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2007年11月 3日 (土)

「ミス・ポター」と「天然コケッコー」を観てきました

Sand_5  映画の日の11月1日、電気館で「ミス・ポター」と「天然コケッコー」を観てきました。この日は職場の記念日で毎年休みです。レンタルよりは高いけれど、ほぼ1本分の料金で2本観られるのはやはり得した気分です。1日だけとはいわず、11日、21日、31日も半額の日にしてくれないかねえ。あるいは毎週土日を半額の日にするとか。それにしても、平日とはいえ映画の日だというのに「ミス・ポター」は8人、「天然コケッコー」は6人しか観客がいなかった。地方の映画館は風前の灯なのか。

  3日から「ALWAYS 続三丁目の夕日」の公開が始まり、11月中旬には「めがね」、「エディット・ピアフ~愛の賛歌」が公開予定。なぜか毎年この時期になるといい映画が来るようになる。この機会にせっせと映画館で観ておかないと。そういえば、12月16日には長野大学(昨年も「スティーヴィー」を上映した)で「六ヶ所村ラプソディー」の上映会がある。

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「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、2006年、英・米)
 評価:★★★★
 ベアトリクス・ポターのことはある程度知っているつもりでいた。「ピーター・ラビットのおはなし」の作者であることはもちろん、ナショナル・トラスト創立の時期から深い関係にあり(創立メンバーの1人の友人)、彼女自らも多くの土地を買って開発から守ったことも知っていたが、あんな上流出身だとは思わなかった。もっとも、ビアトリクス自身が映画の中で言っていたように、両親とも商売人の出でいわゆる成り上がりだ。もともと上流の出身ではないので、なおさら貴族などと付き合いを強めて、出身階級の連中を意識的に遠ざける。上へ上へと社会の階層を登ってゆこうとする当時の風潮がよく表現されていた。

 そんな両親の下に育ちながら、幼い頃から動物を観察し絵に描くことが好きなビアトリクスは、母親の早く結婚せよとの矢の催促をものともせず、絵本作家を目指していた。女性が就ける職業などまだまだ限られていた時代で、ましてや上流の子女が仕事をすることなどほとんど理解されなかった時代。絵本作家という職業もアーティストとしての地位も当然確立していない。物語は1902年に始まっているが、60年以上も在位していたヴィクトリア女王が亡くなったのはその前年の1901年である。まだまだヴィクトリア時代の風習が色濃く残っていた時代だった。

 「ピーター・ラビット」シリーズの編集者、ノーマン・ウォーンとの結婚も両親の、特に母親の激しい反対にあう。このあたりの描き方も良く出来ている。上流家庭の母親が娘の結婚にどれほど気をもむかはジェイン・オースティンの小説を読めばよく分かる。女性は結婚相手の財産にすがって生きるしかなかった時代である。上流家庭の子女であるからこそ手を汚して働くなどもってのほか。母親は貴族のバカ息子との縁談を次々と娘にもってくるが、どの婿候補も見るからにあほ面なのが可笑しい。このあたりは18世紀の末に書かれたジェイン・オースティンの小説世界さながら。100年前とちっとも変わっていない。

 レニー・ゼルウィガーが少しも上流の娘に見えないのがご愛嬌。アメリカのテキサス生まれじゃあ現代娘のブリジット・ジョーンズの方がまだ合っている。むしろユアン・マクレガーの方が上流の子弟に見えるくらいだ。「トレインスポッティング」のヤク中青年のイメージが鮮烈なので、これほど背広姿が似合うとは意外だった。

 ノーマン・ウォーンが結婚前に急死してしまうのも知らなかった。結果的に最後の別れになってしまった駅での別れのシーンは、ありきたりのシチュエーションだが、何故か記憶に残った。だが、ビアトリクスがノーマンの死を悼むシーンはそれほど湿っぽくはない。彼女の描いた絵が動いたり、馬車を曳く馬がウサギに見えたりと、全体的に明るくファンタジーの要素を込めて描かれているからだろう。強い女性という描き方ではないが、母親の忠告を振りきり自分の行き方を貫く姿勢が強調されている。動物を愛する気持ちが動物たちの棲む自然を開発から守るという考えにつながり、それがウィリアム・ヒーリスとの結婚につながるという描き方になっているのもいい。

 ただ全体としてみれば軽い映画である。ジェイン・オースティンのような入念な人間観察はなく、どちらかというと人物描写は平板だ。レニー・ゼルウィガーを主演にしたために、アメリカ映画的作りが入り込んでしまったのかも知れない。


「天然コケッコー」(山下敦弘監督、2007年、日本)

 評価:★★★★
 中学生の男女の淡い恋を描いたさわやかな映画だった。同じく中学生を主人公にした「青空のゆくえ」を思い浮かべながら観ていた。「小学生でもなく、高校生でもない、中学生という微妙な年齢をターゲットにした。人を好きになるという感情が芽生え始めた年齢、好きなのかそうでないのか自分でもはっきりしない。だからねっとりした嫉妬もなく、どろどろした恋のつばぜり合いもなく、またいじいじ、じめじめしたところもない。実にさっぱりしている。だから観終わった後がすがすがしいのだ。」これは「青空のゆくえ」のレビューで書いた文章だが、かなりの程度「天然コケッコー」にも当てはまる。そよ(夏帆)と広海(岡田将生)のぎこちないキスシーンがほほえましい。

