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2007年8月

2007年8月27日 (月)

昭和橋を撮る

 今日の朝日新聞に「坂城のシンボル昭和橋を補修へ」という記事が載っていた。それによると橋が作られたのは1937年。何と御歳70歳である。全長約500メートル。2002年に日本土木学会の選奨土木遺産に認定されたという。矢口高雄の『釣りキチ三平』シリーズでもおなじみの橋である。確か『平成版釣りキチ三平』の第3巻は坂城町が舞台だと思ったが、ざっと見たところ昭和橋らしき絵は見つからなかった。それはともかく、新聞に載った昭和橋の写真に魅せられて、デジカメを持ってさっそく「取材」に行った。

 岩鼻トンネルを抜けて77号線に入る。村上の信号を右折(左折すると日帰り温泉施設「びんぐし湯さん館」がある)して千曲川に向かう。千曲川に架かる坂城大橋の手前で左折した。細い砂利道を川沿いにしばらく走ると昭和橋が見えてきた。その先にあるグランドの近くに車を停める。昭和橋はいくつものアーチが連なる鉄筋コンクリートの橋だが、左岸(上五明側)の渡り始めるあたり(堤防の付け根あたり)はアーチがなく水色の鉄板が側面に張ってある。どうしてここだけアーチがないのか不思議だ。橋完成後に川幅を広げる必要が生じて、その際に橋を延長したということだろうか。

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 近くに川の方に下りてゆく小道があったので下りてみる。ちょっと進むと橋の下に出た。木が生い茂っていて、なかなか橋の全景が撮れない。橋を横切って小さな川が流れている。このあたりの千曲川は川幅が広く、河川敷や中州が発達しているので、川は本流以外にいくつもの小さな川に枝分かれしている。これもその一本なのだろうか。川幅が広すぎるうえに木が多いので全体像がよく分らない。

 橋の上を車や自転車が結構頻繁にわたっている。僕自身は一度も昭和橋を渡ったことがない。隣にある坂城大橋(1987年建設)の方が便利なので、ついついそちらを渡ってしまうからだ。間近から見上げると橋は確かに古びている。しかしその古び方がまた橋に独特の味わいを付け加えている。アーチの姿がとても美しい(全部で9連ある)。しかし70年もたっていれば、傷みも激しいだろう。確かにところどころコンクリが剝げ落ちている。そう言えば、今月初めにアメリカのミネソタ州ミネアポリスで橋が崩壊したというニュースが世界を駆け巡った。その時のニュース映像が頭をよぎる。でもまあ、心配することはないだろう。

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 新聞は「補修」という表現を使っていた。ということは、完全に新しい橋に付け替えるわけではなさそうだ。部分的に補強するだけで、橋の基本的な姿を残してくれるのなら文句はない。「坂城のシンボル」なのだからそう簡単に取り壊すわけにもいかないだろうし。

 木が邪魔して橋が部分的にしか見えないので、場所を変えることにした。車で道を少し戻って、河川敷に下りてゆく別の道に入ってみる。今度は広い河原に出そうだ。途中に車を停め、そこから先は歩くことにした。すぐ広い河原に出た。こぶしを3つ合わせたほどの石がごろごろ転がっている。足元を見ながらでなくては歩けない。このあたりは木がないので対岸まで橋が見渡せる。橋の遠景と近景を何枚も撮る。真下からも撮った。補修後は姿が幾分変わってしまうかもしれない。今撮っておけば貴重な記録になる。補修後にまた写真を撮って見比べてみようと思う。

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  さっきよりやや大きい川が橋の下を流れている。本流から枝分かれした川だ。ちょうど橋脚の1本のすぐ横を川が流れているので、橋脚の所にブロックが重ねられている。下からよく見ると、アーチとアーチの境目の所に何と草が生えている。面白いので、これも写真に撮った。

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 写真を撮り終って石ころの河原を戻る時に、ふと不思議なことに気づいた。橋の下を川が流れているのに、さっき河原に出てくる時には川を渡らなかった。はて、あの川はどこに行ったのか。あまりに不思議なので、川の反対側、つまりブロックが敷き詰められている橋脚の下に回り込んで覗いてみた。すぐに事態が飲み込めた。ブロックのすぐ先のところで川は「終わって」いた。草に隠れているので反対側からは見えなかったのだ。つまり、この川は流れていない。たまりになって淀んでいたのである。大雨が降った時だけどこかでつながって「川」になリ、流れるのだろう。いやあ、面白い発見だった。

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 話は変わるが、8月25日付のミニコミ誌『週刊上田』にはりんどう橋が開通したという記事が載っていた。7月下旬に完成前の写真を撮ったあの新しい橋だ。こちらは明日写真を撮ってこよう。記事には興味深い事実が書いてあるが、それについては「りんどう橋」の記事に書くことにする。

ブログ開設2周年を迎えました

  今日めでたくブログ開設2周年を迎えました(ココログのロゴの下に開設日が書いてありまSdfl609 す)。1周年の時のアクセス数は3万弱。今原稿を書いている時点でアクセス数は67452。若干ペースが上がったようです。最近は更新のペースが落ちているので、日によってアクセス数にかなりの変動があるのですが、平均すると何とか1日100アクセスを超えています。訪問者数は70人くらい(1人が3ページ閲覧するとアクセス数は3になります)。1年目はアクセス数が100を超える日は滅多にありませんでした。それが最近では、更新が遅れてアクセス数が100を切ると危機感を覚えるほどです。これも閲覧していただいている皆様のおかげです。どうもありがとうございます。

 先週の金曜日の夜から日曜日にかけて東京に出張しておりました。ある研究会に出席していたのです。そこでジャン=ピエール・メルヴィルとフレンチ・フィルム・ノワールのことをちょっと話してきました。準備が間に合わなくて冷や汗をかきましたが、なんとか役目を果たしほっとしているところです。そのせいで記事の更新が滞っていますが、映画は何本か観ています。当然フィルム・ノワールがほとんどですが、1本だけDVDの新作を観ました。肩の荷が下りたので、今日「ハッピー・フィート」、「ヨコハマメリー」、「藍色愛情」の3本を借りてきました。じっくり楽しんで観ようと思っています。この間観た映画のタイトルと評価は以下の通り。

「ギルダ」(チャールズ・ヴィダー監督、46年) ★★★★
「墓場なき野郎ども」(クロード・ソーテ監督、60年) ★★★
「影の軍隊」(ジャン=ピエール・メルヴィル) ★★★★☆
「仁義」(ジャン=ピエール・メルヴィル、70年) ★★★★☆
「いぬ」(ジャン=ピエール・メルヴィル、63年) ★★★★☆
「孔雀 我が家の風景」(クー・チャンウェイ監督、2005年) ★★★★☆

  久々に観た中国映画「孔雀 我が家の風景」はいい出来でした。「藍色愛情」(「山の郵便配達」のフォ・ジェンチイ監督)も楽しみです(知り合いは今一つだと言っていましたが)。「孔雀 我が家の風景」はレビューを書きます。ノワール作品も何本かはレビューを書くつもりです。フィルム・ノワールは今後も継続して追及してゆきますので、これからも何本か取り上げることになるでしょう。

  最近は映画のレビューが大幅に減り、代わって写真日記が増えつつあります。たまたま上田市内を流れている浦野川を散策して、川と橋の魅力にはまってしまいました。今ではすっかり橋フェチです。デジカメで写真を撮る魅力にもとりつかれています。水辺の探索は今後も続けてゆくつもりです。ただ、あまりに写真の量が増えたために本館ホームページ「緑の杜のゴブリン」が無料で使える限度を超えてしまいました。やむなく別館ブログ「ゴブリンのつれづれ写真日記」を新設し、ホームページに載せていた写真日記や旅行記はすべてこちらに移しました。内容は本ブログに載せているものと全く同じです。ただし、独自性を持たせるために一部「ゴブリンのつれづれ写真日記」にのみ掲載している記事もあります。

 というわけで、「緑の杜のゴブリン」、「銀の森のゴブリン」、「ゴブリンのつれづれ写真日記」と3つのサイトを運営することになってしまいました。映画レビューは前の二つに同じものを載せ、写真日記や旅行記は後の二つに同じものを載せています。なお、国別のおすすめ映画や「マイ・DVD・ライブラリー」などのリスト類は本館「緑の杜のゴブリン」にのみ載せています。ブログの数が一気に増え、もうホームページの時代は終わったと思いますが、最初に作ったものですので愛着があります。それに長い記事やリスト類はブログよりもホームページに適しています。これからも使える限り使い続けるつもりです。

 9月の中旬に今年もまた中国に出張する予定です。今回は北京と青島に行きます。また旅行記を載せる予定ですので、お楽しみに。映画レビューもがんばって書きます。今後もまたよろしくお願いいたします。

2007年8月21日 (火)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年9月)

【新作映画】
8月25日公開
 「シッコ」(マイケル・ムーア監督、アメリカ)
 「私の小さなピアニスト」(クォン・ヒョンジン監督、韓国)
8月26日公開
 「ディア・ピョンヤン」(ヤン・ヨンヒ監督、日本)
9月1日公開
 「オフサイド・ガールズ」(ジャファル・パナヒ監督、イラン)
 「明るい瞳」(ジェローム・ボネル監督、フランス)
 「恋とスフレと娘とわたし」(マイケル・レーマン監督、アメリカ)
 「チャーリーとパパの飛行機」(セドリック・カーン監督、仏・独)
 「ワン・デイ・イン・ヨーロッパ」(ハネス・シュテーア監督、独・スペイン)
 「ルーツ・タイム」(シルベストレ・ハコビ監督、アルゼンチン・ジャマイカ)
 「デス・プルーフinグラインドハウス」( クエンティン・タランティーノ監督、米)
9月8日公開
 「ミルコのひかり」(クリスティアーノ・ボルトーネ監督、イタリア)
 「ミリキタニの猫」(リンダ・ハッテンドーフ監督、アメリカ)
 「サッドヴァケイション」(青山真治監督、日本)
9月15日公開
 「ミス・ポター」(クリス・ヌーナン監督、英・米)
 「題名のない子守唄」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、イタリア)
 「壁男」(早川渉監督、日本)
 「包帯クラブ」(堤幸彦監督、日本)
9月22日公開
 「サルバドールの朝」(マヌエル・ウエルガ監督、スペイン)

【新作DVD】
8月24日
 「ブラックブック」(ポール・バーホーベン監督、オランダ・ベルギー他)
 「華麗なる恋の舞台で」(イシュトバン・サボー監督、ハンガリー・米・加)
 「ロバート・カーライルのマクベス巡査DVD-BOX」(TVドラマ、イギリス)
 「クロッシング・ザ・ブリッジ サウンド・オブ・イスタンブール」(ファティ・アキン監督)
8月25日
 「恋人たちの失われた革命」(フィリップ・ガレル監督、フランス)
8月31日
 「赤い鯨と白い蛇」(せんぼんよしこ監督、日本)
9月7日
 「ブラッド・ダイヤモンド」(エドワード・ズウィック監督、アメリカ)
 「サンシャイン2057」(ダニー・ボイル監督、イギリス)
 「ラブソングができるまで」(マーク・ローエンス監督、アメリカ)
 「太陽に恋して」(ファティ・アキン監督、ドイツ)
 「パフューム ある人殺しの物語」(トム・ティクバ監督、独・仏・スペイン)
 「サンキュー・スモーキング」(ジェイソン・ライトマン監督、アメリカ)
 「ストーン・カウンシル」(ギョーム・ニクルー監督、フランス)
 「ママの遺したラヴソング」(シェイニー・ゲイベル監督、アメリカ)
9月13日
 「スモーキン・エース」(ジョー・カーナハン監督、英・米・仏)
9月19日
 「こわれゆく世界の中で」(アンソニー・ミンゲラ監督、英・米)
 「ルワンダの涙」(マイケル・ケイトン・ジョーンズ監督、英・独)
9月21日
 「ザ・シューター 極大射程」(アントン・フークア監督、アメリカ)
 「プロジェクトBB」(ベニー・チャン監督、香港・中国)
9月26日
 「300<スリーハンドレッド>」(ザック・スナイダー監督、アメリカ)
 「サン・ジャックへの道」(コリーヌ・セロー監督、フランス)
10月3日
 「黄色い涙」(犬童一心監督、日本)
10月5日
 「ツォツィ」(ギャビン・フッド、英・南アフリカ)
 「ラスト・キング・オブ・スコットランド」(ケビン・マクドナルド監督、イギリス)
 「ロッキー・ザ・ファイナル」(シルベスター・スタローン監督、アメリカ)

