スティーヴィー
アメリカ 2002年 2006年4月公開 145分
評価:★★★★★
原題STEVIE
監督:スティーヴ・ジェイムス
プロデューサー:スティーヴ・ジェイムス、アダム・シンガー、ゴードン・クィン
製作総指揮:ロバート・メイ、ゴードン・クィン
撮影:デナ・カッパー、ゴードン・クィン、ピーター・ギルバート
編集:スティーヴ・ジェイムス、ウィリアム・ヒュース
共同プロデューサー:ピーター・ギルバート
アソシエイトプロデューサー:キャスリーン・タッカー
音楽監修:リンダ・コーエン
プロダクションマネージャー:カレン・ラースン
出演:スティーヴィー・フィールディング、トーニャ・グレゴリー、ブレンダ・ヒッカム
ダグ・ヒッカム、ヴァーナ・ハグラー、バニース・ハグラー
10月21日に長野大学のリブロホールで行われた「スティーヴィー」の無料上映会の参加者はおよそ230名でした。当日は映画のスタッフとして「スティーヴィー」の撮影に参加した有田桃生さんも来場され、上映後に映画の後日談(出演者たちのその後の様子)や撮影現場の様子、スティーヴ・ジェイムス監督のことなど、現場にいた方でなくては知りえない貴重な話をしてくださいました。有田さんは「幻灯舎」で行われた打ち上げパーティーにも参加してくださり、そこでもまた貴重なお話をうかがうことが出来ました。目標の参加人数には届きませんでしたが上映会としては成功だったと思います。
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「スティーヴィー」は2回観たが、2度目のほうが感銘は深かった。アメリカの現実の一部が赤裸々に映し出された重い映画ではあるが、決してただ重苦しいだけの映画ではない。むしろ感動的な映画だった。それは終始スティーヴィーに対するスティーヴ・ジェイムス監督の冷静だが温かい視線を感じるからであり、特に後半部分では何とか自分を変えようとするスティーヴィーの姿が映し出されているからである。だがもちろん、明るい映画というわけではない。映画が終わった時点でスティーヴィーは自分の姪に対する性的虐待の罪で服役中である。この先スティーヴィーがどうなるのか、「外の世界」に戻ってきた時どんな人間になっているのか、観客にも監督にも、恐らく本人にも分からない。現実には劇映画のようなエンディングはない。現実は続く。立ち直ろう、這い上がろうとしてもその度にまた引き摺り下ろされる。それは彼を虐待した親や周りの人たちのせいでもあり、また彼自身のせいでもある。彼はしばしば自分を抑えられなくなる。映画はそういうスティーヴィーの姿を、彼のやさしい面も不安定な面も含めて、冷静に映し出している。スティーヴィー本人だけではなく、母親、叔母(被害者の母親)、祖母、妹、恋人、近所の友人たちのインタビューをクロスさせ、一人の人間を、その人間存在を多面的に描こうとする。
私生児だったスティーヴィーは父親には一度も会ったことがなく、母親からは虐待を受けて育った。母親は彼の育児を放棄して、義理の祖母(スティーヴィーから見て)に預けてしまった。スティーヴ・ジェイムス監督は南イリノイ州立大学の学生だった時にこのスティーヴィー・フィールディング少年の「ビッグ・ブラザー」になった。「ビッグ・ブラザー」とは児童虐待や不登校、貧困、家族のトラブルなど様々なリスクを背負った児童の友達となり、よき相談相手として子供たちを精神的に支えその成長を助ける人、またはそのプログラムのことである。アメリカでは昔から知られている制度で、各コミュニティがそれぞれのプログラムを持っているようだ。
スティーヴ・ジェイムス監督は事情があって一旦スティーヴィーと離れる。「スティーヴィー」は、10年ぶりにスティーヴィーと再会した彼がスティーヴィーのそれまでの10年間の軌跡と姪に対する性的虐待を起こしてから服役するまでを4年半かけて映し出した記録映画である。最初のころ撮っていたビデオも合わせるとフィルムの長さは約150時間にも及んだという。
全体を通じてわれわれが問わずにいられないのは「スティーヴィーはいかにしてスティーヴィーになったのか?」という疑問である。母親は「生まれてくるべきではなかった」息子に暴力を振るい続けた。その母親バニースもアルコール依存症の父から暴力を受けて育った。しかし、当然ながら、映画はそのことだけに原因を求めてはいない。複数の人たちにインタビューした結果浮かび上がってきたのはスティーヴィーを囲む人間関係の網の目である。虐待された親が子を虐待するという縦線の関係だけではなく、スティーヴィーがかかわった様々な人々との横の関係も描いている。
