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2007年6月

2007年6月30日 (土)

産川探索 その1 鞍が淵を撮る

 病膏肓に入る。こんな表現を使ったのは初めてだと思うが、今はまさにそういう状態に070630_3 なっている。デジカメで写真を撮るのが面白くて仕方がない。毎週土日はどこかに出かけて、写真を撮っている。何か面白そうな情報を聴きつけたら、行って写真を撮ってくる。そんな体になってしまった。先日、そんなゴブリンの目にとまった記事がある。「週刊上田」という地元のミニコミ誌があるが、そこに「鞍が淵の周辺整備完成」という記事が載っていた。鞍が淵は「小泉小太郎」伝説の発祥の地である。この伝説は松谷みよ子の『龍の子太郎』の題材になった。学生の頃児童文学を読みあさった時期があり、『龍の子太郎』もそのころ読んだ。こういう記事を見たら行かないわけにはゆかない。早速今日行ってみることにした。

070630  その前にまずは腹ごしらえというわけで、西塩田小学校の近くにある「み田村」という蕎麦屋で食事。この店に入るのは初めて。店の内装は悪くない。窓からの眺めもいい。特に山田池の眺めがいい。後で写真を撮ることにする。きのこおろしうどんを頼んだ。麺のこしが相当に強い。でも味はまあまあだった。店の外に出て、たばこを一服。東屋が喫煙所になっていて、庭の作りも悪くない。

 車に戻ってカメラを取り、細い道を下りて山田池の写真を撮る。ここは以前まだ自転車によく乗っている頃に何度か来たところだ。雨の少ない上小(上田小県)地区にはたくさんのため池があるが、ここはその中でも特に眺めのいい池である。県道別所丸子線から見降ろしてもきれいだが、反対側から見るとさらに眺めがいい。すでに家を建てた後だが、こPhoto_113の池が眺められるところに家を建てるべきだったと後悔したものである。小高い丘の上にあるので、横に池と独鈷山を眺め、前には塩田平が見渡せる位置に建てたら最高だ。

 車に乗っていよいよ鞍が淵探索に出発。鞍が淵の正確な位置が分からないが、地図で おそらく独鈷温泉まで行けば見当がつくだろうと考えた。独鈷温泉まで行ってみると、すぐに「鞍が淵」と書いた案内板が目に入った。独鈷温泉のすぐ下を産川が流れていて、そこに飯前場橋が架かっている。その橋のすぐ横に「鞍が淵→」と書いた案内板が立っている。後はそれに従って細い山道を上がってゆくだけ。あまりに細い道なので対向車が来ないか少し心配になる。少し進んだところで左側に小さな鳥居があった。車を停めて写真を撮ろうとした。ところがバッテリー切れの表示。あわててバッテリーを入れ替える。2台の車がすれ違える道幅はないので、他の車が来ないかと気が気でない(結局最後まで1台もすれ違わなかったが)。なんとか写真を撮りまた坂を上る。あわてていたのでそれが何の社なのか確かめる余裕もなかった。

070630_13  道の右側を産川が流れていて、ずっと川のせせらぎが聞こえる。このあたりは山の中なので渓流になっている。さらに坂を上がると何かの工場らしきものが見える。それも越えてさらに上がると鞍が淵の表示が見え、その横に小さな駐車場があった。道の反対側にも駐車場があるので、併せると10台は停められるかもしれない。完全に森の中で巨木がうっそうと茂っている。車を停めた反対側に、木を切り開いた空間があり、鞍が淵についての説明が書かれた案内板が立っている。石垣を組んで平にしてあるので、何かの跡なのかもしれない。川の方に下りてゆく。川床には巨大な岩が肩を並べるようにいくつも居座っている。写真を撮るとフラッシュが作動する。巨木に覆われて昼なお暗い渓谷。文字通りの深山幽谷。憑かれたように写真を撮りまくる。しかし僕の技術ではこの景色の迫力を捉えられない。

 岩には苔がびっしりとこびりつき、地面は降り積もった枯葉で踏むと柔らかい。岩に亀裂070630_13_1 があったり、重なった岩の間を水が流れていたり、そこら中が撮影ポイントだ。岩伝いに川の中ほどまで行って撮った写真もある。岩は苔に覆われているので、足を滑らせやすい。細心の注意を払った。誰も観ていないこともあるが、こういう所に来ると冒険心がくすぐられるのである。今までずいぶん写真を撮ってきたが、早くパソコンに取り込んで、どんな風に映っているか見てみたいとこれほど思ったのは初めてだ。

070630_15  川沿いに上流の方に行くと赤いロープが切れ、少し上にある川沿いの遊歩道に出る。そこをさらに上流の方へ歩いて行った。大きな水音がするので滝か段差があるのだろうと思っていたら、川に90度の角度で水が流れ込んでいた。流れ込んでいる方はまっすぐなので川というより水路のように見える。しかし水が横から流れ込んでいる所より上流はほとんど水が流れていない。というより、行きどまりに見える。土管から水がちょろちょろ流れているだけだ。つまり下の渓流を流れている水はほとんどこの水路から流れ込んでいる水である。水路のようだが、これが本流ということになる。おそらく何かの事情で人が水の流れを変えたのだろう。水路のようにまっすぐ流れてきて、直角に曲がる川など無い。

 車に戻ると手や肩にクモの巣がたくさんくっついていた。車を停めたところのすぐ横にも070630_22 小さな橋があったので、これも写真にとる。最近は橋を見るとすぐ写真を撮りたくなる。重症だ。ともかく、また細い山道を下る。独鈷温泉下の飯前場橋のところでまた車を停め、写真を撮る。独鈷温泉下の道に出て、右折。この道沿いには中禅寺、塩野神社、竜光院、塩田城跡、前山寺、信濃デッサン館、無言館など、上田の観光名所がひしめいている。今日はそこまではいかず、中禅寺手前にある「塩田の郷マレットゴルフ場」に行った。道よりやや高い所にあるので、走っている車からは見えない。眺めがよさそうなので前から一度入ってみたいと思っていたのだ。もっとも、別にマレットゴルフに興味があるわけではない。写真を撮って、ついでに休憩したかっただけだ。なだらかな丘の斜面を全部使ってマレットゴルフ場にしている。結構な広さだ。駐車場から070630_19 周りを眺めるとこれまた景色がいい。しかし360度山しか見えない。島崎藤村の『夜明け前』の有名な一節「木曽路はすべて山の中である」をもじって、「信濃路はすべて山の中である」と書きたくなるくらいだ。

 冷たいものを飲んで一服して、また山を下りる。走っているうちに旧西塩田小学校に出た。今は「さくら国際高等学校」として使われている。普通の高校などに合わない人たちを対象とした通信制のフリースクールである。映画「学校の怪談4」などで使われた古い校舎(体育館は「卓球温泉」の卓球場として使われた)は車で走りながらでも目を引く。そういえば前に訪れた時(文化祭か何かをやっていて中に入れた)、2階で「小泉小太郎」伝説関連の絵だったか彫刻だったかが展示されていたのを思い出した。でも今回は素通り。

 別所丸子線の方に向かう途中で舌喰池が見えてきた。池の堤防が一部切れているとこ070630_17 ろがある。池の外から中の水が見える。絵として面白いので道端に車を停めて写真を撮った。堤防まで上がって池の写真も撮る。池を囲む手すりが木製でなかなか見た感じがいい。ふつうは緑色に塗った金属製のネットで囲んである。ここは前から木だったろうか?写真に突然興味がわき出す前は、そんなことに別段注意していなかった。写真を撮り始めると、それまで何気なく見ていた(つまり、見ていなかった)ものが見えてくる。もうこれは病みつきだ。家に帰って地図などを眺めていたら、もう明日の計画が頭に浮かんでいる(そんな暇ないのに)。産川の水源近くにある沢山湖や野倉の赤地蔵と夫婦道祖神なども撮ってみたい。塩野神社の月見堂にももう一度行ってみ070630_1 たい。依田川の上流部も気になる。そこら中にあるため池もシリーズで撮りたい。ああ、毎日が土日にならないかなあ。

 4時前に帰宅。庭の使っていないプランターの上で白い猫が気持ちよさそうに眠っている。どこかの野良猫だろうか。ここ数カ月ばかり、庭のプランターがこの猫の日向ぼっこ用ベッドになっている。

070630_23 070630_4 070630_4_3





<写真の説明>
舌喰池(左上)
鞍が淵、飯前場橋、舌喰池(左から)
鞍が淵(下の3枚)

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 ついでに先日産川の下流部分、浦野川に産川が合流するすぐ手前、古戦場公園の近くで撮った写真も載せおこう。浦野川はそのすぐ先で千曲川に注ぎ込んでいる。つまり、産川は千曲川の支流の浦野川のそのまた支流ということになる。

Img_0763_1 Img_0766_1 Photo_114







<上の写真の説明(左から)>
堀川橋
古戦場橋
古戦場橋から見た下流
 (左前方の山が突然切れたようになっている部分は「岩鼻」と呼ばれている。鼻っ先を正面から見ると大きな窪みが二つあり、見ようによっては髑髏のように見える。岩鼻の上は千曲公園になっており、上田の市街地が一望に見渡せる。)

<追記>
 一つ書き忘れていたことがありました。「み田村」の駐車場から別所丸子線に出る道で何Photo_115 とタヌキを見かけたのです。車の前を横切ってゆきました。これまでも夜ヘッドライトにタヌキらしき影が映ることはあったのですが、夜なので本当にタヌキなのかあるいは猫なのか確信が持てませんでした。しかし今日は昼間。間違いなくタヌキでした。これほどはっきり見たのは初めて。見かけたという話は何度も聞いたことはありますが、まさかこんな所で出会うとは。でも、さすがにシャッターチャンスはありませんでした。う~ん、残念。

2007年6月26日 (火)

プラダを着た悪魔

2006年 アメリカ 2006年11月公開
評価:★★★★
監督:デヴィッド・フランケル
原作:ローレン・ワイズバーガー 『プラダを着た悪魔』(早川書房刊)
脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ
撮影:フロリアン・バルハウス
撮影:フロリアン・バルハウス
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント
    スタンリー・トゥッチ、エイドリアン・グレニアー、トレイシー・トムズ
    サイモン・ベイカー、レベッカ・メイダー、ジェームス・ノートン
    ジゼル・ブンチェン、デヴィッド・マーシャル・グラント

 「9時から5時まで」(1980)から26年、「ワーキング・ガール」(1988)から18年。かつて男X_dolls2_1に伍して肩肘張って働いていた女性たちもこの映画を観るとだいぶスマートになってきたと感じる。まあ、それは職場がファッション雑誌の編集部だからということもあるだろう。華やかさでは群を抜いている。アメリカは徹底した競争社会。たとえ女性中心の職場でもうかうかしていたらすぐ首にされ、降格されてしまう。仕事を持つ女性は多いのに、なぜか女性の働く職場はあまり映画では描かれない。そのせいなのか、働く女性というとなぜか「ノーマ・レイ」(1979)や「スタンドアップ」(2005)などの戦う女性が思い浮かんでしまう。この映画は女性と仕事という問題を描いた久しぶりの映画なのである。

 女性中心の映画というと「ドリームガールズ」やこの「プラダを着た悪魔」などの華やかなビジネスが似合うと作る側は考えるのだろう。毎日ただ同じような仕事をこなしている職場を描いてもドラマにならない。男のサラリーマン映画というと名作「セールスマンの死」(1951)や「アパートの鍵貸します」(1960)、あるいは韓国映画「反則王」(2000)などのサラリーマンの悲哀感を描いた映画が想起される。バリバリ仕事をこなす猛烈ビジネスマンもよく登場するが、家庭を顧みない男としてたいてい家庭は崩壊している。「プラダを着た悪魔」で言えばミランダ(メリル・ストリープ)がそのタイプだ。

