2006年 日本 2006年8月公開
評価:★★★★☆
監督:黒木和雄
原作:松田正隆
脚本:黒木和雄、山田英樹
製作:川城和実、松原守道、亀山慶二、多井久晃、鈴木ワタル
プロデューサー:河野聡、内藤和也、杉山登、大橋孝史、磯田修一
音楽:松村禎三
美術監督:木村威夫
撮影:川上皓市
出演:原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ、小林薫
このレビューがずいぶんと長いものになってしまったことを最初にお断りしておかねばな
りません。この作品は、小津安二郎の作品同様、要約してしまったのではその素晴らしさが伝わらないからです。場面ごとにつぶさに、事細かに見ていかなければ、その作品世界が解明できない。そういう作品だと思うのです。一見何でもないような会話に、どれほどの意味が込められていることか。それは詳細な分析をして見なければわかりません。
* * * * *
原作は松田正隆の戯曲。彼自身の両親をモデルにして描いた作品である。もともと舞台劇だった原作を映画にする際、黒木監督はいかにも映画らしい映像技術をふんだんに盛り込もうとはしなかった。代わりに彼がやったことは舞台劇を小津映画にすることだった。そうすることで舞台劇の味を残しつつ、かつ昔の茶の間を描くもっともふさわしい映画的視角と表現方法を取り入れることが出来たのである。黒木監督は昔の時代を再現しただけではない、かつて偉大であった頃の日本映画をも再現して見せたのである。
小津の映画をかなり研究したのかもしれない。独特の間をうまく活かした、ゆったりとしたテンポ(それは当時の生活のリズムに合ったテンポだった)、短く繰り返しの多いせりふと少ない動き、低いキャメラ・アングル。ほとんどそのまま「紙屋悦子の青春」にも当てはまるが、違いはせりふの多さだろう。「紙屋悦子の青春」はもともと戯曲だったため、映画も会話劇になっている。同時に3人以上の人物が映っている場面はほとんどないが、全編会話で成り立っている映画である。しかしそれだけ会話があふれているにもかかわらず、そこでは肝心なことはほとんど語られていない。それでいて伝えたいことが観客にきちんと伝わってくる。そういう描き方なのだ。黒木監督は映画人生最後の作品において、大先輩のスタイルを借りながらさらにそこに新しい工夫を付け加えたのである。それは彼の遺作にふさわしい優れた達成だった。
語らなくても伝わってくる。そこに日本人独特の表現法がある。ちょっとしたしぐさ、顔の表情や目の動き、一瞬のためらい、咲いては散る桜の花、波の音、こういった視覚的・感覚的「言語」だけではなく、最初から暗黙の前提として存在している時代的文脈、語られてはいないが充分読み取れるそれぞれの心中など、目に見えない「言語」が会話の中に織り込まれているのである。「にごりえ」のレビューでも書いたが、これは日本人が得意としてきた表現方法である。増してやうっかり本心を漏らすこともできない戦時中のこと、今のように男女があからさまに付き合うこともはばかられた時代であればなおのこと、語られざる「言語表現」が重要になってくる。こういう表現は日本映画独特の文法である。
黒木監督はさらにもう一つ小津の世界を広げた。小津安二郎は直接であれ間接であれほとんど戦争を映画の中で描かなかった。「紙屋悦子の青春」は戦闘も爆撃も描かれないが、戦争は明らかにこの映画の重要な主題である。晩年の黒木監督は「TOMORROW 明日」(88年)、「美しい夏キリシマ」(03年)、「父と暮らせば」(04年)と戦争を主題にした作品を作り続けてきた。以上の作品はよく「戦争レクイエム3部作」と呼ばれるが、むしろ「紙屋悦子の青春」を加えて「戦争レクイエム4部作」と呼ぶべきだろう。こうして黒木監督は主題においても小津の世界を広げたのである。
「紙屋悦子の青春」が描いたのはいわゆる銃後の世界である。時は昭和20年、舞台は