養護施設に入れられたスティーヴィーはそこで彼自身レイプされている。スティーヴィーを育てた祖母は養育を放棄した無責任な母親への憎しみを彼に植えつけた。スティーヴィーの妹(父親は違う)も母親に虐待され、親子の縁を切ろうとさえ考えている。スティーヴィーも母親のことが話題になると口を極めてののしりだす。暴力と憎しみの連鎖。それが網の目のように彼に絡みつき、彼自身を自暴自棄にさせ、荒廃させ、周りの人間関係をとげとげしいものにしてゆく。何度も犯罪を犯してきたスティーヴィーを雇う人は少なく、まともな職には就けない。婚約者のトーニャの両親はスティーヴィーとの交際を認めようとしない。スティーヴィーの友人の中には白人優越主義者もいる。彼らは監獄に入ったらとんでもない目にあうぞと散々スティーヴィーを脅すが、あれは彼らなりの言葉でスティーヴィーを「励まして」いるのである。「アーリア人」などという言葉が飛び出すくらいだからほとんどナチスばりの組織だ。KKKのような組織と思われる。網の目の中にはそんな連中もいる。保守的なコミュニティなのである。他にも間接的な関係で言えば警官、弁護士、囚人仲間、教会(母親はここに救いを求める)もこの網の目に絡んでくる。一人の人間にこれだけの人々が関わっているのだ(これとてもすべてではない)。
ただしスティーヴィーの育った地域コミュニティを単に保守的で抑圧的だと受け取ってしまうべきではない。舞台となったイリノイ州の小さな町にはまだ共同体意識が残っていて、スティーヴィーのような子をみんなで守り育てようとする気風がある。みんな一生懸命にスティーヴィーを守ろうとしていたが、それぞれ都合が付かなくなってスティーヴィーと離れざるを得なくなる。そういうなんとも間が悪いことが続いてしまったのだ。
この幾重にも絡まりあった人間関係の網の目を変えるのは簡単ではない。多くの人が かかわっているからだ。なによりもスティーヴィー自身が変わらなければならない。しかしこれも簡単ではない。充分な判断力が育っていない幼い時期に虐待を受けたスティーヴィーには、暴力と憎しみと人間不信の種が抜きがたく植え付けられている。これを断ち切るのは容易なことではない。しかし、この映画で最も感動的なのはこれほどの虐待を受け、しばしば自分自身を抑えられなくなるスティーヴィーに笑顔が残っていることだ。彼は人間性を失ってはいない。有田さんが言っていたが、スティーヴィーは撮影隊(隊といっても4人だが)が来るのをいつも心待ちにしていたそうだ。彼は監督たちを笑顔で迎えた。スティーヴ・ジェイムス監督や婚約者のトーニャに時々見せる、どこかはにかんだような笑顔。
スティーヴィーを取り囲む網の目は決して悪意に満ちた包囲網ではない。上に書いたように、彼の周りには彼を励まし支えようとしてきた人たちもいる。終始スティーヴィーを「素材」として映画を撮るべきか葛藤していたスティーヴ・ジェイムス監督ばかりではない。スティーヴィーの犯した性的虐待事件を批判しつつそれでもあなたを支えたいと言った監督の妻、スティーヴィーの最初の里親になった老夫婦、そして婚約者のトーニャ。何といっても彼女の存在が大きい。映画の最初のあたりで彼女が言った「他の人には見えない彼の面が私には見えるの」という言葉が忘れられない。彼女には障害があり、とつとつとした話しかただが、非常に聡明な人だ(それはスティーヴィーも認めていた)。彼女はスティーヴィーの犯した罪を「絶対に許さない」と言いつつも、彼から離れようとはしなかった。
もう一人彼を冷静に見ていた人物がいる。スティーヴィーに性的虐待を受けた姪の母親、つまり彼の叔母である。この叔母とスティーヴィーの母親が一緒にインタビューを受ける場面はこの映画のハイライトの1つである。分厚いメガネをかけている点を除けば叔母の見かけはスティーヴィーの母親にそっくりだ。しかし全く話している内容は違う。この叔母は一貫して知的で冷静で理性的であり、彼女の話には非常に説得力を感じた。被害者の母親である彼女は当然スティーヴィーの行為を激しく非難する。彼女の娘はスティーヴィーをとても慕っていた。しかし「あのこと」があってからはいつもおびえている。一度やったのだからまた繰り返さないといえるのか?こう厳しく批判しながらも、一方でスティーヴィーを虐待してきた姉バニースを批判する。父親の名前すら教えないのは間違っていると本人がいる前で厳しく指摘する。彼女はスティーヴィーの罪を憎みつつも、そういう行為に走ったのはスティーヴィーが歪んだ育てられ方をしてきたからだという認識も示す。自分は虐待などしていないと終始否定し続けていたバニースとは実に対照的だった。
