玲玲の電影日記
2004年 中国 2006年5月公開
評価:★★★★
原題:電影往事(夢影童年)
監督:シャオ・チアン
製作:ホアン・チェンシン、デレク・イー
脚本:シャオ・チアン、チェン・チンソン
撮影:ヤン・ラン
美術監督:フー・トーリン
出演:シア・ユイ、 チアン・イーホン、 クアン・シャオトン、 リー・ハイビン
ワン・チャンジア、チャン・イージン、チー・チョンヤン
ここ5、6年中国映画の公開数が減ったと嘆いていたが、今年は結構ちらほらと見かけるようになった。台湾映画も含めて目に付いたものを挙げてみると、「玲玲(リンリン)の電影日記」を除いても12本ある。
「単騎、千里を走る。」(チャン・イーモウ監督、中国・日本)
「PROMISE」(チェン・カイコー監督、中国・日本・韓国)
「ウォ・アイ・ニー」(チャン・ユアン監督、中国)
「緑茶」(チャン・ユアン監督、中国)
「五月の恋」(シュー・シャオミン)台湾・中国
「ココシリ」(ルー・チューアン監督、香港・中国)
「ジャスミンの花開く」(ホウ・ヨン監督、中国)
「胡同(フートン)のひまわり」(チャン・ヤン監督、中国)
「深海」(チェン・ウェンタン監督、台湾)
「楽日」(ツァイ・ミンリャン監督、台湾)
「夢遊ハワイ」(シュー・フーチュン監督、台湾)
「ウィンターソング」(ピーター・チャン監督、香港)
一般公開された作品とは別に映画祭で上映されたものもある。10月22日から30日にかけて開催された「第18回東京国際映画祭」では「ドジョウも魚である」(ヤン・ヤーチョウ監督)と「私たち」(マー・リーウェン監督)がコンペティション部門に出品された。同「アジアの嵐」特集では台湾映画にスポットが当てられた。もう一つ注目すべきなのは「日中映画祭」。日中国交正常化30周年をきっかけに「中国と日本、それぞれの国においてなかなか公開されることの少ないお互いの国の最新話題作から名作、アニメなどの映画を上映することで日中社会の多様な側面を紹介し合い、日中の友好関係を担っていくことを目的」として開かれている「日中映画祭」は今年で3回目。中国と日本での開催で、6月16日~6月18日に東京の草月ホールで、5月26日~6月1日に中国の杭州(翠苑電影大世界、慶春電影大世界、奥斯卡電影大世界、衆安電影大世界)で開催された。なお来年からは横浜で開催されるようで、それを記念して7月16日に「横浜プレミアム」として中国映画の上映やイベントが行われた。「第7回フィルメックス」(11月17日~26日)では「三峡好人」(ジャ・ジャンクー監督)、「アザー・ハーフ」(イン・リャン監督)、「ワイルドサイドを歩け」(ハン・ジエ監督)など中華圏の作品6本が上映される。2008年の北京オリンピックに向けて中国は国や文化の宣伝に力を入れている。また日本での中国に対する関心もオリンピックが近づくに連れて高まってゆくだろう。来年以降のことはもちろんどうなるか分からないが、ここ数年韓国映画の勢いに押されるように公開本数が激減していた中国や台湾映画が今後幅広く紹介されることを願う。優れた作品が作られているに違いないのだから。
さて、「玲玲(リンリン)の電影日記」。1972年生まれのシャオ・チャン監督(DVD付録の映像を観ると驚くほど若くまた美人である)のデビュー作である。シャオ・チャン監督は「彼女(リンリン)の物語は私の実体験に基づいて描かれたものではありませんが、子供時代の野外映画館の懐かしい記憶は残っています」と語っている。この野外映画館の懐かしい記憶を中心にシナリオを練り上げたのだろう。リンリンの生まれた年も監督自身と同じ72年に設定されている。リンリンと監督を無理に重ねる必要はないが、リンリンの生きた時代は少なくとも監督自身が生きた時代と重なる。シャオ・チャン監督たちが子供時代に観たであろう懐かしい中国映画の記憶と共に、子供時代の自由奔放な生き方がノスタルジックに語られてゆく。
野外ステージに映される映画が実に貴重だ。古い時代の中国映画はほとんど日本では観られない。ましてやアルバニアの映画が映されたのには仰天。「超」が付く貴重な映画である。何しろ独特な「社会主義」の道を歩んできた国で、80年ごろまでは鎖国状態だったのだ。72年ごろはわずかに中国と交流があっただけで、外からは全くどうなっているのか分からない謎の国だった。アルバニア映画の使われ方もすごい。リンリンの母シュエホアは周りから白い目で見られて悩んでいた時アルバニア映画を観る。主演のミラを観てから彼女は死のうと思った。しかし近くにいた観客から父親がいない娘を馬鹿にされつかみ合いの喧嘩になる。その日から彼女は死を捨て、ミラのように屈せずに生きることにした。アルバニアの映画を観て生きる決意をする。その当時の中国でもなければ考えられないことだ。
