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2006年12月 3日 (日)

3人の映画人を偲んで

  残念なことだが今年も何人かの映画人の訃報に接することになった。ここでは最近なくなった2人の監督と一人の俳優を取り上げ、生前の思い出を偲びたい。イタリアのジッロ・ポンテコルヴォ監督(10月12日逝去)とアメリカの巨匠ロバート・アルトマン監督(11月20日逝去)、そして「ニュー・シネマ・パラダイス」の名演で日本でもファンの多いフィリップ・ノワレ(11月23日逝去)の3人である。

ジッロ・ポンテコルヴォ監督(1919-2006)

<フィルモグラフィー>
「青い大きな海」(1957)     未見
「ゼロ地帯」(1959)      ★★★★
「アルジェの戦い」(1966)   ★★★★★
「ケマダの戦い」(1969)    ★★★

  最初に観た作品は「アルジェの戦い」。72年に観た。フランスからの独立闘争を描いた映画史に残る傑作である。光と影のコントラストをうまく生かした鮮烈な映像、特にくっきりと明暗に分かれた人物の顔が印象的だ。平べったい顔の東洋人ではああいう映像は撮れない。一旦は鎮圧されたかに見えたが、ラストの一面真っ白い霧の中からまず群衆の声が聞こえ、次第に霧を突き破るようにしてデモ隊の姿が現われてくる映像は鳥肌が立つほど感動的だった。いかにもロッセリーニにあこがれて映画を撮り始めた人らしい、ネオレアリスモの伝統を汲む力強い作品である。彼自身レジスタンスの経験を持っていたそうである。

  「ケマダの戦い」はカリブ海のケマダ島が舞台。大英帝国に対する住民たちの反植民地闘争を描いた。しかし、まるで二匹目のドジョウを狙ったような作品で、同じ人が作ったのかと首を傾げたくなるほど凡庸な映画でがっかり。

  監督第2作の「ゼロ地帯」は東京に出てきたばかりの73年に京橋の「国立フィルムセンター」で観た(当時入場料70円)。5月9日から6月5日にかけて上映された「イタリア映画の特集(2)」の一環として上映されていた。ナチスの強制収容所を描いた作品である。原題の“KAPO”とはもともと収容所の秩序を維持するために囚人の「班長」が使う棍棒のことだが、そこから「班長」 そのものも指すようになった。KAPOは特にナチスに協力的な囚人の中から選ばれるので、囚人たちからはナチス以上に嫌われている。

  この映画は傑作になりそこなった映画だ。前半の酷烈なタッチはまれに見るほど強烈で、「アルジェの戦い」に匹敵するほどである。しかし後半は下手に恋愛を絡ませたために残念ながら甘くなってしまった。

  恐らく観た人は数えるほどしかいないと思われるので、少し詳しく紹介しておこう。原作は女性作家エディト・ブリュックの自伝小説『汝をかく愛する者』。その原作を監督自身が映画用に脚色した。主演はアメリカの女優スーザン・ストラスバーグ(懐かしい!)。その他主だった役はイタリア人俳優ではなくフランス人俳優を使っている。

  強制収容所に送られた主人公のエディトはユダヤ人だったが、その身分を隠して一般女囚ニコーレとして一般収容所に送られた。彼女の家族はガス室に送られ、彼女自身も危うくガス室送りになるところだったが、必死の思いでドイツ兵に体を与え何とか助かる。ドイツ兵に気に入られた彼女は囚人仲間からは嫌われ、ついには「カポ」を渡されて女囚を監視する側に回る。生き延びるために”裏切り者”になったのである。

 やがてその収容所にソ連兵たちが送られてくる。その中にサーシャという捕虜がいた。それまで何かとニコーレを助けてくれたテレーザという女性がそのサーシャを救おうとして電流が流れる有刺鉄線に自ら身を投げて死んだ時、ニコーレは自分を取り戻す。彼女は捕虜たちの脱走計画に協力する決意をする。しかしその計画を実行しようとすればニコーレは犠牲にならざるを得ない。その頃にはニコーレと相愛の仲になっていたサーシャは思い悩む・・・。

 

ロバート・アルトマン(1925-2006)

<おすすめの10本>
「ゴスフォード・パーク」 (2001)060214sozai1
「カンザス・シティ」 (1996)
「ショート・カッツ」 (1994)
「プレタポルテ」 (1994)
「ザ・プレイヤー」 (1992)
「ナッシュビル」 (1975)
「ボウイ&キーチ」 (1974)
「ロング・グッドバイ」 (1973)
「ロバート・アルトマンのイメージズ」 (1972)
「M★A★S★H」 (1970)

