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なかなか本格的なレビューが書けないので、久々に「寄せ集め映画短評集」シリーズを復活させます。他に待望の「クイーン」を観ました。期待通りの傑作でした。ヘレン・ミレン(彼女が観たくてこの映画を観たようなもの)が文句なしに素晴らしい。こちらは何とか本格レビューを書きたい。
ブラックブック(2006年、ポール・バーホーベン監督、オランダ・他)
評価:★★★★
観る前はサスペンス映画に流れて肝心な人間ドラマが薄っぺらになっていないか心配だった。ポール・バーホーベン監督作品は「ロボコップ」、「トータル・リコール」、「氷の微笑」、「スターシップ・トゥルーパーズ」と観てきたが、要するにハリウッド大作路線にどっぷり浸かった監督というイメージしなかったからだ。それでもあえて観てみたのは本国オランダに帰って撮った映画だからである。
ひょっとしたらという期待に賭けてみたわけだが、結果は悪くないと思った。思った以上にドイツ占領下の緊張した雰囲気がリアルに描かれていた。レジスタンスの描き方も斜に構えた描き方にはなっていない。スパイとなったエリス(カリス・ファン・ハウテン)がドイツ人将校ムンツェ(セバスチャン・コッホ)に近づいてゆくハラハラするプロセスは、「影の軍隊」でシモーヌ・シニョレたちがドイツ軍本部に乗り込んでゆくシーンを想起させる。レジスタンス内の裏切り者が誰なのかをめぐるサスペンス調の展開も悪くない。「影の軍隊」にしろ「日曜日には鼠を殺せ」にしろ、組織内の裏切りはつき物だ。エリスとムンツェが恋愛関係になるのはいかにもハリウッド調だが、これも不自然だと感じさせるほどではない。
ただ不満だったのは裏切り者の描き方である。裏切り者が誰であるか分かってからの展開はまさにハリウッド映画。最大の問題点は裏切り者の葛藤が何も描かれていないこと。単なる腹黒い男という薄っぺらな描き方になっている。レジスタンスにしろナチスにしろ、ぎりぎりのところでせめぎ合っている。裏切り者も、どうにもならないところまで追い詰められて、意志に反して裏切らざるを得ないのである。「影の軍隊」でも「麦の穂をゆらす風」でも、裏切り者を処刑する場面は実に悲痛だった。「ブラックブック」にそれはない。身を犠牲にしてドイツ軍に潜入したエリスの描き方に比べると、裏切り者の描き方はあまりに浅薄だった。ハリウッドで身についた垢は肌にびっしりとこびりついていて、簡単には取れないようだ。
ザ・シューター 極大射程(2006年、アントワーン・フークア監督、米)
評価:★★★★
原作(スティーブン・ハンター著『極大射程』)の翻訳はだいぶ前にブックオフで手に入れていたのだが、それを読む前に映画の方を先に観ることになってしまった。原作はかなり評判になっていたので期待して観た。いや~、結構楽しめました。娯楽映画としては上出来だと思った。もっとも、近頃この手の映画はほとんど観なくなってしまったので、何を観ても楽しめてしまう傾向があるが(汗)。
ストーリー自体は、元海兵隊の名狙撃手がある陰謀に利用されて使い捨てにされるところを間一髪逃げおおせ、罠にかけた奴らに復讐するというよくある展開。しかしどこかマット・デイモンの「ボーン・シリーズ」を思わせる作りで、主人公役のマーク・ウォルバーグが1人で陰謀グループに立ち向かう活躍ぶりがなかなか魅せる。「パーフェクト・ストーム」、「プラネット・オブ・ザ・エイプス」ではほとんど印象に残らなかったが、「ザ・シューター 極大射程」のマーク・ウォルバーグはいい。善人役が多いダニー・グローバーが悪役で出てくるのも新鮮だった。
ボビー(2006年、エミリオ・エステベス監督、米)
評価:★★★★☆
「ドリームガールズ」のレビューに載せた年表に少し書き足して、もう一度載せよう。
55-56年:バス・ボイコット運動
57年:リトルロック高校事件
61年:フリーダム・ライダーズ運動
63年:ワシントン大行進とキング牧師の有名な演説、ケネディ大統領暗殺
64年:強力な公民権法の成立、都市部で人種暴動が吹き荒れた「長く暑い夏」
65年:ベトナムへの北爆開始とベトナム反戦運動の高まり、マルコムXの暗殺
66年:黒人の急進的な政治組織ブラック・パンサー党の結成
68年:キング牧師とロバート・ケネディの暗殺、レッド・パワーの高まり
ベトナム反戦運動、黒人の公民権運動などに揺れた60年代。アメリカの60年代は30年代と並ぶ政治の時代だった。マッカーシー旋風が吹き荒れた50年代の後、今度は反体制派の運動が盛り上がった。ヒッピー、アングラ(アンダーグラウンドの略)文化は日本にも影響を与えた。それは体制派の激しい反発も呼び起こし、暗殺事件が相次いだ。
この時代はこれまでもいろんな映画に描かれてきた。「マルコムX」、「ロング・ウォーク・ホーム」(バス・ボイコット運動)、「ゲット・オン・ザ・バス」(ワシントン大行進)、「ミシシッピー・バーニング」、「レニー・ブルース」、「JFK」、「グッド・モーニング・ベトナム」などの一連のベトナム戦争もの、「小さな巨人」、「ソルジャー・ブルー」、「真夜中のカーボーイ」など(最初の2本は60年代が舞台ではないが、明らかに当時の価値観が反映している)のアメリカン・ニュー・シネマ、等々。
「ボビー」は兄に続いて暗殺されたロバート・ケネディの暗殺場面をハイライトにして、その場に集まっていた人々を群像劇のように描いた作品である。群像劇の部分はさながらロ バート・アルトマンのようなタッチ。アンソニー・ホプキンス、デミ・ムーア、シャロン・ストーン、リンジー・ローハン、イライジャ・ウッド、ウィリアム・H・メイシー、ヘレン・ハント、クリスチャン・スレーター、ローレンス・フィッシュバーン、マーティン・シーン、ハリー・ベラフォンテ、そして監督のエミリオ・エステベス本人と、綺羅星のように有名俳優たちが入れ替わり立ち代り登場する。そしてなんといっても圧巻は暗殺場面に続く、大混乱になって人々が逃げ惑う映像にボビーの演説をかぶせたラストの場面。演説の力強さとその言葉を裏切るような映像のギャップがすごい。言葉が力を持っていた時代、そして暴力が言葉を押しのけていった時代。
壁に書かれた”The once and future king”の文字に血痕が飛び散っているカットが印象的だった。最後にケネディ家の肖像写真が次々に映し出される。エンディング・ロールに流れるザ・アンダードッグズ・アンド・ブライアン・アダムズ、ウィズ・アレサ・フランクリンの「ネバー・ゴナ・ブレイク・マイ・フェイス」がぐいぐいと胸に迫ってくる。機会があればもう一度観直して、じっくりとレビューを書いてみたい映画だ。
不都合な真実(2006年、デイビス・グッゲンハイム監督、米)
評価:★★★★
アメリカの元副大統領アル・ゴアのスライド講演にパーソナルな映像をプラスしたドキュメンタリー映画。環境問題、特に地球温暖化の問題を取り上げ、豊富なデータを駆使してこの問題を無視し続けているアメリカ政府の姿勢を批判している。例えば、氷河が年々後退している様を、あたかも使用前・使用後の比較宣伝のように、具体的な映像を映し出すことで分かりやすく示している。最後には具体的な行動提起もしている。
彼が訴えている内容自体は、様々なテレビや新聞の報道などで大体知っていることである。それほど新鮮味は感じなかったが、訴えていること自体にはある程度説得力を感じた。ただし、このまま行くと将来はこうなると示すあたりは不確かな推測が入り込んでいるし、数字が大げさな感じもする。また、彼の活動やこの映画自体が政治キャンペーンのような色彩を帯びていて(講演会というよりショーである)、また立候補したいのかと余計な勘繰りをしたくなったことは率直に書いておきたい。さらにアメリカがなぜ環境問題に不熱心なのかという点に関してもツッコミが不十分だと感じた。
あなたになら言える秘密のこと(2005年、イサベル・コイシェ監督、スペイン)
評価:★★★★
「死ぬまでにしたい10のこと」のイザベル・コイシェ監督と主演のサラ・ポーリーが再び組んだ新作。前作は、難病ものというお涙頂戴になりやすいテーマを扱いながら、安易に泣かせの演出を避け、残される人々へのヒロインの想いと彼女の人生最後の輝きを抑えた演出で描いて出色だった。"MY Life Without Me"という原題に込められた、自分の死んだ後の周りの人々の人生を気遣う彼女の優しさと、その人生を共有することができない悲しさが静かに胸に迫ってきた。
はっきり言って、「あなたになら言える秘密のこと」は二番煎じの感は否めない。前作と似たようなムードの映画だという意味と、「ソフィーの選択」とほぼ同じ主題を描いているという意味で。どうしても「ソフィーの選択」と比較してしまうので、ハンナの告白は衝撃度が弱いと感じてしまう。サラ・ポーリー自身の演技は決して悪くはないのだが、メリル・ストリープや彼女が迫られた究極の選択と比べられたのではさすがに分が悪い。 ただし、告白部分の衝撃度を別にすれば、ベッドで寝たきりのティム・ロビンスとサラ・ポーリーのやり取りは素晴らしい出来だ。さすがは名優ティム・ロビンス、布団から顔が出ているだけの状態であるにもかかわらず、忘れがたい印象を残す。「ザ・プレイヤー」、「ショーシャンクの空に」と並ぶ彼の代表作になるだろう。
海上にある油田掘削所の中の一室という限定された舞台。しかもティム・ロビンスは体に大やけどを負いベッドから動けない。その限られた条件の下で展開される二人の会話。動きをほとんど描けないという負の条件を軽妙でよく練られた会話で補っている。イザベル・コイシェの脚本が見事だということである。ただ残念なのは、ラストがアメリカ映画のようなありきたりの結末になっていること。スペイン映画なのに会話がすべて英語だということと何か関係がある気がする。
輝く夜明けに向って(2006年、フィリップ・ノイス監督、米・仏)
評価:★★★☆
たまたま「あなたになら言える秘密のこと」と同じ日に観たので、またティム・ロビンスが出てきて驚いた。南アフリカのアパルトヘイトを映画いた映画には「遠い夜明け」、「ワールド・アパート」、「白く乾いた季節」、「アマンドラ!希望の歌」などの傑作がある。「輝く夜明けに向って」はこれらと比べるとアメリカのサスペンス映画に近い演出で、その分問題の掘り下げ方が浅いと感じた。サスペンス映画と社会派ドラマの中間的な作品で、どっちつかずという印象を受けた。
監督はフィリップ・ノイス。ハリウッドで「デッド・カーム/戦慄の航海」(未公開作品だが、なかなかの拾い物)、「パトリオット・ゲーム」、「硝子の塔」、「今そこにある危機」、「ボーン・コレクター」などを作った後、故郷のオーストラリアで「裸足の1500マイル」を製作した。アボリジニの女の子を主人公にした堂々たる傑作だった。アパルトヘイトを扱ったこの作品もハリウッド大作とは一味違うが、作りと演出は大きくハリウッド映画の方に振れている。
この映画の曖昧なスタンスはティム・ロビンス演じるテロ対策班のニック・フォス部長に象徴的に表れている。この映画はアフリカ人のパトリック・チャムーソ(デレク・ルーク)が主人公なのだが、どうもニックの視点から描かれている気がするのだ。パトリックはテロリストと間違われて拘束され、拷問を受ける。妻までも捕らえられて暴力を受ける。やがて疑いは晴れるのだが、このことをきっかけにパトリックは本物のテロリストになるのである。パトリックは一貫して「テロリスト」と呼ばれているのである。これは明らかにニックの視点である。
もちろん抑圧されているアフリカ人の側から見れば彼らは「自由の戦士」であり、フリーダム・ソングを歌う民衆の姿なども描かれてはいるのだが、どうも視点が不徹底なのだ。ニックが途中でアフリカ人の側に回る展開かとも思ったが、終始彼の立場は変わらない。最後にアパルトヘイト崩壊後何年かたってすっかりボケ老人のようになった哀れな姿が映されるだけだ。パトリックをテロリストとして執拗に追い詰めるニックの視点が異様に強調され、実際ANC(アフリカ民俗会議)の一員になったパトリックは破壊活動に走る。こういう描き方にはどうも9.11後のアメリカの対テロ戦争姿勢が反映している気がしてならない。この不徹底な姿勢とアフリカ民俗会議を単なるテロ集団とみなす姿勢が、この映画をサスペンス映画とも社会派ドラマともつかないどっちつかずの作品にしてしまっているようだ。
先週の金曜日と土曜日は一日中薄暗くて陰鬱な日でした。雨が降っていたので写真を撮りにも行けない(もっとも、そのお陰で映画を3本観ることができたのですが)。外でデジカメを使うチャンスがなかったので、土曜日の昼間に家で別のものを撮影していました。映画のチラシを撮っていたのです。
「あの頃こんな映画があった 1988年」の記事を書いたときに、初めてチラシをデジカメで撮りました。これはシリーズにするつもりでしたが、なかなか時間がなくて続きが書けないでいました。いずれシリーズ第2弾の「1989年」を書くつもりですが、その前にチラシを撮りだめしたわけです。