鹿児島県米ノ津町。戦時中とは思えないのどかな田舎町である。爆撃機の影も見えず、砲声も聞こえない。しかし戦争はそんなのどかな田舎町に暮らす人々の人生をも狂わせてしまう。戦争や内戦は多くの男女の間を引き裂いた。これまで多くの映画がそれを描いてきた。デ・シーカの名作「ひまわり」。スペイン映画として初めてアカデミー外国語映画賞を受賞した名作「黄昏の恋」。ユーゴスラビア内戦の悲劇を描いた「ブコバルに手紙は届かない」。今井正の名作「また逢う日まで」等々。ニキータ・ミハルコフ監督の「五つの夜に」のラストでヒロインがつぶやく「戦争さえなかったらねえ」という言葉は胸に突き刺さった。過ぎ去ってしまった時間はもはや取り戻すことが出来ない。幾多の戦争でどれだけの人たちが同じ思いを抱いたことだろうか。紙屋悦子の秘められた胸の内にも同じ「戦争さえなかったらねえ」という思いがあったに違いない。戦争を経験したものは死ぬまで戦争の記憶から逃れられない。だから「紙屋悦子の青春」は病院の屋上で老いた悦子と夫が昔を思い出すシーンから始まる。
冒頭の場面は途中何度か空が映される短いカットを挟んで延々15分ほども続く。キャメラはほぼ固定され、並んで椅子に座る二人の途切れがちな短い会話が続く。悦子(原田知世)の「寒うなかですか」で始まるなんということのない会話。しばらくして夫(永瀬正敏)が遠くに見える桜の木を話題にする。「まだあるやろか桜の木。」話は実家の家の前に植えられていた桜の木に移る。夫の思いは戦争のあった頃に飛ぶ。悦子の「なして、戦争のあったとやろか?」という何気ない言葉が夫の思いがけない言葉を引き出す。
永与「なして・・・おいは・・・」
悦子「・・・なんですか?」
永与「生きとるとやろか」
悦子「何ば言いよっとですか」
永与「なして死にきれんかったとやろか」
悦子「よかですたい。生きとる方が・・・死んだら何もならんですばい」
永与「うん・・・何もならん・・・ばってん・・・」
なぜ永与はこんなことを言うのか?桜の木は戦時中の彼らとどんな関係があるのか?映画はさりげなく疑問を提示するだけだ。次に「鹿児島県米ノ津町 昭和二十年三月三十日」と字幕が出て、一気に終戦間近の紙屋家に時代がさかのぼる。悦子の兄安忠(小林薫)と妻ふさ(本上まなみ)の会話が続く。2人は悦子の帰りが遅いことを心配している。その後の卓袱台をはさんで食事をする茶の間の会話が面白い。安忠は配給の漬物「高菜」の味に不満そうである。ころあいを見計らって安忠は妹の悦子に縁談の話があると妻に話す。相手は安忠の高校の後輩である明石という男の親友で、永与という名前らしい。ふさは怪訝そうである。「明石さんの?何でまた、そげな人を紹介するとですか?」ふさはむしろ明石の方がいいと夫に言う。縁談の相手は永与だと取り合わない夫に、ふさは業を煮やしてきっぱり言う。「悦っちゃんは、明石さんに気があるとですよ。」驚く安忠。「悦子がそげん言うたとか?」ふさ「いえ、悦っちゃんはそげんこは言いません。」言わないが様子で分かると。
次のふさのせりふで、ふさと悦子が同い年の幼馴染であること、だから悦子の気持ちは本人が何も言わなくても分かるのだということが分かる。その後のせりふが面白い。「こげな仲良しなら、いっそんこと、姉妹になった方が良かっち思うて、悦っちゃんの兄さんのあんたと結婚したんです。」面食らう安忠。そんな理由で俺と結婚したのかと聞きとがめる。ふさは「はいはい・・・悦っちゃんのことは二の次でした」と軽くいなして、突然「どげんですか?」と聞く。安忠「何が?」ふさ「高菜。」安忠「うん?ああ・・・うまか。」