70年代に焦点が当てられているが、過去だけが描かれるわけではない。映画は現在から始まる。映画の冒頭に登場するのは北京で水の入った巨大なボトルを配達する仕事をしている青年マオ・ダービン(シア・ユイ)。映画が大好きで稼いだ金の大部分を映画につぎ込んでいる。ナレーションによれば映画1本観るのに4日分の給料が必要だ。好きな映画は戦争映画。そのダービンが自転車で走っていた時たまたま事故にあう。地面に転がっていたレンガに車輪を取られ転倒してしまう。そしてその場にいた若い女性にいきなりレンガで頭を殴られる。本人も観客もさっぱり事情が飲み込めない。
気が付いた時ダービンは病院にいた。彼をレンガで殴った女性(リンリン)は警官から取調べを受けているが、何を聞かれても答えない。問い詰めるダービンに女性は涙を浮かべて「金魚に餌をあげて。餌は卵黄を」と書いたメモと部屋の鍵を彼に渡す(後で判明するが、実は彼女は耳が聞こえなかった)。わけが分からないままに彼女の必死の願いに気おされてダービンは彼女のアパートに行ってみる。中に入ったダービンは仰天する。壁一面に中国映画のスターたちや映画のポスターがびっしりと貼られているのだ。映写機を備え付けたホーム・シアターの設備もある。そして金魚の入った水槽。相当な映画好きであることは分かるが、いったい彼女は何者なのか。その部屋でダービンはフィルムを模したノートに書かれた彼女の日記を見つける。「私は自分の人生の唯一の観客になろう!」という日記の書き出しに魅せられ、いつの間にか彼はその日記を読みふけっていた。そこから回想になる。ここまでは謎を含んだ展開で、導入部分としてはよく出来ている(あんなレンガが転がっている道にそのまま突っ込むだろうかという疑問はあるが)。
この後にリンリンの回想場面が続く。時代は一気に71年に飛ぶ。まだ文革時代(1966~1976年)だ。舞台は中国の北西部の寧夏。かなりの田舎町。回想画面は黄色身を帯びた色調(しばしばセピア色にも見える)で統一されている。この回想部分が映画全体の中で一番出来がいい。
中国映画「再見」や日本の「カーテンコール」あるいは先日取り上げた韓国映画「僕が9歳だったころ」もそうだが、過去は懐かしくまた美しい形で記憶されがちである。ノスタルジーのオブラートに包まれた、なんとも甘ったるく美しい「記憶」。その効果をもろに狙ったのが「ALWAYS三丁目の夕日」だ。ワーズワースの詩に「子供は大人の親である」という言葉がある。誰でも子供時代を経ずに大人になることは出来ない。誰でも覚えがあるだけに子供時代は懐かしいものだ。しかし誰の記憶にも甘美な思い出ばかりではなく、哀しみや痛みがある。リンリンの場合もそうだった。幸福だった子供時代がどうしようもなく暗転してゆく苦しみと哀しみ。映画に夢を託すことができた時代から夢を失った現在へ。ノートにつづられていたのは楽しい思い出と悲しい記憶が交じり合った過去。しかし書いているのは北京でひとり暮らしをしている、聴覚を失った大人のリンリンである。日記には「私という爆弾は母の生活を破壊した」などの記述がでてくる。「爆弾」という言葉からは母に寄せるリンリンの苦渋に満ちた心情が読み取れる。回想場面に時々はさまれるリンリンの言葉が切ない。それは一般的なナレーションの客観的な響きを越え、母を思う娘の心情表明になっている。
回想はリンリンが生まれる前の年から始まる。最初はリンリンではなく、母親のチアン・シュエホア(チアン・イーホン)が中心に描かれる。彼女は公営放送のアナウンサー。放送でニクソン訪中のニュースを読み上げたりしているあたりは時代を感じさせる。この母親がすごい。あの文革の時代に父親のいない娘を女手一つで育てたのだ。父親のいない子供を産んだということで彼女は「札付き」となり、どこへ行ってもさげすまれた。一度は死のうとまで思った彼女を救ったのが上記のアルバニア映画だったのである。非難がましいことを言う相手がいればひるまずに食って掛かる。文革映画というと悲惨な目にあった主人公たちの苦難をリアルに描きあげたものが多い。それはそれでもちろんすごいのだが、「屈せず」に生きた女性を明るく描いたものは少ないだけに実に強烈な印象を残す。