僕がいつごろから映画のチラシを集めだしたのかはっきりした記憶はありません。持っているチラシから判断すると、どうやら80年代に入ってからのようです。すべて映画館などでただで貰ってきたもの。チラシを入れたクリアケースがもう7、8冊はあります。別に秘蔵コレクションにしているわけではありません。秘蔵は死蔵です。中には貴重なものもあるので、死蔵するのではなくブログに載せて映画ファンの間で分け合いたいとだいぶ前から思っていました。ただ、とにかく面倒でやらなかったのです。そして陰鬱な土曜日、やっとその機会ができました。
今後何回かに分けて載せるつもりです。個別の映画だけではなく、映画祭や特集上映などのチラシ、パンフレット類なども撮るつもりです。記事が書けないときに埋め草で載せるつもりです。どうかお楽しみに。
昼間、昼食をとった後長野大学のすぐ裏にある自然運動公園に行ってみた。前に記事を書いた宣教師館やいにしえの丘公園のすぐ近くなので、「塩田の文教地区探索」第2弾といってもいい。ここはグランドや体育館、プール、フィールドアスレチックなどの施設と、池を中心にした小さな公園がある。この池の周りが結構眺めがいいので、ちょっとした撮影ポイントなのである。実際、僕の他にも女性が1人三脚を立てて池を撮影していた。写真を撮っていたら声をかけられた。ちょっと前まではいろんな虫や鳥などがたくさんいたのに、今日来たら全くいないと残念がっていた。
確かにいつもは見かける水鳥が1羽もいない。それでもきれいに紅葉している木がいくつかあったので、それらをフレームに入れながら、主に池の周りを写真に撮った。今日は台風一過で雲ひとつない快晴。空が本当に美しい。いつもより空の部分を大きく取り入れるようにした。空自体を撮りたくて、見上げるようにして木の枝と空を撮ってみたが、うまく行ったかどうか。快晴の日の上田の空は見事に真っ青になる。東京にいた頃にはこんな真っ青で雲ひとつない空を見たことがなかった。空が美しいと実感できるのは、ひょっとすると相当贅沢なことなのかもしれない。
あまり時間がないので自然運動公園の一部しか写真が撮れなかった。それでも池の周りだけではさびしいので、体育館の前の木立、子供たちの遊戯施設の一部、さらにはプールの写真も撮った。この時期のプールは人気がないのでどこか寒々としている。車に戻ろうとプールの横を通ったとき、ススキの穂が陽の光を反射して息を呑むほど美しく輝いているのが目に入った。思わずしまいこんだカメラを取り出し、写真を撮った。角度を変えて光を反射してほとんど透明に見えるススキと、陰になっているススキの2枚撮った。ぼくの技術ではあの透明な輝きがうまくとらえられていないのが残念だ。陰になったススキも真っ青な空が背景になっているので、これまた別の美しさがある。何でもないススキの穂が光の加減でこんなに美しく見えるなんて新鮮な発見だった。
2005年 フランス 2007年3月公開
評価:★★★★☆
原題:Saint Jacques...La Mecque
監督・脚本:コリーヌ・セロー
製作:シャルル・ガッソ
撮影:ジャン=フランソワ・ロバン
美術:アントワーヌ・フォンテーヌ
出演:ミュリエル・ロバン、アルチュス・ド・パンゲルン、ジャン=ピエール・ダルッサン
マリー・ビュネル、パスカル・レジティミュス、マリー・クレメール
フロール・ヴァニエ=モロー、ニコラ・カザレ、エメン・サイディ
星の道~さわやかな風がそよぎ、山々は美しく、心も足取りも重い
「サン・ジャックへの道」は「ラストマップ/真実を探して」と同じようなシチュエーションから始まる。親の残した遺言により無理やり旅に出されることになるのである。しかし「サン・ジャックへの道」の旅は「ラストマップ/真実を探して」の旅よりはるかに長く、遠く、過酷だった。フランスのル・ピュイからスペインの西の果て、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の旅。全行程1500キロ。それも「道まかせ」というツアー名の通り、羊や牛たちが群れる平原を突っ切り、岩だらけの山を越えて行くような難路ばかり。一日平均七時間歩き続けて2ヶ月間の旅。その上に「旅の仲間」は仲の悪いことこの上ない。昔から会うと喧嘩ばかりしているクララ(ミュリエル・ロバン)、ピエール(アルチュス・ド・パンゲルン)、クロード(ジャン=ピエール・ダルッサン)の3姉弟。信仰心もなく、それぞれが家庭内の深刻な悩みやストレスを抱えている。
3人がそれぞれ巡礼に出ることを断る冒頭のシーンが面白い。これでもかと行けない理由を並べ立てる。夫が失業中のクララ。妻に見捨てられ、酒びたりで一文無しのクロード。中でもすさまじいのはピエールだ。会社の社長で片時も携帯電話と薬を手離せない仕事人間。妻はアルコール依存で自殺願望がある。2ヶ月も家を空けられるはずはない。食いつかんばかりに身を乗り出し、機関銃のようにがなりたてる。これだけ反対しておきながら出発の日には3人ともちゃんとやってくるのが可笑しい。母の遺言に示された条件とは「3人がサン・ジャックの巡礼ツアーに参加すること」。結局、「家庭の事情」を抱える3人は莫大な遺産が欲しかったのだ。
集合場所に集まったのは全部で9人。楽しい山歩きと勘違いして参加した女の子2人組み、エルザとカミーユ。その女の子が目当てで参加したサイッド。そして彼の従兄弟のラムジィ。彼はサイッドにだまされてメッカへ巡礼に行くと思い込んでいる。人を疑うことを知らない純真な若者で、メッカへ行けば失読症が直ると信じている。常に頭をバンダナ(スカーフ?)で隠している謎めいた女性マチルド(マリー・ビュネル)。そしてこの巡礼の旅「道まかせ」のガイド役ギイ。年齢も人種も宗教も違う不揃いな人々。純粋に巡礼を望んでいるのはラムジィだけという先行き不安な取り合わせ。出発して早々、何かにつけて不平ばかり言って駄々をこねるピエールにクララが食って掛かり、取っ組み合いの大喧嘩。旅の一行ばかりか、観ているこちらも先が思いやられる。
サンティアゴ・デ・コンポステーラについては、公式サイトに次のような説明がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラのコンポステーラとは、「星の平原」という意味を持つ。サンティアゴはフランス語ではサン・ジャックとなる。この巡礼路を題材とした映画にルイス・ブニュエル監督の「銀河」(68)があり、書籍ではパウロ・コエーリョの『星の巡礼』など多数ある。
そうか、「銀河」の主人公たちもサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指していたのか。もっともこちらはいかにもブニュエルらしいハプニングだらけの奇想天外で摩訶不思議な世界。「銀河」と呼ばれる巡礼路にはキリスト、マリア、死の天使まで現れる。宗教に対する皮肉な目が鮮明だ。シュールな映画だが不思議な魅力がある。人間なんて不完全なもんさ、あたふたする人間たちを見る目は冷淡ではない。「サン・ジャックへの道」は確かに「銀河」と共通する面がある。共に宗教的な枠組みを持っていながら、実に人間くさい映画なのだ。
「銀河」の主人公たちが歩んだ道が「銀河」と呼ばれているのに対して、「サン・ジャックへの道」の一行が通った道は「星の道」と呼ぶのがふさわしい(山崎 脩著『旅 スペイン巡礼星の道』という本もある)。クララ、ピエール、クロードたちが経験したのはどんな旅だったのか。ゆったりとしたテンポは「ストレイト・ストーリー」に似ているが、トラクターで旅をするよりもさらにゆったりとしたペースだ。おおらかさにユーモアをまじえた味わいはカナダ映画「大いなる休暇」を連想させる。「長い散歩」のような思いつめたところはない。全体に明るく軽い。強烈なキャラクターを寄せ集め、ギクシャクしながらも最後には姉弟の絆が強まって行くという展開は「リトル・ミス・サンシャイン」に似ている。
「星の道」を歩む旅。だが、それは必ずしも旅情を感じる旅ではない。少なくとも参加しているものにとっては。彼らには最初自分のことしか見えていなかった。「誰も彼も自分のことばかりだ!きれいな景色も見てやしない。帰りたいのは俺のほうだ!」案内人ギイが悲鳴を上げるのももっともだ。それは、昼間は口論に疲れ、夜は悪夢にうなされる旅だったのだ。仕事や家庭内の問題に追い立てられ、自分のことにばかり気をとられている人間にはゆったりと星空や夕焼けを見上げる暇もない。「歩く」ということの意味はそこにあった。それも1人ではなく反りの合わない同伴者と一緒に歩くということの。「月曜日に乾杯!」の主人公はストレスに耐え切れず、自ら「休暇」を取って旅に出た。「サン・ジャックへの道」の3人は遺言に背中を押されるようにして旅に出たのではあるが、ストレスにまみれていた点は同じだ。「人生は、時々晴れ」のタクシー運転手(ティモシー・スポール)は何もかもいやになって一時仕事を放棄した。みんな人生の重さに押しつぶされそうになっている。
「サン・ジャックへの道」を観て久々に思い出した映画のタイトルがある。「旅の重さ」(斎藤耕一監督、1972)。巡礼の旅に出ながらもピエールたちは「人生の重さ」を背負っていた。彼らの足取りが重いのはそのためでもある。この旅はいらないものを捨ててゆく旅だった。ただの巡礼者になった今、社長という肩書きも金もおごりも役に立たない。頼めるのは仲間の助けだけである。汗と共に毒素を体外に吐き出してゆく過程。ゆっくりしたペースの旅なので、道中互いの性格があからさまに表れる。軋轢が生まれるがまた触れ合いもある。対立から和解へ。様々な人との出会いというよりも同伴者との触れ合いに重点が置かれている映画だ。互いによく知ってはいるが、仲の悪い姉弟を主要登場人物に設定した狙いはそこにある。
旅の力
ピエールは途中で誤って薬を捨ててしまった。「薬がないと生きてゆけない」と大騒ぎを始める。誰かが「何の薬なの?」と聞くと、クララとクロードが「人生に耐えるための薬さ」と答えている。ピエールにとって薬は人生のストレスから身を守る鎧だった。しかしいつしか彼は薬なしでやってゆけるようになっていた。足取りも軽く、すたすたと坂道を上れるようになっていた。登場した時の彼は人を小ばかにし、あからさまに差別発言をするいやな奴だった。
自分を見つめなおし、他人を捉えなおす旅。他人と共にすごす濃密な時間。ゆったりと お湯に浸かって疲れを取るように、自分たちのストレスを取り除いてゆく旅。それは他人のつらさを知る旅でもあった。「村の写真集」や「山の郵便配達」に込められたメッセージと同じ物がそこにあった(歩きではないが「ストレイト・ストーリー」をこれに加えてもいいだろう)。ゆったりとしたペースで歩いているからこそ見つけられるものがある。ギイとピエールがそれぞれに家庭の事情があることをぶつけ合うシーンがある。他の人たちが息を呑んで見つめている。こういうことをきっかけに互いの事情が理解できるようになってゆく。ピエールだってただわがままなだけではない。仕事に追われ、家には自殺願望の妻がいる。牛の糞まみれになって彼が妻に携帯で電話するシーンが印象的だ。弟のクロードだって、好んで失業しアル中になっているわけではない。何も持たずに参加し、ちゃっかり金を借りたりしているが、根っからの怠け者ではない。
日本から逃れてきた人たちが「かもめ食堂」で出会い、そこでのんびり、ほのぼのとした生活を送るうちに生きる力を得ていったように、9人の巡礼者たちも不満、不平、対立を経て心の平安を得るにいたる。川の水は流れてゆくにしたがって川自体の浄化作用できれいになってゆく。「道まかせ」ツアーにも浄化作用があったようだ。それが「旅の力」なのだろう。彼らが旅の途中でリュックから荷物を捨ててゆくシーンが象徴的だ。「亀も空を飛ぶ」の少女が背中に人生の苦悩の象徴を背負っていたように、彼らのリュックの中には人生のしがらみや苦悩や煩悩がぎっしりと詰まっていたのである。
ピレネー山脈の手前(フランスとスペインの国境地帯)まで来たとき、案内人のガイは3人に彼らの旅はここまでだと伝える。遺言ではここまで来ればいいと書かれていたのだと。サンティアゴ・デ・コンポステーラまで行く必要はない。クララとクロードはほっとして帰ろうとするが、何とピエールが旅を続けると言い出す。「途中でやめたくない。巡礼のお陰で病気が治った。サンティアゴを見たい。・・・失敗の連続。俺の人生は最悪だ。酒びたりで自殺願望の妻しかいない。生きる権利もないと?初めて無心で何かをやろうとしてるんだ。みんなと一緒にいたい。」引きずられるようにして他の二人も旅を続ける。
このあたりから「旅の重さ」が取れ、だんだんコミカルな展開になってゆく。とんでもなく早い時間に元気いっぱいで出発して途中でへばってしまうテレコム管理職の若い男や、大いびき3人男が登場して笑わせる。途中宿を借りるために寄った教会では白人以外は泊めないと拒否する神父がいたり、願い事を書いた紙をチェックして捨てたり書き換えたりする修道女たちが描かれたりする。
しかし染み付いた煩悩は簡単には取れないもの。シュールな夢が何度も描かれる。荒野のドア、迷路、マチルドの顔をかたどった石、黒服の人物、様々な動物に歩く巨大なAの文字。中でもすべてを失った男クロードはピエール以上に苦悩を引きずっていた。「あなたは死に向かってる。私は生きたいの」とマチルドに言われてしまう。耐え切れずやめていた酒を飲みだす。しかしその後のピエールとクララの対応がそれまでと違っていた。酔っ払ってひっくり返ったクロードをギイがかついでくると、ピエールとクララがさっと立ち上がって両脇から支えた。ようやく姉弟は一つになったのだ。
