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2007年2月18日 (日)

漂流するアメリカの家族

  先週の日曜日に映画館で観た「リトル・ミス・サンシャイン」は愉快な映画だった。実にユHuiwto01 ニークな個性がそろった家族で、ハプニングだらけの旅とその途中のエピソードが面白い。そして圧巻は何といってもラストのダンス。” リトル・ミス・サンシャイン”コンテストでオリーヴが披露した踊りにはやられた。なるほどそうきたか!後で考えるとあちこち伏線が張られていたことに気づくが、意表をつくダンスに脱帽。

  昨日は「トランスアメリカ」を観た。こちらも家族のロード・ムービーだが、出来はさらに上回る傑作。フェリシティ・ハフマンが性転換手術を控える男性を演じ、その息子のケヴィン・ゼーガーズはドラッグに染まり男に体を売っているというねじれた親子関係。ひねりにひねった設定はアメリカというよりむしろイギリス的だが、ブラックな方向には向かわない。映画の味わいはアメリカ映画が得意とするファミリー・ドラマ。特異なシチュエーションであるにもかかわらず、人間的な情愛が意外なほどストレートに描かれている。

  ほとんど悪ふざけとも思える「リトル・ミス・サンシャイン」のラストのダンスにしろ、「トランスアメリカ」のねじれた人物設定にしろ、今のアメリカ映画はここまでやらなければ「個性的な」映画が作れないのかと考えさせられる。特に「トランスアメリカ」は、安易な作品がはびこるアメリカ映画の「お手軽病」を突き破る作品が多数公開された06年の中でもとりわけ異彩を放つ。とはいえ、窃盗で投獄されていた息子が意外にまともで、最後は父子の絆が取り戻されるという展開なので、決してひねた底意地の悪い映画ではない。既成の枠組みからどれだけ抜け出ているかで作品の良し悪しを計る向きには物足りないだろうが、これはこれで充分優れた映画だと僕は思う。

 「リトル・ミス・サンシャイン」★★★★
 「トランスアメリカ」★★★★☆

  いずれこの2作品ともレビューを書くつもりだが、ここではこの二つともロード・ムービーであるということについて若干考察してみたい。この2、3年に公開されたアメリカ映画には家族が旅をするロード・ムービーが結構ある。上記2作品のほかに、「ラスト・マップ/真実を探して」、ヴィム・ヴェンダース監督の「ランド・オブ・プレンティ」と「アメリカ、家族のいる風景」、未見だが「ブロークン・フラワーズ」など。家族ではないが「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」などもある。

  家族のロード・ムービーというパターンは今までそれほど多くなかった。最近になって急に増えてきたという感じだ。上に挙げた映画のほとんどは映画が始まった時家族はばらばらである。両親がそろっていないケースも多い。「リトル・ミス・サンシャイン」だけが両親もそろって祖父までいる。それは、これらの作品の中で一番従来のファミリー・ドラマに近いからである。親子そろって観られる映画なのだ。しかし、その「リトル・ミス・サンシャイン」の場合でも家族はばらばらである。ばらばらの家族がアメリカを漂流している。彼らの旅は家族の絆を求める旅である。だからただ目的地もなく漂っているわけではない。だが、不安定で波乱に満ちた旅である。家族同士が反発しあいながら次第に信頼を回復してゆく。互いに欠けている物を求め合っている。

  家族の絆を回復する旅だから途中で家族が離散したり(老人が途中で死ぬことはあるが)、目的地にたどり着けなかったりはしない。これらの映画には裏返しの願望が込められている。だが逆に言えば、それだけアメリカの家族が崩壊の危機にさらされているということだろう。従来のファミリー・ドラマがリアリティーを持ちえなくなってきている。自分を見失い、他人も見えなくなってきている。みんな自分の世界に引きこもってしまう。その典型が「リトル・ミス・サンシャイン」のドウェーン。彼は自分の部屋に閉じこもり誰とも口を利かない。互いに自分の殻に閉じこもり、会話が弾まない。家族の集まる食卓や居間には淀んだ空気が充満している。あるいは1人で暮らしている(「アメリカ、家族のいる風景」と「トランスアメリカ」は共に突然自分の子供が現われて慌てふためく映画である)。

  もちろん現実の社会では平穏に暮らしている家族も少なくないはずだ。映画はありふれた平凡な家庭を描くこともあるが、上記の作品は典型的なケースや極端なケースを象徴的Waveleaf_1 に描いている。しかしこれを例外的だと片付けるわけには行かない。現実の社会の中で深く広範に進行しつつある危機を抉り出しているとも言えるからだ。アメリカは世界一のストレス社会である。おまけに犯罪が日常的な不安社会でもある。失業や様々な差別もある。社会的軋轢が人々を外側から締め付け、麻薬やアルコール中毒、精神的不安が個人を内側から蝕む。いずれの問題もアメリカ映画では当たり前の日常生活のように描かれている。9・11後のアメリカの迷走ぶりがその不安に拍車をかけている。イラクへ介入し続ける一方で、ハリケーン・カトリーナはアメリカがアメリカ国民の生活と安全に無頓着なことや、社会保障体制が意外に脆弱であることが暴露された。上記の映画だけではない、アメリカ社会全体に淀んだ空気が沈殿している。

  淀んだ空気を吹き払うには「クラッシュ」が描いたように閉じられた窓を開け放ち、意識的に「触れ合い」を求める必要がある。じっと閉じこもるのではなく、行動を起こさなければならない。その行動のひとつが旅に出ることである。外の新鮮な空気に触れ、自分や家族をみつめなおす旅。旅は家族の絆を取り戻す特効薬として描かれている。今のところアメリカのぎすぎすした家族はこの特効薬で何とか千切れかかった絆を回復している。

  しかし薬は使い続けるうちに効かなくなってくる。さらに強い薬が必要になってくる。今後のアメリカ映画はどのような方向に進むのだろうか。安定を取り戻し再びのんきなファミリー・ドラマに回帰してゆくのか、あるいは旅も行き詰まるのか。「地獄の黙示録」のように謎にたどり着いたり、「アギーレ・神の怒り」のように仲間が途中で死に絶え残った1人も狂気にいたる展開になってゆくようなファミリー・ロード・ムービーが出現するのだろうか。ストレートな人間が1人もいない家族が出現するのだろうか(それに近い映画は既にたくさんあるが)。映画は社会を映す鏡。映画の移り変わりを深く理解するにはアメリカ社会の移り変わりを深く観察しなければならない。

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