この映画を観て強烈に感じたのは、インタビューを受けた人々が思っていることをはっきり語る率直さだ。このドキュメンタリーを支えているのはインタビューで語られた「証言」の重さである。インタビューを受けた人たちが遠慮せずに自分の考えを率直に語っていたからこそ、この映画は優れたドキュメンタリーになりえたのである。それぞれの立場から語っているから当然矛盾しあう証言もある。それがまた複雑な「網の目」の存在を浮かび上がらせているのである。当たり障りのないことしか言えない日本人とはその点は全く違う。日本では作りえないドキュメンタリーなのである。
率直に語ったといえば、もう一人重要な人物がいる。トーニャの友人、同じ障害者施設にいたパトリシアである。重度の小児マヒであるパトリシアはベッドに寝たきりである。彼女はスティーヴィーを連れて現れたトーニャに優しい言葉をかけ、近々結婚するという二人を祝福する。しかし自分は結婚しないと言う。義理の父親にレイプされた過去を忘れられないからだ。好きな人がいても、どうしてもその時のことがよみがえってきて、男性と深い関係にはなれないのだと。パトリシアの言葉はトーニャ以上に不明瞭だがスティーヴィーの叔母同様その発言内容は明瞭で実に理性的だった。有田さんによると、最初はそんなに長く撮るつもりはなかったが、彼女の言葉に魅せられるようにしてキャメラを止めることができず長々と撮ってしまったそうだ。確かにそれくらい引き付けるものが彼女にはあった。たまたまタバコを吸いに部屋を出ていたスティーヴィーが戻ってきたのはパトリシアがレイプのことを話しているときだった。スティーヴィーは彼女の話を聞いたに違いない。キャメラがとっさにとらえた彼の顔には何の表情も浮かんではいなかった。彼はこの言葉をどう受け止めたのだろうか?シナリオのないドキュメンタリーが意図せずして現実を冷厳にとらえた瞬間だった。
現実はしばしばフィクションを越えてしまう。昔から「事実は小説よりも奇なり」と言われる。ドキュメンタリー、ルポルタージュなどのノンフィクションがフィクションを超えてしまうのは、現実そのものが人間の想像を超えてしまうからである。このことはフィルムを通してスティーヴィーの世界を観る観客よりも、実際に撮影現場にいた人たちのほうが肌で感じたであろう。有田さんの話では撮影はかなりきつく、まるで日替わりのように4人のうちの誰かが異常な状態になったそうである。スティーヴィーの世界に没入して「戻れなくなりそうに」なり、ものすごく考え込んだり落ち込んだりしたようだ。彼女たちの目の前にあった「現実」は否応なく人を巻き込み、その場にいたものは自分の意思にかかわらずその世界にのめりこんでしまう。「部外者」ではいられなくなってしまう。完全に感情移入してしまうのだろう。
撮影中様々な思いが彼らの頭の中を駆けめぐったに違いない。どうしてこうなっているのか?自分たちは何をしているのか?自分たちに何が出来るのか?このまま撮影を続けるべきなのか?あるときは何とかこの現実を変えたいと思い、あるときはいや自分たちが やることは冷静に事実を記録することだと思い、撮影中この間を何度も揺れ動いたのではないか。「日替わり」ということは一定期間を置いて繰り返し自分を見失いそうになったということである。客観的立場にいなければと自分に言い聞かせながらも、いつの間にか「対象」と自分の間に距離がなくなっていることに気づく。現実に踏み込めば踏み込むほど現実との距離のとり方が難しくなる。何度も現実にはねつけられ、また幾度も現実にのめりこむ。何度も繰り返し自分を問い直す。「スティーヴィーはいかにしてスティーヴィーになったのか?」という疑問の先には「自分たちはスティーヴィーに何が出来るのか?」、「スティーヴィーは果たして別のスティーヴィーになれるのか?」という問題が必然的に付いて回る。「スティーヴィー」はスティーヴィーの記録であると同時に、ある意味で彼ら撮影スタッフの記録でもある。
