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2007年11月

2007年11月23日 (金)

別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」のご案内

  前にも書いたのですが、このところ写真日記を載せていません。当ブログと別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」の差別化を計るために、旅行記や写真日記は別館ブログだけに掲載することにしたからです。その代わりに映画チラシやパンフレットのコレクション写真を載せるようにしました。

 最後に載せた写真日記は「自然運動公園へ行く」ですが、その後も別館ブログでは「白樺湖で紅葉を撮る」、「海野宿と望月宿を歩く」、「上田城跡公園で紅葉を撮る」、「立科町・中山道芦田宿と笠取峠を歩く①、②」、「千曲川探索・古船橋の下流を撮る」(今日アップしました)などの記事を既に掲載しています。関心がありましたら、ぜひ別館ブログも覗いてみてください。

ゴブリンの映画チラシ・コレクション③

  映画チラシ・コレクションの第3弾です。一度載せてしまうとどういうわけか早く次を載せたくなって、自分を抑えるのに苦労しました。基本的にレビューが書けない時の埋め草なので、どうしても間が開いてしまうわけです。まあ、無尽蔵にあるわけではないのでそれでいいのですが。

  チラシもパンフも種が尽きたら、DVDコレクションを載せましょう。こちらも結構珍しいのがあります。アマゾンで検索していると、「ええ、こんなのがDVD出ていたの?」と驚くことはよくあります。本当にいつの間に出ていたのか。うれしい発見です。今やブルーレイ・ディスクやHD DVDなども出回り始め、従来のDVDもいずれはビデオのような運命をたどることになるのか、それとも並存してゆくのか少し不安になってきました。まだ先は読めませんが、何とか住み分けしてくれればこれまでのコレクションが無駄にならずにすむのですが。

  掲載したチラシやパンフを眺めていると、岩波ホールやシネ・ヴィヴァン六本木のものが多いことに改めて驚きます。東京にいた頃よく通った映画館ないしホールは、岩波ホール、国立フィルムセンター、池袋の文芸座と文芸地下とル・ピリエ、銀座の並木座、高田馬場のACT、ユーロスペース、三百人劇場あたりか。次いでよく通ったのはシネセゾン渋谷、シネマスクエアとうきゅう、シネ・ヴィヴァン六本木、有楽町シネマ、東銀座の松竹シネサロン、高田馬場東映パラス、銀座文化、シャンテシネ等々。名画座・自主上映系では下高井戸京王、八重洲スター座、三鷹オスカー、スタジオ200、テアトル新宿、パール座、後楽園シネマあたり。う~ん、今はもうないところも多いせいか、映画よりも映画館のほうが懐かしい。

  今当時を振り返って残念に思うのは、映画館の写真を撮っておかなかったこと。もっとも、当時はそんな関心など全くなかったのだから仕方がないですが。映画館の名前や場所は覚えていても、どんな外観だったのかは全く覚えていない。もっぱら関心は映画にあったわけで、映画館は単に入り口を通過するだけの入れ物。そんな感覚だった。当然といえば当然だが、しきりにデジカメで写真を撮っている今から思うと惜しいことをしたと後悔しきり。最近よく買っている『東京人』という雑誌に文芸座の写真が載っていた時にはため息が出るほど懐かしかった。これだ!写真で記録する意味はここにある。芸術写真を撮るつもりなど毛頭ない。20年後、30年後に意味を持ってくる。だから何でもないありふれたものでも記録に残しておく意味があるのだ。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズに出てくる消え去った生活用品・用具等は懐かしさをあおるが、あれも使われている当時は当たり前すぎて写真を残しておこうなどと思わない。だから、人物を撮ったスナップ写真でも、後で見るとその横に映っている昔のポストや看板や家並みの方が意味を持ってきたりする。よし、連休中もまた写真を撮りに行くぞ。

  おやおや、短い前書きを書くつもりだったのに、とりとめもないことを長々と書いてしまった。長くなりついでに、最近観た映画のことにも触れておきましょう。「ダイ・ハード4.0」はたっぷり楽しめました。1作目の出来が良すぎて2作目と3作目は見劣りしたが、4作目はなかなかの出来だ。さすがに4作目ともなるとかなり荒唐無稽になってきたが、ブルース・ウィリスのキャラクターの魅力は変わらない。彼にはこのシリーズが一番似合う。

  もう1本「あかね空」を観た。正直観る前はテレビドラマに毛が生えた程度の安っぽい作りではないかと心配していた。なんのなんの、しっかり作ってあります。山本一力は『損料屋喜八郎始末控え』と『大川わたり』を読んだ。『あかね空』も評判だったのでブックオフで買ったが、原作より映画を先に観ることになってしまった。主演の内野聖陽がなかなかいい。僕はNHKの大河ドラマは観ないので、この映画で初めて観た。実を言うと彼が二役をやっていることには最後まで気づかなかった。あのやくざの親分も彼が演じていたとは!いやびっくり。時代小説だが、侍ものではなく町人もの。町人ものは人情劇が多いが、これは豆腐職人の世界を泣かせ路線に走らず丁寧に描いていて好感が持てる。拾いものの1本。

  もういい加減長くなったが、ええい、ついでに江戸時代の町人ものの関連でもう一つ書いてしまえ。先日矢口高雄の『平成版釣りキチ三平9 三平inカムチャッカ カヒの秘密編』を読んだ。これが滅法面白い。釣りの話そっちのけで高田屋嘉兵衛という江戸後期に活躍した商人の話にかなりのスペースを割いている。矢口高雄自身が高田屋嘉兵衛に魅せられてしまったのだ。何と谷地坊主はその7代目の子孫というとんでもない設定を思いつき、強引に物語りにはめ込んでしまった。しかしそれでよかったと思う。話の幅が広がり、またそのことによって高田屋嘉兵衛という人物を知ることが出来たのだから。

  嘉兵衛は淡路島の貧家に生まれ、子供の頃から船乗りとして非凡な才能を発揮する。その後船長になり、函館を拠点とした貿易商人となる。後に南下してきたロシア軍につかまるが、彼の活躍により危ういところで日本との開戦を食い止める。いやはやすごい男がいたものだ。坂本竜馬を彷彿とさせる男だ。漫画も手塚の「陽だまりの樹」に匹敵する面白さだった。翌日元になった司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』全6巻(文春文庫)をブックオフで買ってきた。早く読みたい。

  とうとう最後は映画と何の関係もない話になってしまった。近況報告と受け止めてください。チラシの写真だけ載っているよりはいいでしょう、と強引にまとめてみる。

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2007年11月20日 (火)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年12月)

【新作映画】
11月17日公開
 「君の涙ドナウに流れ ハンガリー1956」(クリスティナ・ゴダ監督、ハンガリー)
12月1日公開
 「サラエボの花」(ヤスミラ・ジュバニッチ監督、ボスニア・他)
 「ここに幸あり」(オタール・イオセリアーニ監督、伊、仏、ロシア)
 「ある愛の風景」(スサンネ・ビア監督、デンマーク)
12月8日公開
 「エンジェル」(フランソワ・オゾン監督、英・仏・ベルギー)
 「やわらかい手」(サム・ガルバルスキ監督、英・独・仏・他)
12月15日公開
 「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督、フランス・カナダ)

【新作DVD】
11月21日
 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」(デビッド・イエーツ監督、英・米)
 「ヘンダーソン夫人の贈り物」(スティーヴン・フリアーズ監督、イギリス)
 「ディクシー・チックス/トップ・オブ・ザ・ワールド・ツアー・ライヴ」(音楽)
 「グラストンベリー」(音楽)
11月23日
 「新SOS大東京探検隊」(高木真司監督、日本)
12月5日
 「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」(ゴア・バービンスキー監督、米)
 「コマンダンテ」(オリバー・ストーン監督、米・スペイン)
12月7日
 「舞妓Haaaan!!!」(水田伸生監督、日本)
 「女帝 エンペラー」(フォン・シャオガン監督、中国・香港)
 「トランシルヴァニア」(トニー・ガトリフ監督、フランス)
 「憑神」(降旗康男監督、日本)
 「パラダイス・ナウ」(ハニ・アブ・アサド監督、仏・独・オランダ・パレスチナ)
12月19日
 「トランスフォーマー」(マイケル・ベイ監督、アメリカ)
 「アズールとアスマール」(ミッシェル・オスロ監督、フランス・他)
 「主人公は僕だった」(マーク・フォスター監督、アメリカ)
12月21日
 「街のあかり」(アキ・カウリスマキ監督、フィンランド・他)
 「リトル・チルドレン」(トッド・フィールド監督、アメリカ)
 「天然コケッコー」(山下敦弘監督、日本)
 「ボラット」(ラリー・チャールズ監督、アメリカ)
12月22日
 「レッスン!」(リズ・フリードランダー監督、アメリカ)
1月1日
 「ボルベール(帰郷)」(ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)
1月9日
 「キサラギ」(佐藤祐市監督、日本)

【旧作DVD】
11月21日
 「NHKアーカイブス ドラマ名作選集第1期」
   収録作品:「氷雨」、「どたんば」、「海の畑」、「魚住少尉命中」、「駅」
11月22日
 「ショート・カッツ」(93、ロバート・アルトマン監督、米)
 「アレクサンドル・ソクーロフ DVD-BOX②」
   収録作品:「痛ましき無関心」、「マザー、サン」、「モレク神」
 「リストランテの夜」(96、スタンリー・トゥッチ監督、米)
11月23日
 「斬る」(68、岡本喜八監督、日本)
11月28日
 「浪人街」(90、黒木和雄監督、日本)
12月7日
 「トニー・ガトリフ DVDコレクターズBOX」
   収録作品:「ラッチョ・ドローム」、「ガスパール君と過ごした季節」、他
12月14日
 「熊井啓 日活DVD-BOX」
   収録作品:「日本列島」、「愛する」、「日本の黒い夏 冤罪」
  「草の乱」(04、神山征二郎監督、日本)
12月21日
 「ヴィム・ヴェンダースDVD-BOX 旅路の果てまで」
   収録作品:「都会のアリス」、「さすらい」、「ことの次第」、「左利きの女」、他

Mado_momizi_01    新作はアメリカ映画にいいのが見当たらず地味なものばかりになってしまった。「サラエボの花」、「ここに幸あり」、「ある愛の風景」、「エンジェル」あたりが良さそうだ。「小さな中国のお針子」のダイ・シージエ監督作品「中国の植物学者の娘たち」はいまだタブーの同性愛がテーマ。