一行はようやく目的地サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着する。旅の最後の地はヨーロッパ最西端のフィニステレ岬。地の果てである。ここで悲しいが感動的な場面が待っていた。ラムジィが母の死を知り嘆き悲しむ場面だ。夕陽が映える海を背景に、母の死を知って嘆き悲しむラムジィの姿が映し出される。ここはそれまでに映し出されたどんな美しい風景よりも美しいシーンだった。彼が心から悲しんでいたからだ。疑うことを知らない彼は感情を素直に表す。ある墓地で墓碑銘を読んで彼は本気で悲しんでいた。「お母さんが亡くなったなんて、悲しいでしょう?」今度は自分の母親をなくしたのだ。彼がそもそもメッカに行きたいと願ったのは、字が読めるようになって母を喜ばせたいと思ったからだった。しかし映画は彼の泣く顔を映さなかった。画面は彼を遠景で映している。光り輝く海を背景にして彼のシルエットだけを映した。これが素晴らしい効果を上げている。
ラムジィは3兄弟以外の登場人物の中では最も重要な役割を担っている。クララに人間的優しさを取り戻させたのは彼なのである。字を覚えたいというラムジィにクララはこっそり字を教え始める。この無償の教育を通じてクララは教師としての初心を取り戻してゆく。同時にラムジィも字を覚えることで人間的に成長してゆく。字を覚えるという行為は人間の成長に不可欠のものである。NHKドラマ「大地の子」でも映画「拝啓天皇陛下様」でも字を習う場面は感動的だった。ピエールは仕事に振り回されていたが、クララは字を教えるという教師本来の仕事をすることで生き生きとしてくる。同様に、ラムジィも神の力によってではなく人の助けと自分の努力で字が読めるようになった。そういう描き方になっているところが素晴らしいのだ。
旅が終わった後クララたちの母親が登場する。弁護士らしき男が母の残した家を訪れた3人に言う。「お母様はあなたが育った家が売られる前に来て欲しかったのです。」窓辺には去って行く3人を見送る母の背中が。ラムジィの母親への思いが3人の子供たちを憂える母の思いにつながってゆく。まるで毛利元就の「三本の矢」のような話なのだが、姉弟の結束だけが説かれているわけではない。日々の生活の中で自分も他人も見失っている状況を見直すことが必要だった。旅の後彼らはまた日常生活に戻ってゆく。彼らが抱える家庭の問題は解決されていない。しかしこれからは3人で力を合わせて乗り越えてゆくのだろう。
コリーヌ・セロー監督は、無償でラムジィに字を教えたクララの例があるように、意味のある仕事ならそれに打ち込むこと自体を否定してはいない。お金だって否定していない。宿に泊まれなかったとき、ピエールは自腹を切ってみんなを一流ホテルに泊まらせた。「みんな兄弟。一緒に泊まるべきだ。」一行は久々に風呂に入り、うれしそうにベッドに飛び乗った。仕事もお金もそれ自体を否定しているのではなく、そういうものに埋もれて自分を見失ってしまうことに警鐘を鳴らしているのだ。
全体のストーリー展開を見れば、この映画は実に単純な映画である。「予定調和」へ一直線に向かっているだけと揶揄されかねない。それでもこの映画には観客の心をひきつける魅力がある。基本的には、最初は遺産目当てだった巡礼が、いつの間にか人間として生まれ変わるための旅になって行くというテーマ自体に共感するからである。しかしそれだけではない。「リトル・ミス・サンシャイン」ばりに強烈な個性を一堂に集め、話の展開にメリハリをつけている。それにユーモラスなドタバタ調のトーンと宗教などに対する皮肉をトッピングして飽きさせない工夫をしている。
もう1点重要な要素がある。自然の美しさだ。画面に映し出されるフランスの田舎は実に美しい。日本ではパリの美しさばかり強調されるが、フランスは農業大国なのである。しかし、重要なのは、本来人を癒す自然の美しさも9人の巡礼者たちの目には入っていないということだ。足元しか見ていないからだ。彼らは疲れ果て、いがみ合ってばかりで風景を楽しむ余裕などない。われわれはフランスの田舎の美しさを堪能すると同時に、その美しさが少しも目に入っていない一行の、不平を言いながら重い足取りでだらだら歩く姿を見つめることが出来るのである。この映画的効果が見事だった。
「かぐら」で食事。いつもの肉南蛮うどん。おいしゅうございました。そば茶のティーバッグも忘れずに買った。さて、その後は久しぶりのドライブと撮影。こんな晴天の日はドライブが気持ちいい。行く場所は決めていなかったがとりあえず芸術村の方に向かう。千曲ビューラインからの眺めがあまりに美しいので、途中で車を止めて写真を撮る。そのままビューライン沿いに佐久まで行こうかとも思ったが、急に考えが変わる。以前みまき大橋の写真を撮ったが、まだその橋を渡ったことがなかったのを思い出したのだ。芸術村の下を通り、突き当りを左折。みまき大橋に出る。橋を渡るのは初めてだが、すぐ先の信号から先は通ったことがある道。40号線である。千曲川の左岸を走る道で、道沿いには日帰り温泉施設「御牧の湯」、布引観音温泉、布引観音がある。まず「御牧の湯」の写真を撮った。前に1度だけ入ったことがある。今日は撮影だけ。あの時はまっすぐ風呂に行ったのだが、周りにはいろんな施設とオブジェがあって、ちょっとした公園のような感じになっている。御影石で囲った池があったので写真に撮る。ぐるっと一渡り見て回り、何枚か写真を撮る。
<写真>
御牧の湯(2枚)、千曲ビューラインからの眺め
さらに先に進むと右手に布引観音温泉が見える。ここも前に1度泊まったことがある。なんてことのない建物なのでここは素通り。今日の目的は布引観音とそのすぐ前にある布引渓谷。布引観音の下に車を止め、まずは渓谷を見に行った。駐車場前の道を渡るとそこが渓谷だ。まずは道から写真を撮る。川原には大きな岩がゴロゴロ転がっている。背後が山なので、川原の半分は日陰になっている。木が邪魔で写真が撮りにくい。道を探して川原に降りる。岩だらけで歩きにくい。ふと見ると、上流のほうに何か塔のようなものが立っている。そういうものを見つけると近くに行って写真を撮りたくなる。足場の悪い川原を上流に向って進む。上の道は頻繁に車が通っているが、川原にはほかに誰もいない。背丈ほどもある岩を乗り越えたりしていると、何か無人島で冒険でもしている気分。う~ん、楽しい、楽しい。近くまで行っても塔の正体はわからない。あれは一体何なのか?煙突のような形だが、橋脚にも見える。昔は橋が架かっていたのだろうか。腑に落ちぬまま、石に足をとられつつまた元の駐車場に戻る。
<写真>
布引渓谷(6枚)
駐車場に布引観世音のいわれが書いてあった。有名な「牛に曳かれて善光寺」の言い伝えと関係がある。あちこちに同じような話があるようだが、ここでは昔信心うすい老婆が千曲川で布を晒していると、牛が角に布をかけて走り出したという話だ。説明版の裏側には地図が書いてある。布引二段滝、馬岩、見返り地蔵、牛岩、善光寺穴、不動滝、釈尊寺。途中にいくつも見所があるようだ。階段を上り始めると、看板に片道20分と書いてある。一気に逃げ腰になる。滝だけ撮って引き返すか。しかし、あそこに石碑が、こっちにはお地蔵さんがと、写真を撮っているうちに、もうここまで来たら上まで行こうという気になった。とにかくきつい坂だ。しかし今日は久々にたっぷり睡眠をとったので足が軽いし、何度も立ち止まって写真を撮りながら上ったので息が切れるほどではなかった。あちこちの岩のくぼみや岩の上に石碑や木像、石像が置かれている。細い道の片側は谷で片側は断崖である。このあたりは岩山で、遠くからもその露出している岩肌が見える。石の上や石像の周りにはケルンのように小石が積み重ねられている。
<写真>
布引観音に至る道(3枚)
滝はどうということもなく、馬岩と牛岩には馬と牛の姿が岩に現れているというが全く分からず。不動の滝に水はなく、見返り地蔵と善光寺穴(穴が善光寺まで通じているそうな)には気づかずに通り過ぎる。しかし道端には無数のお地蔵さんや石碑(馬頭観音など)がたくさん置かれている。バシャバシャ写真を撮る。まるで羅生門のような釈尊寺の門と、頂上近くにあったお地蔵さんの赤い涎掛け特に印象的だった。
<写真>
布引観音に至る道(3枚)
やっと頂上に着く。さすがに足はがくがくだ。目の前のお堂が布引観音だと思い写真を撮る。しかし反対側(崖の方)を観て仰天。向かいの断崖絶壁のところに赤いお堂がしがみつくように建っている。後でもう一度地図で確かめたら、これが布引観音だった。望月の弁天窟の様だが、それよりはずっと立派だ。横で子供が「きれい」と声をあげている。確かに赤い柱が目に鮮やかだ。観音堂の奥は岩に食い込んでいる。床下には清水寺のような高い木組みがあり、それで支えているようだ。それにしてもどうやってあんなところに建物を建てたのか?すごいことを考える人がいるものだ。あそこから毎日下界を見下ろしていれば、僕のような者でも悟りが開けるのだろうか。下りは上りより楽だったが、足が疲れているので慎重に下りた。
<写真>
釈尊寺、布引観音(2枚) 右の写真:右側にうっすらと浅間山が見える
40号線をさらに先へ進む。次なる目的地は千曲川にかかる「戻り橋」。先日懐古園に行った時、小山敬三美術館の裏から見えた赤い橋が気になっていた。地図を見て「戻り橋」がそれだろうと当たりをつけていたのである。「戻り橋」に行くには40号線をまっすぐ行って、大久保橋の手前で右に曲がる。ところが行ってみると、目印の大久保橋があの赤い橋だった。あわてて橋の手前で車を止める。間近に見るときれいな橋だ。下流側にパイプを渡した別の橋もかかっている。大久保橋のすぐ横には古いコンクリートのアーチが立っていた。川の両岸にあるので、昔はそこに古い橋がかかっていたのかもしれない。横に新しい橋をかけ、古い橋のアーチだけを記念に残したのではないか。
<写真>
大久保橋(3枚)
来る途中なかなかいい川の景色が見えていたので、土手に沿って下流方向に歩いてみる。川原に降りる道があった。下りてみると石ころだらけ。ここもまた歩きにくい。川原から上流と下流の写真を撮った。また車に戻り、「戻り橋」へ向う。赤い橋は見つかったが、「戻り橋」は名前が気になる。上田の別所温泉近くにも「西行の戻り橋」がある。どんな橋なのか「姿」だけでも確認しておきたい。しかし行ってみると何ということのない橋だった。千曲川自体もあまり野性味のない普通の表情。川床に岩が見えないのはすぐ下流に西浦ダムがあるからだろう。近いので戻り橋からもダムが見える。ダムといっても上流側はダム湖のようになっているわけではない。やや川幅が広くなっているだけ。ダムというよりは水量の調整池という感じだ。地図を見るとダムの横に発電所があるので、発電にも利用しているのだろう。帰ってからネットで調べてみたが、戻り橋のいわれは西行とは関係ないようだ。
<写真>
大久保橋下流の千曲川、戻り橋、戻り橋から西浦ダムを見る
ここまでで帰ろうと思ったが、ふと橋の横を見ると「茶房読書の森」の看板が目に入った。まだ4時前だ。ついでに「読書の森」にも寄っていこう。車を橋横の細い道に乗り入れる。「読書の森」に初めて行ったのは2005年の8月28日。2年ぶりだ、懐かしい。ところが最初に見た看板以外には案内板が見当たらない。とにかく山の上だからと適当に山に向って上って行った。すぐ寂しい山道に入る。対向車もない。だんだん不安になってきた。やがてT字路にでた。どっちだ?左折してみた。今度は二股だ。一旦左折して、また引き返し右折する。しかしすぐ行き止まり。また引き返し、さっきの二股のところまで戻り、最初入りかけた道に行く。俺は今どこにいるんだ?不安が頭をよぎる。まあ、いざとなれば来た道を引き返せばいい。幸い方向感覚はいいほうだ。腹を決めてまっすぐ進んでゆくと、左側に「茶房読書の森」の看板が見えた。ほっ。やれやれ、この道でよかったんだ。見覚えのある急坂の駐車場に車を止める。前回とは逆の方向から来たことになる。しかしまあ、どっちから来ても分かりずらい。
<写真>
茶房読書の森(3枚)
車を降りると、横に犬がいた。ここの飼い犬なのだろう。吠えもせず、ニコニコ顔(?)でこっちを見つめている。入り口で写真を2枚撮った。中に入って珈琲を注文。他に客はなく、見覚えのあるご主人が1人でいた。店内の写真を撮ってもいいかと聞くと、快くOKしてくださった。前回買った絵葉書がまたたくさんおいてあったので、持っていないものを5、6枚選ぶ。程なくして奥さんと娘さんらしい人が戻ってくる。今日撮ったデジカメの写真を見ていると、写真をやっているのですかと声をかけられた。ブログのことを話した。それがきっかけで色々とご主人と話をすることができた。前回はほとんど話さなかっ た。
<写真>
読書の森(3枚) 右:「銀河ドロップス」のような小物がいい
山口マオさんのことから小林敏也さんと宮沢賢治、さらにはますむらひろしのことに話が及び、パロル舎から出ている宮沢賢治の画本シリーズ(挿絵、小林敏也さん)を教えていただいた(帰ってからアマゾンで数冊注文した)。テーブルの上においてある「ロバの音楽座」という楽団のCDが気になったので聞いてみると、この店の近くで時々演奏会をしているそうだ。古楽器を使った演奏で、子供向けに作られているそうだが、大人も楽しめるらしい。帰りに絵葉書と一緒に、ロバの音楽座のCDを1枚買った(「ジグ 空想の船」というアルバム)。この文章を書きながら聴いている。以前いろんな古楽器を使って演奏する「タブラトゥーラ」という楽団のコンサートを聞いたことがあるが、こちらも様々な古楽器を使っているので似たような響きがする。初めて聴く曲でもどこかで聞いたことがあるような懐かしい響きがある。中には、ヨーロッパ映画の中で流れていたような気がするものもあった。いい買い物だった。
