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2008年3月21日 (金)

アズールとアスマール

2006年 フランス 2007年7月公開
評価:★★★★★
監督・原作・脚本・台詞・デザイン:ミッシェル・オスロ
エグゼクティブ・プロデューサー:エーヴ・マシュエル
音楽:ガブリエル・ヤレド
背景:アンヌ=リズ・ルルドレ・コレール
プロデューサー:クリストフ・ロシニョン
声の出演:シリル・ムラリ、カリム・ムリバ、ヒアム・アバス
       パトリック・ティムジット、ファトマ=ベン・ケリル
       ラヤン・マジュブ、アブデルセレム=ベン・アマル

Alice3b  フランスのアニメ映画と言われて思いつくものは少ない。「王と鳥」(「やぶにらみの暴君」)、「ベルヴィル・ランデブー」とミッシェル・オスロ監督の諸作品くらいだ。アメリカ、日本、チェコ、旧ソ連などのアニメ大国と比べると寂しい限りだが、さすがフランス映画、いずれもすこぶる個性的である。ミッシェル・オスロ監督は宮崎駿、川本喜八郎、イジィ・トルンカ、ニック・パーク、ティム・バートンなどと並んで好きなアニメ作家である。

 「アズールとアスマール」はアフリカを舞台にしたプリミティブな魅力の「キリクと魔女」とはだいぶ違った印象を与える。アフリカとアラビアというエキゾチックな地域を舞台にしているという点では共通するものがあるが、アフリカの民話のような世界から『アラビアン・ナイト』の御伽噺の世界へ移行し、さらに異人種や異文化間の融和・相互理解といったテーマを込めている。鮮やかな原色を使った色使いはさらにその鮮烈さを増し、平面的な画風を残しつつも人物の顔には立体的な処理を施している。

 人種問題のテーマは単純で明確である。それは最初から強調されている。冒頭で乳母が2人の子供に平等に乳を与え子守唄を歌って聞かせる場面が象徴的だ。2人の子どもの肌の色と目の色が違うのである。白い肌と青い目を持つアズールと褐色の肌に黒い瞳を持つアスマール。一方は領主の子で他方は乳母の息子である。仲はいいのだがよく言い争いもする。

 このテーマは2人の会話によってさらに浮かび上がってくる。アズールが上等な服を着て現われると、2人はふざけあいながら馬車の下にもぐりこむ。アスマール「お前の(服)格好悪い。」アズール「僕が一番格好いい。」「格好いいのは洋服だ。」「でも僕の目は青いよ。」「醜いね。」「まるで天使さ。」「お前が天使?ぼくの国の方がいい。」「行ったこともないくせに。」「母さんはそういったもん。」「そんなの嘘だ!」「言った。」「言ってない。」「お前の国はここだ。ここで生まれたんだ。」「ぼくの国じゃない。」

 2人が泥まみれになって取っ組み合う、あの印象的な場面が描かれるのはこの直後である。全身泥まみれになってしまえば、どちらがアズールなのか父親にも分からない。先日の「アニメ三昧」という記事で書いたように、シドニー・ポラック監督の「インディアン狩り」にもそっくりな場面が出てくる。肌の色の違いなどなんら本質的な違いではないと言っているのである。もっと後にもほぼ同じ趣旨のせりふが出てくる。ジェナヌ(冒頭の乳母)の元に血の付いた鳩が戻ってくる場面である。下女がアズールとアスマールのどっちの血かと聞こうとすると、ジェナヌが「知るもんですか、血の色は同じです」と怒鳴る場面だ。

 フランス人だろうがアラビア人だろうが、領主の子だろうが乳母の子だろうが血の色は同じ。ここにマイケル・ラドフォード監督の「ヴェニスの商人」の強烈なせりふを重ねてみるといい。「ユダヤ人には目がないか?手がないのか?内臓や体つき、感覚、感情、情熱、食べ物が違うか?刃物で傷つかないか?同じ病気にかからず同じ薬で治らないか?同じ季節の暑さ寒さがキリスト教徒と違うか?針で刺しても血が出ないか?」

Unicorn  かつてフランスの植民地だったアルジェリア問題とそれに対する罪意識を描いた「隠された記憶」を連想してもいい。「アズールとアスマール」は主人公2人が青年になり、共にジンの妖精(乳母が繰り返し語って聞かせた話に出てくる)を救いだす旅に出るという話である。仲のいい幼馴染だった2人が、やがて対立するようになり、共に旅を続けるうちに互いを許しあいまた友情を取り戻す。この話の展開はまさにベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」とそっくりだ。同じ1900年に生まれた二人の幼馴染、農園主の息子アルフレード(ロバート・デ・ニーロ)と小作人の息子オルモ(ジェラール・ドパルデュー)がたどった数奇な運命を描く歴史的名作である。