 職場そのものを描いてドラマになるのは警察、病院、新聞社などの毎日変化がある職場である。アメリカの傑作TVドラマ「ER」などは10年以上続いているのに全く水準が落ちない。救急病院の「仕事」は毎日が生と死の交錯するドラマなのである。「プラダを着た悪魔」の職場は人の生死には関係ないが、そのめまぐるしさは「ER」並みである。テンポの良い展開でぐいぐいストーリーが展開してゆく。単に華やかなだけではなく、流行の最先端を行く業界。日々の仕事そのものがドラマになる職場がまた一つ発見されたわけだ。毎日が戦いである。素人には全く同じにしか見えないベルトのどちらが服に合うか判断する能力を問われる職場。それを観ていたアンディ(アン・ハサウェイ)はどっちだって同じだろうと思わず失笑するが、その彼女にミランダが投げつけた言葉が象徴的だ。「でも、皮肉ね。“ファッションと無関係”と思ったセーターはそもそもここにいる私たちが選んだのよ。」、流行の最先端を行くだけではなく、流行そのものを作ってゆく業界なのである。

 そういう職場だから女性たちの一日は洋服選びと化粧で始まる。原作が女性だからこのL31a_1 あたりはリアリティがある。しかしこれだけ完全武装しても悪魔のような編集長ミランダの放つ銃弾のような言葉の前では裸も同然。女性社員たちは戦々恐々としている。そこへ全くファッションに関心のないジャーナリスト志望のアンディが採用の面接を受けにくる。男の目からは彼女のファッションはなかなか魅力的だと思うのだが、ミランダのアシスタントであるエミリーから見ればまるで田舎出の山猿のように見えるのだろう。鼻であしらわれている。しかしミランダはファッションセンスではなく彼女の「意外性」を買って採用する。ここからアンディの苦闘が始まる。

 女性のあこがれの的である華やかな業界に、全くそんなことに関心のない女性が入社する。このひねりが効いている。もっとも途中でダサいアンディも最新ファッションに身を固めるレディに変身するわけで、そこが見せ場にもなっている。変身してみるとなるほど見違えるようだ。最初に着ていた服装がダサく見えてくるのだから面白い。王道を外さないところはさすがにアメリカ映画。しかし最後にアンディが初心を貫いて転職するところはなかなか芯がある。あっけなく成功をつかんでしまうあたりはいかにもアメリカ映画だが、ただ華麗なファッションを見せるだけに終わっていない点は評価できる。

 この映画を引き締めているのは「悪魔のような女」ミランダである。滅茶苦茶ワンマンで、次から次へとアンディに無理難題を迫る。やれ嵐で欠航している飛行機を何とか手配しろ、やれハリポタ・シリーズの新作のゲラを手に入れろと、「お前は何様じゃい」と突っ込みたくなるような要求を言いつけてくる。普段でも機関銃のように予定をまくしたて、新人アシスタントはメモをとる暇さえない。聞きなおしたり質問したりする余裕もない。”That’s all.”がミランダの口癖だ。しかし「悪魔」と言われる割には冷酷でも残酷でもないし、陰険でもない。自分のペースで仕事を進めたいだけなのだ。はっきり言って、「ER」のウィーバーの方がよっぽど憎々しい。冷酷とさえ思える。もちろんウィーバーとても悪魔ではない。人間的な弱みもある。ミランダはたとえて言えば、厳しく弟子を鍛える職人の親方のようなものだ。要求が高いから厳しく接する。だからミランダにそれほど反発を覚えない。むしろ正直言って物足りない。「どこが悪魔だ?」という気持ちが残ってしまう。メリル・ストリープはさすがの力演なのだが、彼女の性格づけが型どおりなのである。

 ミランダが弱みを見せるシーンが一度だけある。椅子にぐったりとした感じで横たわるミランダは疲れた顔をしている。珍しくすっぴんの彼女は目もとが老いを感じさせ、まるで別人のように見える。夫との離婚問題で落ち込んでいたのである。ミランダが初めて見せた人間味。おそらくこの時を境に、アンディの彼女に対する認識は変わっただろう。アンディを信頼しているから見せた人間的弱さ。彼女は悪魔でもなんでもない。必死で働き続けることでそれを隠してきただけである。

 しかしこの映画が面白いのは、アンディがミランダに対する認識を深めたまさにその後にミランダの元を去るところにある。ファッション業界のつまらなさを内部に入って知ったとJewelgrape5_1 いうのではない。やりがいがあるからこそ恋人との仲が冷えてしまうほど頑張ったのである。ミランダに失望したわけでもない。むしろミランダにはそれなりに尊敬を感じているはずだ。彼女の人間的な一面も知った。それでも仕事を辞めたのは本当に自分のやりたいことが他にあったからである。それなりにやりがいがある仕事だという思いはあっただろうが、しかし彼女には他人を蹴落として生きてゆく生き方を肯定できなかったのだ。それは自分の生き方ではない。職場を去った後でかつての同僚であったエミリーに服を譲る場面にそれが暗示されている。

 ミランダはやはり仕事人間だ。頑張れば頑張るほど周りを引きずり回してしまう。ミランダが唯一弱みを見せた時、「何か私にできることがありますか?」と聞くアンディにミランダはこう答えた。「仕事よ。」突然自分の元を去ったアンディにミランダは電話をかけてくる。アンディはその携帯電話を泉に投げ捨てる。それまではTVドラマ「24」のジャック・バウアーさながらに使っていた携帯を。彼女の都合など一切構わずに携帯が鳴り出す生活に彼女は別れを告げたのだ。

 携帯に振り回されているうちに、いつの間にか「選択の余地がないの」が口癖になっていた。ちょっとでも対応が遅いと叱りつけられる毎日。自分を見失い、恋人や友人たちも失いかけていた。最初は1年我慢すればキャリアがつくという気持ちだったのに。だが、ギリギリのところでアンディは自分を取り戻した。ジャーナリストになる夢を忘れず、「ミラー」誌の記者に採用される。こういう思い切った方向転換は日本人にはなかなかできない。そういう意味でさわやかなラストだった。ミランダの対応も立派だった。有名な雑誌社をなぜ途中で止めたのか「ミラー」誌から問い合わせが来た時、ミランダは「今までで一番失望した」と答えた。そしてさらにこう付け加えた。「彼女を雇わなかったら、あなたはバカだ。」

 主演のアン・ハサウェイが可憐で実に魅力的だ。「ブロークバック・マウンテン」でも好演したが、彼女にはやはりこういう映画が似合う。映画を観ている間中、ずっと誰かに似ていると思っていた。観終わってふと気がついた。大きなたれ目、厚ぼったい唇、黒髪。そう、キャサリン・ロスだ。「卒業」、「明日に向かって撃て」。僕らの世代はみな彼女にあこがれたものだ。特にサイズ6からサイズ4に変ってからは実によく似ている。次にどんな映画に出るのか楽しみだ。

 テンポが良く、ラストもさわやかだが、型どおりと言えば型通りの映画である。しかし、ファッションなどに全く関心がない僕でも楽しめる。それはつまり良くできているということだ。例えば日本でこんな映画が作れるだろうか。そう考えてみれば、この映画がなかなかの出来だということが分るだろう。

 That’s all.

2007年6月24日 (日)

馬坂橋は沈下橋だった

Bicycle2_3  「依田川探索 その1 馬坂橋を撮る」という記事を改めて読み直してふと思いついたことがある。馬坂橋の不思議な形について「橋の横に支えのような形の木組みがあるが、不思議なことに橋とはつながっていない。これは一体何のためにあるのか?上流側にだけにあるのも不思議だ。」と書いたが、ひょっとしてこれはいわゆる沈下橋ではないかと思い当たったのだ。Wikipediaで確かめてみたらどんぴしゃ。

  「橋の上に欄干が無く(あってもかなり低い)、水面からの高さが高くないことが特徴」、「一部の橋には流木避け(増水時流木やゴミが桁や橋脚に直撃して壊れるのを防止する為、橋上流部側面に設けられた斜め状の部材)が設置されている事もある」と解説されている。まさに馬坂橋の説明文を読んでいるようだ。なぜこんなに低く、また欄干がないのかと言えば、「増水時に、橋が水面下に没するようになっており、流木や土砂が橋桁に引っかかり橋が破壊されたり、川の水が塞止められ洪水になることを防ぐため」である。なるほど、納得。

  沈下橋というのは高知県の有名な四万十川での言い方で、他にも潜水橋や潜り橋、冠水橋などの呼び方があるらしい。実は、馬坂橋を見た時に一瞬沈下橋という言葉が頭をよぎった。しかしすぐ忘れてしまった。おそらく「まさか上田にあるはずがない」と無意識のうちに否定していたのかもしれない。

  沈下橋のことを何で知ったのかははっきりしない。一時富山和子の著書を読みあさっていた時期があったので、おそらくその中のどれかで読んだものと思われる。『水の文化史』(文芸春秋、文庫版もある)、『水と緑と土』(中公新書)、『水と緑の国、日本』(講談社)、『水の旅』(文春文庫)。どれも滅法面白い。ざっと目次を見てみると『水の旅』に沈下橋が触れられている。これだったか。あるいは四万十川はカヌーイスト野田知佑の本にも頻繁に出てくるのでそっちで読んだのかもしれない。野田知佑と椎名誠の本はこれまた一時期むさぼるように読んだ。まあ、いずれにせよ、四万十川はテレビなどでもよく取り上げられるので、いろんなところで見聞きしたのかもしれない。

  こうやってみると、僕はずっと川を意識していたのだ。思い返してみれば川との「付き合い」は今に始まったことではない。自分で川と橋の写真を撮り、それをブログで公開するということはつい最近、それもたまたま浦野川と出会ったことがきっかけで始めたばかりなので、自分でも最近新しいことを始めたつもりでいた。しかし川との付き合いは30年以上前から始まっていた。1997年12月18日に「川沿いを自転車で」というエッセイを書いた(ホームページ「緑の杜のゴブリン」に収録)。そこにも書いたが、川沿いの散歩を日課のごとく始めたのは1973年。江戸川のすぐ近く(千葉県流山市、最寄り駅は東武野田線の江戸川台)に住むようになってからだ。

  流山市と東京の調布市にいたころの記憶は江戸川と野川の記憶と深く、切り離しがたく結び付いている。上田に来て最初常田に住んでいた頃の記憶が千曲川散歩(散輪)と切り離せないのと同じである。海の近くで育った僕は水に惹かれる。海、湖、川、池、何でもいい。学生の頃、銀座に行けば無性に勝鬨橋を渡って晴海埠頭に行きたくなった。海が見たくて仕方がなかった。今でも盆と正月に実家の日立に帰るとよく海を見に行く。長野県には海がないからだ。何も遮るものがない海を見ると開放感を感じる。

  ハンガリー映画の名作「ハンガリアン」に、ドイツに出稼ぎにきたハンガリー人農夫たちが初めて海を見るシーンがある。海のない国から来た人たちが初めて見た海。男たちは嬉しそうに石ころだらけの海岸を波打ち際まで走ってゆく。波をよけきれずに足を濡らしてしまうもの、病気なのに海に入ろうとして止められるもの。特にどうということのない場面なのだが実に印象的だった。僕にとって海は子供のころから身近にあった。もし自分が大人になって初めて海を見たら、どう感じどう受け止めるのだろうか。

<追記>
 「上小橋梁百選」というホームページがある。馬坂橋の存在はこのホームページで知ったのだが、馬坂橋の説明文に沈下橋という言葉(あるいはそれにあたる地元の言い方)は使われていない。沈下橋という言葉が僕の頭に一瞬浮かんですぐ消えたのは、ここにそう書いてなかったからかも知れない。

 そのホームページに載っている馬坂橋の写真は架け替える前の写真である。洪水で何度も流失したと書いてあるので、昔から沈下橋として作られていたのだろう。それにしてもあの小さな川が橋を押し流すほど増水する光景は想像できない。写真を撮った時には橋の土台のコンクリートの部分すら水に浸かっていなかったのだから。

 もう一つ不思議なのは橋の高さと堤防の高さが同じこと。写真を見てもらえばわかるが、堤防上の道と橋は同じ高さで段差がない。ということは、橋が水面下に没するほど増水したら水は堤防自体も越えてしまうことになるだろう。いいのかそれで?どうして橋の高さを堤防より少し低くしないのか?