<写真>
読書の森、絵葉書コレクションと収納ボックス、CDとチラシ
もう夕方。薄暗くなっていたが、もう一足伸ばした。ご主人に川と橋の写真をよく撮っていると話したところ、小諸大橋のすぐ横にある大杭橋という吊橋のことを教えていただいたのだ。ここまでくることは滅多にないので、一気に写真を撮ってしまいたかった。地図で場所を確認する。「戻り橋」に戻り、そこから142号線でさらに千曲川の上流方向に行けばいい。散々迷った道も今度は迷わずに戻れた。ひょっとして「戻り橋」という名前のご利益?冗談はさておき、日が落ちる前に着かねば。小諸大橋はすぐ分かったが、大杭橋に行くのに少し迷った。着いた時には陽が山の端に沈みかかっていた。急いで写真を撮る。どうにか間にあった。写真はソフトで補正すれば何とか見えるだろう。ほっとする間もなく引き返す。帰り道はもう真っ暗。なれない道だがもう迷わなかった。われながら方向感覚の良さには感心する。
<写真>
大杭橋(2枚)、戻り橋からの眺め
家に帰ってすぐ写真をパソコンに取り入れる。1日で124枚の写真を撮っていた。
<ブログ内関連記事案内>
茶房「読書の森」へ行く
喫茶店考
喫茶「すみれ屋」へ行く
【新作映画】
10月27日
公開
「タロットカード殺人事件」(ウディ・アレン監督、英・米)
「アフター・ウェディング」(スサンネ・ビア監督、デンマーク・スウェーデン)
「ヴィーナス」(ロジャー・ミッチェル監督、イギリス)
「犯人に告ぐ」(瀧本智行監督、日本)
「自虐の詩」(堤幸彦監督、日本)
11月3日
公開
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(山崎貴監督、日本)
「ヴィットリオ広場のオーケストラ」(アゴスティーノ・フェッレンテ監督、イタリア)
「ONCE ダブリンの街角で」(ジョン・カーニー監督、アイルランド)
「僕のピアノコンチェルト」(フレディ・Mムーラー監督、スイス)
「北京の恋 四郎探母」(スン・ティエ監督、中国)
「レディ・チャタレー」(パスカル・フェラン監督、フランス)
11月10日公開
「ボーン・アルティメイタム」(ポール・グリーングラス監督、アメリカ)
「いのちの食べかた」(ニコラス・ゲイハルター監督、独・オーストリア)
「4分間のピアニスト」(クリス・クラウス監督、ドイツ)
11月17日公開
「呉清源 極みの棋譜」(ティエン・チュアンチュアン監督、中国)
「カフカ 田舎医者」(山村浩二監督、日本)
「ファンタスティック!チェコアニメ映画祭」(イジー・トルンカ他、チェコスロバキア)
「フライボーイズ」(トニー・ビル監督、アメリカ)
「新・あつい壁」(中山節夫監督、日本)
11月17日~25日開催
「第8回東京フィルメックス」
【新作DVD】
10月24日
「ラビリンス&ダーククリスタル」(ジム・ヘンソン監督、英・米)
「ドリームズ・カム・トゥルー」(ダグ・アッチソン監督、アメリカ)
10月26日
「ジェイムズ 聖地へ行く」(ラアナン・アレクサンドロビッチ監督、イスラエル)
「アメリカの森 レニーとの約束」(ガブリエル・サベージ・ドクターマン監督、米・加)
11月2日
「シュレック3」(クリス・ミラー監督、アメリカ)
「ゾディアック」(デビッド・フィンチャー監督、アメリカ)
「フリーダム・ライターズ」(リチャード・ラグラベネーズ監督、米・独)
「ドレスデン、運命の日」(ローランド・ズゾ・リヒター監督、ドイツ)
「あるスキャンダルの覚書」(リチャ-ド・エア監督、イギリス)
11月7日
「敬愛なるベートーヴェン」(アニエスカ・ホランド監督、ハンガリー・他)
「ダイ・ハード4.0」(レン・ワイズマン監督、アメリカ)
11月9日
「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督、日本)
「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」(クシシュトフ・クラウゼ監督、ポーランド)
11月14日
「レミーのおいしいレストラン」(ブラッド・バード監督、アメリカ)
11月21日
「素粒子」(オスカー・レーラー監督、ドイツ)
11月22日
「ヘンダーソン夫人の贈り物」((スティーブン・フリアーズ監督、イギリス)
12月5日
「コマンダンテ」(オリバー・ストーン監督、米・スペイン)
「パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド」(ゴア・バービンスキー監督、米)
12月7日
「トランシルヴァニア」(トニー・ガトリフ監督、フランス)
【旧作DVD】
10月25日
「間諜X27」(31、ジョゼフ・フォン・スタンバーグ監督、アメリカ)
10月26日
「君の名は 第1部~3部」(53、大庭秀雄監督、日本)
10月27日
「最後の人」(24、F.W.ムルナウ監督、ドイツ)
「フリック・ストーリー」(75、ジャック・ドレー監督、仏・伊)
11月7日
「ダグラス・サーク コレクション②」(ダグラス・サーク監督)
11月8日
「影の軍隊」(69、ジャン・ピエール・メルヴィル監督、仏・伊)
11月22日
「ショート・カッツ」(93、ロバート・アルトマン監督、アメリカ)
「リストランテの夜」(96、スタンリー・トゥッチ監督、アメリカ)
12月14日
「熊井啓 日活DVD-BOX」(熊井啓監督、日本)
このところドキュメンタリー映画がやたらに増えている。 「いのちの食べかた」、「ニキフォル 知られざる天才画家の肖像」、「コマンダンテ」以外にも、「カルラのリスト」(劇場新作)、「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」、「マイ・シネマトグラファー」等々がある。あまり情報がないので良し悪しは分からないが、気になったら観ておくべきかも。
<新作>
「アフター・ウェディング」、「ヴィットリオ広場のオーケストラ」、「ボーン・アルティメイタム」、「呉清源 極みの棋譜」、「4分間のピアニスト」あたりが気になる。アニメ「カフカ 田舎医者」も要チェック。人形アニメ大国チェコスロバキアの映画祭は一見の価値がある。詳しくはこちらを参照。「第8回東京フィルメックス」では山本薩夫監督特集が組まれる。これも必見。
<新作DVD>
「ドレスデン、運命の日」、「しゃべれども しゃべれども」、「レミーのおいしいレストラン」、「トランシルヴァニア」がよさそうだ。「ドリームズ・カム・トゥルー」は劇場未公開だが、「Golden Tomato Awards発表」で紹介した作品。Spelling beeコンテストを題材にした作品で、拾い物かもよ。ジュディ・デンチ主演の「あるスキャンダルの覚書」、「ヘンダーソン夫人の贈り物」も気になる。
<旧作DVD>
「最後の人」、「ショート・カッツ」、「熊井啓 日活DVD-BOX」がおすすめ。ダグラス・サーク監督のBOXでは「悲しみは空の彼方に」がいい。ジョン・M・スタール監督の名作「模倣の人生」の再映画化作品。かつてTVの「日曜洋画劇場」で観た時には散々泣かされました。「間諜X27」の間諜とはスパイのこと。
「ぼくの国、パパの国」の理解のために:『イギリスの中のパキスタン』より
「ぼくの国、パパの国」の舞台は1971年のマンチェスター、ソルフォード地区に設定されている。時代を映画制作当時ではなく71年に設定したのは、パキスタン移民が急激に増加した時期だからだろう。映画の具体的な内容に入る前に、イギリスにおけるパキスタン移民の事情について触れておきたい。何年か前にたまたま書店で見つけたムハンマド・アンワル著『イギリスの中のパキスタン』(2001年、明石書店)という格好の本がある。以下に「ぼくの国、パパの国」や「やさしくキスをして」を見る上で参考になる記述を抜き出してみる(幾分かはインド人移民を描いた「ベッカムに恋して」の参考にもなるだろう)。なお、翻訳は2001年に出ているが、原著は1996年に出版されている。資料としては古いが、日本語文献では類書がないだけに貴重な文献である。
パキスタン人移民がイギリスに殺到し始めたのは1961年からである。1962年に連邦 国移民法が導入されることになったからである。つまり新しいシステムが導入される前に「かけこみ的に」パキスタン人がイギリスに流れ込んできたのである。新しい移民法の制度は「バウチャー制」と呼ばれる。それは、バウチャーを保持している者、その妻、あるいはすでに親がイギリスに合法的に定住している16歳以下の子供にだけ移住を認めるという制度である。1961年から71年にかけて特にパキスタン人移民の人口が増えている。この期間が大量移民の期間であった。1951年の時点ではわずか5000人しかパキスタン人移民はいなかった。それが1966年には11万9700人に増加していたというからすさまじい勢いだったわけだ。
1991年のセンサスによれば、パキスタン人の人口は約48万人。そのうちイングランドに住む者は約45万人、スコットランドに住む者が約2万1000人、ウェールズに住む者は約6000人である。パキスタン人が一番多く住んでいるのはバーミンガムである。2番目に多いのがブラッドフォード。「ぼくの国、パパの国」で主人公一家がブラッドフォードへ行く場面が出てくる。画面にはほとんどパキスタンかと思われる雰囲気の街並みが映し出されていた。長男のナジルが結婚式当日に逃げ出した時、家長のジョージがブラッドフォードに住んでいればこんなことにはならなかったと嘆くのは、そこに住んでいれば息子もイギリス文化に染まらなかっただろうと悔やんでいるのである。
バウチャー制は親族がらみ、友人がらみの移民を助長した。家族・親族の結びつきが強いパキスタン移民は特定の地域に集中して住むようになる。パキスタンで伝統的に好まれる家族制度は、合同ないし拡大家族なのである。自然に親族間、友人間のネットワーク が張りめぐらされてゆく。「ぼくの国、パパクの国」に面白いエピソードがある。主人公のカーン一家が「一四夜の月」という映画観に行くが、もう上映は終わっていて「教授」をやっていた。しかしその映画館の支配人はカーン一家の父親の甥で、その甥は従業員に命じて無理やり「教授」に代えて「一四夜の月」を上映させたのである。こんな無理が通るくらい一族の血縁は濃いのである。だが、それは助けにもなるが足かせにもなる。パキスタン人の子供は英語が不得意なものが多いそうだ。なぜなら英語を話さなくても生活できる大人たちの環境が、子供の代にも負の遺産として受け継がれてしまうからである。「ぼくの国、パパの国」で子供たちが英語を達者に話せるのは、妻がイギリス人で、ブラッドフォードに住むことを拒んでいるからである。
パキスタン人移民の人口の特徴は、白人と比べて若者が多いことである。25歳未満では白人がたったの32%なのに、パキスタン人では60%以上を占めている。何とバーミンガムの生徒の20%がパキスタン人だという。パキスタン人の間では、イギリスでも伝統的に早婚が行われている。離婚率は2%と信じられないほど低い。離婚率が大変低いことは、イギリスに住むインド人やバングラデシュ人にも共通している。南アジアの人々にとって、 離婚はあまり好ましいことではない。そのため通常、親族やコミュニティのメンバーから結婚を持続するように圧力がかかるのである。
結婚の93%がパキスタン人どうしのものであり、白人をパートナーにしている者は、パキスタン人女子の1.2%、男子の5%だけである。従って「やさしくキスをして」のケースや、「ぼくの国、パパの国」の両親のようなケースはまれな例である。だからこそ反発も強いのだ。
教育の面で悲惨なのは女子の場合だ。パキスタン人の女子の27%は、何の教育も受けたことがないという。伝統的な家父長制の下で、女子に教育は必要ないという文化に染まっているからだ。「訳者あとがき」にはさらにとんでもない記述がある。パンジャーブ地方の伝統的な農村部出身の女子には、教育の重要性の自覚もなければ、学校が何をするところかの明白なイメージすら欠けていることが多いと!またパキスタン人の生徒は自分の生活している地域の大学に入学を申請する傾向がある。親が身近に置きたがるのだろう。「やさしくキスをして」で、カシムの妹タハラが地元グラスゴーの大学ではなくエジンバラ大学に進学するのに親の強硬な反対を押し切らねばならなかったのは、そういう事情があるからだ。