 新作DVDでは「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」、「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」、「トランスフォーマー」などの人気作が出る。駄作のないトニー・ガトリフ監督の「トランシルヴァニア」、もはや巨匠と呼ぶべきペドロ・アルモドバル監督の「ボルベール(帰郷)」が大いに楽しみだ。ミッシェル・オスロ監督のアニメ「アズールとアスマール」、アキ・カウリスマキ監督の「街のあかり」も期待大。「ヘンダーソン夫人の贈り物」や「リトル・チルドレン」、日本では「キサラギ」も気になる。また、今回は音楽DVDを2本上げておいた。ディクシー・チックスは特におすすめ(廉価版で再発)。

 旧作の方はボーナス目当てかボックスものが多い。中でもトニー・ガトリフとヴィム・ヴェンダースがおすすめ。NHKアーカイブスもぜひ。アーカイブスの番組ができた記念に放送された「どたんば」を観たが、当時の熱気が伝わってくる優れたドラマだった。ボックス以外では「斬る」と「浪人街」の発売がうれしい。どちらも未見だが、観たかった映画だ。アルトマンの「ショート・カッツ」が初DVD化とは!もちろんおすすめ。「ナッシュビル」も早く出して欲しい。

2007年11月19日 (月)

100人の子供たちが列車を待っている

1988年 チリ 1990年公開 58分
評価:★★★★★
監督:イグナシオ・アグエロ
製作:ベアトリス・コンザーレス
製作協力:チャンネル4
撮影:ハイメ・レイエス、ホルヘ・ロート
録音:エルネスト・トルヒーヨ、フレディ・ゴンサーレス、マリオ・ディアス
編集:フェルナンド・バレンスェラ・キンテーロス
出演:アリシア・ベガ、チリの子供たち

F126s   「100人の子供たちが列車を待っている」が日本で公開されたのは1990年。奇しくもチ
リの独裁者ピノチェトが大統領を辞任し、民政に移行した年である。『キネマ旬報』のベストテンでは31位にランクされている(僕自身は90年のベストテン第6位に選んでいる)。しかし既に東京から上田に移っていたのでこの年には観られなかった。ずっと観たいと思っていたのだが、94年の1月頃にスーパーのワゴンセールでビデオを手に入れた。最初に観たのは94年2月5日。先日13年ぶりにビデオを見直した。製作から20年近くたった今でも実に新鮮で少しも色あせていない。文句なしの傑作である。

  この映画は記録映画として傑作であるだけではなく、ラテンアメリカ映画の中でも特筆すべき位置を占めている。参考までに、「ラテンアメリカ映画マイ・ベストテン+α」を挙げておこう。ただし特に順位はつけず、年代順に並べてある。

■ラテンアメリカ映画マイ・ベストテン
「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004) ヴァルテル・サレス監督(英・米)
「シティ・オブ・ゴッド」(2002) フェルナンド・メイレレス監督(ブラジル)
「フリーダ」(2002) ジュリー・テイモア監督(メキシコ)
「セントラル・ステーション」(1998) ヴァルテル・サレス監督(ブラジル)
「クアトロ・ディアス」(1997) ブルーノ・バレット監督(ブラジル)
「ラテンアメリカ光と影の詩」(1992) フェルナンド・E・ソラナス監督(アルゼンチン)
「戒厳令下チリ潜入記」(1988) ミゲル・リティン監督(スペイン)
「100人の子供たちが列車を待っている」(1988) イグナシオ・アグエロ監督(チリ)
「オフィシャル・ストーリー」(1985) ルイス・プエンソ監督(アルゼンチン)
「忘れられた人々」(1950) ルイス・ブニュエル監督(メキシコ)

■ラテンアメリカ映画+α
「ウィスキー」(2004)  フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール監督(ウルグアイ、他)
「僕と未来とブエノスアイレス」(2003) ダニエル・プルマン監督(アルゼンチン)
「アモーレス・ペロス」(1999) アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(メキシコ)
「スール その先は・・・愛」(1988) フェルナンド・E・ソラナス監督(アルゼンチン)
「ナイト・オブ・ペンシルズ」(1986) エクトル・オリベラ監督(アルゼンチン)
「蜘蛛女のキス」(1985) ヘクトール・バベンコ監督(ブラジル)
「タンゴ―ガルデルの亡命」(1985) フェルナンド・E・ソラナス監督(アルゼンチン)
「追憶のオリアナ」(1984) フィナ・トレス監督(ベネズエラ)
「アルシノとコンドル」(1982) ミゲル・リティン監督(ニカラグア)
「サンチャゴに雨が降る」(1975)  エルヴィオ・ソトー監督(フランス・ブルガリア)
「アントニオ・ダス・モルテス」(1969) グラウベル・ローシャ監督(ブラジル)
「エル・トポ」(1967) アレハンドロ・ホドロフスキー監督(メキシコ)

<こちらも要チェック>
 ついでに、その他のラテンアメリカ関連映画も挙げておこう。作品的にはいずれも傑作ぞろいである。
「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」(2006) トミー・リー・ジョーンズ監督(米・仏)
「スパングリッシュ」(2004) ジェームズ・L・ブルックス監督(アメリカ)
「カーサ・エスペランサ」(2003) ジョン・セイルズ監督(アメリカ・メキシコ)
「愛と精霊の家」(1993) ビレ・アウグスト監督(ドイツ、デンマーク、ポルトガル)
「サルバドル~遥かなる日々」(1985) オリバー・ストーン監督(アメリカ)
「エル・ノルテ 約束の地」(1983) グレゴリー・ナヴァ監督(アメリカ)
「メキシコ万歳」(1979) セルゲイ・M・エイゼンシュテイン、他、監督(ソ連)

  「100人の子供たちが列車を待っている」はわずか60分にも満たない長さながら、映画の原点と教育の原点、映画教室に通う子供たちの笑顔、その同じ子供たちや家族の貧困に押しつぶされそうな日常生活と軍事政権下のチリの現実がぎっしりと詰め込まれている。それらの要素を一つひとつ見てゆこう。なお、イグナシオ・アグエロ監督やアリシア・ベガに関する情報、その他の基本的事実に関しては、「100人の子供たちが列車を待っている」のビデオに封入されていたパンフレットを参照した。

Photo   登場人物は映画教室の講師を務めるアリシア・ベガと教室に通う14歳以下の子供たちである。アリシア・ベガは『チリの映画評論』の著者であり、大学や高校で映画史を教えたこともある。監督のイグナシオ・アグエロも大学で彼女に教わっている。また、79年には『チリの映画評論』執筆中のアリシア・ベガの助手を務めている。彼女は84年からチリの各地で映画教室を開いている。「100人の子供たちが列車を待っている」は86年にサンティアゴのロ・エルミーダで行った半年間の教室の模様を撮影している。映画教室は毎週土曜日、ホリー・スピリット教会で開かれた。一方、子供たちは本来8歳以上が対象だったが、小さい弟や妹の面倒を見ている子供が多かったため、参加者の中には6歳以下の子供もたくさんいたという。

  冒頭アリシアが子供たちに「映画を観に行ったことがありますか」と問うと、ほとんどの子供がないと答えている。「ランボー」や「ロッキー」を観たという子供が若干いるだけである。チリの子供たちにとって、映画はせいぜいテレビで観るか、あるいは全く縁のない世界なのである。親さえも映画を観に行ったことがない。それが現実なのである。

  そんな子供たちにアリシアは、まず網膜残像について説明する。見た映像がしばらく網膜に残るからわれわれは映画やテレビを動画として観賞できるのである。まず原理を説明して、次に映画のもっとも原初的な形態であるマジックブロック(パラパラ漫画)、さらにはソーマトロープやゾーイトロープ、キネトスコープなどを紹介してゆく。この授業が素晴らしいのは、ただ説明したり実物の写真を見せたりするのではなく、子供たちにそれらを実際に作らせて、自分たちで作った「実物」を楽しませていることである。ここで映画の原点が教育の原点と結びつく。自分たちで作ったゾーイトロープをくるくる回しながら、不思議そうに、あるいはうれしそうに覗く子供たちの顔がみな輝いている。(注:ゾーイトロープとはおひつのような形の回転ドラムの内側に連続した絵を貼り付け、それを勢いよく回転させてドラムに開けられたスリットから覗くと絵が動いて見える仕掛けである。)

  教育とは本来知識を教え込むことではなく、子供たちの想像力や創造力そして思考力を引き出し伸ばしてゆくものである。特に小学生くらいの年齢では、自分の手で物を作り、遊びながら学んでゆくことが必要だ。楽しむことから興味や関心が湧いてくる。アリシアは教室で決して「勉強しましょう」とは言わない。いつも彼女は「遊びましょう」と言う。ソーマトロープは、表と裏にちがう絵のかかれた板を両端につけられた輪ゴムでくるくる回して、表の絵と裏の絵がひとつの絵になるのを楽しむ単純な遊び道具だが、子供たちは嬉々としてその驚きを楽しんでいる。キャメラを意識してポーズをとったりする子供もいるが、多くは食い入るように真剣に見つめていたり、楽しくて仕方がないというようなうれしそうな表情を浮かべている。飛び回ってはしゃいでいる子供も含めて、子供たちが実に生き生きとしている。この子供たちの明るい表情、これがこの映画の大きな魅力の一つである。

  一体今の日本の小学校や塾に、こんな明るい期待を込めた表情を浮かべて教室にやってくる子供がどれだけいるだろうか。アニメ漬けの日本の子供たちは、この原初的な遊び道具に心から満足するだろうか。この映画は翻って日本の実情を顧みることをも観る者に迫ってくる。

  アリシアは様々な形態の原初的映画を子供たちに体験させつつ、映画史の勉強もさせている。彼女は子供たちに1895年12月28日という日がとても重要な日だと教える。この日、パリのグラン・カフェにおいて初めてリュミエールの発明したシネマトグラフの有料公開上映会が行われたのである。エジソンが発明したキネトスコープなど覗きからくり的なものは既にあったが、今日の映画と同じスクリーンに動画映像を映写して一度に多くの観客に見せる有料の上映会はこれが最初だった。その日上映されたのは「工場の出口」や「列車の到着」など、いずれも1分足らずの12本の短編映像だった。アリシアは教室で実際に「列車の到着」を子供たちに見せている。「100人の子供たちが列車を待っている」というタイトルはここから付けられたのだ。

Photo   余談だが、中国・アメリカ製作の「西洋鏡」という映画がある。1902年から1908年あた
りまでを描いている。英国人が活動写真を持ち込んで始めた見世物小屋で勝手に客引きする中国人の青年が主人公である。その中で初めて活動写真を観て仰天したり、感心したりする中国人たちの様子がリアルに描かれていた。山を映し出した映像を見てなんてきれいなんだとため息をついたり(どうも初めて山を見た感じだ)、万里の長城の映像が映し出されるあたりでは声も出ないほどに感動している。初めて観る動く映像は大人でも感動させてしまうものだったのである。この映画を観た時には、逆に「100人の子供たちが列車を待っている」を連想したものである。ちなみに、中国映画の第1作が作られたのは1905年。2005年に中国映画界は映画100年を迎え、12月末に人民大会堂で「中国電影誕生百周年記念大会」が開かれた。