【旧作DVD】
8月24日
 「荒野の1ドル銀貨」(カルビン・ジャクソン・バジェット監督、伊・仏)
8月25日
 「シシリアン」(69、アンリ・ベルヌイユ監督、フランス)
 「聖杯伝説」(78、エリック・ロメール監督、フランス・他)
 「愛の昼下がり」(72、エリック・ロメール監督、フランス)
8月27日
 「にがい米」(49、ジュゼッペ・デンサンティス監督、イタリア)
 「ミラノの奇跡」(51、ビットリオ・デ・シーカ監督、イタリア)
9月7日
 「レディオ・オン」(80、クリストファー・ペティット監督、英・西独)
9月13日
 「アパートメント」(96、ジル・ミモーニ監督、スペイン)
 「南極のスコット」(48、チャールズ・フレンド監督、イギリス)
9月25日
 「萌の朱雀」(96、河瀬直美監督、日本)

  新作はマイケル・ムーア監督の「シッコ」が面白そうだが、ずいぶん待たされたジュゼッHung2_2 ペ・トルナトーレ監督の新作「題名のない子守唄」の出来が気になる。久々のイラン映画「オフサイド・ガールズ」にも注目。
 新作DVDでは「ブラックブック」、「ブラッド・ダイヤモンド」、「ルワンダの涙」、「サン・ジャックへの道」、「ツォツィ」、「ラスト・キング・オブ・スコットランド」と注目作が並ぶ。去年に比べると日本映画がさびしいのが残念。TVドラマ・シリーズ「ロバート・カーライルのマクベス巡査DVD-BOX」も期待できそうだ。
 旧作DVDではついに、ついに「にがい米」と「ミラノの奇跡」が出る。イタリア映画の名作がほとんど出ていないと言い続けてだいぶたつ。やっと出してくれたか。パッケージが一緒なのでシリーズで今後も出るのかもしれない。「平和に生きる」、「ウンベルトD」、「二ペンスの希望」、「屋根」、「ふたりの女」、「家族日誌」、「国境は燃えている」、「激しい季節」等々、まだまだたくさん残っている。フランチェスコ・ロージの作品も是非ついでに出してほしいものだ。ひところ続いて出ていたソ連映画もストップしてしまった。15あった共和国製作のものも含めるとまだ膨大な数の作品が未DVDのままだ。どんどん発掘してほしい。
 先月の「エヴェレスト征服」に続いて「南極のスコット」が出る。こちらは劇映画だが、ドキュメンタリー・タッチで描かれている。「シシリアン」が初DVD化とは意外。B級西部劇がここにきて大量に出てくる。在庫一掃セールが始まったってことか。

<ブログ内関連記事>
DVDを出してほしい映画
DVDを出してほしい映画 その2

2007年8月17日 (金)

ウェディング・バンケット

1993年 台湾・アメリカ 1993年公開
評価:★★★★☆
原題:喜宴/THE WEDDING BANQUET
監督:アン・リー
脚本:アン・リー、ジェームズ・シェイマス、ニール・ペン
撮影:ジョン・リン
出演:ウィンストン・チャオ、ミッチェル・リヒテンシュタイン、メイ・チン、ラン・シャン
   グア・アーレイ

 これまで「推手」「恋人たちの食卓」のレビューを書いたが、今回の「ウェディング・バンケット」でアン・リー監督の“父親3部作”を全部観たことになる。僕は「推手」、「恋人たちのWedd001 食卓」、「ウェディング・バンケット」の順に観てきたが、日本で公開された順序は全く逆である。そしてそれはまた製作年ともずれがある。1作目の「推手」(91年)の公開が一番遅く96年公開、2作目の「ウェディング・バンケット」(93年)の公開が一番最初で93年、3作目の「恋人たちの食卓」(94年)の公開が2番目で95年。1作目の「推手」の頃はまだ注目されていなかったのだろう。ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「ウェディング・バンケット」で初めて注目され、その年に早くも日本で公開されている。その後に公開された「恋人たちの食卓」の評判も良かったので、さかのぼって第1作目が3番目に公開されたという事情だったと思われる。

 3作には“父親”役のラン・シャンが共通して登場している。“父親3部作”と呼ばれる所以である。彼の存在感は3作を通して圧倒的である。彼が画面に登場するだけでほっとするくらいだ。もちろん共通点はそれだけではない。親子の関係のきしみとその再生、それが3部作に共通するテーマである。「推手」では中国人の父親とアメリカ人の嫁との文化的・世代的ギャップ、「恋人たちの食卓」では父親と娘たちの世代間ギャップ、そして「ウェディング・バンケット」では両親と息子の世代間ギャップに加えて息子がゲイであるという恋愛・結婚観のギャップが加わる。ゲイというテーマは「ブロークバック・マウンテン」でも扱われているが、「ウェディング・バンケット」ではあくまで親子間の葛藤に重点がある。さらには、グリーンカードをめぐるアメリカでの永住権の問題(偽装結婚も含めて)もからんでいる。この点では韓国映画「ディープ・ブルー・ナイト」(88年)と「グリーン・カード」(90年)に通じる。身内の前で夫婦を装うという点では「Dearフランキー」やウルグアイ映画「ウィスキー」などにも通じる。

 しかし作品として一番比較して意味があるのはケン・ローチ監督の「やさしくキスをして」(04年)だろう。こちらはアイルランド人女性とパキスタン移民2世の男性の結婚をめぐる映画である。ゲイとは関係ないが、結婚をめぐる親子の葛藤を描いたという点では共通する。「やさしくキスをして」のレビューで次のように書いた。「恋愛は個人の問題である。しかし結婚となると親が口を挟んでくるものである。ましてや異なる民族間の恋愛、結婚となると個人のレベルを超えて家族、ひいては民族間の問題へと発展する。」民族問題をゲイの問題に置き換えればほぼ同じことが「ウェディング・バンケット」にもいえる。恋愛は個人の問題だが、結婚は社会的行為なのである。「ウェディング・バンケット」はそのずれから生じる悲喜劇を描いたものである。

 「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」の一番の違いは問題の決着のつけ方である。あくまで現実の困難さを冷徹に見つめ、最後まで明確な出口を示さない「やさしくキスをして」に対して、「ウェディング・バンケット」は互いを思いやることで問題を解決に導こうとする映画である。その意味で「ウェディング・バンケット」に甘さがあるのは確かだ。しかし逆に「やさしくキスをして」に出口のない重苦しさを感じるのもまた確かである。どちらの結末の付け方が良いと簡単には言えない。どちらの作品もすぐれたものだと思う。ケン・ローチの妥協のない冷徹な洞察も素晴らしいが、「ウェディング・バンケット」のようにまだまだ実現が困難なことを実現させてみせることも映画の持つ重要な機能の一つである。

 息子の結婚式で母親が花嫁のウェイウェイに“子授けのスープ”を飲ませるシーンがある。その傍らで父親がウェイウェイと息子のウェイトンに、夫婦は生まれも育ちも違うが、互いを思いやる心が大切だと話している。この言葉がラスト部分の伏線になっている。思いやりが言葉だけではなく心からのものであり、本当にそれを実践すればこの親子のねじれた関係も何とか解決できるのだと「ウェディング・バンケット」は示している。

 現実を厳しく見つめる「やさしくキスをして」に比べれば、互いを思いやる心で問題を解決してしまう描き方はありきたりで現実の困難を回避しているように見える。しかし、作品を評価するにはテーマがどれだけ掘り下げられているか、つまり、親子が直面した問題と彼らの葛藤がどれだけリアルに描かれているか、それに対する解決の方向が望ましい方向に向いているのか、またその解決方法が安易なものではないかを総合的に見て判断すべきである。

 作品に即して具体的に見てみよう。主人公はニューヨークの不動産会社で働くカオ・ウェイトン(ウィンストン・チャオ)。台湾からアメリカにわたり市民権も得ている。彼の悩みの種は事あるごとに早く結婚して孫の顔を見せろと催促する母親の存在。しかし彼にはそれに応えられない事情があった。彼はゲイで恋人のアメリカ人サイモン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)と暮らしていたのである。サイモンは親や周りに自分がゲイであるとカミングアウトしているが、台湾出身であるウェイトンの場合はそうもいかない。両親に自分がゲイであることを告げられずにいたのだ。

 苦し紛れにウェイトンは「身長175cm以上、数ヶ国語が話せオペラに興味がある女性」なWedd008 どととんでもない花嫁候補の条件を付けてみせるが、それがお見合い逃れの手であることを母親は百も承知。「敵」もさる者、結婚紹介所で散々粘ったのだろう、その条件通りの女性がニューヨークに乗り込んでくるところが可笑しい。もちろんその話は破談に。しかし近々両親がニューヨークにやってくると聞いてウェイトンは大慌て。そこでサイモンに相談すると、カモフラージュに偽装結婚したらいいとアドバイスされる。偽装結婚の相手はウェイトンが管理するビルの住人で、グリーンカードが取れなくて困っているウェイウェイ(メイ・チン)。上海出身の芸術家だ。これで両親もウェイウェイも満足して八方丸く収まる、はずだった。

 とにかく両親が滞在する2週間を乗り切ればいいという思いで着々とウェイトンは準備を進める。家具や荷物を整理し、サイモンとの「関係」を示すものをすべて取り去る。代わりに父親の書いた書の掛け軸を壁に掛ける。ウェイウェイにはウェイトンのことをにわか勉強させる。サイモンは大屋ということにする。いよいよ両親がやってくる。2人は幸いウェイウェイが気に入ったようだ。父親ときてはウェイウェイのお尻を見て「良し、安産型だな」と漏らして妻にたしなめられたほどだ。

 父親の書いた書をウェイウェイが的確な表現でほめるので父親はうれしそうだ。ウェイウェイが画家であることがここでは幸いした。上機嫌の父親は息子に、なぜ自分が軍隊に入ったかを打ち明けたりする(父親は元師団長である)。両親が勝手に結婚相手を決めたので、それから逃れるために軍隊に入ったというのだ。母親が息子に矢の催促をしていたことは知っていたはずだから、息子が自分で選んだ女性と結婚することを父親なりにほめたつもりなのだろう。

  計画は順調に進んでいるかに思えた。しかしそこに短いが不吉な場面が差しはさまれる。ある時父親が椅子でぐったりとなっていた。ウェイトンは一瞬父親が死んでいるのではないかと思いぎょっとする。父親は心臓を患っていたのだ。幸い父は居眠りしているだけだった。食事だと声をかけるとすぐ立ち上がり、すたすたと歩き去ってゆく。

