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« 谷根千そぞろ歩き | トップページ | 2007年に公開された主な作品 »

2008年1月 7日 (月)

ボルベール<帰郷>

2006年 スペイン 2007年6月公開
評価:★★★★★
監督、脚本:ペドロ・アルモドバル
原題:VOLVER
撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ
音楽:アルベルト・イグレシアス
出演:ペネロペ・クルス、カルメン・マウラ、ロラ・ドゥエニャス
    ブランカ・ポルティージョ 、チュス・ランプレアヴェ、ヨアンナ・コボ
    アントニオ・デ・ラ・トレ

 僕の知り合いが大学院の試験を受けた時「悲劇について900字以内で説明せよ」というような問題が出たらしい。ところがよほど緊張していたのか、彼は「900字」を「9字」と勘違いしてしまった。かつて誰も遭遇したことのないこの難問に、彼は悶死せんばかりに苦しみもだえたことだろう。七転八倒した揚句、彼は次のように答えた。「人が死ぬ。」

Crossregr  「人が死ぬ」という答えはなかなかに暗示的である。人生を全うした上での大往生という人もいるだろうから人の死がすべて悲劇的とは言えないが、悲劇に人の死がつきものだとは言えそうだ。では、殺人の場合はどうか。フィクションの場合、これは描き方次第ということになるだろう。描きようによって悲劇にも、サスペンスにも、喜劇にすらなる。おそらく問題は対象からの距離の取り方にあるだろう。上の話も、彼が陥った状況こそ悲劇的だったと言えないこともないが、傍から見れば笑い話である(本人には申し訳ないが)。スリラーの名手ヒッチコックはひとりの人間の死に周りがあたふたする「ハリーの災難」という喜劇を作った。自分の行為が彼の死因になったかも知れないと思い込んだ人々がそれぞれの思惑で行動する様を、映画は皮肉でユーモラスな目で距離を置いて描いてゆく。それぞれの人物は真剣に悩んでいるのだが、傍から見るとそれが滑稽に思えるわけだ。

 「ボルベール」にも2件の殺人が出てくる(1件は話だけだが)。しかし映画はサスペンス的な色調を帯びながらも、決して深刻にも悲劇的にもならない。ストーリー展開の軸になるのは娘による父親殺しである。ライムンダ(ペネロペ・クルス)の夫パコ(アントニオ・デ・ラ・トレ)は失業中でアルコールにおぼれていた。彼は血が通っていない娘のパウラ(ヨアンナ・コボ)に手を出し、もみ合った末娘に殺されてしまう。ライムンダは警察に通報せず自分で死体の処理をし、たまたま空いていた隣のレストランの大きな冷凍庫に死体を隠す。

 この辺の展開は平山秀幸監督の「OUT」(原作は桐野夏生)を思わせる。興味深いのはどちらも事態を明るく乗り切ってゆくことである。「OUT」は殺人というとんでもない状況をきっかけに、潤いのない生活からの「出口」を求めたパート主婦4人の逃避行を描く。原作は暗く重苦しいタッチのようだが、映画の語り口はコミカルでシュールである。死体をバラバラに解体する場面などはまるで弁当の盛り付けでもするように嬉々として興じている。だらしない男たちの付けが全部女性に回ってくるという展開も「ボルベール」と同じだ。映画版「OUT」は原作の重苦しさを振り払い、迫り来る恐怖を乗り越えて牢獄のような日常生活とその閉塞感から抜け出してゆく女性たちのバイタリティを描いた。夢以外何も持たずにアラスカに向けて旅立った彼女たちには悲壮感ではなく、むしろ開放感や爽快感があった。彼女たちは逃げているのではなく夢に向かっていたのである。もちろん彼女たちは現実から「跳躍」したのであって、現実を変えたわけではない。彼女たちに必ずしも未来は約束されてはいない。ファンタジーに逃げてしまった弱点はあるが、それでも人生はそれぞれ自分で掴み取るものだというメッセージは十分届いた。

