『路地の匂い 町の音』
谷根千との出会い
谷中・根津・千駄木、いわゆる「谷根千」に関心を持ったのはいつごろだろうか。森まゆみさんたちが地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊したのは1984年10月。まだミニコミ誌という言葉が一般に馴染みのなかった頃だ。僕がまだ東京にいた頃だが、東京にいる間にこのミニコミ誌を意識していたのかはっきりとは覚えていない。たぶん知ったのは90年代に入ってからだろう。1度だけ谷根千界隈を歩いたことがある。その時書店で雑誌『谷中・根津・千駄木』3冊(55号、58号、59号)と『谷中道中案内冊子 谷中すご六』(雑誌と同じサイズ・体裁)を買った。59号が99年10月15日発行なので、恐らく行ったのは99年だと思われる。わざわざ谷根千散策のために東京まで出かけて行ったとも思えないので、正月に帰省するついでに日暮里駅まで行き、谷中あたりを歩き回ったのだろう。
もう8年前になるのか。谷根千界隈は期待したほど古い町並みが残ってはいなかった。狭い路地が続いてはいたが、建物は普通の住宅が多かった。確かにお寺は多かったが、全体としてそれほど情緒を感じさせる雰囲気ではなかったように記憶している。もちろんごく一部しか歩いていないので、そういう一角を見落としていた可能性は高い。ただ、夕やけだんだんから谷中銀座にかけては老舗の店が立ち並んでいて、独特の雰囲気だった。あのあたりは下町風で気に入った。江戸千代紙の「いせ辰」も良かった。今見ても新鮮なデザインが多く、大判の千代紙を額縁に入れて絵画のように壁に飾る人の気持ちも理解できる。下手な絵よりよほど素晴らしいインテリアになる。江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」にD坂として登場する団子坂にも行ってみた。思ったほどの急坂ではなかった。ここも普通の坂道だが、鴎外記念図書館などが途中にあって興味深かった。ただ有名な喫茶店「乱歩」にはややがっかり。アンティークなどが置いてあり、今はほとんどなくなってしまった昔懐かしいタイプの喫茶店ではある。しかし特に江戸川乱歩を感じさせるわけでもなし、ただ薄暗いだけじゃないか。そんな印象だった。他にも見て回りたいところはあったが時間がなくて回れなかった。根津神社や大名時計博物館には行ってみたかった。
お気に入り作家 森まゆみさん
前ふりが長くなってしまった。『谷根千』の編集者の1人森まゆみさんの『路地の匂い 町の音』(旬報社)を昨日読み終わった。谷根千を知った頃から森さんにも興味を持ったと思う。読書ノートで調べてみたら、最初に買った彼女の本は『不思議の町根津』(ちくま文庫)で、98年2月8日に購入、99年10月23日に読了している。次に買ったのが『谷中スケッチブック』(ちくま文庫)。99年11月13日に購入し、99年12月22日読了。なるほど時期は合う。『谷中スケッチブック』を読んで、実際に行ってみたくなったのだろう。面白いことに読書ノートを見ていたら、ほぼ同じ時期になぎら健壱の『下町小僧』、『東京の江戸を遊ぶ』、『ぼくらは下町探検隊』など(いずれもちくま文庫)を読み漁っていた。他にも川本三郎など、東京のあちこちを歩き回った人たちの本も集中的に読んでいる。TV番組の「出没!アド街ック天国」にも夢中だった時期だ。東京から上田に来て10年ほどたったいた頃だが、やはり東京は離れていても気になる街だったのである。
上記2冊の本を読んで以来彼女は僕のお気に入り作家になり(同じ年生まれという親近感もある)、その後も彼女の本を見つけしだい必ず買ってきた。調べてみたら10冊をゆうに超えていた。『明治東京畸人伝』(新潮文庫)、『明治快女伝』(文春文庫)、『谷根千の冒険』(ちくま学芸文庫)、『風々院風々風々居士』(筑摩書房)、『東京遺産』(岩波新書)、『一葉の四季』(岩波新書)、『昭和ジュークボックス』(旬報社)、『神田を歩く』(毎日新聞社)、『抱きしめる東京』(講談社文庫)、『とり戻そう東京の水と池』(岩波ブックレット)、『大正美人伝』(文春文庫)、『鴎外の坂』(新潮文庫)。
これだけ彼女の本を持っていながら、実はつい最近まで『路地の匂い 町の音』という本の存在を知らなかった。98年9月発行だから出て10年ほどたっているのに、どうして今まで気づかなかったのか。たまたまアマゾンで検索して見つけたのである。彼女の本だからもちろんすぐ買う気になったのだが、なんと言ってもそのタイトルが魅力的だった。なんとも素晴らしいタイトルではないか。僕自身が路地裏探索が好きなので、このタイトルには強烈に引き付けられた。ブログに時間をとられて本を読む時間がなかなか取れないでいたのに、それまで読みかけていた本を中断して、家に届いた直後から読み始めた。