シュエホアは相当な美人で映画スターになるという夢があった。結局はかなわない夢だったが、彼女を支えたのが映画だったという描き方がいい。彼女の映画への思いが伝わってくる印象的な場面がある。彼女は病院のシーツを洗う仕事を手に入れた。庭に何本もヒモを張り、真っ白に洗ったシーツを何枚も干している。そのシーツの間をくるくる回りながらシュエホアと娘のリンリン( 娘時代を演じるのはクアン・シャオトン)が踊るシーンである。リンリンはそのシーツが「まるで広場にかかる銀幕のように」見えたとノートに書いている。シュエホアはスクリーンの中で歌い踊っているつもりだったのだろう。「その銀幕が私を育てた」。やがて映画に対する彼女の憧れは娘のリンリンに引き継がれた。
映画への憧れが娘に引き継がれたことを象徴しているのは「フィルムの切れ端」である。ある映画を観ていた時、リンリンがパパはどこにいるのかと聞いた。母はその時映画に出ていたルオ・ジンパオがパパだと言った。リンリンは疑わなかった。そのことをリンリンが映写技師のパンおじさん(リー・ハイビン)に話すと、彼はルオ・ジンパオが映っているフィルムを切り取り、箱に入れてリンリンにプレゼントした。リンリンは本当の父親だと思ってそのフィルムを大事にしていた。このフィルムは最後に重要な役割を果たすことになる。
冒頭に出てきたダービンがそのフィルムを持っていたのである。実はダービンはリンリンの「日記」の中に登場するのだ。リンリンが小学一年の時にマオ・シャオピン(ワン・チャンジア)という「とんでもない腕白小僧」が転校してきた。薄汚い格好のいたずらっ子である。登場した時の格好がすさまじい。ボロボロの服を着て、顔は真っ黒。特に鼻の頭がありえないほど黒い。まるで狸のようだ。その鼻の頭から鼻水を垂らしていて、服の袖口で鼻水を拭く。僕の子供時代にはみんな鼻水(青っ洟)をたらしていたものだが、これほどみっともない子供は見たことがない。このシャオピンこそ幼い頃のダービンだったのだ。ここからリンリンとシャオピンが主人公になる。母親の気丈さが描かれた部分もいいが、まだ幼いこの二人の交流が描かれる部分こそこの作品のもっとも優れた部分である。
リンリンとシャオピンが仲良くなった頃、映写技師のパンは町の広場に「電影大世界」という大きな看板を掲げた。まだテレビが普及する前で、上映時にはいつも広場は観客で満員だ。リンリンとシャオピンはスクリーンの向かいの建物の屋上に上がり、そこから交替で双眼鏡を覗いてスクリーンを眺めていた。「以来この屋上が秘密基地になり、シャオピンがいつも私の脇を掴んでくれていた。」落ちないようリンリンを支えていたシャオピンの姿がなんともけなげで可愛い。
シャオピンが現れる前は、リンリンの楽しみといえば大好きな母と一緒に歌う歌であり、母と一緒に観に行く野外映画だった。今はシャオピンと映画を見るのが楽しみになった。シャオピンは戦争映画が大好きで、二人で映画の主人公になりきって本物の汽車に飛び乗るシーンを演じたりする(実際に飛び乗りはしないが)。子供はみなあこがれたスターたちのまねをするものだ。シャオピンも映画の真似を何度も演じて見せた。やがて厳しい父親から逃れてきたシャオピンがリンリンの家に住むことになり、二人の幸せは絶頂に達したかのように思えた。「この時がいつまでも続き、子供のままでいたいと思った。」しかしその幸せは長くは続かなかった。まず、小兵は結局父親に連れ戻され、祖父の家に預けられることになった。その時シャオピンはこっそりリンリンの部屋からとった例のフィルムを持っていった。一方彼は別れ際にリンリンに双眼鏡をプレゼントする。いつも彼が肌身離さず持っていた双眼鏡で、それで覗けば好きな映画の好きなシーンが見えるという魔法の双眼鏡だ。これも最後にうまく使われる。この映画は小道具の使い方がなかなかうまい。