 しかしこれはやはり不吉な予兆だった。息子たちが簡単な式で済ますと言うので両親はがっかりする。役所から出てきたとき「こんなみじめな式で」と嘆く母親。サイモンが気をきかしてみんなを夕食に招待する。しかしこれがとんでもないことになってゆく。なんとそのレストランのオーナーはかつて師団長だったウェイトンの父親の運転手を20年も務めていた人だった。事情を聞いて、簡単な式で済ましては「お父様に失礼ですよ」とウェイトンに意見し、このレストランで披露宴をやりましょうと提案する。沈み込んでいた両親はやっとうれしそうな顔をする。こうして事態はどんどん思いがけない方向に進んで行ってしまう。

 もはや誰にも事態の進行を止められない。ウェディングドレスもそろえ(ウェイトンの母親が自分の結婚式で着たもの)、記念写真も撮った。そして怒涛の結婚披露宴へ。「ヤンヤン/夏の想い出」にも出てくるが、台湾式の披露宴は超がつくほど豪勢だ。乱れっぷりもすごい。盛り上がってくると箸でグラスや皿を叩き始め、花嫁と花婿にキスを要求する。それで収まらず目隠しキス(花嫁にどれが夫のキスか当てさせる)までやらせる。やっと式が終わり、二人が部屋に引き上げると、そこへも友人たちがなだれ込んでくる。ベッドに入って1枚ずつ服を脱げと迫る。

 やっとうるさいやつらも帰ったと思ったら、今度はウェイウェイの様子がおかしい。「開放するの」とウェイウェイがウェイトンに絡みついてきた。なんとその「初夜」でウェイウェイは妊娠してしまった。このあたりはドタバタ調だが、その後俄然事態は深刻になってくる。ここまでは基本的にコメディ・タッチで描かれている。それに、両親に真実がばれないかとハラハラさせる軽いサスペンス・タッチがトッピングされている。このニタニタハラハラの展開が観客の関心を引っ張るドライブになっていた。

 ここから起承転結の「転」の部分に入る。アン・リーの演出が冴えわたるのはここからだ。主要登場人物はわずか5人だが、複雑に入り組んだ思惑を一人一人描き分けてゆく。その手際が水際立っている。ウェイウェイが妊娠したことでウェイトンとサイモンの関係も危うくなってくる。3人はウェイトンの両親の前で派手に喧嘩をしてしまう(どうせ英語は分からないと思っている)。事態が望まぬ方向に進展してゆくのを苦慮していたウェイトンは、父親が発作を起こして入院したのを機に自分は同性愛だと母親に打ち明ける。思わぬ告白にうろたえる母。理解してもらえないと分かっていても、「同性愛者は、心を通わせる相手を見つけることは難しい。サイモンは僕の宝だ」と必死に訴えるウェイトンには決然としたものがあった。ついに真実を打ち明けた時の彼の姿がすがすがしい。最後まで納得できない母親だが、お父さんには秘密にしておいてほしいと息子に訴える。

 ウェイウェイのエピソードはある意味でさらに感動的だ。ウェイウェイは結婚衣装を義理の母に返す。彼女はこの一家から去るつもりだったのだ。その時母親が言った言葉が何とも悲しい。「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」母親は何とかウェイウェイを引き留めようとする。「夫と子供は大切よ。」「いえ、違います。」世代間のギャップというテーマが2人の会話から浮かび上がってくる。母親の説得を振り切った彼女は中絶を決意する。ウェイトンと互いにベッドで背を向けあっての会話が彼女の苦悩を余すところなく示している。「グリーンカードに払う代償は大きいわね。アメリカにしがみつくのは間違いだわ。自分のために偽装結婚をして、サイモンやあなたの両親を傷つけ、小さな命まで奪うなんて。明日でもうこんな生活やめるわ。上海へ帰る。彼と仲直りして。もうウソはイヤ。」

 終始脇役だったサイモンも最後に重要な役割を与えられる。彼がウェイトンの父に誕生Artsttree200wd 日のプレゼントをするシーンだ。自分でも誕生日だということを忘れていたと父親は感激する。そして彼も秘密を打ち明ける。彼はすべてを知っていたのだ。若干ではあるが英語が分かる彼は、若い3人が怒鳴り合いをした時事態を察したのである。彼がゆっくりと発音した “I watch, I hear, I learn.”という言葉が耳にはりついて離れない。その後の言葉がさらに胸を打つ。「ウェイトンは私の息子。君もまた私の息子だ。」彼はサイモンを息子として受け入れていた。サイモンを受け入れるということは、息子の苦悩も理解し受け入れていたということである。軍人であった彼がこれほど寛容であるはずはない。そういう疑問がないわけではない。しかし3部作全体を通じて、ラン・シャンが演じた老父は、常に時代の変化に翻弄されつつも、自分の道を見出し周りの変化を受け入れてきた。それぞれ別の人物を演じてはいるが、3部作全体の中に置いて考えればこの場面も受け入れられる気がする。

  父親はさらに続ける。「知らぬふりをしていれば孫を観ることができるのだ。」自分が全部知っていたことを妻にもウェイウェイにも黙っていてくれとサイモンに頼む。みんなが互いに秘密を持ち、秘密を共有している。互いに互いを大事にし思いやるからこそ秘密にするのである。そこに心の触れ合いがある。互いを思いやる優しさがある。サイモンに対する老父の言葉は心からのものだった。別れの日、母親はサイモンを抱こうとして一瞬ためらうが、父親がサイモンの手をしっかりと握った。そして息子の面倒を見てくれてありがとうと言葉をかける。それぞれが秘密を持ってはいるが、いや秘密を守っているからこそ、そこに絆が生まれた。披露宴の写真を5人で眺めた時のうれしそうな顔と顔。笑いが自然におこった。両親を見送る時残った3人は互いに肩を組んでいた(2人は今や3人共通の「両親」であり、その3人はまた生まれ来る子供の「両親」でもあった)。ウェイウェイは子供を産むことを決意していた。2人は心おきなく台湾に戻ることができる。空港に入り、金属探知器で体を調べられた時父親は両手を挙げる。それは万歳しているようにも見えた。

 それぞれが悩み、それぞれが何らかの決意をした。ウェイトンは両親もサイモンも愛しているからこそ真剣に悩んだ。悩んだ末、彼の愛情の幅はウェイウェイを受け入れるまでに広がっていた。一旦は子供を堕ろすことまで考えたウェイウェイも母親になる覚悟を決めた。夫も子供もいらないと答えはしたが、彼女の心の片隅には「贈り物は返せても贈った人の愛まで返せるの?」と問いかけた母親の言葉が消えずに残っていたに違いない。サイモンは愛する人を取り戻しただけではなく、新しく父と「息子」ができた。老父と老母は互いに隠し事をしながら、ある意味で同じ秘密を共有していた。老母は孫を息子と同じように「食べてしまいたいほど」かわいがるだろう。いろいろとまたうるさく言ってくるかもしれない。しかしこの世代の母親とはそういうものなのだ。ウェイウェイがウェイトンと二人で外出しようとした時、とっさに中絶に行くのだと察してあわてて出かける準備をした彼女の姿を忘れてはいけない。結局間に合わなかったが、彼女は必死だった。そこに母親の姿があったと思う。うるさくて仕方がないが、すべては純粋な愛情から発しているのである。

 「やさしくキスをして」も「ウェディング・バンケット」も誰一人として悪人は登場しない。しかしそれでも到る所に壁ができてしまう。「やさしくキスをして」には異文化問題や民族問題というギャップがあり、「ウェディング・バンケット」にはゲイに対する偏見という問題があるからだ。誰も悪者はいないのだが、否応なく亀裂ができてしまう。「やさしくキスをして」では誰も迷惑をかけたいとは思っていないのに、誰かが傷ついてしまう。「ウェディング・バンケット」では互いに愛し合っているがゆえに嘘をついたり秘密を持ったりせざるを得なくなる。原因はどちらも個人を超えた問題にある。それによって個人は翻弄され、混乱し、苦悩する。

 どんなにもがいても人は自分が育った文化や価値観から完全には自由になれない。「やさしくキスをして」と「ウェディング・バンケット」は家族、特に親子問題を真摯に扱った映画である。それは小津安二郎監督が生涯追求し続けたテーマだった。小津は日常を描きながら人生を描いていた。アン・リー監督はあるインタビューではっきり小津の影響を認めている。

 

アメリカに渡ってから「小津安二郎」の作品を見て、改めて台湾と日本の文化が近いということがわかりました。「小津」の作品は、『両親や親子・家族』を描き最後には必ず人生の厳しさ、つらさを感じその失望感というのにも影響を受けました。
  「第2回神戸100年映画祭 トークショー」より

 小津の影響を受け、小津のスタイルを取り入れながらも、アン・リーは小津にはないテーマを盛り込んだ。国際結婚やゲイの問題などは小津の世界には登場しない(そういう意味では「恋人たちの食卓」が一番小津の世界に近い)。アン・リー監督自身が3部作を簡単にまとめている。

 

父親像の表現として近代化社会のその構造の変化やその中で自分の存在を失いつつある父親を描きました。まず、『推手』は、近代文明に抵抗する父親そして近代化との心の葛藤を描き、『ウエディング・バンケット』では、その近代化を徐々に受け容れていこうとする父親。そして『恋人たちの食卓』は、近代化とともに自己改革をはかる父親像を描いています。
  同上

 ここで言う「近代化」とは新しい価値観ということだろう。それは新しい世代とともに現れ、古い世代を押しのけてゆく。しかし、小津の場合と違い、「自分の存在を失いつつある」古い世代はただ寂寥感や喪失感に浸っているわけではない。「推手」や「恋人たちの食卓」では新しい自分の人生を見出している。「ウェディング・バンケット」ではそこまで踏み出してはいないが、新しい世代の新しい価値観を受け入れようとした。アン・リーが小津を越えたとか、小津が古くなったとか言いたいのではない。時代が変われば、映画もまた変わってゆく。人類が存在する限り、家族や親子の関係というテーマはなくならないだろう。すぐれた作品は時代を超えて残り、それに新しい作品が加わる。そう言いたいのだ。

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2007年8月13日 (月)

世界最速のインディアン

2005年 ニュージーランド・アメリカ 2007年2月公開
評価:★★★★★
監督:ロジャー・ドナルドソン
製作:ロジャー・ドナルドソン、ゲーリー・ハナム
脚本:ロジャー・ドナルドソン
撮影:デヴィッド・グリブル
共同製作:ジョン・J・ケリー 音
楽:J・ピーター・ロビンソン
出演:アンソニー・ホプキンス、ダイアン・ラッド、ポール・ロドリゲス
    アーロン・マーフィー 、アニー・ホワイト、クリス・ブルーノ
    カルロス・ラ・カマラ、ジェシカ・コーフィール
    パトリック・フリューガー、グレッグ・ジョンソン

 これはデヴィッド・リンチの「ストレイト・ストーリー」と対になる映画である。どちらも老人が乗り物に乗って旅をするロードムービーである。一方はトラクターに乗って、もう一方はトHoop2 ラックで後ろにバイクを乗せたトレーラーを引っ張りながら。一方は兄に会うために旅に出る。もう一方はレースに出場するための旅。しかし「ストレイト・ストーリー」が終着点についたところで終わるのに対して、「世界最速のインディアン」は目的地に着いてからまた別のストーリーが展開し始める。この点が大きく違う。「世界最速のインディアン」は言ってみれば、ほのぼのロードムービーに夢へのチャレンジがプラスされた映画である。さらにスピード感が違う。前者のトラクターに乗ったのろのろ旅に対して、後者のレース突入後の展開は猛烈なスピード感があふれている。「世界最速のインディアン」が成功した一因は、ロードムービーからドリームムービーへの切り替えが実にスムーズだったことにある。単なるロードムービーではなく、また平凡なサクセスストーリーでもないところが良い。いわば両者の良いとこ取りをした映画だ。これが見事にはまっている。

