産川探索 その2 沢山湖へ行く
今日(7月1日)は赤地蔵と夫婦道祖神、沢山湖(さやまこ)の写真を撮りに行くことにし た。三つとも「茶房パニ」の近くにあるはず。いつものルートでまず舌喰池の横を通って独鈷温泉方面へと向かう。途中手塚八幡社に立ち寄った。大きな鳥居が目立つので前から気になっていたのである。もちろん名前は近くまでいって初めて知った。田んぼばかりの所に鳥居がにょきっと立っているので非常に目立つ。その背後は山だが、山の斜面に階段がついていて、階段の途中にも赤い鳥居がある。面白い場所に神社があるものだと前から思っていた。
車を停めて階段を上る。結構段数があるが、息が切れるほどではない。上り詰めると社殿があった。かなり古いのか、木がだいぶ傷んでいる。数枚写真を撮ってまた車に戻る。 独鈷温泉の手前を右折。坂道を上がってゆく。途中沢山湖に行く脇道があるはずだが、標識に気がつかなかった。結局「パニ」まで来てしまう。赤地蔵は車を停めたすぐ近くにあるはずだ。すぐ横に交差点があるが、なんとその交差点の所に赤地蔵があった。ここはもう何度も通ったのに、どうして今まで気がつかなかったのだろう?まあ、交差点だから当然他の車に注意を向けなければならない。よそ見をしている余裕はない。そういうことだろう。
赤地蔵は本当に真赤だ。すぐ隣にバス停らしきものがある。横の説明書きを読むと、野 倉あたりは日本一降雨量の少ないところで、庶民の悩み事を聴いてくれる地蔵菩薩に託して住民が毎年雨乞いをしたと書かれていた。したがって「雨乞い地蔵」とも呼ばれているそうである。夫婦道祖神は赤地蔵から100メートルほど行ったところにある。ちょうど「パニ」の裏の道を歩いてゆくことになる。すぐに見つかった。眺めてみると実にかわいい道祖神である。説明書きにもあるように、女神と男神が互いに肩を組み、手を握り合ってほほ笑んでいる姿が何ともほほ笑ましい。家庭円満、子宝の神として崇められているというのも納得だ。しかしこの道は前に「パニ」に来た時に上がってみたと思うが、その時に夫婦道祖神に気づかなかったのだろうか。まあ、関心がないと見たとしてもすぐ忘れてしまうのだろう。
また車に戻り、来た道を下る。今度は沢山湖に行く枝道を見落とさないようにさらに気を 配る。来る時にも目に入った大きな看板に沢山湖と書いてある。何だここだったのか。車を乗り入れると、車1台がやっと通れるほどの細い道だった。しばらく進むと右下に湖らしきものが見えてきた。湖の横にある管理事務所のような建物の横に車を停める。その場で写真を何枚か撮る。背後の山もかなりの迫力。どこか山水画を想わせる山容である。湖の周りに舗装された道がついているので、歩きながらいろいろな角度から写真を撮った。しかしこの湖は実にひょろ長い。地図で見るとウナギのように長い形をしている。その長さをうまく写真に収めたいのだが、湖の周りには木が生えているのでなかなか理想的な角度から撮れない。あそこからならいい写真が撮れそ うだとどんどん奥まで歩いて行ったが、何せひょろ長い湖なのでなかなかそのポイントまで行きつかない。歩くより車で移動した方がいいと思いなおして、来た道を引き返す。いつの間にかかなりの距離を歩いていた。帰宅後地図で調べたら1キロほど歩いていたようだ。往復2キロである。
車でまた同じ道を走る。さすがに楽である。先ほど引き返した地点の少し先に小さな橋があったので、車を停めて写真を撮った。誰も意識しないような小さな橋なのに、「二股橋」とちゃんと名前まで付いているのには驚いた。その橋をはさんで湖の反対側からは小川が 注ぎ込んでいる。すると沢山湖は産川の水源ではないことになる。そのことはさらに湖を回り込むように車を進めるとより明確になった。どんどん先に進むとウナギの形の尻尾の先に出る。だがその先にも道は続いている。尻尾の先は渓流になっている。そして道は上っている。つまりその小川は沢山湖から流れ出ているのではなく、沢山湖に注ぎ込んでいるのである。地図ではその渓流は産川となっている。つまり産川の水源は沢山湖よりさらに上にあり、一旦沢山湖に注ぎ込み、そこからまた流れ下っているわけだ。
インターネットで調べてみても、産川の水源は独鈷山としか書かれていない。沢山湖沿いの道は池の尻尾の先からさらにその上流の産川沿いに続き、青木村に出る。その道をたどれば産川の水源に行けるのだろうが、そこまでは行かなかった。地図を見るとその道は沢山湖林道と書かれている。ところで沢山湖は沢山池とも表記される。もちろん実際に見た印象は池ではなく湖である。池と呼ぶには大きすぎるだろう。しかし、Wikipediaで調べてみたら面白い事実が分かった。元々はため池だったのである。1934年に工事が始まったというのだから結構古い。独鈷山のふもとに広がる塩田平は降雨量の少ないところで、各地にため池が作られている。沢山湖はそのため池に水を供給するために作られたため池だと言うのだ。いわばため池の親玉、キング・オブ・ため池である。まあ実感としてはダム湖と言った方がぴったりくるが(実際Wikipediaでは「ダム湖」という表現も使われている)。
ただし灌漑用水としては水が冷たすぎるので、1951年から52年にかけて表層の温水 部分を取水する設備を新設する工事が行われた。さらには改修とあわせて洪水調節機能を追加する工事が1987年から行われた。竣工が96年とあるから9年がかりの大工事だった。その間犠牲者もいたのだろう。ダム管理事務所の近くに殉職碑がたててあった。まだ新しい感じなのでこの時のものだろう。 前日行った鞍が淵から上がってくる道はがけ崩れのために封鎖されていた。よく見るとその道の上にある崖には斜めに大きな亀裂が走っていた。もろい岩質なのだろうか。これが崩れたらひとたまりもない。
行ってみてよかった。わざわざ遠くまで行かなくても、地元にこれだけ見るべき場所がある。山が多いということは、それだけ普段人の目に触れない場所がたくさんあるということである。長野県に観光地が多い、というより県全体が観光地であるのは、長野県が山国だ ということとどうやら無関係ではなさそうだ。山のこちら側と向こう側とでは違った文化と風習がある。よく言われることだ。平成の大合併でかなり自治体数は減ったが、長野県は全国一自治体数が多い県である。面積が大きいだけではない。山が地域を隔てているのである。この探索シリーズ、しばらく続きそうだ。
<写真の説明(上から)>
茶房「パニ」のベランダからの眺め
手塚八幡社の鳥居
赤地蔵
夫婦道祖神
沢山湖(管理事務所、放流路、取水口)
沢山湖4枚
(3枚続き左から)ダムの向かいの山、亀裂の入った岩山、殉職碑
沢山湖(上の3枚)
上の3枚、左から
手塚八幡社
二股橋
「パニ」のベランダ(「パニ」の写真は以前撮ったもの)
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