  話を元に戻そう。映画教室では「列車の到着」以外にも様々な映像を子供たちに見せている。ディズニーの初期アニメを始めとするいくつかのアニメ作品。チャップリンもあった。大きな穴の中に横たわる青年とその穴から羊が逃げ出すシーンはタヴィアーニ兄弟が監督した名作「父 パードレ・パドローネ」の映像である(20歳になったガヴィーノの最初の映像)。1977年の作品だから、比較的最近のものまで見せていたわけだ(全編見せたのかどうかは分からないが)。当時のチリの政治情勢を彷彿とさせるのは警察隊がデモ隊を弾圧している実写映像である。こんなものを子供たちに見せているところがすごい。さらにすごいのは子供たちがこの映像に敏感に反応しているところである。映像の中の現実は彼らの現実生活とつながっていた。だから子供たちは自分たちが作るフィルムのテーマとして「冬」でも「秋」でも「夏休み」でもなく「デモ」を選んだのである。最後にみんなでバスに乗って街の映画館へ出かけてゆくところでは、「チチチ、リリリ、ピノチェト辞めろ」とみんなで歌っている。

  映画教室の授業は実際の映画を見せるだけにとどまらない。様々な映画技法までも子供たちに体験させている。モデルの子供とキャメラ役の子供を向き合って立たせ、どのくらいの距離だとクローズアップになるかなどの感覚をつかませている。シークエンスという概念を大部なセルバンテスの『ドン・キホーテ』を使って説明する(シークエンスは本でいえば章立てに当たると)。移動撮影も実際に模擬体験させている。ある人物が船で川を下りながら岸を見ていた時に移動撮影の技法を思いついたという話も面白かった。

 上記のデモ隊の映像はこの映画のもう一つの重要な要素、軍事政権下のチリの現状へとつながる。この点はこれまであまり大きく取り上げられてこなかった。日本では映画に含まれる政治的な要素を指摘することは、あたかも映画の価値を貶めることであるかのようにしばしば考えられているからだ。しかしこれは重要な要素である。この映画教室がホリー・スピリット教会で行われていたことに注目すべきだ。映画の中でも神父の姿がチラッと映っているが、恐らく彼は「解放の神学」の立場に立つ人だろう。社会的抑圧や経済的な貧困からの救済を重視する神学上の立場である。彼らにとってキリストとはこのような抑圧からの解放者である。この点で宗教と解放運動が結びついている。長年ブラジルの司教会議議長を務め、「赤い大司教」と呼ばれたカトリックの聖職者、ドン・エルデル・カマラ大司教は次のように語った。「貧しい人に食べ物を施すと、私は聖者とよばれる。貧しい人になぜ食べ物がないのかと問うと、私は共産主義者と呼ばれる。」中南米は解放の神学が生まれたところであり、もっとも盛んだったところである。ほとんどの国が貧困にあえぎ、軍事政権によって長い間支配されていたからだろう。あの教会もその立場に立って貧しい家庭の子供たちに映画教室など様々な機会を提供していたと思われる。

  1952年生まれのイグナシオ・アグエロ監督も、アジェンデ政権が倒された73年の軍事クーデターで消息を絶った15人の農民の事件を追う、30分のドキュメンタリー映画「忘れまい」を82年に監督している。「100人の子供たちが列車を待っている」と同じ88年には、国民投票に向けてピノチェト政権に反対するテレビ政治番組を監督している。「100人の子供たちが列車を待っている」は、「サンチャゴに雨が降る」、「戒厳令下チリ潜入記」、「ナイト・オブ・ペンシルズ」、「オフィシャル・ストーリー」(アメリカ映画「ミッシング」をはるかに凌ぐ傑作)等の、自由と民主主義を目指して戦うラテンアメリカ映画の伝統の延長線上に位置する映画なのである。僕はあえてこの点を強調しておきたい。

Robo1_c   もちろんこの映画が優れているのは、政治性をストレートに押し出しているからではない。子供たちのインタビューという形式を通して軍事政権下のチリの現状を浮かび上がらせるという手法をとっているからである。質問内容は映画教室で何を習ったか、どんな映画を観たか、大人になったら何になりたいかなどの単純な質問である。しかしその答えから彼らの「生活」が見えてくる。靴磨きをして働いている子供、ダンボールを集めてお金に換えている子供。貧しいがゆえに学用品を買うため子供の頃から働いている子供たち。ポブラシオンと呼ばれる低所得者層の団地の様子なども映される。淡々と、あるいは面倒くさそうに答える子供たちの表情に笑顔は少ない。だからこそ、教室にいる時の創作する喜びに溢れた、好奇心と期待に満ちた明るい表情がなおいっそう印象的なのである。子供たちの表情は「西洋鏡」で初めて動く映像を観た大人たちの表情と同じだった。

  しかしその一方で、アリシアは「どの教室でも盗みが絶えなかった。・・・たった一つの色鉛筆やハサミに魅せられてしまう」とも語っている。彼らは本当に貧しいのだ。2005年10月26日(水)付け朝日新聞に「ニッポン人・脈・記」〃世界の貧しさと闘う⑦トットちゃんの恩返し〃という記事が載っていた。その中に次のような文章があった。「日本とウガンダの小学校をテレビ回線で結んだ時のこと。『今、一番ほしいものは何ですか』と日本の子の質問は物の話。ウガンダの子の答えは『インドとパキスタンが戦争しないこと』。物を挙げた子はひとりもいなかった。」物質的に恵まれた日本の子供たちは出来合いの製品をたくさん抱えて満足し、貧困にさらされた国の子供たちは他の国のことを憂えている。僕はこの引用文を、物質文化が爛熟し、個人的な欲求の追求に視点が向きがちで、自分を越えた大きな問題の所在に気づきにくくなっている欧米諸国と、自分を取り巻く大きな矛盾の中で自分の問題をとらえざるを得ない新進映画諸国の作品に表れている違いを示す例としてしばしば使ってきた。だが一方で、貧しい国々の子供たちには欲しくても手に入らないものがたくさんあるのもまた現実なのである。「100人の子供たちが列車を待っている」はこういう面もしっかり捉えている。政治的過ぎるとして無視すべきではない。チリの現状を心から憂えていたからこそ、映画教室のような実践が生まれたのであり、この映画が生まれたのである。

  このドキュメンタリー映画は完成後チリ当局により、「21歳以下の者は観てはならない」とされた。つまり、子供たちは完成後の試写の後、軍事政権が倒れるまで自分たちの姿をスクリーンで観ることが出来なかったのである。しかしどんなに押さえつけたところで、この映画が消え去りはしない。その価値がなくなりはしない。映画完成からほぼ20年。日本でもしばしば各種映画祭などで上映され続けている。映画の最後あたりで、子供たちは長い布に自分たちで書いたフィルムのコマを貼り付け、芋虫のように行進するシーンが映し出されている。映画とはフィルムの連続なのである。フィルムはスクリーンに映され、それが観客の心に伝わってゆく。「100人の子供たちが列車を待っている」は子供たちが街まで映画を観に出かけて行くところで終わる。映画を観ることは夢を見ることなのだ。そしてそれはまた現実を見ることでもある。映画と現実は切り離せない。子供たちの夢を乗せて、映画という列車は今日も町にやってくる。

2007年11月18日 (日)

天上の恋人

2002年 中国 2006年6月公開
評価:★★★★
監督:ジャン・チンミン
製作総指揮:マー・チョンチュン、チョウ・ボーシォン、奥山和由
プロデューサー:リー・チャンシェン、吉田啓
原作:東西『没有語言的生活』
脚本:ドン・シー、ティエン・イン、ジャン・チンミン
撮影:シャオ・ダン
出演:ドン・ジエ、リィウ・イエ、タオ・ホン、フォン・エンホー、ムー・リーイエン

  恋愛映画といえば韓国映画がすぐ思い浮かぶ。レンタル店に行けば壁一面を覆うほどArtpure2003w あふれかえっている。日本映画にも多いが、では中国映画ではどうか。誰でも最初に思い浮かべるのは大ヒットした「初恋のきた道」だろう。香港製の軽そうな恋愛物は結構見かけるが、ほとんど手を出していない。他に名前を上げるに値するものといえば、80年代に文芸座で観た「恋愛季節」(ヒロインにすっかりほれ込み、余韻に浸りたくて池袋の街をしばらく歩き回ったものだ)、中国のお見合い事情を描いた「スパイシー・ラブスープ」、遠距離恋愛を描いた「たまゆらの女」、下放時代のつかの間の恋愛を描いた「小さな中国のお針子」、中年男に騙される若い女性を描いた「ションヤンの酒家」、昨年公開の「緑茶」、「ジャスミンの花開く」、「玲玲の電影日記」程度だろうか。中国映画史上の名作とされる「小城之春」(1948)の再映画化「春の惑い」にはがっかり。もちろん香港映画を加えれば結構あるだろう。80年代に観たチョウ・ユンファ主演の「風の輝く朝に」、「誰かがあなたを愛してる」あたりは悪くなかった。しかし、韓国や日本の映画に比べると中国の恋愛映画はだいぶ数が少ないと言わざるを得ない(恐らく本国ではもっと公開されていると思われるが)。「天上の恋人」はその数少ない恋愛映画の秀作である。

  別の角度から見てみると、広大な国土を持つ中国にはとんでもない山奥を舞台にした映画がいくつかある。一番有名なのは「山の郵便配達」だろう。他にも「小さな中国のお針子」、「あの子を探して」、「子供たちの王様」、「古井戸」、「野山」などがある。秘境という言葉を連想してしまう山の景色が息を呑むほど美しい。「天上の恋人」にも素晴らしい山の風景がふんだんに映し出されている(広西省チワン族自治区の山村が舞台)。山があれば谷もある。玉珍(ユイチェン)が小船を漕いでゆくダム湖(?)と断崖がそそり立つ峡谷の映像は夢幻郷のような絶景だった。

* * * * * * * * * *

  「天上の恋人」はほとんど話題にならなかったが、かなり豪華なキャストである。「至福のとき」のドン・ジエ、「太陽の少年」のタオ・ホン〔陶虹、「ションヤンの酒家」のタオ・ホン(陶紅)とは別人〕という2大ヒロインをそろえ、これに「山の郵便配達」、「小さな中国のお針子」、「ジャスミンの花開く」などのリィウ・イエがからむ。作品的にも優れたもので、もっと話題になって然るべきだと思う。

