中国ばてばて旅行記07
去年とおととしの中国出張は内モンゴルのフフホトと大連へ行ったが、今年は青島と北京に行ってきた。もちろんどちらも初めて。9月17日(月)から20日(金)までの実質4日間の旅。行きも帰りも自宅と空港の間は長距離タクシーを利用した。これが最悪。出発は夜中の2時半!とても車の中では眠れない。帰りは10時に空港を出発し家に着いたのがやはり夜中の2時過ぎ。やはり眠れない。終始強行軍の日程でいやはやとても疲れました。いつもなら旅行中は毎日日記を書くのですが、今回は現地で書いたのは前半の二日分だけで、残りの二日間は日本に帰ってきてからやっと書き足すという始末。そういう事情なので今回は今までのように2回に分けて書くほどの話題はありません。写真も前2回の中国旅行や3月の韓国旅行の半分も撮っていません。1回で済ませます。
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見物した場所も多くはないので、時系列に沿って日記風に書いてゆくことにする。最初に行ったのは青島。青島海情大酒店というホテルに泊まった。このホテルがユニークな作りだった。客室部分はロの字型になっており、真ん中が大きな吹き抜けになっている。1階部分には店が並んでいる。そこまで行っている時間はなかったが、上からのぞいた感じでは中国風の空間でおおいに興味を惹かれた。部屋は広くはないが、悪くなかった。しかしシャワーが使いにくい。お湯の出が悪いうえに、カランとシャワーの切り替え方が分かりにくい。なんと蛇口の先端部分の出っ張りをつまんで思いっきり下に引くのである。しかもその蛇口がかなり低い所についているので、かがんで作業しなければならない。ガタンと音がしてシャワーに切り替わる。それにしても、どうして外国のシャワーはこうも使いにくいのか。日本ではどこの家庭にもある普通のシャワーがとんでもないぜいたく品に思えてくる。イギリスでも相当な年代物が現役で頑張っているが、中国のものはもっと使いにくい。バスタブがないタイプが多い。これには2年前に最初見たときびっくりした。まあ、ホテルではシャワーしか使わないから風呂がなくてもいいが、ガラスの仕切りの奥にがらんとした何もない空間があるのは日本人の目には異様に映る。バスルームではなく最初からシャワールームだと考えればいいのかもしれない。
<写真>
青島海情大酒店(客室部分、ホテルのフロント)
青島は、大連のある遼東半島の反対側、海を挟んで向かい合う山東半島の付け根近くにある街である。人口710万人(うち市区人口237万人)というから日本の感覚では大都会だ。1898年にドイツの租借地となった関係から、街並みが西洋風でとてもきれいだ。建物の屋根が赤(橙色?)で統一されていて、海の青、山の緑と合わせて三色がシンボルカラーらしい。青島は北京オリンピックではヨット競技の会場になるため、海岸地帯はきれいに整備されている。現地の人の話では昔は小さな漁村があったらしいが、今は跡形もない。車の移動が多くあまり歩く時間がなかったので、街並みを撮った写真がほとんどない。それが残念でならない。この街並みと有名な青島ビールがドイツの置き土産である。滞在した4日間ずっと青島ビールにお世話になりっぱなしだった。
山がまた独特だ。木の生え方がまばらで、木々の間から岩肌が見えている。どことなく秋芳洞のような感じだ。ところどころ山が削られたようになっているが、あれは山を切り崩して家を建てるためだと説明を受けた。1年ぶりに行くと景色が一変しているのが今の中国。前回来た時には山だった所に家が建っているというのは日本ではほとんど考えられない。今年2年ぶりに大連へ行った同僚はあまりの変化にあっけにとられたそうである。それにしても、どうしてこんなに早く道路や建物が作れるのか。地震がないからいいものの、鉄筋なんかろくに入っていないんじゃないか。姉歯建築士も中国なら摘発されずに済んだだろうな。
<写真>
青島の風景