どうやらうまくないらしい高菜が伏線としてうまく使われている。ふさは絶妙のタイミングで高菜のことを持ち出して話を切り替え、機嫌の悪くなった夫の関心をそらす。何でもない会話なのだが、コミカルなタッチで観客の頬を緩ませる。会話のずれや聞き違えはこの後も何度も使われる。さらには、ふさと悦子の関係、夫と結婚した「真の」動機、夫と明石の関係などが会話の流れの中で自然に説明されている。ほとんど動きのない場面なのだが、二人の珍問答に乗せられいつの間にか映画の世界に引き込まれ、かつ周囲の事情も自然に飲み込めてしまう。見事な展開である。さらに重要なのは悦子と明石の関係。悦子も明石も実は自分の気持ちを最後まで一度も話さない。ふさの言葉によってさらっと示されるだけだ。言わなくても察しがつくというふさの言葉は暗示的で、まさに言葉ではなく視線や表情、所作などでわれわれには手に取るように察知できるのである。
見合いは翌日だと聞いてふさはあわてる。「それを早う言わんね」と今度はふさが怒り出す。急にいわれても何も用意するものがない。おはぎを作ることにする。そこへ人が尋ねてきて、ほぼ同時に悦子も帰ってくる。客も帰りやっと茶の間に3人が揃う。台所へ行ったふさがお茶を探している。「お茶は?」と茶の間の方に声をかける。悦子が「お茶碗」と聞き違え、兄の安忠は不思議そうに茶碗を持って台所へ行く。やっとふさはお茶を見つけ、訳がわからないでいる安忠に「何をぼけっと立ちなさってるんですか」と声をかける。首をかしげながら茶の間に戻る安忠。
悦子と卓袱台についた安忠は見合いのことがなかなか言い出せない。悦子は食事をしているが芋をかじって少し変な顔をする。実は少しすっぱいのだ。そこへ台所からふさが戻ってくる。
ふさ「そいで・・・どげんね、悦っちゃん」
悦子「え?ああ、どげんもなかよ。こん位なら食べられる。まだおいしか・・・」
ふさ「何ばいいよっと?」
悦子「芋やろ」
ふさ「あなた、まだ言っちょらんとですか?」
安忠「え?うん」
ふさ「何をしょっとですか」
安忠「ああ」
悦子「なに・・・何かあっと?」
ふさ(お茶を飲みながら)「ああ、やっぱい、おいしか」
安忠(ふさに目配せされて)「うん・・・」
悦子「何ね・・・2人して・・・」
芋と見合いのずれがおかしい。やっと、実は縁談があると安忠が言う。「う~ん」と言ってうつむく悦子。言葉に詰まった安忠が取り敢えずお茶を飲んで「うまかな、こんお茶」などとのんきに言っているのが笑える。迷った末悦子は会うことにする。ふさが明石の事を言い出しそうになったのを制して、安忠が言う。「明石は飛行気乗りじゃ・・・いつ死んかわからんが。永与っち人は整備らしかで。」
このあたりの場面も実に滑稽だ。前半部分はこのようにコミカルなトーンで描かれてゆ
く。後半の悲劇的で痛切な展開に入る前の状況設定の場面なので、喜劇的な味付けで観客に飽きが来ないようにうまく惹きつけているのである。滑稽な会話にまずい食事に顔をしかめる様が差し挟まれ、平凡な日常的な会話なのに文字通り「表情豊かに」展開されるのである。同時に戦時中の質素な食事風景が良く伝わってくる。卓袱台と上にのった粗末な食事しかない簡素な舞台。せいぜい画面が切り替わっても、玄関や台所や庭程度。動きが少ない分周りのものや小道具が目に入る。会話にもしばしばずれが生じ、顔をしかめたり、怪訝そうな表情を浮かべたり、人物の表情も無言の「言葉」として観客によって読み取られる。たった3人の登場人物と卓袱台しかない簡素な空間なのだが、発せられた言葉以上に豊かな会話がそこに交わされている。言葉だけではなく人物の表情やしぐさ、お茶、高菜、芋や食器などの小道具もすべて総動員して描いているのだ。そこにこの映画の簡素にして豊かな話術の秘密があるのではないか。
