ジャーヘッド
2005年 アメリカ 2006年2月公開
評価:★★★★
監督:サム・メンデス
原作:アンソニー・スオフォード『ジャーヘッド アメリカ海兵隊員の告白』(アスペクト)
脚本:ウィリアム・D・ブロイルズ・Jr
撮影:ロジャー・ディーキンス
出演:ジェイク・ギレンホール、ピーター・サースガード、ルーカス・ブラック
クリス・クーパー、ジェイミー・フォックス、ブライアン・ケイシー
クリスティン・リチャードソン、エヴァン・ジョーンズ
戦闘場面のない戦争映画。「ジャーヘッド」を一言で言えばそういう映画である。この映画が日本で公開されたのは2006年の2月だが、前年の暮れから06年の3月にかけて「ロード・オブ・ウォー」、「クラッシュ」、「スタンドアップ」、「ミュンヘン」、「アメリカ、家族のいる風景」、「シリアナ」、「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」など、アメリカを批判的に捉えなおした映画がどんどん入ってきていた。「ジャーヘッド」もそういう「ポスト9・11映画」の一つである。時代背景は1990-91年の湾岸戦争だが、明らかに9・11後の雰囲気の中で作られ観られてきた。
最初は「フルメタル・ジャケット」や傑作TVドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」を思わせる新兵の厳しい訓練が続く。いつの時代にもいる鬼軍曹に厳しくしごかれて兵士たちは殺す機械に仕立て上げられてゆく。おなじみの場面だ。昔もこの手の映画は多かった。「あの高地を取れ」(1953)ではリチャード・ウィドマークが的と兵士の間に足を広げて立ち、俺の股の間から撃てと射撃が下手な兵士に命令する有名な場面がある。訓練も命がけだ。
しかしその後はこれまでの映画と全然違う。「ワルキューレの騎行」の音楽に乗って戦闘ヘリ”アパッチ”が地上の敵を機銃掃射する有名な「地獄の黙示録」の場面を観て狂ったように盛り上がった気分のまま戦地に乗り込むが、彼らを待っていたのは戦闘ではなく延々と続く待機状態。過酷な訓練を経てアドレナリン出しまくりの戦闘機械となった兵士たちはその成果を実践で試したくて仕方がないが、こぶしを振り上げたものの殴るべき相手がそこにいない。じりじりと砂漠の炎熱に焼かれていたずらに訓練を続ける毎日。
これまで何度か「ザ・トレンチ 塹壕」という映画を紹介した。第1次大戦で大量の戦死者を出したことで有名なソンムの塹壕戦を描いた映画。ほとんど戦闘場面もなく、だらだらと塹壕の中の兵士たちの日常を描くだけの、実に退屈でつまらない映画だった。しかしそれでも戦闘中だった。敵の狙撃兵に撃たれたり迫撃砲の直撃を受けて戦死するものが続出する。戦線が膠着しているだけである。しかし「ジャーヘッド」は戦闘そのものが描かれない。「ジャーヘッド」は偵察狙撃隊を主人公にして、ただ待機するだけの、たった4日間しか地上戦が行われなかった戦争を描いているのである。
湾岸戦争は戦場を除けばテレビ観戦する戦争だった。あの緑色の夜間戦闘場面、地上から高射砲の砲弾が空に向って花火のように打ち上げられ、空中で炸裂し、地上では時々激しい爆発が起きる。パトリオット・ミサイルなど様々な種類のミサイルが飛び交い、ピンポイントで敵を破壊できる、誤爆がない「きれいな戦争」と謳われた戦争。あれはまるでゲームを観ているようで何のリアリティもなかった。「ジャーヘッド」が描いたのは、テレビが一切描かなかった現場の兵士のリアリティであった。この映画の意義はそこにある。
「ザ・トレンチ 塹壕」と違い、同じ「戦わない戦争映画」でも「ジャーヘッド」は観客が飽きないよう様々に工夫している。ひたすら待つ兵士たちの焦燥感や欲求不満、炎天下での
虚しい訓練ばかりではなく、味方の空軍による誤爆、その直後に目撃した黒焦げになった避難民の死体の山、何の真実も映さないTVの取材、TV向けに演じたほとんどやらせのガスマスクをかぶっての訓練(これが実に滑稽だ、ダース・ベイダーのまねも出てくる)、うっかりしてテントに火が燃え移り中の照明弾がまるで花火大会のように打ち上げられる場面など。特に映像として優れていた場面が二つある。一つは砂漠で訓練中に陽炎の中を何者かが近づいてくる場面。空気が揺らめいているので最初は敵か味方か分からない。緊張する場面である。これはまさに「アラビアのロレンス」でラクダに乗ったアリ(オマー・シャリフ)が登場するあまりに有名な場面へのオマージュだ。映像的にさらに圧巻なのはイラク軍によって火を放たれた油田から立ち上る黒煙と砂漠に降り注ぐ油の黒い雨の映像。テレビでも何度も映された光景だが、真っ赤に燃えた空を背景にしたこの場面は強烈な印象を与える。無駄に燃やされる原油と無駄に過ぎてゆく時間。凄絶な映像にむなしさが漂う。