 主人公のキャラクターも相当に異なる。「ストレイト・ストーリー」のアルヴィンはだいぶくたびれたじいさんだが、片や「世界最速のインディアン」のバートときたら若者も蹴散らしてゆく浜のかっとびじいさん。なにしろ何十年もかけて改良に改良を重ねた愛車の1920年型インディアン・スカウトにまたがり、地球の裏側アメリカ・ユタ州のボンヌヴィル・ソルトフラットで行われるスピード記録測定会“スピードウィーク”に乗り込もうと目論んでいるのである。もちろん単に出場することが目標ではない。何と1000cc以下の部門で世界最速記録を出そうというのである。

 故郷であるニュージーランドのインバカーギルで無謀にも若者たちがバートにレースを挑んだ。バートは最初こそ出遅れたが、いったんエンジンがフルスロットルになったが最後、弾丸のように砂浜を疾駆し、あっという間に若者たちを抜き去っていった。いやいや、あのシーンは圧巻だった。ものが違う、ものが。バートがまたがるインディアン・スカウト(スカウトとは偵察隊のこと)は本来600ccだというのだから驚く。80キロ台がせいぜいだったマシンを時速300キロ以上出る怪物マシンに改造したというのだから、これはもうチューンナップなんてレベルではない。ほとんどサイボーグ化されたマシン。

 何もそんな古いマシンを土台にしなくてもと思うが、そこはこだわりの爺さん。こいつでなきゃあ始らねえ。とにかく徹底して無駄と贅肉をそぎ取った。スピードメータ?そんなもなぁいらねえ。わしゃ走るのが仕事だ。スピードを測るのは大会の係員さね。ブレーキ用のパラシュート?走るのに何の役に立つ?いらん。タイヤのゴムのギザギザもナイフで削ってしてしまう。その一方でエンジンはムキムキの筋肉マンに変身させる。最新式マシンの性能などには頼らん。このかわいいインディアンととことん付き合うよ。まあ、こんな感じだ。この愚直さ。一本気。この点では「ストレイト・ストーリー」のアルヴィンと大いに共通する。どちらも「ストレイト」なのだ。フォークくそくらえの直球一本やり。それで何が悪い?要は結果を出しゃあいいんだろ。年なんか関係ない。前進あるのみ。「顔にしわはあっても、心は18歳だ。」すごい爺さんである。

 とにかく生活がマシン中心になっている。朝からでかいエンジン音を響かせて近所を叩き起こす。なんでも削る癖がついてるのか、足の爪を電動やすりで削るところが可笑しい。Wh01 やれることはすべてやった。もし不安があるとすれば、それは本人の体調である。なにしろ、マシンはゴジラ並の怪物だが、本人の体はボロボロである。狭心症と前立腺肥大の持病を抱えての挑戦。このギャップが逆に効果的だ。片時もニトロを手放せない。したがって会場に着くまでの旅はもたもたの連続。このあたりもアルヴィンの旅と重なる。ロードムービーだから様々な人との出会いが描かれる。バートは典型的なバイク馬鹿だが、どういうわけか人に好かれる。一つのことにのめり込むタイプだが、偏屈なじじいではない。なかなか味のあるセリフをしばしば吐く。隣に住むトム少年との会話がいい。「事故死が怖くない?」とトムに聞かれて、次のように答える。「いいや怖くないね。こういうマシンでスピードに挑む時は5分が一生に勝る。一生よりも充実した5分間だ。」「危険が人生に味を付ける。」「忘れるな、夢を追わない人間は野菜と同じだ。」

 バートには双子の弟アーニーがいた。しかし倒れてきた木の下敷きになって事故死してしまった。以来怖がることをやめたという。苦労を重ねてきた老人という設定がこれらの台詞を実に自然に響かせる。トム少年もなかなかいい。「みんな記録を破れないと思っているよ」と言った後に、”Except me”と付け加える。出発の時バイク仲間は誰も見送ってくれなかったが、例のレースで負けた若者たちが餞別を渡し見送ってくれるシーンもいい。

 初めてのアメリカはなれないことばかり。最初のうちはまさに珍道中になる。ニュージーランドと反対の右側通行で肝を冷やし、モーテルに泊まってコイン・マッサージを使えば、ベッドがガタガタと揺れて思わず飛び降りそうになる。田舎出の爺さんなので、マッサージという言葉を見て肩や腰でも揉んでくれると思ったわけだ。おまけにフロントの受付「嬢」は黒人の男だった。しかしバートはこのティナを優しく受け入れる。そこは年の功。心が広い。

 ガソリンスタンドでのエピソードも面白い。バートの怪物マシンを見た男の子が思わず「これロケットなの?」と聞くのだ。バートの返事もいい。”I hope so.”実際彼のマシンはロケットのように走った。何せニトロ入りだ。本番の日、バートは薬を2錠取り出した。「一つは自分に、一つはこいつに。」ニトロだからスピードが増すぞとガソリンタンクに入れたのである。

 バートが出会う人々の中には本物のインディアンもいた。バイクを引いてきたトレーラーのタイヤが片方外れてしまった時、助けてくれたジェイクだ。応急修理をして出てゆく時、ジェイクが餞別に犬の金玉を粉にした薬をくれる。前夜話題になった薬だ。バート「君らはまじないで直すんだろ。」ジェイク「そういう薬はある。犬の金玉で作る。病気でいる方がましだよ。」実際に薬を飲むシーンが出てくるが、バートは相当顔をしかめていた。

  車輪が外れたトレーラーを修理させてくれたエイダとの出会いもいい。一晩泊ってゆくが、2人は「微妙な」関係になってしまう。別れの時の台詞。バート「古いバンジョーもまだ音は出る。」エイダ「使わなきゃさびるだけ。」バートはレースの後帰りにエイダの所に寄ったのだろうか?ベトナム休暇兵のラスティを車に乗せる場面では、時代が60年代だということを思い出させてくれる。とにかく、みんなが「グッド・ラック」と言ってバートを見送ってくれる。そんな描き方が見ていてさわやかだ。

 いよいよ会場のボンヌヴィル塩平原(Bonneville Saltftats)に到着。一面塩に覆われたKi0008 何もない平原に立ち、バートは感無量だ。「でかいことをしたかった。」「ここは神聖な土地なのだ。今立ってる。」バートの言葉に感動が伝わってくる。しかしレースの初日にとんでもない事実が発覚する。前もって受付をしていなかったバートは参加を認めてもらえなかったのだ。だが、わざわざ地球の反対側から来たのだ。簡単には引き下がれない。何度も粘り、現地で知り合った人たちにも助けられ、なんとかテスト・ランだけ許可される。「時にはルールを曲げることも必要だ」と係員。なかなか気のいいアメリカ人だ。その時のバートの嬉しそうな顔。好きで仕方がないことをやっている時の人間の顔は本当に輝く。彼の笑顔を見て、久しぶりにソ連映画の傑作「ジャズメン」を思い出した。

 本番を翌日に控えて、テストランの結果を見てさらに改良を加えるところはさすがだ。さて、いよいよ本番。マシンにまたがったとたん、バートはポルコ・ロッソに変わる。最初はよろよろしているが、エンジン全開後はまさにロケット。ものすごい勢いでぶっ飛んでゆく。エンジンの熱がこもって足が火傷し、苦しさにうっかり顔を上げたとたんゴーグルが吹っ飛んでいったほどだ。ぐんぐんスピードは上がり、ついに324.847キロを記録。最高記録を樹立してしまった。時速300キロを越えるスピードとはどんなものか?新幹線のぞみを軽々と追い抜き、あっという間に見えなくなるほどのスピードである。窓辺に座っていた男の子が驚いて叫ぶかもしれない。「ママ、今窓の外をロケットが飛んでったよ。」ママ「えっ???」こう考えるとどれほどすごいか想像がつくだろう。

 モデルとなったバート・マンローはボンヌヴィルに9回も戻り、何度も記録を塗り替えた。67年の記録は今も破られていないというのだからすごい。頑固じいさん恐るべし。美容術もビリーズ・ブート・キャンプもいらない。若さを保つにはただ一つ、見果てぬ夢を追い続けることだ。

 監督のロジャー・ドナルドソン作品は他に「追い詰められて」、「カクテル」、「ダンテズ・ピーク」などを観たが、どれも水準程度の出来である。この映画が彼の代表作になるだろう。彼がオーストラリア生まれで、後にニュージーランドに移住した人だということは重要なことである。この映画はアメリカとニュージランド制作となっている。完全なアメリカ資本でなかったことは幸いだった。基本的にニュージランド映画だと考えていいだろう。アメリカ的な演出にしなかったことがこの映画を成功させている。ニュージーランド映画の勢いがこの映画にも表れている。1970年代末まで映画産業は存在しなかったニュージーランド。しかし、70年代末に政府がニュージーランド・フィルム・コミッションを創設。国産映画の製作に投資しはじめてからニュージーランド映画の新しい人材が出現し、国際的にも注目されはじめる。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンもニュージーランド出身。ロケもニュージーランドだ。「ワンス・ウォリアーズ」のリー・タマホリ、「クジラの島の少女」「スタンドアップ」のニキ・カーロも忘れてはいけない。今後も才能ある映画人が生まれてくるだろう。

 アンソニー・ホプキンスの名演も映画の魅力を支えている。ハンニバル・レクター役の印象が強いのは確かだが、彼の作品系列には「エレファント・マン」(1980)、「ハワーズ・エンド」(1992)、「ドラキュラ」(1992)、「日の名残り」(1993)、「アミスタッド」(1997)、「アトランティスのこころ」(2001)、最新作の「オール・ザ・キングスメン」(2006)、「ボビー」(2006)などがあり、実に多彩な人だ。「世界最速のインディアン」は名作「日の名残り」と並ぶ彼の代表作になるだろう。

 心にしみるだけではなく、手に汗握り、爽快感あふれるロードムービー。新鮮な経験だった。

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2007年8月12日 (日)

望月探索 望月橋と弁天窟を撮る

  車に乗って出かけたものの、どこに行くかも決まっていない。しばし迷走した後、佐久方面に行くことにした。丸子から147号線に入る。この道は久しぶりだ。山部の信号を左折して142号線に入る。途中コンビニで休憩。目的地を決めるために地図を見る。142号線が新望月トンネルの手前で八丁地川と鹿曲川を横切ることに気づいた。そのあたりを写真に撮ろうと決める。トンネルの手前にある望月の信号を左折。すぐ天神の信号があるので右折する。すぐその先に車を停めるスペースがあった。停めた先に胡桃沢橋があるのでまずその写真を撮った。川は鹿曲川。その後さっき通過した天神の信号のすぐ横にある橋へ行く。これは尾崎橋。こちらは八丁地川に架かっている。ほんのわずかしか離れていない二つの橋がそれぞれ別の川に架かっているのが面白い。もう少し下流の望月橋の手前で二つの川は合流している(八丁地川は鹿曲川の支流)。合流点を見たかったが、どうも道から離れているようで分かりにくそうだ。とにかく道に沿って下流方向へ行くことにした。151号線を春日温泉と反対方向に進む。春日温泉は2、3度泊まったことがあるが、お湯がぬるぬるして肌がすべすべになる。もう10年は行っていない。懐かしい。