中でも監督であるスティーヴ・ジェイムズの内的葛藤は深刻だったに違いない。監督はスティーヴィーを「対象」として記録することに最後まで悩み続けた。最初は自分が画面に出ることを渋っていたが、スタッフに説得されて画面に出ることにしたそうである。彼がキャメラの後ろではなく目の前にいることでスティーヴィーも心を開くことができたのだろう。監督は自分もキャメラの「対象」となることで避けがたくスティーヴィーの世界に入り込むことを選択したのである。入り込みつつ距離を保つのは言葉では言い尽くせないほど困難なことだったに違いない。他人の生活に踏み込むことへの逡巡、その一方で放っておけないという思い、深い葛藤があっただろう。しかし彼が踏み込むことでスティーヴィーも変わろうとしたのではないか。それまで断絶状態だった家族に細々とではあるが絆が生まれたのは監督たちが踏み込んだからである。もちろん現実は冷酷で、直線的に変わってゆくことなど望むべくもない。あるときはどうしても突き破れない壁に突き当たり跳ね返され、あるときは喜びを共に分かち合う。現実を前にあるときは怒り、あるときは悲しみ、あるときは喜び、あるときは絶望する。そして最後に残るのは、スティーヴィーはいま刑務所の中にいるという冷厳な現実。それでも監督はスティーヴィーのそばにいることを選択した。最後まで彼に寄り添い、見届けることを選んだ。
最後に、有田さんから聞いた後日談を書いておこう。スティーヴィーの祖母は養老院にあずけられたが、個性の強い人なのでうまくなじめず、今はブレンダ(スティーヴィーの妹)に引き取られている。トーニャはスティーヴィーが監獄に入ってから2年後に二人で話し合って、結局スティーヴィーと分かれたそうだ。今は別の人と付き合っているか結婚している。パトリシアは映画の中ではレイプの記憶のために結婚する気になれないといっていたが、その後結婚したそうである。
スティーヴィーのその後の経過は思わしくない。10年の刑期を模範囚として早められるかどうかは微妙なところだ。ただ、有田さんは撮影終了直後、編集前に日本に帰ることになったそうだが、そのことをスティーヴィーに伝えたところ、是非この映画を日本でも上映してほしいと言われたそうである。自分の生の姿を撮った映画を日本でも上映してほしいと言ったスティーヴィーに心打たれたが、その約束を果たした有田さんにも感銘を受けた。
この映画を観た後で印象に残っているスティーヴィーの顔は監督やトーニャと一緒にいる時に時々見せていた優しい笑顔である。あの笑顔に観客はどれだけ救われたことか。あの笑顔が消えない限り彼には立ち直る可能性がある、そう信じたい。
スティーヴ・ジェイムス監督のことはこの映画を観るまで知らなかった。貧しい黒人少年二人がそれぞれNBA選手を目指して高校、大学へと進んでいく姿を追ったドキュメンタリー「フープ・ドリームス」(94)で注目されるようになった人である。「フープ・ドリームス」は94年に公開され、ドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録した。
「スティーヴィー」は彼の長編ドキュメンタリー第2作である。 「スティーヴィー」は「山形国際ドキュメンタリー映画祭2003」で大賞の「鉄西区」(これも観たい!)に次ぐ最優秀賞を受賞した。
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〜そばにいつづけること〜
スティーヴィーは、ひげもじゃで、こわもてで、いかにもワルにみえる。
酒場で喧嘩して、捕まったり、逮捕歴も数回。
でも、ジェイムス監督にとっては、違う存在。
10年以上前、監督は大学生の時にスティーヴィーの「ビッグ・ブラザー」をしていた。
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児童虐待や不登校、家族のトラブルなどリスクを抱えた子ども達の友達になるもので、
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ぺろんぱさん コメントありがとうございます。
彼のあのはにかんだような笑顔が正直救いでした。何度か涙ぐんでもいましたよね。そういう人間的なところをなくさないでほしい、そう願わずにはいられません。
よろしかったらまた覗いてみてください。
投稿: ゴブリン | 2006年11月 9日 (木) 22:04
ゴブリンさん、はじめまして。
ククーシュカに続いてのTBありがとうございます。
>しかし、この映画で最も感動的なのはこれほどの虐待を受け、しばしば自分自身を抑えられなくなるスティーヴィーに笑顔が残っていることだ。彼は人間性を失ってはいない。
丁度今日、不運な状況になっても「笑えること」はまだ生きるパワーが残っている事なんだね、ということを友人と話していましたから、この文面が非常に心に響きました。
ククーシュカに付いてのブログもプリントアウトして何度も読ませて頂きました、ありがとうございます。
また来させて頂きますね。
投稿: ぺろんぱ | 2006年11月 9日 (木) 21:35