Rose_c06w   作品の設定は実に奇抜である。とんでもない山奥に住む王一家。父親の王老炳(ワン・ラオビン)は作品の冒頭で誤って自分の目を猟銃で撃ってしまい目が見えない。その息子の家寛(チャークァン)は子供の頃爆竹工場の爆発事故にあい耳が聞こえない。その家に天使のように華奢で美しい玉珍(ユイチェン)という娘がひょんな出会いからしばらく住むことになる。この娘が実は口がきけないのである。目、耳、口とそれぞれに障害を抱えた3人が一つ屋根の下に同居する。「ククーシュカ ラップランドの妖精」以上に特殊な設定である。もう1人のヒロイン朱霊(チェーリン)は同じ村に住む美しく奔放な娘。こんな山奥にどうしてこんな美人がと違和感を抱くほど周りの村人からは浮き上がっている。まるで「フラガール」で、灰色にくすんだ炭鉱町にやってきた松雪泰子の様だ。

  チャークァン(リィウ・イエ)は村一番の美人チェーリン(タオ・ホン)に惚れている。チェーリンも働き者のチャークァンにまんざらではないようで、二人はよく一緒に話したり自転車に乗ったりしている。しかし彼女が本当に好きなのは獣医の張先生だった。迷い込んできたユイチェンに対するチャークァンの気持ちは、恐らく妹に対する気持ちに近かったようだ。ユイチェンもチャークァンを兄のようにしたい、チェーリンへの片思いを応援したりしている。しかし、同居しているうちにユイチェンのチャークァンに対する気持ちは恋愛に似たものに変わって行く。つまり、この映画は互いに気持ちがすれ違っている変則三角関係を描いた恋愛映画なのである。

  原作がどういう描き方をしているのかはわからないが、少なくとも映画には都会人が思い描いた桃源郷のイメージが投影されている。切り立った崖の上の小さな村。どこを見ても山ばかり。その山々が連なる景色が美しい。都会とはかけ離れた山上の理想郷。この映画を観てジェームス・ヒルトンの『失われた地平線』に出てくる「シャングリ・ラ」を連想した。高校生の時に読み、フランク・キャプラ監督、ロナルド・コールマン主演の映画版(1937)もテレビで観た。「シャングリ・ラ」はヒマラヤ山脈の近くにあると設定されている。モデルはチベットのシャンバラらしい。もちろん西洋人の視点で山上の理想郷を見ているわけではないが、都会の喧騒を離れた世界を舞台に恋愛を描いてみたいという視点にはやはり都会人の感覚が見え隠れしている。

  山の美しさや村人たちの素朴さが強調されるのはそのためである。しかしそれがどうもFullmoon1 徹底されていない。チワン族自治区の山村が舞台なのに、登場人物があまり少数民族に見えないのは主演の3人に有名な俳優を配し、その他主要登場人物にも漢民族出身と思われる俳優たちを使ったからだろう。それらしく見えるのは村の悪ガキたちや村人たちだけである。しかし、その土地独特の風習も取り入れていて、その点は恋愛のテーマと絡んで見所となっている。典型的なのはチャークァンの気持ちを察した父親が、チェーリンの家族にチェーリンを嫁に貰いたいと交渉するあたりの描写だ。チャークァンの父は化粧させた牛を土産に、チェーリンを嫁に欲しいと彼女の華族に交渉に行く。しかし、チェーリンは張先生に会えなくて2日間部屋に閉じこもっていた。すっかり落ち込んでいて、親も手を焼いていたのである。夜、贈ったはずの牛が家に戻ってきた。牛は突っ返されたのだろう、雨でせっかくの化粧が流れ落ちている。

  すごいのはその後。チャークァンの父たちはチェーリンに直接訴えかける行動に出る。チャークァン、父、ユイチェンの3人でチェーリンの家に押しかけ、家の前で延々歌を歌うのである。まるで日本神話に出てくる天岩戸だ。西洋にも夜恋人に向って歌うセレナーデの伝統があるが、この地方にもこんな伝統があったのか!あまりの熱意に村人の差し入れがどんどん増えてゆくのが可笑しい。見物人も集まってくる。声が出せないのでもっぱら太鼓をたたいていたユイチェンも、興奮のあまりついに「アーアー」と声を出す。この場面はすごい。一つのクライマックスである。

  村人が牛を飼っていたり、チャークァンがくじで当てた自転車をうれしそうに、かつ得意げに乗り回しているあたりはいかにも田舎らしい風情である。さらに、人物描写にも田舎らしさが強調されている。すれていないので人間が純真である。チャークァンは一途にチェーリンに思いを寄せており、そのために彼女の気持ちが張先生に向けられていることに気づかない。チェーリンはしたたかで、チャークァンにも適当にいい顔を見せているのでチャークァンは誤解に気づかないのだ。

  チェーリンが張先生に引かれているのは彼が町から来た人だからだろう。彼と結ばれて、いつかこの田舎から出て行きたいと望んでいたに違いない。ここに都会と田舎のテーマが入り込んでいる。もはや理想郷として描きうる場所などない。都会人には理想郷でも、現地の人には息苦しい小さな村である。リー・チーシアン監督の「思い出の夏」に印象的なシーンがある。主人公の少年はせっかく映画に出演する機会をつかみながら、「町にいたくない、村に戻りたい」というせりふをうまく口に出来なくてそのチャンスを棒に振ってしまうのである。町に行きたくて仕方がない少年はどうしてもそのせりふが言えなかったのだ。「小さな中国のお針子」のヒロインも村を捨てて都会に出て行ってしまう。望まぬ相手と結婚させられた「黄色い大地」のヒロインも夫と村を捨てようとして黄河で溺れる。「ククーシュカ ラップランドの妖精」、「トンマッコルへようこそ」など、理想郷は常にファンタジーの中でしか存在し得ないのだ。

  チェーリンは田舎の退屈さや息苦しさを逃れようと望みつつ、結局はその息苦しさの中に閉じ込められてしまう。彼女が家から出てきたのは、夜彼女の家の前で野外の映画上映が行われた時だ。家から出てきたチェーリンはチャークァンの隣に座る。うれしそうな顔をするチャークァン。しかしチェーリンが彼の耳元でささやいた言葉は愛の言葉ではなかった。彼女は子供が出来たと彼に伝えたのだ(もちろん父親は張先生だ)。喜びが一転して落ち込むチャークァン。田舎のこととて、その噂は瞬く間に広がった。子供たちが二人をはやし立てて歌を歌っている。「張先生は山のサル、桃をかじってから捨てた。王家寛(ワン・チャークァン)はおバカさん、腐り桃を拾い宝にした。」

  ホットパンツをはいたり、派手な真赤な服を着たりと、都会娘のように輝いていたチェーリンはついに「腐り桃」にまで身を落としてしまった。このあたりはねっとりとした描き方ではなく、むしろさらっと描かれている。村の閉鎖性はそれほど強調はされていない。しかしチェーリンがそこから出たいと思う気持ちは十分理解できるように描かれている。

  面白いのは村の外から村にやってきたユイチェンの方が純真に描かれていることだ。赤いアドバルーンと一緒に外の世界から山にやってきた娘と山を出て町に行きたい娘が対比的に描かれているのである。だが、なぜこの娘は話せないという設定になっているのか。そもそも、ユイチェン、チャークァン、そしてその父が、なぜそれぞれ別の障害を持っているという設定になっているのだろうか。おそらく、この映画が恋愛映画であり、それぞれに胸に秘めた思いを互いにうまく伝えられないもどかしさを表現したかったのだろう。耳が悪いために他人の気持ちを読み取れないチャークァン、チャークァンへの思いを口に出せないユイチェン、その二人の気持ちをただ利用するだけのチェーリン。そんなチャークァンの気持ちを思いやる目の見えない父。

  この設定が一番効果的に表れているのがユイチェンの描き方である。ドン・ジエ演じるユイチェンの存在がこの映画の魅力を基本的に支えているといっても過言ではない。それほどドン・ジエは魅力的だ。ユイチェンがなぜチャークァンの家にやっかいになろうと決めたのSdbut09 かははっきり描かれていない。恐らくチャークァンの素直さ、彼の父のやさしさに引かれたのだろう。まあ、それは映画の基本設定なので深く追求することもない。しかし彼女がチャークァンに親しみを感じていたことは重要だ。彼女はユイチェンに対するチャークァンの気持ちに気づいていた。いや気づかされたと言ってもいい。朱霊(チェーリン)という字をユイチェンがチャークァンに教えるシーンは素晴らしい場面である。彼女はチャークァンに筆を持たせ、自分の手を添えて字の書き方を教える。このあたりまでチャークァンに対するユイチェンの気持ちはほとんど描かれていない。まるで兄弟のように描かれていた。実際チャークァンを兄のように慕っていたのかも知れない。ユイチェンの「兄」に対する気持ちは、何とかチェーリンへの彼の思いを叶えさせてあげたいという形で現れている。彼女は赤い気球に「朱霊」と書いて空に上げることまでしている。

  チェーリンは最初喜ぶが、「チェーリン、ワン・チャークァン」と村人たちがはやし立てるのでいやな顔をする。チャークァンとユイチェンの思いは通じていない。このむなしい共同作業が印象的だ。歌を歌おうが、字に書こうがチャークァンの気持ちはチェーリンに届かない。字が書けないチャークァンが張先生にラブレターの代筆を頼むエピソードも印象的だ。やっと書いてもらった手紙をチャークァンはうれしそうにユイチェンに見せるが、書名には張先生の名前が書いてあった。それに気づいたユイチェンが懸命にそれを伝えようとするが、舞い上がっているチャークァンは気に留めない。他人のラブレターを嬉々としてユイチェンに渡しに行った。ここにももどかしさのテーマがある。

  そんなチャークァンを一心に応援するユイチェン。彼女の気持ちが表面に現れないことが実に効果的である。張先生の姉がチェーリンと付き合うことを弟に禁じた時、腹を立てて張先生が飼っている牛を柵から放ち、トマトを戸に投げつけたチェーリンとは対照的な描き方だ。上に書いたダム湖に1人ユイチェンが船を漕ぎ出す場面も素晴らしい。彼女が舟をこぐ映像にかぶさるように憂いを含んだ歌が流れてくる。「草は焼かれても根は死なない。歌を歌えないと心は切ない。あなたを送って5里の坂。5里も遠いとは思わない。」そもそも彼女はダムの建設現場で働く兄を探しに来たのである。ダム湖に船を漕ぎ出したのは兄への思いからだろうが、流れてくる歌にはチャークァンへの思いが入り混じる。この世のものとも思えない絶景の美しさも加わって、実に秀逸な場面になっている。

  それぞれ違った障害を持つ3人の心の触れ合いがもっとも見事に描かれるのは、チャークァンの父がユイチェンに身の上を尋ねる場面である。父が質問し、ユイチェンが身振りで答える。それをチャークァンが言葉で父に伝える。チャークァンが間に入ることで彼の父とユイチェンの気持ちが繋がった。ユイチェンの両親は亡くなったようだ。それを伝えたユイチェンは泣き出すが、語られた内容以上に3人が一つに繋がったことが感動的なのである。