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胡桃沢橋、尾崎橋、尾崎橋の上流部分

  しばらく進むとまた別の望月の信号があり、そこで信号待ち。すぐ正面に橋がある。石の塔のようなものが橋のたもとに2本ずつ立っている。よし決めた、次はこの橋を撮ろう。橋を渡るとすぐ左側に車が止められるスペースがあった。橋の写真を撮っていると、橋のたもとに石碑が立っているのに気づいた。立札があり、そこには弁天窟と去来の句「駒曳(こまひき)の木曽や出るらん三日の月」のことが書いてあった。その立札の後ろに歌碑があるが、これは「三日月・・・」となっているので別の歌である。草が邪魔なうえに、草書体が読めないので何と書いてあるのか分からない。作者名も二文字のうち下の「山」しか分からない。その上の崖には白い字で何か記号のようなものが書かれている。何だろう、文字とも記号ともつかない。その右横に石段がある。これは後で登ってみることにして、川沿いにある弁天窟の写真を撮ることにした。石段のすぐ横に西宮神社の鳥居と小さな祠があるのでまずこれを撮る。その横を回り込むと弁天窟が見える。なかなかの奇観だ。川沿いの崖に細い道を付け、そこに赤い柱と屋根の建物が建ててある。建物といっても柱と屋根だけだ。建物は一部川の方に張り出している。通行止めになっているので詳しくは分からないが、崖に洞窟が掘ってあるのだろうか。

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<写真>
望月橋、橋と立札と石碑、西宮神社
橋のたもとの立札、「三日月」の句碑、去来の句碑

  次に階段を上がってみた。途中曲がっているところに来ると、頭上にこれまた草木の間に赤い建物の一部が見える。上がりきってみると豊川稲荷の赤い鳥居があり、その奥に稲荷神社の建物があった。そこは入れるようになっている。がらんとした建物の中に小さな祠があり、そこにキツネの像がたくさん並んでいた。川を見降ろしてみるが、木が邪魔してよく見えない。階段を下りて戻る途中、さっきと別の句碑があるのに気づいた。文字はだいぶかすれているが、立札にあった去来の句である。たしかに「芭蕉」と書いてある。句に「駒曳(こまひき)」とあるのは、望月の御牧が原では古来名馬が飼育されており、その牧監がこの地を治めていた望月氏だったことと関係しているのだろう。

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<写真>
弁天窟(2枚)、望月橋

  下に降りて橋をよく見ると横にもう一つ別に歩行者専用の橋が架かっている。その橋を渡って反対側からも写真を撮る。何か工事をしているのか、橋の片側にフェンスが立ててあるのが残念だ。弁天窟も正面からとった。弁天窟の左上の崖には梵語のような文字が3文字書かれている。これが大森曲川の書いた文字なのだろうか。弁天窟は正面から見ると本当に崖にへばりついているように見える。窓のようなものが二つ見えるので、そこに穴があるのだろうか。さらに弁天窟の右下、水面近くにはっきりと洞窟があるのが見える。そこから上がってゆくと祠の窓の所に出るのだろうか。近くまで行けないだけに、かえってあれこれ想像させられる。

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<写真>
豊川稲荷(3枚)

  望月橋はゴブリン選定「上田周辺ユニークな形の橋10選」の有力候補だ。橋のたもとの塔がユニークだし、何といっても弁天窟や句碑などと一体になっているところが異彩を放つ。しかしもう少し決定を先に延ばそう。なにしろ望月橋は偶然見つけたものだ。他にもユニークな橋がある可能性は高い。う~ん、楽しみ楽しみ。

  まだ時間があったので望月城跡まで行ってみることにした。坂道を上がり、旧望月トンネルの手前で左折する。坂を登りきると、右手に老人ホームが見えてくる。道を挟んだその反対側が望月城跡の入り口だ。近くに車を停めて、小道に入ってみる。大樹のアーチを抜けると畑がある開けた空間に出る。その先に木立がある。そちらに進むとところどころ立札があり、「3番堀跡」などと書かれている。木立ちに入ると何もない。ただ平になっている場所があるだけ。段状になっていて、一番上まで上がると石組の上に「望月城跡」と書かれた柱が立っている。それだけ。後は案内板があるだけだ。それによると、戦国時代の天正10年に落城したということだ。今は草が生い茂るだけで、城の跡形もない。文字通り「夏草やつわものどもが夢の跡」である。

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<写真>
望月城跡(3枚)

  車の所にもどる。そこでたばこを一服。周りを見渡してみる。見えるのは山と木と草ばかり。建物はほとんどない。以前「不思議な空間のゴブリン」という記事で書いた、浅間サンラインの枝道で見つけた場所とよく似ている。望月(今は合併して佐久市の一部)や佐久方面は普段あまり行かないエリアである。途中入ってみたい枝道がたくさんにあった。あそこの道はどこに出るのだろう。向こうに見えるあの丘まで行ってみたい。何度か誘惑に駆られた。いずれ日を改めて、このあたりを丹念に探索してみよう。道は無数にある。いろんな出会いがあるだろう。

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<写真>
望月城跡近くの不思議空間、望月城跡の立札、望月橋横の石碑

 帰りは来た道をそのまま引き返した。しかし、帰宅後ネットで調べてみて後悔した。望月橋のすぐ先の望月の信号を右折すれば望月宿の古い家並みが見られたはずだった。残念。まあ、ここもまた日を改めて攻めるとするか。

嬬恋の田代湖へ行く

070811_12  暑い!今日(11日)は本当に暑い。あまりに暑いので涼しいところへ行くことにした。どこ か高い所に行こう。いろいろ考えて、前に地図で見つけていた田代湖へ行くことに決める。田代湖は群馬県の吾妻郡嬬恋村にあるダム湖だ。ダムの名前は鹿沢(かざわ)ダムだが、ダム湖は田代湖と呼ばれている。吾妻川から水を引いているようだが道路地図では田代湖と吾妻川は離れている。不思議に思って帰ってからWikipediaで確かめてみると、「吾妻川左岸の河道外に建設されたダムである。河川自体を堰き止めず、周辺の河川より導水して貯水している」と書いてある。なるほど、そういうことか。

  上田から行くには144号線を菅平方面へ上がってゆき、菅平の手前の二股になっている信号(菅平口)を右に行けばいい。左に行けば菅平だ。鳥居峠を越えると群馬県である。前に鳥居峠のてっぺんあたりまで行ったことはあるが、その先の群馬県側まで行くのは初めてだ。

  144号線を走るとどうしてもスキーのことが頭に浮かぶ。北信の野沢温泉や白馬五竜あるいは八方尾根スキー場などへ行ったこともあるが、僕のメインのスキー場は菅平。コースが短いのですぐ滑り終わってしまうのだが、とにかく一番近いので行きやすい。もっと南のブランシュたかやま、エコーバレー、しらかば2in1なども時間的にはそれほど変わらないが、スキー場の魅力がいまいち。ということでどうしても菅平がメインになってしまう。去年と一昨年はとうとう1度もスキーに行かなかった。今年は何とか1回だけでも滑ってみたい。

  などと夏なのに冬のことを考えているうちに菅平口についた。ここで右折する。曲がった先も144号線である。左折して菅平に行く方は406号線になる。坂道をぐんぐん登ってゆく。前に通ったのはだいぶ前なのでほとんど見覚えはない。渋沢温泉を過ぎしばらく走ったところで左側に川が見えた。ちょうど左折する道があるので入ってみる。小さな橋があり、その手前に手頃なスペースがあったので車を停める。橋は時々車がぶつかるのか一部コンクリの欄干が破損して中の鉄筋が見えているいる。川は滝の入沢川。小さな川だ。ここで写真を何枚か撮る。そのすぐ上流側にコンクリートの堤防のようなものがあるのでそこにも行ってみた。堤防の上に上がってみる。「滝ノ入沢2号砂防えん堤」と書いてある。砂防ダムだった。一番高いところで沢から6、7メートルの高さがあるだろうか。端まで行って下をのぞくと、手すりも何もないのでちょっと足がすくむ。

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<写真>
滝の入沢川に架かる橋(2枚)、砂防堰堤

  そこも何枚か写真を撮り、また144号線に戻る。鳥居峠のてっぺんあたりに、前に来た時休憩した建物があった。何となく見覚えがある。今日は閉まっている感じだった。そこから先は下り道。田代湖はふたつ目の信号を左に曲がればいい。144号線のすぐ横にある。二つ目の信号(確か「吾妻川橋」だったと思う)を左折して、坂を上がる。しかしどうも変だ。道の両側は家が並び、ダム湖があるようには見えない。田代小学校まである。曲がるとことを間違えたかと思い、また144に引き返す。さらに先まで行ってみた。ところがなかなか信号がない。どんどん先まで行くと町に入ってしまった。やっと大笹の信号があったが、明らかに行きすぎている。信号の先にコンビニがあったのでそこで休憩。冷たいドリンクを買い、地図を確かめる。

  どうやらさっき途中まで行った道で間違いないようだ。しかし地図では信号のところから道が2本出ているように書かれているが、実際には1本しかなかった。しかし途中右側に崖沿いに上に上がってゆく細い道があったので、そこに入るのかもしれないと見当を付ける。もう夕方でだいぶ日も傾いてきたので時間もない。すぐ引き返す。途中吾妻川に架かる橋がいくつもあって写真を撮りたかったが、うまく車を停められる場所がない。時間もないので今回はあきらめた。しかし吾妻川は渓流の趣があってなかなかいい川だと思った。

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<写真>
キャベツ畑、田代湖(2枚)

  先ほどの信号を右折。すぐ右側の細い道に入る。ビンゴ!田代湖の看板がすぐ目に入った。上がり口のところにも看板を出しておけよ、などと思いながらさらに道を上がる。すぐ湖が見えてきた。しかし車を停めるところがなかなか見つからない。1か所停められるところがあったが、先客がいた。仕方がないので先に行く。どこかもっと大きな駐車場があるはずだ。とにかく湖の周りをぐるっと回る。ところがいくら行っても車を停めるところがない。途中キャベツ畑があったので写真を撮る。これが有名な嬬恋のキャベツ畑か。と感心する間も惜しんでさらに先に行く。結局湖を一周してしまった。先ほどの小さな駐車スペースが今度は空いていたのでそこに車を停める。すぐ横に立ち入り禁止の看板が立っていた。そういうことか。ダム湖なので中に入れないのは仕方がないが、眺める場所など作っていないようだ。周りを柵がぐるっと囲んでいる。柵越しに写真を何枚か撮る。特に眺めのいい湖ではない。湖の周りをぐるっと回って、いろんな角度から眺めてみたいがもう夕方で時間がない。帰ることにする。帰りの144号線は夕日がまぶしかった。

2007年8月11日 (土)

芙蓉鎮

1987年 中国 1988年岩波ホールにて公開 165分
評価:★★★★★
監督:シェ・チン
原作:クー・ホア(古華)
脚色:アー・チョン
撮影:ルー・チュンフー
音楽:コー・イェン
美術:チン・チーフェン
出演:リュウ・シャオチン、チアン・ウェン、チョン・ツァイシー、シュー・ソンツー
   チュー・シーピン、チャン・クァンベイ、リュウ・リーニェン、シュー・ニン

はじめに
  中国映画100周年の2005年に中国映画ベスト100が選ばれた。その中にシェ・チン監督作品が8本含まれ、「芙蓉鎮」は観客の好きな映画ベスト1に選ばれたそうである。僕が「芙蓉鎮」を最初に岩波ホールで観たのは88年7月24日。今回DVDで19年ぶりに観Ataiwan076 直した。20年近く前に観た映画であるにもかかわらず、記憶に残っているシーンが驚くほどほど多かった。それほど鮮烈な衝撃を受けた作品だったということである。中国映画はこれまでに7、80本は観たと思うが、ずっと「芙蓉鎮」が中国映画の最高傑作だと思っていた。今回見直してそれは確信に変わった。文化大革命を正面から描いたおそらく最初の作品である。当時日本ではまだ文革について詳しいことはほとんど知られていなかった。だからこの映画が暴きだしたそのすさまじい実態には心底から驚愕し、体が震えるほどの憤りを覚えた。「芙蓉鎮」は僕にとってユルマズ・ギュネイ監督の「路」と並んで、これまでで最も強烈な衝撃を受けた映画である。