 「ボルベール」も殺人を重苦しくは描かない。殺人を犯したことに対して主人公たちに『罪と罰』のような葛藤はない。むしろあっさりと処理している。だから悲劇的な展開にはならない。もちろんほとんど女性ばかりの登場人物にはそれぞれ悩みや人に明かせない秘密がある。しかしそれは殺人を犯したことに対してではなく、母と娘、父と娘などの関係に対する苦悩である。彼女たちは苦悩している。しかしその苦悩に真っ向から迫るのではなく、その後の彼女たちの大胆な行動や思わぬ話の展開に焦点を当てている。話が暗く重くならないのは、ファンタジー的要素やコミカルな要素をまぶしているからだけではない。彼女たちが望まずして背負った運命あるいは業に翻弄されるのではなく、その状況を自ら前向きに切り開いていったからなのだ。この映画の芯にあるのは女性の活力や生命力に対する賛美と、人生に対するポジティヴな視線である。

 彼女たちの突貫精神はまさにドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの故郷にふさわしい(映画の舞台はラ・マンチャである)。しかし「ボルベール」で果敢に突き進むのは男ではなく女たちである。しかも彼女たちはドン・キホーテのように妄想に取りつかれてはいない。この映画が業に縛り付けられたり運命論に陥ったりしないのは、災いのもとは常に男であるという単純明快な考えがあるからだ。敵が明確に見えている。男はみな不実でだらし無く、女はみなたくましくしたたかだ。

  「ボルベール(回帰、帰還)」というタイトルは親子のきずなの再生というテーマと結びつCrystal0601191いている。回帰とはこの場合回復である。放蕩息子ならぬ放蕩親父は永遠に帰還せず、帰ってくるのは母親である。この映画で強調されているのは単なる女ではなく母の力である。ペネロペ・クルスの色気は女らしさよりも「母」としての包容力と活力、そして生命力を象徴するものとして描かれている。だから胸の豊満さをしつこく映し、付け尻をしてヴォリューム感を出しているのだ。どっしりとした存在感が強調されているのである。「怒りの葡萄」のジェーン・ダーウェル、「ベリッシマ」のアンナ・マニャーニ、そして「ふたりの女」のソフィア・ローレンなど、肝っ玉母ちゃんのイメージを持たされているのである。ライムンダの母イレーネ(カルメン・マウラ)がアグスティナの家でヴィスコンティの「ベリッシマ」を観て満足そうに笑うシーンが暗示的だ。

 娘パウラの傷をいやすのは母であるライムンダであり、ライムンダの傷をいやすのはその母であるイレーネである。母親は「ククーシュカ ラップランドの妖精」のククーシュカのような治癒力を持つ存在として登場する。イレーネの傷をいやすのは娘のライムンダだが、ライムンダは娘パウラを生んで母親になったからこそ自分の母親を理解できるようになったのだ。母親たちの生命力が前向きに描かれている。だからキム・ギドクの様な世界にはならないのである。

  親子2代にわたってレイプの被害にあうが(1件は未遂)、それは「春夏秋冬そして春」の様な永遠の業の輪廻にからめとられてはいない。ライムンダと違って娘のパウラの場合は 逆に父親を刺殺してしまう。そのことによって円環構造は断ち切られているのである。殺人、死体、幽霊が描かれるが「死」がテーマではない。テーマは「生」であり「親子(母娘)の絆」である。横溝正史の世界のような家族の陰惨な過去が絡んでいるにもかかわらず、おどろおどろしくならないのはそのためだ。なぜなら葛藤の質が違うからだ。「業」や「運命」などといった抽象的なものが葛藤の中心にあるのではなく、レイプや浮気などによって男から受けた体と精神への打撃が彼女たちの葛藤を生んでいるのである。彼女たちはそれを耐えるだけではなく、それに立ち向かった。男から逃げるのではなく、男を積極的に排除したのだ。男を「排除」しても彼女たちにはほとんど罪という認識すらない。自業自得だと言わんばかりだ。男たちの死はそのだらしなさと不道徳の報い。ライムンダが夫は私に愛想を尽かして家を出て行ったと、夫の不在を近所の人たちに説明した。妻に飽きたら男は黙って出てゆく。夫は出て行ったと説明されて誰も疑わない。男はその程度の存在として描かれている。アゴスティナは失踪した母をいつまでも探そうとするが、パコのことはだれも探さない。そのスパッとした割り切りかた、からっとした潔さがかえって爽快だ。この映画で家族という場合、それは女系の家族なのである。