 ひとつ考えられるのは、以下の理由だ。橋に当たった水は橋を乗り越えるか左右に別れて流れる。そうすると橋の両端部分に水が押し寄せ、橋と堤防が接するあたりに大きな力が加わることになる。水の圧力が限界を超えると堤防が決壊するかもしれない。そうなると大変な被害が出る。それよりは堤防からあふれた分だけを堤防の外に流した方が被害は少ない。特定の個所に圧力が集中しなければ堤防はもつだろう。橋の高さと堤防の高さが同じなら、橋の両端に押し寄せた水はそのまま堤防を越えて外に流れる。橋が流されても橋だけを掛け替えればいいので堤防の修理はしなくて済む。そういうことか?

2007年6月23日 (土)

ハープ橋を撮る

  天気がいいのでまた川と橋の撮影に出かける。今日はまず千曲川に架かるハープ橋070623 (新幹線専用の橋)を撮りたかった。小牧橋まで行き、橋を渡らずに川沿いの道に入る。どこか適当な場所があれば車を停めようと思っていたがなかなかいい場所がない。ほとんど橋のそばまで来てようやく空地を見つける。川の方に下りてみると、橋がものすごく大きく見える。普段は車で通り過ぎるだけでこれほどじっくりと眺めたことはない。その大きさに今更ながらびっくりする。さすがに浦野川や依田川などの支流とは違う。しかも千曲川に斜めにかかっているので橋の全長もかなりの長さになる。橋の写真を撮った後川の方を見降ろしてまたびっくり。川を横切るように大きな段差があって激しく白波が立っている。中ほどには魚道のようなものもある。川幅があり水量が多いだけに壮観だ。大きすぎて写真ではうまく表せないだろう。釣り人がたくさん川に入って釣りをしている。先週は全く釣り人を見かけなかったので、今日あたりが解禁日なのだろうか。釣りは全くやらないの070623_8 でそのあたりは不案内だ。アユ釣りだろうか。矢口高雄の『釣りキチ三平』が大好きな割には釣りの知識がさっぱりない。何枚も川と橋の写真を撮ったのだが、大きすぎて橋の全景が撮れない。もう一度車に戻って道を引き返す。適当な脇道に入って車を停める。車がびゅんびゅん通る道端に立って橋の写真を撮る。大きさはちょうどいいのだが、途中の木が邪魔に乗って橋の一部が隠れてしまっている。仕方がない。また車に戻る。

 車を出して小諸方面(上流方向)に向かう。東郷橋のあたりで車を停めたかったが、うっ070623_2 かり脇道を通り過ぎてしまったので仕方なく先に行く。アップルランドの駐車場に車を入れる。道を渡って依田川に出る。ここも釣り人がたくさんいた。水量は千曲川ほどではないが、川幅はかなり広い。何枚か写真を撮って車に戻る。東郷橋と依田川が千曲川に合流する場所を撮りたかったのでまた引き返す。東郷橋を渡ってすぐ橋の横にある道に車を入れる。浄水所(川沿いを走っていると浄水所をあちこちで見かける)の横に車を停め川に出る。まず東郷橋の写真を撮った。東郷平八郎にあやかってつけた名前らしいが、橋自体は特にどうということはない。ここも釣り人でいっぱいだ。河原は石ころがごろごろしている。写真を撮りながら千曲川との合流点に向かう。合070623_3 流点あたりで河原に下りる。丸みを帯びた大きな石が一面にごろごろしていて歩きにくい。

 車に戻る途中ふと河原を見ると、コンクリートの塊が河原に横たわっている。護岸用に張られていたコンクリートが洪水のときにでもはがされて、ここまで押し流されてきたのだろう。水の力はすごい。八丈島だったか、軍艦ほどもある巨大な防波堤が台風の後で見たら跡形もなく無くなっていたという話を椎名誠の本で読んだことがある。

 雲が出てきて薄暗くなってきたので、来た道をまた車で引き返す。小牧橋まで戻ってきたとき、橋を渡って対岸の千曲川市民緑地まで行けばハープ橋の全景が撮れると思いつい070623_7 た。さっそく橋を渡り緑地に車を乗り入れる。こちら側からなら邪魔ものがないのでハープ橋がきれいに撮れた。ただ曇ってきていたのできれいな青空が映らないのが残念だ。この白い橋は真っ青な空が似合う。千曲川の写真も撮った。さすがに本流だけあって堂々たる川だ。千曲川の下流は信濃川と名前を変える。新潟市に入ると河口に近いので川幅も広く大変な水量である。しかし全面水なので変化がない。上田市を流れる千曲川は川の中に中州があったり、巨大な岩があったりと、川の表情に複雑な変化がある。それが大きな魅力だ。川の右岸(上流から下流を見て右手に070623_13 あるのが右岸である)はゲートボール場になっている。この緑地にはグランド(「博士の愛した数式」に河川敷で野球をやるシーンがあったが、ロケは確かこの緑地内で行われたと思う)や釣り堀などもあり、市民の憩いの場所になっている。もう5時頃になっていた。これで切り上げて帰宅する。

<追記>
 ネットで調べてみたら、千曲川水系での鮎解禁は6月17日だった。つまり先週の土曜日に馬坂橋の写真を撮りに行った翌日だった。そうか、それであの時は誰も釣っていなかったんだ。

<写真の説明(上から)>
ハープ橋(2枚)
アップルランド近くの依田川
東郷橋
依田川と千曲川の合流点
 横に流れているのが千曲川(右が上流)、右下から流れ込むのが依田川
依田川のコンクリートの塊(合流点のすぐ上流)
ハープ橋の下を流れる千曲川(左下)
市民緑地から見たハープ橋 (右下)

070623_3_1070623_4

2007年6月22日 (金)

王の男

2006年 韓国 2006年12月公開 Butterfly_scho_2
評価:★★★★☆
監督:イ・ジュニク
脚本:チェ・ソクファン
撮影:チ・ギルン
原作:キム・テウンの戯曲「イ(爾)」
照明監督:ハン・ジウプ
衣装:シム・ヒョンソップ
アートディレクター:カン・スンヨン
音楽:イ・ビョンウ
出演:カム・ウソン、チョン・ジニョン、カン・ソンヨン、イ・ジュンギ、チャン・ハンソン
   ユ・ヘジン、チョン・ソギョン、イ・スンフン

 最初にこの映画の基本的性格をはっきりさせておくのがいいだろう。コンギルという美しい男に注目が集まっているために、あたかも「プルートで朝食を」「キンキー・ブーツ」「トランスアメリカ」、「ブロークバック・マウンテン」などの系統に属する作品と受け止められているような気がする。しかしこの作品は、むしろ、シェイクスピアの史劇を多分に意識した重厚な歴史劇として構想された作品であり、そういうものとして高く評価されるべきだと思う。おそらく『マクベス』、『リア王』、『ハムレット』などが意識されている。また、旅芸人たちが歴史の波に巻き込まれ翻弄されるという点ではテオ・アンゲロプロス監督の「旅芸人の記録」やチェン・カイコー監督の「さらば、わが愛 覇王別姫」に通じ、盲目の芸人という点ではイム・グォンテク監督の「風の丘を越えて」に通じる。そういう作品である。

 チャンセン(カム・ウソン)、コンギル(イ・ジュンギ)、そしてユッカプ(ユ・ヘジン)、チルトゥク(チョン・ソギョン)、パルボク(イ・スンフン)といった芸人たちは社会の最下層の人間たちの代表であり、同時に特にチャンセンの場合は『リア王』における道化のような役割を持たされている(「王の男」の原題は「王と道化」)。しかも芸人たちは王に忠誠を誓う気がないだけに、その批判は最初こそ当てこすりであったが、最後には直接的で痛烈な批判になる。社会の最下層の人間たちを王宮に入り込ませることによって、王や重臣たちの資質や政治の腐敗を批判して見せる。「腐った世の中」というチャンセンの台詞はその意味で「世界のタガが外れてしまった」というハムレットの台詞に重なる。さらに複雑な人間関係を絡ませて、陰謀や嫉妬や人間愛をめぐる人間ドラマにしている。前半は喜劇的色彩が強いが、後半はシェイクスピア劇のような台詞をちりばめ、権力批判と人間ドラマと歴史の激動が一つに収斂してゆく壮大な悲劇へと変わる。王の煩悶も描かれるが、真に焦点を当てられているのは虫けらにも等しい芸人たちの葛藤であり命を捨てても真実を語ろうとする執念である。

 喜劇と悲劇に対する古い概念では、喜劇は庶民を描き悲劇は高貴な人物を描くというものだった。普通の人間が悲劇の主人公になるのは近代以降である。この映画は16世紀初頭の王朝を描きながら、その視点は庶民の視点である。歴史劇であるが現代劇の視点で描かれている。しかし王も単純には描かれていない。ハムレットやマクベスほどではないが、史上有名な暴君ヨンサングン(チョン・ジニョン)を描きながら、幼くして母を失い、何かにつけて偉大な父王と比較されるヨンサングンの苦悩も描きこまれている。「父王の法に縛られている余は本当に王なのか?」という彼の苦悩に満ちた言葉はシェイクスピアを想わせる印象的な台詞である。

 映画の冒頭で描かれるのは芸人たちの悲惨な生活である。彼らには人権など無いも等しい。チャンセンとコンギルが属している一座の座長は町の有力者に取り入ろうとしてコンギルの体を与えようとする(コンギルの美しさは悲劇を招きかねない。その予兆)。必死で止めようとするチャンセンを座長は散々痛めつける。それでもコンギルを行かせまいと抵抗したチャンセンに座長が投げかけた言葉は「飢え死にしたいなら一人で勝手に野たれ死にしろ」だった。そう、芸人たちには絶えず背後霊のように「飢え」が付きまとっている。映画の冒頭ではこの飢え死にすれすれの彼らの生活が強調されている。一座を逃れてチャンセンとコンギルは漢陽へ向かう。都に行って最初に彼らの目に入ったものは食べ物だった。そこへ囃子の音が聞こえてくる。芸人がいる!人垣をかき分けてみるとユカップ、チルトゥク、パルボクの3人が芸を見せていた。ひとしきり芸を見せた後の彼らの台詞がいい。腹が減ってこれ以上芸を続けられない、小銭をくれたら先を見せると言っている。客に小銭を出させる演出であるが、実際彼らも飢えているのだ。

 ひょんなことで彼らは王宮に滞在することになるが、住む場所の次に与えられたのは食い物だった。大量の食べ物の前で顔をほころばせる芸人たち。彼らが引き立てられたのは芸のお陰だった。芸は彼らの生活であり彼らの命だった。身分が上るかもという芸人の1人の対して、チャンセンがこう言う。「芸人でも大臣でもたらふく食えりゃいい。飢え死にする寸前だった。」飢え死にを心配することなくたらふく飯を食える生活、彼等にはそれで満足だった。