詳しくは書かないが、その後の静岡のお茶の話も愉快だ。ふんどしの詰まったカバンを盗んだ泥棒は中を開けてさぞがっかりしたことだろう。一つだけ戦時中の窮乏状態を暗示するせりふだけをあげておこう。見合い用にふさが取り出してきた、取って置きの静岡の茶を3人でおいしそうにすすっていたとき、悦子が言う。「そんころは別にたいしておいしかとも思わんかったのに。」昔は特にうまいとも思わなかったお茶が、安いお茶を飲み、まずい高菜やすえた芋を食べている今では格別おいしく感じる。のどかで戦争の影などほとんど感じられないありふれた茶の間の光景。家族がお茶をすする様子を描きながら、それとなく発せられた言葉に戦時中の窮乏生活ぶりがたくみに織り込まれている。脚本の素晴らしさに感心する。
その後ようやく明石(松岡俊介)と永与が登場する。1時と言ったのに安忠が3時と間違えて記憶していたために、2人が紙屋家を訪ねてきた時悦子はうっかり家を空けていた(安忠は徴用で熊本に行くことになり、ふさもついていって2、3日熊本で過ごすことになった)。主がいないので二人は勝手に上がりこむ。ここで2人きりになる設定がいい。緊張している永与に明石がどう挨拶すればいいか手ほどきする時間が取れるからだ。ここの場面が全編でもっとも滑稽である。女性と面と向かって話した経験がなさそうな永与に比べると明石はより経験がありそうだが、その明石でも女性のことは何も分かっていないことが会話から読み取れる。したがって会話は何とも頓珍漢で珍妙なものになる。実際、何度か声をあげて笑ってしまった。
会話を通して、真面目一方で融通がきかない永与の個性が浮き彫りになる。「そげんことじゃ、敵の空母から飛んできたグラマンに緊急対応できんぞ」と明石がからかうと、「悦子さんはグラマンじゃなかぞ」と怒ってしまうのだから厄介だ。悦子が戻ってくる前の場面ではあと二つだけ指摘しておこう。二人が座っているテーブルの上に布巾をかぶせたおはぎが載っていた。あのすっぱい芋の後では、このおはぎがものすごく贅沢なご馳走に思えた。もうすっかり映画の世界にはまり込んでいた証拠だ。思わずつばを飲み込みそうな二人の表情もいい。もう一つはそのおはぎを見て言った明石少尉の言葉。「悦子さんの作ったとなら、おいしかたい。」ボソッと言ったこの言葉に彼の気持ちが表れていた。彼は自分の本心を何も言わなかったが、それでも時々ふっと何気ない言葉に出てしまう。そんな描き方が素晴らしい。これを聞きとがめた永与の言葉がまた面白い。「他のもんが作った場合はすかんおはぎでも、悦子さんが作成した場合、そんおはぎがおいしか~おはぎに変化する。何でや!?」これには笑ってしまった。彼が聞きとがめるのももっともだが、「作成した」とか「変化する」などという不自然なほど硬い表現に彼の生真面目さがよく出ている。それと「おいしか~おはぎ」という言い方が実にミスマッチで何とも滑稽なのだ。
やっと悦子が家に戻り、ようやく見合いが始まる。背筋をしゃんと伸ばして座っている姿がいかにも当時の人たちらしい。昔の映画には様式美があった。この場面でも、背筋を伸
ばして座っているだけなのに美しさを感じてしまう。それは日本人の生活の美しさだったのかもしれない。緊張のあまり先ほどの打ち合わせの甲斐もなく、というよりほとんど役に立たないアドバイスだったわけだが、悦子と永与の会話はほとんど漫才のようになってしまう。永与のまごつきぶりが実に滑稽だ。しかしこの場面の途中からコミカルなタッチに悲痛さがにじみ出てくる。明石はトイレに行くといってそっと家を出てしまう。去る前の彼の表情に悲哀がさっと一瞬よぎる。ここも言葉ではなく、表情とそぶりで描いている。悦子の心情の描き方も秀逸だ。いつまでも明石がトイレから出てこないので永与がトイレの前で声をかけている隙に悦子が玄関に行くと、明石の靴がないことに気づく。追いかけようとするが思いとどまる。一瞬の動きとためらいに彼女の揺れ動く心中が示されている。男女が親しく言葉を交わすことなど許されなかった時代。互いに思いを胸に秘め、胸のうちを明かすことなく分かれてゆく。小津を思わせるこの映画の演出方法は、この時代を描く最良の方法だった。なぜ映画なのに演劇を思わせる狭い空間に限定したのか、なぜ小津の方法に倣ったのか、こう考えてくれば十分納得が行く。