 ただ、パウラによる父親殺しが引き起こすサスペンス、イレーネの幽霊が登場するミステリーじみた雰囲気がこの作品にいい味付けになっている。現在の底に暗く淀んでいる不可解な過去、何重もの底がある謎の深さ、カルロス・ルイス サフォン著『風の影』(集英社文庫)を思わせるこの謎めいた雰囲気が実に効果的なのだ。このサスペンスと謎が観客を作品の内奥にまで引きずりこんでゆくドライブとなっている。

 パコの死体を処理している最中に電話がかかってきたり、人が訪ねてきたりする。そのたびに画面に緊張が走る。ヒッチコックばりにサスペンスを盛り上げる。これが実に効果的だ。そうかと思うと、たまたま空いていた隣のレストランの冷凍庫に死体を詰めて一時保管しておいたら、近所で撮影をしていた映画クルーに営業中と誤解され、30人分のランチを作るはめに。近所の主婦たちに応援を頼んで頑張って作ったら、これが大評判になってしまう。価値があるものを生み出すのはいつも女たちなのである。こんな滑稽な展開もそつなく織り交ぜている。大盛況の店内のすぐ隣に死体があるにもかかわらず、ライムンダは全くあわてる様子もない。戦争を笑い飛ばした「ライフ・イズ・ミラクル」さながら、笑いの中にたくましく生きる力の輝きが描き出されている。

 「ボルベール」は「リトル・ミス・サンシャイン」「サン・ジャックへの道」「アメリカ、家族のいる風景」「クラッシュ」「ランド・オブ・プレンティ」に通じる家族再生のドラマだが、もっと生臭く土着的な雰囲気を持っている。「幽霊」の出現はその雰囲気の中で可能になっていTuki1 るのだ。映画の冒頭、ライムンダが娘のパウラと姉のソーレと一緒に母の墓参りに来ている。その時ライムンダの伯母パウラ(チュス・ランプレアヴェ)の隣人アグスティナ(ブランカ・ポルティージョ)も墓の手入れをしていた。それは何とアグスティナ自身の墓である。生前に墓を買い、自分で自分の墓の手入れをするのはその地方の習慣だとライムンダは娘に教えている。さらに地元の女性たちの会話の中で死者を目にするのはよくあることだという話が出てくる。あるいは、叔母がボケてる、私のことが分からなかったとソーレが言うのに対して、ライムンダは「風のせいよ。東風が人の気を変にするの」と答えたりしている。こういう雰囲気を作っておいて、ソーレが叔母の家で亡くなったはずの母と出くわすというとんでもない出来事がおこるのだ。死者が目の前に現れるというシュールな場面が違和感なく受け入れられるのはこのようにその土地の風土や風習をうまく取り込んでいるからである。この風土なら幽霊が出ても不思議ではない。どこか民話的なおおらかさがあるのだ。これが「ボルベール」にファンタジーの要素を付け加えている。なにせオナラの臭いも個性的な土地柄なのだ。

  夫殺しや父殺しが描かれながら、大して罪の意識を持たず、法的追求など埒外に置かれていても不自然に感じないのは、この民話的枠組みがあるからなのだ。「ボルベール」は寓意を込められた寓話的作品なのである。女性を賛美したプロパガンダ映画なのである。寓話やプロパガンダ作品は単純で硬直したものになりがちだが、この作品がその弊を免れているのは女たちの活力が枠組みを突き破るほどの輝きを持っているからであり、ブリューゲルの絵のように単純化された中に生活の実感や風土色が色濃く反映されているからである。スペインとフランドルという風土の違いはあるが、ブリューゲルの絵画と重ね合わせてこの映画を観てみるといろんな発見があるだろう。色彩の豊かさ、地方色や風土色、生活の中で生き生きと活動している人々、町の匂い生活の匂い人間の臭いが横溢している。人間の生臭さが一見単純な絵の中に凝縮されている。

 「ボルベール」に描かれた人間の生臭さの焦点はまさにこの臭い(「匂い」ではない)である。ソーレは最初に母の幽霊と出合った時それを信じられなかった。だからその出会いを自分の胸にしまいこんでしまった。その彼女が母の存在を確信するのは伯母の家にあったエアロバイクのハンドルについていた母の臭いである。ライムンダに至ってはトイレで「ママのオナラの臭い」を嗅いで母の存在を知るのだ。「北の国から」にも、留守の間に訪ねてきた母親が畳んでおいた洗濯物を手に取った蛍が「母さんの匂い」とつぶやく感動的な場面があった。「ボルベール」の場合はもっと笑いを誘うシーンになっているが、このやけに現実的な生臭さが幽霊を人間に引き戻すきっかけになっている。