S_illusion5_2  同時に、チャンセンの台詞にはより重要な要素が含まれている。彼には出世欲などないのだ。それはより早い段階で示されている。彼はいかさま博打で大儲けした夜、妓生上がりのノクス(カン・ソンヨン)が王の寵愛を受けているといううわさを聞く。その時彼はひらめいた。「王をネタにする。さっき聞いたろう。妓生を相手に遊ぶのは俺たちと同じ。王だからって特別じゃない。」チャンセンという人物はコンギル以上に魅力的である。だが彼の魅力は、彼を演じたカム・ウソンのすぐれた演技力だけに還元することはできない。彼は最初から権力など歯牙にもかけていない。初めて王の前で芝居を見せた時、気押されていなかったのは彼だけである。だからこそ最後にあそこまで王を批判できたのだ。彼の人物像としての魅力はまさにそこにある。この点を決して見落とすべきではない。

 コンギルは王の秘められた苦悩を知ってしまったためにチャンセンのようには王を相対化できない。しかし彼も最後にはチャンセンと同じ道を選ぶ。ユカップ、チルトゥク、パルボクの3人はもちろんチャンセンのようなラディカルではない。ごく普通に王を偉い人として見ている。しかし彼らも芸人だった。彼らの存在そのものが笑いを生み出し、その笑いは彼ら自身が意図する以上に反権力的だった。王をからかったとして連行された時に言ったユカップの台詞は傑作だ。「王様のアレを大きくしたのが罪ですか?いくらなんでも王様だから瓢箪くらいはあるかと」思ったというのだ。思わず噴き出す台詞だ。このどこかピントのずれた間抜けな台詞は、しかし、国王の権威を地に落とすという点においては「王だからって特別じゃない」というチャンセンの台詞に劣らない。ユカップたちは王とノクスをからかう芝居を演じた時に登場するのをためらったが、それはその芝居が不敬なものだからではなく、宦官の役を演じるのがいやだったからである(股の所に「無」と書いてあるのが妙に可笑しい)。笑いこそ何も持たない庶民の最大の武器である。

  チャンセンは胆力においてすぐれていただけではなく、芸人としても非凡な才能を持っていた。王を侮辱したとしてとらえられた時も、「王が笑えば侮辱じゃない。王を笑わせてみせる。」と大胆不敵な挑戦をして見せたのもそれだけ自信があったからだ。他の芸人たちが王を前にして縮み上がっていたので危うく失敗するところだったが、コンギルの機転で何とか王を笑わせることに成功した。このヨンサングンという王、終始苦虫を噛み潰したような顔をしているのだから、芸人たちが縮み上がるのも無理はない。しかし脇にいたノクス(ドリカムの吉田美和似)は苦笑いしている。妓生上がりなので下ネタでも引かないという設定が面白い。ところがこの王は稀代のバカ殿だった。芸人たちの芝居に大笑いした夜、ノクス相手に「上の口がいいか、下の口がいいか」とチャンセンとコンギルの真似をして戯れている。

 王がこれでは重臣たちも頭を痛めている。事あるごとに父王は聖君であったのにと比較され、王は腐っている。政治にも身が入らず遊び戯れるばかり。こんな王のお抱え芸人にされたことがチャンセンたちの不幸の始まりだった。彼らは意図せずして王宮をめぐる陰謀の渦に巻き込まれてゆく。映画の中盤に入って新たに二つのテーマが導入される。一つは王と国を憂える堅臣チョソンの思惑。その思惑とはチョソン自身が後に王に打ち明けている。「私が芸人を宮殿に呼び入れたのは、腹黒の重臣を追い出して、国王様に世の中を正しく見てほしかったからです。」かくしてチョソンは「王をからかったお前たちがなぜ重臣たちをからかわない?」と次なる芝居を持ちかける。賄賂を受け取る大臣の芝居だ。この芝居を見て青くなった法務大臣は王宮から追放される。芝居の意図を悟った王が大臣たちを追求したからだ。居並ぶ貴族たちをねめつけ、「お前のところは門番さえも賄賂を取るそうだな」などと言っているところを見ると、この王まったくの馬鹿ではない。結構現実を見ている。

 ではなぜこんなバカ殿になってしまったのか。父王と比較される重圧だけが原因ではなかった。それはチョソが仕掛けた次の芝居で明らかになってくる。王の母親毒殺を描いた京劇だった。王は芝居を見て事の次第に気づき、逆上する。母親を毒殺した先王の側室を二人とも刺し殺してしまう。皇太后はショック死。ヨンサングンがノクスと遊び戯れているのは母のいない心の隙間を埋めようとしていたのかもしれない。ヨンサングンは韓国人なら誰でも知っている有名な暴君だが、ここでは心に深い闇を抱えた男として描かれている。

 王の心の隙間はノクスだけでは埋まらず、ついに美貌のコンギルにまで手を伸ばす。中盤で導入される二つ目のテーマはコンギルをめぐる、王、ノクスそしてチャンセンの心理葛藤劇である。コンギルに王の寵愛を奪われたノクスの嫉妬心がまた別の陰謀を生む(コンギルは重臣たちからも疎まれ、危うく暗殺されそうになる)。コンギルが王のお気に入りになることによって、さまざまなバランスが崩れ始める。もちろんコンギルの気持ちは常にチャンセンに向いていた。2人は決してゲイの関係ではない。コンギルが初めて王に呼ばれた日の夜、チャンセンとコンギルが一つのゴザに並んで寝る場面がある。チャンセンははだけたコンギルの布団をそっと掛けなおしてやる。コンギルは寝たふりをしていたが、そのことに気づいていた。2人の間にあったのは純粋に仲間を想う気持ちだった。それでもコンギルが王の誘いをきっぱり断りきれなかったのは、王のさびしい一面を見てしまったからだ。芸人と遊び呆けていると重臣たちに意見された王は芸人のところへ行く。太鼓を取り、叩いて叩いて叩きすぎて太鼓を破ってしまう。その後コンギルを奥へ連れてゆき、コンギルに影絵をやってみせる。酒を飲み、涙を流して寝てしまう王。その涙をコンギルが指で拭う。この涙を拭うシーンはぞくっとするほど美しい。

 王は自分を必要としている。コンギルはそう思ったに違いない。その時から彼の心は揺れはじめた。それでも京劇の後コンギルは仲間と王宮を去るつもりでいた。しかし官服を着たコンギルに(王はコンギルに官職を授けていた)チャンセンがお前は最初から出てゆく気はなかったのだろうという言葉を浴びせ、さらに「この服は何だ?体を売るなら貴族より王の方がいいか?」と吐き捨てるように言った時、コンギルの心の針が大きく反対方向に振れてしまった。これはチャンセンの誤解だ。2人の関係は肉体関係には至っていない。しかし、こんなことがあっても2人の絆は決して切れることはなかった。2人を引き裂いていたのはあくまで王の偏愛であり、コンギルの心変わりではない。チャンセンが目をつぶされたとき絶望の余りコンギルは王の前で手首を切る。ここは凄絶な場面だった。血を流しながらコンギルは指人形の芝居を続ける。彼が語っていたのはチャンセンの言った言葉だった。

 そのころまでには芸人たちも、自分たちが結局王の慰みものにすぎないと感じていた。Engle2_2 王が2人の側室を殺した後、ユカップが「何かするたびに誰かが死ぬ、怖いよ」とつぶやく。その言葉は図らずも彼自身に降りかかってきた。王がコンギルを官職につけた祝に狩りをすることにした時、芸人たちは王たちに狩られる動物役にさせられた。茶色い着ぐるみを着せられた彼らの腹には豚、鶏、猿などと書かれている。まさに慰みものだ。実は狩りの混乱に乗じて貴族たちはコンギルを殺そうと謀ったのだが、ユカップがコンギルをかばって矢を受ける。彼は死ぬ。雨のそぼ降る中、むしろをかぶせられたユカップの遺体が荷車で運ばれてゆく。仲間がその顔にお面をかぶせてやる。この場面は実に感動的だ。何十年か生きて、彼が最後の旅に出るとき持っていたのは芝居で使ったお面だけだった。底辺に生きる芸人の虚しく寂しい人生が胸に迫る。

 このあたりから悲劇調に切り替わってゆく。ノクスが偽造させた抗議文によってコンギルは罪を着せられそうになる。その時とっさにコンギルをかばったのはチャンセンだった。チャンセンは捕らえられるが、チョソンが彼を逃がす。賢臣チョソンはコンギルに溺れる王を非難したために追放されたばかりだったのだ。重臣たちの腐敗を一掃するために芸人たちを呼び入れたのは自分だ。そういう思いがあったから王宮を去る前にチャンセンを逃がしてやったのだろう。「行け、もう舞台は終わった。」この台詞以降、映画はさらにシェイクスピア劇的色彩を強めてゆく。

 しかしチャンセンはすぐには舞台を去らなかった。脚本と演出が冴えわたるのはむしろここからだ。チャンセンを舞台から去らせる前に彼にこれまで以上に重い苦難を背負わせ、また思いのたけを洗いざらいぶちまけさせた。チャンセンは逃げるどころか、宮殿の庭に縄を張り、綱渡りの芸を始める。「世の中で一番偉い人が住んでいる宮殿も大したことないな。今までいろんな奴らを見てきたが、ここにきて最低の奴を見つけたよ。そいつの行状を話そう。皆さん聞いてくれますか。」驚いた王が庭を覗く。チャンセンは王を痛烈に皮肉る。「ここで死んでいった命はあの瓦の数より多い。」

 やがてチャンセンは捕らえられ、王は彼を切り捨てようとする。殺さないでと懇願するコンギルに、王はならばお前が切れと命ずる。コンギルは「いっそのこと私を切ってください」と叫ぶ。結局王はチャンセンを殺さず、代わりに焼きごてを当てて彼の目をつぶす。つぶされた目に布を巻いたチャンセンが言うセリフはまさにシャイクスピア的だ。「今まで盲人の芝居を何度もしてきたが、いざ盲人になったら盲人の芝居ができないまま死ぬのか。ようやく自由に舞台を飛びまわれると思ったのに。」

 盲目になって却って彼にはより真実が見えてきた。映画は彼にもう一度「自由に舞台を飛びまわ」る機会を与える。処刑の日、チャンセンはまた綱渡りのロープに上る。「今は盲人になって何も見えない。あるゲス野郎があいつの心を盗むのも見えない。それはさておき、綱の下が見えないと宙に浮いているようだ。この味を知っていたら早く盲人になればよかった。」彼の言う「宙に浮いている」状態とは自由を意味しているのではないか。ロープの上で演じているときの彼は他のどんなときよりも自由だった。身分制度という足かせによって地上に縛り付けられていない状態。目が見えるときにはそれに気づかなかった。死を覚悟した時彼はついに自由になれた。身分の低いものが真に自由を得られるのは死ぬ時だけなのだ。王の気まぐれに翻弄され続けた人生の最後の日々。それ以前も「飢え」が道ずれの放浪人生だったが、王宮に入ってからも死と隣り合わせの人生だった。彼らの人生はまさに綱渡りの人生だった。いつ足を踏み外して転落してもおかしくない危うい人生。しかしそんな軽い命が終始光りを放ち続けていた。彼らの身分は低いけれども、彼らは綱渡りのロープの上から見物客を見下ろしていたように、王をも上から見降ろしていた。