彼らはそこで何をやっているのか。何のために彼らはそこにいるのか。兵士たちはそれを問わない。一人だけそれを口にするが、すぐ議論は封じられてしまう。TVの取材を受けたときも「海兵隊に入ったときから言論の自由はない」と本音を吐くことを禁じられてしまう。何より炎天下で考える力さえ奪われてゆく。むなしく時だけが過ぎてゆく。兵士たちは問わないが、映画全体を通して先の疑問が観客に投げつけられている。そういう作りになっている。
彼らの焦燥感のクライマックスはようやく戦闘が始まった時に訪れる。主人公のスウォフォード(ジェイク・ギレンホール)とトロイ(ピーター・サースガード)は敵の将校の狙撃を命じられる。やっと銃が撃てる。彼らは喜び勇んだ。しかし狙いを定めた瞬間、横にいた将校に狙撃中止を命じられる。作戦は空爆に変わったというのだ。トロイは逆上し掴みかかろうとしてスウォフォードに押さえつけられ、「撃たせてくれ」と狂ったように泣き喚く。結局彼らは一度も銃を撃たず、誰も殺さず国に帰還する。むなしさは極限に達する。
ドイツ映画の名作「橋」(1959、ベルンハルト・ヴィッキ監督)では、戦争ごっこに夢中になっていた少年たちが戦争に駆り出される。俺たちが敵をコテンパンにやっつけてやると最初は勢いづいているが、実際に戦闘が始まると(指揮官は未熟な少年兵たちに敵の来ない橋の見張りを命じたのだが、皮肉にも連合軍は裏をかいてそこから攻めてきた)、彼らは地獄を見ることになる。生き残ったのはわずかだった。戦争の残酷さとむなしさを描いた戦争映画史上屈指の名作だが、「ジャーヘッド」はまた別の角度から戦争のむなしさを描いたといえる。
誰も殺さず、自分も殺されずに帰国できたのは幸いだが、戦闘は空爆やミサイル攻撃で決着がついてしまい、自分たち地上部隊は何しに行ったのかというむなしさが残る。しかし彼らはヒーローとして迎えられる。バスに乗り込んできた中年の男は戦場の勇ましい土産話を聞きたくて仕方がない様子だが、兵士たちは迷惑そうな顔で黙ったままだ。話そうにも話せない。敵を倒すどころか、一発も敵に向けて撃っていないのだから。テレビを見て浮かれていた国内の人たちと戦場にいた兵士とのギャップもまた説得力を持って描かれている。
故国に凱旋した彼らはヒーロー扱いされるが、彼らの胸に残るのはむなしさと虚無感だ
けだった。そのむなしさには自分たちは何のために派遣されたのかという戦争そのものに対するむなしさも既に入り込んでいる。一体あれは何のための戦争だったのか。誰のための戦争だったのか。彼らの胸の中のうずきは一旦は窒息させられていた人間的感覚が戻りかけてきていることから来るうずきである。しかし人間的感覚が戻ってきても、彼らの体の中には戦争によって植えつけられた毒素がいつまでも消えずに残っていた。
彼らは平時の日常生活に戻る。しかし彼らの中にいつまでも戦争が不完全燃焼のまま残っていた。「男は何年も銃を撃ちそして戦争に行く。やがて家に戻り、それ以外のことをし始める。家を建て、女を愛し、おしめを換えるが、彼はいつまでも“ジャーヘッド”。 “ジャーヘッド”は皆、殺し、死ぬ。それはいつでも僕自身だ。僕らは今も砂漠にいる。」最後に窓の外を眺めるスウォフォードの姿が映される。キャメラが横に移動すると、彼の姿を境に窓の外の眺めが砂漠の戦場に変わって行く。戦場から帰ってきたのはヒーローではない。兵士の抜け殻だった。彼の心は今も敵のいない戦場を駆けめぐっている。
この映画はある意味で「ユナイテッド93」に共通する性質を持っている。現場に密着した分その場にいたものにしか分からないリアリティが描きえているが、その一方で大状況が充分描かれていないうらみがある。「ジャーヘッド」はアメリカの政策や湾岸戦争そのものの意味を正面切って問うてはいない。代わりに兵士たちの焦燥感やむなしさが強調されている。その分曖昧さが入り込んでいる。大活躍した空軍の兵士を主人公にしていれば、この戦争はもっと違って見えていただろう。しかしこの映画が描いたむなしさは9・11後の不安感や厭戦気分とシンクロする面もある。戦争を描く新しい視角を提起したことは評価されるべきだろう。