71年の時点で、パキスタン人の大半は製造工場に雇用されていた。彼らの19%以上は繊維工場で働き、16%は金属加工工場や金属製造工場で働いた。いわゆる3K職場で、彼らは白人労働者の就かない仕事にのみ雇用されたのだ。興味深いのは住宅事情。1982年の全国調査によると、調査の対象となったパキスタン人の80%までが持ち家で、白人の59%を上回っている。しかし問題はその住宅の状態である。白人の多くが一戸建てのディタッチト・ハウスか2軒つながったセミディタッチト・ハウスに住んでいるのに対して、パキスタン人の所有している住宅の79%までがテラスト・ハウス(長屋式アパート)なのである。「ぼくの国、パパの国」の家族が住んでいた茶色のアパートがまさにそれである。彼らの住宅の81%までが1954年以前に建てられた建物で、44%までが1919年以前に建てられたものだ。つまり、パキスタン人の多くが住んでいるのは、近代的な設備を欠いた古い家なのである。「ぼくの国、パパの国」の家族が住んでいるアパートはバスもシャワーもなく、トイレは外にあった。夜はバケツで用をたす。また、パキスタン人は大家族主義なので、多くの場合すし詰め状態で生活している。これまた「ぼくの国、パパの国」の家族に当てはまる。夫婦と子供7人の彼らはすし詰め状態で暮らしていた。
1999年 イギリス 2001年1月公開
評価:★★★★☆
監督:ダミアン・オドネル
原題:East is East
原作・脚色:アューブ・カーン=ディン
撮影:チャオ・フェイ
出演:オーム・プリー、リンダ・バセット、ジョーダン・ルートリッジ、ジミ・ミストリー
イアン・アスピナル、アーチー・パンジャビ、ラージ・ジェイムズ、クリス・ビソン
レズリー・ニコル、ゲイリー・デイマー、エミル・マーワ、エマ・ライドル
東は東、西は西
「ぼくの国、パパの国」のテーマは明瞭である。それはまずタイトルに表れている。原題の”East is East” は、『ジャングル・ブック』や『少年キム』で知られるラドヤード・キップリングの詩The Ballad of East and West(「東と西の歌」)からとられている。“OH, East is East, and West is West, and never the twain shall meet”( ああ、東は東、西は西、両者の出会うことあらず)という有名な冒頭の1行である。東と西とは、ここではパキスタンとイギリス、さらにはパキスタンの伝統的生活や習慣を保持したい親の世代とイギリスの文化の中で育った子供たちの世代という相いれない二つの文化と考え方を指していると思われる。これこそまさに「ぼくの国、パパの国」のテーマである。親子あるいは夫婦間の対立は深刻だ。彼らは本気で怒鳴り合い、つかみ合い、殴り合っている。最後の最後まで対立は埋まらない。
安易な解決は見いだせないが、かと言ってとことん深刻で重苦しいだけのドラマというわけでもない。親子と夫婦の切れそうで切れない絆という問題が織り込まれているので、ファミリー・ドラマという側面もある。映画は基本的に子供たちの視点に立っているが、同時に妻や子供たちに理解されない父親の深い悲しみに思いをはせなければ、この映画を十分理解したことにはならない。彼を単なる頑固おやじ、父権的な暴君と受け止めるべきではない。この映画にはアン・リー監督の「父親3部作」(「推手」、「恋人たちの食卓」、「ウェディング・バンケット」)にも通じるテーマが隠れているのである。「ぼくの国、パパの国」の父親ジョージは確かにアン・リー監督の父親3部作の父親たちよりも頑固で因習的だが、それはイスラム教という宗教的信念とパキスタン人コミュニティという強固な枠組みにとらわれているからであり、移民として差別を受けてきた経験がイギリスの文化への警戒心を生み出してしまうからである。この映画を「スパングリッシュ」と比較することは意味がある。どちらも祖国を離れ外国に暮らしながらも、子供たちに自分の国の文化を忘れさせまいとする親の苦闘と苦悩が描かれている。何びとも自分が育った文化からは容易に抜け出すことはできない。そもそも自分の祖国の文化や考え方に誇りを持つことを誰が笑えようか。むしろ自分の国の文化よりも西洋文化をあがめたて、少しでも早く外国に馴化しようとする日本人の方こそ植民地意識丸出しである。西欧崇拝と植民地意識はコインの裏表である。
植民地問題は逆にイギリスの帝国主義意識も照らし出す。タイトルにキップリングの言葉を持ってきたのはここでも暗示的だ。キップリングの作品は、コンラッドの『闇の奥』や『ノストロモ』、E.M.フォースターの『インドへの道』、サマセット・モームの『カジュアリーナ・トリー』、ジョージ・オーウェルの『ビルマの日々』や『象を撃つ』などと並んで、帝国主義と文学を論じる時に必ず取り上げられる作品である。「麦の穂をゆらす風」はイギリスの帝国主義的支配とアイルランド人の独立闘争を描いたが、「ぼくの国、パパの国」は内なる帝国主義を描いている。移民排斥運動をぶち上げるパウエル議員の演説がテレビで映し出される。主人公たちのアパートの隣の部屋には移民に対する偏見むき出しの白人が住んでいる。移民への差別を描いた部分はだいぶカットされたようだが、われわれはそういう背景を行間に(コマ間に?)読み込んでこの映画を観なければならない。
監督のダミアン・オドネルがアイルランド人だということも偶然とは思えない。アイルランドもパキスタンもかつてイギリスの植民地だったのである。アイルランド人とパキスタン人、そうこれはまさしく「やさしくキスをして」の主人公二人の組み合わせなのだ。イギリスという、かつて帝国主義国家であり今でも階級社会的性質を残している国の映画や小説を理解するときには、帝国主義や階級意識を常に意識していなければならない。帝国主義と人種差別は常に一体である。作品のコアに社会に対する深く、鋭い洞察があったからこそ、現実の矛盾が生み出す人間の深い苦悩と葛藤を具体的に描いたからこそ、この映画は優れたドラマになったのである。
もう一つ重要なのはコメディ映画の側面である。随所にコミカルな場面が差しはさまれており、それが(最後まで解決が見出せないにもかかわらず)この作品に明るいタッチをもたらしている。「やさしくキスをして」とは違って、この作品には明るいトーンがある。親子の対立を描きながらも明るいトーンを持ちえたのは、最後まで家族の絆に信頼を置いて描いているからである。
「父親が決めた縁談に従うのが息子だ」
「ぼくの国、パパの国」は宗教的パレードから始まる。舞台となるマンチェスターのサル フォード地区は労働者が多く住んでいる地域。上に述べた、赤茶けたレンガ造りのテラスト・ハウスが建ち並んでいる。しかし良く見るとこのパレードはイスラム教のものではない。マリア像などを担いでいるのでどうやらカトリックのパレードらしい。そのパレードにカーン家の子供たちも参加している。そこへ母親のエラ(リンダ・バセット)が夫のジョージ(オーム・プリー)が戻ってきたと伝えるや、子供たちはあわてて列から抜け出す。父に見つからないように裏道を回り込み、母親が夫の気をそらしている間に後ろをそっと通り抜けてまた列に戻る。父親のジョージは楽しそうに異教徒のパレードを見ているが、よもや自分の子供たちがその中に加わっていようとは思っていない。
続いて長男ナジル(イアン・アスピナル)の結婚式の場面が描かれる。ナジルは式の衣装に着替える前に身を清めるのだが、なんとこれから身を沈めるバスタブに小便をしている。汚いという感覚が先立つが、むしろこれから行われる「神聖な儀式」を汚そうという意図だったのかもしれない。父親が伝統の衣装を息子に着せているが、息子は浮かない表情をしている。いよいよ花嫁との対面。どうやら双方ともそれが初対面のようだ。二人並んだあと共に隠していた顔をあらわにする。花嫁はまんざらでもなさそうだ。しかし花婿のナジルの表情はみるみる歪んでゆき、あろうことか「僕にはできない」と式場から逃げ出してしまう。呆然とたたずむ両親と先方の家族。次の場面で壁に掛けられた家族の写真が写り、そこから長男の写真が消える。
これら冒頭の二つのエピソードがこの映画の基調となるテーマを明確に示している。父親のジョージは敬虔なイスラム教徒であり、息子たちにもその伝統を受け継いでほしいと思っている。しかし彼らが住んでいるのはパキスタン移民が多いブラッドフォードではなく、白人の労働者街である。子供たちはイスラム文化ではなく白人の文化の中で育ち、それに溶け込もうとしている。母親とその妹のヘレンはクリスチャンで、子供たちをパレードに誘ったのはヘレンおばさんかもしれない(彼女もパレードに参加している)。子供たちは父親を心から嫌っているわけではないが、イギリスにいてもパキスタン人としての生き方を押しつけてくる彼には辟易している。モスクへも行きたがらず、ウルドゥ語もさっぱり話せない。両親が留守のすきにたばこを吸い、ソーセージとベーコンをこっそり食べている。
何といっても双方の考え方が大きく食い違うのは結婚である。父親は自分が見つけてきた「いい縁談」に子供たちは当然従うべきだと考えている。しかし、イギリス的考え方になじんでいる子供たちは、結婚の相手は自分で見つけたいと望んでいる。一生にかかわる重大事である。悩んだ末、長男のナジルは家族を捨てた。父親も長男は死んだものとみなしている。三男のタリク(ジミ・ミストリー)は「パキ(パキスタン人に対する蔑称)の女なんかと結婚するもんか」と宣言し、隣の移民嫌い男の娘ステラ(エマ・ライドル)と付き合っている。「私たちロミオとジュリエットね」というステラの言葉が端的に彼らの立場を表現している。もちろん父親も悩んでいる。「一族の顔に泥を塗った」と腹を立てながらも、ブラッドフォードに住んでいればこんなことにはならなかったと悔やんでいる。
父親は子供たちの反対を押し切って強引に伝統文化を守らせようとする。末っ子のサジ(ジョーダン・ルートリッジ)がまだ割礼を済ませていないと知ると、「恥をかいた」、「皮を切らないと地獄行きだ。清めねば」と、泣き叫ぶサジを病院に連れてゆき、無理やり手術を受けさせる。手術は成功したが、父は手術をした医師がインド人だと不機嫌だ。長年イギリスに住みながら、パキスタン人としての生き方や考え方をかたくなに守ろうとしている。しかし父親が子供たちに愛情を持っていないと解釈しては理解が浅くなってしまう。「一族の顔に泥を塗った」、あるいは「恥をかいた」という言葉が象徴的だ。彼の意識はパキスタン人コミュニティに向けられている。日本でいう世間体に近いが、それと全く同じではない。全く違う文化と伝統を持った外国で暮らすには、コミュニティの助けが必要なのである。そこから締め出されれば完全に孤立してしまう。彼はそれを心配しているのだろう。移民一世である彼はそれまでさんざん苦労してきたに違いない。苦労して学びとった生き方、それを信じて生きてゆくしかない。もちろん自分が育った文化を子供たちに伝えたいという気持ちもあるだろう。
長男の結婚式に腕時計を贈る彼の顔は誇らしげだ。息子もそれを喜ぶと信じて疑わない。決してただ頑固なだけの、愛情のかけらもない父親ではない。彼にとって悲劇だったのは、彼にはそれ以外の生き方や考え方ができなかったことであり、子供たちの考えが理解できなかったことである。一方子供たちの気持ちは複雑である。それを端的に表しているのは、自分たちは混血ではなく「ダブルなんだ」という言葉である。二つの文化の間に挟まれ思い悩む子供たち。家族の絆は断ちがたいが、親の考えを押し付けられるのは嫌だ。父親にすれば、差別されながら異国で生きるにはコミュニティの支えが必要だということになるが、子供たちはむしろイギリス文化に溶け込もうと必死だ(彼ら自身も差別を受けているのだが)。テレビで移民排斥派のパウエル議員が「移民の本国への送還と再定住の支援政策」をぶち上げているのを観て、息子の1人は「パパを送還してくれ」と茶化している。
母はかすがい
差別は深刻な問題だ。前述のように1971年当時は移民が爆発的に増えていた時代である。急激な変化にイギリス人も戸惑いと不快感を隠さない。カーン一家がブラッドフォード へ行った時、道路標識に書かれた「ブラッドフォード」の文字が落書きで「ブラディスタン」に書き換えられていた。しかしこの映画の中で差別問題はむしろコミカルに描かれている。サッカーが好きな長女ミーナ(アーチー・パンジャビ)は、誤ってサッカー・ボールで隣の家の窓ガラスを割ってしまう。隣家の親父は例の移民嫌い男だ。その窓には移民排斥主義者であるパウエル議員の写真が貼ってあったが、ボールは見事パウエル議員の顔の部分を打ち抜いていた。差別を描いた場面がかなりカットされたのは、このコミカルなタッチを崩したくなかったからだろう。その分甘口になったが、決して中心にある問題はあいまいにされていない。子供たちの反抗も多くはやんちゃな感じでコミカルに描かれている。しかし本格的な対立場面では真剣に怒鳴り合っている。父親は暴力まで振るっている。この映画の場合、シリアスな場面とコミカルな場面のさじ加減は成功していると思う。重すぎず、さりとて軽すぎず。見事にバランスの取れた構成だった。
この映画のクライマックスは、父親が無理やり二男のアブドゥル(ラージ・ジェイムズ)と三男のタリクを結婚させようとする場面とそれに続く深刻な対立の場面だ。ここで活躍するのが母親のエラである。イギリス人である彼女は一家の中で微妙な立場にあった。子供たちの不満に共感しながらも、イスラム教徒の妻として夫には一定の遠慮をしていた。彼女は二つに割れそうな家族の間に立って、バランスをとる役割を果たしていた。しかし、あくまで自分勝手に息子たちの結婚相手を選ぼうとする夫についに反抗し、殴られて目の周りに黒いあざを付けている。彼女はそのみっともない顔で花嫁の家族を迎えるのである。