『路地の匂い 町の音』の魅力
面白かった。まず短いエッセイを集めたものなので読みやすい。彼女がどんな考え方をする人で、普段どんな活動をしているのかもよく分かるので興味深かった。彼女の強みはそのバイタリティーだ。3人の子供を育てながら20年以上にわたって『谷根千』を発行し続けてきた。彼女の基本のスタイルは聞き書きである。谷根千界隈の古老や商店主、職人などに突撃取材。商売をしているところでは何度も今忙しいからと断られ、何度も出直す。ある石屋さんは文字通り石のように口が堅くて往生したそうだ。それでもめげない。とにかく行動派。ラディカルな視点で東京の街づくりを批判し、別の道を提案する。様々な運動にも積極的に参加して発言している。先日講演を聞いた鎌仲ひとみさんと同じ活力を持っている。とにかく最近は元気な女性が多い。この二人の話しを聞き、本を読み、つくづくそう思った。
彼女は大学でも教えているが、決して研究者タイプではない。超モダンな建物よりも、下町のざわついた商店街や裏通りが似合う人だ。「暮らしからにじみ出る」匂いや色や音に親しみや安らぎを感じる。そういうタイプの人だ。学者のような衒いは一切ない。むしろそれに反発を感じている。「人間のふだんの言語活動にない横文字が自明のように使われ、それが知ったかぶりの業界人の優越感をくすぐり、ふつうの人々を脅しつけている。」「高踏ではなく世の中のざわめきの中に芸術がある。・・・私たちの町そのものがアートではないか。」こういった表現に彼女の感性がよく出ている。彼女のそういうところに僕は引かれる。共感する。
住民運動に積極的にかかわる積極性、行動力ばかりではない。その視線が常に上からではなく下からものを観ている。次の3つの引用文を読めばそれがよく分かるだろう。
乳母車を押すテンポで、ヨチヨチ歩きの子どもの目の高さで町を歩いたとき、いろんなものが見えてきた。
ヨチヨチ歩きの子どもとしゃがむと、路地の狭い空間はまるで拡大鏡を見るように、すみれ咲き、タンポポ咲き、ミミズ這い、ダンゴ虫のいる、ネコのケモノ道も見える小宇宙になる。
「町を見る」のに書物から入るのはいちばん弊害が多く、いちばん楽しみが少ないのに、多くの郷土史家はなぜかお勉強から始めてしまう。
子供の低い目線でものを見るというのは経済力のないもの、弱いものの立場でものを見るということであり、都庁舎のようなこれ見よがしに目を引くものではなく普段見落としがちなものに目を向けるということである。あるいは偉い地位についている人たちではなく、地道に努力している人たちに目を向けるということである。「お勉強から始めてしまう」という表現には本多勝一の「お勉強発表会」という彼独自の表現の響きが感じられる。ひょっとしたら彼の影響を受けているかもしれない。庶民の息吹も汗も泥も涙も感じられない本よりは、自分で町を歩き、人から直接話を聞くほうがどれだけ意味があるか知れない。彼女はそう考えている。だから偉い学者やインテリが書いた区史には「ふつうの人の生き死に、生活史もほとんど書かれていない」と不満を言えるのだ。彼女は質屋さんにもインタビューしている(これがまた面白い)。質屋に実際に入って主人の話を聞いてみたいと考える学者やインテリがどれだけいるだろうか。
別に彼女が猛女だと言っているわけではない。写真を見るとぽっちゃりした普通のおばちゃんである。まあ確かに、聞き取り調査という手法をとっているので遠慮なんかしていられないというところはあるだろう。僕なんかよりはるかに押しが強そうだ。しかし彼女はふつうの人の、ふつうの町の風情や佇まいや住民間のつながりを、偉ぶって勿体つけた「高踏な」ものよりも高く評価する感性や価値観を持っている。その点がむしろ大事だ。彼女が谷根千に見出しているのはそういう価値だ。
この町では「子どもが来たら飴玉一個でもやらなくちゃあ」というのがあって、帰りにはお土産もらってホクホクしてもどってくる。親以外にも町に子どもを受け止めてくれる場所がある、ということも大切なことだと思う。
谷中や根津に古い家が多いのは、この辺りが東京では珍しく震災・戦災の被害が少なかったからである。・・・真の震災対策は建物の不燃化、堅牢化、道路の拡幅、緑地帯の設置ばかりにあるのではない。自分の判断で動ける人々を増やし、彼らが協力しあえる人間関係をつくることである。
表面のきらびやかさよりも「見えないところに仕事がしてある」ことに感心するのも同じ感性だ。そういうところに住んでいるから子どもものびのび育つのだろう。「子どもは自由に遊ばせたい、遊ぶ力があるんですもの。」いまどき子どもの「遊ぶ力」に注目する大人がどれだけいるだろうか。こういう視点が欠如しがちだから彼女は役人や学者に批判的なのだ。
