかった幼い時から彼女が常に求め続けていたものなのである。歌、愛、人生、この三つは常にピアフの中で一体だった。そしてピアフにとっての愛は常にその愛を無残に奪われる悲しみと背中合わせだったのだ。
この映画はピアフの名曲をたっぷりと味わう映画ではない。ピアフの人生のエピソードを網羅的に紹介する映画でもない。ピアフという歌手と彼女の歌がどのように生まれ、彼女の歌にどのような思いが込められていたかを描く映画である。そこにアメリカ映画との決定的な違いがある。アメリカ映画なら「愛の讃歌」や「バラ色の人生」を何度も流しただろう。クライマックスにこの2曲を舞台で歌うシーンをもってきて、さらにこの歌が生まれるきっかけとなった恋愛をたっぷりと描いただろう。
しかしこの映画はとことんその逆を行く。たとえばミュージック・ホールでの初舞台のシーン。不安のあまりエディットは部屋に閉じこもる。ようやく説得されて舞台に上がり、歌い始める。そこからはわざと歌声を消している。代わりにBGMを流す。その初舞台が成功だったことは、次第に自信に満ちた表情に変わってゆくピアフと歌に反応し始める観客の映像に語らせている。最後の拍手だけ実際の音が入る。
「バラ色の人生」はマルセルをピアフが恋する女の目で見つめ、「一生の男だわ」とつぶやく後に流れてくる。しかしピアフはすぐ歌い終わりテーブルについてしまう。そのすぐ後にマレーネ・ディートリッヒと初めて出会う印象的な場面が続く(大スターの出現にピアフはすっかり上がってしまい、立ち上がるときイスを引っ掛ける)。あの名曲があっさり使われている。「愛の讃歌」はマルセルの死を聞いてピアフが泣き叫ぶ後に流れる。半狂乱になって部屋を飛び出すとそこはステージだったという劇的な展開になってはいるが、曲そのものはBGMのような扱いですぐ途切れてしまう。こういう演出はドラマチックな盛り上げを得意とするアメリカ映画にはまず出来ない。実にフランス映画らしいひねった作りだ。
恋に傷つきながら、恋なしでは生きられないピアフ。恋こそが彼女と彼女の歌の源泉だった。イヴ・モンタンとの恋が「ラヴィアン・ローズ」を生み、プロ・ボクシングの世界チャンピオンだったマルセル・セルダンとの恋が「愛の讃歌」を生んだ。ピアフの人生は決してバラ色一色ではなかった。しかしそれでも彼女は生まれ変わってもまた同じ人生を生きたいと断言できた。苦しみや悲しみなしに彼女の歌は生まれなかった。ステージの上で咲いた華麗なバラ。しかし地面の下にはいくつもの悲しみと絶望感と孤独感が埋まっている。それも含めて彼女の人生だった。
ピアフに扮したマリオン・コティヤールの演技が素晴らしかった。「ビッグ・フィッシュ」や「ロング・エンゲージメント」にも出ていたらしいが、全く記憶に残っていない。この映画は彼女を語る上で欠かすことのできない作品になるだろう。最後にラスト近くで描かれる若い女性記者とピアフのインタビューを引用して終わろう。
「女性へのアドバイスをいただけますか?」
「愛しなさい。」
「若い人へ。」
「愛しなさい」
「子供には?」
「愛しなさい。」