  アルトマンといえば「M★A★S★H」である。朝鮮戦争時の野戦病院を描いたあのブラックな笑いは実に新鮮だった。この映画と共にロバート・アルトマンとドナルド・サザーランドの名前が僕の記憶に刻まれた。そしてアルトマンといえば「ナッシュビル」に代表される群像劇である。カントリーのメッカでのフェスティバルと大統領選挙のキャンペーンが入り混じって人間模様が渦巻く。その後これは彼の得意とするスタイルとなり、「ショート・カッツ」、「プレタポルテ」、「ゴスフォード・パーク」など、晩年の作品の多くは群像劇になっている。

  「ナッシュビル」の後しばらく不調が続くが、「ザ・プレイヤー」で復活。彼らしい反骨ぶりがハリウッドの内幕物という格好の題材を得て甦った。その後は上記のような佳作、傑作を立て続けに製作する。キャリアの前半よりも後半のほうが充実していたように思う。イギリスの上流社会を風刺した「ゴスフォード・パーク」は最晩年の作品とは思えない充実した傑作。使用人たちが住む地下室とその上にある上流の世界が階段で結び付けられている。この対比が見事だった。

  イギリスのブライトンにいたときプレストン・マナーを見学したことがあるが(マナーハウスとは上流階級が自分の領地内に建てたお屋敷のこと)、帰りがけに地下室を見て行けと言われた。階段を下りてみて仰天。そこは別世界だった。見事に何もない寒々とした空間。同じ国に住む「二つの国民」という言葉は自分でも時々引用していたが、実際に自分の目で見て初めて「実感」した。「ゴスフォード・パーク」が描いたのはそういう世界である。いわば下層社会と対比的に描かれた上流社会の内幕物。この内幕物も彼の得意とする分野だった。

 

フィリップ・ノワレ(1931-2006)

<おすすめの10本>
「パトリス・ルコントの大喝采」 (1996)
「イル・ポスティーノ」 (1994)
「タンゴ」 (1992)Bara15_1_1
「ニュー・シネマ・パラダイス」 (1989)
「追想」 (1975)
「エスピオナージ」 (1973)
「最後の晩餐」 (1973)
「マーフィの戦い」 (1971)
「将軍たちの夜」 (1966)
「地下鉄のザジ」 (1960)

<こちらも要チェック>
「魚のスープ」 (1992)
「夜ごとの夢/イタリア幻想譚」 (1991)
「料理長(シェフ)殿、ご用心」 (1978)

<気になる未見作品>
「素顔の貴婦人」(1989)

  学生の頃はなぜかフランソワ・ペリエとよく混同した。よく出てくる脇役というイメージが重なったのかもしれない。俳優としてはだいぶ違うタイプなのだが。結構有名な作品に出ているのだが、彼自身の印象は薄い。初期から中期の作品で最も強烈に印象に残っているのは「追想」である。ドイツ兵に娘を撃ち殺され妻を火炎放射器で焼き殺された男の復讐劇。ドイツ軍を相手に古城の中で展開される一人ゲリラ戦。命乞いをしていたのか、跪いた姿勢のまま黒焦げになっているロミー・シュナイダーの無残な姿が最後まで観客の脳裏に焼きつき、復讐鬼となった男の異様な執念を最後まで見届けさせる。70年代フランス映画が生んだ名作の一つ。

  そして何といってもフィリップ・ノワレの代名詞のようになった作品は「ニュー・シネマ・パラダイス」である。ほとんどの人にとってフィリップ・ノワレと聞いて思い浮かぶのは、この映画で演じた映写技師アルフレードの柔和な顔だろう。僕はこの作品をそれほど傑出した作品だとは思わないが、似た主題を扱った日本の「カーテン・コール」、イタリアの「スプレンドール」(89、エトーレ・スコラ監督)、あるいは中国映画「玲玲の電影日記」などよりはずっと優れた作品であることは間違いない。なお、3人の監督によるオムニバス「夜ごとの夢/イタリア幻想譚」で彼はトルナトーレ監督と再び組んでいるが、こちらは短編ということもあって出来はいまひとつだった。

  基本的にはコミカルな作品が似合う俳優で「パトリス・ルコントの大喝采」などはまさにぴったり。しかし「イル・ポスティーノ」で演じたチリの大詩人パブロ・ネルーダ役(パブロ・ピカソ、パブロ・カザルスと並ぶ、3大パブロの一人)も彼の長い俳優歴の中で特別な位置を占めるだろう。作品自体がその美しい映像と共に長く記憶されるべき名品である。

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