その花嫁というのがとんでもなく不細工な娘たちだった。その二人の顔を見た瞬間、息子二人とエラの顔が凍りつく。その後のエラは大活躍だ。四男マニーア(エミル・マーワ)が「美術品」と称しているこれまたとんでもない「飛び道具」まで飛び出し、果ては花嫁花婿双方の母親が共にぶちぎれてしまう。「野蛮なハーフに娘はやりません。」「ハーフでもゲテモノの娘よりマシよ。」激しい言葉を投げつけあって、ついにエラは花嫁の家族を追い出してしまう。このあたりはどたばた喜劇調だ。その後にはより深刻な言い合いが続く。せっかくの縁談をぶち壊された父親は怒りが収まらない。「恥知らずな女め。一族の面汚しだ。」「恥知らずはあんたよ。自分の子の幸せも考えないで、父親の威厳を示すことばかり。あんたは最低の夫よ。それに最低の父親だわ。なのに認めもしない。」
そこまで言われて彼はさすがに落ち込んでしまう。「父さんは皆のためを。それだけなんだ。」打ちしおれて彼は外へ出てゆく。隣の移民嫌いおやじの息子アーネストが彼に「サラームおじさん」と声をかける。強調しておきたいのは、ラストはジョージとエラの言葉で終わることだ。自分の店(彼はフィッシュ&チップスの店を経営している)のカウンターでうなだれている夫にエラは「お茶でも入れましょうか?」と声をかける。ジョージはいつもの返事を返す。「カップに半分な」。このさりげない終わり方が実に秀逸だ。最後は親ないし夫婦の視点で終わっている。簡単な言葉を交わすだけで互いの気持ちを察することができる。あれだけ激しく喧嘩したのに、2人の距離は遠ざかっていない。若い頃の二人は2人で力を合わせてつらい時期を乗り越えてきたのだろう。
結局一人で空回りしていただけだったジョージ。うなだれる彼の姿には悲しみと失望感がにじみ出ている。映画が最後にこの姿を映したことには意味がある。彼を非難しているのではない。彼は彼なりに家族のことを想って行動したのだ。誰も悪意の人はいないのに家族に亀裂が入ってしまう。「やさしくキスをして」と同じだ。問題は個人ではない。文化と世代のギャップ。移民の大波が押し寄せてから10年がたち、イギリス生まれの若い世代の比率が高まってきた時期。多くの家族が遭遇した問題がそこにあった。父親の価値観はもはや子供の世代には簡単には受け入れられない。しかし同じパキスタン人を「パキ」と馬鹿にしている子供たちだって、自分たちのルーツから逃れられはしない。どんなに英語を達者に話し、ディスコで白人たちと一緒に踊ってみても、白人との溝は簡単には埋まらない。ただ変化の兆しもある。打ちひしがれたジョージに「サラームおじさん」と声をかけたアーネスト。移民の家族ばかりではない。イギリス人の家族にも新しい世代が生まれつつあるのだ。
激しい対立を経て親子と夫婦のきずなは強まったのか?それは分からないが、少なくともエラとジョージはまた微妙な距離を保ちながら夫婦であり続けるだろう。頭の固いジョージに対してエラは周りがよく見えている。ジョージがまたもや縁談を持ち込もうとした時、彼は妻のご機嫌を取ろうとしてプレゼントを買ってくる。何と床屋の椅子だ。リクライニングにもなるし座り心地が良いぞと言うジョージの意図をエラはとうにお見通しだった。「何を企んでるの?」と冷静に切り返す。さらにはこんなものに3ポンドも払ったのかと文句を言い出す始末。どうやら最終的な主導権は彼女が握っているようだ。
ジョージに殴られた後、エラは「一体家族って何?」とつぶやいた。この映画はイスラム教そのものを批判してはいない。しかし覆い隠しようのない男尊女卑の思想、父親の絶対的権威、これらが実は妻や子供たちばかりではなく父親自身も苦しめているという描き方には共感を覚える。つまるところ、この映画の価値はそこにあると言っても良い。この映画には語られていない部分がある。エラとジョージがどのように知り合い、どのような経過を経て結婚したのか。国には第一夫人もいる(エラは第二夫人)。確執もあっただろう。ジョージは息子のタリクを説得しようとして、イギリス女はたちが悪いと言い聞かせる。その時タリクは「イギリス女が悪いなら母さんは?」と切り返す。「それ以上は許さん!黙って言うことを聞け。分かったか。」突然父親は激昂する。この激しい怒りは何を意味しているのか。単に矛盾を突かれたということではなさそうだ。これ以上一家が白人の側に近づいたら完全にパキスタン人のコミュニティから締め出されてしまうと考えたのか。自分もさんざん苦労したから、同じ思いをさせたくないのか。なぜそれを息子に語らないのか。単純なように見えて、家族というのは複雑である。
10月6日から21日まで上田駅前、真田坂にある“キネマギャラリー幻灯舎”で「小林いと子人形展」が開かれている。9日に「幻灯舎講座」があり、上田フィルム・コミッションのK氏から吸血鬼映画の系譜について聞いた時に、会場に置いてある人形に魅せられた。その時はデジカメを持っていなかったので、今日改めて「取材」に行ってきた。
たまたま夕方に何かの会合があるらしく、テーブルが占領されているのでレイアウトが変わっていた。人形は全部で20数体あっただろうか。石膏で作られた顔の表情が一つひとつ違う。みんな素朴な顔だ。さまざまな姿勢をしているが、子守をしていたり、裁縫をしていたり、荷車を曳いていたりと、生活の中の一場面が取り上げられていることに好感を持った。子供と老人の人形が多い。作者の小林いと子さんの関心のありようが現れているのだろう。服もみな手作りで、着古した着物の端切れを使って仕立て直したものである。だから生地は上田紬や木綿の上田縞などしっかりしたものだ。昔の生活が匂ってくるような人形たちの姿と佇まい、本物の生地から伝わる温かみ。陽だまりのようなスペースだった。
特に気に入ったのは子供を背負った女の子、虫かごと網を持った子供、そして切り株の上に座っている男の子(どこかピーターパンを思わせる)。子供を背負った女の子を見ていて、東京にいたころ読んだ菅生浩の『子守学校』、『子守学校の女先生』、『さいなら子守学校』三部作(ポプラ社)を思い出した。実際に福島県にあった子守の小学生だけが通う珍しい学校を題材にした児童文学である。悲しい話が多かったが、忘れられない本だ。
小林いと子さんは1932年生まれ。実家は上田紬機屋である。農家に嫁ぎ3人の子供を育てた。和裁の技術は姑から習ったものだが、人形作りは独学だそうである。壁に掛けてある紹介文には、「物のない時代に大切に着続けてきた着物を形として残し、その心を伝えることができたら幸せです」という言葉が引用されている。まだ十代の頃に戦争を経験し、戦後は物のない時代を生きてきたはず。おそらく様々な苦労をされてきたに違いない。決して楽しい思い出ばかりではないはずだが、人形が表している生活の一こまには温もりが感じられる。子守学校だって悲しいエピソードばかりではなかった。物がないからこそみんなで分け合った。苦しみも悲しみも肩を寄せ合ってみんなで支え合った。黄色みがかった室内の照明が期せずして人形をセピア色に染め上げている。生活も、人生も、生涯も英語ではlifeで表せることがこれらの人形を見て理解できる気がした。
今日の午後、電気館で「夕凪の街 桜の国」を観てきた(悲しいことに観客はたったの4 人)。映画化の話題が出始めたころから期待していた映画だ。あの素晴らしい原作をどんなふうに映画にするのか楽しみにしていた。佐々部清監督作品はこれまでに「チルソクの夏」、「半落ち」、「カーテンコール」の3本を観た。いずれも評価すべき点を持ってはいるが傑作とは言えなかった。この「夕凪の街 桜の国」で彼はやっと傑作を生んだ。それが映画を観終わった後の率直な感想だった。
こうの史代の原作漫画を読んだのは「そら日記」(フリーソフト)によると2005年2月21日。感想は「評判どおりの傑作だった。単純な絵だがストーリーが優れている。余韻が残る」とだけしか書いてないが、非常に感動した記憶がある。その後彼女の漫画を何冊か買ったが、やはり『夕凪の街 桜の国』が一番すぐれていると思う。彼女の作品は、だいぶ前にたまたま中古マンガ専門店で見つけて買った三好銀の『三好さんとこの日曜日』(小学館)とよくタッチが似ていると感じた。もっとも僕が持っている女性漫画はごく僅かなので、この比較が的を射ているのかどうか分からないが。
原爆を描いた映画はこれまで新藤兼人監督の「原爆の子」(52)、ピアース&ケヴィン・ラファティ監督の「アトミック・カフェ」(82)、今村昌平監督の「黒い雨」(89)、黒木和雄監督の「TOMORROW/明日」(88)と「父と暮らせば」(04)などを観てきた。中沢啓治の『はだしのゲン』もそれが置いてある食堂に通い詰めて読み切った(食事に行ったのか『はだしのゲン』を読みに行ったのか分からないくらい夢中で読みふけった)。ほとんど観てはいないがアニメにも原爆関連の作品は多い。途切れることなく広島と長崎の惨禍は描き続けられてきた。偶然なのか、日系3世監督スティーヴン・オカザキの「ヒロシマナガサキ」も今年公開され評判になった。「夕凪の街 桜の国」はこれらの系譜に新たに付け加えられた傑作の1本である。
映画は原作の持ち味と香りをかなり丁寧に再現していた。原作は広島の原爆を扱った作品としては実にユニークだった。前半の「夕凪の街」編は被爆の体験も語られるが、悲惨さを前面に出さずヒロインの皆実の明るく軽やかな性格とその日常を中心に描いている。この軽やかさが新鮮だった。キャラクターとしてはかなり現代的な女性像が入り込んでいた。当時を知らない若い世代である作者の女性観が入り込んでいるが、それでいてリアリティに欠けるという感じを与えなかった。頑張らずにさらっと生きている姿になぜか引き込 まれた。もちろん焼け野原に転がる死体の上を歩いた経験なども描かれているが、全体に重苦しく悲痛な描き方というのではない。それでいて決して原爆の問題を避けて通ってはいない。むしろ皆実の心の中に隠された葛藤に焦点を当てることで正面から向き合っていた。映画では麻生久美子が幸薄い皆実を見事に演じていた。麻生久美子の顔はしばしばまるでガラスでできているように見えた。普段は陽気で明るく体が震えそうなほど美しいが、過去を振り返る時の彼女は無表情になる。今にも壊れそうなもろいガラスの仮面を付けているように見える。触れれば折れてしまいそうな危うさ。そんな皆実の軽やかさとはかなさを麻生久美子は見事に表現していた。彼女の代表作になるだろう。
後半の「桜の国」のパートは現代を描いている。主人公の七波は皆実の弟である旭の娘。彼女の代になるとまったく原爆のことなど意識していない。そんな彼女が不審な行動をとる父親を尾行することから、彼女の過去への旅が始まる。皆実に比べれば何の屈託もなく現代を生きている七波が、父と一緒に過去への旅をすることで自分の家族の歴史と原爆との関係を知ってゆく。そういう描き方が実に秀逸だった。21世紀に生きるわれわれにとって、その方がずっとリアルなのだ。広島の旅で七波は初めて父親やその家族の過去を知る。しかし決して深刻にも悲痛にもならない。さらっと描いている。電車で東京に戻る七波に重苦しさや暗い影はない。しかし確かに彼女の中の何かが変わった。
皆実の葛藤は「父と暮らせば」の美津江の「うしろめたさ」に通じるものがあった。彼女の父の「わしの分まで生きてちょんだいよー。」という言葉に彼女は前を向いて生きてゆく力を得た。同じような言葉が『夕凪の街 桜の国』にも出てくる。皆実の姉である霞が死に際に言った「皆実ちゃん長生きしいね」という言葉(映画では妹の翠のせりふになっている)。打越が皆実に言った「生きとってくれてありがとうな」という言葉。皆実はこの言葉を受け止めようとするが、その時すでに病魔は彼女の体を深く蝕んでいた。しかしその言葉はむなしく消え去りはしなかった。何十年かという時間のはざまを越えて、皆実の姪である七波にその言葉は伝わった。「父と暮らせば」では美津江という一人の女性を通して描かれていたものが、『夕凪の街 桜の国』そしてその映画化作品では皆実と七波という二人の女性を通して描かれているのである。
麻生久美子の存在感に比べるとどうしても引けをとるが、田中麗奈もさわやかだった。皆実の母を演じた藤村志保はさすがのうまさ。堺正章はやや物足りなかったが、中越典子が意外に良かった。
久しぶりに映画館で映画を観た。今年はまだ「リトル・ミス・サンシャイン」、「それでもボクはやってない」、「ドリームガールズ」と今回の「夕凪の街 桜の国」の4本だけ。ただ、10月20日から「ミス・ポター」と「天然コケッコー」の上映が予定されている。また11月の10日、11日には「うえだ城下町映画祭」が開催される。「あかね空」、「関の弥太っぺ」、「夢千代日記」はぜひ観たいと思っている。ようやく忙しい時期を過ぎ、少し余裕が持てるようになってきた。ここしばらく本格レビューを書いていない。そろそろ本格的に始動するか。
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この間「ぼくの国、パパの国」と「ボビー」を観た。「ぼくの国、パパの国」は6年ぶりに観たが、記憶していた以上に素晴らしい作品だった。「ボビー」は期待をはるかに上回る力作だった。途中までは退屈に感じる部分もあったが、暗殺直後の大混乱を映しだす画面にロバート・ケネディの演説をかぶせるラストはまさに圧巻。あの演説はキング牧師の有名な演説と並ぶ20世紀の名演説の一つである。言葉が力を持っていた時代、そして暴力が言葉を押しのけていった時代。60年代を描きながら実に今日的映画だった。