Tukiusa  全校生徒がたったの7人(1人は東京からやってきたばかりの転校生・広海)しかいない山間の分校を舞台にしたところが実にユニークだ。言葉から関西の方だと思っていたが、島根県の浜田が舞台のようだ。女の子が自分を「わし」と言っているのが意外に可愛く聞こえるから面白い。「たそがれ清兵衛」や「スウィング・ガールズ」同様、方言が魅力の一つになっている。「いって帰ります」と言って出かけ、「帰りました~」と戻ってくる。田舎ならではのゆったりとした時間の流れや景色の美しさとあいまって、行ったことがないのに何故か懐かしさを感じてしまう。そう、この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」や「カーテンコール」と同様、懐かしさが売りなのである。ただ、時代を昔に設定するのではなく、いまだにこんな生活が残っているのかという田舎に設定しているところがユニークなのだ。

  くらもちふさこの原作漫画は知らないが、最近こういうふわふわした感じの漫画が多い気がする。こうの史代の漫画もこんな感じだ。特に劇的な展開はなく、淡々と描いてゆく。日常のごく些細なことがエピソードとして挟まれてゆく。生徒が少ないから上級生は自然に下級生の面倒を観ている。一番年下のさっちゃんがおしっこを漏らした時、そよはさっと床を拭き、「しとうなったらそよに言う約束じゃろ?」と声をかける。濡れたパンツをそよが洗っているシーンもごく自然だ。「青空のゆくえ」では正樹がアメリカに飛び去った後に映される青空が印象的だったが、「天然コケッコー」では海が印象的だ。生徒たちが海まで歩いてゆくシーンが面白い。ずっと山道のようなところを歩いている。なかなか着かない。こんな山ばかりのところに海があるのかと疑問に思った頃突然海が見える。どんな土地なのかよく分かるなかなか面白い演出だった。橋から飛び降り自殺した人の霊に足をつかまれてそよが動けなるエピソードも、迷信深い土地柄を表現する演出である(ちょっとやりすぎだと思ったが)。

  そんな生徒数たった6人の分校にイケメンの転校生が東京からやってくる。これがこの映画の一番の「大事件」である。穏やかだった水面に広がるささやかな波紋。中学生の女の子たちがそわそわし始める。バレンタイン・チョコがにわかに意味を持ち始める。弟に気遣いながらそよたちが広海にチョコを渡すシーンは実にさわやかだ。広海があまり都会的価値観を持ち出さないところがいい。この種のテーマの場合、普通なら田舎と都会の違いをいやみなほど強調するものだ。さっちゃんのパンツを洗った手でそよが触ったリンゴを広海が「おしっこの匂いがする」といって食べなかったシーンが最初に出てくる程度だ。あくまで大きな対立ではなく小さな波紋を描く手法。だから、郵便局のしげちゃんのぎょろ目と意味不明な行動がシュールな効果をもたらすのだ。このあたりは山下監督得意の演出が効いている。

 「青空のゆくえ」同様、塾通いや受験勉強などは出てこない。小学生も中学生ものびのびしている。まさに天然。それがこの映画の一番の魅力である。「一本の草や木を抜けば、その下から意外に複雑に広がった根が出てくる。同じように人間も社会に根を張って生きている。大地に収まっているときには見えないが、意外に深く広く根を張っていることが分かる。この映画は、一人の男子生徒がアメリカに引っ越す前に、自分の根の張り方を確認し、思い残したことを整理してゆく過程を描いている。」(「青空のゆくえ」のレビューより)これに対し「天然コケッコー」は東京から転校してきた男子生徒が田舎に根を張るまでを描いている。

 東京へ修学旅行に行ったとき、広海は昔の同級生から別れ際に校舎のかけらを渡される。彼らの学校は建て替えられるのである。広海はそのかけらを捨ててゆこうとするが、そよはそれをカバンに入れてもって帰ろうとした。広海はそのかけらを取り上げて割ってしまう。しかしその後がいい。小さくなったかけらをそよに渡すのだ。結局これが一番の東京土産だった。広海はその時、気持ちの上で東京への未練を吹っ切ったのだろう。広海と馬鹿ふざけしていた元同級生たちを見れば、東京で広海がどんな学校生活をしていたか察しがつく。かけらを渡したとき彼はその思いも一緒にそよに渡したのである。だから彼はそよと同じ地元の高校に進学したのである。たとえ坊主頭になっても田舎の高校を選んだのである。

 出演者の中では夏帆が特に印象的だった。これからどんな女優に育ってゆくのか楽しみだ。山下敦弘監督の作品を観るのは「リアリズムの宿」、「リンダリンダリンダ」に次いで3本目。どれも出来はいい。最近の日本映画の好調を支えている1人。作品に深みはないが、優れた演出力を持っているのが強み。彼も今後の作品が楽しみだ。

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コメント

kimion20002000さん コメントありがとうございます。
あの田舎ののんびりとした風景と生活がいいですね。『キネマ旬報』のベストテンでも2位に入っていました。
「松ヶ根乱射事件」も同じ山下監督でしたか。気が付きませんでした。昨年は大活躍だったわけですね。
昨年の日本映画は一昨年の充実ぶりに比べると全体にやや小粒になった感があります。今年はどんな作品と出会えるのか、楽しみですね。

こんにちは。
「天然コケッコー」は、よかったです。
山下監督は、この前の作品が「松か根乱射事件」なんですね。
田舎町の、奇妙な不気味さを題材としているんですけど、今作をみると、とても演出の幅が出てきたように思います。
渡辺さんの脚本もいいのでしょうが、セリフを最小限にして、田舎に流れるゆったりとした物憂げでだけど清冽な空気感をよく出していたと思います。

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