 色もあふれている。「ボルベール」には赤のイメージが横溢している。ライムンダの服の色や流された血の色など。赤は情熱と活力と血を表している。ただし、この場合の血は殺Snow_01 人のみならず血縁のイメージとも結びついている。血縁はさらに連帯感に結びつく。イレーネもライムンダも互いを理解できずにいた時は苦悩や孤独にさいなまれていた。ライムンダはイレーネに「ママが必要なの。ママのいない日々はつらかった」と言い、イレーネも孫のパウラに「ママは私を嫌ってるの。娘に愛されない母親はとてもつらいのよ」と打ち明けている。「なぜ戻ってきたの」というパウラの問いに祖母は「孤独だったから」と答えている。イレーネもライムンダも一人で重荷を背負って生きていたのだ。バイタリティに溢れる女たちも一人では苦悩を抱え、それを押し隠すしかできない。絆が必要だった。和解がそれを取り戻させた。映画のラストに写される夜中のベンチで寄り添う母娘の姿が実に感動的だ。それぞれが抱えていた苦悩を打ち明けあい、それを共有することで絆は一層強まった。ライムンダが「ボルベール」というタンゴを歌う場面もこの映画のハイライトのひとつである。ライムンダが母から教わった歌だが、それ以上に愛する人の帰りを願う歌をおそらくイレーネは自分のこととして受け止めたのだろう。車の中で歌を聴きながら涙を流す。

 ライムンダが歌ったのは映画クルーたちの打ち上げの時だが、そのレストランでライムンダを手伝ったのは近所の女たちだった。彼女たちはパコの死体をレストランから運び出すときにもライムンダに手を貸した(「どうせ私たち、共犯なんだから」というセリフが暗示的だ)。ライムンダは決して一人ではなかった。映画が進むにつれて連帯の輪は広がっていたのである。一方のイレーネも、ただ息をひそめて隠れ忍んでいたのではなく、ボケた姉の世話をしていたのだ。その姉が死んだあとも今度は癌にかかったアゴスティナの世話をする。イレーネがテレビで「ピノキオ」を観ている場面がある。ピノキオの話は人形が苦難を乗り越えて人間の少年になる話である。イレーネも苦難を乗り越えて幽霊から生きた人間になった。いや母親になった。彼女はライムンダの過酷な体験を聞いて、なぜ娘が自分から離れていったのか、なぜ夫がベネズエラへ行ったのか初めて理解したのだ。娘が苦悩していた時自分が母としての役割を果たせなかったから娘が離れていったのだ。一人では背負いきれない重荷も二人で背負えば耐えられる。

  ライムンダがパコに何をしたのかなど色々話したいことがあると言った時、イレーネは「言わないでライムンダ。泣きそうになるから。幽霊は泣かないのよ」と言って娘を押しとどめた。そう言いながら娘を送り出した後で涙を流すのだ。「亀も空を飛ぶ」の少女アグリンは背負っている重荷に耐えかねて自殺した。「亀も空を飛ぶ」は優れた作品で、これも一つの表現方法である。だが、アルモドバル監督はむしろ重荷を背負ってなお力強く生きる女性たちを描いた。生きているからこそ涙を流す。今の涙が乾いても、また別の涙を流すだろう。生きていれば悲しみとも出会わざるを得ない。これからも幾たびとなく涙を流すだろう。そして人は涙を流すたびに強くなってゆくのだ。

<付録>
【スペイン映画マイ・ベスト10】
「ボルベール<帰郷>」(2006)  ペドロ・アルモドバル監督
「海を飛ぶ夢」(2004) アレハンドロ・アメナーバル監督
「キャロルの初恋」(2002) イマノル・ウリベ監督
「靴に恋して」(2002) ラモン・サラサール監督
「トーク・トゥ・ハー」(2002) ペドロ・アルモドバル監督
「オール・アバウト・マイ・マザー」(1999)  ペドロ・アルモドバル監督
「カルメン」(1983) カルロス・サウラ監督
「エル・スール」(1983) ヴィクトル・エリセ監督
「黄昏の恋」(1982) ホセ・ルイス・ガルシ監督
「ミツバチのささやき」(1973) ヴィクトル・エリセ監督