 最後の芸を披露する彼らに反乱軍が迫っていた。人生の最後の瞬間を迎えつつあるチャンセンとコンギル。もう言うべきことはすべて言った。最後に彼らが語ったのは、彼らの人生が決して無ではなかったということだ。チャンセンとコンギルの最後のやり取りは全文引用するに足る。

コンギル「そこのバカ野郎、見えなくて嬉しいか?」
チャンセン「嬉しいよ。嬉しくて死にそうだ。」
「なんて命知らずの男なの。何も見えないくせにそんな所に登るなんて。早く降りなさい。」
「なんと口の悪い女だ。俺はこの宮殿の王であるぞ。」
「よし、ちょうど王のツラを見たいと思ってたけど、なるほど見ものだわ。」
「ひどい女だ。俺のツラに文句あるか?」
「何も恐れるものがないから世の中を騒がせたのね。生まれ変わったら何になりたい?貴族になりたい?」
「いや。イヤだ。」
「じゃあ、王になるの?」
「それもイヤだ。また芸人に生まれたい。」
「バカね。芸人になったから命を失うのに。」
「そういうお前は何になりたい?」
「私はもちろん芸人になりたい。芸人よ。」
「よし、腐った世の中、逝く前に思い切り遊ぼう。最後にもう一度2人で芸を見せよう。」

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2007年6月20日 (水)

これから観たい&おすすめ映画・DVD(07年7月)

【新作映画】
6月23日公開
 「ラッキー・ユー」(カーティス・ハンソン監督、アメリカ)
 「サイドカーに犬」(根岸吉太郎監督、日本)
 「アヒルと鴨のコインロッカー」(中村義洋監督、日本)
 「ジェイムズ聖地へ行く」(ラアナン・アレクサンドロビッチ監督、イスラエル)
 「殯の森」(河瀬直美監督、日本)
 「エマニュエルの贈りもの」 (リサ・ラックス 、 ナンシー・スターン監督、米) 
 「憑神」( 降旗康男監督、日本)
6月30日公開
 「ボルベール(帰郷)」(ペドロ・アルモドバル監督、スペイン)
 「シュレック3」(クリス・ミラー監督、アメリカ)
 「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」(マリオ・カナーレ・他監督、イタリア)
7月7日公開
 「傷だらけの男たち」(アンドリュー・ラウ・他監督、香港)
 「街のあかり」(アキ・カウリスマキ監督、フィンランド・他)
7月14日公開
 「ファウンテン 永遠につづく愛」(ダーレン・アロノフスキー監督、米)
 「魔笛」(ケネス・ブラナー監督、英・仏)

【新作DVD】
7月4日
 「ゲド戦記」(宮崎吾朗監督、日本)
 「unknown アンノウン」(サイモン・ブランド監督、アメリカ)
7月6日
 「僕のニューヨークライフ」(ウディ・アレン監督、米・仏・他)
 「オーロラ」(ニルス・タベルニエ監督、フランス)
 「不都合な真実」(デイビス・グッゲンハイム監督、アメリカ)
 「ダーウィンの悪夢」(フーベルト・ザウバー監督、オーストリア・他)
 「ブレイキング・コップス」(エリック・カニュアル監督、カナダ)
7月13日
 「今宵、フィッツジェラルド劇場で」(ロバート・アルトマン監督、米)
 「セックス・トラフィック」(デビッド・イエーツ監督、英・加)
7月19日
 「マリー・アントワネット」(ソフィア・コッポラ監督、米・仏・日)
7月20日
 「ハッピー・フィート」(ジージ・ミラー監督、米・豪)
7月25日
 「長い散歩」(奥田瑛二監督、日本) 
 「幸せのちから」(ガブリエル・ムッチーノ監督、米)
7月27日
 「墨攻」(ジェイコブ・チャン監督、中・日・韓・香)
 「孔雀 我が家の風景」(クー・チャンウェイ監督、中国)
 「藍色愛情」(フォ・ジェンチイ監督、中国)
 「世界最速のインディアン」(ロジャー・ドナルドソン監督、ニュージーランド・米)
 「魂萌え!」(阪本順治監督、日本)
8月3日
 「善き人のためのソナタ」(フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督、独)
 「それでもボクはやってない」(周防正行監督、日本)

【旧作DVD】
6月30日
 「ジャン・ルノワールDVD-BOX①」
 「木と市長と文化会館」(93、エリック・ロメール監督、フランス)
 「レネットとミラベルの4つの冒険」(88、エリック・ロメール監督、フランス)
7月27日
 「海軍特別年少兵」(72、今井正監督、日本)
7月28日
 「デカローグ Ⅰ」(88、クシシュトフ・キェシロフスキ監督、ポーランド)
 「ファントム」(22、F.W.ムルナウ監督、ドイツ)

 新作ではペドロ・アルモドバル監督、アキ・カウリスマキ監督、ケネス・ブラナー監督などBaragenso_1 の新作が並ぶ。カンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「殯の森」をはじめとした日本映画にも注目。
 新作DVDでは「ダーウィンの悪夢」「今宵、フィッツジェラルド劇場で」「ハッピー・フィート」「世界最速のインディアン」が注目作。8月にはいよいよ「それでもボクはやってない」が出る。
 旧作DVDはちょっとさびしい。キェシロフスキ監督の連作「デカローグ」がようやくDVDに。見逃していた人はこの機会にどうぞ。

2007年6月18日 (月)

「007 カジノ・ロワイヤル」を観ました

  ゴブリンただいま絶不調。昨日の日曜日に何とか「王の男」のレビューを書こうと試みたTrump_jw_1 が、ほとんど細かい内容を忘れていることに気づいて愕然とした。レビューを書くためにはもう一度借りてきて観るしかない。またまた延期です。

  何だかんだと気ぜわしくて全く精神的余裕がない。映画もほとんど見ていなかったが、金曜日にやっと「007 カジノ・ロワイヤル」を観た。それまでの「007」シリーズよりずっと出来がいいという評判でもあり、「レイヤー・ケーキ」(ダニエル・クレイグ主演)の出来が良かったこともあり、そして何よりも疲れている時でも眠らずに観られる映画ということで選んだしだい。結構期待して観たが、裏切られなかった。

  確かに面白い。実を言うとこのシリーズそれほど好きではない。高校生の頃に映画館で1本、テレビで数本観ただけ。何を観たのかもはっきり覚えていない。特にボンドがショーン・コネリーから変わって以降はほとんど観ていない。ロジャー・ムーア、ティモシー・ダルトン、ピアース・ブロスナンなどは所詮代役にすぎない。ショーン・コネリーの時でさえさほど好きではなかったのだから、代役ではなおさら観る気がしない。だからこのシリーズを観るのは本当に久しぶりだった。

  冒頭のつかみ、追っかけのシーンからなかなかめまぐるしくてハラハラさせる展開。逃げる男は軽業師のように飛び、跳ね、走る。まるで「YAMAKASHI」のようだ(って、予告編しか観ていないけど)。ボンドはそこまで身軽ではないが、工夫を凝らして追いつかないまでも差を広げられずになんとか追跡する。

  その後飛行場で間一髪テロを防ぐエピソードをはさんで、いよいよカジノでのポーカー・ゲーム。国家予算1500万ドルを元手にするので監視役として財務省からヴェスパーという女性が送り込まれるという設定が面白い。ヴェスパー役のエヴァ・グリーンがなかなかいい(名前はエヴァー・グリーンをもじったのか?)。なまめかしいというよりは清楚なタイプ。このポーカー・シーンがなかなかスリリングだ。名作「スティング」や「シンシナティ・キッド」を思い出した。そしてラストはまた激しいアクションへ。

  ジェームズ・ボンドの最初の任務を描いているが、時代は9.11の話が出てくるので現代に設定されている。約50年前に始まったシリーズを現代に置き換え、また新しく始めようという狙いか。確かに新しい工夫がなされている。エスカレートする一方だったハイテク機器は出てこないし、ボンドがホテルで駐車係に間違えられる滑稽なシーンなども出てくる(その仕返しの仕方もミスター・ビーン流)。脚色に名手ポール・ハギスを迎えただけあってなかなか工夫が凝らされている。

  しかし所詮はタフガイ映画。「16ブロック」のような味わいは当然ないし、タフガイ映画としてみても「ダイ・ハード」より劣る。「ミニミニ大作戦」、「トレインスポッティング」、「レイヤー・ケーキ」などのイギリス映画らしいひねりやブラックな笑いも薄い。ダニエル・クレイグは好きな俳優で、この映画でも健闘している。しかし最後の決め台詞がどうも似合わない。やはりショーン・コネリーのイメージは簡単には崩せない。ただ、何本か作ってゆくうちにショーン・コネリーの域に達する、あるいはそれを超える可能性はある気がする。あまり期待せずにもう少し付き合ってみようか。

「007 カジノ・ロワイヤル」 ★★★★
 2006年 マーティン・キャンベル監督 イギリス・アメリカ・他

2007年6月17日 (日)

ゴブリン壁紙

 最近の僕のブログは写真ブログと化しています。もちろん写真は全くの素人です。デジカメもモードの切り替えなどはほとんどせず、標準設定のままで撮っています。せいぜいアングルやフレームを気にする程度です。それでもかなりの数の写真を撮っていますので、中にはお気に入りの写真も何枚かあります。今回はその中でも壁紙にぴったりの1枚を紹介します。サイズは壁紙サイズ(1024×768)にしてあります。自由にコピーして壁紙としてお使いください。それ以外の利用はご遠慮ください。

070611_4_3





別所温泉・花屋旅館横の坂道
白壁が木々以上に美しい。

2007年6月16日 (土)

依田川探索 その1 馬坂橋を撮る

 川のある生活は幸いなるかな。今日依田川探索に出かけて改めてそう思った。上田に来070616_7 て6年目くらいまでは千曲川のほとりにあるアパートに住んでいた。ちょっと時間があれば自転車でよく川沿いを散歩(散輪?)したものだ。その後引っ越してからは千曲川が遠くなり、川が身近ではなくなってしまった。今でも千曲川の近くに住んでいたころが懐かしい。

 今回探索の対象に依田川を選んだのは、一つには先週醤油久保橋の写真を撮ったからである。上小地区にあるもう一つの木橋、馬坂橋の写真を撮りたいと思ったのである。だが、依田川は前々からずっと気になっていた川である。千曲川をこよなく愛していた割には、ちょっと前まで浦野川や産川などの中小河川は全く眼中になかった。しかし依田070616_6川は大屋駅近くで千曲川に注ぎ込む千曲川の支流であるが、結構大きな川なので流域に
よって様々な顔を持っている。中丸子から下丸子あたりでは千曲川に匹敵する川幅を持っている。何より、腰越橋近くの大渕・中渕あたりでは渓谷のような様相を呈していて、野趣があって素晴らしい景観を呈している。これまで車を停めてじっくり眺めたことはなかったのだが、ずっと気になる川だったのだ。

 今日は日差しがきつかったので、2時ごろから探索に出発する。道路地図に馬坂橋の名前が載っていないので、ネットで調べた地名から大体の位置を予想した。とにかく行ってみよう。分からなければ誰かに聞けばいい。そんな覚悟で行った。腰越橋あたりで一旦川の070616_8 写真を撮ろうと思って、橋の手前にある信号を左折した。その方が川に下りる道がありそうな気がしたからだ。曲がってすぐ前方に橋が見えた。何と写真で見た馬坂橋そっくりではないか。こんなにあっさり見つかっていいのか、といささか拍子抜けしたほどである。とにかく川沿いに駐車できるスペースがあったので車を停める。

