「小林いと子人形展」を見てきた
10月6日から21日まで上田駅前、真田坂にある“キネマギャラリー幻灯舎”で「小林いと子人形展」が開かれている。9日に「幻灯舎講座」があり、上田フィルム・コミッションのK氏から吸血鬼映画の系譜について聞いた時に、会場に置いてある人形に魅せられた。その時はデジカメを持っていなかったので、今日改めて「取材」に行ってきた。
たまたま夕方に何かの会合があるらしく、テーブルが占領されているのでレイアウトが変わっていた。人形は全部で20数体あっただろうか。石膏で作られた顔の表情が一つひとつ違う。みんな素朴な顔だ。さまざまな姿勢をしているが、子守をしていたり、裁縫をしていたり、荷車を曳いていたりと、生活の中の一場面が取り上げられていることに好感を持った。子供と老人の人形が多い。作者の小林いと子さんの関心のありようが現れているのだろう。服もみな手作りで、着古した着物の端切れを使って仕立て直したものである。だから生地は上田紬や木綿の上田縞などしっかりしたものだ。昔の生活が匂ってくるような人形たちの姿と佇まい、本物の生地から伝わる温かみ。陽だまりのようなスペースだった。
特に気に入ったのは子供を背負った女の子、虫かごと網を持った子供、そして切り株の上に座っている男の子(どこかピーターパンを思わせる)。子供を背負った女の子を見ていて、東京にいたころ読んだ菅生浩の『子守学校』、『子守学校の女先生』、『さいなら子守学校』三部作(ポプラ社)を思い出した。実際に福島県にあった子守の小学生だけが通う珍しい学校を題材にした児童文学である。悲しい話が多かったが、忘れられない本だ。
小林いと子さんは1932年生まれ。実家は上田紬機屋である。農家に嫁ぎ3人の子供を育てた。和裁の技術は姑から習ったものだが、人形作りは独学だそうである。壁に掛けてある紹介文には、「物のない時代に大切に着続けてきた着物を形として残し、その心を伝えることができたら幸せです」という言葉が引用されている。まだ十代の頃に戦争を経験し、戦後は物のない時代を生きてきたはず。おそらく様々な苦労をされてきたに違いない。決して楽しい思い出ばかりではないはずだが、人形が表している生活の一こまには温もりが感じられる。子守学校だって悲しいエピソードばかりではなかった。物がないからこそみんなで分け合った。苦しみも悲しみも肩を寄せ合ってみんなで支え合った。黄色みがかった室内の照明が期せずして人形をセピア色に染め上げている。生活も、人生も、生涯も英語ではlifeで表せることがこれらの人形を見て理解できる気がした。
« 「夕凪の街 桜の国」を観てきました | トップページ | 「ぼくの国、パパの国」② »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント