2006年 中国 2007年2月公開
評価:★★★★☆
監督:クー・チャンウェイ
製作:ドン・ピン、クー・チャンウェイ
脚本:リー・チャン
音楽:ペン・ドウ
出演:チャン・チンチュー、ファン・リー、ルゥ・ユウライ、フォアン・メイイン
チャオ・イーウェイ、リウ・レイ、ユィ・シャオウェイ、ワン・ラン
シー・ジュンホイ、アン・ジン、リウ・グオナン、ワン・インジエ
ヅォン・ビン、
ヤン・モン、リー・ウェンイン、ゴン・ナー、ワン・トン
監督のクー・チャンウェイは中国でもっとも有名な撮影監督であった。「子供たちの王様」
(87)、「紅いコーリャン」(87)、「菊豆」(90)、「さらば、わが愛/覇王別姫」(93)、「太陽の少年」(94)、「鬼が来た!」(00)あたりが代表作となるだろうが、いずれも中国映画を代表する傑作ぞろいである。「紅いコーリャン」と「菊豆」の赤や黄色を大胆に強調した鮮烈な映像も記憶に生々しいが、何といってもチェン・カイコー監督と組んだ「子供たちの王様」での音と映像をあえてずらした実験的撮影方法は新鮮だった。豊田利晃監督の「空中庭園」がいい例だが、奇抜な映像がいたずらに目立つのは却って嫌味になってしまうものだ。しかし「子供たちの王様」の場合、その映像は実に自然で、作品世界とむしろ溶け合っていて効果的だった。
「孔雀 我が家の風景」はクー・チャンウェイの監督第1作である。俳優から監督業に進出する場合と違って、撮影監督から監督になって成功する例は多くない。撮影監督の場合、どうしても個々の場面に関心が向き、ドラマの展開という線的なつながりを意識するのは苦手なようだ。同じく撮影監督から監督に転向したホウ・ヨン監督の「ジャスミンの花開く」の場合、かなり色彩を意識した画面を作っていたが、3世代にわたる女性の家系を描いた映画なのに案の定さっぱり時間の流れが感じられなかった。どんなに映像に凝っても、ドラマそのものに厚みがないのではすぐれた作品にはなりえない。撮影監督としても監督としても一流の才能を持っているチャン・イーモウのような人はそうそう出てこないものである。
「孔雀 我が家の風景」は登場人物への感情移入を意識的に避け、淡々と描いている。説明的な描写を極力排している。ストーリーの展開でぐいぐい観客を引っ張ってゆくという作風ではない。しかしそれでいて人物描写や生活感の醸成が貧弱だという印象はない。では、いかにしてこの映画のリアリティは成り立っているのか。たとえて言えば、クー・チャンウェイ監督はスーラの絵画のような点描画の手法を使ったのである。切れ切れの断片的記憶を紡いでゆく手法だ。一応全体は3部構成になっており、それぞれウェイホン、ウェイクオ、ウェイチャンというカオ一家の兄弟3人が各パートの中心になっている。しかしそれぞれのパートは明確に分けられてはいない。いつの間にか次のパートに移行しているというつなぎ方をしている。しかも、それぞれのエピソードがぶつぶつ切れて飛んでおり、前後につながりがない。この断片的エピソードの塊の間にテラスでの食事風景という印象的な映像を挿入して家族のつながりを暗示し、さらにその上にウェイチャンのナレーションをかぶせている。こうして、全体を通してみるとある輪郭を持った「家族の肖像画」がキャンバスに浮かび上がってくるのだ。それはかつてどこにでもあった我が家の原風景であった。クー・チャンウェイ監督はこうして撮影監督として積んだキャリアの強みを生かし、断片的ではあるがリアルな生活感にあふれた、新鮮なタッチの作風を作り出したのである。人生は滔々と流れる川の様なものかもしれないが、記憶として残っているのは切れ切れで、時間配列のあいまいな想い出の集まりなのである。思い出という描かれた対象と点描画的な描出方法が見事に一致している。「孔雀 我が家の風景」が成功した第一の理由はここにある。
「家族そろって夕飯を食べた70年代の夏の光景を思うたび、僕の胸は感傷にうずく。今も多くの老人たちが覚えている、僕ら兄弟3人の物語を。」カオ一家の次男であるウェイチャンのナレーションは感傷的な響きを帯びている。しかし語りのノスタルジックな枠組みと語られた悲しい現実との間には大きなギャップがある。愁いを含み、過ぎ去りし日々を懐かしむノスタルジックなナレーションや音楽にもかかわらず、そこに語られたことの多くは悲しく、貧しく、潤いの少ない人生だった。時代は1970年代。文革が終わって間もないころ。映し出されるのは薄汚れた石壁の家々とそこで営まれていた貧しい生活。これといった将来の希望もなく、生きるにはつらい時代だった。「僕の胸は感傷にうずく」という言葉とは裏腹に、その想い出は苦くて辛い。決して舌触りのいいものではなかった。「孔雀 我が家の風景」はただ甘いノスタルジーに浸る映画ではない。
最初に焦点があてられるのは次女のウェイホン(チャン・チンチュー)である。彼女のエ
ピソードでまず印象的なのは家の屋上に寝転がって空を見上げるシーンだ。台所で切った野菜(芋?)が並べて干してあり、そばにはシーツもたくさん干してある。生活のにおいに取り囲まれながら、彼女の心は別の所に飛んでいる。中島みゆきの「この空を飛べたら」という名曲がある。空を飛ぶという願い、それは自由への願いであり現実から抜け出したいという渇望を示している。彼女には何もなかった。やりがいのある仕事、愛し合うべき恋人、打ち込んで実現すべき夢。彼女にはどれもない。10年続いた文革が終わって、ふと気付いたら心の中にあるのは空虚感だった。苦しい時代が終わり、ようやく新しい時代に向けて歩み始めたばかりの混乱期。ウェイホンは何よりも自分自身を見出せないでいた。彼女にあるのは今の境遇から抜け出したいという漠然とした願望だけだった。
何かを求めるように空を見上げていた時、大空に花開くパラシュートが目に入った。人も空を飛べる!矢も盾も止まらず、ウェイホンは自転車に飛び乗り原っぱへ向かう。空から降りてきた訓練兵たちのうれしそうな顔。そして目の前に降り立った若い男の兵士に心を奪われてしまう。 彼のパラシュートがウェイホンの体にかぶさる。まるで幸せに包まれた感覚だったのだろうか。面白くもないビン洗いや幼稚園の仕事。潤いのない生活に倦み果てていた彼女は、「空を飛ぶ夢」に飛びつく。彼女は行動した。これは大事なことだ。ただじっと我慢し、心の中で夢を追っていたのではない。彼女は夢を求めて行動した。しかし彼女の夢はどれも実現しなかった。
原因はおそらく彼女自身にあった。彼女が抱いた夢の質にあった。何も夢を持てなかった文革時代の反動で、彼女は夢そのものを夢見ていたのである。身の丈に合わない夢だったというだけではない。彼女が追い求めていたのは鬱屈した彼女の心の中で膨らんでいった抽象的な願望だった。ああ、こんな狭苦しい地上を離れて、大空を自由に飛び回りたい。誰にでも理解できる夢だが、彼女の願望はおそらく軍隊に入隊できても満足できるものではなかった。すぐパラシュート訓練にも飽きて、今度は息苦しい軍隊から逃れたいと思っていただろう。彼女の夢はむしろ夢想であって、「現実逃避」が形を変えたものだったのではないか。だから何をやっても満足できないのだ。地に足がついていなかった。
満足できないから次々に目標を変える。軍隊に入隊できないと分かると、青い布を使って自分でパラシュートを縫い、自転車にパラシュートを付けて町を走り回る。中年の男が弾くアコーディオンの音に魅せられて、義理の父になってくれとその男に迫る。
確たる目標を持たない彼女はいたずらに迷走するばかり。結局彼女はシャオワンという堅実そうだが平凡な男と結婚することになる。映画はそういう彼女を冷静に突き放して描いている。決し
て彼女に感情移入させない。むしろ彼女の唐突な行動に戸惑いを覚えるくらいだ。しかし、重要なことは、それでもわれわれは彼女に惹かれてしまうということだ。その象徴的なシーンは青いパラシュートを引いて自転車で走るシーンだ。誰もがこのシーンに言及する。それだけ印象的なのである。パラシュートの青い色が鮮やかだということだけがその理由ではない。パラシュートを引いて走っている彼女は輝いていた。本当にうれしそうだった。その時彼女は空を飛んでいたのである。人は夢や希望なしには生きてゆけない。たとえそれがどんなに手の届かない夢であっても。顔を輝かせ嬉しそうにパラシュートを引いて走っている彼女の姿に、なんとか自由になりたい、もっと潤いのある生活をしたいという彼女のひたむきな願いを感じるからこそ、このシーンがわれわれの胸に迫ってくるのである。その彼女の願いが実現しなかったのは、自分が何を求めているか彼女自身にも分からなかったからだ。文革が終わり、突然戻ってきた自由。しかし道が開けたとたん、どの道を選ぶのか自分で選択しなくてはならなくなった。自由の前で彼女は戸惑っていた。自由への渇望だけが空回りしていた。しかも小さな田舎町、望んでも手に入るものは多くはない。彼女の願望は行き場がなかった。
次に長男のウェイクオ(ファン・リー)のエピソードに移ってゆくが、その前に家族で食事をする光景がまた写される。上で引用したナレーションはここで流されたものだ。アパートのテラス状の通路で食事をするという光景は日本ではまず見かけないものだ。他人に見られながら食事をするのでは落ち着かないだろうと日本人は思うが、それでもどこかほのぼのしたものを感じる。それはおそらく家族で食卓を囲むという姿が一家団欒のイメージと重なっているからだろう。テレビのホーム・ドラマには必ず食事のシーンが出てくる。核家族化が進んだ現在ではむしろフィクションだが、それでも一家団欒のシーンにはある安らぎを感じざるを得ない。そのほのぼの気分をノスタルジックなナレーションがさらにあおる。
しかし、その後に描かれるウェイクオのエピソードはこれまた「ほのぼの」というイメージからは程遠いものだった。ウェイクオは巨漢で丸々と太っている。ひときわ体が大きいので、最初彼が一家の父親かと思ったほどだ。よく見ると父親は隅の方で小さく体を丸めている。ウェイクオは知的障害を持っている。しかし長男でもあるし、また障害を持っているだけに両親は彼にばかり気を使っている。
このパートは彼が自転車に乗る練習をしているところから始まる。妹は軽々と自転車を飛ばしていたが、兄はふらふらとしてうまく乗れない。何をやっても思い通りいかないという点では妹と同じだが、ウェイクオの場合全く屈託がない。人が良く、馬鹿にされていてもそれに気づいていない。多くを望まないから、ちょっとしたことで満足している。
その典型的なエピソードは製粉工場で働いている場面だ。体が大きいので力仕事をしている。他人の分まで代わりに働いて、お礼にタバコをもらって満足していた。柳行李のようなものに押し込められて、中で寝ていたりする。仕事仲間にからかわれているのだが、自分ではそれに気づいていない。帰りが遅いので心配して探しに来た父親に僕の稼ぎだとタバコを差し出すが、父は怒ってそれを叩き捨てる。ウェイクオは父に見下されたと感じがっくりきている。「お前に損をさせたくないの」と慰める母。しかしウェイクオは損してないと言い返す。
それでも両親は長男である彼を一番かわいがっている。飴を家族で分け合う場面が出てくるが、父親が自分の分け前の一部をウェイクオに差し出すので、仕方なく弟と妹も差し出す。ウェイクオが一番多く飴をもらった。弟はこの兄の存在を疎ましく思っている。しかし妹のウェイホンは自分が結婚することになった時、「結婚用に取っておいて」と母親からもらった時計を兄に渡している。あるいは兄が仕事仲間にいたずらされて泡を吹いて倒れた時には、人に頼んで仕返しをしてもらった。ふらふらしているウェイホンだが、彼女は優しい娘なのだ。
一方、弟のウェイチャンはウェイクオが兄であることを学校ではひたすら隠そうとしていた。次のエピソードは強烈である。優しい兄はある雨の日、学校にいる弟に傘を持ってゆく。教室にいきなり入ってゆくところが彼らしくて可笑しい。だが弟のウェイチャンは彼を自分の兄ではないと否定するのだ。恥ずかしそうに下を向いて顔を隠している。兄はそれを聞いて黙って傘を置いて教室を出る。ある生徒が残酷なことを言ったのはその後だ。「その人知ってます。ウェイチャンの兄“ブタの角煮“です。」
教室を出たウェイクオは女性の歌声に惹かれて女子トイレの前で歌を聞いていた。トイレから出てきた女子生徒に痴漢と間違えられ、大騒ぎとなる。みんなに取り囲まれて殴られるウェイクオ。弟はこん奴兄じゃないと言って傘の先で兄を突き刺す。このシーンは観ていて腹が立った。生徒たちがウェイクオを袋だたきにしたことに対してではなく、弟の卑劣さと卑屈さに対して。弟の性格が情け容赦なくあぶり出されている。
周りから散々馬鹿にされ、いじめられてきたウェイクオだが、彼のパートが実は一番感動的なのである。彼にはメイリンという好きな女性がいた。もちろん相手は彼のことなど気にも留めていない。それでもウェイクオはひまわりを持ってメイリンに話しかける。そのひまわりのでっかいこと!もちろん相手にはされない。あんな大きなひまわりを持ってゆくなど常識外れだが、そのひまわりに込めた彼の気持ちが可愛く、また切ない。ウェイホンのパラシュートのシーンを想わせるいい場面だ。
しかしその後に来るエピソードはより感動的である。彼を持て余した両親は福祉作業所に入れてしまおうかなどと相談したりもするが、縁があってやはり障害を持ったジンジイと見合いをさせることになる。2人は互いに気に入って結婚することになる。街に住めるだけでうれしいというジンジイの台詞が実に印象的だ。彼女もつらい人生を送ってきた。彼女の親は兄と弟ばかりかわいがっていた。子供のころ彼女が足をけがした時も、治療費をケチったためけがは治らなかったというのだ。
彼女は昔からそんなに太っていたのかとウェイクオに聞く。彼も子供のころ病気をしたためにそんな体になってしまったのだ。同じ兄弟なのに「ほかの二人は病気にならない、不公平ね」というジンジイの言葉には彼に対する同情だけではなく、同じ境遇の自分に対する憐れみも込められていただろう。互いに相手のつらさを理解しようとする2人の姿勢に深く胸を打たれる。「覚えておいて。誰にも頼れない。お互いだけ信じるの。」2人は元手となる資金を親に出してもらい、屋台の店を出す。
3人の兄弟の中で一番「成功」し、堅実に生きているのはウェイクオなのである。ひどいいじめも描きながら、寄り添って生きて行く二人を見つめる視線は温かい。しかしこの作品の優れたところは、決して情に流されないところである。二人が結婚する前に胸の痛むシーンが描かれている。兄の存在を迷惑としか感じられない弟のウェイチャンが思い余って兄に毒を飲ませようとするのである。幸い姉が気付いてコップの水を捨てる。父も見ていた。翌日、テラスで食事している時、母がガチョウにその薬を飲ませる。ガチョウは苦しみながら死んでゆく。口下手な両親だが、どんな説教よりもこれは強烈な教訓だった。ガチョウのもだえ苦しむ姿はそのままウェイチャンの心のもだえを表していた。
最後のウェイチャンのパートの前にまた家族で食事をする光景が映し出される。静かで美しい曲とともにウェイチャンのナレーションが流れる。「家族がそろっていた日はもうはるかに遠い。後に皆が言った、若いころの僕は影のように寡黙だったと。」懐古調の美しいナレーションを性格が歪んでしまったウェイチャンが語っているギャップが逆に効果的だ。両親は長男をかわいがってはいたが、一番期待していたのは一番成績が良い次男のウェイチャンだった。父親自身がそれを端的に語っている。「今の社会はとにかく知識なしではダメだ。しっかり勉強しろ。兄さんも姉さんも能なしだ。絶対あんな人間になるな。」残酷な言葉だが、父親は励ましたつもりなのだろう。しかしその直後、ウェイチャンの持っていた本に裸の絵を書いた紙がはさんであるのを見つけてしまう。父親は激怒し、ウェイチャンは勘当されてしまう。彼は家出した。
シャオワンと結婚したウェイホンはガラス工房で働いている。ウェイクオの商売はうまくいっているようだ。子供たちはみんな家を出て行ってしまった。テラスで夫婦二人きりで食事する両親の姿が何ともさびしい。しかしまた家族は集まってきた。ウェイホンはシャオワンと離婚して家に戻ってきた。両親とウェイホンが家で「君よ憤怒の河を渉れ」を観ていると、ウェイチャンが婚約者のリーナとその息子を連れて帰ってくる。彼はサングラスをかけ、すっかりやくざ風になっている。実際彼は指を詰めていた。
商売をしているウェイクオを除いて、家族はまたそろった。しかしもう元の家族ではない。ウェイチャンは仕事もせずぶらぶらしている。前は子供一人だったが、今は2人も養わなければならないと妻のリーナが嘆くのももっともだ。ラストは動物園で孔雀を見るシーンである。娘と夫を連れた(再婚して娘を生んだようだ)ウェイホンたちが通り過ぎ、次にウェイクオとジンジイが通り過ぎる。最後にウェイチャンとリーナが息子を連れて孔雀を見てゆく。その間孔雀は一度も羽を広げない。諦め顔でウェイチャンは「冬は孔雀も羽を広げない」とつぶやく。彼らが去った後孔雀は羽を広げた。
次々に現れる夢に手を伸ばしながらも、ついに夢に手が届かず、平凡な結婚をしたウェイホン。親からも周りの人たちからも馬鹿にされていたウェイクオは一番確かな人生をつかむ。しっかりしているかに見えたウェイチャンは家を出て、子連れの女性と結婚。やくざな人生を歩んでいるようだが、ナレーションからすれば彼はいつまでも彼女のお荷物でいたわけではなさそうだ(最初に登場した頃は、1元貸してほしいと言う姉に2元貸してあげる優しい子だった)。ついに羽を開くことなく逝った父。羽を開くことなく老いた母。人生は長く平凡だが、また変転極まりない。悲しみもあるが、ささやかな喜びもある。3人の兄弟は幸せではないかも知れないが、それでも生きていた。大局的には何事もなかった人生。しかし数限りない出来事やエピソードが詰まっている。
家族は互いに反発し合い、また受け入れる。家族は減り、また増える。そうして時は過ぎてゆく。「人生」と言ったとたん、それは抽象的になってしまう。人は今を生きているが、それは次々に「過去」になってゆく。懐かしく過去を振り返った時、過去は美しく思い出されがちである。しかしこの家族の過去は悲痛だった。長男はみんなに馬鹿にされ、妹は人生の夢をつかみ損ね、弟は長兄を疎ましく思う。父親は長男と娘を無能だと感じ、次男は家を飛び出す。悲しく、つらく、厳しい現実がいつまでも続く。それでも最後に懐かしく思い出されるのは、家族全員がそろってテラスで食事をする光景だった。常に、そして最後までばらばらの家族であったからこそ、家族全員がそろっての食事が特に強く記憶に残るのだ。何度も出て行こうとした。でもまた戻ってしまう。なぜならそこが故郷だからである。家族の記憶が染みついている町だからである。皮肉な運命に家族はバラバラになるが、また寄り添っていく。
誰もが平凡で特別な才能など持ってはいない。しかし子供たちは結婚し家族を持った。映画はラストで、彼らに美しく羽を広げた孔雀を贈った。羽を広げた孔雀を誰も見なかった。やっと開いた時にはみんな通り過ぎた後だった。だが、この結末部分は決して人生の皮肉を暗示しているのではない。平凡な人生ではあっても決して無意味な人生ではない。辛い日々ばかりが続くわけではない。孔雀もいつかは羽根を開く。自分が気づかないでいるだけだ。辛いいことや哀しいことが多かった人生でも、懐かしく思い出せる人生であるなら、それは生きるに値する人生だった。映画はそう言っているのだろう。
<追記>
今年の9月に中国へ出張した時、家族がそろってアパートの通路で食事をしている光景、あの不思議な光景について北京の人に聞いてみました。その方が言うには、中国の田舎ではよく見かける光景なのだそうです。なにもあんな人が行き来する通路で食べなくてもと思うのですが、文化や習慣の違いというのは面白いものですね。
人気blogランキングへ