 河原に下りて橋の方へ歩いて行った。間違いない、馬坂橋だ。新しく付け替えられたば070616_10_2 かりなので、写真で見ると見るからに人工的な色で味気ない印象だった。しかしさすがに間近で観ると太い木材の迫力を感じた。どっしりとした重量感がある。河原からまず上向きに写真を撮った。橋の横に支えのような形の木組みがあるが、不思議なことに橋とはつながっていない。これは一体何のためにあるのか?上流側にだけにあるのも不思議だ。 

(注)後日馬坂橋が沈下橋だと気が付きます。そのことは「馬坂橋は沈下橋だった」という記事で書いていますので、興味があればそちらもご覧になってください。

 堤をのぼって上にあがる。上から見ると何とも不思議な橋だ。欄干がない。橋の両端に手すりのようなものがあるにはあるが、何せやっと足首の上に届く程度の高さなのでほとんどないのと同じだ。かがまなければ触れないので「手すり」ではなく「足すり」である。なんでこんなに欄干が低いのか。見れば見るほど不思議な橋である。もっともそれなりに幅が070616 広く、川面からの高さがそれほどないので、欄干がなくても不安は感じない。橋の中ほどから川の上流と下流の写真を撮り、橋の向こう側からも橋の写真を撮る。まだ真新しい感じだが、時間を経て古びてくると味わいが出てくるだろう。

 一通り写真を撮って車のところに引き返す。そのまままた車に乗ろうと思っていたが、腰越橋がすぐ近くなのでそのあたりの写真も撮ろうと思い直した。そもそもそれが当初の目的だった。橋を越えると風景が一変する。川底が深くなって渓谷のような様相を帯び、川床には巨岩がごろごろと横たわっている。まるで木曽川にある景勝地070616_9_1 「寝覚ノ床」のようだ(ちょっと大げさか)。狭い階段を下りて写真をバシバシ撮った。石が岩を削って岩に穴があいている場所もある(屋久島の或る川を源流までさかのぼるドキュメンタリー番組で、石がうがったもっと大きな穴を見たことがある)。う~ん、写真ではこの渓谷(「大渕・中渕」と呼ばれているのは後で道路地図を見て知った)の迫力が出るかどうか。対岸の巨大な岩の一つは柱状節理(ただし縦ではなく横向き)のようになっている。

 しかし腰越橋をはさんで、どうして川の表情がこれほど一変するのか?依田川は腰越橋を越えるとすぐ山にぶつかり、右にカーブしている。この巨大な岩はその山から落ちてきた
070616_1_3 のだろうか。上流部分は山からそれて平坦な部分を流れているので、上流からここまで運ばれてきたとは考えにくい。いや、上流が平たんなのは川に削られたからであって、削られ残った巨石が上流から押し流されてきたのかもしれない。川がカーブしているので流れが緩くなり、そこに巨岩がたまったとも考えられる。まあ、そんな推理は専門家に任せるとして、ともかくここは知られざる不思議スポットとして認定しよう(僕が認定したところで、何ほどの権威もないが)。

 さて、今度こそまた車に乗ってさらに上流へ向かう。「おお、まだ攻める気か」と感心するかもしれないが、実は武石沖のジャスコでトイレを借りたかっただけ。そこで家に引き返す070616_5 つもりだった。しかしトイレから出ると ”追い立てられる気分” が抜け、もっと写真を撮りたくなった。上流方向に向かい、和紙の里横の下立岩の信号を左折する。適当なスペースに車を停め、そこから歩くことにした。すぐ横に ”立岩下の橋” があった。写真を撮り上流に向かう。すぐ隣の橋はなんと ”立岩上の橋” となっていた。う~ん、わかりやすい。このあたりの風景も独特の情緒があっていい。何となく金沢の浅野川(ひがし茶屋街あたり)を連想した(これまた大げさか)。さらに上流まで歩くと駒形橋があった。これは先の二つの橋より大きな橋で、形もいい。橋の向い側に鐘楼らしきものが見えるので、橋を渡ってみた。来福寺という小さなお寺だった。門と鐘楼の070616_1_1 写真を撮った。川を探索しているといろいろな出会いがあって面白い。こんなところまで入り込まなければ決して出会うことのないお寺だ。

 もっと下流のジャスコ近くの川を撮りたかったので、道を引き返して和紙の里横のコンビニの駐車場に車を停めた。ものすごく広い駐車場で、その奥はすぐ川に面している。川まで降りて写真を撮った。ほんのわずかな距離だが、ここも立岩下の橋あたりとは全く川の表情が違う。川の向い側は山だ。岩山で、木の間からごつごつした岩肌が所々むき出しになっている。立岩下の橋あたりは町中を流れる川だったのに、ここでは森の木立の中を流れる野性的な川になっている。これほどわずか070616_2 な距離で表情が変わる川も珍しいのではないか。正面の山も突然目の前にそそり立つ感じで、たいして高くない山なのに視界を完全にさえぎってものすごく大きく感じる。このあたりの川床は巨岩も一つ二つあるが、小さな石が一面に敷き詰められたように重なっている。川の景色がきれいなので何枚も写真を撮る。駐車させてもらったので、コンビニでジュースを買ってまた下流に向かう。

 すぐまた車を停めるスペースがあったのでそこに乗り入れる。ちょうど152号線に架かる武石橋の横だった。よく見ると武石橋のすぐ10メートルほど先で武石川が依田川に流れ込んでいる。ここは合流地点だった(武石橋は武石川に架かっている)。このあたりは先ほ070616_5_1 どのコンビニからほんのわずか走っただけなのだが、また川の表情が違う。巨岩がごろごろしている。瀬もあって表情が豊かだ。ここでも何枚か写真を撮った。

 もう5時頃になっていたので、今日の探索はここまでとして家に向かう。ところが、依田川橋を渡っている時に、ついでにもう1か所寄って行こうという気持ちになった。依田川を渡ってすぐ先に信号がある。そこを左折してすぐ左側に喫茶「リバーサイド」がある。そこに寄ってみたかった。車を停めて、まず依田川070616_10_3 の写真を撮る。このあたりは相当に川幅が広い。もう渓流の趣はなく、とうぜん野性味も全くない。千曲川のように悠々と流れる川である。これはこれでまたいい眺めだ。「リバーサイド」でアイスコーヒーを飲む。ここは確か普通の民家を喫茶店に改造したものだったと思う。店内が明るく清潔な感じで、ここも好きな喫茶店の一つである。確か目立つ看板が出ていなかったと思うので、知らないと通り過ぎてしまう。結構穴場的な店だ。20分ほど休んで店を出る。今度こそ家に帰った。

 しかし、依田川はすごい。浦野川はおとなしい感じの川だが、依田川には白波が立つ瀬あり、巨岩がごろごろと転がる渓谷あり、ゆったりとした情緒を伴って町中を流れる個所もある。さながら川の「怪人20面相」だ(例えが古すぎる!)。いやはや、こんな川に出会っ070616_1_4

 

たのではもうやみつきですな。明日も出かけちゃおうか(おいおい、「王の男」のレビューはどうなったんだ!?)。

 

<写真の説明(上から順に)>

 

馬坂橋(4枚)

 

腰越橋

 

大渕・中渕(3枚)070616_3

 

駒形橋

 

来福寺の門

 

コンビニ裏の依田川

 

武石橋下の依田川

 

喫茶「リバーサイド」(2枚)070616_3_1

 

来福寺の鐘楼

 

武石橋(左下、橋のすぐ左側が合流点)

 

立岩下の橋(中)

 

立岩上の橋(右下)

 

070616_2_1

 

 

 

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070616_11

 

 

 

 

 

 

 

 

「リバーサイド」から撮った依田川橋(右上)

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大渕・中渕(右下)

 

武石橋から見た依田川と岩肌の露出した山(右下)

 

和紙の里(左下)

 

070616_1_5

 

 

 

070616_3_2

 

 

2007年6月11日 (月)

塩野神社の神橋

 前の記事「浦野川散策 その4 醤油久保橋を撮る」で塩野神社の太鼓橋のことに触れ070611_4_2 たので、以前に撮った写真を載せておきます。

 ここはもう何度か行ったところですが、うっそうと杉などの大木が生い茂った中に神社があります。ほとんど日が差し込まないので真夏でもひんやりと涼しい。本殿の前を小さな小川が流れており、そこに神橋がかかっています。屋根つきの独特の形。生島足島神社の御神橋に似ていなくもないですが、極彩色ではなく木肌のまま。その古びた色合いにまた味があっていい。橋の下を流れているのは小さな川ですが、ちょっとした渓谷の趣があって、どことなく深山幽谷にいる感覚になります。まるで巨大なドームのような巨木に包み込まれているせいでしょうか。

070611_7   あちこちに大きな石がたくさんあって、その石も地面も一面コケに覆われています。苔寺ならぬコケ神社。橋を渡った一番奥に本殿があります。何度か書いたことがありますが、2004年5月29日にここで韓国映画「青燕」のロケがありました。その時エキストラで出たのですが、僕ともう一人のエキストラの女性が夫婦役で本殿前まで歩いていってパンパンと手を打ちお参りして、また石段を降りてくる役でした。主役の二人(笛木優子さんともう一人男性俳優)は大きな石の蔭にいてこちらからは見えないのですが、当然キャメラは彼女たちを中心に撮っているわけで、僕らは遠くの方に小さく映っているのでしょう。日韓の間の様々なしこりのあおりでまだ日本では公開されていないのですが、観る機会があったらぜひ自分たちが映っているか確かめてみたい。

 本堂の横に裏の山に登る小さな道がついていて、初めて来た時にその道を上ってみた070611_12 ことがあります。結構きつい道でしたが、どんどん登ってゆくと展望台に出ます。塩田平一帯が見渡せて素晴らしい眺めでした。しんどいのでその後は一度も上ったことはないのですが、一度展望台から写真を撮ってみたい。そのためにも普段からもっと運動をしておこう。

<付記>
・浦野川散策を始めたこともあって、このところデジカメで写真を撮ることに凝っています。茶房「パニ」の写真も先日撮ったので、以前書いた「パニのベランダで伊丹十三を読みながら」という記事に入れ込みました。

・前にレンタルして観ないで返した「王の男」を観ました。軽い喜劇かと思っていたのですが、韓国版「旅芸人の記録」ともいうべき重厚な歴史劇でした。特に後半がすごい。シェイクスピアを思わせる素晴らしいセリフがふんだんに出てきます。芸人が目をつぶされ、見えない目で綱渡りをするあたりは「風の丘を越えて」を連想させられました。韓国映画としては「トンマッコルへようこそ」「グエムル 漢江の怪物」と並ぶ昨年の収穫です。「王の男」についてはレビューを書きます。

「王の男」 ★★★★☆

浦野川散策 その4 醤油久保橋を撮る

  あいにく小雨が降っていたが、今日(10日、日曜)ようやく醤油久保橋の写真を撮ってき07610_1_1 た。醤油久保橋は依田川にかかる馬坂橋と並んで上小地方に二つある木橋のひとつである。しかし、それ以上にこの橋を有名にしているのは何度も映画などの撮影に使われているからである。最近のもので有名なのは上戸彩が牛車に乗って橋を渡るオロナミンCの「元気はつらつ?」CM。牛若丸のタッキーも出ていたあれだ。あの橋がこの醤油久保橋。前から一度実物を観たいと思ってはいたが、ほんの数日前までどこにあるのか分からなかった。このところ橋の写真を撮ることに熱中しているので気になってネットで調べてみた。何と醤油久保橋は浦野川にかかっている橋だった。いやはやびっくり。「浦野川散策 その3」で最後に行った岡橋のさらに下流にある。道路地図で調べたら六中の近くではないか。あの辺は日帰り温泉施設「ささらの湯」に行くときによく通るのにどうして気づかなかったのか。とにかく早く行ってみたくて仕方がなかった。