全く上がりまくっていた永与だったが、彼の混乱振りにも彼の誠実で真面目な人柄が表れていた。悦子は黙って去っていった明石の「こいつを頼む」という無言の意思表示を悟ったのか、「何のとりえもない、ふつつかものの私ですけど・・・どうか、よろしくたのみます」と永与に挨拶する。永与も誠実に「戦争のどげんなるか・・・私もどげんなるわからんばって・・・私はもうあなたば・・・一人にしません」と応える。
笑わせながら、3人の交錯する心情を余すところなく描きつくしている。この後の展開も見事だ。赤飯とラッキョウの話で笑わせ前半のトーンを残しつつも、ふさに戦争に負けてもいいと言わせる。「じゃっどん赤飯は赤飯らしく食べたかです。ラッキョウもラッキョウらしく食べたかです。爆弾に当たらんち思うて、赤飯やラッキョウを食べたかなかですが」と思いのたけを語らせる。全体に(戦時中だけに)抑制された会話の中で、なりふり構わず心情を吐露したふさの言葉に胸を突かれる思いだ。一見何ともない会話の積み重ねのように思えるが、入念に緩急を入れ替え、笑いと哀しみを織り交ぜ、時には思いのたけを語らせる。決して平板でも一様でもない。言葉の一つひとつにどれだけ神経を使っているか、脚本の見事さは驚嘆すべきである。だからわれわれは引き込まれてしまうのだ。静かで動きの少ない展開の中に、実はいくつも山場がある。何度も(感情の)嵐が吹き抜けているのだ。
感情表現と自然描写が一つになっていることも指摘しておく必要がある。月や花をめでる、虫の音や風鈴の音、小鳥のさえずりや川のせせらぎ、しし脅しの音に安らぎを覚える。花が咲いては美しいと感じ、花が散ってはそのはかなさを思う。肌に感じる風や山の木々の色の変化に季節の移ろいを感じる。桜の花と波の音。この映画の中で象徴的に使われているこの二つの要素は、こういった日本人独特の感性によくマッチしている。ささやかな変化を敏感に感じ取る日本人の感性、俳句や短歌を挙げるまでもなく、日本人はこういったものと重ね合わせて感情を語ってきたのだ。
このあとの二つの場面。明石が(特攻隊として)出撃前に最後の挨拶に現れる場面、彼の死後今度は永与が明石から手渡された手紙を悦子に届けに来る場面は、この作品のもっとも感動的な部分である。笑いで始まり、いくつもの波が過ぎた後に一番大きな波がやってくる。そういう構成になっている。明石が訪れる場面はこの映画の表現方法がもっとも見事な冴えを見せる場面である。表面的な言葉の裏にどれほど多くの感情が隠れていることか。表面的にはごく当たり前の挨拶を交わしているだけである。そうするしかない。明日死地に赴く兵士を前に、引き止めることも泣き崩れることも出来ないのだ。しかし悦子が言った最後の言葉は型どおりの挨拶から逸脱していた。逸脱していたから感動的なのである。明日死ぬ運命にある思い人にどんな言葉をかければいいのか。悦子の苦悩はいかばかりだったか。搾り出すように彼女は「敵の空母をば・・・沈めなさることを、祈っております」と言葉をかける。しかしその後に彼女が言った言葉こそ彼女の本当の気持ちだった。「どうかお身体・・・ご自愛ください」。死ぬことが決まっている人間に「ご自愛ください」という言葉をかけずにはいられない気持ちが痛いほど分かる。出来うることなら「行かないで下さい」、「生きて帰って来て下さい」と言いたかっただろうに。その苦渋と哀しみがいやというほど観る者に伝わってくる。いや、突き刺さってくる。明石が去った後、悦子はそれまで抑えていたものが一気に噴出したように台所で号泣する。明石は自分の死が近いことを察し、大事な人を自分の一番の親友に託そうとしていたことは、もうこの時点で観客にも分かっている。そうするしかなかった、そうせざるを得なかった明石の気持ちが分かるからこそ、われわれもやりきれないのだ。桜が咲く季節に永与と見合いをし、桜が散る季節に明石は去っていった。