「夕凪の街 桜の国」 ★★★★☆
「ぼくの国、パパの国」 ★★★★☆
「ボビー」 ★★★★☆
午前中ちょっと時間が空いていたので駆け足で撮影に行ってきた。近場という以外に特に場所は決めていなかったが、ふと思いついて鴻の巣に行くことにした。行ったのは二度目だが、やっぱり間近に見るとかなりの奇観だ。茶色い岩肌がむき出しになり、それが風雨によって侵食されて急峻な崖になっている。足元には小砂利がたまり至極歩きにくい。足を滑らせないように気をつけながら近くまで登ってみる。よく海岸にある奇岩のように鋭く針のようにとがっている岩もある。岩といっても角の取れた丸い小砂利と砂の塊なので、恐らくひっかけばぼろぼろ崩れるのではないか(もちろん触ってはいないが)。ここはかつて海底だったところで、後に隆起してこんな様相を呈するようになった。よく探せば、砂利の間に貝が見つかるかもしれない。下から見上げると、空の青さと薄茶色の崖の色のコントラストが素晴らしい(快晴の日の上田は雲ひとつなく真っ青に晴れる)。
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鴻の巣(6枚)
今日は日差しが暑い。途中で上着を脱いでも体中汗だくになった。横の方に回り込むと遊歩道に出る。以前来た時にそっちにも行ってみたが、確か展望台まではいかなかったと思う。時間があれば展望台まで行って写真を撮ってみたかった。残念ながら今日は崖だけで我慢する。ここは深沢七郎原作『楢山節考』(ならやまぶしこう)の二度目の映画化作品(83年の今村昌平監督版、ただし僕は58年の木下恵介監督版しか観ていない)で、老人を谷底に突き落すシーンのロケ地になったところだ。突き落すシーンはテレビで何度か見たことがあるが、どのあたりで撮ったのかは分からなかった。そう言えば、その撮影の時放ったカラスがそのまま住みついてしまったという話を聞いたことがある。
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鴻の巣(3枚):断崖を見上げる、足もとに積る小砂利、案内板
その後「いにしえの丘公園」に行ってみた。このあたりは上田市の中でも独特の雰囲気があるところだ。上田には信州大学の繊維学部、長野大学(私立)、上田女子短期大学、県工科短大の4つの高等教育機関がある。そのうちの信州大学を除く3つが塩田地区に集中している。またそのあたりはリサーチパークと呼ばれる企業の研究所等が集中している地域でもある。信州の学海と呼ばれる塩田地区の中でも特に文教的雰囲気があり、またきれいに整備されているところで、ゆっくりと散歩するにはもってこいの場所である(坂道が多いのが玉に瑕だが)。いにしえの丘公園向かいの駐車場に車を停め、まずすぐその横に建っている旧宣教師館を写真に撮った。この建物は明治37年(1904年)にカナダ・メソジスト派新参町教会の婦人宣教師の住宅として、上田城跡に近い丸堀に建てられたが、平成5年に塩田地区にそっくり移設されたものである。移設されてすぐに中に入ったことがある。「アメリカン・コロニアル様式」の洋館で、室内は飾りすぎず実にシンプル。しかし細かい所に装飾が施されていて、アンティークな家具とよくマッチしていた。
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旧宣教師館(2枚)、いにしえの丘公園
いにしえの丘公園は古墳公園である。古墳時代後期(6-7世紀)頃に作られた塚穴原(つかあなはら)第1号、第2号古墳、他田塚(おさだづか)古墳の3基がある。インターネットで調べてみたら、他にも近辺には下之郷古墳群と呼ばれる古墳が40基ほどもあるらしい。そんなにあったのかと正直驚いた。公園の真ん中に前方後円墳をまねた塚が作られている。小さな公園だが、この一帯の雰囲気に合っていて和みのスポットになっている。
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いにしえの丘公園(6枚)、下段真中は他田塚古墳
その後駐車場の下にある「上田市技術研修センター」とその中にあるレストラン「リチェルカ」の写真を撮る。「リチェルカ」は眺めの素晴らしいテラスがあって女性に人気である。昼食時に行くとおばさん軍団に占領されていることは珍しくない。今日は写真だけ撮って素通り。隣の工科短大に行く。ここはうらやましいほど欝蒼とした緑に囲まれている。2、3枚写真を撮ってまたいにしえの丘公園の方に引き返す。今度はいにしえの丘公園前の坂道をさらに登って「マルチメディア情報センター」へ行く。ちょうど小学校の生徒がバス2台を連ねて見学に来ていた。ちょっと中を覗くと子供たちが楽しそうだったので、断って内部も撮らせてもらった。
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リチェルカ、工科短大、マルチメディア情報センター
ここも4、5枚写真を撮っただけですぐ出る。車に戻り帰ろうと思ったが、せっかくここまで来たのでついでに「ふるさとの森」にも行ってみることにした。「リチェルカ」のあたりから「マルチメディア情報センター」の横あたりまでがちょっとした散歩コースになっている。駐車場から旧宣教師館の裏側に入るとすぐ橋が見えた。細い川が流れているのだ。水量はいつ来てもわずか。ちょろちょろとしか流れていない。その橋の先にも小さな橋があった。小さくてなかなかかわいい橋だ。川に沿って上流側に歩いてみた。何か所かおかれている金属製の手すりには鳥の形の飾りがついていて、これがまたなかなかかわいい。散歩道には枯れ葉が積もり、あちこちにキノコが生えている。「マルチメディア情報センター」の横あたりには階段状に石を並べたスペースがある。野外コンサート会場のような作りだが、それにしては狭い。そこで何か催しが行われたとは聞かないし、前から何に使うのか不思議に思っていたところだ。そのあたりで散歩道は終わっている。短いコースだが、ちょっとぶらつくにはいいところだ。
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ふるさとの森(9枚)
気持ちよく晴れた日曜日。昼間久しぶりにCDを聞いた。シセル・シルシェブーの「シセル・イン・シンフォニー」。シセル・バンドも加わったアンダース・イーヤス指揮ノルウェー放 送オーケストラの演奏をバックに、クラシック曲やポピュラーソングを歌っている。プッチーニの「私のお父さん」と「ファイアー・イン・ユア・ハート」のノルウェー語ヴァージョンが特に印象に残った。いや驚いた。彼女がクラシックの修練を積んでいたことを不覚にも認識していなかった。彼女のCDは何枚も持っているので、他のCDにもクラシック曲が入っていたのかもしれないが、僕の意識の中にクラシック歌手としての彼女のイメージはまったくなかった。彼女のCDはほとんどどれも満点を付けたいほど気に入っているが、クラシックを歌う彼女は新しい発見だった。見事な発声とその透明な声にしばし魅了された。しかしどうして北欧の歌手はこうも透き通った声が出せるのか。デンマークのセシリア・ノービー、オランダ(正確には北欧ではないが)のフルーリーン。ジャズ界にも素晴らしい声の持ち主がいる。
「シセル・イン・シンフォニー」の解説から簡単に彼女のプロフィールをまとめてみよう。シセル(シセルとシセル・シルシェブーの両方の表記がある)は1969年ノルウェーのベルゲン生まれ。7歳で子供の聖歌隊で歌い始める。15歳の時テレビに初出演して、当時の憧れであったバーブラ・ストライサンドの曲を歌った。16歳の時デビュー作「シセル」をリリース。今ではノルウェーの国民的歌手である。94年のリレハンメル冬季オリンピックでは、開会式で「ファイアー・イン・ユア・ハート」を歌って世界的に知られるようになる。97年には映画「タイタニック」と出会い、サントラでヴォーカル曲を担当した。クラシック界との関連で言えば、プラシド・ドミンゴとツアーをし、ホセ・カレーラスとデュエットした経歴がある。
僕はリレハンメル冬季オリンピック当時すでに彼女の名前を知っていた記憶がある。レコード/CD記録ノートを調べてみたら、94年の9月17日に「ギフト・オブ・ラヴ」と「心のままに」を買っている。これが最初に買った彼女のCDだ。ということはオリンピックが開催された冬の時期にはまだCDを持っていなかったことになる。レコード評か何かで読んで、彼女の名前だけ知っていたということだろう。オリンピックで「ファイアー・イン・ユア・ハート」を聞いてすっかり気に入り、見つけたら買おうと思っていたということだと思われる。
僕が持っているシセルのCD8枚はどれも素晴らしい出来だ。参考までに評価点付きで下にリストを挙げておく。なお最近の「楽園にて」、「マイ・ハート」、DVD「シセル・イン・コンサート」などを手に入れたいのだが、近所の中古店ではまず見かけたことはないし、アマゾンでも2000円近い値(DVDは3000円台)が付いていて手が出ない。安くなるまでもう少し待つしかない。
「シセル・イン・シンフォニー」(01年) 5
「オール・グッド・シングズ」(00年) 4
「ザ・ベスト・オブ・シセル~ファイアー・イン・ユア・ハート」(98年) 5
「ザ・ベスト・オブ・シセル」(98年) 5
「アメイジング・グレイス」(94年) 5
「心のままに」(94年) 5
「森とフィヨルドの詩」(94年) 4
「ギフト・オブ・ラヴ」(93年) 5
シセルの歌を聞いてまた音楽好きの心がうずき出した。たまらず、今度はディー・ディー・ブリッジウォーターの古いレコードを引っ張り出す。というのも、1週間ほど前、新作の「レッド・アース」を中古店で衝動買いしたからだ。「レッド・アース」とはアフリカの大地のことだろう。最近アフリカ関連映画をよく観ていたし、ディー・ディーのCDは中古店ではめったに見かけることはないので、2000円以上したが禁を破って買ってしまった。マリの実力派ミュージシャンたちと組んだアフリカン・ジャズ&フュージョン版。素朴な太鼓の音がゴンゴンとリズムを刻み、何とも素朴だが力強い曲が流れてくる。時には単調ですらある曲調なのだが、聞くほどにリズムが体に染みこんできていつの間にかぐいぐい引き込まれてゆく。久々に聞いたアフリカ音楽だった。フェラ・クティ、ユッスー・ンドュール、サリフ・ケイタなど聞いていたのはもうだいぶ前だ。
「シセル・イン・シンフォニー」を聞いた余韻がこの「レッド・アース」の記憶をよみがえらせ、ほこりをかぶったレコードを引っ張り出させた。聞いたのは「ディー・ディー・ブリッジウォーター」。デビュー作「アフロ・ブルー」に次ぐ2作目。「ゴブリンのこれがおすすめ 37」(レディ・ソウルを楽しむ特集)を書いた時から、また聞き直したいと思いながら時間がなくて聞きそびれていたものだ。ブログにかまけて最近CDを聞く時間が極端に減ってしまった。買ったまままだ聞いていないCDが100枚以上あるというありさま(涙)。70~80年代に必死でかき集めたレコードに至っては、2000枚ほどあるにもかかわらず、滅多に聞くこともなく過去の遺物と化していた。
久々に聞いた「ディー・ディー・ブリッジウォーター」はやはり素晴らしかった。今では大物ジャズ歌手として知られるが、若い頃はソウルも歌っていた。若々しく力強い歌声、軽快な曲などは若い頃のナタリー・コールを彷彿とさせる。このレコードは何といってもジャケット写真が魅力的で昔からお気に入りだった。当時彼女は丸刈り頭だった(「アフロ・ブルー」のCDジャケット写真参照)。しかしここでは帽子が似合っている。CDタイトルは「私の肖像」。アマゾンで調べたら1万円近いとんでもない値がついていた。
「ディー・ディー・ブリッジウォーター」を堪能して勢いは止まらず、次いでデビュー作「アフロ・ブルー」を聞いた。これもレコード。CDではくりくり頭を披露しているが、僕の持っているレコードではジャケットにオーブリー・ビアズリーの挿絵が使われている。日本製作盤で、彼女はこの「アフロ・ブルー」を引っ下げて70年代のジャズ・ヴォーカル界に颯爽と登場したのである。さすが今聞いても新鮮だ。
「アフロ・ブルー」のライナー・ノートなどを基に、彼女についても簡単にプロフィールをまとめておこう。1950年5月27日、アメリカ・テネシー州メンフィス生まれ。名盤「ディア・エラ」で98年度グラミー賞「ベスト・ジャズヴォーカル・アルバム」賞を受賞。サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエ亡き後、今やジャズ・ヴォーカル界の大歌手である。
父親のマシュー・ゲリットはフィニアス・ニューボーンやブッカー・リトルやチャールズ・ロイ ドを指導した高校の音楽教師であり、ジャズ・トランペット奏者でもあった。5歳の頃のディー・ディーはよくレナ・ホーンやダイナ・ワシントンの物真似をしていたという。16歳の頃にナンシー・ウィルソンにあこがれる。16歳の時に父親のバンドで歌ったのが彼女の初舞台。70年に結婚したセシル・ブリッジウォーターもまた、父親がトランペッターで母親がピアニスト兼歌手という音楽一家育ちだった。自身もトランペット奏者だった。ディー・ディーは72~74年にサド・ジョーンズ=メル・ルイス・オーケストラで活躍する。レコード・デビュー作「アフロ・ブルー」以来15枚のアルバムを発表。僕が持っているのはその一部にすぎないが、どれも評価は高い。「ディス・イズ・ニュー」、「ディア・エラ」、「ディア・エラ・ライブ」が欲しいが、なかなか手に入らないのが残念。参考までに僕が持っているレコードとCDのリストを評価点付きで下に挙げておく。