夜は海岸のすぐ横にあるレストランに案内された。何回か乾杯したが、フフホトのように強引にはやらない。70度のパイチュウを小さなお猪口に1杯勧められただけだ。これはさすがにきつかった。後は4日間ずっと青島ビール。去年のように二日酔いにならずに済んだ。料理は、とにかくテーブルにあいている場所がなくなるくらいたくさんの皿が出る。それが中国式だ。ある中国人が初めて日本でそばを食べた時、テーブルにそばしか出てこないのに面食らったと言っていた。日本人の食事はこんなに貧しいのかと思ったそうである。皿がテーブルを埋め尽くす壮観を見ればそりゃそうだろうと納得する。庶民的な店でも、値段はともかく皿は結構どのテーブルにもたくさん並んでいた。ただ、料理の味に関して言えば、中華料理独特の匂いがして必ずしもすべてがおいしいとは思わなかった。去年まではどれもおいしいと思って食べていたが、あれは前もって香草を入れないように頼んであったのかもしれない。タイ料理ほどではないが、あの匂いにはなかなか慣れない。
翌日、海岸へ案内された。昨日夕食を食べたレストランのある所だ。すぐ横が海でクルーザーがたくさん停泊していた。そこで何枚か写真をとる。埠頭にマルコポーロやコロンブスなど何体かの像が立っていた。ホテルも海のすぐそばだったが、時間がなくて海まで行けなかった。ほんの束の間だったが海が見られたのはうれしかった。トラファルガー・スクエアのネルソン提督記念碑のような高いマストの上に立っている銅像(人物はだれか分からない)と貝殻をかたどった灯台が印象的だった。
<写真>
青島の海岸
北京では北京昌平商務会館というホテルに泊まった。「商務会館」という名前が気になり、本当にホテルなのかと心配していたが、行ってみると正面に大きくビジネスホテルと英語で書いてあった。そうか「商務会館」とはビジネスホテルという意味だったのか。しかしまあ中国は広い。飛行機でちょっと移動すれば全く違う風土の場所に着く。青島は坂が多いので自転車はほとんど走っていなかった。車の量も歩行者の数も多くはなく、ここなら自分でも運転できると思ったほどだ。ところが北京はまさに別世界。車と人と自転車が入り混じる混乱した道路。あちこちでクラクションがけたたましく鳴り響いている。そうそう、これでこそ中国。混雑と喧騒、混乱と活力、ベンツの横を日本ではまず見かけない年代物の三輪車やぼろぼろの輪タクが走っている街。青島が高級住宅地のイメージなら北京は(少なくとも僕らが行ったその北の外れは)庶民の街だった。ビジネスホテルだけあって翌朝何かの会合があるらしく三々五々と客が入ってきたが、ビシビシ仕事をこなすビジネスマンというよりは近所のおっちゃんたちという感じだった。
正確な場所は分からないが、北京昌平商務会館は北京の北はずれにある。空港から高速を使っても1時間近くかかった。タクシーの運転手もこの辺は不案内なのか、何回も携帯でホテルにかけて道を聞き直していた。一度は間違えてUターンしたほどだ。とにかく周りは工場などが並んでいる地区で、見事に何もない。夕食を食べに行こうにもホテルの並びには店一つない。かと言って、疲れているのでタクシーで街中に出て行く気力もなかった。仕方がないのでホテルのレストランで食事した。中国語がまったくできないし、向こうは日本語も英語も分からないので苦労したが、幸いメニューには写真と英語の説明がついていたので何とか注文はできた。
部屋は全部個室のようだ。若い女の子が3、4人ついている。みんなかわいい子たちだが、こちらがなかなか注文を決めないのでだいぶイライラしていたのではないか。何でもうまいと言う同僚Aと中国の食べ物は口に合わないという同僚Bの攻防が長々と続いた。僕は疲れているので何でもいいから早く決めてくれという心境。さんざん時間をかけて食べきれないほど注文した。ここの料理もにおいはきついが食べられないものはなかった。また青島ビールをガンガン飲んだ。これだけは確かにうまい。