入隊前スウォフォードは大学に行きたかった。しかし貧しい家に育った彼にはかなわない夢だった。彼が軍隊に入ったのはそうすれば大学に行かせてもらえると思ったからである。湾岸戦争後10年ほどたってアメリカは再びイラクと戦火を交えた。その時も構図は同じだった。マイケル・ムーアの「華氏911」があぶりだしたように、食べてゆけない貧しい層は食うに困らない軍隊に志願してゆく。金持ちたち支配層は国民をだまし安全な国内にとどまりつつイラクに軍隊を送り、飢えた貧しい人々は戦場に向かい命を落とす。21世紀のスウォフォードたちは銃を撃つことが出来た。しかし祖国に帰って来た時は棺に入っていた者も少なくない。
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ある目的のために他のすべてを度外視して臨む行為、それを人は「ゲーム」と呼ぶ。
『ジャーヘッド』は「戦争ゲーム」の映画だ。
「戦争ゲーム」のゲーム性を徹底して暴き出そうとする映画だ。
[続きを読む]
ななさん TB&コメントありがとうございます。
「ジャーヘッド」は9.11後のアメリカを意識した一連の映画の一つだと思います。最後に残るやるせない虚無感、この戦争はどんな意味があったのかという疑問。観た後に色々と考えさせられる映画でしたね。
投稿: ゴブリン | 2007年12月23日 (日) 22:45
TBさせていただきました。
私は恥ずかしながら,主演のジェイクに惹かれてこの作品を見たのですが
湾岸戦争に赴いた兵士たちの内面との戦いを
リアルに描きだしているドキュメンタリー的な物語として
結局とても興味深く鑑賞しました。
映像の独特の美しさも印象に残っています。
戦争とは,従軍とは,いろいろ考えさせられる作品でしたね。
投稿: なな | 2007年12月22日 (土) 13:59
カゴメさん TB&コメントありがとうございます。
新しいPCを買うと、しばらくはどこがどう変わったか、あれはどうなっていると結構時間を忘れて弄り回してしまいますね。操作もしばらくはなれないので戸惑います。
戦争は戦場にいた者、銃後にいた者、勝った側負けた側にかかわらず、何らかの歪みをもたらすものなのでしょう。戦争のむなしさを戦闘場面を描かずに浮かび上がらせた稀有な作品でしたね。
投稿: ゴブリン | 2007年2月23日 (金) 19:30
ゴブリンさん、TB、感謝です♪
コメントも頂きありがとーございます!!
実に久しぶりにPCを買い換えたので、
今、慣れるのに大変な思いをしてます(笑)。
>これはまさに「アラビアのロレンス」でラクダに乗ったアリ(オマー・シャリフ)が登場するあまりに有名な場面へのオマージュだ。
あの場面、本当に、「おおっ!」という感じでしたね。
ただ、意味合いが今一つ判らなかったですが・・・。
(何にでも解釈を求める悪い癖かも・・・苦笑)
>真っ赤に燃えた空を背景にしたこの場面は強烈な印象を与える。
カゴメはあの黒い雨と泥濘を観ていて、
「地獄の黙示録」で沼の水から顔を覗かせるウィラードを思い返してました・・・。
劇中で実際に死んだ者は、訓練中に一人とトロイだけでしたが、
スウォフォードも含めて、心のどこかが死んだままの者も多かったのでしょうね。
昔よく、ベトナム帰りの人間が銃を乱射して大量殺人をやらかしたりしたものですが、
終戦直後の日本でも、「特攻帰り」が犯罪に手を染める例が多かったようです。
戦争は例え勝っても負けても、どこかに歪を与えるものなんですね。
投稿: カゴメ | 2007年2月23日 (金) 16:44
猫さん
申し訳ありません。言葉が足りませんでした。
バスの場面について言えば、あの時、中年の男は戦場での勇ましい話を聞きたがっていたわけです。兵士たちも帰国したばかりですから、あれだけ苦しい訓練をして戦場で何もしなかったのでは何のために戦争に行ったのか、という割り切れない思いのほうが強かったでしょう。しかしラストの窓を観ている場面では、数年経過していると思われるので、もっと踏み込んで戦争そのもののむなしさを感じていたと思われます。
映画が全体として伝えたかったのも、あの戦争は何だったのか、戦うに値するものだったのかという問いかけだったと僕も思います。
猫さんのコメントで自分の中で充分整理しきれていなかったことが整理できてきたように思います。重要なご指摘ありがとうございました。
投稿: ゴブリン | 2007年2月20日 (火) 01:21
レスありがとうございました。
そうなんでしょうか?