  チャークァンに対するユイチェンの気持ちは次第に変化してゆく。兄ではなく恋人として意識され始める。それが暗示されるのは、チェーリンが妊娠していると分かって自暴自棄になったチャークァンが村に戻ってきた時だ。彼はタバコで爆竹に火をつける。激しい音に仲間は飛びのくが、彼は破裂する爆竹の近くに立って逃げようとしない。思わずユイチェンは「チャークァン」と声を発して彼に抱きつく。「呼んだ?」とびっくりするチャークァン。ユイチェンが初めて彼女の心を表現した場面である。

  その時からチャークァンは立ち直る。化粧をするユイチェンの姿が初めて描かれるのはその直後である。思わずチャークァンも「君はきれいだ」ともらし、彼女にキンモクセイの花を渡す。「いい香りのキンモクセイだ、あげるよ。」やっと彼の気持ちもユイチェンに向いたかと思っていると、すぐその後でチェーリンを肩車してキンモクセイの花を取るチャークァンの姿をたまたまユイチェン目撃する場面が描かれる。周りの人の気持ちが読めないチャークァンにいらいらする場面だ。

  この恋の行方はどうなるのかと気をもんでいると、意外な結末が待っていた。何とチェーリンは例の赤いアドバルーンをつないでいたロープにつかまった途端、そのロープがほどけて空に飛んでいってしまうのだ。ロープを持ったときにそれとなく予感していたが、本当にそうなってしまうとは。あまりに唐突で、ありえない結末なので非常に評判が悪い。確かに唐突でありえないが、それによってストーリーそのものが台無しになったというのは大げさだろう。妊娠したチェーリンが張先生を追って町に行ったというありきたりの結末では弱いと考えたのだろう。あるいは赤いアドバルーンで始まり赤いアドバルーンで終わることにこだわったのかもしれない。いずれにしてもうまい結末だとは思わない。理想郷を描くにはどうしてもファンタジーにせざるを得ないということだろう。それはそれと割り切り、メリー・ポピンズのようにチェーリンが町に舞い降りる姿を想像して楽しむ方がいいだろう。

  「至福のとき」の目の見えないヒロイン、今回の口の利けないヒロインと、ドン・ジエは障害を持った役が続いている。繊細でけなげで純真。そんな役柄が似合う。同じような役柄でデビューしたチャン・ツィイーは国際派スターになってしまった。ドン・ジエにも活躍して欲しいが、あまり有名になりすぎないで欲しいとも思う。中国人は中国映画でこそ輝く。中国映画で活躍し続けて欲しい。

2007年11月16日 (金)

ゴブリンの映画パンフ・コレクション②

 風邪がなかなか治らない。お陰で集中力がなくなり、さっぱり映画のレビューが書けません。レビューを書きたい映画はたまる一方。時間がたつに連れて記憶は褪せてゆく。ああ・・・。

 と、嘆いていても仕方がないので、今度の日曜日に一気に2本くらい書き上げる覚悟です。それまでは新レギュラー企画でごまかしておきましょう。映画パンフ・コレクションの第2弾。あまり反響はないのですが、それにもめげず強引にお見せしちゃいましょう。何てったって、一度まとめ撮りしておけばしばらくは左団扇だもんね。困った時のコレクション頼み。映画の種が尽きたら、次はCDとレコードだあ。ゴホゴホ。

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2007年11月12日 (月)

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と「めがね」を観てきました

 今月に入って順調に映画を観ている。今日までに8本観た。先月は全部で11本だったのだからかなりのハイペースだ。8本のうち「ボーン・アイデンティティ」と「ボーン・スプレマシー」はTVで見たのだが(共に再見)、映画館で4本観ているのはすごい。映画の日の1日に「ミス・ポター」と「天然コケッコー」の2本、今日(11日)また「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と「めがね」の2本を観た(偶然だが、もたいまさこと薬師丸ひろ子が2本の映画に共通して出ていた)。先月は「夕凪の街 桜の国」を観たし、今上映中の「エディット・ピアフ ~愛の賛歌~」も観たい。例年この時期になると不思議と映画館にいい映画が来るようになる。観だめしておかねば。

 昨日と今日は「うえだ城下町映画祭」の期間でもあった。こちらも観に行きたかったのだが、色々観たいのを絞り込んでいったところ「関の弥太っぺ」1本だけになってしまった。これ1本で1日券1800円は高い。ということで諦めて映画祭とは別に上記2本を観たわけである。ただ、映画祭期間中だったせいか、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は何と30人くらい観客がいた。映劇にこれだけの観客が入っているのは久しぶりだ。ところが、7時から上映の「めがね」は何と僕1人。完全貸切独り占め状態。うれしいような寂しいような。まあ、これが上田か。もし僕が来なかったら、映写機を回したのかどうか聞きたかったがさすがにやめた。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

Hotaru_1  「ALWAYS 続・三丁目の夕日」と「めがね」は共に傑作だった。「ミス・ポター」と「天然コケッコー」の時よりはるかに満足度は高い。「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は続編だが、シリーズものには珍しいことに1作目を超えた。これは特筆すべきことである。1作目ではこれでもかとばかり泣かせる場面のオンパレードで、いささか食傷気味だった。今回はその反省の上に立ってか、泣かせる演出を極力押さえ、最後の最後までとって置いた。これで僕の評価はぐんと上がった。寅さんシリーズばりに冒頭に短いエピソードを置いてみたり(と、東京タワーが・・・びっくりしますよ)、鈴木オートに生意気なお嬢様を同居させたりと、新たな工夫も凝らしている。

 泣かせの演出は減ったが、基本的な人間関係と人情路線は変わらない。だから安心して観ていられる。懐かしい小道具や小物も続々登場。前作のレビューで書いたローラー式絞り器が付いた洗濯機も無事(?)登場。24色の色鉛筆も懐かしい。しかしなんといってもあの街並み。昔の日本家屋が見事に再現されている。通りが広く見渡せる場面は文字通り息を呑んだ。看板のさび具合、板壁のくすみよう、玄関の引き戸、指で強くはじけば割れてしまいそうなくもりガラス、妙に丸っこかった車の形、いやあ懐かしい。画面を止めてしばらくじっと眺めていたいと思ったほどだ。

 VFXの威力は絶大だ。新幹線こだま号のあの形!そして圧巻は上に高速が走っていない日本橋(前作の上野駅に匹敵)。テレビでブルーバックを使ったその撮影風景を放映していたが、やはり映画の大画面で観るとすごい。日本橋の上に空が見える解放感。このシーンだけで涙もの。他にも、そうそう、あのシュークリーム。思わず画面に手を伸ばして食べたくなった(何を隠そう、僕は甘党です)。

 キャストも相変わらず豪華だ。懐かしい面々が帰ってきた。堤真一は相変わらず瞬間湯沸かし器だし、小雪はさっぱり汚れていないし、薬師丸ひろ子は日本の正しいおかあちゃんのまま。ただし、もたいまさこは暴走をしなくなり、正しいタバコ屋の「看板娘」になっていた。子役も小池彩夢というお嬢様が闖入してきたせいか、小清水一輝が俄然輝いており、前作で末恐ろしいと感じた須賀健太はすっかり普通の子役に。堀北真希は、言葉は田舎娘のままながらすっかり別嬪さんになっていた。吉岡秀隆のハイトーンは相変わらずだが、前作よりぐっと役に馴染んできた。そして今回一番役どころが変わったのは彼だ。淳之介を奪われまいと芥川賞に挑戦!その結果はいかに?

 まあ、結果の予想は付いてしまう。それでもぐいぐい引っ張れるのだからなかなかよく出来たストーリーだ。個人的にうれしかったのは、吹石一恵の出演。あの車のCM以来お気に入りだ。「雪に願うこと」も良かった。ちょい役だがさわやかな印象を残した。他にも手塚理美や上川隆也、平田満など豪華なゲスト陣。見ごたえ充分。こうなったらシリーズ化も期待しちゃうぞ。

「めがね」

 「めがね」はそれ以上の傑作だった。これは続編ではないが、「かもめ食堂」のスタッフとキャストが再結集したもので、作風も同じ。実は二番煎じではないかと密かに心配していた。柳の下にドジョウはそう何匹もいないぞと。しかしそれは杞憂だった。同じようなゆったり、のんびり、スローペース映画なのだが、設定とキャラクターをガラッと変えてまた違った味を楽しめるようになっている。今度は場所不特定の不思議空間を設定し、鍋の具として前作以上にへんてこなキャラクターをそろえ、さらにシュール味を利かせ、摩訶不思議味をつけたし、メルシー体操なる奇妙な手つきで具をこね、引き伸ばす。のんびり、まったりから「たそがれる」へ。まるで明るい中で闇鍋を食べているよう。見えているのに口に入れてみるまでどんな味でどんな歯ごたえなのか分からない。そんな不思議な感覚の映画だ。

 冒頭、ほとんど手ぶらで舞台に現れるもたいまさこと、重たそうにスーツケースを引っSea1 張っている小林聡美が対比的に描かれる。小林聡美は予約していた宿に着くが、客は他に誰もいない。食事も宿の人たちと一緒に食べる。超家庭的な宿だった。宿の主人は小林聡美が引っ張ってきた重たいスーツケースを後で運ぶと言いながら、庭に置きっぱなしだ。その意味は後半で分かる。あまりに普通と違うこの宿を飛び出した小林聡美は別の宿に行くが、結局またもとの宿に戻ってくる。その戻る途中彼女は荷物がぎっしりと詰まったスーツケースを道端に置き捨ててくる。そう、この映画には「サン・ジャックへの道」と同じ主題が込められているのである。いらないものを捨ててゆく旅。そして本当に必要なのは何かを見出す旅。どこかを目指す旅ではなく、のんびり一箇所で「たそがれる」旅という点は違うが。

 もちろん「かもめ食堂」と共通する点もある。相変わらず過去も現在も謎に包まれたキャラクターたち。そしてこちらもまた食べ物がおいしそうだ。「かもめ食堂」は食べるというシンプルな行為が生きる力と直結していたが、こちらはすっきりと眠って(目を覚ますともたいまさこが枕元で「おはようございます」と挨拶するので寝起きは気味悪いが)、「メルシー体操」でくねくねと体を動かし、何もせずたそがれることがそれに加わっている。たくさん出てくる食べ物がどれもおいしそうだが、なかでもシンプルなカキ氷と梅干が印象的。人間、よく寝て、よく食べて、のんびりたそがれていれば、そしてそれにカキ氷の甘さと朝食べる梅干のすっぱさがスパイスとして加われば、充分人生を楽しめる。そんなメッセージが心地よい。余計な効果音を用いず、ゆったりとした波の音とリズムに身を任せるような映画だ。