翌日の昼食は先方の案内で、近くの田舎の家を改造したレストランで食べた。民家は何の変哲もない長方形の建物だが、その横に別の木造の小屋(壁がないので巨大な東屋のような感じ)のようなものが建っている。民家の中で食べるか外(つまり東屋の方)で食べるかと聞かれたので、迷わず外にした(民家の中も見たかったと後で思ったが)。料理はやはり匂いが強かったが、結構おいしく食べられた。こんな田舎料理は旅行者ではめったに食べられないようだ。確かに客は地元の人たちばかりで、観光客はほとんどいなかったと思う。うどんのようなものが最後に出た。日本のうどんのような麺は中国にはないと思っていたが、やはりあるんだ。
<写真>
田舎家、東屋、東屋の内部
食事の後、「明の13陵」の一つ定陵に案内された。観光らしい観光はこれだけだった。案内した人も初めて行ったと言っていた。「明の13陵」とは明朝歴代13人の帝が葬られている13の陵墓のことである。かなり広い範囲にわたって転々と所在している。定陵の規模は長陵に次いで2番目に大きい。第13代万暦帝と2人の皇后、孝端、孝靖が葬られている。歩いている時は広すぎて分からなかったが、山一帯が皇帝の陵となっているらしい。観光用に公開されているのは、定陵、長陵、昭陵の3ヶ所と陵道である神路だけである。定陵は定陵博物館、稜恩門、稜恩殿、賢星門、明楼、宝城、地下宮殿などからなる。1590年に完成したということだから、400年以上前の建造物である。
<写真>
定陵:左から博物館、正面の門、見取り図
駐車場から敷地内に入ると、まず右手に博物館がある。正面には鮮やかな金色の屋根に赤い壁の門。皇帝の建物はすべて金色の屋根なのだそうである。左手には13陵の見取り図がある。門をくぐると先の方に階段がある。階段の真中は皇帝だけが通れるところで竜などの彫刻が施してある。皇帝はかごに担がれているのでそこは平らな斜面で階段にはなっていない。その両側に階段があり、かごを担ぐ人やわれわれ庶民はそこを登らなければならない。その先の門をくぐると正面に大きな建物が視界を遮るようにしてそそり立っている。それが明楼である。その下を右に行って地下宮殿の方に進んだ。地下宮殿という名前にだいぶ期待したが、ただ洞窟があるだけという感じでがっかり。写真も撮らなかった。地下宮殿を出て、明楼から下界を眺める。さすがにすごい眺めだ。楼の中にはモノリスのような記念碑が建っている。かなり広い敷地だが、案内してくれた女性は「ここは狭い」と言っていた。これを聞いて、中国人の広さに関する感覚は日本人のそれとは相当に異なると実感した。
<写真>
皇帝の階段、明楼、明楼の記念碑
中国滞在最後の日はどこにも行く余裕はなかった。4人の女性と一緒に昼食をとったのが一番楽しい思い出である。彼女たちはいろいろと日本人の舌に気を使ってくれたのか、中国料理が苦手な同僚Bも結構おいしいと言って喜んで食べていた。一番驚いたのは不思議な形のパンのような食べ物。名前は忘れたが、材料をそばのようにこねて丸めてから、ちぎるようにして引っ張って作るらしい。見た目には削りたての鰹節のような感じだ。平べったく長い形になる。これが何ともおいしかった。味はパンに近い。気に入って一人で結構食べてしまった。他にもたくさん料理が出た。中国はとにかくたくさんの数の料理が出る。いちいち覚えていられない。何度も食べる前に写真を撮ればよかったと思うのだが、そう思うのはいつも食べてしまってから。写真より食べる方に神経が行ってしまう。情けない。
<写真>
明楼からの眺め、城壁のような通路、赤い壁と柿の木(とんでもなく大きい)
<追記>
そうそう、忘れていました。気になっていて中国の人に聞いて確かめてみたことが一つあります。「孔雀 我が家の風景」で家族がそろってアパートの通路で食事をしている光景、あの不思議な光景について尋ねてみたのです。その方が言うには、中国の田舎ではよく見かける光景なのだそうです。なにもあんな人が行き来する通路で食べなくてもと思うのですが、文化や習慣の違いというのは面白いものですね。
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