しかしリンリンの本当の不幸はこの後に訪れる。映写技師のパンさんとリンリンの母が結婚することになった。そして1年後弟のピンピン(兵兵)が生まれた。ここからの展開がなんとも痛切である。あれほどリンリンを可愛がっていた母が、弟が生まれたとたん弟ばかり可愛がるようになる。母は自覚していないが、少なくともリンリンにはそう思えてしまう。弟さえいなくなればという方向にリンリンの意識が向いてしまう、そこが憐れだ。最近頻発する親の子殺しやその逆のケースは様々な原因が複雑に絡まりあっているのだろうが、短絡的な行動に出てしまうのは追い詰められた人たちには目の前にいる存在が自分の最大の障害に思えてしまうからだろう。リンリンも同じだった。彼女は弟をバスで遠くにつれて行き、弟を置いてきぼりにしてしまうなどの意地悪をする。ところが無邪気な弟は一貫して姉を慕い、姉をかばう。やがてテレビの普及のせいで映画が斜陽になり、パンの野外劇場も最後の上映会を迎えることになった。その時に不幸な事故が起きる。姉をかばうピンピンの優しい気持ちが結果としてあだになった形だ。かつてリンリンがシャオピンとしたように、建物の屋上からリンリンとピンピンが映画を観ている時にピンピンが誤って地上に落下してしまうのだ。
映画がリンリンと母親の間の絆を強めていたのに、その映画が不幸をもたらしてしまうという皮肉。世間の圧力に屈せず娘と共に生き抜いてきた母親の目が弟に向いてしまい、自分は家族の中で居場所を失ってしまったのではないかというリンリンの不安。昔のように自分に目を向けてほしいというリンリンの切ない気持ちも痛いほど分かる。それだけにリンリンに嫌われても一心に姉を慕う弟の愛らしさがまた不憫だ。新しい父と弟が出来るという家族の幸せをリンリンは共有できなかったのだ。「二人(リンリンと母)は外見も性格も、悲しい人生まで似ているのです。」このシャオ・チャン監督のコメントが胸に突き刺さる。映画が斜陽になると共に家族関係にも影がさしてくるという描き方が秀逸だ。
とにかくリンリンとシャオピンを演じた二人の子役(クアン・シャオトンとワン・チャンジア)がすごい。昔も驚くような子役がいたが、最近は子役を見るたびに感心する。「僕が9歳だったころ」のキム・ソク、ナ・アヒョン、イ・セヨン。「ALWAYS三丁目の夕日」の須賀健太、「誰も知らない」の柳楽優弥、「Dear フランキー」のジャック・マケルホーン、「ミリオンズ」のアレックス・エデル、「茶の味」の坂野真弥、「ホテル・ハイビスカス」の蔵下穂波、「クジラの島の少女」のケイシャ・キャッスル=ヒューズ、「キャロルの初恋」のクララ・ラゴとフアン・ホセ・バジェスタ、「裸足の1500マイル」のエヴァーリン・サンピ、「思い出の夏」のウェイ・チーリン。挙げればきりがない。ダコタ・ファニングほど有名ではないが、彼女に勝るとも劣らない子役がゴロゴロいるのだからすごい時代になったものだ。
最後は現代に戻り、リンリンの老いた両親がリンリンの入院する病院で野外映画を上 映し、リンリンとダービンが寄り添う場面で終わる。このラストシーン自体は悪くないのだが、映画の最後のあたり、特に「現在」の部分がやや展開不足である。丁度「再見」の現在の部分が、家族がそろって幸福だった時代から次第に家族がばらばらになって行くまでを描いた回想部分に遥かに及ばなかったように。老いた両親の住む家に向けられたまま固定された望遠鏡の使い方は確かにうまい。その望遠鏡を通してリンリンは恐らく毎日のように老いた両親を眺めていたに違いない。弟が死んだ後家を飛び出し、戻ることも出来ないが忘れることも出来ない。その切ない気持ちが角度を固定された望遠鏡に込められている。しかしそれだけで家を出た後の彼女がたどってきた人生をすべて語り尽くせはしない。
成長したリンリンの苦悩が充分伝わってこない。演じた女優の演技力の問題ではなく、彼女が家を出た後どのように生きてきたのか、どのような葛藤を経てきたのかが何も描かれていないのである(彼女は弟の事故があったとき義父のパンに耳を殴られて聴覚を失っていた)。北京に出てきてからも孤独な生活だっただろう。少女の頃の楽しかった記憶だけを心の糧に生きてきたに違いない。それが充分描かれていない。その点が残念だ。
リンリンとダービンが偶然出会うなど色々と不満はあるが、初監督作品としては立派な出来である。オフィシャル・サイト所収のシャオ・チアン監督のインタビューには興味深い発言がいくつもある。中でも彼女が学んだ時の北京電影学院の教育内容が面白い。