  「芙蓉鎮」が描きだした文革の恐るべき実態はそれまでテレビや新聞報道などから想像していたイメージをはるかに超えていた。「芙蓉鎮」はどんな優れた歴史書よりも文革の実態をつぶさに、手にとるように教えてくれた。歴史とは記号ではない。ある意味で人間のドラマの集積である。よく、広島の原爆で何人が死傷した、イラク戦争で米兵の死者が何人出たと報道される。しかし数字はその実態を正確に反映しない。20人死のうが、1000人死のうが、一人ひとりの死の重みに変わりはない。歴史書から人間の苦悩や悲しみを読み取ることは困難だ。優れたドラマやドキュメンタリーこそがそれを語れるのである。歴史書から漏れ落ちた人間たちの苦悩する姿、すなわち、もがき苦しむうめき声、歓声と怒号、ため息や悲鳴、ささやかな喜びと底知れない不安、嫉妬や羨望、保身と野心、人を思いやる心と人を踏みにじる行為、弾劾や糾弾、打ち砕かれた誇りとくじけない意志、希望と絶望、そして何よりも地を這ってでも生きようとする意志。「芙蓉鎮」にはこれらのものがあふれかえっている。

  「ユナイテッド93」をレビューした時、「現場の混乱や緊張感に焦点を絞ればサスペンスや臨場感は盛り上がるが、その分広い社会的視野がスクリーンの外に追いやられる」と書いた。これは一般的には当てはまると思う。しかし数は少ないが例外もある。「芙蓉鎮」は巨大国家の中の小さな町とわずかな登場人物を描きながらも、中国全土で荒れ狂った政治の嵐、怒涛のごとく個人を否応なく巻き込み、翻弄し、押し流していった中国の現代史を同時に描き得た稀有な作品なのである。

 「芙蓉鎮」の後、文革時代を描いた映画をいくつも観てきた。「青い凧」(1993)、「さらば、わが愛 覇王別姫」(1993)、「活きる」(1994)、「シュウシュウの季節」(1998)、「小さな中国のお針子」(2002)等々。いずれもすぐれた作品である(特に最初の3本は中国映画マイ・ベストテンに入る傑作だ)。これらを観た後でも、新たに観直した「芙蓉鎮」は少しも色あせていなかった。ドラマが優れているのである。まるで『ヨブ記』のように、いわれもなく次々と苦難や不幸が襲いかかる。その理不尽さ、その残酷さ。しかし、ヒロインのユーインはヨブのように自分は「何故こんな苦しみを受けなければいけないのか」と神に問うたりはしない。むしろ「こんな理不尽なことが許されていいのか」という問いが繰り返し観客に投げかけられている。苦悩と悲しみと恥辱に満ちてはいるが、最後まで生き抜くヒロインとその夫にはそれに耐え抜くたくましさがあった。「芙蓉鎮」は極太の筆で描いた書のような雄渾なタッチの映画である。

石臼は回る
 1963年。映画は文革が始まる少し前から始まる。舞台は中国湖南省の小さな町、芙蓉鎮。市が立つ日、フー・ユーイン/胡玉音(リュウ・シャオチン)が夫のリー・クイクイ/黎桂桂(リュウ・リーニェン)と営む米豆腐の露店は大繁盛している。米豆腐自体もうまいらしいのだが、ユーインが美人であることも店が繁盛している大きな理由である。露店にはユーインたちにくず米を融通してやっている米配給主任のクー・イェンシャン/谷燕山(チョン・ツァイシー)やユーインの兄貴分としてふるまっているリー・マンコン/黎満庚(チャン・クァンベイ)も頻繁にやってくる。店の片隅ではチン・シューティエン/秦書田(チアン・ウェン)が隠れるようにして米豆腐を食べている。最初はなぜそんなに遠慮がちにしているのか理由が分からないが、次第に彼は反動右派のレッテルを張られ、“ウスノロ”と呼ばれて馬鹿にされていることが分かってくる。当時「地主、富農、反革命、悪質分子、右派分子」は「五悪分子」と呼ばれ思想改造を強要されていた。映画の中でも「五悪分子」が広場に集められて、リー・マンコンから「今後とも行動をつつしむように」と訓示されているシーンが最初のあたりに出てくる。

 ユーインの店の向かいには国営食堂があったが、こちらにはさっぱり客が寄り付かない。女店主リー・クオシャン/李国香(シュー・ソンツー)はユーインの店が気に入らない。党幹部であるリー・クオシャンは県の書記をしている叔父という後ろ盾があり、新しく芙蓉鎮に派遣されてきたばかりである。美人であるユーインの店ばかりが繁盛していることに腹を立てたリーはユーインに難癖を付ける。無許可だから営業差し止めにすると言うリーに、同じ党幹部のクー・イェンシャン(谷燕山)が割って入りその場は何とか収まった。ユーインの店はその後も繁盛を続け、ユーインと夫はついに党幹部ワン・チウシャー/王秋赦(チュー・シーピン)から土地を買い、自分たちで家を建てる。土台の石や建材を夫婦二人で何度も運んでゆくシーンが挿入される。その間も毎日夫婦でくず米を石臼で挽く。

 ユーインと夫のリー・クイクイが建てた家は立派なものだった。その家だけが周囲のみすHaneranbu ぼらしい家並から浮き上がって見える。新築の真新しい家はまばゆいばかりに輝いていた。映画の冒頭部分で目を引くのは、町を行き交う人々のぼろぼろで乞食のような服装とあばら家のようなみすぼらしい木造の家々である。土地を融通した党幹部ワン・チウシャー(王秋赦)に至ってはまるでルンペンのような格好である。彼の家は湖(?)の上に張り出すように建てられた掘立小屋だ(映画の最後に崩れ去る)。信じられないほどの貧しさ、そしてそこから這い上がろうとするかのように来る日も来る日も石臼を挽く夫婦。映画の導入部分でこの2点が繰り返し強調されている。おそらくこの貧しさこそ中国革命の原点だったに違いない。老革命家クー・イェンシャン(谷燕山)が若いころ身をささげた革命戦争と新しい中国を歌った歌を思い出す場面にその初心が描かれている。日本を含めた列強に食いつくされ、しゃぶりつくされてきた国。ユーインと夫が努力を重ね、より人間らしい生活を求めるのは当然の欲求だった。しかし、悲しいことに時代がそれを許さなかった。

苦難の時代、踏みつけにされた弱き者たち
 ユーインと夫の幸せな生活は長くは続かなかった。しばらく町を離れていたリー・クオシャン(李国香)が芙蓉鎮に帰ってきた、政治工作班のリー班長として。彼女はさっそくユーインの店に乗り込みいろいろと探った後、町民を集めて集会を開く。彼女はまず“ウスノロ”チン・シューティエンをやり玉に挙げる。反動右派の彼が町の標語を書いているのはどういうことかと。彼に標語を書くよう命じたリー・マンコン(黎満庚)が居心地悪そうな顔をしている。次にリー・クオシャンはユーインを糾弾する。ある露天商が不当なほど大きな利益を上げて家を新築していると。彼女に米を優先的に融通しているとして、名前こそ出さないがクー・イェンシャン(谷燕山)も暗に批判される。首をすくめている小心者のリー・マンコンと違い、剛胆なクー・イェンシャンは演説の途中トイレに立ってしまう。

 こうしてユーインの生活に暗雲がたれ込め始めた。集会の日の夜、ユーインの夫リー・クイクイは不安になり、家を手放した方がいいのではないかと妻に話す。ユーインは納得しない。「バカね、そんな、弱音を吐くなんて!ひき臼の柄がすり減るほど、鍋底に穴があくほど働いたのよ。私たち、人をだました?なぜ家を売ろうと言うのよ?」自分たちは人一倍必死で働いて、その正当な報酬としてお金を得た。そのどこがいけないと言うのか。まともな主張だが、不幸なことにこの国では価値観が逆転していた。金を稼ぐことはすなわち「五悪分子」の富農になることである。リー班長の言い草がすごい。「新しいブルジョワ分子フー・ユーイン」。働いて富を得たユーイン夫婦の行為は「分派活動」とみなされた。滅茶苦茶な話だが、こんなことがまかり通ってしまう時代だったのである。

 ユーインもさすがにそういう不穏な空気を察知していた。彼女は貯めてあった1500元を兄のように慕っているリー・マンコンにこっそり預けた。しかし彼の妻に気づかれ、リー・マンコンは何で災いを家に持ち込むのかと妻に詰め寄られる。一人の不幸が他人にも伝播してゆく。リー・マンコンが思わず漏らした言葉が何とも痛切だ。「なんてことだ。弱いものは、ただ踏みつけられて、惨めに生きるしかないのか。」実は、リー・マンコンはかつてユーインと恋仲だったのである。しかし、彼女を選ぶのか党を選ぶのかという選択を迫られ、彼は党を選んだのだ。今また彼は家族を選ぶのかユーインを選ぶのかという不幸な選択を迫られていた。彼は再びユーインを裏切り、預かった金を党に差し出してしまう。彼の党内での株は上がったが、彼の苦悩は深まる。助かった彼も心に傷を負ったのだ。否応なく人々にこのような苦悩を負わせる政治体制。どこにも逃げるすべなど無い。その恐ろしさがこのようなエピソードを通じて観客の胸に食い込んでくる。

 ユーインは夫に言われ一時親類を頼って芙蓉鎮を離れていた。しかしそこも長居しづらくなったユーインが芙蓉鎮に戻ってきてみると、自分の家は町の「階級教育展示場」になっていた。驚いてリー・マンコンの妻に事情を聴きに行く。ユーインの夫はリー班長の命を狙って失敗し、一ヶ月後に死んでいた。クー・イェンシャン(谷燕山)は逮捕され、リー・マンコンは自己批判のため労働改造所送りになっていた。悲嘆のあまり夫の墓で倒れ伏して泣いていたユーインは“ウスノロ”チン・シューティエンからさらに打撃的なことを知らされる。彼女は「新富農」と認定されたというのである。「米豆腐売りが富農?」驚くユーイン。彼女はついにチン・シューティエンと同じ立場にまで「堕ちて」しまった。

恐怖の時代から狂気の時代へ
 時は移り1966年。ユーインとチン・シューティエンは毎日並んで道路の清掃をしていた。それが彼ら「新富農」と「反動右派」に与えられた思想改造のための労働である。ほうきで道のゴミを掃く二人の姿がこの後何度も映し出される。ひどいものだ。彼らは見世物にされているのである。暴力こそ振るわれないが、人間としての尊厳を奪い屈辱を味わわせる非人間的な仕打ち。革命の初志はとうに失われ、もはや恐怖政治になり果てていた。偏狭なイデオロギーが幅を利かせ、国民は始終おどおどして暮らさなければならない。自分たちもいつユーインや“ウスノロ”のようになるか分からないのだから。