 もちろん「アズールとアスマール」のテーマはこの大作(上映時間は5時間を越える)に比べればはるかに単純である。話の展開も容易に先が読めてしまう。むしろ金子みすずの「みんな違ってみんないい」と比べた方がいい気もするが、それを単なる味付け程度だと考えてしまうわけにはゆかない。この映画に関してほとんどすべての人が評価するのは絵の美しさである。イスラム圏の国々独特の模様・文様と様式、エキゾティシズム、絵の細密さ、強烈な色使い(教会のドームが半分崩れて、内壁に描かれているマホメットの巨大な顔が外から見える構図は秀逸だった)。しかしそれはテーマを超えた魅力でも、テーマと別次元の魅力でもない。異文化への強烈な関心、単なるエキゾティズムを超えた異文化に対する共感と賞賛、これは上記の人種差別のテーマと切り離しがたく結びついているのだ。決して対等な関係にない異人種や異民族に対する共感と連帯は異文化に対する共感や賞賛と不即不離の関係にある。テーマはお決まりの紋切り型で単純だが、絵は美しいというとらえ方ではこの作品を十分理解したことにはならない。全編を覆うあの独特の文化を持った世界に入り込むこと自体、テーマに引き込まれてゆくことなのである。 

 「アズールとアスマール」の画面にあふれる豊かな模様や意匠、色彩や生活描写(衣装や建物の様式も含めて)が持つ意味は「トランシルヴァニア」における音楽が持つ意味と同じなのだ。どちらも作品にただエキゾティックな味付けやインパクトを与えるだけの添え物ではない。どちらも作品の魅力やテーマと分かちがたく結びついているのである。「トランシルヴァニア」がロマに対する偏見を覆したように、「アズールとアスマール」もアフリカやイスラム圏に対する貧しく埃っぽく汚いといった偏見を拭い去ってゆく。テーマは単純だが絵は美しいと思った時点で既に術中にはまっているのである。

 「アズールとアスマール」では様々な逆転や対比が組み込まれている。アズールの国では青い目を持つものは天使で、黒い目の乳母とその息子のアスマールはその僕である。領主の子アズールは「家名に恥じぬよう」ダンス、剣、乗馬、ラテン語を父に無理やり習わされる。いずれも上流階級のたしなみである。アスマールは遠くからそれを眺めるだけ(もっとも上達はアスマールの方が早い)。ところがアスマールの国に行くと逆に青い目を持ったものは不吉だと差別される。乗っていた船が難破し文無しになったアズールに対し、アスマールの母(かつての乳母)は大金持ちになっている。フランスで乳母をしていた時ジェナヌには名前がなかった(もちろん比喩的な意味で)。ただ「乳母」、「アラビア女」と呼ばれているだけだ。海の向こうの国に来て初めて彼女がジェナヌという名前だと分かる。名前がないということは人格そのものを認められていなかったということだ。

Tukiusa2  そのジェナヌは青い目のアズールを見ても驚かない。2つの世界を見てきたから他人よりも倍世間を見てきたと彼女は言う。二つの世界、2つの文化を等価として見る視点、これは監督自身の視点と重なる。ミッシェル・オスロ監督はコート・ダジュール生まれ。普段はアフリカに住み、休暇になるとフランスのニースに戻るという生活をしているという。(たとえ目の色や肌の色は異なろうとも)「血の色は同じです」と言ったのはジェナヌだったことをもう一度思い出しておこう。乳母をしていたときも二人の子供に等分に乳とおやつを与え、フランス語とアラビア語で語りかけていた。青い目をあがめるのも忌み嫌うのも共に偏見であることを彼女は知っていた。彼女はこの作品の中心軸にいる人物なのである。

 だが、アズールとアスマールとジェナヌ、この3人だけでは話は単純になりすぎる。そこでクラプーという「旅の仲間」が登場するのである。この男も20年前にジンの妖精を救いに来たのだ。しかし妖精がとらわれている地底王国へ行くのに必用な3つの鍵が手に入らないために、乞食のような格好をしてその国に住んでいるのである。何事につけ不満を漏らし、ブブーという不快な音を出す(不愉快だが道案内人として必要な人物という意味では「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムのような存在だ)。マスタードもない、鐘もない、木靴もないと、「ないもの」をやたらと探し出す名人。赤・黄・青などの色があふれる染色職人の町を通った時には「灰色さえない」と言い出すからやっかいだ。