次の永与の場面も見事だ。明石の手紙を渡した時の永与の言葉にも深い感銘を覚えずにはいられない。「死んだとです・・・もうおらんとです!そいけん、あいつの分も私はあなたの事ば大事にせんばいかんとです。」「あいつの分も」という表現から明石の気持ちを永与も察していたことが分かる。悦子も迷いはなかった。彼女は叫ぶように言った「待っちょいますから。日本がどげんなことになっても、ここで待っちょいますから。きっと迎えに来て下さい。」3人のそれぞれを思いやる気持ちが美しい。
最後はまた病院の屋上の場面。二人は波の音に耳を澄ます。波の音は悦子が見合いをした日の夜、兄にあてて手紙を書いているときにも聞こえていた。海から遠いところで、本来波の音など聞こえるはずはない。しかし確かに悦子は波の音を聞いたのだ。この波の音は何を表しているのだろうか。はっきりとは分からないが、あの波の音は少なくとも明石と結びついていると言えるだろう。波の音が聞こえ始めたのは見合いをした日。明石が死を覚悟した頃だ。そしてその音が聞こえるのは悦子だけらしい。「そん波の音・・・ザザーッザザーッちゅう音ば聞いとったら、何かこう1人でおっても淋しゅうのうなったとです。」悦子は波の音に明石を感じていたのではないか。桜の花が散る頃、明石は「海の藻屑」となって散っていったのである。波の音として彼はいつも悦子と共にいたのだろう。悦子は夫と共に明石の分もしっかりと生き抜いたのだ。
この映画の場合「戦争の影」は「死の影」と同義だった。「青春」というにはあまりに辛く暗い時期だった。しかしむなしい青春ではなかったはずだ。彼女は仕方なく永与と結婚したのではない。僕はそれがうれしい。悦子は不器用な永与の中に明石に対する心からの友情を見、自分に対する真摯な愛情を見て取った。だから自分から進んで「ふつつかものの私ですけど・・・どうか、よろしくたのみます」と言ったのだ。決して受身的な選択ではなかった。戦争という非合理で非情で血生臭い時代に生きた彼らのなんと人間味のあることか。相手を思いやる心、美しい姿勢と立ち居振る舞い、不自由ながら節度ある生活。お茶をおいしいといって飲めることがどれほど素晴らしいことか。それが奪われてみなければ分からない。本土決戦になれば、彼らのつましい耐乏生活すらも戦火の中に飲み込まれてゆく運命にあった。あとわずか数ヶ月、あと数ヶ月たてば戦争は終わったのに。そうとも知らずに散って行った明石の死が哀れでならない。
最後にキャストについて。出演した5人が皆素晴らしかった。役者としての力量が試される映画であり、彼らの演技を楽しむ映画である。なかでも原田知世の美しさは特筆に価す
る。単に美人だと言っているのではない。話し方、立ち居振る舞い、感情表現、すべてが美しい。昭和20年当時20歳だったという設定だが、彼女は67年生まれだから撮影時は40歳近かった。しかし、実際に20歳の女優ではここまで演じ切れなかっただろうとある方が指摘していた。本当にその通りだと思う。ただ、惜しむらくは年を取った時のメークにリアリティがなかったこと。もっと老けさせるべきだった。冒頭の屋上でのシーンも長すぎた。それさえなければ満点をつけていただろう。
永瀬正敏も素晴らしい。80年代にデビューした頃は5、60年代の日活スターのような雰囲気を濃厚に漂わせていて、変わった奴が出てきたという印象だった。彼に俳優として非凡な才能があると最初に感じたのは山田洋次監督の「息子」(91)で主演したとき。映画自体が90年代日本映画のベスト5に入る傑作だったが、主演の永瀬正敏と和久井映見がまた素晴らしかった。若手から中堅に差し掛かってきたところだが、既にして名優の風格を帯びつつある。いい役者になった。
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