役人が庁舎から出なくなると最悪だ。住民のニーズはつかめなくなり、用向きは住民を呼びつける発想になり、どこまでも「霞ヶ関の論理」や「新宿の論理」になってゆく。
「上から下を見下ろしてみたい」というのは男性の発想みたいだ。私はこれを「天守閣の思想」と名づけた。・・・天守閣の思想はバブル期に数多くのビルを生んだ。
新宿に天守閣のようにそびえる都庁を槍玉に挙げた「天守閣の思想」という文章からの引用だ。「霞ヶ関の論理」や「新宿の論理」という表現にも「殺す側の論理」、「殺される側の論理」という本多勝一の用語の響きが感じられる。しかし彼女はここで独自の表現を作り出した。「天守閣の思想」という表現は言い得て妙だ。いつか映画のレビューで引用してみよう。いいレビューを書くにはいい刺激を与えてくれる書物などとの出会いが必用だ。映画を観る視点と感性は映画以外のものとどれだけ多く出会っているかで研ぎ澄まされ方が違ってくると思う。急がば回れ。回り道や寄り道をすればするほどものの見方、考え方が豊かになる。最近いいレビューが書けなくなっているのはあまり本を読んでいないからだと、改めて自戒する。
鎌仲ひとみさんはアクティヴィストという言葉が似合う人だが、森さんは活動派というよりも行動派という言葉が似合う気がする。聞き取り調査は外回りの営業以上に疲れるし気を使う仕事だろう。何度も怒鳴られたり邪魔にされたりしながらも決してめげない。この粘りと行動力が僕はうらやましい。
このエッセイ集は久しぶりにエッセイを読む楽しみを味わわせてくれた。僕も写真日記などを書き始めているが、彼女のようなエッセイがなかなか書けない。この本を読んで、自分の足りないところをいやというほど再認識させられた。映画のレビューで偉そうなことを書いてはいるが、結局僕は机上の物書きに過ぎない。映画を見るのも、本を読むのも、音楽を聴くのも、デジカメを持って写真を撮りに行くのもすべて1人で行う行為。行く場所は違っても、結局書いているのは自分のことである。その枠から容易に出られない。そこに自分の限界を感じる。僕の写真に人が写っていないのが象徴的だ。僕のカメラは風景や人工物に向けられている。決して人には向けられない。仮に彼女の下で働くことになって、近所の商店の人の話を聴いて来いと言われたら、恐らく3日と持たずに逃げ出してしまうだろう。
2、3度断られてもひるまない強さ。それは単に彼女が強いだけではなく、相手に対して敬意を感じているからできるのである。彼女の文章が面白いのは、相手の話を彼女が面白いと思って聴いているからである。単に町を歩くだけではなく、人と会い話を聞く。彼女の本の面白さはそういう彼女の行動力から生まれている。見たり聴いたりすることで関心が生まれる。関心を持って追求しているからいろんなものと出会う。おばちゃんも棒に当たる。『路地の匂い 町の音』には書評も何篇か収録されている。彼女が取り上げた本を僕は1冊も知らなかった。『澤の屋は外国人宿――下町・谷中の家族旅館奮闘記』、『浦安・海に抱かれた町――聞き書き 人と暮らし』、『エコロジー建築』、『これからの集合住宅づくり』、『肌寒き島国――「近代日本の夢」を歩く』、『町並み まちづくり物語』等々。彼女の紹介文を読むとどれも面白そうで、読んでみたくなる。僕の視野には全く入っていなかった本。関心のある分野の違いなどという問題ではない。彼女が行動しているからこそ目に入った本なのだろう。「本屋のない町は未来がない」などという言葉は彼女だから言えるのだ。考えてみれば、僕自身も「パニのベランダで伊丹十三を読みながら」というエッセイで、エッセイは「意志だけで書けるものではない。もっと非日常的な経験をたくさんしなければいけない。週末はもっと外出するようにしよう」と書いた覚えがある。写真日記を書き出してから行動はするようになった。しかし写真日記はただ行動の経過を書いているだけである。日記であってエッセイではない。行動しつつも、時に立ち止まって思考をめぐらしてみる必用がある。行動と思考。この両方がなければエッセイは書けないのだ。
最後に
こういう時代だから『谷根千』のホームページもあるのではないかと思ってネットで調べてみたら、すぐ「谷根千ねっと」というページが見つかった。しかしその冒頭の記事を見て驚いた。ここ数年販売部数が7000部を割っているので、2年後の93号をもって廃刊する予定とある。わずか4人で切り回しているのではこれが限界なのだろうか。実に残念だ。しかしバイタリティーあふれる彼女たちのこと。また別のところで新たな活躍の場を見出すに違いない。
帰省するついでにまた谷根千に行ってみよう。今度はしっかりデジカメを持って「取材」に行く。どこかで森さんに会えないかなあ。
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