 このクラプーという人物とシャムスサバ姫(好奇心が旺盛でおしゃまな女の子)は「シュレック」などのアメリカ・アニメを意識したキャラクターである。クラプーはおしゃべりなロバのドンキーに相当し、子供のシャムスサバ姫はフィオナ姫に当たる。「シュレック」は従来のディズニー・アニメのお決まりのパターンをひっくり返してみせた映画である。その意味で「シュレック」的2人の脇役は価値観を逆転してゆくこの映画にふさわしいともいえる。クラプーは終始黒メガネをかけ、自分の目の色は黒だと言っているが、実は青い目を持っていた。一方、海の向こうの国にやってきたばかりのアズールは「青い目」だと差別され、それなら目を閉じてしまえば目の色が分からないと盲人に成りすます。彼が目を閉じたのは「こんな汚い国なんかいやだ!」という気持ちもあった。クラプーは目に見えるものにアレコレ不満をいい、アズールは汚いものを見ることを拒否する。共に青い目を隠していたように、この二人の態度には共通するものがあった。

 面白いことに妖精がとらわれている場所に行くために必要な鍵を見つけたのは目の見えるクラプーではなく、目の見えない振りをしていたアズールなのである。目が見えていても偏見で曇っていては真実が見えない。そう言いたいのだ。一方、アズールは何も見えなくなったのではなく、肌の色や目の色などの表面的なもので判断することをやめたから必要なものが見つけられた、そう暗示している。目の見えないアズールがかつての乳母を見つけたのは大富豪ジェナヌの屋敷から漏れてきた声が乳母の声だと即座に判断できたからである。

 クラプーの黒メガネは不快な外界を遮断する防御壁だった。しかし、不満ばかり漏らしている態度とは裏腹に、彼もまた迷い込んだ異国の魅力にとらえられていた。「それでもこの国が好きだ、この街で暮らしていかなくてはならない。」彼が自分の国に帰らなかったのはジンの妖精を救い出すという夢を諦めきれなかったからだけではない。

 もうひとり重要な役割を果たしているシャムスサバ姫は登場するなり大活躍する。まず、美しいお姫様ではなくまだ小さな子供だったことで観客を驚かせる。次に大掛かりな天体観測装置を手足のように操ってみせる。この軽快な動きはアメリカ・アニメさながらだ。しかし一番印象的なのは彼女が王宮を抜け出す夜の場面。これは明らかに「ローマの休日」へのオマージュである。宮殿から出たことのない姫は本物の土、木、猫、ホタルに驚く。夜空を背景に、木に登って夜景を眺める二人の場面は「プリンス&プリンセス」で駆使した切り絵の技術が生かされてとりわけ美しい。

 この木登りの場面から展開が大きく変わる。二人はたまたま木の上から悪徳商人ウアルが部下を集めているところを見てしまう。二人はウアルたちに見つかってしまい、部下たちに追われるはめになる。この場は何とかおとり作戦で姫を無事に宮殿へ戻すことができた。しかしここからジンの妖精をめぐる追いつ追われつのめまぐるしい活劇へと転調する。

Sdcutmo317  ところがここからはアメリカ製アニメとはっきり違う展開になる。アメリカ映画ならそこからが見せ場になるわけだが、「アズールとアスマール」ではアズールたちの前に立ちふさがる様々な障害は拍子抜けするほどあっさりクリアされてしまうのだ。つまり手に汗握るサスペンスや驚天動地の罠が仕掛けられている大スペクタクルなどにこの映画の主眼はないのだ。インディ・ジョーンズ・シリーズや「ナショナル・トレジャー」などのアメリカ映画的展開を一通りなぞって見せはするが、アクションよりもむしろ真紅のライオンやサイムールの鳥などといった怪物、あるいは地底王国の摩訶不思議な造形に心を奪われる。やはり絵と想像力が魅力なのである。

 ジンの妖精はあっさり救い出される。残る問題はアズールとアスマールのどちらが王子になるかという問題である。2人は互いに譲り合い、結局二組のカップルが生まれる。英雄的活躍ではなく、心が離れていた二人の幼馴染の友情が取り戻されることに重点が置かれている。

 アメリカ映画やアニメをうまく取り込み、かつ真似に終わるのではなく独自の作品を作り上げた。テーマの展開は単純だといわざるを得ないが、子供も見ることを前提に作られたアニメとしては立派な出来だ。大人の目からは不満もあるが、扱いにくいテーマを見事にアニメの中に組み入れていることに敬意を評して、大甘だが、満点を献上したい。

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ねこグレイさん コメント&TBありがとうございます。
良かったらまたお越しください。

トラックバックをいただき、ありがとうございました。ぺこり。

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