 キャストの中ではもちろん小林聡美ともたいまさこがいいが、うれしいのは市川実日子の起用。この人も大のお気に入り(ああいう顔立ちが好きなのです)。痩せすぎているのが気になるが、不思議な雰囲気がある人なのでこの映画にはぴったりだ。この映画に合うといえばエンディングで流れる曲。どこかで聞いたことのある声だが、誰だったか。曲が終わる頃ようやく気がついた。大貫妙子。浮遊感があって、人を和ませる独特の声の持ち主。80年代初めにFMでたまたま聴いたのがきっかけで、一時はよく聴いたものだ。CMや番組のエンディングにぴったりの声で、よくテレビで流れていたな。最近聞かなくなっていたので懐かしかった。

 相変わらず安っぽい映画が大量に作られているが、日本映画の水準は確実に上がってきている。去年の日本映画の活躍はまぐれではない。映画の出来とは関係ない興行収入や観客動員数は別にして、着実に優れた映画が一定数作られてきている。ただ日本の映画製作環境は決して充実しているわけではなく、むしろ問題点ばかりだ。いずれゴムが伸びきったところで行き詰まる時期が来るだろう。この点は強調しておかねばならないが、それでもこれだけ優れた作品が生まれてきていることもまた事実だ。才能のある映画人をきちんと養成する機関を作り、設備の整った撮影所を増やし、国の支援体制をより手厚くすれば、50年代の黄金期に匹敵する時代がくることも夢ではない。この2本を観てつくづくそう思った。

 短い報告記事のつもりがだいぶ書きすぎた。本格レビューが書きにくくなるかも知れない。それでもこの2本はきちんとレビューを書いてみたい。今、中国映画「天上恋人」のレビューを書いている途中なので、取り掛かるのはその後になる。映画を観るペースにレビューが追いつかない。ああ、時間が足りない(毎度同じぼやきですいません)。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(2007年、山崎貴監督、日本)
  出演:吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希、もたいまさこ、三浦友和、薬師丸ひろ子
  評価:★★★★☆

「めがね」(2007年、荻上直子監督、日本)
  出演:小林聡美、市川実日子、加瀬亮、光石研、もたいまさこ、橘ユキコ
  評価:★★★★☆  

<追記>
 お気づきと思いますが、最近写真日記を載せていません。実は映画記事中心の「銀の森のゴブリン」とその中から写真日記や旅行記だけを抜き出して集めた別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」の内容をはっきり分けることにしたのです。このところ「銀の森のゴブリン」は映画ブログから写真ブログになりつつありました。そこで、思い切って二つのブログをはっきり分けることにしたわけです。つまり、両方のブログに載せていた写真日記や旅行記を「ゴブリンのつれづれ写真日記」だけに載せることにしたのです。

 最近映画チラシや映画パンフの写真を載せ始めたのは、デジカメで何か撮るのが習慣化したことの延長でした。しかし今では写真日記の埋め合わせに使えると考えています。「独立後」の「ゴブリンのつれづれ写真日記」には既に「白樺湖で紅葉を撮る」と「海野宿と望月宿を歩く」という2つの記事を載せています。こちらも時々覗いてみて下さい。

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2007年11月10日 (土)

ゴブリンの映画パンフ・コレクション①

Img_2155_2  上田に来てからは映画館で映画を観ることは滅多になくなってしまった。東京にいた頃は、既にビデオレンタルは普及していたものの、一度もレンタルはしたことがなかった。レンタル店の中に入ったことすらなかった。映画はすべて映画館で観ていた。

 88年に上田に来てから僕の映画環境は激変した。当時上田には映画館が5軒しかなかった。しかもその1軒はポルノ専門館。最新作の上映もなければ、観たい映画も来ない。駅前にあった「ニューパール」という映画館はあまりに古びており、いつ行っても同じ映画の看板(それもだいぶ前の映画)がかかっていたのでつぶれた映画館だと思い込んでいた。こんな状態なので90年ごろまでは土日に東京まで結構映画を観に行っていた。しかしこれも費用と時間がかかるので長続きしなかった。仕方がないのですぐレンタル・ビデオ店の会員になって、それ以来映画は基本的にレンタルして観るようになった。

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 その影響でいくつかの変化が生じた。東京にいた頃は毎号買っていた「ぴあ」を買わなくなった。理由は書くまでもないだろう。代わりに買い始めたのはビデオ・DVD情報誌。今ではインターネットの普及でそれすらも不要になりつつあるが、いまだに毎号買っている。ブログに連載している「これから観たい&おすすめ映画・DVD」シリーズは基本的に『DVDでーた』誌に基づいて書いている。買ってきた日にざっと目を通して記事を書き、その後新聞の映画評やネットで得た情報を順次付け足すという手順を取っている。

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 変化といえば、劇場用パンフレットを買わなくなったのもその一つ。映画館に行かないのだから手に入りようはない。チラシも手に入りにくくなった。チラシは80年代以降に集めたものだが、パンフレットもやはり80年代のものがほとんどだ。90年代以降のものは少ない。たまに映画を見に行った時に買うものと、書店や古本屋で手に入れた中古のパンフ程度だ。

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 それでもこれまで集めたパンフ類はかなりの数になる。5、600部はあるだろうか。個々の映画のパンフ以外にも映画祭などの特集上映会のパンフ、フィルムセンターなどで買った資料パンフなどもある。結構貴重なものもあるので、チラシとは別にこちらも何回かに分けて紹介したい。

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2007年11月 7日 (水)

クィーン

2006年 英・仏・伊 2007年4月公開
評価:★★★★☆
監督:スティーヴン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン
撮影:アフォンソ・ビアト
編集:ルチア・ズケッティ
音楽:アレクサンドル・デプラ
出演:ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェイムズ・クロムウェル
    シルヴィア・シムズ、アレックス・ジェニングス、ヘレン・マックロリー
    ロジャー・アラム、ティム・マクマラン

はじめに
Crown9  1997年8月31日、ダイアナ元妃が亡くなったとき僕はイギリスのブライトンにいた。たまたま日曜だったので、同僚に誘われて二人でロンドンのケンジントン公園まで行ってみた。門のところに大勢の人が詰め掛け、花束が壁に捧げられていた。9月6日(土)の彼女の葬儀の日はテレビでダイアナの葬儀を見ていた。その後ブライトンの街に出てみると、ロイヤル・パビリオンの前にもぎっしりと花束が並べられており(どの花束にもメッセージ・カードが付いていた)、オールド・スタインの公園ではあちこちでキャンドル・サービスをしていた。

 僕は彼女の死に関しては終始冷静さを保っていた。マスコミの大騒ぎからは終始距離を置いていた。だからこの映画を楽しみにしていたのはそのテーマのためではない。ヘレン・ミレンを観たかったからである。

王室の内幕、女王の個人生活
 「クィーン」にはいくつも見所がある。あの事故があった当時の王室の内側は実際のところどんな状態だったのか、そもそも女王の個人生活はどんなものなのか、首相と女王の関係はどうなっているのか、そして何と言ってもあの時女王は何を考えどう対応していたのか。この映画はまさにそれらの点を明らかにしたのである。

 事故の第一報が届いた時の王室関係者たちはやはりショックを受けている。ナイトガウンのままでテレビを見つめ、ダイアナの安否を気づかう様は普通の家族と何ら変わらない。当時エリザベス女王(ヘレン・ミレン)たちはスコットランドのバルモラル城にいた。中でも衝撃のあまり青ざめるチャールズ皇太子(アレックス・ジェニングス)の反応は好意的に描かれていて驚く。彼はさっそく王室専用ジェット機の使用を申し出るが、女王は既に民間人になっているダイアナにチャーター機など使えばまた無駄使いだと国民に非難されると止める(散々叩かれてきたのでマスコミに関してはかなり敏感になっている)。しかしチャールズは、ダイアナは未来の王になるウイリアムとヘンリーの母親でもあるとなおも説得する。結局、皇太后(シルヴィア・シムズ)の専用機でチャールズはフランスに飛び、ダイアナの遺体を引き取ってきた。

 しかし他のメンバーは批判的に描かれている。休暇を早めに切り上げて戻ることになったマーガレット王女は「ダイアナは生きていても死んでもやっかいだ」と電話で言ったと伝えられる。こんな時は外の空気を吸うのがいいという口実でエリザベスの夫エディンバラ公(ジェイムズ・クロムウェル)は二人の王子を鹿狩りに連れ出す。この男は終始鹿狩りにしか関心を示さない男として描かれている。ダイアナの葬儀について女王が悩んでいる時も紅茶が冷めることばかり気にしていた。何かにつけて悪態ばかりついている姿が目に付く。皇太后は「あなたは誓ったのよ。全人生を神と国民に捧げることを誓ったのよ。」と伝統にのっとった対応に固執している。

 エリザベスの対応も基本は皇太后と同じである。ダイアナと不仲であったとか、奔放なダイアナはいつも王室の頭痛のタネであったと言われてきたが、「クィーン」は王室の伝統と国民の望みの間のズレが問題の本質であったと描き出す。ダイアナ元妃はすでに民間人となっているのだから、王室は何もコメントする必要はないとの姿勢を女王は貫いていたのだと。半旗も掲げなかった。ダイアナの葬儀にしても、王室関係者ではない以上国葬にする理由はない、ダイアナの実家スペンサー家が取り仕切るべきだと女王は主張する。

Engle2  しかしその態度に対する国民の批判は日にヽ高まってゆく。辛らつな新聞の見出しが毎日女王の目に触れる。彼女の苦悩は深まる。彼女にとって不幸だったのは王室の中に頼れる人が誰もいなかったことだ。夫は鹿狩りしか頭にない。皇太后は王室の伝統を説くばかり。しかし今や「彼女の国民」は伝統からの逸脱を望んでいるのだ。息子のチャールズはマスコミを気にしてか、ブレア首相に擦り寄っている。チャールズとエリザベスのドライブ中の会話が面白い。チャールズ「(ダイアナは)子供たちを愛していて、いつも温かく人目を気にせず態度で示した。」女王「特にカメラの前ではね。」チャールズ「その傾向はあったけど、彼女はどこか特別だった。彼女の見せる弱さや過ちがかえって大衆を惹きつけた。反対にわれわれは憎まれている。」女王「われわれが?」チャールズ「違いますか?」女王は途中で車を降りてしまう。

  面白かったのは「テイ・ブリッジ」。侍従長(ロジャー・アラム)がダイアナの葬儀は「テイ・ブリッジ」でやることになった(ただし中身は変える)と伝えると、女王と皇太后が仰天する。「それは私の葬儀の暗号よ」と皇太后。しかしそれが唯一リハーサルをしたものだから、それで行くしかないと侍従長が答える。そうか、王室の葬儀ってリハーサルをするものなんだ。