  土曜日は用事があって新宿に行っていたので今日行ってみることにした。そうそう、つい070610_1 でに「ジュンク堂新宿店」に行ってきましたよ。ビルの3つのフロアを占領しているのだから相当な本の数だ。歴史と文学と映画のコーナーを丹念に観たが、結局1冊も買わなかった。欲しいものは手帳にメモして、家に帰ってから持っているかどうかチェックした上でアマゾンで注文しようと思ったからだ。しかしチェックしたらほとんど持っていた。あれだけたくさんあっても欲しいものは限られていて、しかもちゃんと入手済み。そういうものか。あわてて買わずに、冷静に対応してよかった。

  話を元に戻そう。昼食の後、醤油久保橋に向かう。赤坂上から143を青木方面に向かい、吉田の信号で右折。六中の横を通って浦野川に向かう。川がなかなか見つからない。六中のすぐ裏だったように思っていたが違っていたらしい。しばらく走ってやっと川に出る。すぐ橋が見えた。橋は八幡橋だった。確か地図で見た記憶ではその隣に醤油久保橋があるはず。ここで橋の名前を地図で確かめておけばその後の混乱はなかったはず。しかしその時は勘違いに気づかなかった。

  川沿いには道がないので、ちょっと六中の方に戻って迂回する。田んぼの中の細い道を070610_1_1 通る。この辺は初めて足を踏み入れる。やっと橋に出た。だが木の橋ではない。写真を撮りながら名前を確かめると浦野川橋となっていた。そこで初めて地図を確かめた。だいぶ下流に来てしまったようだ。川の反対側に出ると、川沿いに道がある。最初からこっち側に出ればよかった。川沿いの道を上流方向に引き返す。

  このあたりもまた独特の雰囲気があった。しばらく走ると弓埼神社があり、反対側に駐車スペースがあった。たぶんこのあたりだろうと思って車を停める。階段があるので川まで下りてみたが、醤油久保橋が見えない。右側(上流)に先ほど撮った八幡橋が見える。しかし他に橋はない。川がカーブしているのでその先かと思って川沿いの細い道を下流の方へ歩いてみる。浦野川橋が見えてきたが他に橋はない。キツネにつままれた気分だった。車を停めたところに戻りながら不思議で仕方がなかった。

070610   車に戻って改めて地図を確認する。地図では六中のすぐ横をまっすぐ行けば日向橋に出るはずである。しかし着いた橋は八幡橋だった。この橋はなぜか地図に名前が載っていない。ともかくまっすぐ行かずにどこかで右に曲がっていたのだろう。日向橋の下流の醤油久保橋のさらに下流にある八幡橋に出ていたのである。八幡橋で写真を撮ったときに地図を確かめていたら、その時点で間違いに気づいたはずだ。しかし間違えたおかげで浦野川橋の写真も撮れたと思えばむしろ良かったのかもしれない。

  とにかくもっと上流まで行かねばならないことは分かった。車を出してしばらく走ると木の橋が見えてきた。これに間違いない。車を橋の近くに停めて、小雨が降っていたので手早く醤油久保橋の写真を撮る。確かに木の橋は石やコンクリート造りの橋よりも温かみと味わ07610_3 いがある。古びた感じがまたいい。何といってもあの独特の形の灯籠がいい。横から見ると橋の一部がやや下にさがっているのが気になる。川床がえぐられているのかも知れない。オロナミンCの撮影の時かなりの人数が上に乗ったはずだから、その時に沈んだか?付近に家はまばらで、普段あんなに大勢が橋を渡ることはないだろうから。曇り空で薄暗かったが、写真はソフトを使えばいくらでも修正がきく。とにかくずっと気になっていた橋の写真が取れて満足だった。

  帰りは隣の日向橋を渡った。そのまままっすぐ進むと六中の横を通り吉田の信号に出た。あれっ、じゃあさっき来る時は何で八幡橋に出たんだ?う~ん不思議空間。どっか途中にワープ地帯でもあったのか?どうもすっきりしない。今度また来て確かめてみよう。

  これからも川と橋の写真は撮り続けようと思っている。いずれ「ユニークな形の橋10選」などを選んでみようとも思っている。今のところ高速が通るローマン橋、新幹線が千曲川を070604_1 渡るときに通るハープ橋、生島足島(いくしまたるしま)神社の御神橋、塩野神社の太鼓橋(韓国映画「青燕」にエキストラで出た時ここで撮影した)、そして醤油久保橋は当確。参考までに6月4日に撮った生島足島神社の写真も一緒に載せておきます。

2007年6月 4日 (月)

「プルートで朝食を」を観ました

  「麦の穂をゆらす風」が素晴らしかったので、キリアン・マーフィーつながりで「プルートでLadya2_1 朝食を」を観てみた。「これから観たい&おすすめ映画・DVD(06年12月)」で取り上げていたが、なぜかこれまで観落としていたのである。「キンキー・ブーツ」、「トランスアメリカ」、「ブロークバック・マウンテン」など、このところゲイ映画、あるいはトランスセクシュアル映画に優れた作品が多いので期待して観た。

  正直言って期待はずれだった。DVDのジャケットにはニール・ジョーダン監督の最高傑作と書いてあるが、本当にそうなのか?そもそもニール・ジョーダン監督の作品で傑作だと思ったものは1本もない。これまで観てきた「モナリザ」(1986)、「プランケット城への招待状」(1988)、「クライング・ゲーム」(1992)、「マイケル・コリンズ」(1996)、「ダブリン上等!」(2003)などはどれも悪くはないが、傑作とまでは言えない。アイルランドの監督としては「父の祈りを」や「イン・アメリカ/三つの小さな願いごと」で知られるジム・シェリダンと並ぶ代表格だが、まだまだイギリスには水をあけられている感じがする。

  何が物足りないのだろうか?まず、全体に散漫な印象を受ける。これには二つの理由が考えられる。ひとつはこの映画が一種のロード・ムービーのような作りになっていることだ。主人公のキトゥン(「子猫」という意味)はあれこれと人生行路を踏み迷い、最後に父親を発見する。旅に出るわけではないが、人生の道を踏み迷っている。ロード・ムービーのように様々な人物と出会い、くっついてはまた離れの繰り返し。脇役がそれぞれ魅力的だが、どうも全体に散漫な印象を受ける。

 もちろん、ロード・ムービーがすべて散漫なわけではない。「プルートで朝食を」のテーマが十分掘り下げられ、追及されていないことが問題なのである。もちろんキトゥンはただ当てもなく彷徨っていたわけではない。彼の旅は母親を探す旅であった。彼は母を探し当てた。しかし皮肉にも取り戻したのは父親だった。「とても不思議だわ。母さんを捜しに行き、父さんを見つけた。」彼の父親は“不燃性の神父様”だった。ラストの終わり方は明るい。ルベッツの懐かしい「シュガー・ベイビー・ラブ」が流れる中、母親と病院ですれ違うが、たがいに他人のように別々の方向に曲がってゆく。もうキトゥンには母親は必要なかったからだ。なぜなら彼は父親を見出し、また彼自身が「母親」になったからである。親友チャーリー(女性)の子供を共に育てているのである。

 大きなテーマの枠組みとしてはそれなりに一貫している。それでも散漫なのはキトゥンの内面の悩み・人間的苦悩が十分伝わってこないからである。「トランスアメリカ」や「キンキー・ブーツ」に比べて物足りないのはその点である。キトゥンことパトリックは子供のころから女性の服装にあこがれ、人前ではパトリシアと名乗って女性で通している(アイルランドの守護聖人がセント・パトリックなので、パトリックあるいはパトリシアという名はアイルランド系に多い)。一方、キトゥンの親友はチャーリーという男性のような名を名乗っている。この交錯は意図的なものだろう。しかしこの点もそれ以上深く追求はしていない。IRAの爆弾テロも描かれるが、これも毎日のニュースのようにあっさり流れてゆくだけ。

  何よりもキトゥンの行動が行き当たりばったりで、成り行き任せなのである。彼は何も苦Mameruriha 悩を語らないし、苦悩しているようにも思えない。カトリック国アイルランドで女装の男を通すのはかなり困難で勇気のいることだが、何の緊張感もない。キトゥンの父親である神父の教会が焼き討ちにあうシーンがあるが、ほとんどそれだけだと言っていい。そういうものをさらっと乗り越えていったのだと言えば聞こえはいいが、差別に対する前向きな描き方というよりは、むしろ避けて通ったという方が当たっている。母親もずっと追い求めていたというよりは、忘れたころに見かけて追いかけるという展開だ。ずっと細切れのエピソードをつなげたような展開。一言でいうと軽すぎるのだ。だから「キンキー・ブーツ」の後では色褪せて見えるのである。

「プルートで朝食を」  ★★★☆
  2005年 ニール・ジョーダン監督 イギリス・アイルランド

2007年6月 3日 (日)

浦野川散策その3 上流の沓掛川と田沢川を行く

 今日も浦野川の橋を写しに行く。今日は晴れてはいるが晴天とは言えないので、沓掛川Photo_98 と田沢川の合流点を写す程度にしようと思っていた。143号線をまっすぐ青木までゆく。青木村役場の先で左折。沓掛温泉へ行く道に入る。保育園の下の駐車スペースに車を停める。最初勘違いして保育園の横をぐるっと回って図書館や体育館のある方へ上がっていってしまった。図書館の横で道行く人に合流点の場所を聞いたら、もっと下流の方だと言われた。保育園の下まで降り、そこから蕎麦屋がある方へ入ると落合橋があるのでそのあたりだと教えられた。二つの川が合流するから落合というのだと。なるほど、納得。

Photo_99  すぐ道を引き返す。先ほど車を停めた近くへ来ると道の反対側に蕎麦屋の看板が出ていた。蕎麦屋の横を通ると正面に橋があった。夫神(おかみ)橋と書いてある。そこでまず何枚か写真を撮った。しかしそこは合流点ではない。橋には沓掛川と書いてあるので、合流点はもっと下流になるはずだ。川沿いに下ろうと思ったがこちら側の道は途中でなくなっている。また夫神橋まで引き返して対岸までゆくのは面倒なので迂回しようと考えた。それが幸いした。道を左に曲がってすぐまた別の橋があった。それが落合橋だった。白いガードレールがついた一番魅力のないタイプの橋。こちらは田沢川である。下流を見ると合流点はすぐそこだった。川床は背の高い草でほとんど覆われている。川の水は端の方を申し訳なさそうに流れている。

 落合橋を渡って迂回するとかなり遠回りになりそうなので、また夫神橋まで戻って反対側の川岸に出る。川沿いを少し歩くとすぐ合流点に出た。何枚か写真を撮る。目の前を左1_6 (上流)から右にまっすぐ流れているのが沓掛川。ほぼ正面から(正確にはやや左斜め前から)田沢川が沓掛川に流れ込んでいる。田沢川のすぐ右横は青木小学校。地図によると合流した先は田沢川になっているので、ちょうど自分の目の前を横に流れている川は、合流点の左側が沓掛川で右側は田沢川ということになる。なんか不思議な感覚だ。しかし視点を変えて正面の田沢川の方から見れば、丁度左に湾曲しているところに右から沓掛川が流れ込んでいることになるわけだ。合流した先も田沢川となっているということは沓掛川は田沢川の支流ということになるのだろう。二つの川の川幅がほぼ同じで、しかも沓掛川の方が見かけはまっすぐ流れているので、沓Photo_100 掛川に田沢川が流れ込んでいるように見える。しかし正確には田沢川に沓掛川が流れ込んでいると言わなければならないことになる。実に面白い。

