アニメ三昧
この間長編アニメ2本(「アーサーとミニモイの不思議な国」、「アズールとアスマール」)と短編アニメ集「川本喜八郎作品集」を観た。いずれも楽しめたが、特に川本喜八郎の短編「道成寺」、「火宅」、「不射之射」、そしてミッシェル・オスロ監督の「アズールとアスマール」は傑作だった。
ミッシェル・オスロ監督作品を観るのは「キリクと魔女」に続いて2本目。「アズールとアスマール」があまりに素晴らしかったので、この2本の前に作られた影絵アニメ「プリンス&プリンセス」(99)も早く観たくなった(DVDを買って2、3年たつのにまだ観ていない)。鮮明で豊かな色彩、強烈なエキゾティシズムに加えて、「アズールとアスマール」では単純な形ながら人種差別問題が盛り込まれている。後半は主人公たちがジンの妖精を救出するため旅に出る展開になるが、彼らの前に立ちふさがる様々な障害はあっさりクリアされてしまう。インディ・ジョーンズ・シリーズや「ナショナル・トレジャー」などのアメリカ映画ならそこが見せ場になるわけだが、「アズールとアスマール」の主眼がそこにないことはこのことからも分かる。白い肌に青い目のアズールと浅黒い肌に黒い目のアスマール、この二人をめぐるドラマがメインなのである。これはレビューを書きたいので、詳しくはそちらに譲るとして、ここでは「ホテル・ルワンダ」のレビューから引用するだけにとどめる。
シドニー・ポラック監督の「インディアン狩り」(67)という映画がある。バート・ランカスターと黒人俳優オシー・デイヴィス主演の映画で(タイトル通り インディアンも絡んでいる)、映画の出来としては傑作というほどではないが、ラスト近くに極めて印象的な場面が出てくる。黒人のオシー・デイヴィスと白人の無法者が格闘している。近くに立っているバート・ランカスターが悪党のほうを撃とうとするがなかなか撃てない。なぜなら二人の見分けがつかないからだ。 二人は泥水に浸かり泥まみれになって転げまわっている。泥で顔も肌の色も見分けがつかないのだ。結局バート・ランカスターは何とか悪党をしとめるのだが、この場面が象徴していることは明確だろう。泥で覆われてしまえば黒人も白人も見分けがつかない。肌の色などはなんら人間の本質的な違いではない、そう言っているのだ。
「川本喜八郎作品集」は初期作品から90年の作品まで10作品を収録している(うち1本は全長版と再編集版を収録)。初期の2つの短編はさすがにまだ完成度は低い。人形アニメ「花折り」は動きもぎこちなく、無駄な繰り返しが多い。せりふがほとんどなく、理解しがたいところも多い。アヴァンギャルドな「犬儒戯画」は勢いこそあるものの空回り。師の飯沢匡が「何を言いたいのか分からない」と言ったのも無理はない。3作目の「旅」あたりからぐんと水準が上がり、引き込まれる。アヴァンギャルドな作風だが、こちらはそれを魅力にするテクニックを身につけつつある。
「詩人の生涯」はいわばプロレタリア・アニメ。動く絵コンテといった白黒の素朴で朴訥なタッチがプロパガンダ的内容とマッチしている。白黒画面とそこから浮き出すような赤いジャケツのコントラストが見事。このあたりまでは自分独自の作風を模索している段階。手探りしながらアニメーションにふさわしい表現力をどんどん高めている。
独自のスタイルを切り開いたのは有名な人形アニメ「道成寺」あたりからだろう。さすがに傑作である。人形が実に魅力的だ。人形の表情、動きがほぼ完成の域に達している。ただし、まだせりふやナレーションはほとんど用いられていない。それでもストーリーが十分理解できるようになっている。
「火宅」はさらに傑作だ。この作品集の最高傑作だと感じた。なんと言っても観世銕之丞の語りと武満徹の音楽が見事だった。ストーリー・脚本もよく練られている。ナレーションが入るとストーリーがスムーズに動き出す。初期の作品はせりふがないため不自然で無駄な動作の繰り返しが多かった。その分展開も悠長になっていた。
「不射之射」も「火宅」に並ぶ傑作。橋爪功のナレーションは観世銕之丞にこそ及ばないが、いくつも声を変えて一人で演じていてこれまた見事。中国の話を題材にし、中国で製作したことも特筆されるべきだ。主人公は弓の名手。修行を積み、ついには弓を用いずに的を落とす技を会得する。「真の弓は射ることなし」、これが主人公の到達した境地である。死ぬ直前には弓の名も使い方も完全に忘れていた。煙のごとく静かに世を去った。空には弓形の虹がかかっている。反戦の意図も込められているようだ。スポ根ものや「ドラゴンボール」の原点のような話で、日本人にはすんなり理解できる。
「いばら姫またはねむり姫」は、何とチェコのトルンカ・スタジオで製作したもの。川本喜八郎はかつてイジィ・トルンカに師事している。原作・ナレーションは岸田今日子。人形はチェコのスタッフが作っている。背景などやはりチェコのスタッフの手が加わるとさすがにリアリティーがある。岸田今日子のナレーションは意外に普通だった。その分物足りない。ストーリーもいまひとつか。でも人形の魅力とチェコアニメの雰囲気はうまく取り入れられていて捨てがたい。
ナレーションを用いだしてからは格段に作品の完成度が上がった。「火宅」のナレーションはそれ自体がもはや芸であり、魅力だったといっても過言ではない。せりふを用いずナレーションで通すというのは師のイジィ・トルンカが人形アニメの名作「真夏の夜の夢」で用いた手法。21年前に観た時には驚嘆したものだ。約半世紀前の作品だが、今観ても色あせていないはずだ。トルンカの「真夏の夜の夢」と川本喜八郎の「死者の書」はどちらもDVDを持っているのでいつかレビューを書いてみたい。
「アーサーとミニモイの不思議な国」はリュック・ベッソン監督のアメリカ作品だが、彼らしさもフランスらしさもほとんどない。しかし普通のアメリカのアニメだと思って観れば充分楽しめる。決して悪い出来ではない。「アズールとアスマール」や川本喜八郎の作品に比べたらユニークさのかけらもないが、この手のアニメは楽しめばいいのさ。そうそう、久々に観たミア・ファーローが出色。この人はアニメ・キャラ以上にアニメ的だ。
「アズールとアスマール」(06、ミッシェル・オスロ監督、仏)★★★★★
「川本喜八郎作品集」(68-90、川本喜八郎監督、日本・他)★★★★
「アーサーとミニモイの不思議な国」(06、リュック・ベッソン監督、仏)★★★★
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