  女王の私生活面でも面白い発見がたくさんあった。女王たちは立派な家具調度の揃った家に住んではいるが、意外に質素に暮らしている。ついでに言えば、ブレア首相の家もごく普通の家に見えた(まあ、労働党の党首だから贅沢すぎる家に住むわけにも行かないだろうが)。女王が愛用しているRV車(確かレンジローバー?)はかなり長い間使い込んだもので、そろそろ新しい車に替えたらとチャールズが忠告する場面もあった。普段着ている服は普通の服に見えた。考えてみれば、誰でも家ではくつろいだ格好をするものだ。常に盛装していると考える方がおかしい。それでも驚くのは、そんな普段の姿を見たことがないからだ。どうでもいいことだが、滅多に見られないことなので見所の一つであるには違いない。

  側近達は女王を「マアム」と呼んでいる。もちろん公式の場では「陛下(Her Majesty)」と呼んでいるが、平素は下働きの男たちまでも「マアム」と呼んでいた。一番驚いたのは女王が車を運転できること。女王が自分で車を運転してドライブに出るなど誰が想像しただろうか?川を渡ろうとして動けなくなったとき、彼女は電話で「前輪のシャフトを折った」などと詳しく状況を伝えている。本人が言っているが、何と戦争中車の整備をしていたというのだ。これにも驚いた。

首相との関係
  最初の頃に出てくる、ブレア新首相(マイケル・シーン)が女王と謁見する場面。これがなかなか面白い。事前に作法を指南されるが、女王の前に出ると首相といえども庶民の地が出てしまう。何度も女王に正しい作法を教えられるブレア首相が滑稽に描かれている。女王はのっけから、これまで10人(だったと思う)の首相と付き合ってきた、最初の首相はチャーチルだったと語って聞かせて、新米のあんたとは格が違うと思い知らせる。中盤あたりでも、国民の要求を受け入れるべきだと助言するブレア首相に、助言するのは女王の仕事だとやり返している。なかなかにしたたかだ。女王に頭が上がらないブレアは、新聞のタイトル(女王批判)を何とかしてほしいと侍従長に頼まれたとき、努力すると答えるが、その時にこう付け加えている。「何も約束は出来ないよ。私は脇役だから。」

  女王が苦しい立場に追い込まれていたとき、親身になって彼女をかばい助けたのは王室関係者ではなくこのブレア首相だった。女王が自分の真意を語ったのはブレアに対してだった。国民が望むように(ダイアナを「国民のプリンセスだった」と語った彼のコメントは国民に大歓迎された)半旗を掲げるかロンドンにお戻りになるべきだと進言するブレアに、女王はこう答えている。「人々がそれぞれ静かに悲しみに浸るべき時に、マスコミが掻き立てたムードです。英国人の哀悼の表現は控えめで品位があるのです。世界が尊敬する国民性です。」

  映画の終盤でも彼にこう語っている。「今の世の中は大げさな涙とパフォーマンスの時代。私はそれが苦手なの。感情は自分の中で抑える。私は愚かにも信じてたの。“人々はそういう女王を求めているのだ”と。“務めが第一、自分は二の次。”そう育てられ、そう信じてきた。」

  最初は女王や王室に対して斜に構えていたブレア首相も、女王の真意や人柄を知ってKyotikutomado からは女王をかばう立場に変わって行く。王室が孤立するのを避けようと必死で奔走し始める。王室廃止論者の妻シェリー(ヘレン・マックリー)や鼻から王室を小ばかにしているブレーンのランポート(ティム・マクマラン)を怒鳴りつけるところはこの映画のクライマックスの一つだ。「あの女性は全生涯を国民のために捧げたんだぞ。自分が望みもせず父親の命を奪った仕事を50年!一度たりとも威厳を失わず立派にやり遂げた彼女を袋叩きにするのか?後ろ足で泥をかけた女性を弔う努力をしてるんだぞ。女王が尊いとする価値観をすべて崩した女性をね!」

女王の人間的ドラマ
  しかし真のクライマックスはその後の場面である。女王はこれ以上国民との間の乖離を広げまいと、ブレア首相の意見を受け入れる。車でバッキンガム宮殿に向った彼女は門の前で車を降り、柵の周りにぎっしりと敷き詰められている花束を見て回る。花束に添えられている言葉にはダイアナへの想いと同時に女王や王室へのむき出しの非難が書かれている。息を飲み、顔をゆがめてそれらの言葉を見つめるエリザベスとエディンバラ公。胸を引きちぎられる思いだったに違いない。しかし、詰め掛けた国民の方を振り向いた時、彼女は笑顔を見せる。この場面こそ「クィーン」の最大のクライマックスであり、最も感動的な場面である。

  国民に微笑みかけただけではなく、エリザベスはつかつかと前に進んで群集の前まで行き、少女に「花を捧げてあげましょうか」と声をかける。何と少女は“NO”と答えた。一瞬緊張が走る。少女はしかしこう続けた。「あなたに上げます。」いかにも泣かせの手法なのだが、女王が顔色を変えずにその言葉を受け止めるという演出にしたのは立派だ。花束から言葉の攻撃をまともに受けながらも、国民注視の中で泣くことも動揺を見せることもできず、必死で耐えながら笑顔を見せ、女王として振舞う。花束を見て回る場面は彼女が追い込まれた状況を象徴的に集約している。矛盾と緊張が極限に達したそのシーンこそこのドラマの頂点であった。

  エリザベスの内的葛藤を描くドラマ、これこそこの映画の最大の見所である。そしてそのドラマを支えたのはエリザベス2世を演じたヘレン・ミレンである。映画の冒頭でエリザベスは画家に肖像画を描かせている。そのとき彼女がもらした言葉が実に印象的だ。「投票ってしてみたいわ。実際に投票所に行くことより、ただ一度でいいから自分の意思を示したいの。」女王であるのに、いや女王であるがゆえに参政権がない。国王は絶大な権力を持っているように見えて、実は法と慣習によってがんじがらめにされ、行動を制限されている。「クィーン」はダイアナの死をきっかけに噴出した王室批判を受け、自らの「意思」で王室の伝統を曲げるという重大な決意をした1人の女性の葛藤を描いたドラマなのである。

  とにかくヘレン・ミレンの存在が圧倒的である。薄い唇をきりっと結んだ彼女の顔。威圧感はないが威厳のある顔だ。最初に彼女の顔が映った時、エリザベス女王そっくりなのにTrump_jw まず驚く。しかし映画はそっくりショーではない。ヘレン・ミレンが素晴らしいのは、エリザベスの女王としての苦悩と葛藤を見事に表現しえていることにある。一方で「わが子」である国民から非難され、一方では伝統に縛り付けられている。頼る人とていない。国民の批判を一身に受けて苦悩するエリザベス。つらいのは1人の女性として振舞うことができないことだ。女王として振舞わねばならない。国王として育てられて者ゆえの苦悩。“務めが第一、自分は二の次。”しかもそれが国民に通じない苦悩。感情は自分の中で抑えるのが国王としての務め、イギリス人の美徳と信じていたのに、「大げさな涙とパフォーマンスの時代」には冷たい対応と受け取られてしまう。人生を捧げてきた国民に理解されない傷心の日々が続く。事態を収めるには自分を曲げなければならない。1953年に即位して以来恐らく最大の危機だったに違いない。

 その苦悩を象徴的に示しているのが鹿を見る場面である。上記の車が動けなくなった場面の次に描かれる場面だ。後ろ姿で1人丘を見上げる女王は嗚咽する。人前では泣けないのだ。それまで抑えていた悲しみが思わずもれ出てしまった。その時対岸の丘の上に一頭の鹿がたたずんでいるのが目に入る。鹿はじっと彼女を見つめていた。「何と気高い。」遠くから銃声が聞こえてくる。女王は「逃げなさい」と鹿に声をかけ、腕を振って、必死で鹿を逃がそうとする。幸いにも、ハンターたちが近づく前に鹿はいなくなっていた。花束を見て回る場面ほどではないが、女王がふと押し隠していた感情をあらわにするこの場面は実に印象的だ。

 その場を逃げおおせた鹿は別のところで撃たれてしまった。その知らせを聞いた女王は鹿の死体を見に行く。首を切り落とされ天井から吊された鹿の死体を見て、エリザベスは沈痛な表情を浮かべる。ダイアナが死んだと聞いた時も涙を見せなかった彼女が、鹿の死をダイアナの死以上に悲しむ。シンボリックな表現なので、様々な解釈が可能だが、鹿の孤高な姿に自分の立場と境遇を読み取ったのだろう。吊るされた鹿の死体を見た時、彼女は国民の前に出る決心をしたに違いない。たとえ批判的な国民の目にさらされようと、最後まで女王としての威厳と美しさを保ちたい。その前向きの選択には孤立ではなく「孤高」を感じる。このシンボリックなシーンが与える感動の根源はそこにあるのかも知れない。

政治的ドラマとしての「クィーン」
 国民をあげてのバッシングの中で真剣に苦悩しつつ、最後まで威厳を失わなかった女王の姿が印象的に描かれている。しかし、妥協はしたが自分の信念は変わっていない。葬儀の後で彼女はブレア首相に「納得はしていない」と話している。また、「どうして一度も会った事のない人間に涙することが出来るの」という彼女の言葉からは、マスコミによるダイアナの偶像化に対する批判も込められている。

 当時ダイアナとエリザベス女王との確執など様々な憶測が流れたが、要するにこの映画はダイアナとの不仲は問題の中心ではなく、女王は伝統と彼女の信念に基づいて行動しただけだと描いているのである。女王は冷たい人間だったのではなく、自らの信念に基づき自分の苦悩と葛藤を表に出さなかったのだと。

 マスコミの異常な取り上げ方こそ批判されるべきだというのは納得できる。一般人の死にいちいち王室がコメントを出す必要はない、一般人を国葬にするわけにはいかないという王室の公式の立場にも矛盾はない。それでも、映画の基本的視点に偏りがあることは明白である。チャールズは善人過ぎるし、エリザベスの苦悩と葛藤も美談として描かれていることは否めない。女王を助けるブレアが肯定的に描かれていて、夫人のシェリーは急進的で冷酷な人間として描かれている。そこにこの映画の政治性が明確に表れている。王室擁護の映画だという批判も成り立ち得る。