 せっかくここまで来たので沓掛川と田沢川の橋も写真を撮ることにした。まず沓掛川から。沓掛温泉へ行く12号線をしばらく走り、途中で左折して川の方に向かう。すぐ橋があった。中道橋。写真を撮る。そこから車1台がやっと通れる川沿いの細い道を上流に向かって進む。もうこの辺に来ると橋の間隔が長くなる。次に見つけた橋は名前が書いてなかった。しばらく川沿いの道をゆき、また12号線に戻る。すぐ先を左折して沓掛橋を渡り、沓掛温泉に向かう。左折せずに右折するとログハ1_7 ウスのカフェ「ヴィエント」と「リフレッシュパークあおき」がある。

 沓掛温泉に上ってゆく坂の途中で写真を撮った。こっちの道に来たのは高いところから川を撮りたかったからだ。川はよく見えないが、田んぼが美しい。田んぼはやはり日本の田舎の風景の原点だ。沓掛温泉でも少し写真を撮る。すぐまた降りて、さっき渡った沓掛橋の写真を撮る。12号線に戻りさらに上流を目指す。そこから先は山なので、沓掛川は深い谷底を流れている。しかし道からやや離れているので、なかなかいい写真を撮るスポット1_8 がない。やっと脇道に入り荒屋橋の写真を撮る。もっと上流の写真も撮りたいが、さらに上に行けばどこかに車を停めて谷に下りてゆくしかない。まあ、今回はこれで勘弁しておいてやろうか、はははは。

 道を下って今度は田沢川の方へ行く。143号線に戻り、青木峠方面に向かう。田沢川は道の右側を流れている。適当なところで右の脇道に入る。最初に見つけたのは洞橋。このあたりも川底のほとんどを草が覆っている。橋のたもとにアイリスが咲いていた。青木には有名な「アイリスの郷」がある。そういえばま2_9 だ行ったことがなかったな。

  また143に戻る。途中赤い家がまたあったのでこれも写真に撮った。次に見つけた橋は下木戸橋。橋を越えてすぐ車を停め、写真を撮る。農作業をしていた人たちが不思議そうに見ている。全く気にならない。憑かれたように橋を求めてひた走っている。やり出すと凝る性分ではあるが、写真を撮ることにこれほど執着するとは自分でも意外だ。それはともかくここはなかなかいい橋だった。川の表情や周りの風景が素晴らしい。もう日もだいぶ傾い Photo_111 てきたので、これ以上先にはゆかず、今度は川沿いの道を通って引き返すことにした。田沢川の橋はこれ以上撮らなかったが、眺めのいい場所で川と家並みの写真を撮った。川沿いに建っている家はどれも新しくてきれいだ。

 また143号線に戻り、上田方面に向かう。家に帰るつもりだった。ところがとことん写真を撮ろうという気分はまだ収まっていなかった。今度は浦野川橋めぐりの出発点になった古郷橋の下流を撮りたくなった。143と浦野川が交差する浦野橋のところは左折する道がないので、早めに左折した。田んぼが一面に広がっている。川のようなものがあるので行ってみると、それは川というより水路だった。橋の横に赤い花が大量に植えられていた。その横には変わった形の建物があった。前から何の建物かと思っていPhoto_101 たが消防署だった。写真を撮っていると他の車が後ろから来たので、押し出されるようにしてまた143に戻ってしまった。

 浦野橋のすぐ先にある仁古田の信号で左折した。川は道の左側にあるはずなので、生協の診療所のあたりでまた左折する。すぐ橋があった。岡橋である。ここは素晴らしかった。橋自体も古郷橋のような石橋で趣があるが、何といってもここは川幅がぐっと広くなっていて眺めが素晴らしい。時間があればゆっくりと川沿いを散歩したいくらいだ。下流にもう一つ橋が見える。仁古田2_10 の信号から左折した道をそのまままっすぐ行くとその橋を渡ってもう一度浦野川を横切ることになる。だいぶうす暗くなってきたのでその後はまっすぐ帰宅した。

 昼過ぎに出発した時にはここまで徹底して橋と付き合うつもりはなかった。ここまでやるとは自分でもびっくり。これまで通ったことのない道にずいぶん踏み込んだ。意識してはいなかったが、橋めぐりをすると同時に大好きな裏道探索もしていたことになる。道理で面白いはずだ。また来週も橋めぐりに出てゆきそうだ。そういえば、「リフパークレッシュあおき」の横にも宮淵川という川が流れていたな。あれは沓掛川の支流になるのか。日記を書きながら心はもう次の週末に飛んでいる。

<追加の写真>

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<写真の説明>
左上:名無しの橋
中:落合橋(田沢川)から見た合流点
右下:荒屋橋

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<写真の説明>
左上:沓掛温泉からの眺め
中:沓掛橋
右下:田沢川近くの家並み

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<写真の説明>
左上:下木戸橋
中:下木戸橋下流の田沢川
右下:岡橋の上流

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<写真の説明>
左上:岡橋
中:荒屋橋
右下:落合橋

2007年6月 2日 (土)

浦野川散策その2 橋を撮る

Photo_97  3時頃、また浦野川へ行った。前回と同じ所に車を停める。今日は前回歩いた分も含めて、さらに上流まで足を延ばして写真を撮りまくる計画だ。まず前回と同じコースを通って 写真を撮ってゆく。今日は釣り人を見かけなかった。他に川沿いを歩いている人は誰もいない。梅の坪橋と越戸橋の間にある赤い家のところまで来た。前回ここは必ず写真を撮ろうと思ったところだ。ところが、写真を撮ろうとしたところでぷっつりデジカメの電池が切れてしまった。あわてて車のところまで引き返す。あせっているせいか車までの道のりが遠く感じた。車に乗って赤い家のところまで取って返し、写真を撮る。その後川沿いに細い道をゆき越戸橋の写真を撮る。なぜか橋の名前のところがえぐれていて、後で地図を見るまで名前が確認できなかった。

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細谷(ほそがや)橋から上流を見る(右上)

古郷橋(左)


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古郷橋から134号線に架かる浦野橋を見る




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向川原橋から上流を見る




 また車で山洋電気の裏までゆき、橋のたもとに車を停める。山岸橋だ。ここは独特の雰囲気があってなかなかいい空間だ。橋の形も良く、橋からの眺めもいい。そこで数枚写真を撮り、道に沿って下流に戻った。さきほど車で通りこした中橋と矢崎橋の写真を撮る。中橋の上に鳥がとまっていた。また車に乗りその後は橋の上や橋の近くに車を短時間停めてせっせと橋の写真を撮る。殿戸橋、細谷橋、五反田橋まで行った。途中山の写真や目立つ黄色い家の写真も撮った。5時近くだったので、五反田橋までで引き返す。もう少し先まで行くと田沢川と沓掛川の合流点だが、ここはまた次の機会にしよう。

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山岸橋




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山岸橋の上流







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                       矢崎橋(右)




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山の眺め(上流に向かって右側)




 暑い日だったのでかなり汗をかいた。日差しが強いので帽子をかぶっていったがこれは正解だった。前回はサングラスをかけていたが、これでサングラスをかけるとかなり怪しい風体になるので今回はやめた。いい写真がかなりとれたと思う。

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                   中橋(右)



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殿戸橋




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細谷橋




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                 田んぼと山(上流に向かって左側)





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越戸橋から上流を眺める


 今までフラッと気ままに出かけて行って、行きあたりばったりの場所に入り込んでいた。これは意外性があって楽しいので今後も続けようと思うが、それとは別にテーマを持って写真を撮り続けることにした。川と橋の写真。当然その周辺も含める。僕は水辺になぜか惹かれるのでテーマとしても悪くない。出張などで遠出した時も、川があれば写真を撮るようにしよう。飽きずに続くならばライフワークになるかもしれない。

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山と黄色い家





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             山と白い家(上流に向かって左側)

 今日は全部で11の橋を撮った。面白いことに全部形が違う。取り立ててユニークな形のものはないが、一つとして同じものはない。中でも古びた石造りの橋(古郷橋と越戸橋)は趣があっていいと思った。明日の日曜日もまた来てみようか。

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梅之坪橋から上流を眺める

「ファミリー」を観ました

 先週借りた「王の男」と「百年恋歌」は結局2本とも観ずに返却する羽目になった。しかもTeablue_2 1日延滞。別に一万円も延滞料金を取られるわけではないが、観られなかった上に延滞料金を取られる悔しさ。1日延滞して次の日に2本とも観てしまおうと思ったのだが、翌日は「麦の穂をゆらす風」のレビューにかかりきりで結局観られなかった。一旦レビューを書きだしたら何時間もパソコンの前に座りきりなので、そもそも無理な考えだった。こんなことなら期限の日に観ないままで返しておけばよかった。後悔先に立たず。とほほ。皆さんも同じ悔しさを味わったことがあるでしょう。

 そんなわけで、まだ「王の男」は観ていない。代わりに借りてきたのが「父親たちの星条旗」とこの「ファミリー」。「王の男」の悔しさを「ファミリー」で晴らしてやるぞと借りてきたが、残念なことに期待したほどではなかった。一連の韓琉ブームの枠内に収まった作品。「マラソン」のような完成度の作品を期待していたが、美男美女を使って泣かせの演出に終始するというお決まりのパターンだった。

 韓国はいつまでこんな作品ばかり作り続ける気なのか。いずれ飽きられてしまうのは目に見えているのに。韓国映画を選ぶ基準は「韓琉ブーム作品」かどうかの見極めと一致する。すぐれた韓国映画、たとえば「殺人の追憶」、「大統領の理髪師」、「トンマッコルへようこそ」、「グエムル 漢江の怪物」はいずれも「韓琉ブーム作品」の枠に納まっていない。「僕が9歳だったころ」は半分この枠組みに入りながらも、お涙ちょうだい路線を断ち切っているので傑作の一歩手前までいっている。

 もっとも「ファミリー」に全く見どころがないわけではない。主人公のジョンウンを演じるスエは型通りの美人で可もなく不可もなくといったところだが、その父親を演じたチュ・ヒョンはさすがに重厚感があっていい。ただこの父親が白血病で先が長くないという設定はありきたりすぎる。

 僕が韓国映画を集中的に観たのは2004年である。「韓国映画の流れ」という原稿を書く必要があったからである。特に5月から6月にかけて22本の韓国映画を観た。2005年ごろからすさまじい量の韓国映画が輸入されるようになった。2006年1月31日にアップした「彼女を信じないでください」のレビューで既に次のように書いている。「この1、2年の韓国映画の日本流入量はすさまじい限りだ。もう何でもいい、手に入る限り持ってこいといった感じである。韓国映画のレベルは相変わらず高いのだが、これだけ大量に入ってきたのでは選ぶのに苦労する。当然ハズレも覚悟しなければならない。」あれよあれよという間にレンタル店内での韓国映画の棚は増え続け、今では壁一面を覆っている。

 2004年ごろまではまだ選ばれた作品が来ていたので、それほどはずれを引くことはなかった。2005年以降は完全に玉石混淆。玉の方はほんの一握りだ。それでも玉の方はさすがに突出した出来で、各種ベストテンの上位に何本も食い込んでいる。しかし全体としてみればゴムは完全に伸びきっている。今後少しずつ輸入量は減ってゆき、収まるところに収まるのではないか。2008年8月の北京オリンピックに向けてまた中国映画が少しずつ注目され、韓国映画と中国映画の輸入量の著しいアンバランスが多少は解消されるのではないかと密かに期待している。

「ファミリー」★★★☆
  2004年 イ・ジョンチョル監督 韓国

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