「レッド・アース」(07年) 5
「シングズ・デューク・エリントン」(96年)
5
「“ラヴ”&“ピース”トリビュート・トゥ・ホレス・シルヴァー」(95年) 5
「ライヴ・イン・パリ」(87年)
5
「ディー・ディー・ブリッジウォーター」(76年)
5
「アフロ・ブルー」(74年)
4
なお、彼女のディスコグラフィーはこちらを参照。
「サン・ジャックへの道」
調べてみたら最近あまり新しいフランス映画を観ていない。フレンチ・フィルム・ノワール 関連で数本最近観直したが、新しい作品では「裏切りという名の犬」、「ぼくを葬る」、「ふたりの5つの分かれ路」、「みんな誰かの愛しい人」、「クレールの刺繍」、「皇帝ペンギン」、「コーラス」。06年までさかのぼってもこの程度だ。こんなに少なかったかと自分でも驚いている。やはり多いのはアメリカ映画で、日本映画もそれに迫るほど多い。この二つで最近観た映画の半分以上を占めるかもしれない。次いで多いのが中国映画とイギリス映画。それに続くのがフランス映画と韓国映画とドイツ映画で、後はぱらぱらといった状況。
「サン・ジャックへの道」はここ数年のフランス映画としては抜群の出来栄えだ。コリーヌ・セロー監督作品としては「ロシュアルドとジュリエット」、「女はみんな生きている」に続いて3本目に観た作品である。「ロシュアルドとジュリエット」はほとんど忘れてしまっているが、「女はみんな生きている」は傑作だと思った。したがって「サン・ジャックへの道」はかなり期待して観たが、フランス映画らしいとぼけた味わいの中に人生への前向きの姿勢がうかがえて素晴らしい出来だった。
巡礼という形をとったロード・ムービーだ。親の遺書によって子供たちが翻弄され、不本意ながら旅に出るという設定は「ラスト・マップ/真実を探して」とよく似ている。巡礼の旅という点では日本の「ロード88」やルイス・ブニュエルの名作「銀河」が思い浮かぶ。互いに対立し合い、バラバラだった兄弟が絆を取り戻してゆくという展開では、アメリカの「リトル・ミス・サンシャイン」や「トランスアメリカ」にもつながる。以前「漂流するアメリカの家族」という短い記事を書いたが、競争社会でのストレスに疲れ、生活の潤いや人間的絆を失いつつある現代人の孤独なありようを見直す作品はどの国でも増えているようだ。
仲の悪い兄弟が一緒に巡礼の旅に出て、喧嘩しながらも互いに絆を取り戻すという限りでは全くパターン通りの映画である。その枠組みに収まりながらもいかにしてありきたりの作品になることを防ぐのか。誰もが苦労するところである。「サン・ジャックへの道」は「リトル・ミス・サンシャイン」や「トランスアメリカ」とほぼ同じ戦略を選んだ。それぞれの登場人物に強烈な個性を与えることでストーリー展開にメリハリをつけるという戦略である。大概のフランス映画がそうだが、まあこの3兄弟のしゃべること、かしましいこと。亡き母の遺言状の内容を聞いて、3人とも巡礼などに行く気はないとまくしたてる。特に長男のピエールはものすごい勢いで喋りまくった。しかし次の場面では3人とも巡礼の旅に出ることになっている。このあたりの滑稽な展開は「ブロークン・フラワーズ」そっくりだ。とぼけた味わいも共通している。ピエールの人物造形はなかなかの傑作で、片時も携帯と薬を手放せない。それが薬がなくても旅を続けられるようになってゆく。そのあたりの変化がスムーズに描かれていて、さほど安易さを感じさせない。彼ら3人以外にも旅の仲間を加え、案内人も入れて総勢9人の旅にした設定も良い。大いびき3人男を登場させてドタバタ調にしてみたり、シュールな夢を挿入してみたりと様々な工夫をしている。
それでも「家族の再生」という枠組みからは出ていないのでパターン通りであることに違いはないが(途中で出てきた元気な若者があっさりへばってしまうあたりは展開がすぐに読めてしまう)、「ロード88」などに比べたらはるかに完成度は高い。同伴者たち(うち二人はアラブ人である)のエピソードも全体のテーマにうまく絡められている。この作品については本格的なレビューを書きたい。
「サン・ジャックへの道」レビュー
「長い散歩」
ほかにもう1本映画を観た。日本映画の「長い散歩」。これはある種の日本映画独特の「臭み」を持った映画ではある。「空中庭園」、「カミュなんて知らない」、「ニワトリはハダシだ」(背中に天使の羽を付けた子どもが出てくるところも共通している)、「赤目四十八瀧心中未遂」などが持つ独特の臭みだ。7、80年代の日本映画には多かったタイプ。「神々の深き欲望」(今村昌平監督)、「エロス+虐殺」(吉田喜重監督)や大島渚の作品あたりまでさかのぼれるかも知れない。この手の映画は人間の残虐な場面が異様に生々しく描かれる。
しかしこの映画のテーマは意外なほどストレートである。それは「サン・ジャックへの道」にも通じるテーマである。やはり人間回復がテーマなのだ。家庭を顧みず厳格な校長とし て生きてきた老人(緒形拳)のつぐないの旅。これまたロード・ムービーなのである。その男がだらしない母親に虐待されている少女(背中に天使の羽を付けているのが象徴的)を見かけて、その子を連れ去って二人で「わたあめのような雲が浮かび、白い鳥が飛んでいる空」を見る旅に出るのである。子育てに失敗し、妻を不幸にした男と、母親の愛情を知らずに生きてきた少女の出会いと旅。少女にとっては人間の優しさを知る旅であり、老人にとっては虚しかった自分の人生に意味を見出す旅だった。さちという少女(さちは「幸」と書くのだろうか。あまりに不幸だったさち)と出会い、彼女としばらくの間過ごすことで、初めて彼は人生を生きた。さちと二人で歩いた長い散歩。そう、この映画は平成版「生きる」なのだ。
なかなか優れた映画なのだが、「つぐない」という言葉の抽象性が気になる。彼の背負っていた「罪」とはどんなものかはっきりとは描かれない。結局は彼個人の罪意識の清算で終わっていると言えなくもない。だらしない母親は何ら変わらず同じ様にだらしなく生きている。さちのその後はなにも描かれない。重いテーマにまじめに取り組んではいるが、そのアプローチにはキム・ギドクの「春夏秋冬そして春」のような抽象的・観念的響きが感じられる。その点が残念だ。
エンディングで流れる、井上陽水の名曲をUAが独自の解釈で歌った「傘がない」が長く心に残った。
「サン・ジャックへの道」(コリーヌ・セロー監督、2005年、フランス)★★★★☆
「長い散歩」(奥田瑛二監督、2006年、日本)★★★★
2006年 アメリカ 2007年4月公開
評価:★★★★
監督:エドワード・ズウィック
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー
このところアフリカを舞台とした映画が激増している。アフリカ関連映画を集めた「ゴブリンのこれがおすすめ 36」から最近のものを挙げてみよう。
「ブラッド・ダイヤモンド」(06、エドワード・ズウィック監督、米)
「輝く夜明けに向かって」(06、フィリップ・ノイス監督、仏・英・南ア・米)
「ラスト・キング・オブ・スコットランド」(06、ケビン・マクドナルド監督、イギリス)
「エマニュエルの贈り物」(05、リサ・ラックス、ナンシー・スターン監督、アメリカ)
「ツォツィ」(05、ギャビン・フッド監督、英・南ア)
「ルワンダの涙」(05、マイケル・ケイトン=ジョーンズ監督、英・独)
「約束の旅路」(05、ラデュ・ミヘイレアニュ監督、フランス)
「ナイロビの蜂」(05、フェルナンド・メイレレス監督、イギリス)
「ロード・オブ・ウォー」(05、アンドリュー・ニコル監督、アメリカ)
「ダーウィンの悪夢」(04、フーベルト・ザウパー監督、 オーストリア・ベルギー・仏)
「母たちの村」(04、ウスマン・センベーヌ監督、セネガル他)
「ホテル・ルワンダ」(04年、テリー・ジョージ監督、南アフリカ・イギリス・イタリア)
「アマンドラ!希望の歌」(02、リー・ハーシュ監督、南アフリカ・アメリカ)
2000年以降の顕著な特徴はアフリカが「搾取と虐殺の大地」として描かれていることで ある(アフリカを舞台とした映画の簡単な系譜と流れは「ゴブリンのこれがおすすめ 36」参照)。「母たちの村」と「アマンドラ!希望の歌」を除けば、アフリカの人々は虐げられ搾取され、内戦で殺し合っている人々として描かれている。それはほとんどが西洋人の視点で描かれていることと関係していると思われる。西洋人がアフリカでいかに非道なことをしてきたが、ほとんどの映画がその実態を浮かび上がらせ、搾取や支配の構造を暴いてみせる。その点で力強い作品が並ぶ。しかし多くの場合アフリカ人は、逃げまどい、泣き叫び、あるいは無慈悲に殺し合う人々として描かれている。
「ブラッド・ダイヤモンド」を論じる上で以上のことをまず見ておくべきである。これまでの映画は非メジャー系が多かったが、ついにハリウッドもアフリカを舞台にした「社会派アクション」映画を作ってきた。はっきり言おう。紛争ダイヤモンドをめぐる搾取構造は確かに分かりやすく描かれているが、結局はいかにもアメリカ映画の作りになっている。派手な演出が目立ち、登場人物たちの白黒はあまりに単純に分けられている。反政府組織の連中はまるで無頼漢の集まりである。それこそランボーの映画を見ているようだ。ソロモン(ジャイモン・フンスー)の息子が父に銃を向ける場面も、彼が連れ去られ兵士として訓練を受ける段階で予想がついてしまう。ダニー(レオナルド・ディカプリオ)が死ぬ直前にマディ(ジェニファー・コネリー)に電話をかける泣かせのシーンなどはまるっきり「アルマゲドン」だ。この安易な作りがだいぶこの映画の価値を下げてしまっている。
ディカプリオの演技は出色で見事だと言っていいが、途中から「いい人間」に変ってしまう設定が安易である。最後までそれぞれ違う思惑を持ちながら共通の目標を追うという展開にすべきだった。「あの子が大人になればこの国は平和になり楽園になる」と信じて息子の救出に命をかけるソロモン役のジャイモン・フンスーも素晴らしい演技を見せてくれるが、地獄のような現状を描けば描くほど彼の願いは虚しく感じられてしまう。ジェニファー・コネリーに至っては自ら戦乱の中に飛び込んでゆく硬骨のジャーナリストらしさはかけらも感じられない。「ヴェロニカ・ゲリン」のケイト・ブランシェットの精悍さに比べたら、アフリカに遊びに来ているのかと思えてくるほどだ(ブランシェットもヴェロニカ本人に比べると美人過ぎるが)。
アフリカ人が血を流して掘り出した宝石類を西洋人が装飾品として買い求めるという関係は、「ココシリ」で描かれたチベットカモシカの毛皮取引と同じだが、作品の強烈さは「ココシリ」よりはるかに劣る。少年兵の悲劇もブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」(こちらは兵士ではなくギャングだが)ほどのインパクトはない。「ロード・オブ・ウォー」に比べれば、ダニー・アーチャーなどは武器密売人としては甘ちゃんの小物だ。
しかし「ブラッド・ダイヤモンド」をただのアクション映画だと片付けるつもりはない。欧米先進国によってアフリカの国がいい様に搾り取られている実態の一端が確かに暴かれている。「とうの昔に神はこの地を見捨ててる」というダニーの台詞はありきたりだが、「全国民がホームレスなんて」というマディーの台詞にはかなりのインパクトがあった。ソロモンを付け狙う片目の男の台詞、「俺は悪魔だろう。それは地獄にいるからだ。俺は地獄から出たい」も印象的だ。
せっかくいい題材を取り上げたのに、アメリカの大作映画の枠組みに嵌め込まれてしまった。問題なのは紛争ダイヤモンドだけではない。「石油が出なくてよかった」という言葉 が出てくるが、アフリカでは資源のある国ほど先進国の餌食にされ、紛争で国が乱れている。派手な演出に力を入れた分問題の掘り下げが浅くなってしまった。ダニーが言い放った「TIA(This is Africa)」という言葉は、アフリカではそんなことは当たり前だという意味で使われていた。それがアフリカだと。映画はその言葉にもうひとひねり加え、そんなダニーのような男たちが暗躍するアフリカの実態を描こうと試みた。アフリカの現状はこうなっているのだと。しかしストーリーはソロモンとダニーがいかに子供を取り戻し、彼らがいかに危機を脱出するかというサスペンスにシフトしてしまった。その分作品が軽くなってしまった。
アフリカを描くことにかけてはイギリスの方がはるかにアメリカを引き離している。「アラビアのロレンス」、「ズール戦争」、「遠い夜明け」、「ワールド・アパート」、「ナイロビの蜂」、「ラスト・キング・オブ・スコットランド」等々。しかしアパルトヘイトを倒したアフリカ人の熱い息吹を伝えたドキュメンタリーの傑作「アマンドラ!希望の歌」の監督はなんとアメリカ人だ。問題は国籍にあるのではない。アフリカとどう向き合い、どう描くかにある。