 しかし、それを認めつつも、この映画を単なる王室擁護のキャンペーン映画だと決め付けるつもりはない。「クィーン」のドラマとしての完成度はそんなイデオロギー映画のレベルをはるかに越えている。君主制に対して僕は批判的な立場だが、女王個人の人間的資質について云々するつもりは一切ない。制度と個人は全く別だからである。君主制に批判的な立場であってもドラマを楽しめる根拠はおそらくそこにある。君主には君主の悩みがある。そもそも君主といえども人間である。常に女王として振舞わなければならない重圧。女王としての苦悩と葛藤はそのままエリザベスの人間としての苦悩と葛藤だった。「クィーン」は「冬のライオン」などに通じる優れた歴史劇であると同時に、優れた人間ドラマでもある。現存する人々が多数描かれるドラマという微妙な作品であり、政治的なバイアスがかかっていることは明らかだが(だから満点にはしなかった)、それを認めた上でなお「クィーン」はドラマとして優れていると思う。

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2007年11月 3日 (土)

「ミス・ポター」と「天然コケッコー」を観てきました

Sand_5  映画の日の11月1日、電気館で「ミス・ポター」と「天然コケッコー」を観てきました。この日は職場の記念日で毎年休みです。レンタルよりは高いけれど、ほぼ1本分の料金で2本観られるのはやはり得した気分です。1日だけとはいわず、11日、21日、31日も半額の日にしてくれないかねえ。あるいは毎週土日を半額の日にするとか。それにしても、平日とはいえ映画の日だというのに「ミス・ポター」は8人、「天然コケッコー」は6人しか観客がいなかった。地方の映画館は風前の灯なのか。

  3日から「ALWAYS 続三丁目の夕日」の公開が始まり、11月中旬には「めがね」、「エディット・ピアフ~愛の賛歌」が公開予定。なぜか毎年この時期になるといい映画が来るようになる。この機会にせっせと映画館で観ておかないと。そういえば、12月16日には長野大学(昨年も「スティーヴィー」を上映した)で「六ヶ所村ラプソディー」の上映会がある。

* * * * * * * * * * * * * * *

「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、2006年、英・米)
 評価:★★★★
 ベアトリクス・ポターのことはある程度知っているつもりでいた。「ピーター・ラビットのおはなし」の作者であることはもちろん、ナショナル・トラスト創立の時期から深い関係にあり(創立メンバーの1人の友人)、彼女自らも多くの土地を買って開発から守ったことも知っていたが、あんな上流出身だとは思わなかった。もっとも、ビアトリクス自身が映画の中で言っていたように、両親とも商売人の出でいわゆる成り上がりだ。もともと上流の出身ではないので、なおさら貴族などと付き合いを強めて、出身階級の連中を意識的に遠ざける。上へ上へと社会の階層を登ってゆこうとする当時の風潮がよく表現されていた。

 そんな両親の下に育ちながら、幼い頃から動物を観察し絵に描くことが好きなビアトリクスは、母親の早く結婚せよとの矢の催促をものともせず、絵本作家を目指していた。女性が就ける職業などまだまだ限られていた時代で、ましてや上流の子女が仕事をすることなどほとんど理解されなかった時代。絵本作家という職業もアーティストとしての地位も当然確立していない。物語は1902年に始まっているが、60年以上も在位していたヴィクトリア女王が亡くなったのはその前年の1901年である。まだまだヴィクトリア時代の風習が色濃く残っていた時代だった。

 「ピーター・ラビット」シリーズの編集者、ノーマン・ウォーンとの結婚も両親の、特に母親の激しい反対にあう。このあたりの描き方も良く出来ている。上流家庭の母親が娘の結婚にどれほど気をもむかはジェイン・オースティンの小説を読めばよく分かる。女性は結婚相手の財産にすがって生きるしかなかった時代である。上流家庭の子女であるからこそ手を汚して働くなどもってのほか。母親は貴族のバカ息子との縁談を次々と娘にもってくるが、どの婿候補も見るからにあほ面なのが可笑しい。このあたりは18世紀の末に書かれたジェイン・オースティンの小説世界さながら。100年前とちっとも変わっていない。

 レニー・ゼルウィガーが少しも上流の娘に見えないのがご愛嬌。アメリカのテキサス生まれじゃあ現代娘のブリジット・ジョーンズの方がまだ合っている。むしろユアン・マクレガーの方が上流の子弟に見えるくらいだ。「トレインスポッティング」のヤク中青年のイメージが鮮烈なので、これほど背広姿が似合うとは意外だった。

 ノーマン・ウォーンが結婚前に急死してしまうのも知らなかった。結果的に最後の別れになってしまった駅での別れのシーンは、ありきたりのシチュエーションだが、何故か記憶に残った。だが、ビアトリクスがノーマンの死を悼むシーンはそれほど湿っぽくはない。彼女の描いた絵が動いたり、馬車を曳く馬がウサギに見えたりと、全体的に明るくファンタジーの要素を込めて描かれているからだろう。強い女性という描き方ではないが、母親の忠告を振りきり自分の行き方を貫く姿勢が強調されている。動物を愛する気持ちが動物たちの棲む自然を開発から守るという考えにつながり、それがウィリアム・ヒーリスとの結婚につながるという描き方になっているのもいい。

 ただ全体としてみれば軽い映画である。ジェイン・オースティンのような入念な人間観察はなく、どちらかというと人物描写は平板だ。レニー・ゼルウィガーを主演にしたために、アメリカ映画的作りが入り込んでしまったのかも知れない。


「天然コケッコー」(山下敦弘監督、2007年、日本)

 評価:★★★★
 中学生の男女の淡い恋を描いたさわやかな映画だった。同じく中学生を主人公にした「青空のゆくえ」を思い浮かべながら観ていた。「小学生でもなく、高校生でもない、中学生という微妙な年齢をターゲットにした。人を好きになるという感情が芽生え始めた年齢、好きなのかそうでないのか自分でもはっきりしない。だからねっとりした嫉妬もなく、どろどろした恋のつばぜり合いもなく、またいじいじ、じめじめしたところもない。実にさっぱりしている。だから観終わった後がすがすがしいのだ。」これは「青空のゆくえ」のレビューで書いた文章だが、かなりの程度「天然コケッコー」にも当てはまる。そよ(夏帆)と広海(岡田将生)のぎこちないキスシーンがほほえましい。

Tukiusa  全校生徒がたったの7人(1人は東京からやってきたばかりの転校生・広海)しかいない山間の分校を舞台にしたところが実にユニークだ。言葉から関西の方だと思っていたが、島根県の浜田が舞台のようだ。女の子が自分を「わし」と言っているのが意外に可愛く聞こえるから面白い。「たそがれ清兵衛」や「スウィング・ガールズ」同様、方言が魅力の一つになっている。「いって帰ります」と言って出かけ、「帰りました~」と戻ってくる。田舎ならではのゆったりとした時間の流れや景色の美しさとあいまって、行ったことがないのに何故か懐かしさを感じてしまう。そう、この映画は「ALWAYS 三丁目の夕日」や「カーテンコール」と同様、懐かしさが売りなのである。ただ、時代を昔に設定するのではなく、いまだにこんな生活が残っているのかという田舎に設定しているところがユニークなのだ。

  くらもちふさこの原作漫画は知らないが、最近こういうふわふわした感じの漫画が多い気がする。こうの史代の漫画もこんな感じだ。特に劇的な展開はなく、淡々と描いてゆく。日常のごく些細なことがエピソードとして挟まれてゆく。生徒が少ないから上級生は自然に下級生の面倒を観ている。一番年下のさっちゃんがおしっこを漏らした時、そよはさっと床を拭き、「しとうなったらそよに言う約束じゃろ?」と声をかける。濡れたパンツをそよが洗っているシーンもごく自然だ。「青空のゆくえ」では正樹がアメリカに飛び去った後に映される青空が印象的だったが、「天然コケッコー」では海が印象的だ。生徒たちが海まで歩いてゆくシーンが面白い。ずっと山道のようなところを歩いている。なかなか着かない。こんな山ばかりのところに海があるのかと疑問に思った頃突然海が見える。どんな土地なのかよく分かるなかなか面白い演出だった。橋から飛び降り自殺した人の霊に足をつかまれてそよが動けなるエピソードも、迷信深い土地柄を表現する演出である(ちょっとやりすぎだと思ったが)。

  そんな生徒数たった6人の分校にイケメンの転校生が東京からやってくる。これがこの映画の一番の「大事件」である。穏やかだった水面に広がるささやかな波紋。中学生の女の子たちがそわそわし始める。バレンタイン・チョコがにわかに意味を持ち始める。弟に気遣いながらそよたちが広海にチョコを渡すシーンは実にさわやかだ。広海があまり都会的価値観を持ち出さないところがいい。この種のテーマの場合、普通なら田舎と都会の違いをいやみなほど強調するものだ。さっちゃんのパンツを洗った手でそよが触ったリンゴを広海が「おしっこの匂いがする」といって食べなかったシーンが最初に出てくる程度だ。あくまで大きな対立ではなく小さな波紋を描く手法。だから、郵便局のしげちゃんのぎょろ目と意味不明な行動がシュールな効果をもたらすのだ。このあたりは山下監督得意の演出が効いている。

 「青空のゆくえ」同様、塾通いや受験勉強などは出てこない。小学生も中学生ものびのびしている。まさに天然。それがこの映画の一番の魅力である。「一本の草や木を抜けば、その下から意外に複雑に広がった根が出てくる。同じように人間も社会に根を張って生きている。大地に収まっているときには見えないが、意外に深く広く根を張っていることが分かる。この映画は、一人の男子生徒がアメリカに引っ越す前に、自分の根の張り方を確認し、思い残したことを整理してゆく過程を描いている。」(「青空のゆくえ」のレビューより)これに対し「天然コケッコー」は東京から転校してきた男子生徒が田舎に根を張るまでを描いている。

 東京へ修学旅行に行ったとき、広海は昔の同級生から別れ際に校舎のかけらを渡される。彼らの学校は建て替えられるのである。広海はそのかけらを捨ててゆこうとするが、そよはそれをカバンに入れてもって帰ろうとした。広海はそのかけらを取り上げて割ってしまう。しかしその後がいい。小さくなったかけらをそよに渡すのだ。結局これが一番の東京土産だった。広海はその時、気持ちの上で東京への未練を吹っ切ったのだろう。広海と馬鹿ふざけしていた元同級生たちを見れば、東京で広海がどんな学校生活をしていたか察しがつく。かけらを渡したとき彼はその思いも一緒にそよに渡したのである。だから彼はそよと同じ地元の高校に進学したのである。たとえ坊主頭になっても田舎の高校を選んだのである。

 出演者の中では夏帆が特に印象的だった。これからどんな女優に育ってゆくのか楽しみだ。山下敦弘監督の作品を観るのは「リアリズムの宿」、「リンダリンダリンダ」に次いで3本目。どれも出来はいい。最近の日本映画の好調を支えている1人。作品に深みはないが、優れた演出力を持っているのが強み。彼も今後の作品が楽しみだ。

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