  墓場でユーインがチン・シューティエンと出会う上記のシーンが象徴的だ。声をかけられたユーインが尋ねる。「誰?幽霊?」チン・シューティエンはこう答えた。「どうかな、幽霊のArtsyokujo300w ようで、人間のようで。」人間としての尊厳をはく奪されたチン・シューティエンはまさに「幽霊」のような存在だったのかもしれない。誰からも注意を払われず、そこにいることすら無視される存在。見逃してはならないことは、ユーインすら彼を疎んじていることである。名乗り出たチン・シューティエンにユーインが投げつけた言葉は「近づかないで、この右派の五悪分子」というむごい言葉だった。別れ際にはさらにこう付け加えている。「チン・シューティエンあなたのせいよ。あたしの婚礼で、あなたが祝い歌などを披露したのがつまずきの始まりよ。」長い間に刷り込まれたイデオロギーは、意識するとしないとにかかわらず、もはや骨がらみになっていた。リー・クオシャン(李国香)やワン・チウシャー(王秋赦)などの党幹部ばかりではない、一般の国民もまた偏狭なイデオロギーから無縁ではなかったのである。

 硬直したイデオロギーは人々から考える力を奪ってしまう。ユーインが結婚式での歌にこだわるのは、かつて文化会館の館長だったチン・シューティエンがブルジョワ的な歌を広めたために「反動右派」のレッテルを張られたからである(墓場から去ってゆくチン・シューティエンが歌う歌が切ないほど美しい)。その批判が正当であるかどうかなどユーインは考えもしない。彼女の頭にあるのは、自分はその巻き添えを食ったということだけである。ちょうどユーインから1500元を預かったリー・マンコンに、何で自ら家に災いを持ち込むのかと詰め寄った彼の妻と同じだ。恐怖が社会を支配している時、人々は自分たちの保身にばかり気をとられるようになってゆく。

 「芙蓉鎮」はユーインとチン・シューティエンを始めわずか数人にしか焦点を当てていないが、同時に社会の劇的な変動をつぶさに描いている。ユーインとチン・シューティエンがなめた辛酸は決して彼らだけの特殊なケースではない。いつ誰が同じような目に逢うか分からない。そういう社会全般に広がった不安と恐怖を描いている。それでいてユーインとチン・シューティエンの地獄のような苦難とその地獄を生き抜いたたくましさをも冷徹なリアリズムで描きぬいたのだ。

 個人と社会に深く複雑な奥行きを絡めて描く演出法はリー・クオシャン(李国香)の描き方にも表れている。一見ユーインのいわれのない苦悩の原因はリー・クオシャンの個人的嫉妬や彼女の個人的性格にあるように見える。確かに直接ユーインを地獄に突き落したのはリー・クオシャンである。しかしリー・クオシャン自身が一度偽左派として糾弾され、地位から転げ落ちている。野心に満ちたルンペン党幹部ワン・チウシャー(王秋赦)がリー・クオシャンを追い落とし、支部書記に納まっていた時だ。紅衛兵たちに追い立てられるリーは、屈辱的なことにユーインやチン・シューティエンと一緒に並ばされ、破れ靴を首に掛けさせられる。後に、恐らく叔父の裏工作で、リーは再び復権する。しかしリー自身が有為転変を経験するという描き方を見れば、問題の核心を単純に個人の意思のレベルで描いていないことが分かる。ユーインに対する嫉妬も絡んではいたが、むしろリーを突き動かしていたのは彼女の中に刷り込まれた硬直したイデオロギーだった。ラストで気が狂ったワン・チウシャー(王秋赦)が登場するように、リーもワンも激しい党内の権力闘争の中で何度も浮き沈みを経験しているのである。もはや誰しも安住できない世界。紅衛兵が登場した時、時代は恐怖の時代から狂気の時代に突入したのである。

ブタのように生き抜け。牛馬となっても生き抜け。
 嘲り笑う紅衛兵たちの目の前でユーインやチン・シューティエンと共に並ばされたリー・クオシャンは、かつてないほどの屈辱を経験する。それでも、このほうきを使うといいと親切に声をかけるチン・シューティエンに、「右派の反動のくせに」という言葉を投げ返す。ユーインもリー・クオシャンも自分がチン・シューティエンと同じ境遇に堕ちたことを認めたがらない。他人にした仕打ちが自分に返ってきても、リーは自分がした行為を振り返ろうとはしない。必死に誤解だと主張するばかりだ。彼女もまた自分の保身に汲々としている一個人にすぎない。ユーインもまたこの時点では自分の不幸はチン・シューティエンのせいだと思っている。当のチン・シューティエンだけが人間的な価値観を失わずにいた。だから彼は「右派の反動のくせに」と吐き捨てるように言ったリーに「あんたも人間だろ」という言葉を返すのだ。

 雨の降る日も2人で道路の掃除をしていたユーインとチンだったが、ユーインにチンに対するこだわりがあるために二人の心はいまだに通いあっていなかった。今は髪もぼさぼさで暗い顔をしているユーインは、しばしば幸せだった昔の生活を夢想する。なにかと世話を焼くチンが厭わしく、ついにもう朝呼びに来ないでくれと宣言する。チンは「闇夜が明ければ、鬼も出没できなくなるよ」と言うだけだ。

 ユーインはこの映画のヒロインだが、最初から立派な人物として描かれていたわけではない。夫の前で好きな人と結ばれなかった歌を歌ったり、夫を残して平気で自分ひとり親戚に身を寄せたりしている。そしていつまでもチンにうらみがましい気持ちを持ち続けている。額に汗して必死で働いたことは事実だが、美人の奥さんと周りからちやほやされていた彼女には自分は他の人より幸せになる権利があるという気持ちもあっただろう。必死で働いた正当な報酬を得て何が悪いというまともな気持ちの陰に、後に彼女を演じた女優リュウ・シャオチン自身が示したような金銭と成功に対する強い欲望が隠れていたかもしれない。ユーインをこのように描いたことはむしろ成功だった。彼女をジャンヌ・ダルクのような聖女として描かなかったからこそ、彼女の人物描写が陰影を帯びて豊かになったのである。

 ユーインはとびぬけた美人で商売でも「成功」を収めた人物なのだから、彼女は当時の一般民衆を代表していないという批判は当たらない。彼女が美人だからこそ、国営の店より彼女の店が繁盛していたからこそリーの反感を買ったのである。個人の嫉みが別の個人の運命を不当に左右してしまう、個人的感情がそのまま党の決定としてまかり通ってしまう恐怖、等しく貧しいことを強要される理不尽さ、「芙蓉鎮」が描いたのはそういうことである。いったんレッテルを貼られれば、彼女と関係ある者にもとばっちりが及ぶ。文革の恐怖は特定の個人ではなく国全体を覆っていたのである。

 映画の後半はユーインが次第にチンと心を通わせてゆく過程を描いている。苛酷な状況の中で身を寄せあって生きて行く二人。一時は生きる気力をなくしかけていたユーインの頑なな心を押し開いたのはチンの愛情と人間的な優しさ、そして彼の生きようとする力強い意志だった。ユーインはまた米豆腐を作るため石臼を挽き始めた。やがてユーインが妊娠する。除者の自分たちに結婚など許されるのか、しかも自分は結婚前に妊娠していると不安げなユーインを励ましたのもチンだった。「ブタやニワトリだってオスとメスなら」子供ぐらい作るさ。この言葉は後の有名な台詞へとつながる。彼はワン・チウシャー(王秋赦)の所に乗り込み、何とか許可をもらう。家の戸口に「黒夫妻」と書いた白い対聯を貼らなければならなかったが、「反動的だろうと反革命だろうと夫婦は夫婦だ」とユーインを慰める。

 しかし、ここでまたしてもリー・クオシャン(李国香)が邪魔をする。既に復権していた彼女060214sozai1 はこの結婚を問題視し、2人を裁判にかける。その結果チンは懲役10年、ユーインは懲役3年の刑に処せられてしまう。ただし妊娠中のユーインには執行猶予が与えられた。どこまで不幸が続くのか。観ているこちらまで気が重くなる。怒りがこみ上げてくる。しかしこの場面こそ最も感動的な場面でもあった。チンはユーインにささやく。「生き抜け。ブタのように生き抜け。牛馬となっても生き抜け。」この言葉こそ「芙蓉鎮」全編を象徴する言葉である。この言葉の重みが作品を根底から支えている。這いつくばってでも、土を喰らってでも生きろ。これほどの逆境を描きながら、この映画がペシミスティックでもシニカルでもないのは、映画の根底に生きようとする意志と活力がみなぎっているからだ。

 二人は別れ別れになったが、彼女はその意志を保ち続けられた。なぜなら彼女は決して一人ではなかったからだ。このころにはあまりの理不尽なやり方に義憤を感じる人たちが現れていた。身重の体で掃除をしているユーインに手を貸す人が次々に現れる。そしてもっとも力強い支えはクー・イェンシャン(谷燕山)だった。後半部分はユーインとチン・シューティエンの葛藤だけではなく、クー・イェンシャンとリー・マンコン(黎満庚)が乗り越えなければならなかった葛藤をも描いている。ユーインが預けた1500元を届け出て手柄を立てたリー・マンコンは党籍を残すことができた。今はワン・チウシャー(王秋赦)の秘書をしている。彼にはユーインを売ったという心の傷があった。彼の家に招かれたクー・イェンシャンに向かってリーは「あんたのように生きたい」と漏らす。クーは「おれのように生きる?ムリだね。良心がないと」と答え、ユーインを売ったリーを非難する。リーは「彼女は富農にされ人間以下になった」と続け、ずっと気が咎めていたと告白する。気が咎めていたのならまだ人間的なものが残っていると、クーはリーを許す。その夜久しぶりに酔っぱらったクーは帰り道「おしまいだ。まだ終わっていない」と何度も繰り返す。

 彼ほどの人物でも希望と絶望の間を彷徨っていた。それほど絶望的な状況だったのである。個人の力ではどうすることもできない出口の見えない状況。この状態で希望を持ち続けるのはとてつもなく困難である。安易な逃げ道などない。しかし迷いつつ、時に絶望に捉われそうになりつつ、人々は生き抜いた。ユーインとチンが二人で密かに結婚の祝いをしているところへクー・イェンシャンがひょっこり訪ねてくる場面がある。「結婚は媒酌人がいないと認められんよ。」もっとも、と彼は続ける、「本当の媒酌人は竹ぼうきとあの石畳だ。」彼の言葉は本当に慰めになる。ユーインの言葉が印象的だ。「党の幹部が皆あなたのような人なら庶民は幸せよ。この世ではご恩に報いられません。生まれ変わったら必ず恩返ししますから。」

 ユーインは生まれてきた子供に谷軍という名を付けることでこの恩に報いた。出産のためユーインが病院に運ばれた時もクーが彼女の家族として署名したのである。受付係である女性兵士の紅い襟章、帽子の赤い星がクローズアップされ、クーが本当の父親ではないことがばれるのではないかと緊張が走る場面だった。

政治運動が必要だ。政治運動の始まりだ。
 永遠に続くかと思われた暗いトンネル。しかしトンネルは突然終わり、強烈な光が差し込んだ。1976年に文革が終わったのである。それから3年たった1979年、ユーインは名誉を回復され、奪われた家と1500元も返ってきた。しばらくして夫のチン・シューティエンも帰ってきた。ユーインとチンは米豆腐の店を再開し、店は繁盛していた。店には笑い声が絶えない。クー・イェンシャンもいる。リー・マンコンもいる。みんな年をとったが、表情は明るい。一時はわが世の春を謳歌していたワン・チウシャーは気が狂ってしまい、銅鑼を鳴らして歩いていた。ユーインは彼にも米豆腐をふるまう。クーと出会う前の彼女なら追い払っていただろう。苦難を乗り越え、心から支えあえる夫とも出会い、彼女もまた変わっていたのである。