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「蝶の舌」(1999) ホセ・ルイス・クエルダ監督
「戒厳令下チリ潜入記」(1988) ミゲル・リティン監督
「ベルナルダ・アルバの家」(1987) マリオ・カムス監督
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」(1987) ペドロ・アルモドバル監督
「バレンチナ物語」(1983) アントニオ・ホセ・ベタンコール監督
「血の婚礼」(1981)  カルロス・サウラ監督
「クエンカ事件」(1979) ピラール・ミロー監督
「汚れなき悪戯」(1955) ラディスラオ・ヴァホダ監督

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コメント

カゴメさん お久しぶりです。TB&コメントありがとうございます。
新作が来るたびに注目する人はそう多くはいないのですが、アルモドバルはその1人です。
いつもかなり大胆なことを試みるのですが、彼の作品は決して難解ではないと思います。
「ボルベール」は中でも特に分かりやすい映画だと思うのですが、それでもいろんな要素がぶち込まれていて一筋縄ではいかない。複雑だけど難解ではない。その辺が魅力なのでしょうか。それに彼は自分の独特の世界を持っている。これも強みですね。

どーもお久しぶりです、ゴブリンさん♪♪♪

久しぶりにアルモドバル作品を観て感じたのは、
「この監督も成熟したなぁ」でした(笑)。
こんなに判り易くって楽しめる作品を撮れるようになったとは!
あの涙物な「VOLVER熱唱」のシーンだけで、
主題が簡潔明快に表されてて驚くと同時にガツンとやられちゃいました。
見ようによっては、ポピュライズとも言えますが(苦笑)。

>家族再生のドラマだが、もっと生臭く土着的な雰囲気を持っている。

オール・アバウト・マイ・マザー」でも如実に感じた風合いですが、
今作では舞台の一方がラ・マンチャなので一層際立ってますね。
スペインの風景って一種の翳りがありますが、
それがまた作品に深みを与えてて、映画作るには絶好な環境だなぁと感じながら観てました。

>「言わないでライムンダ。泣きそうになるから。幽霊は泣かないのよ」と言って娘を押しとどめた。

ラストの暗がりの中、母親がそっとハンケチ使うシーンで、
「アルモドバル黄金期」の到来を確信したですよ。

kimion20002000さん お久しぶりです。コメントありがとうございます。
まあ、スペインにだって素晴らしい男はいるはずですがねえ(笑)。この映画の場合、監督の個人的特性もあって女性のヴァイタリティがなおさら強調されているのでしょう。
翻って、母の強さならぬ父の強さを描こうとするとハリウッド映画のような暴力的強さになってしまいがちです。そうではない父の強さとはどんなものでしょう。なかなかイメージが浮かんでこないのがつらいところです。

こんにちは。
監督も、ラマンチャの風土は、男尊女卑のように言われるが、本当は女性が軸になっている女系の世界なのだ、というようにコメントしていますね。
女たちが、こうしてたくましい精神を継承していくときに、駄目な男たちは、バルに入り浸って、少女たちが通りかかるといやらしい目つきで追って、酔っ払うだけなんですかねぇ(笑)

かえるさん、じゅりまのさん、真紅さん TB&コメントありがとうございます。今年もまたよろしくお願いいたします。

<かえるさん>
僕はまだラテン系映画はこの作品ぐらいしか観ていないのですが、他にもいいのがあるのですね。楽しみです。
割とうじうじしている日本人と違ってラテン系はからっとしていますし、情熱的ですね。その良さが見事に表れた映画でした。「スタンドアップ」、「母たちの村」など力強い女性たちの映画が最近目立ちます。これからもっと増えてゆくと思います。

<じゅりまのさん>
見方によっては無神経、無責任なわけですが、そんな法的責任追及などそっちのけで、女性たちが体と心に受けた傷をいかに乗り越えていったかに焦点を当てた、その思い切った潔さが心地よかったのだと思います。
韓国映画によくある難病もののようにお涙ちょうだいにも持って行かない。からっと笑い飛ばして乗り越えてゆくラテン気質、それも爽快でした。