>敵を何人倒したか? 何発銃をうったか?
それが 原題の戦争において「自慢」になるのでしょうか?
彼らの 沈黙は
国に対して
「莫大なお金を使って バカな戦争をした」
焦燥感のように 思えました。
投稿: 猫 | 2007年2月19日 (月) 12:31
ほんやら堂さん、猫さん TB&コメントありがとうございます。
<ほんやら堂さん>
少年時代に召集される恐怖感におびえていたとは!一体何が原因だったのでしょう。僕の子供時代は漫画も戦争物が圧倒的に多くかなり身近に感じていましたが、もちろん自分が戦場に行くなんて考えてもいませんでした。
こういう角度から軍隊を描いた映画は他にないと思います。普通はその残虐さや非人間性を描きますが、この映画は何のために自分たちは戦場にいるのかと問いかけています。「プラトーン」もなぜ自分たちはベトナムにいるのかを真剣に考察していましたが、戦闘行為の迫真性に映画は傾いて行きます。いろんなことを考えさせられる映画でした。
<猫さん>
イルカにも見えますか(笑)!このテンプレートの名前は「森のクジラ」です。
誰も殺さず、自分も殺されずに帰国できたのは幸いですが、空爆やミサイル攻撃で決着がついてしまって自分たち地上部隊は何しに行ったのかというむなしさが残るわけですね。しかし彼らはヒーローとして迎えられる。バスに乗り込んできたおじさんは戦場の勇壮な土産話を聞きたくて仕方がない様子ですが、兵士たちは迷惑そうな顔で黙ったままです。話そうにも話せません。敵を倒すどころか、一発も敵に向けて撃っていないのですから。テレビを見て浮かれていた国内の人たちと戦場にいた兵士とのギャップもまた説得力を持って描かれていました。
投稿: ゴブリン | 2007年2月19日 (月) 01:17
ごぶりん様、TBありがとうございました。
こちらからのTBが間違って2回入ってしまいました、ごめんなさい。削除をお願いいたします。
大人になってからは忘れていたけれど、少年時代の僕は自分が兵に招集されることに、恐怖感をずっと持っていました。
この映画はその古い記憶を呼び覚ましてくれたようです。
軍という組織の不条理さは、この映画に描かれるとおりだと思います。
投稿: ほんやら堂 | 2007年2月18日 (日) 21:47
はじめまして。TBありがとうございました。
白鯨??イルカさんかな??
とってもかわいいですね♪
ゴブリンさんの感想を読んで
映画を思い返していました。
観たときには 物足らなさを感じたけれど
今となっては ちょっと 凄い映画だったかも? と思い直しています。
「待つ」だけの戦争。 兵士の心 をよく描いていましたね。
こちらからもTBさせて頂きました♪
宜しくお願いします。
投稿: 猫 | 2007年2月18日 (日) 17:55
ゴブリンさん
TBさせていただきましたが、手違いで2度TBしてしまいました。
削除してください。大変失礼しました。
投稿: Innerdog | 2007年2月18日 (日) 16:08
真紅さん TB&コメントいつもありがとうございます。
真紅さんのスウォフォードの詩人的資質についての鋭い指摘はなるほどと思いました。
ジェイク・ギレンホールは僕にとって「遠い空の向こうに」のイメージが強く、あの頃はまだ子供でしたから、最近の「ブロークバック・マウンテン」やこの作品での成長には目を瞠ります。そう言えばクリス・クーパーは「遠い空の向こうに」の父親役でしたね。
投稿: ゴブリン | 2007年2月18日 (日) 02:19
ゴブリンさま、こんにちは。TBさせていただきました。
あの場面はパクリと言うか、今風に言えば「オマージュ」ですね(笑)。
映画全体に漂うむなしさ、虚無感が見事でした。
音楽もよかったですね。私はジェイクが好きなので、彼の演技にも満足でした。
投稿: 真紅 | 2007年2月17日 (土) 17:22