その当時学院の授業ではいわゆる「巨匠」と呼ばれる監督に焦点が当てられていました。 教員も学生達もヨーロッパ映画至上主義で内容が重ければ重いほどその映画に価値を置きました。私はこの傾向に冷ややかで、いわゆる「名作」と呼ばれるような作品はあまり見ていません。なぜなら退屈すぎるからです。これらを見ることは非常に勉強になるといわれましたが、そうは思えませんでした。
ただ私は非常に幸運でした。師であるチアン・シーション教授は、良い映画を作るためには自分の趣味や嗜好だけに焦点を置くのではなく、常に中国の観客のことを頭に入れておくべきだ、と教えてくれたのです。学院で学んだ結果、商業的な映画に対する情熱は失ってしまいましたが、それでも私は映画の質は必ず観客に伝わると思っています。だからこそ私は市場での商業価値というものを意識しつつも、個々の登場人物を生きいきと描くドラマを撮りたいと思うようになったのです。
中国でもやはりヨーロッパ映画至上主義だったのか。こういうことは中にいたものでないと分からない。貴重な証言である。また、それに反発したシャオ・チアン監督が映画の「市場での商業価値」を意識しつつ「個々の登場人物を生きいきと描くドラマ」を撮ろうとしていたという発言は、情に訴える傾向が強い「玲玲の電影日記」の演出方法、シュエホアや幼い頃のリンリンとシャオピンの際立った個性的な描き方に呼応していて興味深い。新しい中国映画の世代が生まれつつある。この世代の作品が今後もっと広く紹介されることを期待したい。
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ぺろんぱさん コメントありがとうございます。
「故郷の香り」はずっと気になりながらも知り合いが今一つだと言っていたのでまだ観ていません。やはり自分の目で観てみなければ分かりませんね。せっかくのご推薦ですので観てみようと思います。
投稿: ゴブリン | 2006年11月18日 (土) 23:22
ゴブリンさんTB感謝、です。
>母親の気丈さが描かれた部分もいいが、まだ幼 いこの二人の交流が描かれる部分こそこの作品 のもっとも優れた部分である。
全て頷ける内容ながら今回は特にここに大きく頷いてしまいました。
アジアの映画では、私は特にフォ・ジェンチィ監督の『故郷の香り』をお勧めしたいです。
投稿: ぺろんぱ | 2006年11月18日 (土) 20:47
hosomitiさん TB&コメントありがとうございます。
7本もご覧になったのですか。僕はまだ1本も観ていませんよ。「玲玲の電影日記」だけです。ひたすらDVDになるのを待つ日々ですので。劇場でこれらの作品が観られる沖縄がうらやましい。地方の小都市はその点惨めです。
「五月の恋」是非観たいですね。DVDの発売は12月か来年早々あたりでしょうか。楽しみです。
投稿: ゴブリン | 2006年11月18日 (土) 16:57
TBありがとうございます。
沖縄はアジア映画の上映がまだまだ少なくて淋しいですが、上映作品は楽しんで観たいと思ってます。
上の中では7本だけ観ました(*^_^*)
「五月の恋」が僕的には一番好きでした♪
投稿: hosomiti | 2006年11月18日 (土) 13:25
ミチさん TB&コメントありがとうございます。
「思い出の夏」の冒頭でチャン・イーモウ監督の「キープ・クール」を観るシーンが出てきますね。僕自身は野外で映画を観た経験はありませんが、日本でも昔はよくあったそうです。
文革、下放を描いた「芙蓉鎮」、「青い凧」、「中国の小さなお針子」、「シュウシュウの季節」など、この題材は多くの傑作・話題作を生みました。スペイン映画にとってのスペイン内戦時代のようなものでしょう。最近のボスニアやアフガンもまたそうです。国全体が苦汁をなめた時代には数知れないドラマがあったはずです。イラクの悲惨な現状を描く優れた作品もいずれ現われるでしょう。最近の日本映画はほとんどがコメディ・タッチですが、このような「重い」映画も受け止めねばなりませんね。
投稿: ゴブリン | 2006年11月18日 (土) 09:39
こんにちは♪
TBありがとうございました。
中国映画を見ていると野外映画を見るシーンがよく出てきますよね。
そして文革、下放によって一変した民衆の意識や生活は今となっては格好の映画の材料になっており、いつも興味深く見ています。
投稿: ミチ | 2006年11月18日 (土) 07:39