<真紅さん>
最初に観たキム・ギドク作品が「魚と寝る女」でした。この印象がすこぶる悪くていまだに好きな監督の範疇には入っていません。
ただ、その後に観た「春夏秋冬そして春」と「サマリア」は優れた点も多々ある作品だと思います。この二つについてはレビューを書いてありますので、良ければ読んでみてください。できる限り客観的に書いたつもりですが、彼の作品が好きな人にはそれでも偏っていると感じるかもしれません。それは仕方がないですね。自分の考えを書くしかないのですから。
国際的に高く評価されている人なので、いつかまた彼の作品を取り上げようと考えています。

ゴブリンさん、
今年もよろしくお願いします。
2007年はラテンな映画に手ごたえのあるものが多かったです。
待ちわびた本作も素晴らしいものでした。
ラテンの女の強さって、とても魅力的ですねー。

トラありがとうございました^^

確かにこういう要素、展開は悲観的になりがちな内容ではあるのですが、
そうではなく描いてあるところがよかったのかもしれません

調理方法を間違えば
B級な昼ドラちっくになりそうな要素も
うまく人間ドラマに仕上げてあったところに◎でした。

ゴブリンさま、こんにちは。コメント&TBをありがとうございました。
旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
『ボルベール』大変素晴らしい映画だったと思います。
記事中にギドクの名前が出てきますが、あまりお好きではないのですか?
私は好んで作品を観ている監督なので、ちょっと気になってしまいました。
アルモドバルはもちろん、ヨーロッパの個性ある監督の映画はいいですね。
これからもたくさん観ていきたいと思っています。
ではでは、また来ます~。

ななさん TB&コメントありがとうございました。
本当にこの映画の男たちは情けないこと限りない。それに比べて女性たちの輝いていることといったら!まったく最近の男はだらしないぞ(自戒を含めて)。
「OUT」については他にも似ていると指摘している人がいましたので、僕だけの思い込みではないようです。女性中心の映画という点でも共通していますね。
では、今年もよろしくお願いいたします。

TBありがとうございました♪
私のほうからもさせていただきました。
さすがの,深い考察ですね~~。
「OUT」は,私も観ました。殺人があっけらかんと
描かれていて,とても印象的でしたが,そういえば
この「ボルベール」とその点は共通するものがありますね。
女性をここまでたくましく,強く描いてもらえると
女性としては嬉しいですね。女性というより母性礼賛のような気もします。
それにしても本当に,気の毒なくらい,男性の影の薄い映画でした。

とらねこさん TB&コメントありがとうございます。
間違ったTBを送ってしまいました。申し訳ありません。
これまでも何回かTBを送らせていただいたと思います。
こちらこそ今年もどうかよろしくお願いいたします。

初めまして。
私の『ボルベール』のところへ、『映画一覧た行~わ行』のTBを下さりました。
こちらにTBさせていただきます。

これまでも一度か二度、TBをいただいたことがございますでしょうか?
どうぞ、今年もよろしくお願い致します!

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» 映画「ボルベール」 [That's the Way Life Goes]
筆者の mambotaxi という名前はアルモドバルの映画の中の役名から拝借しているものだ。 著作権侵害かもしれんなあ、と思いつつ、日々使わせていただいている。 アルモドバル映画を敬愛してのことだが、そんな監督の新作がやっと登場。  レビューを書く時間が取れず今に至るが、公開すぐに観た。 このところ、男性主人公の映画が続いていたが、やっと本領発揮と申しましょうか、いわゆる「女性映画」というものを創ってくれた。 これこれ、こういうのが観たかった、と胸をなでおろす。 「ハイヒール」を思い出します... [続きを読む]

» ★「ボルベール<帰郷>」、回帰へと手招く歌声★ [★☆カゴメのシネマ洞☆★ “Kagome's Cinema-Cave”]
「ボルベール <帰郷>」(2006) 西班牙 VOLVER 監督:ペドロ・アルモドバル 製作:エステル・ガルシア 製作総指揮:アグスティン・アルモドバル 脚本:ペドロ・アルモドバル 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 編集:ホセ・サルセド ....... [続きを読む]

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