 しかし「芙蓉鎮」のラストは単なるハッピー・エンドではない。狂ったワン・チウシャーは「政治運動が必要だ。政治運動の始まりだ」と銅鑼を鳴らしながら歩み去ってゆく。それを聞いて言ったチン・シューティエンの言葉が暗示的だ。「確かだ。気をつけんとまた昔に戻るぞ。」これに「世の中皮肉なものだ。変なやつが変じゃなく、まともな人が変になる。政治運動のせいでね」というクー・イェンシャンの言葉を合わせてみれば、言わんとすることは明確だろう。人権と自由は不断に意識し追及しなければまたいつか奪われてしまいかねない。リー・クオシャンは文革が終わった後も、党幹部として生き残っていた。改革はいまだ完全なものではない。火種はまだ残っている。人権と自由を守るには真の政治運動が必要なのだ。

 決して重苦しい映画ではないが、もちろん明るい映画でもない。しかし時にユーモラスなシーンも差しはさまれている。印象的な場面を最後に二つ挙げておこう。一つはワン・チウシャーにいたずらを仕掛ける場面。ワンが一時肉体関係を結んでいたリー・クオシャンの家の窓から出てくるのを見かけたチンは、ちょうど足が着くあたりに泥(糞?)の塊を置いておいた。足から先に窓から降りてきたワンは滑ってひっくり返る。それを見て久々にユーインが笑う。もう一つはチンがユーインに掃除の仕方を教える場面。”1・2・3、1・2・3”とワルツのリズムで踊りながらほうきで道を掃いてみせる。ユーインも楽しそうにそのまねをする。どんなに苦しい時でもちょっとした工夫で気持ちの切り替えができる。それが絶望的な状況の中でも生きる意欲を沸き立たせるのだ。

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2007年8月 5日 (日)

神川探索

  神川探索に出かけた。神川は産川、浦野川、依田川などと並んで上田市民になじみの川である(いずれも千曲川の支流)。浦野川同様両岸を緑に覆われて野性味の残る川である。水源は菅平の四阿山。途中菅平湖を経て真田町を縦断して国分あたりで千曲川にそそぐ。総延長は22キロ。調べてみると、意外なことに神川は上小地方の千曲川水系の中で最大の水量を持つということだ。豊富な水量を生かして幾つもの堰が築かれ、昔から上田盆地東部の水田地帯を潤してきたのである。

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久保林橋(3枚)

  18号に出て、神川を渡り、蒼久保の信号を左折。神川は左手にあるがなかなかそちらに行く道が見つからない。ようやくよさそうな脇道に入る。すぐ先に橋があった。名前は久保林橋。神川も浦野川同様両岸を林で囲まれている。コンクリが目立つ水路のような川ではないので感じがいい。橋を渡ってみると古里を抜けて浅間サンラインに出た。右折して野竹トンネルを抜ける。トンネルのすぐ先が神里橋で、その写真を撮りたかったが駐車スペースがなくて通りすごしてしまった。残念。

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<写真>
境橋(3枚)

  仕方がないので久保林橋と神里橋の間にある境橋に行ってみることにする。しかしこのあたりの道は細いうえにくねくねしていて分かりにくい。川の方に行こうと思ってもなかなか近付けない。カフカの「城」のような感覚を覚えた。だいぶ迷ったが、なんとか行きついた。ここも橋自体はどこにでもあるコンクリ橋でこれといった特徴はない。ただ川の両岸の林は橋のあたりでは途切れていて、川のすぐ横に家が建っていたりする。木がない分ちょっと開けた感じがして、また独特の感覚だ。そこからさらに上流に向かう。またサンラインに出て脇道に入る。適当なところで左折すると下郷橋に出た。この橋もごく普通の形だが、しばらく何も遮るもののない田んぼの中を走ってきた後だけに、木に囲まれた川の眺めがなかなかいいと感じた。周りに家がなく山の中の橋のような趣があるので、散歩にはいいところだ。

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<写真>
下郷橋、下郷橋の下流、下郷橋の上流

 ここも橋を渡って高台にあがる。どこかまた川に下りられそうなところを探す。途中道の片側に水路が走っている一角があった。絵になる風景なので車を停めて写真を撮った。そのちょっと先で下に下りられそうな細い道を見つける。しかしあまりに細い道なので、切り返せる場所があるかどうか不安になった。そこで高台の所に脇道に車を突っ込んで停めた。細い道を歩いて下りる。こういう初めて通る道は先がどうなっているか分からないのでわくわくする。こんな一角があったのかというような静かな場所だ。降りてみると家がわずかにある。道なりに進むと2軒の家があるところで行きどまり。川の音はするがそこからは見えない。田んぼのあぜ道を通ってみたが、川まで行くには藪を突っ切らなければならない。諦めてあぜ道を引き返す。上に戻ることにした。ところが舗装道路から別の舗装されていない道が分かれていて、その先が川の方に曲がっているのでひょっとすると川に出られるかもしれないと気付いた。迷わず行ってみる。道を曲がると川に出た。そこは木もなく見通しがいい。橋はないが川の写真を撮った。ちょうど上流側にはローマン橋の一部が見える。川とローマン橋を一緒に撮った。

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<写真>
神川とローマン橋、同じ場所から下流を見る、用水路への取水口

 さらに上流に向かう。高速道路を越えてまた川の近くに行けそうな小道があったので入ってみる。邪魔にならないところに車を停める。川まで降りて行く道があった。このあたりは川に白い岩がごろごろしていた。川の上流と下流を撮る。また車に戻り、その先のセブンイレブンで休憩。地図を確かめてようやく大体の位置を確認。前の道は176号線だ。ちょっと先に下原の信号があり、そこで菅平に向かう144号線と交差している。

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<写真>
神川の白い石、道に迷って見つけた道祖神?、白い西洋風東屋(左の写真の近く)

  一休みして出発。144号線に入り、さらに上流(菅平方面)へ向かう。川の方に入る適当な場所を探していたが、結局荒井の信号を左折して35号線に入る。信号のすぐ隣を流れる神川を渡り、その先の真田中学のグランドに駐車。ちょうど「真田まつり」の日だったらしく、臨時駐車場の看板が目に入ったからだ。真田中学はすぐ川沿いにある。橋がすぐ目の前だ。近くまで行って驚いた。川に橋が3本並んで架かっている。1本はさっき渡ってきた35号線の橋。その下にもう1本の橋があり、その横に何かのパイプを渡す橋(厳密には橋といえるのか分からないが)がある。下の橋の名前は四日市橋。上の橋の名前は確認しなかった。このあたりも木に囲まれていてワイルドな感じだが、水量はそれほど多くはなかった。写真を何枚か撮って帰宅。

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<写真>
四日市橋(2枚)、四日市橋から下流を見る

2007年8月 3日 (金)

「あるいは裏切りという名の犬」短評

2004年 フランス 2006年12月公開
評価:★★★★
監督:オリヴィエ・マルシャル
脚本:オリヴィエ・マルシャル、フランク・マンクーゾ、ジュリアン・ラプノー
共同脚本:ドミニク・ロワゾー
製作:フランク・ショロ ジャン=バティスト・デュポン 他
製作総指揮・編集:ユグー・ダルモワ
撮影:ドゥニ・ルーダン
出演:ダニエル・オートゥイユ、ジェラール・ドパルデュー、ヴァレリア・ゴリノ
   アンドレ・デュソリエ、ロシュディ・ゼム、ダニエル・デュヴァル
   ミレーヌ・ドモンジョ

  しかしフランスのフィルム・ノワールも最近はだいぶアメリカ寄りになったものだ。めまぐるしい展開でどんどん引き込まれては行くが、その分かつてのフランス映画が持っていた独特のノワールな雰囲気や味わいが薄れた。観終わって1週間もたつとほとんど忘れてしまっている。もっともアメリカナイズされるのはどこの国も同じで、韓国映画は言うに及ばず、「HERO」、「LOVERS」、「PROMISE」など中国映画もその傾向が顕著だ。フランス映画も「ヴィドック」、「ジェヴォーダンの獣」などが現れ、リュック・ベッソンもすっかりフランスらしさを失ってしまった。

 フレンチ・ノワールらしさが残っているのは友情と裏切りというテーマと主人公のタイプTatatemy129 か。ダニエル・オートュイユとジェラール・ドパルデューという主演の2人はかつてのリノ・ヴァンチュラを彷彿とさせる。鼻がでかく曲がってすらいるところも似ている(ドパルデューに至っては鼻の域を超えもはやデキモノである)。ともに堂々たる存在感を示してはいる。惜しむらくはドパルデューの人物描写が浅いこと。なぜ彼が裏切り行為に走ったのかが十分描かれていない。説明不足というのではなく、人物の掘り下げが浅い。かつて親友同士であったが、同じ女性を愛したためにしこりが残り、今は次期長官の座を狙うライバル同士という設定もありきたりだ。その分彼の内的葛藤が十分描けず、ドラマがやせてしまった。とってつけたような説明(あるいは暗示)だけではドラマは深まらない。それでもアメリカ映画にはない濃厚な人物描写には魅了がある。さっそくハリウッドがリメイクに飛びついたそうである。いつまでそんな安易な姿勢を取り続けるのか。全くあきれてしまう。

 キャストで驚いたのはミレーヌ・ドモンジョ。「隠された記憶」のアニー・ジラルドにも驚いたが、ミレーヌ・ドモンジョがまだ現役でやっていたとは!名女優というタイプではなく、ブリジット・バルドーなどと並んでコケティッシュなお色気路線で売っていた女優だ。ジャンヌ・モローもそうだが、フランス女優はしぶとい。

 最後にフレンチ・フィルム・ノワールの代表的な作品を挙げておく。厳密なノワール作品ばかりではなく、周辺の作品もあえて挙げてある。

「モンパルナスの夜」(ジュリアン・デュヴィヴィエ、33)
「犯罪河岸」(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)
「現金に手を出すな」(ジャック・ベッケル、54)
「男の争い」(ジュールス・ダッシン、55)
「筋金(ヤキ)を入れろ」(アンリ・ドコワン、55)
「死刑台のエレベーター」(ルイ・マル、57)
「マンハッタンの2人の男」(ジャン・ピエール・メルヴィル、58)
「穴」(ジャック・ベッケル、60)
「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン、60)
「墓場なき野郎ども」(クロード・ソーテ、60)
「ピアニストを撃て」(フランソワ・トリュフォー、60)
「地下室のメロディー」(アンリ・ヴェルヌイユ、62)
「いぬ」(ジャン・ピエール・メルヴィル、63)
「皆殺しのシンフォニー」(ジャック・ドレー、65)
「生き残った者の掟」(ジョゼ・ジョバンニ、66)
「ギャング」(ジャン・ピエール・メルヴィル、66)
「皆殺しのバラード」(ドニス・ド・ラ・パトリエール、66)
「サムライ」(ジャン・ピエール・メルヴィル、67)
「さらば友よ」(ジャン・エルマン、68)
「シシリアン」(アンリ・ヴェルヌイユ、69)
「雨の訪問者」(ルネ・クレマン、70)
「仁義」(ジャン=ピエール・メルヴィル、70)
「ボルサリーノ」(ジャック・ドレー、70)
「狼どもの報酬」(ジョルジュ・ロートネル、72)
「狼は天使の匂い」(ルネ・クレマン、72)
「リスボン特急」(ジャン・ピエール・メルヴィル、72)
「ラ・スクムーン」(ジョゼ・ジョバンニ、72)
「暗黒街のふたり」(ジョゼ・ジョヴァンニ、73)
「ル・ジタン」(ジョゼ・ジョヴァンニ、75)
「掘った奪った逃げた」(ジョゼ・ジョバンニ、79)
「ディーバ」(ジャン・ジャック・ベネックス、81)
「仕立て屋の恋」(パトリス・ルコント、89)
「ニキータ」(リュック・ベッソン、90)
「レオン」(リュック・ベッソン、94)
「列車に乗った男」(パトリス・ルコント、02)

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